温室で育てられ、そのまま自然の環境の中に出されるのは、植物にとってごく自然の事で何ら問題は無い。 そして、野生のものより立派な実を付けることが多い。
大学を卒業して、実社会に出る人はまさにそうである。
しかし先生の場合、子供たちに自分の生き様を見せ、ある意味、言葉でなく背中で教えなければ成らないときに、人間の場合の文部省で言うところの先生は、子供たちに何を見せるのだろうか。
その経験した学生時代が温室で、就職にありついた学校と言う職場も、自然の中の環境とは言いがたい。 そんな生活実体験が無く、何もバックボーンが無い者を、生徒の感性が胡散臭く感じないはずが無いのではないか。
立法府が策定する法律よりも、その地方での慣習や伝統が優先すると言う条文を理解していても、その地方の生活実態を体験していなければ、その地方の生き方など理解出来ようはずが無い。
私の持論は、教職に着く者はその地方での5年間以上の実社会の生活を体験し、その上で教職について欲しいと言うことである。
小、中、高校の教職員が精神疾患を病み、休職している人は既に一万人近く居ると言うデータもある。
一方、あんぽんたん先生とも言うべき常識を欠く先生も後を絶たない。
偏差値優等生と言うのは、政治家にも居るようだが実社会でほとんだ役に立たない。 こんな人が適正試験を潜り抜け先生になれるのも驚きだが、そのまま先生を続けられると言うのも驚きである。
正確に言えば、変動が有る時代には前例の無い対処が求められるわけだが、そういう先生は役に立たないと言うことであろう。
彼らが学んだ時代と変わらない時代が、ズ~~と続けばそのまま、ズ~~と学んだ事を教えればよいのであるが、あいにくと今回の原発は言うに及ばず、全ての世界的事象がが日々変化している。
やはり、先生になる人は一定の生活体験が必要なのは、否めない。 そして、歴史の継続を加味した判断を、臨機応変に下せるよう訓練した人で無ければいけない。 そうすれば・・・ 。
次に書かれた様な、あんぽんたん先生は居なくなると思うのだが、・・・。
*** 以下引用 ZAKZAK 5/20付より ***
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秋田県大館市の市立第一中学校で、2年生の学級担任2人が東日本大震災の募金をしていない生徒約20人の名前を黒板に張り出し、保護者からの指摘で撤去していたことが分かった。
同校によると、募金は生徒総会で1人200円以上をすることが決まった。 二つのクラスの担任が、締め切りの17日になっても募金していない生徒の名前を教室内の黒板に張り出し、18日に保護者からの指摘を受け、同日中に外した。
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*** 以上引用 終 ***
私に言わせたら、《この先生、一般社会での生活体験5年間を命じる》 として、一旦教職及び公務員から、職を外すのが本当だろうが、現行の法律ではそういうことは認められていないのだろう。 秋田の田舎では、県知事はほとんどナアナア、そうでなければ次の選挙で落とされる。
職場を変えて、再び教壇に立たせるから人間的にも成長せず、間違いと気付く事も無く、生徒は善悪の判断基準もずれたまま、大人のなってしまう。
これでは、古きよき日本の文化が廃れてしまうのは当然であるし、子供たちは《カネ》が一番《自分の生活》が一番のグローバリズムに染まってしまう。 教育がしっかりすれば、たかだか30年で国の根本が変わるのだが、日本は頭から腐ってきている。 アメリカの影響だろう・・・。