誰が決めたか、母の日。
もちろん検索すれば、あらかたの事はすぐ出てくる。
私の母はこの世にはもう居ない。 生きていれば、私より29歳年上であるからこの7月でムニャムニャ歳と成ったはずである。

思えば、母は全て自分の事より子供のことを優先したような気がする。
私の記憶は余り当てにはならないが、母が旅行へ行った事はただの一回も記憶にない。
母が、着飾って出かけたのも記憶が無い。 同級会、同窓会へは、私が物心付く頃からは一回も出たことが無いような気がする。
思えば親不孝な子供であった。 高校を出させてもらって横浜の一流の会社に入らせてもらったのに、一回も父と母を横浜に呼んだ事はなかった。 私自身は、親不孝通りでへべれけになったのは数知れず・・・ 。
一回東京に呼ぼうとしたことは有ったが、どのような理由からか結局呼ばなかった。
ちちははに、ありとあらゆる不満をぶつけながら、自分は父母に何をして上げたのか、何もしなかった。 私が山形に帰った事が、唯一父母の喜びだったのだろうか、あるいは私に対する期待が裏切られた事の思いが強かったのか・・・ 。 今となっては解らない。
今、そんな父母の年代になって、どうしようもない自分の無力さを知るばかりである。
父母は、そのことに対して子供の前で一言も言い訳をした事はなかった。
そのことだけでも父母は、現在の政治家、官僚と比べても決して見劣りするものでなかった事は、改めて感心するばかりである。 極めて素直に全うな死を迎えることができた・・、のだろう。

皆様の、お手元に花の香りが届きましたでしょうか?
水色のカーネーションは、甘いレンゲ草の香り、ユリは所謂ユリの香り、届きましたら、今日のブログは大成功です。