新緑のはじけるようなみずみずしさのなかに、真夏の太陽に照らされて躍動する生命力に気づく「夏」という世界※1
一方で、まだ見ぬ"あした"に陽の光を浴びながら顔を向けて、ありのままの姿で立ちあがり、耳を澄ませることで〈わたし〉が夜明けを告げる「晨(あした)」という世界※2
とある駅のフォームへ続く階段のそばにたたずむ両腕を広げた女性像の名は「翔」。その読み方は"かける"、その意味は"翼を広げて大空をかけめぐる"ということだそうです。
「夏」から「晨(あした)」、そして「翔(かける)」へと続く世界は、〈わたし〉が宇宙や自然に潜む目には見えぬ大いなる力の存在に気づきつつも、自らの無限の可能性にもまた気づくような物語なのかもしれません。
初稿 2023/10/08
写真 「翔」朝倉響子, 1981.
撮影 2023/04/23(千葉・佐倉)
注釈
※1)α41F「夏」朝倉響子, 1984.
※2)α42F「晨」朝倉響子, 1974.
α43F「晨」朝倉響子, 1982.
α44F「晨」朝倉響子, 1966.
一方で、まだ見ぬ"あした"に陽の光を浴びながら顔を向けて、ありのままの姿で立ちあがり、耳を澄ませることで〈わたし〉が夜明けを告げる「晨(あした)」という世界※2
とある駅のフォームへ続く階段のそばにたたずむ両腕を広げた女性像の名は「翔」。その読み方は"かける"、その意味は"翼を広げて大空をかけめぐる"ということだそうです。
「夏」から「晨(あした)」、そして「翔(かける)」へと続く世界は、〈わたし〉が宇宙や自然に潜む目には見えぬ大いなる力の存在に気づきつつも、自らの無限の可能性にもまた気づくような物語なのかもしれません。
初稿 2023/10/08
写真 「翔」朝倉響子, 1981.
撮影 2023/04/23(千葉・佐倉)
注釈
※1)α41F「夏」朝倉響子, 1984.
※2)α42F「晨」朝倉響子, 1974.
α43F「晨」朝倉響子, 1982.
α44F「晨」朝倉響子, 1966.