ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

最近の生ガキの戦績・・・五戦四敗。

2011-09-30 22:19:22 | Weblog
牡蠣の水揚げまであと一ヶ月。震災の影響で、例年より一月ほど遅れるのだそうだ。
そんなわけで、誰よりも早く、水揚げ前の牡蠣を頂くに決まってる。牡蠣の養殖風景・・・初めて見た。感激です。牡蠣の味にも感激です。

今年の牡蠣は例年になく身入りがいいそうで、漁師さんも期待大だと言っていたよ。

ちなみに、検査前なので生は危険だからやめろとのこと。漁師さんのお母さんに網で焼いてもらって食べました。感謝感謝。

雨の降る街

2011-09-30 22:10:45 | Weblog
何処へでも連れてこう
何処へでも一緒に行こう
世界の果てが見たいと言うならば
西へ向かうあの船に乗ろう♬

万石浦にて。
ちょっと運転させて。いいよぉ。
船を操舵。初操舵。漁船。牡蠣の養殖棚へ。内海は穏やかだ。
よし、小型船舶の免許でも取るかな(^-^)/

まるで・・・

2011-09-30 20:48:35 | Weblog
知らない街で、知らない人の家に世話になり、朝も夜もご飯を頂く。そこには多勢の人がいるのだが、僕だけが異邦人のような部外者だ。夜の街に繰り出し、初めて会う人が合流し、彼ら行きつけのダイニングバーへ。僕も彼らも、僕の存在が異質であることは承知の上。だから、その存在でいることは、それほど辛いものではない。

僕は想った・・・この感覚を知っている。僕は、みんなの笑い声を聞きながら想った。・・・これは、まるで外国を旅した時の感覚じゃないか。
ロンドンでもパリでも、グラナダでもリスボンでも、モロッコのアシラという街でも・・・僕はこの感覚を味わった。多勢の外国人の輪の中に混じって、この感覚を味わった。
それは、言葉にすると・・・疎外感というもののように思える。それはちょっと、ハッピーとは近くはない種類の感覚のように思える。
でも僕は想うんだ。この感覚は、僕が僕の知らない街の少し奥の方へ入っているという証拠なのではないだろうか?と。知らない街の言葉や文化に触れている瞬間なんじゃないだろうか?と。

標準装備の愛想笑いで顔の筋肉が少し疲れようと、笑うタイミングがみんなと少しズレてしまおうと、一人ジンジャーエールを飲み続けて度を越えた酒飲み達の顰蹙を買い続けようと・・・ぼくはこの街に残った「普通」の中で、また知らないことと、忘れていたことを、知るのであった。


グッドイブニング石巻

2011-09-29 18:34:39 | Weblog
今日は夕陽が綺麗だった。海も穏やかだった。排水溝から水が溢れ出ているのを幾度となく目撃した。大潮のせいだ。上昇した海面が、目の前にあった。復興していく街の姿とは裏腹に、今後数ヶ月はそのまま放置されるであろう潰れた街をいくつも見た。まるで湖のような、田園地帯を通り過ぎた。
釣りをしているおじさんに、何が釣れるんですか?と尋ねたら、アナゴとカレイと大きなハゼを見せてくれた。夕方の風は冷たい。ここには確かに、天国と地獄が存在する。運命という言葉では納得のいかない「結果」というものがここにはある。

グッドイブニング石巻。サイボーグ009と仮面ライダーとロボコンで彩られた電車が走る街。
今日も一日、無事に乗り切ったよ。

車置き場一

2011-09-28 23:28:04 | Weblog
半年前に来た時は、街中に車が散乱していた。今は町の中は綺麗に片付いている。
町のあちこちに仕分けされたものの置き場がある。
ここは車置き場。上手に列に積み上げられている。車の列の間には道がある。車の持ち主がやって来るのを待っているのかもしれない。新たな車が入って来るのを待っているのかもしれない。警備員が二人、置き場の入り口に立っていた。
こういう場所が町の至る所にある。

しんぐ、石巻を歩く。その八

2011-09-28 23:05:35 | Weblog
海まで歩いて、海を見ながら本を読もうと思い、海まで来た。

帰り道、同じ距離を歩くとしたらこの辺りが限界のような気がする。少し足が痛い。前日から一睡もしてないのだから、体力の限界も近い。

海沿いの道、左手には大きな橋が架かっている。歩行者が歩いていいのか?と疑問を抱くくらいの大きな橋、日和大橋。この橋を渡るかどうか・・・これが問題だ。・・・帰り道は更に遠くなる。陽は完全に暮れてしまうだろう。

もちろん答は決まっているということに気づく。・・・橋を渡る・・・だ。・・・あぁ、残念だ。あぁ、足が痛い。

後で日和大橋を徒歩で渡ったと地元の人に言ったら、あれは歩いて渡る橋じゃねぇべ、と笑われてしまった。