ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

シングを救え!・・・チャリティみたいなもんだ。

2010-04-30 07:44:57 | Weblog
シングのソロライブ第二弾のDVD。「The Place Where Lion Lives 2」。

3.19、新宿Naked Loftで行われたライブの模様を収めているぜ。

Smoky Crazy Diamondの歌詞&メロディ変更仕様「Smoky Crazy Diamond 2010」も入っているぜ。

シングが犯してしまった、数々のミステイクも収録されちまってるぜ。

ライブ盤だぜ。

中に、屈斜路湖で撮った「Sing&Magna」の写真が載ってて、そこに直筆のサインが書いてあるんだぜ。サインペンで。


まぁ、そんなことはいいんだ。これはチャリティみたいなもんだ。

お財布の中にお札が入っていて、何に使おうかなと想っている人、買ってくれ。

そう、だから、これは、チャリティみたいなもんなんだよ。ハッハッハ。

みんなでシングを救おう!

マヂだ。

Lion's Portrait3

2010-04-30 06:58:13 | Weblog

~作品とは・・・戦いの証である~

Lion's Portrait。これは「sing」の戦いの証明だ。

うん・・・ただ、それだけのことだ。


「唄」・・・

精霊に描かされているような気分で書き綴ったこともある。
零れ落ちたメロディを、パズルのようにただ繋ぎ合わせたこともある。
溢れ出す言葉に酔いながら、宇宙を漂うかの如く描いたこともある。
まるで何も書けなくなった時もある。
無理矢理に、乾いた布を絞るようにして書いたこともある。
表現したくない感情を表さなければならない苦しさの中で書いた唄もある。
失望の浅瀬を這いつくばりながら、打ちのめされながら捻り出した唄だってある。

書かなければいけなかったわけじゃない。
でも、書かなければいけなかった。

どんな時も、僕は「唄」を書かなければいけなかったんだ。


それは・・・僕がライオンだからさ。笑っちゃうだろ?


「詩」・・・

吹き出してしまいそうな「幸せ」も
血が流れる傷口にナイフを突き刺すような「痛み」も
心の奥底にしまったおくべき密やかなる「愛」も
誰にも知られたいはずのない罪のような「涙」も
夢も希望も・・・
現実も苦悩も・・・


僕はそのすべてを「詩」にしなければならなかったんだ。


それは、ただ・・・僕がライオンでいたかったからなのさ。泣いちゃうだろ?


それが・・・ライオンの肖像画だ。



~作品とは・・・戦いの証である~

Lion's Portrait3。これは「sing」の戦いの証明だ。

うん・・・ただ、それだけのことだ。




そして僕は、ずいぶんと優しいライオンだ。


今週の土曜日はオヤスミ、のお知らせ。

2010-04-27 01:45:28 | Weblog
シッシーはミャンマーで元気にやっているのだろうか?身ぐるみ剥がされて路頭に迷ったりしていないだろうか?異国のレディに口説かれて舞い上がったりしていないだろうか?ははは。

そんなわけで、今週の土曜はシッシー不在。シングは翌日に新宿でのソロライブが控えてる。二日続けてソロライブってのもなんなんで、土曜日のトラッシュストリートはお休みにします。間違えて大宮へ来てしまわないように、気をつけて。

日曜日に新宿で逢いましょう。v。v。v。

今週の日曜日、新宿Naked Loftの情報

2010-04-26 01:38:10 | Weblog
2010.05.02
Naked Loft presents
『Naked MUSIC 2010~GWスペシャル~』
【出演】sing(from Trash box jam) / 斎藤糧 / Mambocats / 池上 翔

OPEN18:00 / START19:00
前売¥2,000(+1drinkから)当日¥2,300(+1drinkから)


世間はゴールデンウィークに突入。今週の日曜日5/2は、シングのソロライブ第三弾。
遅ればせながら、詳細が届いたので、ここに発表。

今回、シングは四組中二番目、19時40分頃演奏開始予定となってます。

ソロライブならではの、貴重な選曲でお届けする予定。

新宿で、たーくさんの人に会えますように。v。よろしくっす。



Naked Loftへの行き方のおさらい↓

新大久保の改札を出たら右へ。10歩歩くと線路沿いに道があるので、それを右折。線路沿いを五分くらい行くと、職安通りという大きな道に突き当たる。それを左折。坂道を50メートルほど上ると左側にNaked Loft。

ライブハウス、壁がビニールになっているから、50メートルの間、左側に注意して歩けば、簡単に見つけられると思うよ。

4.24(土)大宮ストリート~sing and shissy

2010-04-25 10:56:14 | Weblog
もう昼間は暖かい。ポカポカで気持ちがいい。でも、夜は意外と寒い。昼間の暖かさに騙されて、薄着で出かけるとひどい目に遭う。・・・そんな季節だ。春って・・・そんな季節だ。
車から降りる時も、「上着はいらないかな」と想いがちだが、上着を置いていくと・・・ひどい目に遭う。春って・・・そんな季節だ。

シッシー旅立ち前の最後のストリート。ミャンマーは治安が良いと、彼は言っていたが、何が起きるか分からないのが外国。傷の一つや二つ背負って、無事に帰って来ますように。

1.happy birthday

2.HONEY
3.カナリア
4.smoky crazy diamond
5.goodtimes badtimes
6.3gの奇跡
7.rosie

8.素敵な一日
9.プロローグ~世界の始まりのうた~
10.サマンサのアイデンティティ
11.ミツバチと三日月
12.茜色
13.月の涙
14.smile
15.月のお姫様

16.Rosseta
17.ひとひら
18.涙のカケラ
19.Don't let me down
20.休日戦士
21.いとしい人

山伏、現る現る。

2010-04-22 19:28:55 | 2010春紀伊半島ツーリング~旅日記


桜並木の道をくねくねと下っていく。那智の御神体への道。いよいよ那智の神様に逢える。
飛瀧神社。鳥居をくぐって、階段を下りる。高く生い茂る杉の木の合間、豪快な音、滝が見えてくる。





落差133メートル、滝幅13メートル、滝壺の深さ10メートル。日光の華厳の滝、茨城の袋田の滝と共に日本三大瀑布の一つ。那智の大滝。

高い。強い。壮大だ。大迫力だ。そして、美しい。
滝に対する自然崇拝の聖地。否が応でも、手を合わせたくなる。



滝見台に上がるには入場料が必要だ。200円。滝見台と言っても、4、5メートルしか高くないので、入場しても入場しなくても、見える滝の姿はほとんど変わらない。でも入場料を払うと、「那智御瀧飛瀧神社延命御守」がもらえる。ちょっと嬉しい。
延命長寿の水があり、「一口飲むと何年」といったものだろうか?・・・せっかくだから、手のひらに掬って三口くらい飲んでおく。



那智には四十八の滝があり、その昔、多くの修験者たちが滝行を行った。花山法皇は二の滝の断崖上に庵を設けて、千日間滝籠行をしたらしい。千日ったら・・・三年近く・・・。断崖上に庵を設けてって・・・あんまり意味がわかんないけど、すごいんだろうな・・・きっと。千日、籠るってだけですごいもんな。千日テレビだけを観て過ごす・・・無理だな。夏も冬もだもんな・・・無理だ。海に行きたい!とか、バイクに乗りたい!とか・・・想っちゃうもんな。
その花山法皇の滝籠行のおかげで、ここの水が延命長寿の水になったらしい。

明治政府が出した神仏分離令、それとともに修験道禁止令が発布された。これによって、神仏集合的な信仰が失われてしまい、以降熊野古道周辺の神社の数は激減、熊野詣での風習もほとんどなくなってしまったということだ。


もしも、神仏分離が行われていなかったら・・・
今でも山の中で修行をする修験者がたくさんいて、山道でばったり山伏に出くわす・・・なんてことがちょくちょくあったのかもしれないな。政治や企業経営にも陰陽道が使われたりしてね。・・・今とは違う国になっていたのかもな。。。惜しいなぁ。

シングの・・・ちょっと歴史探訪はいかが?の時間

2010-04-22 08:07:42 | 2010春紀伊半島ツーリング~旅日記
那智大社の奥にある門を出ると、そこにあるのが「青岸渡寺」。神社のすぐ隣にお寺がある。神社のすぐ隣にお寺がある。うん、二回言った。



日本では、神様と仏様ってのはとても仲良しなのだ。だったのだ。
仏教という宗教が日本に伝わって来て、それが日本国内に広まった。その時に、まぁ、なんと言うのか・・・かなりぐちゃぐちゃになったんだね。

遥か昔の日本人は、こう考えていた。世の中には数知れない霊魂がある。人間一人に一個の霊魂。動物や植物にも霊魂がある。道具にも霊魂が宿る。空気中にも数えきれない霊魂がある。雨が降ったり風が吹いたりするのは、かれらの働きによるものである。古代の人たちは、様々な霊魂の力で自分が生かされていると感じ、多くのものを神様として祀った。これが、いわゆる精霊崇拝というもの。世界中のあらゆる民族が、かつては精霊崇拝の形をとっていたといわれている。
その後、大和朝廷や豪族たちの思惑や画策が色々とあって、神様の呼び名や形が変わったにせよ、精霊崇拝の基本は崩れぬまま、日本人は仏教の伝来を迎えたのだと想う。
仏教は瞬く間に広まったのだろう。だがしかし、日本人が神社を捨てて仏教に走った訳ではない。ここがポイント。なぜ、仏教を受け入れつつ、神道が残ったのか。精霊崇拝をやめずに、どうやって仏教を受け入れることが出来たのか。ここがポイント。
僕が想うに、それは二つの宗教がともに「優しい宗教」だったからじゃないか?想うに、優しい宗教と優しい宗教の出逢いだったからじゃないか?

民族の特色というものは、文化の至る所に出るものだが・・・神社と仏教、これは分かり易い。日本人は、この二つを合わせてしまったのだ。
例えば、奈良時代には伊勢神宮、鹿島神宮、賀茂神社の境内にお寺が建てられた。宇佐八幡宮の御神体は菩薩の形をしている。興福寺は春日大社を守護神とし、東大寺は大仏建立に協力した宇佐八幡神を守り神とし、延暦寺は日吉大社、東寺は伏見稲荷大社をそれぞれ守護神に持つ。神社側も寺院側も、互いに歩み寄っている。
それは庶民がそう望んだからなのではないか?と想うのである。

「まぁまぁ、ケンカするなよ。オレたち、両方とも好きなんだからさ。うん、同じ場所に両方あったら便利だよね」的なね。まぁ、宗教観的には、グダグダな感じ。

こんな流れを、「神仏習合」と呼んだりするわけだ。


時は進み、明治維新からワールドウォーツーの時代。政府は「国家神道」を元にする宗教統制を行う。神道の前に「国家」を付けるだけで、まったくの別物になってしまう。キリスト原理主義やイスラム原理主義・・・の「原理」と同じ感覚なのかもね。何かを付け加えると、「優しいもの」が優しくなくなってしまう。
細かい趣旨や歴史はさておき、ここで明治政府が行った政策が「神仏分離」なのである。長い歴史の中で合わさった神仏習合の「慣習」はここで禁止されてしまった。そして・・・今にいたる。

話を「青岸渡寺」に戻そう。
かつては熊野三山の他の二つ、速玉大社と熊野本宮大社にも仏堂があった。それが神仏分離によりすべて壊された。ここ那智山において、那智大社の如意輪堂は破壊を免れた。後に、信者の手によって復興されたのが、青岸渡寺なのである。三重塔越しに見える那智の滝は壮麗だ。

つまり、何が言いたいのか・・・だよね。

そもそも、この二つの建物を隔てる「壁」は必要無いってことだよ。法令により、仕方なく造られた壁。千年以上もの間、共存してきた神社と寺院。これが民族の「願い」の真実だとするならば、この「壁」が持つ意味、この「壁」がある意味ってなんだ?ってことなんだよ。

まぁ、ぶっちゃけて言っちゃうと、その「壁」があろうとなかろうと、民族に流れる血の「根本」が、変わるわけでは無いんだけどね。そう、「壁」なんてあってもなくても関係ない。そう、それは、もはや、「隔ての壁」じゃない。・・・ただの塀だ。


話ついでにもう一つ。

厄よけってどこでやる?・・・普通は神社だよ。でも、厄除大師は?あれはお寺だ。
そこで、テレビのレポーターが、佐野厄除大師のお坊さんに聞きにいった。

「厄除って、神社とお寺、どっちでやったらいいんですか?」って。

お坊さんはこう答えた。

「どっちでもいいんです」



ねっ、これはすごいことなんだよ。これが民族の慣習ってやつだよ。日本人が誇るべき、宗教観ってやつなんだよ。
うん、ビバ、ニッポンジンって感じなんだよ。


那智大社の奥にある門を出ると、そこにあるのが「青岸渡寺」。神社のすぐ隣にお寺がある。神社のすぐ隣にお寺がある。うん、また二回言った。すごく仲が良さそうに、神社とお寺が並んでる。


熊野の由来

2010-04-21 06:22:30 | 2010春紀伊半島ツーリング~旅日記
クマとは「奥まった処」「隠れたる処」の意味があり、そこは「上座」であり「聖」なる地と位置づけられる。
「クマ」と「カミ」は同じ意味があり、「クマノ」は「カミの野」で神々の住む場所。そんな意味になる。

神倭伊波礼毘古命(かみやまといわれびこ)は、九州からこの地に上陸し、神の使い「八咫烏』(やたがらす)の案内で大和の地(宇陀)に着き、神武天皇となる。その時に那智の瀧を大己貴命の御霊代として祀られたのが那智山信仰の起こり。約1860年前に、仁徳天皇がこの地に社殿を建立したと伝えられている。

わかりやすく言うと、神武天皇が熊野灘から那智の海岸に上陸した時、那智の山に光が輝くのをみて、大瀧をさぐり当て、その瀧を神とし祀り、その御守護のもとに、八咫烏の導きによって無事大和へ入ることが出来た。という話。

これは古事記や日本書紀に出て来る話。伝説として扱われることが多い話だが、あながちそうでもないという説・・・つまり、九州で起こった大和朝廷が東に上って来る時の話を、神話調にまとめたのではないか?とも考えられているらしい。


日本の初代天皇「神武天皇」が、神として祀った瀧、何千年前からずっと、滝自体が神様であると信じられている場所。
それが、南紀勝浦、那智山の奥深くにある那智大社と那智の大滝。



まずは那智大社へ向かう。参道は五百段近い階段。桜を見ながらのんびりと登る。大きな鳥居が現れる。そしてまた階段。
参道の途中には、かつて上皇たちが熊野詣での際の宿として使った建物もあったりする。







息を切らしながら、最後の大鳥居をくぐる。息を切らすのが好きなわけではないが、息を切らした分、ありがたみが湧いて来る・・・朱塗りのこじんまりとした神社、那智大社に到着。

樹齢850年の大楠。平重盛が熊野詣での際に手植したと伝えられている。大人七人が手を回しても抱えきれないほどの太さの大木。
諸行無常の平家物語。ほんの一瞬しか現世を謳歌できずに滅んだ、平家一門の魂が込められているとかいないとか・・・。



幹の根元には人が入れる洞がある。500円払えば入れる。いい事があるようだ。500円分の願い事が思いつかなかったので、やめておいた。



この神社の御神体は「大瀧」。つまり、ある意味、この神社自体も参道のようなものなのかもしれない。そんなことを想いながら、門を出るのであった。

四本の矢・・・四本目の矢

2010-04-20 03:09:54 | Weblog
トラッシュボックスジャム関連の重要な情報を一つ。情報というか、報告を一つ。いい知らせではない。

昨年末のワンマンライブから早四ヶ月。いや、まだ四ヶ月。待望のベーシスととしてトラッシュに加わったぎょいにい。
4/10に行われたハーツライブをもって・・・、・・・、・・・長期休養に入ることになった。

非常に残念だ。まぁ、本人的にも、無念な感はあるだろう。一時離脱の理由は・・・大人の事情である。


「休養」、「一時離脱」の言葉からわかるように、脱退ではない。本人曰く、「絶対に帰ってくるから待っていてくれ」だ。

えぇ、待ちますよ、僕は。待たない理由がない。



そんなわけで、四本の矢になったトラッシュボックスジャム、早くも三本の矢に戻ってしまった。それはつまり、ベーシスト・シングの復活である。再びフェンダーUSAのプレベの出番だ。それはつまり、要超練習ってことだ。

ぎょいにぃめ・・・。ぎょいにぃの野郎。覚えてやがれ。

そして、早く帰って来やがれ!

トラッシュボックスジャムは、もう、おまえのバンドでもあるんだぜ。

Come Back Soon! My Friend!... Please.

4.17(土)大宮ストリート sing & shisy

2010-04-19 00:42:04 | Weblog
春になったはずなのに・・・気温2度はないだろう。寒過ぎる。凍えるよ。

季節外れの寒さのせいか、朝昼晩の寒暖差が激し過ぎるせいなのか・・・街を歩く人の数も少なめ。うちのお客さんも少なめ。。。
そんな夜でも、そんな日でも、変わらずに歌うのさ。だって、待ちわびた「春」の現実というのは、毎年こんな感じだからさ。

こういう日は、演奏する方よりも聴いてくれる人の方が寒い。動かない分寒いと想う。寒さに耐えて、ジッと聴いてくれてありがとう。こういう時は得に心強い。
遠くから駆けつけてくれた人たち、どうもありがとう。歌う意欲を倍増させてくれるのは、いつもそんな力だ。

さぁ、待ちわびた春の現実、そんなものに負けないくらいの力で歌おう、次も、その次も。

へっへっへ。


1.サマンサのアイデンティティ
2.太陽の季節
3.ハート仕掛けのワルキューレ
4.羽根
5.Under The Flag Of Jack
6.HELLO
7.jewel

8.いとしい人
9.アイリス
10.ラプソディ
11.希望の唄
12.あっ、満天の星空だ。
13.百花繚乱
14.no no tears
15.グルンパの独り言

16.コネコ。
17.ハチミツ
18.sweet days
19.羽根
20.just a little bit
21.goodtimes badtimes

22.voice & beat

23.休日戦士
24.birthday song


ポカポカ

2010-04-18 14:53:57 | Weblog
今日はポカポカだから、ポスカに行こう!と思ったんだけど、なかなかう
まくはいかないもので、頼んでいた車とバイクの整備が終わらず、やむな
く断念。

来週はポスカも出来ますように。

天空の城発見しました!

2010-04-16 19:43:03 | 2010春紀伊半島ツーリング~旅日記
速玉大社に向かう途中、名物さんま寿司を探してパーク七里御浜に寄った。若干閑古鳥の鳴き声がピヨピヨと聞こえるモール型観光センター。定休日なのか潰れちゃったのかは分からないが、大きい方のレストランは閉まっていた。
小さい食堂のカウンターに並んでいたパックのさんま寿司をゲット。酢で締めたさんまの押し寿司。あっという間に平らげた。さんま寿司、美味しい。美味美味。パックでも美味美味。



紀州といえば、愛媛と並ぶみかんの産地。でしょ?・・・デザートはみかんソフトクリームをペロリ。これも美味しい。
最近、みかんが大好きで、直売店に並ぶみかんを物色してみるが、今はみかんの季節じゃない。並ぶのはデコポンやイヨカンといった大粒のものばかり。安いは安い、美味しいは美味しいのだが、大量過ぎるので断念。一人でデコポン10個は食べられないよ。



新宮地方名物、もう一つある。「めはり寿司」。目を見張るほど大きいということから名が付いた、めはり寿司。
速玉大社を出たあとで、晩ご飯用にめはり寿司もゲットしておこうと想い、新宮市内にある「めはりや」を探す。細い路地を通って「めはりや」にたどり着くも本日はお休み。「支店は営業中」と書いてあったので、地図を見て行くも、支店も休業中。あったまきた。

めはり寿司は一旦あきらめ、新宮市街を少し進むと標識に・・・「浮き島の森」・・・。ちょっと気になる、

国の天然記念物。風が吹くと移動する島。島が浮いてる?・・・ワオ。もう頭の中はプチパニック。勝手に想像がどんどん膨らんでいく。もう天空の城ラピュタである。さもなくば、ハウルの動く城・・・森が海の上を動いてる。ワオワオ。わぁ・・・浮き島の森・・・どんなだろう?あれか?ワンピースの空島みたいな感じかな?はたまた、恩田陸のオデュッセイアに出て来る「ココロコ」みたいな感じかな?あぁぁワクワクが止まらないよぉ。標識に従ってバイクは進む。なんで、そんなスーパーワクワク不思議スポットが、世間を騒がしていないんだろう?不思議だな。待ってろよ、ラピュタ!
標識は意外にも細い路地を指し、それに沿ってバイクは進む。あれ?海の方角じゃないな。。。あれ、でかいイオンとかあるけど。。。あれ?あれ?
「浮き島の森」・・・あれ?あれ?着いちゃった。あれ?あれ?天空の城はどこ?

小さな沼地に荒れた森。入場料は100円。受付にいる元気のいいおじさんに聞いてみる。島、動くんですか?おじさんが元気よく答える。「今はもう動かないね!」。あれ?
おじさんが言うことには、昔は台風の時なんかに結構動いて、森の枝が民家の窓に当って壊したりしていたらしい。
100円払って森に入る。遊歩道を通って森を一周。もちろん、テンションはがた落ちのまま。。。5分で歩き終わる森を歩きながら、ティファールの湯沸かし器並みのハイスピードで、勝手に想像を膨らまし過ぎた自分を責めるのであった。



想像と現実のギャップを埋めることは決して出来はしないが、市街地に昔からある自然を残すという意味では、憩いの場という意味では・・・良い良い良い。

あぁ、また寄り道しちゃったよ。

しかし、あれだね。「浮き島の森」と聞いて、「天空の城」や「空島」と繋げちゃう想像力って・・・なんなんだろうね。・・・リアルに反省。そして、ビバ想像力。
みんなも絶対行った方がいいよ。浮き島の森。ホントホントホント。


修験者への道は遠すぎる・・・

2010-04-16 05:09:15 | 2010春紀伊半島ツーリング~旅日記
新宮市。新宮という名前が街中にあふれている。不思議な気分だ。なんだか・・・誰かに話しかけたくなる。いや、自分の名前を書きたくなる。

「じゃぁ、こちらにお名前を書いてください」
「はい、書きました」
「えっ?新宮さんとおっしゃるんですか?」
「はい、そうです」満面の笑顔。
「あらぁ、ビックリ!」的な。的な。的な。

国道42号、熊野川に架かる橋を越えると、もうそこは速玉大社の入り口。熊野三山巡りの始まりだ。



参道を歩いて行くと、境内にある樹齢千年のナギが出迎えてくれる。「全国熊野神社総本宮」と書いたのぼりが立っている。そう、ここは全国に三千ある熊野神社の総本社である。



しっとりとした空気の中に、朱塗りの社殿。・・・あぁ、神社という感じ。

熊野御幸という言葉をご存知か?そもそも熊野参詣とはなんぞや?・・・よし、説明しよう。もちろん、受け売りで。

その昔、熊野の山中に住む、狩人や木こりをして生活をする人々が、山にある巨木の精霊を祭ったのが熊野信仰の起こり。これは古代の自然崇拝。
平安時代の半ば頃になると、熊野信仰は山岳仏教と結びつく。「寺の中での修行なんて甘っちょろいぜ、俺はもっと苦行がしたい、そう思わないか諸君!」と言ったか言わないか、修行好きの僧侶たちが、奥深い熊野の山で修行するようになったのである。どのくらい辛い修行かと言うと・・・真冬の平日ポスカの十五倍くらい辛い修行である・・・多分。

やがて彼らは難行苦行の末、半分僧侶で半分俗人である修験者になっていく。修験者は強い呪力を持つとされたため、皇室が彼らの力を借りて国内の争乱を鎮めようとした。そのために、平安末の有力者で院政によって国政を動かしたお偉方、例えば後白川上皇の三十三回を筆頭に、後鳥羽上皇の二十九回など、歴史的にみてもそうそうたる面々が幾度も熊野詣でを行った。西暦907年から1303年までの396年間に上皇、女院、親王を合わせて二十三方、百四十一回に及ぶ皇室の参詣があり、この皇室の参詣を熊野御幸と呼ぶのである。
室町時代以降は、上皇や貴族に代わって武士や庶民の参詣が盛んになる。その様子は、蟻の行列する様に例えて「蟻の熊野詣」と言われた。



想像してみよう。時の絶対権力者が、京都から「徒歩」で来るのである。想像してみよう。鳩山首相が、国会を放ったらかしにして、「俺、熊野に行ってくるわ」と言い、大勢の家来を連れて一ヶ月も国を留守にするのである。・・・鳩山首相がいなくても別に?って感じ?ううーん・・・じゃあ、麻生太郎!・・・関係ないか。うーん・・・じゃあ島田紳介!テレビいっぱい出てるし。みのもんた!東方神起!イ・ビョンホン!・・・うーん・・・いてくれないと困る人・・・うーん、あっ、オバマ!オバマ!オバマ!あと、ヒラリー!ヒラリー!ヒラリー!

オバマとヒラリーの熊野詣で、「疲れたからリムジンに乗っちゃう?」とかは無しなのである。CHANGE禁止なのである。
身を清めるのに数日、食べ物や言葉遣いにも細かい決まりがある。偉い人だからって特別扱いはされない。だって、楽をしたらご利益が減ってしまうのだから。
京都を出発してから山岳地帯を通り、熊野三山を巡り、同じ道を辿って帰京するまで一ヶ月近くの難行苦行。・・・うん、半端ない。スケジューリングの難しさ・・・半端ない。国政や周囲の人への影響も・・・半端ない。

その御幸が目指した三山の一つが、この速玉大社。大神はイザナギノミコト。

本殿の敷地の隅っこに新宮神社がある。そこにもお参り。「新宮が来ましたよ」と報告。



さぁ、次へ向かおう。二つ目は那智大社と那智の滝。昔の人は徒歩だけど、僕はバイクだ。那智勝浦新宮道路を使って、那智山へと上って行く。