ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

コッペパンを訪ねて三千里。

2018-05-30 01:13:18 | Weblog


エッセイの本を頼りに旅をしているという話を書いた。

たとえば、マーガリンコッペパンを食べたいか?と聞かれたら僕はこう答える。

「別に・・・特には・・・食べたくは・・・ない・・・かな?」

そうでしょ?

だって、マーガリンコッペパンは、今僕の目の前にあるわけじゃないんだから。
苦労して遠くまで食べに行かなきゃいけないとしたら、いらないでしょ?マーガリンコッペパン。いる?


エッセイの本を頼りに旅をしているという話を書いた。

そう、僕はエッセイの本を頼りに旅をしているのだよ。

気温35度オーバーの殺人的陽射しの中を、僕はマーガリンコッペパン探しの旅に出る。

商店街。薄暗い。結構暗い。時間のせいか・・・なんのせいか・・・細い路地の商店街、空いている店が少ない。細い路地は、本当に細い。人が三人はすれ違えないくらい細い。

昼間なのに、細く暗い路地をゆく。

マーガリンコッペパンは、パン屋さんで売っている。

細い路地、パン屋さんを見つける。店の入り口に何種類かのパンが置いてある。パン屋さん・・・ではないのか?パンを店先のワゴンに少しだけに置いている店なのか?といった様相である。つまり、店の中には入れない。ワゴンに置いてあるパンの中から選ぶ。

どれだ?マーガリンコッペパンは?

すごーく小さいパンがある。これは・・・マーガリンコッペパンか?これが、マーガリンコッペパンではなかろうか?と思う。
がしかし、すごく小さいマーガリンコッペパンらしきものは、20個入りの袋みたいになっている。

・・・いくら小さくても・・・20個は食えない。

ワゴンの横にお姉さんが立っている。

綺麗なお姉さんではあるのだが・・・その無愛想さは歴史に残ろうかというほどである。
ワゴンの前でマーガリンコッペパンを探している僕を睨みつけているかのようである。

その状況で僕は言うのである。

「これ、2個、ちょうだい」

お姉さんは「えっ、2個?」「えっ?20個入りなのに?」というような・・・顔をしたかはわからない。少し驚いたような顔はしていたように思う。

店の中へ入って、10個入りのコッペパンの袋を開けて、僕のために2個取り出してくれた。

値段を聴くと、12元。一個6元。1個20円と少し。

僕は、お礼を言う。
サンキュー、どうもありがとう、シェイシェイ。

歴史に残ろうかというほど無愛想なお姉さんが・・・ニコッと笑う。

なんなんだ?シビれるじゃないか。いったいなんなんだ?

究極のツンデレ大国なのか?ここは。

僕は、袋に入ったちっちゃなマーガリンコッペパンを二つ、大事に手のひらに載せながら、薄暗い路地を歩くのである。

いいなぁ・・・ツンデレ。

なるほどなぁ・・・ツンデレ。

こういうことか・・・ツンデレ。

ツンデレって・・・いいもんですね。


東へ向かう列車の中で、マーガリンコッペパンを食べた。
少しずつちぎりながら、口の中へ入れた。

・・・あぁぁ、20個買えば良かったなぁ・・・。

それが、僕が手に入れたマーガリンコッペパンの味。


たとえばこのままバスが来なければ・・・駅前で寝る

2018-05-29 20:00:32 | Weblog


時間が経てば経つほど
悲しみが増えていく時代があったりして

時間が経てば経つほど
哀しみが消えていく時代があったりして

同じ人間が持つ感情なのに
まるで逆になることがあったりして

その構造の仕組なんか
結局何もわからないままであったりして

空に浮かぶ真ん丸の月なんかを見上げながら
人生の妙・・・とか
つぶやいたりする

旅はなにかと勉強になる
わからなかったことがわかってみたり
わかってたことがわからなくなってみたり

旅はなにかと勉強になる
日が落ちた後の暗闇の中、誰もいない田舎町の駅前で、一向に現れないパスを待っていたりするベンチに座りながら・・・

僕は、ちょっと微笑んでしまったりする

あぁ、結局僕は・・・ずっと旅をしている

うなずきながら僕は・・・微笑んでしまっている

翼の生えた旅人。

2018-05-28 23:29:23 | Weblog


高雄という街にいる。
台湾語読みはカオシュン。台湾第二の都市である。

毎日よく歩く。僕の脚はいつでも棒のようだ。

暑さの中、歩いては休み、歩いては休み、休んでは歩く。
電車にも乗るし、バスにも乗るが、乗り物を降りれば、また自分の足で歩く。

高雄は、静かでいい街だ。悪くない。人もそれほど多くない。第二の都市なのに、静かで人が少ない。

僕はガイドブックを持っていない。地球の歩き方を持たずに海外を旅するのは初めてかもしれない。ガイドブックを持たずに旅をするのも初めてかもしれない。
ネットの情報で旅をする?
今はネットの時代であり、ガイドブックに載っている情報は全て、ネットに上がっている。それは事実だ。
そうか、だから僕はガイドブックではなく、時代に合わせてネットで色々と調べながら旅をしていると・・・

ノンノンノンである。

台湾に来る前に、七冊の本を読んだ。
一冊は司馬遼太郎が書いた台湾紀行。台湾の歴史が綴ってある。
三冊は、台湾を旅した人が書いた本。使えそうな情報を抜粋して、メモしたりメモしなかったり、

今、僕のバッグの中には三冊の本が入っている。
その三冊の本を頼りに旅をしている。その三冊の本は、ガイドブックではない。では何か?

一冊は、温泉天国台湾という本である。台湾で温泉に入ろう!と持ってきた。しかし、この本は・・・なかなか使い物にはならない。なぜならば、台湾の温泉はほとんどが山奥にあり、行くのにお金の時間がかかり過ぎる。

残りの二冊は同じ人が書いた本。なんの本か?
ずばり、食べ物の本である。
地元の人、つまり台湾人しか行かないディープな食堂や屋台などの情報が書かれているエッセイのような本である。
エッセイを頼りに旅をする人がいるだろうか?

いる。僕がそうだ。毎日、エッセイを頼りに旅をしている。

今日は、高雄の街の外れにある港の近くの、暗い裏通りにポツンとある食堂の扉を開けた。
もちろん、日本語も英語も通じない。ははは。
ワンタンと小籠包を頼んだ。本に、ワンタンと小籠包を食べたという話が載っていたからだ。
僕が小籠包らしきメニューを指差すと、コワモテの女将さんが、中国語で「ない!」という。
本だけを頼りに旅をしているので、ないといわれるとすごく困る。
仕方がないので、ワンタンをワンタン麺に切り替えて、空芯菜の炒め物を頼んだ。
しばらくして、コワモテの女将さんがテーブルにやって来て、空芯菜はないから地瓜の葉の炒め物でいいか?というようなことを言ってきた。たぶん。地瓜の葉ってなんだ?と思いながら、うなずくしかない。食べられればなんでもいいってのもある。

もう、夜である。たぶん、食堂を閉める時間である。お客さんは僕しかいない。小さなお店の中にいるのは、僕と、女将さんのお父さんと思われる白いランニングシャツを着たおじいさんと、隅のテーブルで宿題らしきものをしている女将さんの娘だと思われる中学生くらいの女の子。女将さんは店の前の厨房で僕のワンタン麺と地瓜の葉の炒め物を作っている。

シーンとしている。気まずくないのか?と言われれば、結構気まずい。

しかし、あれだ。エッセイを頼りに旅をしていると、もう、開き直るしかない。これを達成しなければ、エッセイを頼りに旅をする意味がなくなってしまう。つまり、僕が旅をする意味がなくなってしまうではないか。という思いもある。
だから、どんなに入りにくい店でも、扉を開けるしかないのである。

しばらくして、ワンタン麺にと地瓜の葉の炒め物がテーブルにやってきた。
地瓜の葉とは、サツマイモの葉っぱである。初めて食べるサツマイモの葉っぱである。 食べてみる。・・・驚いた。美味しい。ほうれん草のようで、ほうれん草にあるアクがまったくなく、少しネットリとしている。
うそ・・・サツマイモの葉っぱって食べられるんだ?驚いた。すごく美味しい。

ワンタン麺の麺をすする。 台湾の麺・・・麺に関しては日本の麺の勝ちだと思う。台湾の麺には、基本的にコシがない。柔らかい。まぁ、よい。
ワンタンを食べてみる。驚いた。
僕は食レポ職人ではないので、ワンタンの味を説明することはできない。ものすごく美味しかった。ずーっと食べていたい・・・そんなワンタンだった。

僕が持っている本に載っていたのは、ワンタン麺ではなく、ワンタンである。僕が勝手にワンタンをワンタン麺に切り替えてしまったのである。結局、本が正解だったと・・・。さすがです。

食べ終えて、お金を払って店を出る。
コワモテの女将さんにお礼を言う。
すると、コワモテの女将さんがニコッと笑うのである。ずっとコワモテで、早口の中国でまくしたててきた女将さんが、ニコッと笑って「バイバイ」と言ってくれるのである。

この旅をしていて、一番嬉しい瞬間が、この時である。
台湾の人は、みんな優しい。


帰り道、食堂から宿はものすごく遠い。電車に乗ろうと思うのだが、電車の駅もすごく遠い。ここから何キロもの道のりを、どちらにしても歩くのか・・・。

台湾には台湾が生み出した、台湾が誇る、ユーバイクというシステムがある。それは知っている。
ユーバイクってのは、自転車貸し出しシステムである。日本でも導入されているところもあると聞く。
ユーバイクは知っているが、使ったことがない。

トコトコと、ブラブラと、川沿いの道を歩きながらつぶやくのである。「遠いなぁ」。

そこにユーバイクの停車場があった。
「自転車なぁ。自転車があれば簡単に帰れそうだなぁ」

ユーバイクの貸し出し機の画面を見つめながら、「どうやって借りるのかなぁ・・・自転車」と思っていると、一人のお姉さんがユーバイクに乗って現れた。お姉さんはユーバイクをその停車場に返しに来たのである。

お姉さんはユーバイクを返す手続きをするので、機械の前に立っている僕が邪魔なのである。

「あっ、すみません、どうぞどうぞ」と場所を譲るのである。

すると、お姉さんが言う。

「あなた、ユーバイクを借りたいの?」綺麗な英語で。

「30分までなら無料で借りられるわよ。返す場所はここじゃなくてもいいの。あなたが返したい場所に返せばいいのよ」

「クレジットカード、持ってる?ここに入れてごらんなさい」

「押して、押して、押して、はい、借りられたわよ」

お姉さんは「バイバイ」と言って去っていった。

台湾の人は、ほんとに優しい。

そして、僕は高雄の街をチャリンコに乗って走るのである。
日本と違って右側通行の国だし、自転車専用レーンがあったりなかったり、スクーターはめっちゃ多いし、車の運転は乱暴だし、自転車の交通ルールはまったく知らないし・・・。でも、自転車は速い。歩くのよりもずっと速い。スーッと進む。脚も痛くない。

そうして、僕は宿の近くの公園にあるユーバイクの停車場に自転車を返すのである。30分以内なので無料なのである。

いいなぁ、ユーバイク。もつと早く使えば良かった。街がもっと広くなる。僕が動ける街が、もっともっと広くなる。



ベリーナイスなブレックファースト。

2018-05-27 09:18:21 | Weblog


嘉義の街。朝。
早起きをしてトコトコと歩く。
目当てがある。

大きなロータリーにたどり着く。
キョロキョロとあたりを見回す。
目当てがある。

「あっ、いた!」

大きなロータリーの向こう側の道端に、イスらしきものが並んでいる、ような気がする。


今朝の僕の目当ては、朝の6時からロータリーの道端にプラスチックの椅子を並べて営業しているという杏仁茶屋。

まぁ、道端というよりは、ここは道だな。
道に勝手に椅子を置いてるな。
そこに勝手に座るんだな。
椅子に座ると、目の前にいるおじさんが、寸胴に入った杏仁茶を銀色のコップに半分注ぐ。
杏仁茶を半分注いだところで、生卵をカッと割ってパッと入れて、シャシャシャと素早くかき混ぜる。
そこに、再び寸胴から杏仁茶を銀色のコップの口ギリギリまで注ぎ入れる。
そして、はい、と渡される。

僕の左手には、おじさんの後ろに立っているおばちゃんから手渡された油條という揚げパンがある。

おじさんからもらった杏仁茶に、揚げパンを浸しながら食べる。揚げパンを浸して食べながら、杏仁茶をすすりながら。
たぶん、きっと、ここが道端だからいいのだと想う。

朝の忙しい時間。行き交う人がいる。ロータリーは町の中心のようなものだ。交通量が多い。
ロータリーの杏仁茶屋にはひっきりなしに人が訪れる。

僕が読んだ本では、このお店はおばちゃんのお店のはずだ。おばちゃんは2代目であり、初代と合わせると、もうこの場所にはずーっと長い間おばちゃんズの杏仁茶屋がある。

僕に杏仁茶を淹れてくれたのはおじいだった。
おばちゃんはおじいの後ろでおじいの仕事を見守っているような・・・。
後継ぎと呼ぶには、おじいは歳を取りすぎだと思う。
なんなんだろう?
なんでおじいなんだろう?
なんでなんだろう?
おじい、君は誰なんや?

そんなことを思いながら、杏仁茶をすする朝。
これがパーフェクトな嘉義の朝食。


障害物競走は得意?

2018-05-25 10:11:25 | Weblog


ハードルが高いという言葉がある。
いやぁ、これはハードルが高いなぁ・・・とか、そういう風に使う。

台湾を歩いている。
台湾では、日本語も英語も通じないという話は書いた。
食堂に入る。言葉は通じない、メニューを見ても、意味がわからない。これは何?と聞くことも出来ない。食べたいものがあって入ったとしても、それがメニューのどれなのかがわからない。
ハードルが高いなぁ、と思うことが多々あるのである。

嘉義の街にいる。

夜の嘉義を歩いていた。

通りがかり、20人くらいよ行列の屋台の横を通り過ぎる。
なんだろう?何屋だろう?と覗くと、トウモロコシ屋である。
トウモロコシ屋か・・・と十歩ほど行きすぎる。
なんでトウモロコシ屋に行列してるんだ?と気になる。・・・すごく気になる。

ちょっと戻る。
ちょっと戻って、屋台を覗く。・・・やっぱりトウモロコシ屋だ。焼きトウモロコシ。
焼きトウモロコシが食べたいわけではないが、行列の出来る焼きトウモロコシのことは、すごく気になる。
行列といっても、一列に並んでいるわけではなく、店の周りに20人くらいがタムロしてる感じ。椅子に座ったり、原チャリにまたがったままだったり、立ち話をしていたり・・・。

焼きトウモロコシ、食べたい。

でも、これ、どうすんの?

焼きトウモロコシとは書いてない。つまり、メニューがない。つまり、値段もない。これ、どうやって注文すんの?から始まる。全然わかんない。絶対に中国語しか伝わらない。

若気な人を探した。なんとなく、英語が理解出来そうな人を。

北海道の友、キタさんに似た大柄な男の人をロックオンした。
英語で話しかける。
「英語、話せますか?」とかは聞いてはいけない。「できない」と言われたら会話が終了してしまう。有無を言わさず話しかけ、なんとかしなければならない。

大柄な男の人の肩をトントンと叩く。

ねぇ、ねぇ、これ、コーンのお店でしょ?

「えっ?あっ、う・・・うん、コーンのお店」

ねぇ、なんでこんなに人気なの?有名なの?

「え?あっ、う・・・うん、すごく有名だよ」

ねぇ、ねぇ、おいしいの?」

「えっ?うん、すごく美味しいよ」

ねぇ、コーン、どうやって頼むの?

「えっ?うーん、あそこへ行って、コーンを頼んで、ひたすら待てばいいんだよ」

ねぇ、ねぇ、一緒に行って注文を手伝ってくれないかい?」

「えっ?う、うん、いいよ。手伝ってあげるよ」

こうして、僕は彼と一緒にコーンを注文した。

1時間待つけどいいか?と言われた。

1時間!!!?と思ったけど
コーンを焼くのに1時間!!!?なんで!!!?
と思ったけど、乗りかけた舟である。待つ!と答えた。

どんだけ人気なんだ?

椅子に座って待ちながら、グーグルマップを使ってコーンの屋台を調べた。口コミに書いてあったのは、「普通は2時間待ち」とあった。1時間で食べられるのなら相当なラッキーボーイだということになる。

まぁ、待つ気になれば、一時間なんてそんなに長い時間ではない。

トウモロコシ屋の屋台の風景を、僕は見ていた。

親父さんと娘が肩を並べて、トウモロコシをクルクルと回しながら焼いている。少しずつ少しずつクルクルと回しながら、ずーっと焼いている。
そのちょっと後ろでおやじさんの奥さんが椅子に座って寝ている。
その横に娘さんの旦那さんが立っていて、注文を取ったり、トウモロコシを計ったりしている。家族四人の屋台である。

なんという仕事だろう・・・と思いながら、僕は見ている。
トウモロコシ一本に、なんという手間をかける仕事なのだろう。

この世界に、こんな仕事をする人がいるなんて・・・。と僕は思っている。

生のトウモロコシを一時間かけて焼き上げる。

普通はトウモロコシを茹でておく。茹でてあるトウモロコシに焼き目をつけてお客に出す。こうすれば、それほどの手間はかからない。

ここは違う。生のトウモロコシをずーっと焼く。ひたすらに焼く。
親父さんと娘婿が焼き場を交代する。今度は夫婦の共演である。 親父さんはタレを足したり、生のトウモロコシの手入れをしたり。

焼き場の後ろで椅子に座って寝ている親父さんの奥さん。高齢である。
きっと、親父さんと二人で、この屋台を切り盛りしてきたのだろう。長い間ずっと。今は椅子に座って眠っている。娘と婿が、この店の跡を継ぐ。

トウモロコシを注文する時に、自分でトウモロコシを選ぶ。選んだトウモロコシの重さを計り、それで値段が決まる。僕が選んだトウモロコシの値段は50元だった。200円弱。

わかるかな?200円弱のトウモロコシを焼くのに1時間かけるんだよ。一瞬も目を離さずに。ずっと焼き場から離れずに。手でクルクルと回しながら。

頼んだトウモロコシの茎の部分にマーカーで何かを書いている。トウモロコシを自分で選ぶわけだから、そのトウモロコシが自分の分なわけだ。
なんと書いてあるのかはわからないが、娘さんは焼きあがったトウモロコシに書いたマーカーをチラッと見て、中国語で何かを叫ぶ。そうすると、そのトウモロコシを注文した人が前に出て、そのトウモロコシを受け取る。

名前を書いているわけじゃあるまいし・・・。何を書いて何と呼ばれるのだろう?
僕のトウモロコシにはなんと書いてあって何と呼ばれるのだろう?それを僕は理解出来るのだろうか?とかね。

そうして、僕のトウモロコシが出来上がる。

僕の注文を手伝ってくれた青年が伝えてくれていたお陰で、僕の元には娘婿がトウモロコシを持ってきてくれた。

さて、どんなトウモロコシなんだろうか?

美味しかった。
今まで食べたことのない味がした。

台湾の食べ物は、大抵優しい味がする。

優しい味に、トウモロコシにかける愛情が存分に加わっている。
美味しくないはずがない。

僕は想う。

味っていうのは、そういうものだ。

涙が零れそうな、そんなトウモロコシだった。


しかし・・・ハードルが高かったなぁ。
ハードルが高いという言葉は、きっとこういう時に使うのだと、心から思った夜なのである。


旅人の仕事。

2018-05-24 02:20:32 | Weblog


歩く主義。
歩く主義?そういうのがあるんですか?
えぇ、あります。歩く主義。
それ、なんなんですか?
歩くんです。ただ歩いて街を知るんです。

毎日毎日、よく歩いている。
毎日15キロくらい歩いている。
歩いて街を知れるわけでもないのだが、歩かなければ何も知らないと思っている。だから、ただただ歩く。

キョロキョロと辺りを見回しながら歩く。
路地があれば入る。薄暗い怖そうな路地に入る。行き止まりそうな細い路地に入り、行き止まり、戻る。

色々な店がある。
色々な人がいる。
色々と話しかけられたりもする。
何を言っているのかさっぱりわからないが、分かるような気もする。
何を言っているのかわからないし、まったくわかった素振りを見せていないのに、延々と中国語で話し続ける人が多いのが、ちょっと気になる。・・・なんでだ?

ニーハオと言われれば、「こんにちは」と返す。
そうしなければ、無限中国語攻撃を受けるからだ。
ニーハオと言われて「こんにちは」と返しても、無限中国語攻撃を受けるのだけれどね。

鹿港と彰化という名の街を、今日は歩いた。
たった15キロ歩いたところで、何も知れるわけではない。ただただ、足が棒になるだけだ。

だがしかし、歩かないよりは知れる。街のほんの一部の景色なら切り取れる。

なぜ歩くのか?

道端に寝転がってるノラネコのあくびとか、風に吹かれてコロコロと転がるタピオカミルクのプラスチック容器とか、道端に座る乞食のおじさんの遠くを見つめる眼差しとか、そういうのは、バスや車や電車の中からじゃ見えない。

だから僕は歩くんだよ。

たたただ足を棒にして。

そして、もう、足が痛くて、歩けない。


涙のワンタンスープ。

2018-05-23 00:52:16 | Weblog


台湾の物価はというと・・・そんなに安くはない。
日本と同じくらいのものもあるし、少し安いものもある。すごく安いものというのは、そんなにはない。

すごく安いものが少しある。その一つは、観光客がほとんど来ない場所の屋台のご飯。

新竹の朝、リュックを宿に置いたまま朝ごはんを食べるために街を歩く。
泊まった宿が朝ごはん付きだったとしても、そんな朝ごはんは無視して、朝ごはんを探しに街に出る。

台湾の街には、大抵の場合朝市というものがあって、その朝市には大抵の場合、地元の人の朝ごはんのためにたくさんの屋台が開いている。ちなみに、台湾の人の外食率は80パーセントだとか。家で食べるよりも、外食した方が断然安くて旨いということなのだろう。

台湾は日本語が通じると、よく聞く。
実際のところは・・・全然通じない。
台湾は英語なら通じると、よく聞く。
実際のところは・・・ほとんど通じない。

日本人がよく泊まるホテルには日本語を話すスタッフがいるだろう。日本語は話せなくても英語は話せるだろう。レストランもしかり。

問題は街に出た場合である。
実際の話、何も通じないことの方が多い。
まったく何も通じない。信じられないくらい。笑えるくらい。もう、笑うしかない。ははは。

台湾の人は優しい。

言葉は通じないが、台湾の人は優しい。
強面だったり、愛想がなかったり、怒っているように見えたとしても、台湾の人は基本的に優しいのである。

朝市へ出かけた。
目的は糯米餃子とワンタンのスープを食べるためである。
市場を歩き回って店を探す。何百件という店の中からお目当ての店を探す。

もう一度言うが、日本語も英語も通じない。中国語は話せない。どうするか?
ジェスチャー・・・しかない。
あとは、写真を見せて、指をさして「これくれ!」という。指を立てて、「一個くれ!」という。それしかない。そうするしかない。

頼んだものが運ばれてくるまで、何が出てくるかわからない。そんなドキドキがあったりもする。

糯米餃子とワンタンスープの小を一個ずつと頼んだ。
運ばれてきたのは、一個のお椀だった。
なんとなく、ワンタンしか入っていない。
ガビーンとなる。
「糯米餃子が食べたかったのに・・・」と思う。

レンゲでワンタンをチョンチョンとすくう。するとワンタンの下から糯米餃子が出てきた。
店のおやじさん、糯米餃子とワンタンのミックスにしてくれたのだ。

スープを一口飲んでみる。
台湾のスープ、優しい味がする。化学調味料を使っている店は少ないように思う。ほんのりとセロリと香草の香りがする。
ワンタンを一口食べてみる。最初の一口を噛んでから後味まで、ずっと美味しい。
糯米餃子を口に入れてみる。・・・信じられない気持ちになった。こんなに美味しいものを食べたことがない。もち米の中に餃子の餡。口の中からいなかなってしまわないで欲しいと思いながら食べる。
ワンタンと糯米を交互に口に入れながら・・・こんなに美味しいものがこの世にあったのか・・・と、大袈裟なことを思うのである。
あまりの美味しさに、涙がポロリと溢れそうになるのである。
スープの残り一滴まで、美味しくいただいた。

お勘定。この店には値段が書いてない。いくらかわからない。いくらかわからない時はどうするか?100元札を出すのである。返ってきたお釣りで、いくらだったか分かるシステム。

おじさんが中国語で何かを言ったので、100元札を渡した。おじさんがお釣りを僕の手に握らせた。手のひらの中に返ってきた小銭を見ると、85元あった。

涙が溢れそうな糯米餃子とワンタンのミックス小、一杯15元。・・・約50円。

朝の幸せを噛み締めて、また新しい台湾での一日が始まるのである。


より、なになにらしく。

2018-05-21 10:04:13 | Weblog


リュックを背負って旅をする。
リュックのことをバックパックと呼ぶ。
バックパックの中には色々なものが入っている。
旅をするためのすべて。
バックパックを背負って旅をする者をバックパッカーと呼ぶ。
バックパッカーが泊まる宿はバックパッカーズである。
台湾では、バックパックのことを背包と呼ぶらしい。
「背包旅人」。「背包旅社」。かな?

スーツケースを転がして道を歩く人がいても振り返らないが、バックパックを背負って道を歩く人がいると、みんな振り向く。

「より旅人らしく」が普遍のテーマである。


今日は、背包を背負って、背包旅社の扉を開ける。

電車に乗って、ほんの少しだけ南へ下りる。
今日も暑い。

いい一日を。と空に願う。


ちょっとおばあちゃん、邪魔しないでよ。

2018-05-19 20:56:05 | Weblog


台北からバスに乗る。30分ほど乗る。時には一時間ほど乗るらしい。時には20分で着くらしい。その時間の違いは、バスの運転手さんの本気度らしい。

港町、基隆。キーロンと読む。港に着くと、街を見下ろす山にハリウッドばりのKEELUNGの文字。

海の匂いがする。昭和の時代の海の匂い。
緑色に濁った川の水が注ぎ込むキーロンの海は、やはり緑色に濁っている。

喧騒の街。
細い路地を入いる。
狭い道。
急な階段。
中国が攻めて来た時のために用意されたたくさんの防空壕。
人気のない家並。
寝そべる猫。

その丘の頂上あたりにオールドマンションという名の廃墟がある。

汗をかきながら登った。

誰もいない。
廃墟の入り口に腰をかける。
誰もいない。

丘の上には気持ちの良い風が吹き抜けている。
きっと、今日も35度を超えている。

誰もいない廃墟ほど心地の良いものはない。と僕は思う。
誰かがいる廃墟というのは、すこし居づらい。
誰かがいるような気がする廃墟は、ちょっと怖い。

廃墟から、キーロンの街が見渡せる。ハリウッドばりのキーロンの文字も見える。

きっと、ここが、キーロンで一番素敵な場所だ。

そして、ここには誰もいない。

やがて、カップルが丘の上へ登って来た。

廃墟の入り口を占領している僕に遠慮してかしなくてか、廃墟の周りをくまなく見回し、廃墟のあらゆる場所で記念撮影をしている。
本物な廃墟マニアがやって来た。

そろそろ行くかな・・・と僕は腰をあげる。


階段に猫が座っている。

廃墟には猫が良く似合う。

帰り際に僕とすれ違った箒を持ったおばあちゃんは、実在するのだろうか?と僕は考えている。僕が降りようとすると階段を、箒で掃きながら通せんぼをした。あのおばあちゃんは実在しないんじゃないのか?

そんなことを思いながら、僕はキーロンの道を歩くのである。





安安青草茶。

2018-05-18 13:47:35 | Weblog


哀愁の街「艋舺」。バンカと読む。
台北の街の繁栄はバンカから始まった。次第に繁華は他の街へ広がり、移り、バンカは哀愁が漂う街へと変わっていく。

つまり、ここは下町。

ゴミとかスーツケースとかダンボールをしこたまチャリンコに載せて走るおじさんがいる。
道の真ん中にリアカーを停めて話し込むおばちゃんがいる。
道端にガラクタの露店を広げて、その横で延々と眠り込むおじいちゃんがいる。

ばんか公園。
ライオンちゃんの後ろに座っているおじさんは、競馬かなんかの予想の紙を広げて、あーーー!おーーー!と唸っている。

台北は暑い。

バンカ公園の日陰に、僕はいる。

バンカ公園の日陰のベンチには、1000人くらいのおじちゃんとおばちゃんが、時に何をするでもなく、ほぼほぼ何をするでもなく、完全に何をするでもなく、時を費やすために集まっている。

僕はその中に混じって、ライオンちゃんをバッグから取り出したりして、地面に置いたりして、写真を撮ったりして・・・何をするでもなく、台北の暑さの中、おじちゃんとおばちゃんの波に紛れ込んでいる。

安安青草茶という怖い名前の屋台を見つけた。
アロエティーを買ってみた。
冷たくて甘くて美味しかった。
20元。70円くらいかな。




そして僕は、旅に出た。

2018-05-18 00:47:42 | Weblog


何年か前に本を買った。
「地球の歩き方〜台湾」

2012年版だった。

つまり、6年前に台湾へ行こうと計画を練っていた・・・というわけになる。色々とあって行くことは叶わなかったというわけになる。

台北にいます。台北は、タイペイではなくて、タイペイと発音するそうです。

日本も暑いのかもしれないが、台北は暑い。
汗だくになって台北の街を歩く。

台北は暑い。台北は熱い。

台北が自分の街のようになったら、電車に乗って南へ下りようと想う。

何をするのか?
そんなものは何もなくて。
何をしたいのか?
そんなものも何もなくて。

そんな旅をしたいと想ったから、そんな風に旅をしてみようと想う。

何を知りたいわけでもないから、
何を知らなきゃいけないわけでもないから、
知れることを知れるだけ知っていこうと想う。

この二日間、股関節が痛くなるほど自分の足で歩いた。
今僕が知ったのは、ここは、人も街も、日本みたいだ。そんなことかな。今はまだ、そんなことかな。

いつだって救世主が現れる、・・・信じれば。・・・信じて動けば。動かなければ現れない。その2

2018-05-10 20:40:56 | Weblog


シャドウちゃん分解の話をしています。

まずは部品をなくさないように。ネジとかワッシャーとか。
次に、どうやってついていたかを忘れないように、つまり、ちゃんと元に戻せるように。

だいたいからして僕は迂闊であるから、大丈夫だと思ったことほどすぐに忘れたり失くしたり、分からなくなったりする。

だから、ネジを外す前に写真を撮ったりする。写真を撮ったりしながら思う。

「こうやって写真を撮りながら分解する人って、ほんとに何も出来ない人っぽいよなぁ・・・まいったなぁ。何も出来ない人みたいじゃん」

まぁ、基本的に、外すという作業は誰にでも出来る。
それっぽいネジを外していくだけでよい。

シャドウちゃんのリアタイヤ。タイヤを外すのに左右に付いているサスペンションも外さなければならない。
サスペンションを外して、スイングアームにジャッキをもう一つ差し込んで、キコキコとあげる。これが面倒過ぎるところ。

さらに、今回はリアフェンダーを外したくない。絶対に。リアフェンダーを外すと、きっと、面倒過ぎて死んでしまうと思うから、絶対に外したくない。
リアフェンダーを外さずにリアタイヤを抜くには、メインジャッキを宙空まで上げなければならない。
普通はそういうことはしない。一人だし、危ないし。
でも僕はやる。なぜなら、危ないのに意味を今ひとつわかっていないから。

まぁ、そんなこんなで、タイヤが外れる。順調。外しただけだけど、順調。

ここからが大変。

タイヤとホイールから外す。これが大変。
前回は、どうしても外せず、ディスクグラインダーという工具を使って、タイヤを真っ二つに切り裂いてやった。
「タイヤを切った人、初めて見た」って言われたよ。ははは。
「ふふふ・・・外れなきゃ、切るまでよ」
そんなつもりで、僕は臨む。

ちょっと苦労はしたものの、古いタイヤがホイールから外れた。
あとは、新しいタイヤをホイールに付ければ終わり。

ちゃんと一人で出来るじゃないか。
みんなー、ちゃんと一人で出来てるよぉ!!!と叫びたくもなる。

ちゃっちゃっちゃっと、グイグイグイも、レバーを駆使してタイヤをホイールに入れていく。

あれー?おかしいなぁ。

全然入る気がしないなぁ。

何度も何度も。

あれー?全然入らないなぁ。

すごく疲れる。
すごく汗をかく。
でも、タイヤは全然入らない。

なんか、おかしい気がする。

あと少しのところまでいくのだけど、そのあと少しに可能性が感じられない。「いける!」という可能性がまったく感じられない。

タイヤのサイズ?違うの?うそ?え?そんなぁ。まさかぁ。

家の裏に持っていった、さっき外したタイヤのサイズを確認しに行く。

がびーん。と来た。

全然違った。

前のが、160/80-15。
新しいのが180/70-15。

なんでだ?なんで違うの買ったんだ?
違うから入らないのか?そうなのか?

いや、でも、そんなことはないはずだ。
太さと厚みが違えど、インチは合っている。最後の15インチは同じじゃないか。入るはずだ。

やる気が半分になった。だって、タイヤのサイズが違うし。
やってるうちに、タイヤの内側のゴムが削れ始めて、グニャっとかなってるし。
全然やる気が出ないし。もう、出来ないし。

ぁぁぁ、だれか来てくんないかなぁ・・・。

これが、ほんとに、悪いクセ。なのである。


つづく。