ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

僕らの勘違い。

2020-05-22 15:27:00 | Weblog



いまだ、コロナウィルス蔓延中の世界である。
「マスクが足りない」から、早数ヶ月。

最近、マスクが売られ始めているというニュースを読んだ。ヤフーニュースで。

マスク不足で騒然となったのは2月だったか3月だったか・・・今はもう5月の終わり。あと数日もすれば6月。

遅い・・・遅すぎる。
この国は、この国は経済的に優れた国で、先進国を名乗り、国民は豊かさを享受し、優れた技術を擁し、なんでもかんでも出来ちゃう国だと思っていたのですがね。

マスクが・・・ない。何ヶ月も。

でも、マスクが戻ってきた。らしい。

昨日、農産物直売所へ出かけた。ミニカボチャとサツマイモの苗を探しに。
店頭に貼り紙があった。大きな貼り紙があった。

「マスク、入荷しました!」

おぉぉ!ニュースで見た通りだ。マスクが流通し始めた!

僕は、特にマスクを必要とする生活をしているわけではない。だから、マスクを求めているわけではない。マスクなんぞ、一枚あればいい。一枚を使い回していれば事は足りる。マスクはウィルスを防ぐためではなく、他人から白い目で見られないためにする。

ジムニー号に積んであるマスクを取り出し、マスクを装着し、店に入る。

果たして、マスクは売っていた。ボックスで売っていた。一箱50枚入りで売っていた。

一箱2400円・・・。

高いよね?

高いから誰も買わないのか、田舎の農産物直売所の箱マスクは、誰にも買われずに積まれたままである。

つくづく、この国の政府は無能なんだなぁと思う。この数ヶ月、何をやっていたんだ?と思う。

ながおかくんという友達がいる。

コロナウィルスが流行り始めて頃にながおかくんからメールが来た。

「シングはマスクをしていますか?」

僕はたぶん、こんな風に答えた。マスクをしなければいけないような生活スタイルではないので、基本的にはしてません。でも出かける時はしますよ。
そして、ながおかくんに聞いてみた。

「ながおかくんはマスクをしていますか?」

すると、ながおかくんはこう答えた。

「僕はマスクをしていません」

ながおかくんは満員電車に揺られて仕事は通うサラリーマンだったはずである。マスクをしないで生活するというのは、何かイデオロギー的な、何か政府に対する抗議的な、そういう深い意味でもあるのだろうか?と思い、僕は聞いた。

「なぜですか?なぜマスクをしないんですか?」

ながおかくんから返事が来た。

「マスクが売ってないので、買えないからです」

至極真っ当な答である。

マスクが足りない。のではなく、マスクが、一枚も「ない」のである。

ながおかくんは、それからずっとマスク無しで生活をしているという。
ウィルスの感染以上に心配なのは、電車の中や会社の中で「こいつなんでマスクをしてないんだよ」と白い目で見続けられることである。

僕は、きっと、耐えられない。会社、辞める。マスクがないから、会社、辞める。


知り合いがテレビで見たという話を教えてくれた。

人間一人をを地球の大きさに例えるとしよう。すごく大きい。地球はすごく大きい。周囲四万キロである。
その人間に例えた地球に対してインフルエンザウィルスはどのくらいの大きさか?
答は、3階建てのビル相当だそうだ。すごく小さい。地球に対して考えると、すごく小さい。周囲四万キロに対して20メートルくらいである。
では、コロナウィルスはどのくらいの大きさか?
答は、ゴールデンレトリバーくらいの大きさだそうだ。すごく小さい。犬だから。地球に対して、犬だから。

この例え、わかりにくくない?もっとほかになかったのか?と思ったらしてしまうのだがね。

何が言いたいのかと言うと、マスクでウィルスは防げない。到底防げない。だって、地球に対して、ゴールデンレトリバーだから。
ねぇ、わかりにくくない?

元を、人間じゃなくて、マスクの穴の大きさに例えたりしたらよかったんじゃない?

で、結局、何が言いたいのかと言うと。
国民が最低限の安心を得られるはずのマスクを一向に用意できない政府の無能さ。
そして、「ながおかくん、マスクがなくても感染リスクは同じだよ!」ということ。

そしてもう一つ。
マスクを付けないで生活している人には理由があるのだよ。ということ。
白い目で見るのはやめましょう。

どうか、ながおかくんが無事でありますように。


ライブがなくなってしまった。

2020-05-10 04:45:00 | Weblog


いつもある場所に月が見えない。少し寂しい。

月を見ると声をかける。
「やぁ、元気かい?」

月がないと少し寂しい。今日は曇り空だ。

そういえば、月はずっと空の上にある。僕が生まれてからずっとある。きっと、僕が生まれる前からずっとある。
きっと、僕が死んでしまってもずっと空の上にある。
そう考えると、少しだけ、心が安らぐ。

ピーナツの殻を剥いている時と同じくらい、心が安らぐ。

ピーナツの殻剥きは、あと三日ほどで終わる予定だ。たぶん、きっと。

組んでいたライブが、なくなったことは、今まで、一度もない。

アニーズガーデンのライブ、インフルエンザの高熱にうなされながら、楽屋ではずっと横になって眠りながら、ステージの時だけはシャンとして演奏したりした。

ライブの危機といえば、それくらいだろうか。

もうすぐライブだ!と、ブログを書き始める頃なのだ。練習もし始める頃なのだ。
6月27日に下北沢lownで、ライブがある。・・・ライブがある予定だった。

ブッキングマネージャーのプラムくんから連絡があった。

「ライブ、どうする?」

下北沢lownは、今は閉じているらしい。緊急事態宣言での自粛であるのだろう。
もしかしたら、五月いっぱいで緊急事態宣言は解かれるのかもしれない。
でもきっと、おそらく、コロナウィルスが収まってはいないだろう。
下北沢lownは自粛をやめて営業を再開するかもしれない。
でもきっと、コロナウィルスの危険は東京の街から消えてはいないだろう。

自分も危ないが、来てくれる人も危ない。そもそも、来てくれと言えない。そもそも、人が来てくれなければライブは出来ない。

泣く泣くの決断である。

「キャンセルしてください」


下北沢lown。小さなライブハウス。この危機を乗り越えられるのだろうか・・・。

12月には歌いたい。12月には歌える状況になっているのだろうか?
コロナウィルスの騒ぎが収まっていたとして、下北沢lownは生き残っているのだろうか?
僕が歌う場所は残っているのだろうか?

下北沢lownほどのライブハウスは、他にない。
願うばかりだ。願うばかりだ。願うばかりだ。

今日は空に月がない。
だから、余計に、少し寂しい。

世界が終わる時・・・必要なものはなんだ?

2020-05-08 02:43:00 | Weblog


今日は満月。五月の満月は、フラワームーンと呼ぶらしい。アメリカの先住民たちはそう呼んでいたらしい。かつてのアメリカの先住民は英語を使ってはいないから、本当のことを言うとフラワームーンとは呼んではいなかったはずだが、そういう細かいところは別にいい。

日本では昔から、月にはウサギがいて餅を突いていると言う。
そう、五月だろうが何月だろうが、ずっと餅を突いているんだよ。

満月を眺めながら、僕は何をしているかというと・・・今夜も落花生を剥いている。

今夜は寒い。冷える。なんだ?この寒さは。なんなんだ?この寒さは。なんで、こんな寒い夜に落花生を剥いているんだ?

みんなは元気にしているのだろうか?
変なウィルスにやられたりしていないたまろうか?
変なウィルスのせいで精神的にやられたりしていないだろうか?

心配だ。

ちなみに僕はというと、政府の無能さとその政府を信任し続けるこの社会に発狂しそうになったので、一切のニュースを遮断することにした。自己防衛の手段である。遮断、手段、と韻を踏んでいる。ちょっと洒落ている。

だから、この一ヶ月間、この世界がどんな風になっているのか、知らない。ほとんど知らない。少しは知ってる。

伊坂幸太郎の小説に「終末のフール」という作品がある。

こんな時世になって、僕は「終末のフール」を思い出す。すごく昔に読んだ本なのに、今、すごく思い出す。

僕は誰になりたいか?
僕はどんな風に生きたいか?

たぶん、そんなことを試されているような気がしてならない。

ステイホームのご時世、なの?知らないけど。
暇を持て余している人がたくさんいるご時世、なの?知らないけど。

くれぐれも発狂などしないように、気をつけてくださいね。

山本太郎が総理大臣になればいいのに。

明日は、終末のフールを読み直そう。
きっと、記憶の中の話と、だいぶ違ってると思うんだな。
僕の脳みそは、そんな風に出来ているから。ふふふ。

食べないと死ぬらしい。ほんとだよ。

2020-05-06 03:27:00 | Weblog


さて、夜中の3時を過ぎたところである。

夜中の3時を過ぎた辺りで何をしているのか?ということである。

庭のポーチの小さなソファに腰掛けて、ライオンズポートレートの次回作に入れようか入れないかどうしようかなぁ?と思っている曲たちを聴いている。
ライオンズポートレートに入れるかもしれない曲を聴いているわけであって、入れる曲を作っているわけではない。ここが味噌である。

まぁ、なんだろう?
聴いているだけなんだけれど、聴きながら色々と考えているわけであるから、これもまた製作過程の作業と言えないわけでもないような気がしなくもない。

そんな曲たちを聴きながら何をやっているかというと・・・
去年採れたまま放置してあった落花生の殻を剥いている。
ただひたすらに、ただひたすらに、殻を剥いている。

これ、最近のマイブーム。夜中に始めて明るくなるまで、ただひたすらに落花生の殻を剥く。変人の変人たる由縁。そう、そんな僕のマイブーム。

落花生をさ、すごくたくさん育てた。畝の距離にして50メートル分くらい。

みんなは僕に言った。

「こんなに育ててどうすんの?売るの?」

えっ?売らないよ。自分で食べるんだよ。と僕は答える。

収穫をして乾燥している時に三分の一くらいアライグマとカラスに食べられてしまったから、収穫量は激減してしまった。がしかし、相当な量が採れた。

そして、秋に採れた落花生を今のいままで放置。なぜか?なぜならば、皮を剥くのが面倒だから。

落花生が好きなのか?そうなのか?
別にそうでもない。

知ってる?落花生の効能。落花生ってすごいんだよ。書くのは面倒だから、「落花生 効能」でググってみて欲しい。

「食べなきゃ死ぬ」くらいの効能がある。驚くほどの効能である。食べないと死ぬ。

そんなわけで、死ぬほど育てた。これから死ぬほど食べる。食べないと死ぬから。

落花生の効能、調べてね。

・・・もっと大事なことを書くつもりで書き始めたんだけど・・・

僕は、まだ落花生を剥かねばならないから、今日はこの辺でサヨナラだ。

そろそろ落花生の種まきの時期だ。

今年もたくさん育てよう。落花生を育てよう。
食べないと死ぬから。