住まいの安全 心の健康 住まい塾 21

住まいの安全性、食物の安全性、政治の危険性、感動の共有
心と体のリラクゼーション、誰かに秘密を話すストレス解消

今日は『母の日』

2011年05月08日 | 日記

 誰が決めたか、母の日。
もちろん検索すれば、あらかたの事はすぐ出てくる。
私の母はこの世にはもう居ない。 生きていれば、私より29歳年上であるからこの7月でムニャムニャ歳と成ったはずである。



思えば、母は全て自分の事より子供のことを優先したような気がする。
私の記憶は余り当てにはならないが、母が旅行へ行った事はただの一回も記憶にない。
母が、着飾って出かけたのも記憶が無い。 同級会、同窓会へは、私が物心付く頃からは一回も出たことが無いような気がする。
思えば親不孝な子供であった。 高校を出させてもらって横浜の一流の会社に入らせてもらったのに、一回も父と母を横浜に呼んだ事はなかった。 私自身は、親不孝通りでへべれけになったのは数知れず・・・ 。
一回東京に呼ぼうとしたことは有ったが、どのような理由からか結局呼ばなかった。
ちちははに、ありとあらゆる不満をぶつけながら、自分は父母に何をして上げたのか、何もしなかった。 私が山形に帰った事が、唯一父母の喜びだったのだろうか、あるいは私に対する期待が裏切られた事の思いが強かったのか・・・ 。 今となっては解らない。

今、そんな父母の年代になって、どうしようもない自分の無力さを知るばかりである。
父母は、そのことに対して子供の前で一言も言い訳をした事はなかった。
そのことだけでも父母は、現在の政治家、官僚と比べても決して見劣りするものでなかった事は、改めて感心するばかりである。 極めて素直に全うな死を迎えることができた・・、のだろう。


皆様の、お手元に花の香りが届きましたでしょうか?
水色のカーネーションは、甘いレンゲ草の香り、ユリは所謂ユリの香り、届きましたら、今日のブログは大成功です。

看過できぬ官僚の弊害・ウィキリークス

2011年05月08日 | 日記

日本の国会議員が、アホォの世襲議員ばかりになったので、御しやすいと言う事が有るのだろうが、厳密に言えば官僚が国の進むべき方向を決めようとする言動は、『売国奴』的と言っても過言ではない。
失敗した場合、彼らは決して責任を取る事が無いし、彼らの言動は主に自分たち既得権益層の維持と言うのが大きな動機であるからである。

 大手のマスコミは、この官僚の売国奴的行為を丁寧に報ずるところは無い。
日米軍事同盟は、既得権益層の維持継続を図る上では、必要欠くべからざるシステムであるのだろう。 このたびのウィキリークスでは、過去の鳩山政権と当時外務省トップの藪中三十二氏の沖縄基地移転問題での鞘当の内幕が垣間見える。
彼は、大学で教鞭をとっておられるようであるが、こんな人に教えられて成る外交官も、彼のように政治家を鼻先で笑いながら、仕事をする事になるのだろう。
日本は、転落へのスパイラルに嵌まり込んで、抜け出せないのも当然と言えば当然・・・ 。


  *** 以下引用 Ryukyusinpou.jp 5/5付より ***

 米軍普天間飛行場の返還・移設問題で「県外移設」を模索する方針を示していた民主党政権に対し、外・務・省**官僚**が米政府に「妥協すべきでない」などと、助言していたことが4日、分かった。

内部告発サイト「ウィキリークス」が公開した米公電によると、2006年春に日米両政府が合意した米軍再編ロードマップ(行程表)で示された在沖海兵隊8千人と家族9千人のグアム移転について、政治的成果をアピールするため、実態より膨らませた数字を挙げていたことも明らかになった。
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民主党政権への交代後、**官僚**が再編行程表を維持するよう米側に言及したケースとして、2009年10月12日、高見沢将林・防衛政策局長が、来日したキャンベル国務次官補らとの非公式の昼食の席で、「米側が早期に柔軟さを見せるべきではない」と助言。

日本政府の政務担当の参事官らが、在日大使館政務担当者へ同様の発言をしたことが電文で報告されており、官僚が鳩山政権の県外模索を阻む動きをしていたことが示された。
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 当時の鳩山由紀夫首相が移設先決定を先送りした直後の09年12月21日、藪中三十二外務事務次官(当時)の発言として「政府による見直し作業で辺野古移設に代わる実行可能な案が見つからなければ、06年の再編合意に立ち返る、と鳩山氏は確認した」と、早い時点で辺野古回帰が念頭に大きくあったことも電文で示されている。

  ***  以上引用  終  ***