歴史の教科書に必ず載っていて、誰もがその名は知っている古代ギリシャの哲学者 ソクラテス。
もし、八哲の一人と称される彼が約2,400年の時を超えて、政治家、評論家、学者等と対話をしたら、こういう風に考えるのではという仮定のもとに描かれたコラム集です。
ページをめくると、その道の専門家や世の中に一定の影響力を持つ人達との対話が始まります。
「私たちが良かれと考えたことは、歴史においてきっと実現される、それを信じていたのです」(p.146)
有史以降、永い歴史のなかで編み出してきた、政治、経済といった社会システム、そして急激な近代化のうねりのなかで進展してきたテクノロジーとがもたらしたのは効率性という便益と自然をも支配できるという過信なのかもしれません。
そういった便益という価値であれ過信というリスクであれ、
「何かが存在するということは、その言葉が存在するということなのだ。存在とは言葉に他ならないのだ」(p.278)
全てを知り得るという観点は思い込みに過ぎず、全てを知り得るとは限らないという観点が考えることのスタートラインのような気がします。
初稿 2022/02/20
写真 八哲の名を記したホールギャラリー
撮影 2013/08/24(大阪・府立中之島図書館)
もし、八哲の一人と称される彼が約2,400年の時を超えて、政治家、評論家、学者等と対話をしたら、こういう風に考えるのではという仮定のもとに描かれたコラム集です。
ページをめくると、その道の専門家や世の中に一定の影響力を持つ人達との対話が始まります。
「私たちが良かれと考えたことは、歴史においてきっと実現される、それを信じていたのです」(p.146)
有史以降、永い歴史のなかで編み出してきた、政治、経済といった社会システム、そして急激な近代化のうねりのなかで進展してきたテクノロジーとがもたらしたのは効率性という便益と自然をも支配できるという過信なのかもしれません。
そういった便益という価値であれ過信というリスクであれ、
「何かが存在するということは、その言葉が存在するということなのだ。存在とは言葉に他ならないのだ」(p.278)
全てを知り得るという観点は思い込みに過ぎず、全てを知り得るとは限らないという観点が考えることのスタートラインのような気がします。
初稿 2022/02/20
写真 八哲の名を記したホールギャラリー
撮影 2013/08/24(大阪・府立中之島図書館)