ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

幸せは、ピョコンと跳ねる。

2015-06-29 22:53:41 | Weblog
僕は、フェイスブックなんぞやっていない。フェイスブックなんぞをやると、なんだか色々な事柄を頼りに、20年も会っていない同級生とかから「久しぶり!今何してんの?」とか?そういう類の連絡が来て、怪しげな壺とか羽毛布団とかを買わされそうな気がするのでやらないのである。
だって、怖いじゃんね?

LINEはやってるよ。あれ、やってるって言うの?LINEやってる?ってどういう意味なんだろうか?LINE使ってる?と意味は違うのだろうか?
LINEはメールの代用のように思っている僕の見解は間違っているのだろうか?
「LINEやってる?」ってどういう意味?というのが、ここ3年ほどの、僕が抱える大いなる懸案事項だったりする。

LINEてさ、携帯電話の電話帳を勝手にLINEのサーバーにアップされちゃったりしているわけでね。それはそれで大層恐ろしいことなんだけど。そんでもって、そのアップされた電話帳を基にして、「これはあなたのお友達ですか?」とか、LINEカンパニーのシステムが勝手に推測してくるわけだ。

僕は電話帳に入れたデータを消すなんてことはしない主義でね。だって面倒だから。だから夥しい数のデータが登録されているわけ。そのうち半数以上が、いまや誰だか思い出せず、半数以上が、もうすでにこの番号は使っていません。という人たちなわけ。半数以上と半数以上を合わせると全部を超えるよ?とか、そういう細かいことはいいんだよ。イメージだよ、イメージ。
だから、LINEの「お友達」のところに、見たこともない人や、知らない国人や、物凄い美人の写真とかが出てきて、たまに驚いたりしているわけ。

で、携帯の電話番号をずっと変えていない人もいるわけで。たまに懐かしい人の名前や写真を見つけると「元気かなぁ?」とか、「懐かしいなぁ」とか思ったりしているわけ。


話は変わって。

世界を敵に回す恋をした時のお相手のオシノミちゃんとは、ずいぶんと長いこと付き合った気がする。若かりし頃の恋だけに、想い出はたくさんある。

ヨーロッパを一人で放浪した時、90日間、毎日、彼女宛てに絵葉書を送った。ヨーロッパの様々な国のそこかしこで、毎日素敵な絵葉書を買って、切手を貼って、ポストに投函した。

90日間の間、彼女から二度、手紙を受け取った。
リスボンの中央郵便局で彼女からの手紙を受け取った。

リスボンの郵便局で受け取った手紙を、開封せずにバスに乗り込み、ユーラシア大陸の最西端、ロカ岬まで行って、感慨深く読んだりした。
なんて書いてあったかは忘れたが、ロカ岬に吹いていた風は忘れない。そして、ロカ岬で手紙を読んでいる自分の姿は、今でも脳裏に焼きついている。

バルセロナの中央郵便局では、郵便局のおじさんとケンカになった。
届いているはずの彼女からの手紙が、「ない」と言うのだ。「そんなはずなはい!もう一回探しやがれ!プリーズ!」と、そんなやりとりを三日ほど繰り返した。
結局、手紙は受け取れず、あきらめ、泣く泣くバレンシア行きのバスに乗った。
なぜ、手紙を受け取れなったか?それは、彼女がバルセロナ宛には出していなかったから。という話は帰国してから聞いた。郵便局のおじさんに謝りに行きたい気分だった。

僕が彼女に出した90枚の絵葉書を、部屋に並べてみたら壮観だろうなぁ・・・などと考えていた。でも、僕がその一枚の絵画の様な風景をみることはなかった。

恋が終わって、何年かが過ぎて、彼女から連絡が来た。
「嵐の曲を書いてみない?」
彼女はレコード会社に勤めていた。嵐ってのは、アラシである。デビューして間もない頃の嵐である。

そこで、僕は4曲ほどの曲を作って彼女に送った。
彼女からの返信は・・・
「やっぱり・・・いい曲作るね」だった。

嵐の曲のコンペなんぞは、数百人のプロが参加するような熾烈なコンペなので、残念ながら僕の曲は採用されなかった。
「でも、いい曲作るね」で、僕の成果報酬は支払われたような気分になった。
その時に作った曲は、ご存知「SWEET AGE」である。
ちゃんと、櫻井翔くんが歌うラップみたいなところもある。CDを借りて研究しながら作った。

その後の、彼女の消息は知らない。に等しい。


で、話は元に戻る。
LINEの話である。

ある日、彼女の名前らしきものが、僕のLINEのお友達のリストに加わった。
それだけでは、他人なのか本人なのかが分からない。
プロフィールの写真を見てみる。

小さな男の子が公園を走る写真だった。
彼女によく似た、可愛い男の子だった。

心がピョコンと跳ねた気分になった。


時々、本気で思うことがある。
僕が知る全ての人が、幸せでありますように・・・。

僕は忘れない。

2015-06-25 02:27:01 | Weblog
僕の大好きな詩人はこう言っていた。

「もしも君が何かを手に入れるならば、その時君は大切な何かを失うだろう」

僕の大好きな詩人はこうも言っていた。

「もしもすべてを手に入れたと思ったとしても、それは・・・大切な何かを失ったことに、その時は気がついていないだけだ」

僕はこう想った。

「大切な何かを失ったとしても、大切な何かを手に入れられたのだから、それはそれで良しとしようじゃないか」

なんのこっちゃ、今も昔も。ということで、人生は回っていく。

ワグリーは僕にとって、可愛い後輩であり、友人である。
だが、友人と袂を分かつなんてことは、人生においては多々あることだ。親友と疎遠になるなんてことも、極々普通に起こる出来事である。

僕は、ワグリーのことをよく思い出す。
それは、ワグリーが発した一言が、その後の僕の人生を決定づけた・・・からなのである。

それは、僕たちがまだ、仲が良かった頃の話。

ワグリーは、まだたったの16歳。僕はまだ、たったの19歳の夏。

僕には夢なんてなかった。それは本当のことで、夢なんて少しも描けないようなひねたガキで。
何になりたいわけでもなく、何になれるわけでもなく、大学に籍を置いてはいるが大学にはちっとも行かなくて、何もすることがないから暇を潰すためにバンドをやるような・・・そんなクソガキで。自分の未来になんて微塵の可能性も感じられず、漠然とした未来図さえも描くことが出来ず、ただ若き日々を費やす。それが普通。そんな普通のクソッタレで。

周りのバンドマンたちはどうだったか?

なんか、みんな、「プロになる!」とか、わけのわかんないことを言っていた。

なれるわけねーだろ?プロになんてなれるわけねーだろ?バカなんじゃないの?
こんなクソみたいな田舎の公民館で練習をしたりライブをやったりしてるヤツらが、プロになんてなれるわけねーだろ?バカなんじゃないの?

そう思っていたのは、僕だ。

じゃあ、僕は何になれるのか?もちろん僕は・・・何にもなれない。それが現実だ。夢なんて・・・ない。そういう人間なんだ、僕は。

ある日のこと。

公民館のステージに、足を垂らして座っていた。足をブラブラさせながら座っていた。
僕の隣で、ワグリーがベースを弾いている。16歳にしては高級品のベース、TUNEのベースだった。180センチを超える身長に、TUNEのベースがよく似合う。

ステージの縁で足をブラブラさせながら、ワグリーは目を閉じながらベースを弾いている。
僕は、ワグリーが弾くベースのフレーズを聴いている。

ワグリーがベースを弾く手を止めた。そして唸った。
「ゔーーうわーーー!早くプロになりてぇ!」

16歳のクソガキの戯れ言である。小さな町の、小さな公民館の、小さなステージで、16歳のクソガキが放った咆哮である。

どうしてかは分からない。どうしてその時だったのかは分からない。
僕の心の中で、何かが「パリーン」と音を立てて弾けた。これは本当の事だ。心がズキンとした。何かが割れたような音だった。

えっ?プロになんの?プロになれんの?てことは、おれもなれんの?おれもプロになれんの?

僕は、小学生の時の作文に「宇宙飛行士になりたいです」と嘘を書いた。宇宙飛行士になんてなりたくなかったし、なれるとも想っていなかった。書くことがなかったから、嘘を書いた。

あれからもう、たくさんの時間が過ぎた。
僕は19歳で、音楽のプロを目指し始めた。二十歳を過ぎる頃には、「プロになる!」と豪語していた仲間たちは、みんなプロを目指すのをやめてしまった。皮肉なものだ。

SONYのオーディションの最終選考に残った。新聞社主催のコンテストやラジオ番組のコンテストでグランプリを獲った。東芝EMIからのメジャーデビュー寸前まで話が進んだ。数える程だが、テレビやラジオにもたくさん出た。インディーズデビューを果たした。原宿ルイードを満員にした。路上ライブで100人を超える人を集めた。十年間、音楽と詩だけを売って生き抜いた。今現在、僕が作った曲がジョイサウンドのカラオケで6曲ほど歌えるようになっているらしい。

そのすべてが、ワグリーが発した一言から始まったということを、僕は今でも、しっかりと覚えている。

僕はプロなのだろうか?プロではないのだろうか?
もう19歳ではない僕は、そんな事はどうでもいい、と思うようになった。

ただ、ここまで来られたこと。これからも歩き続けていくこと。その始まりはワグリーの一言だということを、僕は永遠に忘れない。

このロクでもなく素晴らしき人生の出発点は、あのステージの上。
苦しかったなぁ、楽しかったなぁ、辛かったなぁ、面白かったなぁ、の出発点は、あのステージの上。

「ありがとう」と僕は言いたい。

ワグリーは、もういない。
ワグリーは、もうずっと前に、自らの命を絶って、どこか知らない遠い世界へいってしまった。
僕がそれを知ったのは、風の噂で。ワグリーがいなくなってしまってから、だいぶ時間が過ぎた頃だった。

僕が言いたいのは・・・「忘れないよ」
僕は忘れない。そういうことなんだと想う。


ソロライブは、ワンマンですよ。2時間歌いっぱなしの予定です。

2015-06-24 23:34:29 | Weblog
復活ライブまでのカウントダウン・・・あと一ヶ月。

7月25日の土曜日は下北沢ラウンへおいでくださいね。的なメールを手当たり次第に送ってみた。
返事が来た。ありがたいことである。チラホラと返事が来た。チラホラでもありがたいことである。僕の事を忘れていない人がチラホラもいるということだ。ありがたいことだ。

でも、チラホラってことがちょっと心配ではあるわけで。ほとんど無視されているという現実があるわけで。ほば忘れられているandこの人誰だっけ?状態なんだろうなぁと推測できるわけで。
つまり何が言いたいかというと、「このブログの購読者様たちへ告ぐ。ライブに必ず来るように!」
そういうことなのである。
僕や、みんなの人生を左右する、重大な局面だということを、忘れてはならないんだよ。
そういうことなのである。


ワグリーの話。

ワグリーの話は、たぶん何度か書いたことがある。いつ書いたかは、忘れた。書いたと思っているけれど、書いていなかったという可能性も多々あるのだがね。

ワグリーは、僕よりも三つ歳下である。

例のシナロケの前座オーディションで、我がバンド「トゥージャン」と共に合格したセリさんのバンドのベーシストがワグリーである。

ワグリーとはとても仲が良かった。仲の良い先輩後輩といった感じ。
アカペラの曲を即興で作ってステージで歌ってみたり、パートを分けて曲を作って、ステージの上で披露してみたり。なんだかわからないけれど、ワグリーとはとても仲が良かった。

ワグリーとオシノミちゃんと僕の三人は、とても仲が良かった。三人はそれぞれ別のバンドに属している。ちなみにオシノミちゃんは女の子である。
僕は19歳。ワグリーとオシノミちゃんは16歳。

ワグリーってのは、これが、モテるオトコなのである。中学高校と、女子が騒いでファンクラブが出来るほどモテるオトコなのである。周りの女が放っておかないイイオトコなのである。

オシノミちゃんってのは、これがまた、モテるオンナなのである。中学高校と、男子も女子も騒いでファンクラブが出来るほどモテるオンナなのである。すれ違うオトコとオンナが、揃って振り返るほど、イイオンナなのである。

僕は19歳。ワグリーとオシノミちゃんは16歳、の夏である。

とにかく、その頃の僕は、大学なんてほとんど行かず、毎日バンド仲間とヤンヤヤンヤと騒いでばかりいた。自分のバンドのメンバーは、学生生活で忙しいので遊んでくれないので、他のバンドの連中と毎日ヤンヤヤンヤと騒いでばかりいた。
その仲でも、特に気が合ったのがワグリーとオシノミちゃんなのである。

僕は19歳の夏。恋をするのである。誰にって?そりゃあ、誰もが振り向くオシノミちゃんに、恋をするのである。

ミュージシャンたるもの、恋をしたなら、唄を作るのである。唄に想いを込めて捧げるのである。気持ち悪いとか、気色悪いとか、ギャーやめてぇ!とか、そういう類いの苦情はうけつけないのである。なぜなら、それがミュージシャンがミュージシャンたる所以だからなのである。唄も捧げずに、何がミュージシャンだ!?ということなのである。

まぁ、唄を作るのである。小さな町で恋をする二人の話なのである。「小さな街」というタイトルなのである。

たぶん僕は・・・なんらかの形で、告白かなんかをして、フラれてしまったのではないか。細かいことは忘れてしまった。
なぜ僕はフラれてしまったのか・・・それは、僕が告白かなんかをする直前に、オシノミちゃんはワグリーと付き合い始めたからなのである。
実は告白なんてものはしていなくて、「オシノミちゃんに唄を作ったよ」と言ってあっただけなのかもしれない。そっちの線の方が濃いな。
何はともあれ、誰もが羨む美男美女のカップル誕生である。

まぁ、そんな感じで、僕の恋は儚く終わってしまったのだが・・・この話にはまだ続きがある。

ある日、トゥージャンの練習の日。スタジオにオシノミちゃんが遊びに来た。オシノミちゃんは、椅子に腰掛けてトゥージャンの演奏を聴いている。

僕はオシノミちゃんが好きなわけで、それは別に、誰と付き合っていようが変わらないわけで、その想いを伝えるために作った唄があるわけで・・・。
僕たちは「小さな街」を演奏した。僕はありったけの想いを込めて歌うのである。

「小さな街」を聴き終えて、オシノミちゃんは静かに席を立って出て行った。
僕は満足である。恋の成就なんかよりも大切なことがある。それは、ミュージシャンにしかわからない。悪いか?名曲誕生である。悪いか?

まぁ、そんな感じで、僕は潔く、僕の想いを胸にしまったのだが・・・この話にはまだ続きがある。

練習を終えて外へ出た僕は、泣いているオシノミちゃんを発見してしまうのである。

さてさて・・・その後に何がどう進んで何がどうなったのか・・・なんてのは、無粋だから書かずにおくのだけれど。。。

僕と、ワグリーと、オシノミちゃんの、三人の蜜月関係はいつ終わってしまったのか?
ワグリーとオシノミちゃんが付き合い始めた瞬間なのか?
結果的に、僕がワグリーからオシノミちゃんを奪ってしまうことになった時なのか?

当のワグリーよりも、僕らの周囲が僕を許さなかったという方が正しいような気がする。同情されるべきは当然ワグリーである。ワグリーの敵は僕なのである。つまり、みんなの敵は僕なのである。世界中が敵だらけなのである。敵しかいないのである。

そんなわけで、ワグリーとは、ちゃんと話もしないままギクシャクとした関係になってしまった。
仲が良かったオグちゃんやヤナギやセリさんのバンドとも仲が悪くなってしまった。

ていうかさ、ワグリーさ、お前、モテるんだからいいじゃん!?なっ?と、いつものように軽く言い放ってやりたかったんだけどね。
そんな軽口も叩けぬまま、仲が良かった僕らは、ただ一方向へ。分裂という方向へと、進んで行ってしまったのである。

つづく。

縦、縦、縦、縦を合わせなければ。

2015-06-06 22:09:54 | Weblog
バンドにとって、大切なこと。例えば、カッコイイとか、曲がイイとか、歌が上手いとか、ギターソロがイカしてるとか、コールアンドレスポンスが盛り上がるとか、とか、とか、とか。

では、バンドにとって一番大切なこととは何か?
それは、縦が決まっている。ということ。そういうことなのである。わかるかい?

シナロケオーディションの話。

オーディションに参加したバンドがいくつあったか・・・そんなことは忘れてしまった。たぶん、10個くらいではなかったか。
それまでの町のイベントで、いくつものバンドと知り合っていた。だから、実力のほどは知っている。
下馬評、みたいなものもあった。

合格の枠は二つ。
当選確実な「セリさんのバンド」。二番手を争って、いくつかのバンドがダンゴになっている。僕のバンド、トゥージャンもそのダンゴの中にいる。
セリさんのバンドは、ルックスも決まっているし、年上だし、キャリアも長いし、みんなが一目置いている。ここは固い。
あとは、ダンゴ。オグちゃんのバンドもダンゴ。みーんなダンゴ。

コピーバンドが多かったように想う。今にして想うと・・・プロの前座でコピーをやんなよ!というった気もするが、その頃は、みーんなコピーバンドだから、それが普通。逆に、オリジナルソングは、知名度がないのね不利!くらいの雰囲気さえある。
もちろん、トゥージャンはオリジナル。知名度ゼロのオリジナルロックオペラで臨むのである。

前出の審査委員長「タニへーさん」。オーディションの一バンドが終わるたびに、タニへーさんやら誰やらのコメントが入る。そういう形式。

タニへーさん、相当厳しかった。相当厳しかった。
仲間内では「相当巧い」と言われていたベースマンのチョッパー弾き。タニへーさんはそれを一喝。「おまえ、チョッパーなんて10年早いんだよ、ボケ!」といった具合。

僕らの出番は最後の方だったような気がする。
他のバンドがケチョンケチョンに言われるのを、見ながら・・・ちょっとだけドキドキしていた、はずである。

正直、シナロケの前座なんて出来なくても構わない。だけど、クソみたいな仲間連中から、頭一つ抜け出したいという想いがあった。自分の作るモノを誰かに評価してもらいたかった。オーディションなんて初めてだった。だから、ちょっとだけドキドキしていた、はずである。

2曲くらい演奏したのだろうか。演奏が終わって、ステージに残って審査員たちのコメントを聞く。

鬼のタニへーさんはこう言った。

「やっと、縦が合っているバンドが出て来たね」

縦というのは、ドラムとベースのリズムのことである。縦が合う、というのは、ドラムとベースがしっかりと縦のリズムを刻む、ということである。

得てして、そういうものである。そういうものなのである。
僕らのクソみたいな仲間連中は、カッコばかりつけて、技巧ばっかに傾倒して、一番大切な縦を気にしていないのである。そんでもって、誰が巧いとか、どこのバンドが巧いとか、言っちゃっているのである。まるで高校生の軽音楽部みたいなのである。そしてもちろん、僕もその一味なのである。

僕らのバンド、トゥージャンのリズム隊はキョッツとギョイニー。高校卒業後に加入したキョッツ君は、巧いのである。そこに、高校生のからの仲間ギョイニーがベースラインを乗せている。彼らのお陰で、タニへーさんから賛辞を送られたのである。曲を作って歌っている僕ではなく、キースリチャーズばりにテレキャスターを掻き鳴らすヨッシーでもなく、地味ーな二人が、花形になったのである。嬉しいのである。

「曲もいいね」

タニへーさんに褒められてしまった。タニへーさんが誰だかはよく知らないのだけれど、初めてプロに褒められた瞬間なのである。嬉しいのである。

全バンドの演奏が終わって、審査員たちは別室へと消える。その後、結果発表。

結局、僕らのバンド、トゥージャンはトップでオーディションを勝ち抜いた。二番は当選確実のセリさんのバンドだった。ダンゴから抜け出したのは僕らのバンドだった。そらは、番狂わせのトップ通過だった。

タニへーさんに教わったことは、縦は合っていないといけない、ということ。

僕は今、Trash Box Jamのバンドで歌いながらベースを弾いている。
ベースを弾くのは楽しいが、出来れば弾きたくはない。なぜならば、感情を込めて歌いながら、縦を合わせるってのはとても難しいから。
縦が合っていなければバンドじゃない!と教わったのに・・・である。

でも、こらばかりは仕方がない。だから、ちょっとした縦のズレは、「これはグルーブだよ」と言い訳しながら、頑張っちゃったりしているのである。

tell me why? ~愛すべき君に

2015-06-01 20:51:33 | Weblog
今日から6月ですね。
もう五ヶ月が過ぎ去った、2015年ですね。
衣替えだ衣替えだ!と二階から靴下を持って来たんだけど、それがどうした?ですね。
トゥージャンクスの麻雀大会以来出しっ放しの炬燵を片付けなければと思いながら、そんなの、やる気が出ないんですね。
二階の押入れの中に、Tシャツが200枚ほど仕舞ってあるのだけれど、どれもこれもトキメクものがなく、5枚ほどのTシャツを着回している今日この頃、ですね。
日焼けをしました。なぜだろう?それは秘密です。の、今日この頃、なんですね。

お元気ですか?僕はなんとか元気です。お米の苗を大量に貰ったのだけれど、「これ、どうすんの?」と、植える場所もなく、途方に暮れている僕なのです。誰か、田んぼを、くださいな。


tell me why? ~愛すべき君に

そんなタイトルの歌があった。誰の歌って?僕の唄。
歌詞を載せようかと想ったけれど、相当恥ずかしいから載せない。

大学の反原発集会とかで歌ったりした唄。どんな唄かっていうとね。
為政者に向かって、「君はいつになったら、僕らの痛みをわかってくれるのですか?君だって僕らと同じ人間なのに、どうして僕らと分かり合えないんですか?」などなどと、滔々と語る唄。

僕はさ、原発にも戦争にも反対だったしさ、自分の想いをぶつけまくった唄だったからさ、真剣に歌うわけ。真剣に歌わない唄ではないわけ。最後の方なんて、感極まって泣き叫ばんばかりに歌うんだよね。
だから、周りの連中はバカにしていたんだよね。「あのロックオペラ野郎」ってね。

そんな流れは、時が過ぎた今でも、充分過ぎるほどに残っている。メッセージの最後の方なんて、ライブ本番では三倍くらいの長さになったりするからね。そう、おれは、ロックオペラ野郎!なのさ。へへへ。

路上ライブの初期。ラプソディを歌うと、初めて聴いた女の子が泣いてしまう、なんてことがよくあった。
テルミーホワイもさ、その頃、客席で泣いている人がチラホラいたんだよ。ラブソングではないのにね。ラブソングに聴こえちゃったのかもしれないね。

先日のトゥージャンの麻雀大会の時。ドラムのキョッツが、当時のトゥージャンの音源を聴かせてくれた。そんなものを持っていることに驚いた。
ギターのヨッシー、メンバーじゃないエムケイと共に、しばし音楽に耳を澄ます。

silencer。
ペイパームーン。
klaxon。
tell me why?

ちょー小っ恥ずかしいのである。下手とか上手いとか、そういう話ではない。ただただ小っ恥ずかしいのである。

キョッツが言う。
「今でもさ、tell me why? を聴くと泣いちゃうんだよね」

まぢか?まぢか?大丈夫?おかしいんじゃないの?

なんて思いながら、19の声に耳を傾ける。僕らの時代。

昔から世の中なんておかしい。そんなのは当たり前で。
つまり今も世の中なんておかしい。今もそんなのが当たり前なのかと思うと、愕然とする。

なんとなく、時間は物事を良くしていくものだと、信じて来た。

何をやってきたのだろうか?何をやっていくのだろうか?

それぞれが、それぞれの幸せについて考えるのを止めてしまっているような気がする。
誰かに植えつけられた統一された価値観の中で争っているような気がする。

tell me why? ~愛すべき君に・・・
もう一度歌っちゃおうかなぁ・・・と想う、今日この頃、なのである。