東電も犬HKも、ネットで見る限りにおいてかなりの数がコネ(縁故)で入社し、その陰ながら築いた既得権益に預かっている人が多いようであるが、かつては公務員もそのような人が多かった。 コネで入った人々は、社内でも入社当時から特別の雰囲気があるので、机を並べて仕事をしている同僚の方たちも、多くの人々がご存知のはずである。 電力の場合はコネ入社が多過ぎるので、実力で入った人が浮いた状態になっているのかも知れない(?)が・・・ 。
現在の、公務員にどの程度の割合で『コネ』就職者が紛れ込んでいるのか、筆者は知る由も無いが役場の職員から聞けば、臨時職員でで入って知らない間に市職員になったという話は、今でも聞くので氷山の一角、数え上げればかなりの人が居るのだろう。
役所は地方の就職先では最も競争が激しいので、普通に入れば地方では比較的優秀(偏差値的に)な職員として、仕事をこなせるはずである。
しかし、現実には硬直化した責任逃れの体質ばかりが受け継がれ、本来の国民、市民の公僕と言うには余りにもお粗末な、事例ばかりが目に付きすぎる。
公務員本人たちが、組織内部から意識するか、議会人が公務員に従来有った能力を発揮させる事が出来るか、それもこれも選挙民一人ひとりの強い意識に掛かっていると言う事に成るのだろう。
今回の原発爆発事故を例に挙げるまでもなく、失敗のツケは何時も一般の町方にまぶられて、泣くのはその地の選挙民である。 少し考えれば、分かるのだろうが・・・ 。
*** 以下引用 下記ブログより ***
http://homepage2.nifty.com/kamitsuki/
原発事故で警戒区域となり、強制移住となった福島県川内村の住民が一時帰宅を認められました。 しかし、国の原子力災害現地対策本部は「自己の責任において立ち入ります」という同意書に署名を要求したそうです(*1)。 まさに責任回避のための、原発顔負けの多重防護システムであります。
放射線レベルが下がって安定してきた時期に強制退去させ、一時帰宅時の時間も行動も厳しく管理した上で「自己責任」で、とは信じられません。 自己責任なら自由にさせるのがあたりまえ、自由のないところに責任はないというのが世の常識です。
これは健康被害などが生じたとき自分で責任をとれということであり、当局の責任逃れの意図がありありです。 同意書を取れと指示した人物、またそれに盲従した役人。
保身のみが大切な、なんとも情けない方々に見えます。 もしかすると、彼らは仕事のかなりの時間を責任回避の工夫ために使っているのではないでしょうか。
比較的線量の低い地域まで一律に強制退去させたのは、万一健康被害が生じたとき、責任を問われる事態になるのを避けるためではないかと思われます。 住民に不便や損害を強い、家畜や犬・猫を見殺しにし、養護施設の高齢者に死のリスクを負わせても、とにかく《万一の責任だけは回避したい》という政府・役人達の「強い思い」を感じます。仮にも自己責任を言うのなら、住民の自由な選択に委ねるべきです。
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*** 以上引用 終 ***
も一つ、前に取り上げたブログにも公務員の非効率な事例が書いてありました。
*** 以下引用 下記ブログより ***
http://blog.goo.ne.jp/japan-n/e/2a4f0b63700ffc82d391c4b06ddcafba
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必要衣類3000着として、普通の人は途中集まった500着をまずどこかへ配ると思う。 ところが、役所の発想は違う。 残りの2500着が集まるまで配らないのである。 なぜか? 500着をどこかへ配る時点で不公平が生じる、だから揃ってから一斉に配るのである。
これが、衣類ならば腐らないが、おにぎりならばどうなるか? 賞味期限が過ぎたものは処分するのである。 阪神淡路大震災で同様の事態が発生していた。
「何であそこに配ってここに配られないんだ?」という問い合わせに接するのは役所。 役所はこれを嫌う。 これが役所の発想なのである。
だから、民間・NPOに仕切りを頼んだほうがスピーディー、よって、長尾事務所からの支援物資などは、役所を通さず実施した。 どれだけの善意が被災者に届くことなく処分されていたかを考えるとゾッとする。
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*** 以上引用 終 ***
義援金問題にしても叱り、役所の立場はあくまでも今困っている被災者の立場重視でなくて、自分たちに責任が及ばない事を、最重要課題として物事を処理する。
たしか、不平等配布やドサクサ紛れでズルをする人が、20%程度はどうしても出てくるのは止むを得ないし、高度な判断を要求される事が多くあるのも良く理解できる。 そして、良かれと思って命を懸けて私心無く、あるいは自分の職を賭して判断したとしても、そうそう完璧にやれると言う事もない。
だから、普通の人・よ・り・頭が回る、あるいは知恵のある公務員が期待されるわけである。