僕が五歳の時に母方の祖父が死んだ。それは記憶の境界線の出来事。小さい頃の写真を見ると、僕はしっかりお祖父ちゃんっ子だったみたいだ。三人目の孫にして初の男子誕生ということもあって、すごく可愛がってくれたのだと思う。
そこは病室としては少し広い部屋だったと思う。真っ白な白衣を着て聴診器を首からぶら下げた医師が祖父の腕に何本も注射を打つのを僕は見ていた。子供は注射が嫌いだ。僕は「おじいちゃんが可哀想だょ」と思いながらその光景を眺めていた。従姉妹達は少し離れたところで遊んでいた。どのくらいの時間が経ったのかは僕の記憶の中には無い。医師が小さな声で何か言った。僕はずっと、注射を打たれた祖父の細い腕を見ていたのだと思う。医師の言葉の後、母や母の姉妹たちが嗚咽をもらし始めた。僕は大人の言葉が分からなかったし、大人達は何が起こったのかを年端もいかない子供に教えてはくれなかった。
その時まで僕は、大人は泣かないと思っていた。泣くのは、僕みたいな泣き虫な子供だけだと思ってた。僕も大人になったら泣かなくなると思っていた。だから、僕はその時「祖父」に何が起こったのかを理解した。
「おじいちゃんが死んじゃった」
「どうしたの?どうしたの?」と、僕は母の服の裾をを引っ張って聞いた。僕はしっかり覚えている。僕は母に否定して欲しかった。でも、母は泣いたまま何も答えてくれなかった。
僕はすぐには泣かなかった。泣いてる母の顔と祖父の腕を交互に見ながら、母の服の裾を強く握りしめながら、まだ知らない感情が爆発するのを必死で抑えようとした。泣くのを我慢した理由は、一番に泣いたら従姉妹達にバカにされるからだ。子供の頃の自分にとっては、それはとても重要なことだった。でもダメだった。涙がポロポロと溢れてきた。泣いたらダメなのに涙がポロポロと流れ落ちた。それに気づいた従姉妹達が僕を指差して「あっ、泣いてるぅ!」「ホントだ!泣いてるぅ!」と騒ぎ始めた。でももう全然ダメだった。決壊したダムは止まらなかった。僕はとにかく大声で泣いた。
僕と僕の家族が病室に着いた時には、もう祖父の意識は無かった。まだ容態が変わる前、病室の窓から蝶々が一匹入って来た。ヒラヒラと飛ぶ蝶の姿を見て、祖父はこう言った。
「治ったら、また蝶々を獲ってあげないとなぁ」
祖父が遺した最後の言葉は、僕に対しての言葉だった。それを聞いた僕はまた泣いた。止めどなく泣いた。姉が水疱瘡にかかってしまい出発が遅れたせいで、僕は祖父の最後の言葉を聞けなかった。・・・だから僕は、今でも姉を少しだけ恨んでいる。
納骨の際、僕は祖父の墓石にしがみついて離れなかったらしい。「おじいちゃんと一緒にいる」と泣きわめいて親戚一同を困らせたらしい。それは僕の記憶の中には無い出来事なのだけれど・・・。
前置きがとてつもなく長くなりましたが・・・本を二冊読みました。
「夏の庭」湯本香樹実
「西の魔女が死んだ」梨木香歩
どちらもポロポロと泣きながら読みました。読みながら僕は、子供の頃の「遠い記憶」を探り、初めて「人の死」を知った祖父の想い出をたぐり寄せました。本の内容については語らずにおきましょう。二冊共に素晴らしく素敵なお話です。
秋深まり読書の季節、時間を持て余すことがあったならぜひ読んで欲しい。そんなことを想いながら、自分の泣き虫振りをバラしてみました(笑)。