浜松市中区に鎮座する分器稲荷神社は、田町の氏神社とされ、永禄11年(1568年)2月に創建されたと伝えられています。
「分器」は、引馬宿南端の境界を示した「分木」が由来であるという説があります。
辺りには、尺貫法の元締めとなる役人の住居があったそうです。
社伝によれば、古くは、許免社と呼ばれ、(許免とは「コメ」と訓み、米の意味)分器宇賀大神とも称し、約1500年前の22代・清寧天皇の御代に天竜河の開墾のために勧請されたともされています。
慶長9年(1604)2月、徳川家康の命により本殿を修造。
明治7年には、三組町の秋葉神社に合祀されましたが、明治11年6月に再興が許されています。
昭和20年6月、空襲により焼失。
昭和31年に本殿、同32年に拝殿が再建されました。
拝殿
本殿
境内には、様々な狐の象があります。
黄金の狐像
神社の西側には家康の重臣・徳川四天王の一人として大活躍した本多忠勝の屋敷があったと伝わります。
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