ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

ありんこと神様

2011-04-23 11:29:12 | Weblog
僕らが忘れていたのは・・・神様の存在
何万年もの間大切に大切に寄り添ってきたことも忘れて
何をしても許されるのだと勘違いをしてしまっていたんだ
支配者気取りで自分達の命も未来さえも賭けの代に差し出していた
そして僕らは何を失ったのかもわからないまま・・・また繰り返す

神様は人間が造り出したコンクリートの中にはいない
何万年もの間ただ生き抜くことだけを大切にしてきたんだ

まるで今だけが普通の日常の線上だと思い違いをしているんだ
懸命の進歩の結果が自殺にも見える絶滅だなんて冴えない話だ
そしてまだそれに気づかずに苦虫を噛み続けている・・・僕ら

僕らが忘れていたのは・・・神様の存在
何十万年の時をかけてあるがままの姿に戻そうとしているのかもしれない
四十六億年の中の一瞬の出来事・・・失敗作への叱責が聞こえる・・・毎日
僕らは僕らが滅ぼしてしまった全てのものたちと共にいつか無に還る
僕らは素敵なものをたくさん見せてもらった・・・それが僕らへの救い

さよならこの世界

僕らは歪すぎる

さよならこの世界

僕らは歪すぎる

許されるはずもない

許されるはずもない

僕はアリンコになる

アリンコになって神様に祈る

how about you? (no.317)

2011-04-20 05:54:51 | Weblog
時に人生は退屈だなと想う
煩わしいことが多すぎて
面倒なことが多すぎて
何もかも放り出したくなる

時に人生は憂鬱だと想う
明日のことさえ読めそうで
永遠に繰り返されるサイクルの中で
自分を見失いそうになる

いつも人生は困難で
上手くいかないことが多すぎて
自分の小ささを痛感して
他人を横目で見てしまう

時に人生は最高で
大切な人の笑顔や優しさを感じながら
まだ誰も知らない未来への航海のように
荒波に立ち向かう勇気さえ持てる

時に人生は幸せで
困難の向こう側にあるハッピーに想いを馳せて
偶然や必然がくれる宝物を見つけたりして
現在過去未来全てひっくるめて「愛しい」と想うことも出来る

時に人生は退屈で・・・
時に人生は最高で・・・

僕は生きてる

Back To December

2011-04-20 04:49:32 | Weblog
迷子のように街を歩く君を見てた
恋を抱えて街を歩く君を見てた

臆病で寂しがりやで泣き虫で
わがままで気紛れで弱虫で

僕は君の一部になりたいと想った
僕は君のほんの少しになりたいと想った


遠い目をして空を見つめる君を見てた
涙をこらえて立ちつくす君を見てた

強がりで生意気で恐がりで
照れ屋で素直で欲張りで

僕は君がもたれる街路樹になりたいと想った
僕は君が見上げる月になりたいと想った


星の無い夜、ベッドに寝そべる君を浮かべた
雲が流れる夜、枕を抱いて眠りに就く君を浮かべた

祈りみたいな風が上空に昇った
君の悲しみを乗せて空を舞った

僕は空を旋回する鳥になりたいと想った
君の上を飛んで君を守りたいと想った


木の葉が宙を舞う冬の夜
僕は君に想いを馳せてる

礼を忘れるは恥である。その二。

2011-04-15 04:49:32 | Weblog
「礼を忘れるは恥である」

大震災。未曾有の災害に陥ったこの国に、たくさんの国が助けの手を差し延べてくれている。僕らはそのどれくらいを知っているのだろうか?救助隊、医療チーム、救助犬、救援物資、国家からの義捐金、民間からの義捐金。色んな国が色んな援助をしてくれていることは知っているけど、その内容をちゃんと知っているのか?これは大事なことなんじゃないかと思うんだけど・・・どう思う?どの国も、どの国の人も、日本人のために手を差し延べてくれているのに、当の日本人がそれを知らないとしたら、どうだろう?どう思うだろう?
知っておいた方がいいだろうと思い、調べてみたけれど・・・なかなか見つからない。なんでもすぐに調べられる便利なネット社会。それが、今回はなかなか目的の情報にたどり着けない。震災直後の情報はいくらか出てくるが、今の時点での総合的な情報はなかなか出て来なかった。

断片的でもいいから、ニュースはこういった情報をもっと流すべきだと思う。NHKでさえ、それほど伝えていないのはどういうことなんだろう。世界が味方でいてくれるというニュースこそ、日本人が、被災した人々が心強く思うことなのではないのかと思うのだが・・・。ディズニーランドが再開するニュースよりも、「昨日はベラルーシから4200万円、今日はアルバニア共和国から800万円の義捐金が届きました。たくさんの国が日本を応援してくれています。」というニュースを流した方がよっぽど心が暖まるような気がするのだが・・・。「一つになろう日本」とか「立ち上がれ日本」とか、全然一つじゃない度満載のCMを流しまくるよりも、「ありがとうアルバニア共和国!僕らは感謝を忘れない。」と人気芸能人に言わせた方が、よっぽど心に響くんじゃないだろうか。

例えば、最近は海外の不穏な対応についてのニュースは良く流れる。色々な国が日本産の野菜を輸入禁止にしたニュース。諸外国が日本が垂れ流す放射能に過敏になっているニュース。韓国が竹島の占拠状態を拡大しよとしているニュース。ロシアが国後島にミサイルを配備しようとしているというニュース。
国民の心を・・・誘導しているようにしかみえない偏った報道体制・・・どうかしちゃってる。それはそれ、これはこれ。礼を忘れてはいけないだろう。

台湾では総統自らテレビで寄付を訴え、募金の電話を受けてみせる。集まった義捐金は128億円。台湾の物価レベルは、日本やアメリカより低い。そう考えるとその額は相当な価値になる。アフガニスタンでは国民の三分の二が一日2ドルの生活を送っている。そんな国から8000万円の義捐金が届く。タイではスラム街でも募金活動をしてくれている。色々な国が日本のために、尽力してくれている。僕らはそのどれくらいを知っている?どれくらいを知る事が出来る?

例えば、日本を助けてくれた国の人の国へ行く事があったら、「ありがとう」を伝えなければならないだろ?例えば、日本でその国の人たちに会ったら、「ありがとう」と伝えなければならないだろ?それが「礼」というものじゃないか。

もしかしたら、報道がそのニュースを流さないのは、国家的な思惑があるからなのかもしれない。
もしかしたら、報道がそのニュースを流さないのは、国民はそんなニュースを望んでいないと思われているからなのかもしれない。
雑誌や新聞の見出しは、心暖まるものよりも、不安を煽るものの方が遥かに売れると言う。
なんか・・・バカにされているように感じるのは僕だけか?

外務省のプレスリリースに細かい情報が載っていた。時間のある人は見て欲しい。
まとめられた情報は、3/28現在のものしか見つけられなかった。参考までに見て欲しい。こんなにもたくさんの国と国の人が日本のことを思ってくれている。二週間以上前の情報なので、義捐金の金額、物資の種類などは随分と変化しているよ。

「礼を忘れるは恥である」。知らないうちに恥をかかされないように、僕らは気をつけなければいけないね。いけないよね。
親日国トルコも、援助の手を差し延べてくれているよ。

134の国と地域、 39の国際機関
(28日19時00分現在、外務省発表)

* 救援隊の状況
* 米国(軍人約8,000名+救助隊144名+専門家2名+8名=8,154名、救助犬12頭、義援金49億円以上、物資150トン)
* 韓国(救助隊5名+消防隊員102名=107名、救助犬2頭、義援金約6億9,000万円、ホウ酸52トン、その他援助物資)
* 台湾(救助隊63名、義援金約2億8千万円+104億円、支援物資500トン以上)
* 中国(救助隊15名、義援金7,200万円、ガソリン等燃料2万トン、3億6千万円相当の援助物資)
* インド(救援隊46名、毛布25,000枚、飲料水13,000本)
* パキスタン・イスラム共和国(食料等支援物資約23トン)
* タイ(義援金1,350万円、毛布1,000枚+20,000枚、タイ米15,000トンを含む援助物資)
* スリランカ(義援金8,200万円)
* マレーシア
* フィリピン(カップ麺など支援物資)
* ネパール(毛布5,000枚)
* オーストラリア(救助隊および専門家75名、救助犬2頭)
* ニュージーランド(救助隊7名+45名=52名)
* シンガポール(救助隊5名、救助犬5頭、毛布食料など支援物資)
* インドネシア(義援金約1億6千万円、救助隊15名)
* サモア(義援金約820万円)
* トンガ王国(義援金約900万円)
* アフガニスタン(義援金約400万円)
* ウズベキスタン共和国(義援金約400万円)
* キルギス共和国(飲料水2.5トン)
* モンゴル(援助隊12名、義援金約8,200万円、毛布等の援助物資)
* ブータン(義援金約8,200万円)
* カンボジア(義援金約1,000万円)
* ラオス(義援金約1,500万円)
* ベトナム(義援金約1,600万円)
* イラン・イスラム共和国(缶詰食料18トン)
* トルコ(救助隊32名以上)
* ロシア(救助隊50名+25名+約80名=156名、毛布17,200枚他援助物資、天然ガス供給増)
* ウクライナ(毛布約2,000枚)
* ドイツ(救助隊41名以上、救助犬3頭)
* スイス(救助隊27名、救助犬9頭)
* フランス(救助隊100名以上、ホウ酸100トンを含む支援物資)
* 英国(救助隊および医療支援チーム計63名、救助犬2頭)
* クロアチア(義援金約5,600万円)
* ポーランド
* スロベニア(義援金1,730万円)
* エストニア共和国(義援金2,300万円)
* ラトビア共和国(義援金1,630万円)
* アイルランド(義援金約1億1,500万円)
* オランダ(義援金1億1,500万円)
* スロバキア(義援金1,150万円)
* カナダ(毛布約25,000枚)
* メキシコ(救助隊12名、救助犬6頭)
* ブラジル(義援金約4,200万円)
* ベネズエラ(毛布、飲料水、食料等の支援物資)
* 南アフリカ共和国(救助隊49名、救助犬4頭)
* ガボン(義援金約8,200万円)
* タンザニア連合共和国(義援金約140万円)
* ボツワナ共和国(義援金約1,200万円)
* ナミビア共和国(義援金約8,200万円)
* スーダン(義援金約820万円)
* 朝鮮民主主義人民共和国(義援金約810万円)
* EU(毛布25,000枚など寝具70トン)

各国の詳細
http://wikiwiki.jp/h4j/

外務省のプレスリリース
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/index.html

礼を忘れるは恥である。その一。

2011-04-15 04:47:36 | Weblog
僕はトルコが好きだ。トルコはいい国だ。自然も文化も宗教観も、非常に素晴らしい。食物自給率220%を誇るトルコ人の性格は温厚だ。経済大国ではなくとも、食べ物に困ることはない・・・トルコ人の温厚さの要因はここにあるのではないか?というのは僕の持論。
ちなみに、日本の自給率は40%を切っている。ちなみに、東京の自給率は1%。大阪は2%。神奈川は3%。埼玉は田舎だけど11%。
北海道や東北を旅していると、人の大らかさに驚かされることが多い。なんかギスギスしていない、心の余裕みたいなものを感じることが多い。もちろん都会比ではあるのだけどね。都会よりも遥かに厳しい自然環境で暮らしているのに・・・なぜ大らかなのか?僕の持論は証明される。北海道の自給率は200%。秋田180%。山形130%。青森120%。岩手105%と、軒並み100%超。宮城も福島も80%を超えている。首都圏では山梨の100%。他に100%を超えているのは佐賀県のみ。
食べるものに困らない=大らか。大らかでいられること=幸せ。この持論、どうだろうか?

まぁいい。まずはトルコの話。トルコは親日国だ。そして、トルコ人は親日家だ。トルコを旅した時に、トルコの人に教えられた。「トルコ人は日本人が大好きです」。なぜだ?「昔、日本人がトルコ人を救ってくれたからです」。そう言って、エルトゥールル号の話をしてくれた。トルコ人はみんな知っている話だ。小学校で習う。日本語も習う。みんな日本が大好きなのだ。

1890年、もう百二十年も前の話だ。オスマン帝国の軍艦が和歌山県串本町沖の海上で座礁し遭難した。587名の犠牲者が出た。串本町の住民は総出で救助と介抱にあたり、69名を救出した。この時、台風により出漁できず食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリすら供出するなど献身的に生存者たちの回復に努めた。
明治天皇の指示により政府の援助、新聞の報道により民間からの義捐金が集まり、日本海軍の戦艦で生存者はトルコへ送り届けられた。

もう少し続きがある。トルコで一番有名な日本人「山田寅次郎」の話。
山田寅次郎はエルトゥールル号の事件を知り、義捐金を集めて犠牲者の遺族に寄付することを思い立った。彼は新聞社に働きかけて募金運動を起こし、日本中を演説会をして回って、二年をかけて5000円(現在の価値で1億円相当)の寄付を集めた。時の外務大臣に義捐金の送付を頼んだところ、「君が集めたのだから君が持っていきなさい」と薦められ、自らトルコへと出向いたのだ。寅次郎も粋なら、外務大臣も粋である。
民間人が義捐金を持ってやって来たという知らせは瞬く間にトルコ中に知れ渡り、寅次郎は時の皇帝に拝謁する機会を与えられただけではなく、トルコに留まることを薦められる。
結局、寅ちゃんはトルコに残り、貿易商を営みつつ、士官学校で日本語や日本のことを教える教師を務めた。当時国交のなかった二国間の架け橋になったのは一民間人の寅ちゃんだったのである。
トルコに行ったことのある人は分かると思うが、トルコで一番尊敬されている人物はアタテュルクである。トルコ共和国建国の祖、初代大統領である。トルコに行けば、至る所でアタテュルクの銅像や肖像画に出会う。アメリカで言うならば、ジョージワシントンとリンカーンとケネディを合わせたような存在だ。日本で言うなら、天皇陛下と長嶋茂雄と坂本龍馬を合わせたような存在か?・・・とにかくトルコの象徴である。その寅ちゃん、士官学校で教鞭をとっている時の教え子の中に、かのアタテュルクがいたというのだから純粋に驚いてしまう。うん、そのすごさは、トルコに行けば分かる。

エルトゥールル号の事故から95年後の1985年、イランイラク戦争の時に、イランを脱出出来ずにいた絶望的な状況の日本人215人をトルコ航空が脱出させた話。このとき、駐イランの日本大使にトルコ大使が言った言葉は「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人ならだれもが、エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょう」だったと言う。
百年も前の出来事への「礼」である。

トルコへ行ったことがある人は知っていると思う。が、トルコへ行ったことのない人はどうだろう?トルコ人が親日家だということを知っているだろうか?なぜ親日なのか知っているだろうか?百二十年という時間の流れの中で、トルコという国のこと、エルトゥールル号を串本町の住民が救ったということ、山田の寅ちゃんがすごすぎるということ、教えられて来ただろうか?
当の日本人が何も知らないでいるということ、僕がトルコに行くまで知らないでいたということ、これはとても悲しく、残念なことだと思うのだ。
最近、小学校の教科書にエルトゥールル号の話が載るというニュースを観た。ちょっと嬉しかった。どういう風に載るのかは分からないが、ちゃんと親日国トルコの話を載せて欲しいと思う。・・・例えば、日本人はトルコに行くともてるよ、とかね。

イスタンブールにアヤソフィアという大聖堂がある。世界文化遺産だ。そこで可愛らしい女子学生数人に声をかけられた。写真を撮ってくれと言う。「OK」と言い、カメラを預かろうとすると・・・「ちがう、あなたと写真を撮りたいの!」と全員が言ってくる。「えっ?おれと?うそ?なんで?」。ドッキリカメラじゃないかと疑いつつ、彼女たちに混じってポーズを決める。ブラマヨ小杉ばりのハニカミ笑顔「ニッ」。カメラマンが交代してもう一枚。なんか、よくわからないけど・・・モテモテである。彼女たちはとびきりの笑顔で礼を言い去っていった。そして僕は、世界遺産で放心する。そう、その時に僕はこう誓ったのだ。
「オレ、トルコに住む!」

学ばなければいけないことってたくさんあると思うけど・・・日本人がしてあげたこと。日本人がしてもらったこと。知らなきゃいけないこと。忘れてはいけないこと。僕らはちゃんと教えられて来なかったような気がする。
トルコ人の片想い。両想いになる日が早く来ますように。

「その二」へ続く。

4.11 NKハーツ

2011-04-13 06:00:03 | Weblog
月曜日のライブ。月曜日にライブをやると、「月曜日なのに来てくれてありがとう」と来てくれた人に言い、「月曜日になっちゃってごめんね」と来れなかった人に言う。なんか・・・変なの。
実際、残業があって来れなくなっちゃった人もいて申し訳ない。当日の地震の影響で電車が止まって間に合わなかった人もいたりして・・・なんだかね・・・最近は平常って言葉とはほど遠い現実があるよね。ちょうどリハーサル中に千葉震源の大きな揺れが来て、リハーサルは一時中断。ライブハウスのミラーボールがグワングワン揺れていたよ。照明器具が落ちて来なくて良かった。

ソロライブなので電車でライブハウスに向かった。雷ゴロゴロ鳴っていたんだけど、傘を持たずに出かけ、駅に着く頃に本降り。武蔵野線の電車待ちの時には、ホーム全部が濡れるほどに吹き込んで来る暴風雨。雷ゴロゴロ。なんだかね・・・。ライブハウスに着く頃には止むだろうとタカをくくっていた雨、西川口駅に着いても止んでいない。ダウンベストを頭から被って歩く。冷たいなぁと思って上を見ると、ダウンベストの両袖を通すところからざんざんに入って来る雨。・・・うん、ダウンベストは雨避けにはならない。電車に乗ったのは、イリオモテに行った時以来。電車もいいやね。

セットリスト、困っていた。全部新曲でやろうかと本気で思っていたんだけど・・・書けなかった。曲は書けたけど歌詞が書けない。こういう時期だから、なのかは分からない。考え過ぎてしまうよね。新曲が出来ないのだから、持ち歌で演奏するしかない。それが決まらない。モチベーションとかそういう類いの悩みではなくて、テーマの問題だ。難しいことをこねたいわけじゃないが、メッセージ性が欠如してるってのも嫌だ。どの曲もピンと来ない。Missing Youは歌う。これは新曲の部類に入る。チャリティはまだ続いている。メリーゴーランドは数ヶ月前に書いた。これは田町クォーターノートのライブで一緒になった葵ちゃんに書いた曲。いつの日か、みみきち&葵がCDにしてくれることだろう。だから、僕はもう歌わない。なかなか評判が良かったようで安心した。
ブロローグはCDの音源はいいが、実際歌うと・・・難しい曲だ。だからあまり歌わない。だからバラード調にしてみた。これはなかなかいいと思う。久しぶりにハーモニカを吹いた。しかもDのハーモニカなんて相当な期間吹いてない。ちゃんと音が鳴って良かった。調子に乗ってたくさん吹いた。ハーモニカ・・・いいやね。特にDのハーモニカは高音が響いていい感じだ。
キルヒホッフは、ソロならではの曲だから入れてみた。一週間ぐらい、気が向くとギターを弾いていたから、まぁまぁ上手く弾けた。・・・うん、まぁまぁね。この曲に出て来る数字が好きだ。一番に出て来る数字は・・・七の倍数なんだよ。知ってた?二番の9はジョンとブライアンとシングのラッキーナンバー。
クィーンはやっぱり外せない。外せないがどこで歌う?それが問題だ。今回は最後の方へ持って来る気がしなかったんだ。なんでか?それはわからないけど。なんとなく。でも、いつだって歌いたい唄だ。三曲目。なんだ?三曲目って。でも今回は三曲目。いいの。この辺りでテーマが見えて来る。今回のテーマは「支離滅裂な現実」。うん、そんな感じ。今の自分の支離滅裂さを表現していくのだ。だって、僕は唄歌いなのだから。

「今この時、ソロライブ、そのラストの曲がメッセージでもクィーンでもMissing Youでもなくパレード・・・。さすがだなって思った」と言ってくれた人がいる。そう、さすがなの。最後の曲を決めるのに一日半もかかった。正直に言うと、ライブハウスでセットリストを書き込むまで決まってなかった。まさかの「パレード」カズー付き。カズーを吹きたかったから?そうじゃない。

今は失望の時だ。多分そうだ。続けざまに色んなことに失望している時だ。震災もそうだ。原発の事故もそうだ。それにまつわる様々なことがそうだ。日々、失望が更新される。和田アキ子がチャリティ募金のイベントをやったという夕方のニュース。その後夜の番組で芸能人数十人で豪華な料理を前にして、大笑いしながら大トロの握りを口に入れて「美味しい!」と叫んでいた。別にいいんだよ、大トロを食べても。でも、気が滅入るんだよ。うん、ただ気が滅入るんだ。避難所にはまだまだ物資が足りないんだって。朝はお粥。昼はなくて、夜はおにぎり一個。そういう避難所はまだまだたくさんあるんだって。被災地でもテレビは見れる。大トロは好きだけど、和田アキ子が食べた大トロは好きじゃない。でも、これもまた現実だ。原発のレベルセブンと同じくらい衝撃的な現実だ。

最後は手拍子をもらえるような唄を歌いたかった。苦しいけど、楽しい唄を歌いたかった。だからパレードだったのかもしれない。一緒に頑張ろうぜって歌いたかった。だって、それしか言えないんだもん、今は。それは被災地にあてたメッセージではなくて、ここに生きる人へのメッセージ。そう、僕らはいくら失望しても・・・絶望はしていない。僕が見て来た被災地の風景は確かに絶望的だったけれど、僕らが絶望してはいけない。そう、僕らは絶望する立場にない。僕らに出来ること、まだたくさんあるのだから。
パレードは楽しかった。キラキラとしたものが見えた気がした。そうそう、そんな感じだ。大サービスで、カズーもたくさん吹いた。うん、大サービスだ。後ろが控えていなければ、あのまま三十分くらい歌い続けたことだろう。
ライブハウスの人が言っていた。「最後の唄、いいじゃん。あれ、いいよ」。そうだろう、そうだろう。でも十年も前に作った唄だ。最近は、もう歌っていない。唄ってそういうものだ。でも・・・嬉しいね。

久しぶりに歌ったから、リハの時から調子はイマイチ。本番は普通。あんまり上手じゃなかったかもな。でもいいんだ。また歌えて・・・良かった。

そんなわけで、色んな人にありがとう。以上、超スーパー徒然ライブレビュー、終わり。

私見~今日は原発の話

2011-04-07 04:12:08 | Weblog
動き出した列車は止められない?ホントにか?
この国にはブレーキはないのか?ホントにか?

原発の問題に揺れている。今、首都圏の人間は放射能の情報に過敏だ。あたりまえだ。命が懸かっている。農作物、水産物、水、放射性物質の濃度が気にかかる。あたりまえだ。命が懸かっている。天気予報に新しい項目が出来ている。福島の海岸近辺からの風向きの予想だ。放出された放射能の流れが気にかかる。それもあたりまえだ。しつこいようだが、命が懸かっている。東京都民へのアンケート。原発事故に不安を持つ人・・・88.1%。

では、「国内にある原発は今後、どうすべきだと思うか」と聞いたところ「これまで通り運転」が1.7%。「運転しながら安全対策を強化していく」が56・2%。「いったん止め、対応を検討する」は25・2%。「やめて、別の発電方法をとる」は14・1%。
おそらく、僕が想うに、東京都民以外の人に聞いても同じような結果になるのではないか?

さぁ、これをどう見るか。だ。

今、現実に、数百万人プラスアルファの命が、原発事故の元で危険にさらされている。空はやられ、海もやられた。所詮人間が造ったものだ。人間が動かすものだ。100%の安全が未来永劫保証されているものだとは想えない。だから不安が付きまとうのだろう。1999年の東海村の臨界事故では、人為的ミスにより669人が被曝した(うち二人死亡)。今回の原発の事故処理に十数年、もしくは数十年かかるという予測さえある。つまり、その間、リアルな放射能の危険を抱えながら、僕らは生きなければならない。

今、現に、放射能の危険をリアルに感じながら生活している中で、なぜ原発に反対する回答が14%しかないのか?この現状で、なぜ60%の人が「それでも原発が必要」だと答えているのか。

この国の民には意思が欠如している。意思とは「教養」のことなのかもしれない。乱暴な言い方をするならば、知的レベルが・・・相当低い。完全な民主主義の国にいながら、投票率が低いのもそのせいだろう。先進的な生活の中にも男女差別が色濃く残っていたり、異民族に対して排他的な態度をとったりするのもそのせいだろう。決定的なのは、その癖プライドは高く、自分がそこそこ教養のある人間だと思っているところ。
この国のその民衆が頼りにするのは何か?「お上」ではない。お上を信用するのはバカしかいないと思っている。だからお上は信用しない。お決まりの政治不信ってやつだ。では、何か?何を頼りにする?「メディア」だ。メディアに登場する「専門家」だ。「評論家」だ。

この国のメディアにはほとほと呆れる。呆れるを通り越して・・・気持ち悪さを感じる。この数ヶ月、民放のテレビは観ていないからよくは知らないが、おそらくこんなところだろう。原発反対論者はテレビに出演していない。朝まで生テレビ以外の番組には呼ばれない。原発反対論者は何も分かっていないバカ野郎だと思われているからだよ。きっと、朝まで生テレビでも、田原総一朗にケチョンケチョンにされているのだろう。
メディアが報じている内容はこんなところだと想う。原発を止めると首都圏の電気が止まり、経済が立ち行かなくなる。そうすると市民の暮らしが危機的な状況に陥る。それこそが未曾有の災害。そして、環境を汚染しない代替エネルギーが他には無い。従って、今の生活レベルを維持するためには原発が必要だ。仕方ないので受容するしかない。他の原発で事故が起こる確率は極めて低い。こんな感じか?
自分の命の危険と引き換えに、生活レベルを維持しようとする人間がいるのだろうか?・・・いるんだね。

この国を動かしているのは民衆ではない。政治家でもない。この国を動かしているのは資本主義の「資本」を持っている人たちと、その集団だ。経済が立ち行かなくなって、ただちに困るのは資本家たちだ。そういう原理が資本主義にはある。そういう原理がこの国にはある。
東京電力及び電気事業連合会は、年間三百億円以上を新聞やテレビのコマーシャルに注ぎ込んでいる。大口スポンサーだ。お得意様だ。なぜ独占企業なのに、それほどの大金を注ぎ込むのか?おわかりか?原発がなくなって、電気が止まって、民衆の生活レベルが下がれば、困るのは経済界だ。経済界が困れば、メディアに金を出すスポンサーがいなくなる。メディア、困る。acのコマーシャルしか流せなくなる。メディア、困る。つまり、メディアに意思はないということだ。意思のないメディアの意思が、意思を持たない民衆に刷り込まれていく。原子力は必要です。この国のシステムには、そういう原理がある。賢いと思い込んでいる賢くない民衆は、不安だと想いつつ「必要だ」と口にする。そう語るのが、賢いと思い込んでいるからだ。

今回の震災を、第二次世界大戦の敗戦に次ぐ国難だと呼ぶ人がいる。あの敗戦から復興した日本の底力を再び、と声高に言う人がいる。果たしてそうだろうか?
ブレーキのない列車に乗りこんでいた日本人は、敗戦によって目が覚めた。軍国主義から解放された。「軍部」という名のキムジョンイルやムガベ的な独裁的なものから解放された。洗脳から解き放たれた。命の尊さを思い出した。そして焼け野原、食糧難、恥辱の中、国中が同じ苦労と苦難を背負い一丸となって復興へ向かって生きたのだろう。
敗戦の時と「今」はリンクするのだろうか?リンクするところが僅かでもあるのだろうか?
片や家を失い家族を失い仕事を失い、先の見えない絶望の中に佇み・・・片や原発のリスクを地方に押し付けてまでも、自分たちの生活のレベルを守ろうとしている。石原慎太郎風に言うならば、誰も「我欲」と「拝金物欲経済主義」という洗脳から目を覚ましてはいない。誰も列車を止めようとはしていない。すべての人が安全を求めているのに、誰も「危険行きの列車」のブレーキを引こうとはしない。経済のためならば「命」さえも差し出すということなのか?自分の愛する人や子供や孫の命さえも差し出すということなのか?それとも・・・いまだに100%の安全を誇ると思っているのか?原子力。信じているのか?原子力。恐くないのか?放射能。本当は恐いんだろ?放射能。

すべては僕の私見である。僕も賢くない人の中の一人であることは疑う余地もない。はみ出しながらも、この社会の中にどっぷりと浸かって生きている。

ドイツでは、日本の原発事故を受けてこんな事が起こっている。国民の70%が原発に反対の意思を示し、28万人の原発反対のデモが行われた。政府は現存原発使用の12年延長法案を凍結することにしたとか。これによって、ドイツの原子力発電は2020年で終了することになる。
命の危機に対する行動って、そういうことなんだと思う。賢く思慮深い振りをしていたら、誰の命も守れない。水を買い占めるとか、遠くへ逃げるっていうことではないのは確かだ。止められるものは、止められるうちに止めなければならない。

さらに私見を述べる。原発を全部止めてしまえばいいと思う。安全なうちに全部止めてしまえばいい。電力が足りなくなったら、日本の経済は地に墜ちる。一度地に墜ちればいいと思う。命よりも尊い経済なんてあるわけながない。そして、原発に頼らないクリーンなエネルギーと共に、そこから復興していけばいい。被災地も被災しなかった場所も一緒に、助け合いながら、思い遣り合いながら、一丸となって復興していけばいい。きっと今よりはまともな社会と、まともな経済が出来上がっていくはずだ。

古き良き時代は、なぜ古き「良き」時代なのか?
僕らは目に見えない何かにがんじがらめになって、何もかもが、よくわからなくなってしまっているんだよ。きっとね。そうは思わない?以上。



あっ、ライブだ。

2011-04-06 20:37:29 | Weblog
4/11(月)にライブやります。ソロライブやります。新宿ではなくて、西川口ハーツです。めっちゃ平日です。月曜日です。ライブをやられると最も迷惑な気がする月曜日。ブルーマンデーの月曜日。例えば、週末が終わって「あぁ仕事かぁ」と嫌々行った仕事が終わったばかりの月曜日の夜。なんで月曜日なんだよ、バカヤロー!の月曜日。すっかり告知するのを忘れていたけれど、ライブです。なんと言われようともライブです。
ストリートライブ復帰の日が延び延びになりそうな今日この頃、この隙間を埋める貴重なライブになるに違いない。
ぜひ、ぜひ、ぜひ、観に来てね。・・・全曲新曲で・・・やっちゃうっかなぁ。どうすっかなぁ。ヨロピコ。

2011.04/11(Mon) 西川口ハーツ
さくまひでき / Sing (from TRASH BOX JAM) / 銀幕一楼
open 18:30/start 19:00 adv \1800/door \2100

募金アゲイン

2011-04-06 19:41:00 | Weblog
チャリティCD「Missing You」。また8枚売れました。プラス善意の二千円。切りがいいのと天気がいいので、いざ募金へ。

二度目なので勝手は分かっているのだけど、ATMの前に行くと振込先が分からない。またまたコンシェルジェへ。この前はきれい目なお姉さんだったけど、今回は・・・綺麗なお姉さん。またまたATMで横に並んで指導。前回手間取った名義人「トラッシュボックスジャム」の打ち込み。練習の成果あり、チャチャチャと押せた。かっこいい。チャチャチャ。思わず、どや顔でお姉さんの顔を覗き込んで「どう?今のチャチャチャ。ねぇ、どう?」と聞こうと思ったけど、やめておいた。オレは変人じゃない。・・・チャチャチャ。かっこいい。
まぁ、かっこ悪くなる前に「トラッシュ」でやめておいたんだけどね。「ボックスジャム」は省略。ふふふ・・・オレ、知能犯。

みんなの善意、ゆっくりでもいいから、被災者の方々へ届きますように。・・・チャチャチャ。

それにしても、ドラえもん募金の振込先、ATMに貼り付けておけばいいのに。そしたらみんな、なんかのついでにチャチャチャって振り込めると思うんだけどな。ダメなのかしら?