ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

人間になれた!おれ、人間になれたよ!

2016-04-28 23:19:11 | Weblog
みなさん、心配をかけたでござる。
今、歩けるでござる。
歩けるということよりも、まっすぐに立てるということに、感動しているのでござる。

あぁ、まっすぐに立てるって、素晴らしい。

人間のカラダってすごいな。

まっすぐに立つためのカラダの造りってすごい。

まっすぐに立てなかったのに、まっすぐに立てるようになる治癒力って、すごい。

とか、感動しまくっている今日この頃。
みなさん、いかがお過ごしですか?

カラダの仕組みに感謝していますか?

人間の治癒力に、感謝していますか?

今、まっすぐに立てる人ってのは、すごく幸せなことなんですよ。少なくとも、まっすぐに立てずに苦しんでいる人よりも。


人に言うと、結構みんなこういう。

「治すのに二ヶ月以上かかったよ」
「病院に通って、レントゲン撮って、電気をあてて、牽引してもらって・・・」

人類の敵は、火事場泥棒とオレオレ詐欺と、腰痛、なのかもしれない。

いやしかし、病院に行かなくて良かった。
きっと、病院に行ったら、レントゲン撮ってMRI撮って、痛み止めの神経ブロック注射を打たれて、「では、安静に」と言われたに違いない。そして、何枚かの諭吉様を持って行かれたに違いない。と、僕は思う。

いやしかし、寝ているだけで治って良かった。「もう治らないかも」と思いながらも、ずーっと寝転がっていて良かった。この世界で一番役に立つものは、「安静」なのかもしれない。

一抹の不安はあるものの。一抹の不安は消えないものの、今は歩ける。普通に。ビクビクせずに。

とりあえず、心配をかけたでござる。
みなみなさまに、感謝でござる。

めぐちゃんが送ってくれたコルセットを装着しながら、今書いているのでござる。ははは。

みんなもたまには、安静にしてね。

なんでもなくても、安静にしてね。

どこも痛くなくても、安静にしたらいいと、僕は思う。

たまにはね。

マコ先生へ。2

2016-04-24 04:54:28 | Weblog
「そこへ座れ」
又兵衛が言った。
「さっそくながらこれを」
佐助は慶長小判五枚を差し出した。
「ああ、そこへ置いておけ」
礼も言わない。
「ゆくさき、いよいよ御入城ときまれば、ご入用金はいかようでも整えまする」

「茶でも馳走するかな」
又兵衛は、酒は一滴も飲めない。ところご茶をひどく好み、このかまぼこ小屋の中に、異様なほど豪華な茶道具が一式そろえられている。
「たいそうなお道具でござりまするな。先月参上しました時は拝見いたしませなんだが、あれからお買いあそばしたか」
「乞食の分際に不相応かな」
「めっそうもない」

後藤又兵衛基次といえば、かつては筑前五十二万五石の黒田家で一万六千石の知行をうけ、国中の小城をあずかっていたほどの男である。前身は大名といってもよく、武名は天下にかくれもない。主家を退散して牢人になり、ついに乞食にまで身を落としたとはいえ、これほどの茶道具を持っていても不思議ではなかろう。しかし、この茶道具をあがなうだけで、ざっと小判三十枚は要る。

「立ち入ったことをうかがうようでござりまするが、この道具、いずれでお求めになりました」
「これか。室町の道具屋平野甚兵衛の店よ」
「お金は?」
「先般そちが持ってきてくれた小判十枚を手付けにして求めた。しかし、あと二十枚は不足じゃ。毎月そちが持ってきてくれる金を渡すつもりでいる」
けろりといった。
「それはそれは」
驚かざるをえない。

毎月の金というのは、将来開戦の場合、又兵衛が大阪に入城するという約束で、その契約金を分割払いしているのだ。
今の又兵衛は、具足から刀槍まで売り払った乞食なのである。その証拠に、垢で光った小袖に縄の帯をし、朝夕の米塩にも困っている。
金五枚もあれば、家を借り、夏冬の衣料を整え、小女の二人も置いて、しかも五ヶ月は贅沢に食えるだけのことはできるのだ。

「佐助のごとき下賤の者には、御胸中計り兼ねまするが、これはどういうわけでごさりましょう」
「茶が飲みたいからよ」
「それだけのことでござりまするか」
「あたりまえのことではないか。茶を飲む以外のことで、茶道具を求めるバカはいない」
「しかし佐助などの小智恵では、この金ではよう乞食をおやめあそばした方が、よろしかろうと存じます」
「茶も好きじゃが、乞食も好きでな。男というものは、一国一城のあるじになるか、さもなければ、平然と乞食になれるほどの気組の者をいうのじゃ。それ以外の生き方は、わしにはない」
「おそれいりまする」
「恐れなくともよい」
と、茶碗をつかんで、佐助の前に置いた。

「しかし」
と、佐助は首をかしげた。
「まだ、不審かな」
又兵衛は肩をゆすって、
「少し考えればわかる。人間、金などをチリ、アクタに思うている男が大仕事をするものじゃ。金一枚で毎日食えるとこぢんまり考えている男に、天下を動かす才覚が湧くと思うか。・・・おれも、好きこのんで、かような乞食をしたわけではないが」
と、ちょっと寂しそうな微笑を浮かべ、
「お前もここまで落ちてみればわかる。いかにも前身が後藤又兵衛といえども、乞食は、乞食じゃ。ついには橋のタモトで一椀の飯を恵まれれば、今日はこれで飢えをまぬがれたと思い、町屋の軒先で一文でも多くもらえれば、心を揺さぶられるほどにありがたしと思う。そこへ大金が入った。気も動転する思いであったが、しかし、ここで心を動かせば、又兵衛といえ男は乞食になりきって、ふたたび再起できまい」

司馬遼太郎「風神の門」より抜粋。

「えっ?いいんですか?ありがとうございまーす!いただきまーす」
と、僕はいただいたご飯を平らげた。

しんぐ「旅日記」より抜粋。


腰が、抜けそうで抜けない、抜けなそうでいつでも抜けそうなしんぐくんです。
少し、立てるようになりました。でも、腰椎の辺りがグラグラと不安定に動きます。
まだ、不安いっぱいです。

今日はお世話になっているタノキューの誕生日ということで、この場を借りて、おめでとー^o^

タノキュー主催のライブが今晩小平辺りであるそうで、サプライズで馳せ参じ、あわよくば一曲くらい歌わせてもらえないか、なんて思っていたのだけれど、ろくに歩けもしない僕が行けるわけもない。ごめんね。がんばって。

あっ、おれ、歌いたくなってきた。
あっ、おれも、ライブがあるんだった。

あぁ、早くライブがやりたいなぁ。

あぁ、早く、腰、治らないかなぁ。

二冊、読破。

2016-04-23 08:04:10 | Weblog


ミスター安静、安静にもそろそろ飽きてきた。
ちょっと良くなってきたし、もう大丈夫かなぁと思って、ちょっと動いてみたら、全然ダメだった。

がーん。ショック。

そんなわけで、めぐちゃんが送ってくれた腰痛の本を読んで、腰痛に効く体操をやったりしているのである。

なんとなく、これは、腰椎すべり症なのではないかと、僕は思う。

上半身の背骨が、腰の骨に上手に乗ってくれないから歩けないのだと思う。

上半身を支える腰の骨が滑って前に出ちゃってるのではないか・・・という自己診断。

もう治らないんじゃないか・・・永久に原人歩きしか出来ないんじゃないか・・・と、心配になったりするのだが・・・
いろいろ調べていると、やっぱり、安静にしていれば治ると書いてあったりもして、希望は決して捨てないのである。

健康って、いいよね。
痛くないって、いいよね。
普通に過ごせるって、素晴らしいよね。

健康なみなさんは、その当たり前の健康に感謝をしながら、噛み締めながら、今日という日を元気に、思い切り過ごしてくださいね。

僕は今日も、健康に憧れながら、今日という日を、思い切り安静にして過ごします。

ミスター安静と呼んでくれ。

2016-04-22 05:02:04 | Weblog

めぐちゃんが送ってくれた、柳月の「三方六」を齧りながら書いている。

柳月の三方六と言えば。

十勝の柳月の直売所で、けんちゃんとめぐちゃんへのお土産で「三方六の切れ端」という貴重な品を買い、札幌へ向かう途中で休憩しながら三方六の切れ端をパクパク食べ、「これ、すげー美味しい!」とかつぶやき、そんでもって、札幌のけんちゃんとめぐちゃんの家へ着いて、「はい、これお土産!あっ、ちょっと食べちゃったけどね」と言いながら渡すという、前代未聞の「食べかけお土産事件」が、懐かしい。

今思い出しても、クスッと笑ってしまう。やるなぁ、おれ。


畑で腰を痛めたのが火曜日の午後。
とにかく家へ帰らねば、と悶絶しながら帰宅をし、ベッドに転がる。

元来腰痛持ちである。自力で起き上がれなくなるなんてことが、年に一回はある。
だがしかし、今回の痛み方は尋常ではない。未体験ゾーンに突入した感がある。

それでも、「なんとかせねば」という思いがある。今まで、ずっと、そうしてきたじゃないか。というやつである。なんとか、自力で治すのである。

なぜ畑から必死で帰還したかというと、自宅で自力で治すため、なのである。

我が家には、クッション型のマッサージ機がある。腰痛持ち必携の優れものである。比較的安価である。
福島のレコーディング遠征の時などには、いつも持っていく。
大きなリュックを背負って、クッション型マッサージ機を小脇に抱えて、旅館にチェックインするのである。旅館の女将に、「それはマッサージ機ですか?」なんて聞かれたりするのである。

ベッドに転んだ僕は、そのマッサージ機を腰の下に入れる。いや、入れようとする、入れようとするのだが、入れたいのだが、これが難しい。痛すぎて腰が持ち上げられない。

「無理かもしれない」
「これ、無理かもしれない」

クッション型のマッサージ機は、僕の唯一の切り札なのである。
これで、痛む腰をほぐしてあげれば、腰痛なんて治ってしまうと、疑わない僕なのである。
しかし、そのマッサージ機が腰に差し込めない。

「なんとかせねば」

目には目を、歯には歯を、痛みには痛みを。ハンムラビ法典である。痛みを乗り越えねば痛みを治せぬのならば、痛むまでである。痛めばいいのである。その向こう側に、希望がある。強烈な決意なのである。

30分ほどかけて、決死の思いでクッション型のマッサージ機を腰の下に差し込んだ。
もうその時点で、相当な痛みを乗り越えている僕なのである。

でも、大丈夫。
もう、大丈夫。
あとは、希望しかない。
スイッチオンしたら、治る。
へへへ。
おれ、すごい。

そんでもって、いざ、スイッチオン!

モミ玉がグイングインと動くのである。動くモミ玉に押されて、腰がグイングインと動くのである。

「ぎゃーーーー!ぐぇーーーー!うぎゃーーーー!」

気絶するかと思ったのである。
いや、あまりの痛さにショック死するかと思ったのである。

考えてみると、「そりゃあそうなのである」。
考えてみると、そんなの無理に決まってる。

ははは。バカだね。おれ。

腰を痛めたのが火曜日の午後。

それからずーっと、神様に祈りながら、ベッドの上に転がっている僕なのである。

ははは。うける。


しかし、三方六と珈琲・・・合うなぁ。

そろそろ、治りそうです。はい。
はい、希望的観測です。

ジャワ原人。

2016-04-20 18:33:48 | Weblog


家の中でも、ピテカントロプスのような歩き方をしています。歩けるだけマシです。

苫小牧人のめぐちゃんが送ってくれた、ブラジルサンジョゼ農園の珈琲を、頑張って淹れました。

「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!」と、小泉純一郎に言って欲しい。

これは、なんなんだろうか?

ギックリ腰なのだろうか?

僕右腕が不具なので、さほど器用には動かない左腕で腰骨辺りを触診した感じでは、僕が想像するに、腰骨が一個見当たらない。腰椎なんちゃらとかいう感じの症状なのではないか。

これは、安静にしていれば治るのだろうか。でも、病院には、行きたくない。できれば。

先日、入院していた時、向かいのベッドでおじさんが寝ていた。ほぼ寝たきりのおじさんがいた。
病名は椎間板ヘルニア。ヘルニアの手術を控えて、身動き一つ出来ずに、寝たきりになっていた。

それを思うと、怖すぎて、病院には行けない。

どこかに、魔法を使える整体師さん、いないだろうか?

知っていたら、教えてください。

昨日より、ほんの少しだけ良くなりました。良くなったような気がする。良くなったんじゃないかな。

早く人間に戻りたいよぉ~。

ピテカントロプスより。

長老ゴリラ。

2016-04-20 00:50:34 | Weblog
子供がトンボを追う。どこまでも追ってゆくのだが、あれは何か、と考える。売っていくらという利益になるわけでもなく、またトンボが食えるわけでもない。トンボがもし食えるものなら、子供は追わないにちがいない。

by 司馬遼太郎。

あぁ、お腹が減ったなぁ。トンボって食えるのかな?美味しいかな?食ってみようかな?よし、食ってみよう!
でもなぁ。トンボを捕まえるのに労力を使って、さらにお腹が減っちゃうかもなぁ。やっぱやーめた。

by しんぐ。


とにかく、畑のベンチに寝転がっている場合ではない。と僕は思うのである。
寝転がっていれば、少しは状況がよくなるのではないかと、浅薄な脳ミソで考えたのだが、寝転がってすぐに気づいた。
「こりゃあ、寝転がっていてどうなるもんじゃない。しかも、こんなところで」

しかし、動けないのである。

動けないからじっとしている。

すると、カラスの鳴き声がたくさん聞こえるのである。カラスが何度も頭上を飛んで行くのである。
「まさか・・・死ぬのを待っているのではあるまいな」

枝豆の種を蒔いていただけなのに・・・なぜ、なぜ、こんな目に遭わねばならないんだ・・・。不幸すぎる。

枝豆の種、まだ蒔き終わっていない。がしかし、それはあきらめよう。もう無理だ。

種を蒔いた畝に水をあげなければならない。がしかし、それもあきらめよう。水を入れたジョウロを運ぶのは無理だ。

ただ一つ、帰る前にやらねばならぬことがある。そもそも、帰れるかどうか分からぬが、やらねばならぬことがある。
このままでは、カラスに蒔いた豆を食われてしまう。

そんなわけで、僕は最期の力を振り絞るがごとく、動き出した。

動き出した、と言っても、非常にゆっくりである。

カラスよけに、畝に不織布を被せた。非常に大変だった。でも、これで安心。
しばらく畑に来られなかったとしても、雨が降れば枝豆の芽は出ることだろう。

もう帰る。帰りたい。帰らせて欲しい。ほんとに。

でも、なかなか歩が進まない。痛いなんてもんじゃない。

そばにあったクワを杖にしてみた。

足が痛いわけではない。腰が痛い時に杖は役に立たないと、僕は知った。

しかし、腰が伸びない。腰が伸びないとどうなるか。。。

長老ゴリラみたいな歩き方になるんだよ。
おれ、初めて知った。

長老ゴリラ、しばらく安静が必要な気がするのです。

つづく。

原人デビュー。

2016-04-19 17:31:04 | Weblog
僕は今、畑の隅に廃材を並べた急造ベンチの上に寝転んでいる。なかなかの天気である。

こんな風に書くと、いつものようにノホホンと暮らしているのだなぁ、と思うと想う。

そう、僕は寝転んでいる。
なぜ寝転んでいるのかが問題だ。
実のところ、動けないのである。
動けないから、寝転んでいるのである。
人生には、こんなこともあるのである。

お久しぶりです。元気ですか?

僕は今、と書き始めたのが1時間半前のこと。
久しぶりに面白珍事件が起きたので筆を執ったということなのだが、冗談ではなく、リアルに動けなく、このままだと、動けないまま空の下で夜を明かすことになりそうで、そもそも夜を明かしたところで動けないものが動けるようになるとも思えず、救急車を呼ぶ気はこれっぽっちもないのだけれど、呼ぶにしても、この畑の場所を説明することは不可能だと思え、呼んだとしたら、なんだか末代までの笑い者になりそうなので、とりあえず、1ミリずつ足を動かし、腰を押さえ、1ミリずつ足を動かし、腰を押さえ・・・。

そうそう、どうしたのかって話ね。

先日、久しぶりに親戚の叔父さんと会った。その時叔父さんが言った。
「採れたての枝豆は美味しいんだよな。おれは採れたての枝豆の旨さを知っているから、採れたての枝豆以外は食べないんだ。今度採れたての枝豆を食わせてくれ」

確かに、採れたての枝豆は美味しい。美味しいというよりも、知っている枝豆の味とは違う。つまり、叔父さんの言うことは正しい。美味しいとか美味しくないという話ではなく、味が違うのだ。
僕は、去年、それを知った。採れたての枝豆を茹でて食べてそれを知った。
叔父さんは小さい頃に採れたての枝豆を食べたらしい。つまり、小さい頃に知ってしまった味のおかげで、それからずっと枝豆を食べられずにいる。

余談だが、枝豆は収穫してから二時間で味が変わってしまうということだよ。

叔父さんに枝豆を食べさせるために、僕は枝豆の種を蒔いていた。

畝の横にしゃがんで、土に穴を開けて、枝豆をヒョイと入れて、土をパッパっとかけて、手のひらでぎゅっと押さえて。

ちょっと立った。

「あれ?立てない」

なんでだろう。立てない。

やばい、立てない。

あっ、歩けない。

あっ、腰が伸びない。

あっ、おれ!アウストラロピテクスみたいになってるよ!

つづく。

お知らせ。

2016-04-04 15:45:28 | Weblog
雨が止んだのでね、コーヒーをタンブラーにいれて、本を小脇に抱えて、畑にやって来た。

ブラブラと畑を見物して、椅子に腰掛けて、コーヒーを一口。
さて、新しい物語の口火を切るか。

「あっ!これ第二巻じゃん!」

四巻組の本の二巻目を持ってきてしまった。なんてこった。

早くも四月になりました。新年度が始まったというわけです。
みなさん、いかがお過ごしですか?

僕は、二巻目から読み始めるわけにもいかないので、ブログを書いています。

6/18に下北沢ラウンにて、ソロライブをやることになりました。
ライブのタイトルは、たぶん、梅雨の真っ只中で、きっと、雨が降っているだろうと思われるので、「雨降りのライオンは傘もささずに」ということにしたいと思います。
お足元の悪い中、みなさん、ぜひぜひ、下北沢ラウンまで足を運んでくださいね。どうもありがとう。ってな感じです。
いや、もちろん、ギターが濡れてしまうので、傘をさして行きますけどね。みなさんも、傘をさして来てくださいね。風邪をひいちゃうからね。


それにしても、桜の季節です。
我が家の裏にある桜の大木の桜は九分咲き。
桜のトンネルをくぐりながら想うことは・・・
「今年もサクラが見られたなぁ・・・」

生きとし生けるもの、今この瞬間を抱きしめて。

来年こそは、京都の桜が、見たい。

「あっ、去年の秋に蒔いたライ麦に穂がつき始めた!」

少し曇った空の下、僕は、遠い空を眺めている。