ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

ハローandグッバイ。

2015-09-29 05:05:10 | Weblog
僕の愛車は、ホンダのVtwinマグナという名の250ccのバイクで、その名はマグナちゃん。

初めて買ったバイクは、ホンダのGBクラブマンという名のバイク。19歳の時。車を持っていなかった頃。バイクしか持ってないから、いつもバイクに乗っていた。バイクにしか乗っていなかった。単気筒のエンジンをポコポコいわせて、そこら中を走り回ったものだ。

そのうち車を手に入れて、あまり、バイクには乗らなくなった。
乗らなくなったバイクというのは、乗ろうと思った時には動かない。動かないバイクには乗れない。乗れないからもっと乗らなくなって・・・しまいには埃を被った鉄クズのような存在になってしまう。

クラブマンの最期は、まさに、埃を被った鉄クズだった。
19歳の時に手に入れた宝物のオートバイは、大人になったら鉄クズに変わってしまった。

鉄クズに変わったクラブマンと入れ替わりにやって来たのが、マグナちゃんだった。

バイク屋で見せられたパソコンの画面で、「これ!買う」と、現物も見ぬまま手に入れたマグナちゃん。

我が家にやって来たマグナちゃんのボディには、spirits of phoenixという文字と、不死鳥の翼が描いてあった。不死鳥の魂。

クラブマンとサヨナラをする時に、僕は誓ったのである。
「マグナちゃんを死ぬほど大事にする」

そして、僕は「旅人」になった。

それからの僕が考えることのほとんどは、積載と防寒のことになった。
何ヶ月も旅をする荷物をマグナちゃんに積む方法、どんな寒さの中でもマグナちゃんに跨って走り続けられる方法。

北海道、東北、関東、北陸、東海、関西、四国。回りに回った。走りに走った。
特に、北海道と石巻と京都と伊勢神宮には、何回も行った。
一年の半分以上、旅をしていた年もあった。ほとんど家にはいない、そんな年もあった。

何日か前、僕は家の中をゴソゴソと探し物をして回っていた。
「あれぇ・・・どこにあんのかなぁ?マグナちゃんの書類・・・」

いよいよである。いよいよなのである。

北海道へと向かう道、関越自動車道で僕とマグナちゃんは空を飛んだ。去年の八月の終わり。

僕の最後の記憶は、群馬県から新潟県へ抜ける関越トンネルを抜けたあとの下の長い坂道。マグナちゃんのハンドルを握りしめて走っていた。僕の記憶はそこまで。
そのあと数10キロ走った後で空を飛ぶのだが、僕の記憶は、その数十分前で遮断されている。今も遮断されたままだ。

その時以来の再会、である。
一年と一ヶ月、もう長いこと会っていない。
その時以来の、再会なのである。

五年半、肌身離れず過ごしてきて、一年と一ヶ月。

季節はもうすぐ冬。
普通のライダーにとって、バイクの季節はもう終わる。気持ちの良い季節はもう終わりだ。

僕とマグナちゃんの季節は、いつもこの季節から始まる。ピーンと張り詰めた空気を切り裂きながら走るのが気持ちいい。
北海道なら、あとひと月くらい走れる。
京都の紅葉は、あとふた月も先だ。
雪が降らない限り、どこまでも走れる。
冬のバイクは気持ちいい。

マグナちゃんの書類が見つかった。これを持ってバイク屋の倉庫で眠るマグナちゃんに逢いにいく。

「さよなら」と、「ありがとう」を告げに、マグナちゃんに逢いにいく。

プリウスが消えた日。

2015-09-27 02:24:44 | Weblog
瓦屋の親方が、朝の4時に軽トラに乗って僕を迎えに来た。外は雨である。朝の4時は真っ暗である。つまり、真っ暗の土砂降りの朝の4時である。

目的地は関東東北豪雨の被災地、常総市である。

雨である。

前日。ボランティアセンターが翌日のボランティアは雨のため中止と、早々に発表していた。
僕は親方に電話をかけて、こう言った。
「明日は中止だってさ。ボランティア出来ないよ」

親方からはこんな返答が帰ってきた。
「うちのボランティアは、そういうの関係ないから。朝の3時に迎えに行くよ」

僕が思うに、朝の3時という時間は存在しない。3時は夜中だ。3時は朝ではない。だから、4時にしてくれ、と頼み、待ち合わせは4時になった。

常総市まで2時間半。軽トラに揺られて2時間半。

僕はこう思っていた。
「今日はきっと、ボランティア活動など出来ない。出来っこない。出来ないんだから、とっとと帰って来たいなぁ」

朝の6時半、常総市の水海道に着いた。

大雨から一週間、水は引いている。水が引いた形跡があちこちに見て取れる。
自動販売機が故障している。見たところ、頭まで水を被った跡がある。2メーターを超える水が来たということだ。ほぼ全ての建物の壁に、洪水の水位を知らせるかのような跡が付いている。

とりあえず、ボランティアセンターへと向かった。
今日はボランティアセンターは開いていない。だけど、ボランティアセンターへ向かった。なぜなら、他に行く場所がないからである。

僕はこう思っていた。
「早く親方の気が済んで、帰れたらいいなぁ」

ボランティアセンターの前の駐車場に車を停めて、少し待った。何を待つのか?それはわからない。何かを待つのだ。

僕らの軽トラの横のスペースに、黒いプリウスがゆっくりと入って来た。ゆっくりと入って来て、消えた。
駐車場の奥は堀になっている。
つまり、黒いプリウスが消えたということは、堀へ消えたということだ。
なんでだ?
外へ出てみると、黒いプリウスが堀へ落ちていた。
朝の7時前に、どうしてプリウスは堀へ落ちたんだろう?不思議でならない。

とりあえず、今回のボランティアかつどう最初の作業は、消えたプリウスの救出作業である。

うちの親方は張り切っているのである。軽トラをプリウスに繋いで、堀から引っ張り出すのである。

20分後、消えたプリウスは救出された。外は土砂降りの雨である。

騒動の最中、ボランティアセンターの建物に出入りする人がたくさん集まってきた。

その人たちに僕は聞いた。
「ボランティアに来たんですけど、何か手伝えることはないですか?」

予想通りの答が返ってくる。
「今日はボランティアセンターで中止を発表してるから、何もないよ」

ずぶ濡れになって軽トラに戻る。センターの人の言葉を親方に伝える。
「あんね、こんな日に来るんじゃねぇよ、今日は休みって言ってんだろ、さっさと帰りやがれ!って言われたよ。プリウスも助けたことだし、さぁ、帰ろうか?」

そして、僕たちは、また待つ。
何を待っているのかは、わからない。
ただ、フロントウィンドウを打ち付ける雨を眺めながら、知らない町でじっと待つのである。

そもそも、そこに知らない軽トラが停まっていることはおかしな事なのである。
出勤して来る職員たちが、不審な目を向けながら通り過ぎていく。

首から名札をぶら下げたおばちゃんが、傘を差しながら僕らの軽トラに近づいてくる。明らかに不審な眼差しを向けながら。

「何をなさっているんですか?」

困っている人の手助けをするってのも、なかなか難しい。
そんなことを、僕は学んでいるのである。

秋。ゴリゴリと何を挽く?

2015-09-27 01:53:01 | Weblog
突然なんだけどさぁ、今さぁ、おれ、何が欲しいか知ってる?

今さぁ、おれさぁ、モーレツに石臼が欲しい。普通に欲しいんじゃなくて、モーレツに欲しいんだよ。わかる?モーレツだよ。

おれ、麦を育ててんの。

なんで?とかさ、そういうのって愚問じゃない?

いしいしんじの「麦ふみクーツェ」よろしく麦を踏み踏みしたいから、というのもあるんだけど、そうじゃない。

最近、お客さんが来るとピザを作る。

ピザを用意しておくのではなく、唐突にピザを作る。

とりあえず、お腹が減ったなぁ、ご飯食べてく?みたいになったりすると、ちょっと待っててと言って、粉をコネコネする。粉をコネコネしたら発酵させないといけないから、またお喋りをする。お喋りをしている間に発酵するわけだから、その間に薪ストーブに火を入れてダッチオーブンを暖める。上蓋に乗せる豆炭にも火を点ける。

いい頃合いかなぁ?発酵したかなぁ?となり、キッチンで自家製の野菜を刻む。生地を伸ばして手作りピザソースと野菜とチーズを乗っけて、外に持ち出す。そしてダッチオーブンの中へ。

ものの5分で熱々ピッツアの出来上がりなんだけど。
みんな驚く。何に驚くって、その美味しさに。
おまけに驚く。生地を今この瞬間に作ったということに。

まぁ、農民だから、それくらいは出来て当然なんだけどさ、おれは思うわけよ。

「小麦も自家製だよ」・・・と言いたい。

で、麦を育て始めたというわけ。

そんでさ、麦が出来たとしさ、どうすんのよ?どうやって小麦粉にすんのよ?

やっぱり石臼でゴリゴリでしょ?それ以外にあんの?

で、調べたわけ。

うひょー!高い!

石臼、15万円!

とかね。

ムリムリ。

15万円の石臼とか買ったらバカでしょ?

プロじゃないんだから。アマなんだから。

石臼を買ったって、すぐに飽きるんだから。知ってんだから。

血迷って買って使わなくなった重量40キロの15万円の石臼が庭に転がっていたら、それを見るたびに自殺したくなるに決まってるっしょ。

そんで、もっと調べたら、あった!石臼5000円!「やった!買う!」
床の間に飾るオブジェにどうぞ・・・「いやだ!買わない!オモチャじゃん!」

とかね。

そんなわけで、今、僕は、モーレツに石臼が欲しい。血迷って買ってしまいそうになるくらい欲しい。

なんか、3000円くらいですり鉢みたいなのが売ってた。
「小麦粉も挽けるかもよ」と書いてあった。

もう、おれ、それでいい。3000円のでいい。それ、買う。だって、早く小麦粉が挽きたい。今すぐに挽きたい。ナウ、挽きたいんだよ。ゴリゴリゴリゴリ。。。

よし、買おう。買ってしまおう!

あっ、麦の収穫・・・来年の4月・・・だ。

やっぱ買わない。挽くものないし。

あぁ、石臼、欲しいなぁ。

なんなの?このブログ。

それ・・・名案だよ。

2015-09-26 01:37:50 | Weblog
安保法制採決反対のデモが国会前で行われている。ということを僕は知りながら、僕は水浸しになった畑の真ん中に置いた椅子に座って、空を眺めながらつぶやいた。

「同志たち・・・ごめんよ」

僕はアナーキストなわけで。アナーキストは国家からの離脱を望むわけで。だからといって、同志たちが命懸けで叫ぶ声が空を伝って届いてくるわけで・・・。

「はぁ・・・」とため息一つ。

日本の防衛費は年間5兆円に手が届きそうな額。5兆円ってなんだろうかなぁ。

中国には貧しい人が恐ろしくたくさんいる。都市部と農村部の格差は天と地の差ほどに広がっている。
中国の軍事費は年間37兆円。37兆円ってなんだろうか。

アメリカには貧しい人がたくさんいる。貧しい人は病院に行けないという。なぜなら、貧しくて保険に入れない。保険が効かないから医療費を払えない。オバマ大統領が国民皆保険制度を導入しようとしたけれど、貧しくない人たちの反対にあい、計画は頓挫してしまった。つまり、貧しい人は病院に行けないままだ。
アメリカの軍事費は年間61兆円。61兆円ってなんなんだろうかなぁ。

この世界の論理は・・・オカシイ。

広島の原爆ドームや平和資料館を案内してくれた被爆者のおばちゃんはこう言っていた。

「なんにも難しいことなんてない。ただ、戦争はいけないってこと」

ひめゆりの塔を案内してくれた、元ひめゆり学徒のおばちゃんはこう言っていた。

「簡単なことよ。ただ、戦争はいけないってこと」

この世界の論理が・・・オカシイ。

「抑止力」なんて言葉を平気で口にする国のトップがいる国の論理は・・・オカシイ。

ベクトルの問題だ。
この国が向かうベクトルの問題だ。
この世界が向かうベクトルの問題だ。

「同志たち、ごめんよ」

僕はつぶやきながら、泥をかぶって茶色くなった苗の葉っぱを拭き拭きしていた。

作業着のズボンに入れてある携帯電話がなる。

電話の主はこう言った。

「常総にボランティアに行こう!」

アナーキストになった僕は、空を流れる雲を眺めながらこう答える。

「それ・・・名案だよ」

ハバネロギャング団。

2015-09-25 23:56:21 | Weblog
旬な話を。

ハバネロって知ってる?
暴君ハバネロのハバネロだよ。

おれ、ハバネロを育ててんの。庭で。

庭の菜園スペースが極度に小さいのに、そこにあれもこれも植えたもんだから、大変混み合ってる感を醸し出してんの。醸し出してるというよりも、実際混み合ってんの。

春に、嵐山の農産物直売所の苗売り場で「そこのあなた!激辛ハバネロにチャレンジ!!!」というポップがついた苗を一つ買った。
レジのおばちゃんが、「おっ、チャレンジするんですね?」と言っていた。

チャレンジするとも!おれ、チャレンジしちゃうよ。

で、ピーマンと島唐辛子とパプリカとミニトマトとナスとキュウリなどなどの間っこに、ハバネロの苗を植えた。

他の苗はスクスクと育つのに、ハバネロちゃんの苗はちっとも育たない。
ちっとも育たないもんだから、色んな苗の葉陰に隠れてしまって、ちっとも太陽の光を浴びられずにいる。
そして誰も、そこにハバネロちゃんの苗が植わっていることなど忘れてしまうと。

ある日、「なんだっけ?この実は?」と気づく。
パプリカとか島唐辛子とかミニトマトの間を突き抜けた枝にポコポコと実が成っている。緑の実が。

「あっ!暴君ハバネロ様だ!」

季節はもう秋。ミニトマトはもちろん、ピーマンもパプリカも終わろうとする季節。
暴君ハバネロ様だけが元気にスクスクと育っているのである。
緑色だった実の色が、微かに赤らんできている。

話は変わって、最近、ナポリタンにはまっている。昔懐かしい味のナポリタン。昔懐かしい味のナポリタンといっても、別に僕は、昔を懐かしむほどのナポリタン好きではないので、実際全然懐かしくはないのだけれど、人々が言う昔懐かしい味のナポリタンっていう意味はなんとなくわかる。甘いやつ。

嵐山駅の目の前にモールという名の、そりゃあ懐かしい感じの喫茶店があって、最近そこによく行く。ほんとはよくは行かないのだが、誘われて5回か6回行った。
最初に行った時、150円永遠割引券をもらったので、いつ行っても500円でご飯が食べられる。だから、よく行くというわけ。

で、そこで食べるのは、いつもナポリタン。昔懐かしいやつ。甘いやつ。麺が太くて甘いやつ。これ、すごく美味しい。オレ的に、全然懐かしくはないのだけれどすごく美味しい。

で、最近、その懐かしいナポリタンをよく作る。よく作るからプロってきた。けっこう美味しい。甘くすりゃあいいんだから、難しくはない。

そんでもって、さっき、晩ご飯に、ナポリタンを作った。
2ミリの太めのパスタを茹でながら、庭に出て野菜を調達する。
「ピーマン、ピーマン、あれ?成ってないな。じゃあ、パプリカ、パプリカ、あとは、ナス、ナス・・・あっ、ハバネロちゃん、こんにちは」

ハバネロちゃんを一個もいできた。

トントントンと包丁で野菜を刻む。タマネギとパプリカとナスをトントントン。ベーコンもトントントン。

最後にハバネロをトントントン。

ハバネロってさ、辛いヤツなんだけどさ、自分で育てたハバネロが辛いとは限らないっしょ?どんだけ辛いのか、はたまた辛くないのか?

試してみるっしょ?

生のハバネロを刻んだヤツをペロリと舐めてみた。

「ギャーーーー!カラーーーーイ!うぉーーーー!!!」

怖い怖い怖い。こんなに辛いハバネロを一個も刻んでしまったよ。どうすんだ?一個食ったら死ぬね、確実に。

ナポリタンには三かけ入れて、あとはまな板の上に放置。処遇はあとで考える。
甘いナポリタンの辛いこと辛いこと。甘いのに辛い。甘いのに辛い。

おれ、決めたわ。
ハバネロがこれから50個くらいは収穫出来るっしょ。そしてら、その実から種を取るっしょ。そんで、来年は100株くらい育てるわ。そんで、おれ、ハバネロ屋になるわ。ハバネロ屋なんてこの世にないわけだから、儲かっちゃうんじゃない?そんで世界に進出するわ。そんでミスターハバネロって呼ばれるわ。

おれ、京都によく行くんだけどね。京都に行ったら七味唐辛子屋に行くの。行きつけの。
で、「日本一辛い黄金七味」とか、「日本一辛いなんちゃら七味」ってのを買ってくるわけ。
結構高いんだよね。グラム何百円的なさ。下手したら、マリファナ並みに高いわけ。

おれ、ハバネロちゃん大量に収穫したら一味唐辛子を作るわ。ハバネロ一味。
そんで、ハバネロ一味屋になるわ。ハバネロ一味屋なんてこの世にないわけだから、儲かっちゃうんじゃない?そんで世界に進出するわ。そんでハバネロ一味が作るハバネロ一味とか言われることにするわ。決めたわ。

おれ、辛いモノが好きな人は味覚オンチのバカだと思ってるわけ。
世の中バカばっかりだから、売れると思うんだよねぇ、ハバネロ一味のハバネロ一味。
みなさん、どう思いますかぁ?

おれ?辛いの?大好きだよぉ~。へへへ。
バカだと思われるから、秘密だよ。

世界の中心で「誰かぁ!」と叫ぶ。

2015-09-23 04:43:51 | Weblog
先々週の話。

台風がやって来て、50年に一度の大雨だとか言っちゃって、すごい雨が降って、堤防が決壊して被害が出たりして、農民の畑は水没して、被害は甚大。

先週の話。

コツコツと地味ぃに、台風被害の畑を修復したりなんだりして、実際は「もうやってらんねぇよ・・・」とつぶやいたりして、存分に農民気分を味わったりして。

台風被害から一週間経った17日に、常総市の水海道ってところ、鬼怒川の氾濫で水浸しになった小さな町にボランティア活動をしに行ってきた。

そこら中ゴミだらけで、川が吐き出したヘドロの臭いが立ち込める町の中・・・
「すいませーん!誰かぁ!助けを必要としている人はいませんかぁ!!!」と、叫ぶ僕がいるのである。

ボランティア活動をするってのも、なかなか難しいのである。

なぜならば、その日は朝から大雨で、ボランティアセンターがボランティア活動の中止を決定していたからなのである。

これは、そんなわけのわからないボランティア珍道中の話なのである。

ガソリンスタンドの娘。

2015-09-23 04:22:22 | Weblog
奈々へ。

久しぶりです。
コメント欄への書き込み、驚きました。
チビちゃんが二人も増えたんだね。
しっかりとママさんをやっているようで、なんだか嬉しい。

十年よりももっともっと前のことだね。
銚子からガタンゴトンと列車に揺られて会いに来てくれたこと、覚えているよ。

何度かメールを送ってみたのだけれど、メールアドレスが変わってしまっていて、届かなかった。
連絡する術もなく、「もう会えないのかなぁ・・・会えないんだろうなぁ・・・」ってね。

奈々のことは時々思い出したりしています。どうしてかはわからないし、嘘だと想うだろうけど、ホントです。

この十何年かの間に出会って、もう会えなくなってしまった人がたくさんいます。でもどうしてだろう?その中の何人かのことは、よく思い出すのです。いつかまた会えたらいいなぁ、と思うのです。その中の一人が「奈々」だったりするのです。

僕の人生は、思い出を作ることと、思い出を思い出すことで出来ています。
だから、思い出を作っている時以外は、思い出を思い出しているということなのです。
時に鮮明に。時におぼろげに。

CD、聴き続けてくれてありがとう。
ポストカードも大切にしてくれてありがとう。

僕が生きた「証」ってやつは、しっかりと何処かに存在していると、教えてくれてありがとう。

きっと、また逢えるね。

そう信じるためにも、また歌わなければいけないな。


追伸。

時々活動状況メールを送ります。
連絡待ってます。

横田は読まないはず。最近のブログは文字数が多いから。

2015-09-10 01:23:44 | Weblog
検査の結果、気になりますか?気になりますか?
えっ?別に気にならない?そうなの?そういうものなの?
気になるでしょう?普通。
いいよ、教えてあげても。

検査の結果は、マルかバツで言うと・・・三角でした。

三角ってなんだ?

骨がくっ付いているわけでもなく、くっ付いていないわけでもなく、言うなら、3分の2ほどくっ付いている。3分の1はくっ付いていない。

手術は、10月の中旬頃になると思われます。

まぁまぁ、いいじゃないか。
敏腕ブッキングマネージャーから、「12月に再びソロライブを!」との連絡が入っているが、今回のケースは手術後二週間で、普通に動けるようになるらしいからね。ギターなんてシャラリーンと弾けちゃう予定だよ。

手術が終われば、自由だ。旅に出られる。


ライブレポ、楽しみにしてます!と、我がTrash Box Jamのドラマー、マコ様に言われたので、書くかなぁ。

でも、何を歌ったかなんて、忘れちゃったなぁ。

でも、一曲目は覚えてる。「クライバード」。

一曲目に何を歌うか・・・実は悩んだ。だって、久しぶりに歌う一曲目だから。一年振りに歌う一曲目だから。

いっばい候補曲はあった。数知れぬ候補曲の中から、クライバードを選んだ。


今回リリースしたライオンズポートレート5、9曲入りになってしまった件は、以前に書いた。本来10曲入りにすべきところ、省かれた一曲は、英語の歌詞の唄である。
ライオンズポートレート1~4まで、すべて英語の歌詞の唄が一曲入っている。CANDY、HEART BEAT、PARFAIT、CHOCOLATA。

今回はmarshmallowというタイトルの曲を作りかけていた。でも間に合わなかった。

なんで英語の歌詞の唄を入れるのか?
それは、前出のアンバースティーブンスちゃんの存在に起因する。

路上ライブなんてのをやっていると、外国人がよく立ち止まる。
外国人が立ち止まってくれた場合に、ビートルズやらレニークラヴィッツやらレッドホットチリペッパーズやらの曲をサラリと演奏してあげる器用さを、僕は持っていない。
どんな時もただひたすらに、オリジナルソングを歌うだけだ。

それならそうだ、英語の歌詞のオリジナルソングを歌えばいいじゃないか、ということである。

いっとき、アンバースティーブンスちゃんが友達をたくさん連れてきてくれて、その友達もTrash Box Jamを気に入ってくれて、外国人のお客さんがいっぱいになった。
そんな流れで、英語の歌詞の唄をアルバムに入れるようになったのである。

つまり、僕が思うに、英語の歌詞の唄を、アンバースティーブンスちゃんは楽しみにしてくれているのである。楽しみにしてくれているはずであるという、僕の解釈である。

その英語の歌詞の唄を、今回のニューアルバムに入れる事が出来なかった。大変申し訳なく思っているのである。

それは、小さなことではあるのだが、僕の心のどこかしらに引っかかる事柄なのである。

だから、数ある候補の中から、意外性の曲、「クライバード」を復活ライブの一曲目に選んだ。
なぜなら、クライバードは、アンバースティーブンスちゃんのお気に入りの曲だから。
「ごめんね」の意味を込めての選曲なのである。

復活ライブの一曲目が「クライバード」だったら驚くだろうし、喜ぶだろうなぁ・・・という思惑からなのである。

そして、ライブ当日。

僕は、シャラリーンと初公開のマーチンの12弦ギターを弾き鳴らし、クライバードのイントロとは違うイントロを弾き始めるのである。
歌い出しにならないと、クライバードだとはわからない、洒落た演出なのである。

「二人夢の果てを・・・愛の儚い夢を・・・」と歌い始めると、予想通り、客席から小さなどよめきが聞こえた。予想通りなのである。演出通りなのである。ズドーンと胸を撃ち抜くのである。ズキューンと胸をえぐるのである。
「えーーー!クライバードからですかぁ!やるなぁー!」なのである。

そんな感じでライブは始まった。


で、アンバースティーブンスちゃんに、僕の謝罪の気持ちが伝わったか?という話。

実はアンバースティーブンスちゃん、ライブに遅刻して、一曲目には間に合わず、「謝罪の『クライバード』」は聴くことが出来なかったそうな・・・。

人生って、うまくいかないことだらけだね!ははは。

アイスクリームはザクリッチ。

2015-09-09 08:30:23 | Weblog
いきなりでなんですが、今、病院にいます。病院の合皮張りの長椅子に座って、放射線被曝の順番待ちをしています。あぁ、なんてこった。

ライブの時にちょこっと話したり、会う人には報告したりしていたのだけど、最近の僕の状態について、まったく説明をしていなかったということに、メグちゃんからのメールで気づいたので、ちょっと報告。被曝の順番待ちをしながら、ブルーな気持ちでちょっと報告。

事故から一年が経過して、僕の怪我は、もうこれ以上は治らないね、という後遺症を除けば完治しているはず、の時期ではあるのだけれど・・・実際はそうでもなかったりする。

右肺からの出血は、新潟の病院で毎日アイスクリームを食べている間に治った。
折れた6本の肋骨は、クシャミを我慢している間に自然と治った。
数々の擦り傷と打撲の後も、季節の移ろいの中で気にならなくなった。
世界がぐるぐると回転するかのようなひどい目眩は、事故から春が来る直前にピタリと止んだ。

問題は、手術をした右鎖骨の骨折である。

毎月一回レントゲンを撮っている。レントゲンの写真を見ながら、先生は首を捻る。何度も首を捻る。「おかしいなぁ」。

事故から九ヶ月が過ぎた頃、五月。普通ならば、鎖骨の骨を繋いでいるチタン製のプレートとボルトを抜く手術を受ける頃である。僕はCTスキャンの機械の中に入れられた。

CTの立体的な画像をクルクルと動かしながら、先生はこう言った。
「やっぱりね、だと思った。ほら、見てごらん。骨、全然くっ付いてない」

九ヶ月経って、僕の骨はちっともくっ付いていないのである。

九ヶ月経ってくっ付かないものが、これからくっ付くわけがない。そう思わない?

このまま骨が付かないようであれば、どうするのか?先生が説明をしてくれた。

1.くっ付きかけの骨をもう一度割る。
2.割った断面の骨をゴリゴリと削って平らにする。
3.腰に穴を開けて骨盤の骨を削り出す。
4.削り出した骨盤の骨の形を、鎖骨を割って削った箇所に合うように加工する。
5.削って隙間を空けた鎖骨の骨の間に、腰から取り出して加工した骨盤の骨をピタリとはめる。
6.骨がずれないように、再びチタンのプレートとボルトで固定する。
7.骨盤の骨は再生力が強く、間違いなくくっ付く。
8.偽関節手術といって、全然大したことのない手術である。

嫌だよぉ。また全身麻酔じゃん。また入院じゃん。とかね。

それから四ヶ月。様子見続けて四ヶ月が過ぎた。
今日のCTの結果によって・・・手術をするかどうかが決まるのである。

そんなこんなと書いているうちに、CTスキャンの中に入って被曝して来た。今、診察待ち。
九時半の診察予約なのに、CT予約は八時半で、僕は偉いから八時半にちゃんと来て、CTなど五分で終わってしまったものだから、すげぇ待つじゃないか。と、ブツブツ言いながら、待っている。

どうかなぁ?くっ付いてるかなぁ?どうかなぁ?
とか、思ったりしない。

どうせ手術なんだよ。手術に決まってんだよ。どうせスッカスカなんだよ。
とかも、思ったりしない。

もうこういうのは、なるようにしかならないもので、僕なんかがどう想おうが、どう願おうが、どう祈ろうが、そういうの関係ないからさ。無力なんだよ、無力。

あっ、でも、ちょっとはドキドキするよ。
だって、入院することになるわけで、そしたら、喫煙所の場所が気になるわけで、この病院の喫煙所、すげぇ遠いの。病人には無理だろ!ってくらい遠いの。いやぁ、行けないよ、手術直後にあんなに遠い喫煙所。

あぁ、嫌だなぁ、入院。

あぁ、早く来ないかなぁ、順番。

Hello! Ms.Amber Stephens.

2015-09-09 01:39:02 | Weblog
「今日でTrash Box Jamと出会って10年です」

というメールを、先週あたりに頂いた。

その子は、アメリカからやって来た宣教師。昔でいう、フランシスコザビエルのような人だ。でも、その子は、女性なので、フランシスコザビエルみたいにハゲチャビン頭にはしていないんだよ。

確か、二年程の契約で日本に来ていたのだと思う。
Trash Box Jamの路上ライブ、土曜日も日曜日も、毎週欠かさずに来てくれた。
契約を更新して更新して、仕事を変えて、中学校で英語を教えたりして。今は幼稚園で小さな子供達に英語を教えている。

出会った頃は、たどたどしかった日本語も、今ではペラペラと喋っている。十年とは、そういう年月だ。

十年選手の彼女も凄いのだが、Trash Box Jamを支えてくれている方々の中には、十六年選手というツワモノもいるわけで、なんだか途方もない時の流れを感じてしまったりするわけなんです。人生の半分がTrash Box Jam、というね。青春というよりは、人生といった方がしっくり来たりするのである。

昔の話。

あの女の子が病院に入院した。ある女の子というのはTrash Box Jamのファンの子である。
同じ病室の隣のベッドの女の子と話していると、実はその女の子もTrash Box Jamのファンで、ファンクラブの手作り会員証を見せ合って盛り上がったとかなんとか。

Trash Box Jamが小さな世界を席巻していた頃の話である。

先日のライブの時の話。

後に小さな世界を席巻するTrash Box Jamも、最初は名も知れぬ、誰も知らぬ、ちょっと風変わりな路上ユニットなのである。
大宮の道端で、「どうやったら人が立ち止まるんだろうねぇ?」とか言いながら、軽やかに「三日月の夜」なんかを歌っていたのかもしれない。

初日、数時間歌って、立ち止まって聴いてくれたのは、たった一人だった。

その後、試行錯誤を繰り返し、継続は力なりと路上ブームに乗って、Trash Box Jamの人気は上がっていく。立ち上げたファンクラブの会員は、二年程の間に1300人くらいまで増えた。その後は面倒になってやめた。

会員No.1の称号は、初日に、たった一人立ち止まってくれたその子のものである。
会員No.7の女の子が、「もっと早くTrash Box Jamに出会いたかった・・・そしたらNo.1になれたのに・・・」と泣きべそをかくくらい、その頃のNo.1には意味と価値があったんだろうなぁ。

そして、その後、みんな大人になるわけで、「なんだ?このゴミみたいなカード?あっ、なんちゃらの会員カードだ」とゴミ箱に捨てる日が来るのである。そういう日は当然来るのである。
1300人のうちの、1293人くらいは、ごく自然に去って行ったのである。風のようにしなやかに。

ライブ会場に、見知ったような見知らぬような顔を見つけた。
「サトミだよ」とそばにいた子が教えてくれる。
そう、そのサトミこそが、会員No.1のその子なのである。十年ぶりくらいだろうか?

何かの拍子で僕がライブをやることを知り、会場まで足を運んでくれたそうだ。

リクエストされては歌い、リクエストされては歌い、1日に30回も「三日月の夜」を歌っていたあの頃を、思い出した夜なのである。


1293人くらいの、実際はもっと多いはすで・・・3000人くらいの、僕らの唄を愛して止まなかったあの子達は元気にしているだろうか?
もう会うこともない人たちがほとんどなのだろうけれど、みーんな幸せな毎日を過ごせているといいなぁ・・・と心から想う。

人生には苦難がつきものだが、終わるまで突っ走らなければいけないよ、ニコニコと笑いながらね。ケラケラと笑いながらね。それが、生きるってことなんだよ。


すごくたまに、すごく時々、こんなメールを頂くことがある。

「あの頃貰った会員カード、今でも大切にとってあります」

僕が思うに・・・僕が想うより遥かに、あの子達にとっては大切な時間だったのかもしれないな・・・だって、青春時代を振り返れば、毎週通ったTrash Box Jamの路上でみんなとワイワイ騒いでいる自分がいるのだから。

みんなみんな、どうもありがとう。長い間応援し続けてくれてありがとう。深い深い感謝を、贈ります。
そして、みんなみんな、これからも、どうぞよろしく。どうぞシクヨロ。

ピンポーン!正解です!天才です!

2015-09-08 03:38:00 | Weblog
クイズ番組をやっていた。
三枚の絵画が表示され、それぞれの作者は誰でしょう?という問題だった。

「全部ゴッホじゃん」と僕はつぶやいた。

タイムリミットギリギリで、女性の回答者がボタンを押して、答えた。

「ゴッホ・・・ゴッホ・・・ゴッホ」

ピンポーンピンポーン!正解です!

回答者の女性は、出演者たちから感嘆の声を浴びていた。

どうも、こんばんは、絵画問題がそこそこ得意みたいなしんぐです。どうぞよろしくシクヨロ。ミロとピカソも得意です。どうぞよろシクヨロ。

ニューアルバムの中に、こんなタイトルの曲がある・・・「僕が嘘をつく理由についてのちょっとした考察」。
ん?あってたっけな?そんなんだったかな?違ったかな?「ちょっとした」の箇所は字数の関係で削除したんだったっけかな?忘れたなぁ。ははは。

僕は僕を嘘つきだとは思っていないんだけど、全然思っていないんだけど、周りの人が僕のことを嘘つきだと思っているってことが、僕が僕を嘘つきなんじゃないかと思う大きな要因であるわけで、つまり僕は、もしかしたら嘘つきなのかもしれないなぁ。もしかしたらね。

さっき、パエリアは食べていないと書いたのだけれど、実はバレンシアで食べているわけで、そういうところを切り取って、嘘つきだと思われているのだとしたら、ちょっと心外だなぁ。
だって、実際、マドリッドでは我慢したわけで、本場のバレンシアまで我慢するぞ!と我慢したわけで、バレンシアで食べたパエリアは、完全なツーリストメニューだったみたいで、安かったせいか全然美味しくなかったわけで、それなのに、そこを切り取って嘘つきだと言われちゃうのだとしたら、やっぱりそれはちょっと心外だなぁ。
だって、まだ、本場の美味しいパエリアを食べていない。
つまり、僕は嘘つきではない。というのが、僕のちょっとした考察。

「僕が嘘を・・・」を聴きながら「嘘をつく理由を探しています。

といった主旨のメールをいただいた。

あのね、そんなの、探しても無駄だよ。だってね、そんなの、歌の中に書いてないんだもの。そもそも、おれ、嘘つきじゃないし。

とか、無粋なことは言わないんだよ、僕は。

「自分に嘘はつかないように生きなさい」とか言うでしょう?たまに聞かない?そういう感じのこと。「自分に正直に」というような感じ。

僕はね、それって大事なことだと思うよ。よくわかんないけどね。意味がね。たぶん、おれ、自分に正直だから。心のままだから。

でもね、時々、自分に嘘をつくんだよ。

心が「もうダメだぁ」と弱気になった時とか、「いや、まだ大丈夫」って嘘をつく。
心が「怖いよぉ~」と臆病になった時とか、「えっ?全然怖くないけど?」って嘘をつく。
心が「嫌だよぉ行きたくないよぉ」と弱虫になった時とか、「えっ?全然平気だけど?」って嘘をつく。

自分に嘘をついて言い聞かせると、自分自身が騙されて、なんだかヘッチャラになったような気がする、ような気がする。

そうやって僕は、前に進んで来たような気がする。
そういう意味では、僕は完全な嘘つきだ。
そうでもしなきゃ、こんな世界は泳ぎ切れない。

肝心なのは、自分が何をしたいのか?ってこと。
前に進みたいのに進めないのならば、自分に嘘をついてでも前に進ませる。
何かをやりたいのにやれない自分がいるのならば、自分を騙してでもその何かをやらせる。
肝心なのは、自分が何を望むのかってことだ。


深いなぁ・・・深い唄だなぁ。さすがだなぁ。おれって、さすがだなぁ。

アヤちゃん、そんなわけで、そんなことを考えながら、「僕が嘘をつく理由についてのちょっとした考察」を聴いてみてください。

たぶん、さっぱりわからないと思います。
でも、それがしんぐの唄の深さ、だったりするのです。はい。よろしくシクヨロ。

僕の答と、君の答と。

2015-09-07 23:03:37 | Weblog
北海道の苫小牧といえば、マルトマ食堂である。言わずと知れた行列の出来る店である。

店員さんは、なぜか海鮮丼を勧めるのだが、見た所、海鮮丼にはマグロとかサーモンとかが乗っていたりして、なんとなく地場感が薄れるのだ。だって、苫小牧といえば、ホッキだから。マルトマといえば、生ホッキ貝だから。やっぱり生ホッキ丼を食べたいのだ。

そんでもって、ホッキ貝の生の美味しさを知ることになるのだが、北海道ならば、ホッキ貝などどこでも買えるのである。恐ろしく安い値段で、どこででも買えるのである。ホッキ貝なんて殻をぱかっと開けて、身をガバっと取り出して、包丁でチョンチョンチョンと身を刻んで、ご飯の上に乗せられるのである。生ホッキ丼なんて、自分でチャチャチャと出来てしまうという事に気づくのである。

それ以来、マルトマ食堂へは行っていない。
次に行ったら、店員さんお勧めの海鮮丼を食べるのである。たぶん。

最近、札幌人から苫小牧人になった人がいる。つまり、僕の札幌での宿が一つ消えてしまったわけである。それはそれで悲しいのかといわれると、そうでもない。だって、札幌は人も車も多いんだもん。しかも、札幌にはキタさんという人類史上ベスト10,000に入るであろうと思われる濃さを持つ人がいて、遊びに来い来いとうるさいので、それはそれで良いのである。

それよりも、苫小牧人の知り合いが出来たという事の方が嬉しいのである。なぜって、苫小牧にはフェリーターミナルがあるから。
苫小牧の港に降り立って、さて、今日はどこでテントを張るかな?と悩んだら、ケンちゃんとメグちゃんの家の庭にテントを張らせてもらおう!という具合になるってもんじゃないか。とかね。

苫小牧人になったメグちゃんからメールが来た。

「何か送ってあげるから欲しいものを言いなさい!しんぐのことだから、武士は食わねど高楊枝!なんて痩せ我慢してるんじゃないの?」と書いてあった。

この場を借りて発表させてもらうと、「武士は食わねど高楊枝」ってのは、僕の座右の銘なのである。ほんとに。あっ、もう農民になったから、「農民は野菜を食って高楊枝」になってしまって、なんか・・・かっこよくないなぁ。

新曲「不死身のライオン」の歌詞の中に、こんなくだりがある。

・・・お腹が減って力がでないけど、まぁなんとかなるかな、こんなピンチは100万回もあっからなぁ、まぁ、なんとかなるかなぁ、ガオ・・・

まさに、100万回、ピンチを乗り切って来たのである。ピンチの最中、いつもつぶやいていたのが、「武士は食わねど高楊枝」という言葉なのである。まさに、座右の銘、なのである。

僕は、好きぃなことだけをして生きているのである。僕は好きぃなことだけしかしないで生きているのである。
もちろん、その代償は大きいみたいなのである。ほとんどいつも、ほとんどお金がないのである。
お金なんてなくても全然問題ないのだが、お金がないと食べるものがない時が多々あって、それはまぁまぁな問題なのである。別にいいんだけど。

でも、お金のために、人生の大切な時間を台無しにするのは嫌だと思ってしまうタイプなのである。色々なモノを見て、色々な人と出会って、色々なことを知って、経験による価値観を築いていくことに価値を感じてしまうタイプなのである。

つまり、好きなことをしながら、「ひーひー」言っていたくないのである。好きなことをしているのだから「ニコニコ」していたいのである。どんなに苦しくても、ニコニコが信条なのである。そんじゃなければ、好きなことをする意味なんてないのである。辛いならやめればいい・・・簡単なことなのである。

ヨーロッパを旅した時、毎食20円のパンを食べていた。公園のベンチに座って、20円のパンばかりを食べていた。お金がなかったから。もう一生パンは食べないからな、と心に誓いながらパンを食べていた。
その代わり、ヨーロッパ中の絵を観ながら過ごした。パン50個分の入館料を払って、美術館や教会の絵画を観て回った。何万枚、何十万枚の絵画を観て回った。
うんざりしながらパンを食べていても、僕はニコニコしていたような気がする。
「うーん、パサパサ具合が昨日のパンとは違うなぁ」といった感じだろうか。
パンが嫌なら絵画を観ずに、パエリアを食べればいい。でも、僕はパエリアを食べない。パンを食べる。なぜなら、それが僕が選んだ選択肢なのだから。

畑を耕すってのは大変でね。腰が砕けそうに痛くなるし、汗の量は尋常じゃないし、「あぁ、辛い、あぁ、辛い、あぁ、苦しい、おれは陽気な小作人♬」という唄でも歌っていないとやっていられない代物なんだけど。
ヒーヒーゼーゼー言いながら、ブツブツ文句を言いながら、ドカっと腰を下ろして一息つくと、隣にいる小作仲間が僕に言う。

「嫌だったら辞めたらいいよ、誰も強制なんてしてないんだから」

はっ?誰が嫌だと言った?辛い、苦しい、やってらんねぇ!と言っただけだ。辞めないよ、だって楽しいもん。

これが僕の答だ。

嫌なことからはすぐに逃げる。これは僕の方針だ。嫌な場所に居続ける理由なんてない。
好きな場所にずっといたい。好きなことだけをしていたい。これが僕の方針だ。だって、人生は、長いようで短いんでしょ?

僕らは呆れるほどに、自由なんでしょ?
えっ?違うの?
僕は、心の底から、そう思っているんだけどね。

僕は、優しさに包まれながら生きている。
メグちゃんに感謝を込めて、この素晴らしき世界の夜と、今までの旅とこれからの旅を、心に刻む僕なのである。

宝田さんがイメチェンしていた。

2015-09-06 01:46:10 | Weblog
今日はハローハロー!という感じではお届けしないのである。なぜかというと、ここのところ、ハローハロー!が続いていたので、もう飽きた頃だからなのである。

うっちーの奥さんとか、市民病院の井上さん、よろしくシクヨロ!といった気分なのである。

今日は同窓会だった。

「おまえ、同窓会とか呼ばれないクチじゃん?」とか、そういう優しさの欠片もないが的を射た意見は受け付けないのである。

同窓会ってなんの?いつの?中学の?高校の?まさか、大学の?とかね。
ノンノンノンだよ。それ、全部、ノンノンノンだよ。

去年、週5で通っていた、パソコンスクールの同窓会だよ。
パソコンスクールの皆様方は、優しいので、こんな僕も同窓会にお呼ばれするんだよ。

20年ぶりの同窓会なんてのは、決して行くことはないのだが、一年半ぶりの同窓会なら、なんてことなく参加しちゃうんだね。だって、「変わったねぇ」とか「変わってないねぇ」とか、そういう気恥ずかしい会話がないんだもの。

クラス16人中、8人が集まった。男子3人、女子5人。年齢は26歳から62歳、かな?
同じ釜の飯は食ってはいないが、同じパソコンのキーボードを叩いた仲である。
三ヶ月間、鬼のロッテンマイヤー石黒女史の厳しい猛特訓を受けた仲である。

こういうのは、楽しいのである。

パソコンスクールを受講して、新しいスキルを身に付けて、そんでもって全員就職が決まったわけなのだけれど、近況を聞いてみると、誰一人としてパソコンのスキルが活かせるような仕事には就いていなくて、それもまたお約束のようなものなのである。

僕なんて、タイピング一級の資格を取得したのに、今やパソコンが壊れて、もう二度とキーボードに触ることもないであろうという毎日を過ごしているのであるのだけどね。
農民としては、鍬一級、三角ホー初段、畝作り五段とかいう資格があったら、ぜひチャレンジしたい!とか思うのだけどね。

ジムニーの不調を心配してくれて、うっちーが嵐山まで迎えに来てくれた。
ジムニーの不調は、ここのところ大丈夫なのだけど、うっちーが来てくれたら行き帰りにたくさん喋れるなぁ、とか思ってね、来てもらったりしてね。

みんな僕の怪我のことも知っているわけで、大変心配してくれたりしてね。
どこへ行っても優しくされて、僕は幸せいっぱいだったりするのです。

みんな、波乱万丈な人生の中を、逞しく懸命に泳いでいるのです。
生き方も、やり方も、考え方も違うそれぞれが集まって、笑顔の時を過ごせるっていうのは・・・素敵です。

簡単なことと難しいこと、そんなものは、考え方次第でコロコロと転がっていくのです。
そういうことを、日々学びながら、僕らの人生はコロコロと転がっていくのです。

また会えるといいなぁ。

僕の知らない世界は、この世界の至る所にある。

「しんぐさんは来ないと思ったぁ!」と女性陣に笑顔で言われたけれど、それが、「おまえ、なんで来んの?」という意味ではないことを、切に願っている僕なのであります。はい。

僕が大好きなあの娘は・・・。

2015-09-05 01:31:52 | Weblog
まだもう少し、ハローハロー!という感じでお届けするのである。

僕の大好きなあの娘は、こう言っていた。

「えっ、そうだよ、世の中ってバカばっかりなんだよ」

僕が「世の中ってさ、バカばっかりなんだよ」と愚痴をこぼした時のことである。

僕が敬愛する伊坂幸太郎はこう言っていた。

「アリは賢くないが、アリのコロニーは賢い」

今、僕たちが生きている世界は、人間もバカだが、国家もバカだ。これは、僕の言葉だ。

僕の新曲、「サムシャカスキーの秘かな反乱」の中に込めたありったけのメッセージは、今のこの社会への警鐘である。

僕はバカだが、考えるバカなので、色々と考えるのである。

近所のおっさんの話である。近所のおっさんの話ではあるが、一般の常識の話でもある。

「みんな、ちゃんとしてますかぁ?」と僕は問いたい。
本気で問いたい。天国だか地獄にいるセンセイにも問いたい。

ちゃんとって、なんだ?ということだ。

久しぶりに、怒っているのである。
おっさんに怒っているのではない。おっさんは無実だ。おっさんは、ただの象徴だ。

「みんな、ちゃんとしてますかぁ?」と僕は問いたい。

ちゃんとって、なんだと思いますかぁ?

僕が常々思うのは、みんな幸せになればいい、ということである。

だから、ちゃんとしてますかぁ?という問いの意味は、ちゃんと幸せに過ごしてますかぁ?ということになる。

実際、他のことなどどうでもいい。
仕事をしてようがしていまいが、お金持ちだろうがビンボーだろうが、大きな家を持っていようがボロい借家だろうがホームレスだろうが、税金を払っていようが払っていまいが、貯金があろうが借金まみれだろうが・・・等々。

そこに幸せがあれば、なんだっていい。つまり、そこに幸せがなければ、笑顔がなければ、楽しさがなければ、そんなものなんの価値もない。

僕の新曲、「不死身のライオン」に込めたのは「旅を続けなさい、まだ生きられるのであれば」というメッセージなのである。

旅とはなんだ?
旅とは、価値観を作り上げていくということだ。人生の話だよ。
他人の価値観ではなく、誰かに押し付けられた価値観でもなく、自分のオリジナルの価値観をちゃんと作り上げていくということである。

なんのために?
自分が、自分が生きているすべての瞬間に「幸せ」を感じるために、である。

僕の友達のマキちゃんはこう言った。
「今の自分を『幸せ』だと想える賢さを」と。

バカばっかりでも世界は回るが、バカばっかりだと世界は不幸だ。

みんな、ちゃんとしてますか?

僕はさ、意外に、ちゃんとしてるんだよ。

チャンリンシャン。

2015-09-05 00:36:27 | Weblog
ちょっとしつこめに、ハローハロー!って感じでお届けしているのである。

今日の夕方のことである。今日の夕方というのは、日付的にいうと昨日の夕方という意味なんだけど、細かいことは言いっこなしなのである。

現場は、我が家から30メートルほど離れた道端である。
僕は車を停めて、道端の草を集めていたのである。草を集めて大きな袋に詰めていたのである。もうすでに意味不明なことを言っている・・・とね。

草と言っても緑色の草じゃないよ。草刈りをした草が枯れて茶色くなったやつだよ。茶色い枯れ草を集めて袋に詰めていたんだよ。

なんで?って?

農民になったからだよ。農民に枯れ草はつきものでしょ?たぶん?でしょ?

「あぁ、腰がいてぇなぁ。。。」とぶつぶつ言いながら、アメリカンレーキっていう農具を使って、牧草集めをするカウボーイのごとく枯れ草を集めていたんだよ。

そしたら、向こうの方から犬の散歩のおじさんがやって来たんだよ。そして、通り過ぎた。

辺りはもう暗闇ね。

枯れ草を集め終わって、農具をジムニーに仕舞おうと思い、後ろに回ると、犬の散歩のおじさんが・・・まだいた。

あぁ、あれね、あれでしょ?不審に思ってるってやつでしょ?

そこで、僕は「こんばんは」と挨拶をする。

すると、おじさんはこう聞いてくる。

「何をしてんだ?」

めんどくせぇなぁと思いながら、僕は農民の事情を説明する。農民に枯れ草はつきものでしょ?とね。

すると、おじさんはこう聞いてくる。

「どこのもんだ?」

なんだか、聞き方が失礼なのである。中学生同士の決まり文句「おまえ、どこ中だよ?」を彷彿させるのである。

どこだっていいじゃねぇかクソオヤジ!と言いたい気持ちを抑えて、「そこだよ」とすぐ目の前の我が家を指差す。

すると、おっさんは再び聞いてくる。

「どこのもんだ?」

おいおい、同じ質問じゃねぇか・・・

二度も言わせるんじゃねぇ!この耄碌ジジイ!と言いたい気持ちをぐっと抑えて、「だから、そこだって」と目の前の我が家を指差す。

すると、おっさんは、手のひらを返したような表情になり言う。

「あれ?あぁぁぁ、えぇぇぇ、えぇぇぇと、しん・・・しん・・・えぇぇぇと」

僕は優しいから「しんぐですよ」と助け舟を出してあげる。


初めて会ったおじさんなんだけどね、隣の家のおじさんだった。
隣といっても、200メートルくらい離れた隣の家であって、曲がり角を曲がらないと行けない家なのであって、隣といっても隣じゃねぇよなぁくらいの隣の家のおっさんである。
引っ越してきた時に、地区の人の家には挨拶に回ったのだが、その時不在だった人とは会っていない。だから、初対面だったということ。

それから30分くらいかなぁ。おっさんの身の上話やら、近所の人の話やら、農民についての談義といった与太話をして、別れた。

まぁ、ご近所さんと仲良くなれて良かったという話・・・を書いているわけではない。

そのおっさんが、話の中で何度も言っていたキーワードがある。

「大丈夫、おれもちゃんとしてないから」

「おれの周りにもちゃんとしてないヤツがいっぱいいるから」

大丈夫?ちゃんとしてないから?おれも?

って話なのである。

おいおいおい、と。引っかかるじゃねぇか、と。

いやね、いいんだよ。別に。おれ、ちゃんとしてないし。自分のこと、ちゃんとしてると思ったことないし。ちゃんとしようと、思ったことないし。

でも、引っかかるじゃねぇか、と。

長くなったので、つづく。