ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

#12 その場所から抜け出すのは、そんなに難しいことじゃない。心がそう望めばね。

2017-09-21 06:22:39 | Weblog
十二曲目。「カナリアワーフ」(singのアルバム Heart And Soulに収録)。

誰だって疲れてしまう。
時々、疲れてしまう。
気を張っていると疲れてしまう。
ポッカリと空いた心の穴をすきま風がピューっと吹き抜ける。
頑張っている人は疲れてしまうが、大して頑張っていなくても疲れてしまう。
不思議なものだ。結局、いつだって、時々疲れてしまう。

きっとそれは、人生がそういうものだから、なのかもしれない。

そういう時は、何もかも捨て去って、大きな空に包まれて、大いなる風に吹かれて、自分のちっぽけさを思い知るほかない。
自分のちっぽけさを思い知って、少しだけ心が軽くなった気がしたら、また道の続きを、歩み始めるしかない。

きっとそれは、人生がそういう風にできているから、なのかもしれない。


ロンドン郊外。地下鉄を何度か乗り継いでカナリーワーワーフという駅で降りる。
地上へ出ると、目の前にテムズ河の流れが見える。
レンガの倉庫群の間を抜け、河のほとりへ出る。少し風が強い。ロンドンらしく、空はどんよりと曇っている。
ちょっとした座れる場所ってやつを探して腰を下ろして頬杖をついてみる。

「強くなったなぁ」と僕は思った。
三ヶ月の旅が終わる。
あてどもなく、ヨーロッパを旅して回った。アフリカへも足をのばせた。
毎日が戦いだったような気がする。生きるってのは容易いことじゃない。
でも、毎日が夢だったような気もする。生きるってのは、奇跡の連続だ。

「強くなったなぁ」と僕は想った。
三ヶ月の旅をして、僕はまだ少しも帰りたくはない。できることならこのまま、いくらでも旅の中に身を置いていたい。戦いの中にいたい。夢の中にいたい。

でも、「少し疲れたなぁ」と僕は想った。
今日は戦いの中からも夢の中からも抜け出して、何もない場所で何もせずに過ごそうと想う。

芝生に寝転ぶと気持ちがいい。
26歳の秋。
心を少し軽くして、僕はまた歩き出す。


「Canary Wharf」

暮れていく街並みには 歌声が響いていた
君の髪を揺らす風が ビルの谷間に消えてく

僕は寄り添う影が重なる愛しさと
約束だけを抱きしめて

カナリアワーフの黄昏と煉瓦の壁にもたれて
薔薇の蕾を君は抱きしめて
ムーンライト影に立てかけた震える方を抱き寄せて
こんなに君を愛してるから

探してた君がこんなにそばにいる
Hold me tight, I sing a song for you
君へのラブソング


流れ行く時の中で 誰もが汚れてくけど
hey baby face 世界の中僕らがいて
今夜も回るよmerry go-round

全てをかけて誓った夢と
君の優しさを抱えて

Georgia Cafeの木漏れ日と時の流れに揺れたまま
いつものように笑ってみせて
Holland Parkに咲く花が君の肩に触れてるよ
こんなに君を愛してるから

探してた君がこんなにそばにいる
Hold me tight, I sing a song for you
そう君がラブソング


風に揺れてる寂しげな Brown Eyes
傷つくことを恐がらないでよ try & try
oh lonely nights would be happy days
虹の出る丘までいこうよ

#11 結局僕は、スワッグマンに憧れて、スワッグマンになりたい・・・ということか・・・今、気づいた。

2017-09-17 00:02:13 | Weblog


十一曲目。「スワッグマンズストーリー」(singのアルバム Troubles From Heavenに収録)。

swagman〜

オーストラリア各地を放浪して働いた人々のことである。名前の由来は、彼らが棒で肩にかけて吊るしていた所持品や寝具を指すスワッグswagに由来する。彼らの特徴は、ハエから視界を守るために帽子から吊るしたコルクと、荷物に掛けていたビリー(湯沸し道具)である。

〜オーストラリア辞典より抜粋


世界で一番優しい人の話をしよう。
マークの話をしよう。

マークバクストン、オーストラリア人。
ビクトリア州メルボルンの海沿いの街、セントキルダ。
セントキルダの小さな繁華街、アクランドストリートにはカフェやケーキ屋が数多く並んでいる。ショーウィンドウに並べられたケーキの色は、日本人の僕の目には少し毒々しすぎる。
アクランドストリートからカーライルストリートに少し入ると、そこがブレシントンストリートの始まり。並木道みたいな通りをトコトコと歩いていくと、左側に建つレンガ造りのアパートメントにたどり着く。左右交互順番に数えていって、84個目の建物。
僕の部屋は二階。マークの部屋は一階。
ブレシントンストリート84番地。僕はこの場所でマークと出逢った。

僕は時々マークの部屋のドアをノックした。
マークはメルボルン博物舘で働いているのだが、ミュージシャンでもある。
マークの部屋にはエレキギターやベースギターが置いてある。
僕はマークの部屋を訪れては、音楽の話をしたり、マークの曲を聴いたり、僕の唄を聴いたり、ギターを弾いたりしていた。

時々、マークは僕をパーティーに招待してくれた。マークの知り合いの色々な国の旅人に混じって、一緒に朝まで騒いでいたものだった。

マークは時々、手料理を振る舞ってくれた。白くて長いコック帽をかぶって、手料理を振る舞ってくれた。オーブンで鶏を丸ごとを焼いてみたり、野菜のシチューを煮込んでみたり、手料理を振る舞ってくれた。

マークは、マークが働いている博物舘の裏口から僕をこっそりと招き入れて、博物舘の中を案内してくれた。

マークが休みの日には、「ボタニックガーデンへ行こう!」と言い、植物園へ連れて行ってくれた。

一度だけ、僕がマークを招待して、手料理を振る舞った。伝統的な日本料理だ!と言って、天ぷらを振る舞った。
スーパーで魚介や野菜を買い込んで、マークを部屋に招待した。
天ぷら屋を真似てね。一品揚げる毎に、マークの座るテーブルへ運んだ。「エビです」・・・「ナスです」・・・「マッシュルームです」といった具合にね。
マークはひどく喜んでくれた。喜んでくれた証拠に、マークが他人に僕を紹介してくれる機会があると、必ず天ぷらの話を加えて僕を褒めてくれた。「その天ぷらがな、一種類ずつ、順番に、次々とテーブルに運ばれてくるんだぜ!すごいだろ?」と、嬉しそうに語ってくれた。

僕はメルボルンで四ヶ月を過ごした。
そして、マークに別れを告げて旅に出た。はるか彼方、北へ向かった。

つづく。


「Swagman's Story」

頭から被った毛布の裏には
すり切れたあの娘の写真と世界地図
ポケットにはいつもバーボン忍ばせて
胸には何処で拾ったのか赤い薔薇
ラジカセの中の宇宙に見とれてた

Hey Mr.Daddy Swagman 行ったことのない国
目を閉じて空想の中思い描いてた
Hey Mr.Daddy Swagman 気の向くままに生きて
遠い国に憧れて涙を流してる

星の降る夜には恋を語るロマンティスト
It is mine, it is yours too あふれる想い


繁華街の下ではいつもハーモニカ
吹いてりゃ誰もが目を背けてつぶやく
「あんたらいい気なもんね」とOffice lady
「とっとと地獄へ堕ちちまえ」と三揃えが言う
Everybody hate us always like that
いかしたビートでかき消せ on my mind
なぁ!Hey buddy!So c'mon!

Hey Mr.Daddy Swagman ガソリンスタンドの隅
世界地図を広げて踊り明かしたね
Hey Mr.Daddy Swagman 聞こえて来るRockn' roll
東の空を指さして月に吠えながら

笑顔も痛みさえも分け合って過ごした
It is mine, it is yours tooあふれる想い


Everybody hate us always like that
Everyday we do always like that
風に飛ばされた薔薇の花びら
瓦礫の山の上に昇る Honey moon
We can go anywhere, so c'mon!

Hey Mr.Daddy Swagman 行ったことのない国
目を閉じて海風の中思い描いてた
Hey Mr.Daddy Swagman 気の向くままに生きて
風の匂い探しながら歩き続けてく

星の降る夜には不器用だけどロマンティスト
It is mine, it is yours too あふれる想い
笑顔も痛みさえも分け合って過ごした
It is mine, it is yours too あふれる想い

#10 うるせぇオヤジ!とっとと消え失せな!・・・うーん、口が悪いなぁ。

2017-09-16 00:04:48 | Weblog
十曲目。「Justien」(singのアルバムのどれかに収録)。

22歳というのは、どういう歳なんだろうか。

若いといえば若い。
過ぎてしまえば若いが、当の本人は大人な気分でいる。いっぱしの大人な気でいる。
下級生や高校生の群れを眺めなら、「若いなぁ」とつぶやいたりする。

22歳って、いったいなんだ?

今回のライブは、「22歳」をテーマにした。
十一曲目までの全曲と、十八曲目と二十一曲目の曲たちは、ほぼほぼ22歳の時に作った唄だ。


普通は忘れてしまうようなことを、僕は覚えている。なぜならば、唄があるから。その当時に作った唄があるから。
ほとんどのことは忘れてしまうのだけれど、唄が流れると鮮やかに蘇る風景がある。切り取られた静止画のように、映し出される景色がある。
ほとんどのことは、忘れてしまうのだけれどね。

大学の同級生のDBやフジタは、トムクルーズみたいなサングラスをかけていた。トムクルーズみたいなサングラスというのは、あぶない刑事みたいなサングラスのことだよ。

僕は丸メガネのサングラスをかけていた。ジョンレノンを真似て、丸メガネのサングラスをかけていた。
DBは僕のサングラス姿を見て、「シングらしいな」、そう言った。


あれはどこの街だったのだろう?
ビルが立ち並ぶ大きな街だった。あれはどこだっただろう?
僕は、当時付き合っていた彼女に一緒に来てくれと頼まれて、どこかの街へ出かけた。

あれは道端だったのだろうか?歩道にあるベンチだったのだろうか?
向かい側の通りが見渡せる喫茶店の窓越しの席だったのだろうか?
僕は、どこかのビルの回転ドアの向こう側へ消えた彼女が戻ってくるのを、ボンヤリとしながら待っていた。

彼女は回転ドアの向こう側へ何をしに行ったのだろうか?
何かの面接だったような気がするが、定かではない。
僕は、丸メガネのサングラスをかけたまま、回転ドアを見つめながら、新しいメロディを口ずさんでいた。

今にも雨が降り出しそうな、どんよりと曇った午後。

たとえばそんな・・・22歳の僕の切り取られた風景。


無力だったなぁ、と想う。
何も持っていなかった。
何も知らなかった。

何も持っていないのに、どうしてなんでも出来ると思っていたのだろう?
何も知らなかったのに、どうしてどこへでも行けると思っていたのだろう?
不安しかなかったはずなのに、どうして怖いものなんてないと思っていたのだろう?
大して楽しいことなんてなかったはずなのに、どうしていつもケラケラと笑っていたのだろう?
どうして、バカみたいに悩んで、バカみたいに笑って、バカみたいに前を向いていられたのだろう?

僕らがずっと、22歳の心のままでいられるのなら、きっと、今よりももっともっと強くいられるのかもしれない。

あの頃に戻りたいなどとは、カケラも想いはしないが・・・
あの頃の自分に、こんな風に声をかけてやりたかったりはする。

「よぉシング、心配するな。おまえが想ってる通り、人生ってのはまったく悪くないもんだぜ」

22歳の僕はきっとこう返すことだろう。

「うるせぇ!大きなお世話だ!」


「JUSTIEN」

サングラス越しに見る空は 今にも泣き出しそうだし
回転ドアの向こう側には まだ君の姿が見えない
例えば風のように 乾いた風のように
覚めない夢から 君を誘いだせたらいいのに

君の好きなドーナツショップで
オールドファッションも買って来たし
いかしたフレーズを思いついたよ
早く君に聴かせたくて
全てが唄になる 全てが唄になる
例えば君の唇がもらした そのため息さえもね

JUSTIEN... IT'S BRAND-NEW DAY
素敵になれるPLEASE KISS ME!
JUSTIEN... MAKIN' A BRAND-NEW WAY
口笛で吹くRHYTHM & BLUES
雨に濡れてるJESUS今夜も微笑む


街角のアンケートマンのように
嘘が上手で口も上手くないし
ラジオで受けてるDJみたいに
洒落たジョークも思いつかないし
だけど君を守れるよだけど君を愛せるよ
例えばもしも僕が歌えないハミングバードでも

JUSTIEN... IT'S BRAND-NEW DAY
素敵になれるPLEASE KISS ME!
JUSTIEN... MAKIN' A BRAND-NEW WAY
口笛で吹くRHYTHM & BLUES
雨で滲んだVENUS今夜も微笑む


プラットホームの足音 アナウンスが流れる
滑り込んでくるトリックボックス 爆音をあげながら
いくつも辿ってく 地図の上ではしゃぐ
このまま君を 君を連れ去って遠くに行きたい
YOU'LL MAKE ME

JUSTIEN...



#9 天才なのに・・・天才なのに・・・。えっ?違うの?

2017-09-15 00:02:58 | Weblog
九曲目。「Truth」(trash box jamのアルバム Balladに収録)。

ビッグバンのレコーディングの話は書いた。四時間遅刻をした話を書いた。

ビッグバンの最初で最後のレコーディング曲は、シング作の「カウボーイ」でもなく「天使のカウントダウン」でもなく、清水薫作の「Life is true」だったと書いた。


渋谷にある老舗アコースティックライブハウス。そこで清水薫に出逢った。
とてつもない衝撃を受けたと書いた。
そのとてつもない衝撃を受けた曲が、「Life is true」だった。

清水薫の書く曲は難しい。使用されるコードが尋常じゃなく難しい。たとえば、DディミニッシュオンEとか、C#オギュメントオンAとか・・・。いや、知らないし、そんなコード。押さえられないし、そんなコード。嫌だし、嫌いだし、そんなコード。といったコードが目白押し。いや、逆に、ほぼほぼそんなコード。嫌がらせかっつーの。と言いたくなる。

ビッグバンで清水薫の曲を演奏する時、僕はサイドギターを担当していた。
いや、頑張ったよ。相当、頑張った。なんとか弾けないものかと。サイドギターなんだから、難しいことはしなくてもいい。

頑張った結果・・・弾かなかった。いや、弾いていた。ギターのボリュームをゼロにして。
どんなに頑張っても弾けなかったなぁ・・・清水薫の曲。


渋谷のライブハウスで清水薫と出逢って、少し仲良くなって、何度か一緒にライブに出た。

清水薫のLife is trueを聴いて衝撃を受けたと書いた。
その頃の僕は、なんでも唄にしたと書いた。


僕は、清水薫と電話で話していた。

僕は言った。

「Life is trueのアンサーソングを作ったよ」

清水薫は喜んだ。すぐにテープを送ってくれと言った。
僕は出来立てのTruthを、清水薫宛に送った。

数日後、清水薫から電話があった。

「シング・・・すげぇいい曲だよ」

清水薫は喜んでくれた。

僕と清水薫は、唄で会話をしたということになる。

渋谷のライブハウス。
僕の出番はなぜかいつも一番目だった。なせか?出演者の中で一番ヘタッピだったからだ。僕は納得がいかなかった。なぜならば、ヘタッピだけど僕は天才だったからだ。
一回だけ二番目になった。なぜか?それは、僕よりもヘタッピが一番目に出演したからだ。全然納得がいかなかった。なんで天才が二番目なんだよ?と思っていた。
清水薫はいつもトリを務めた。いつだって清水薫の出番は最後だった。なぜか?清水薫は上手かった。歌もギターも上手かった。きっと、誰よりも上手かった。

清水薫は僕を下に見ていたと想う。ヘタッピだから。それは全然いい。全然負けている気はしていなかったけれど、僕は清水薫に憧憬の想いを持っていたから、下に見られても気にならない。

Truthを作ったことで、Truthを贈ったことで、不思議なことに、僕らは肩を並べたような気がする。
ライブハウスの出番の順番は全然変わらなかったけれど、僕と清水薫は同じ目線で接するようになった。そんな気がする。

僕らはとても仲が良くなった。僕らは、友達になった。

清水薫は僕に言った。

「シング、一緒にバンドやろうぜ」

そして、ビッグバンというバンドが出来上がった。

カオル・・・元気か?


「Truth」

夜が明けるまでここにいようよ
悲しいことはもうたくさんさ
朝が来るまで唄っていよう 星を見上げながら
愛想笑いは身に付かなかった
言われた意味が分からなかった
唾を吐き捨て飛び出した夜 今でも覚えてる

your life is true その手を伸ばせば
届くさ信じたものたち
your life is true あきらめてないよね
君は間違っちゃいない

あの唄はもう歌わないのかい?
あてをなくした天使のバラッドを
夜空の下で声を嗄らして 夢まで届くように
顔を腫らして帰った夜に 空を見上げてさよならを告げる
分かってないさ分かってないよ
笑われたって平気さ

my life is true 負けたりしないよ
明日はきっとまたくるさ
my life is true 信じてもいいよね
僕は間違っちゃいない


時の流れに負けないように
そっとつま先で歩いていこう
自分のスタンスで歩けばいい
誰もがこの道の上で 朝を待ってるはずだから

your life is true その手を伸ばせば
届くさ信じたものたち
my life is true 負けたりしないよ
明日はきっとまたくるさ

your life is true あきらめてないよね
誰も間違っちゃいない

オトナの事情によりまして。

2017-09-14 04:41:56 | Weblog
夏のライブが終わったら旅に出る。
それが普通。僕のルーティン。

今日は9月の14日。
今頃は、北海道にいる。明後日は根室のサンマ祭だ。来週末は、羅臼の漁火祭だ。

つまり、今日のブログには「今、帯広の六花亭でサクサクパイを食べています」とか書いているはずだ・・・ということを言いたい。

旅に出る気は満々である。

荷物を留める新しいストラップも買ったし、荷物に被せる新しいネットも買ったし。準備は万端である。

今年は、キタさんが滞在している羅臼に長逗留して、久しぶりにパークゴルフでもしようかと思っている。
久しぶりに礼文島に渡って、一週間くらい何もせずに過ごそうかと思っている。計画も万全である。

今年は久しぶりにこーかたにーさんが北海道を周っている。秘湯巡りに連れて行ってもらおうと画策していたりもする。
コデラーマンが仕事を辞めて放浪するらしいから、ちょっと遊んであげてもいいかなぁ・・・と思っていたりもする。

早く行かねばならない。なぜならば、早く行かねば北海道に雪が降ってしまう。雪が降る前に、行かねば。

僕の愛車シャドウちゃんが聞いてくる。
「いつ出発するんだよ?」


僕は、黙ったまま、畑の片隅にかがみこんで玉ねぎの種を播いている。5000粒くらい播いている。

「まだ行けないんだ・・・」

「今年は行けない・・・かもしれない」

「間に合わない・・・かもしれない」


あぁ・・・旅に出られないなんて、なんてつまらない人生だ。
なんて退屈な人生だ。あぁぁぁ。
闇だ!こんな人生は闇だ。あぁぁぁ。

とかなんとか言っちゃって。

さて、今すべきことをしなくちゃね。
今出来ることを、しなくちゃね。
楽しくないなら、楽しくなる方法を探さないとね。
退屈なんて塗りつぶせ。
ここが闇ならば駆け抜けろ。
人生は一度きり。
時計はチクタクチクタク動いてる。

とかなんとか言っちゃって。

#8 ねぇ、僕のすごいところはどこ?ねぇ、どこ?ねぇ・・・。

2017-09-14 04:04:50 | Weblog
八曲目。「太陽の子供たち」(singのアルバム 99 Generationに収録)。

リクエストが多いわりに、ほとんど歌わない曲。それが、太陽の子供たち。
なぜならば、キーが高い。高すぎる。高すぎて、脳の血管が切れそうになる。
なんでこんなに高いキーに設定したのか?それは、Bメロの転調を弾きやすいコードにしたかったのではないかと、想う。
今回はキーを下げた。相当下げた。下げたら、歌える。下げりゃいいんだよ、下げりゃ。

という、どうでもいいことを書きながら・・・。


僕の人生のテーマは、きっと・・・「すごい人を探す」・・・なのではないか・・・と、想う。
すごい人に出逢うために生きている。
すごい人に出逢うために旅をする。

・・・すごい人に、逢いたい・・・。

心が・・・サワサワと騒ぐ。


22歳の頃に戻る。
DBの話。

隣の部屋に住むDB。
DBは四年生。僕は三年生。
DBは真面目な四年生なので、ほとんど大学へは行かなくて良い。アルバイトをしながら就職活動。
僕は二回目の三年生。失われた二年間を取り戻すべく、普通の三年生よりも多めに大学へ通わなければならないのである。
不公平だ、と僕は思ったりする。二年間サボっていたくせに、そんなことは棚に上げて、不公平だと思ったりしている。22歳だから。

相変わらず僕たちはDBの部屋で毎晩のように語り合っている。

DBが珈琲を淹れてくれる。
僕は一口すすり・・・
「今日はキリマンジャロだね?」と言ったりする。
DBは自分のカップの珈琲をすすりながら、「残念。今日はモカだよ」と言ったりする。
「なるほど、モカか。酸味が強いという意味では遠からずだな。・・・モカね」とブツブツ言ったりしている。

ある夜、DBが僕に言った。

「おれさ、シングじゃないかと想うんだ」

なにが?

「すごい人ってのは、シングのことじゃないかと想うんだよ」

何はともあれ、22歳っていうのは・・・いい響きだ。


DBは大学に入るにあたって福島から上京して来た。
高校の先生が卒業する時に、福島を離れるDBにこう言った。

「すごい奴を探せ。世の中にはすごい奴がたくさんいる。すごい奴を探せ。すごい奴を見つけろ。すごい奴に出逢え。それがお前の人生の糧になる」


DBは、先生が言うそのすごい奴が僕じゃないかと言い出した。

なんで?どうして?
と、僕はDBに聞いた。

「だってさ、シングには夢があるだろ?音楽で食っていくんだろ?」

うん?・・・でも、そういう奴って、世の中にはごまんといるだろ・・・いすぎるくらいにいるだろ?。ほかには?ほかには?

「だってさ、シングはさ、試験を受けに来たのに、試験を受けずにケヤキ広場のベンチで眠ってたりするだろ?」

ねぇ、ねぇ、そういう阿呆代表みたいな話じゃなくて、もっといい話、もっといい話、おれのすごいところ、ないの?

「とにかく、おれは、シングはすごい奴だと想う」

・・・ほかに・・・ないの?・・・ないんだ。


きっと、僕という人間は、たくさんの人の「好意」によって出来上がって来たのだと想う。


僕がまったくちっともすごいヤツではなかったのはいいとして。
僕の人生のテーマは、ここから始まったということだ。


その後、DBがすごい奴を探したのか、見つけたのか、出逢えたのかはわからない。

僕の心の中には、その時のDBの言葉がいつもある。つまりDBの先生の言葉がいつもある。
「すごいヤツを探せ!」

僕はいつもアンテナを張り巡らせている。
「すごいヤツはいないか?すごいヤツはどこにいる?キミか?お前か?アイツか?どいつだ?」

僕は、幸運なことに、たくさんのすごい人に出逢った。たくさんのすごいヤツに出逢えた。
でも、もっと・・・もっと、もっと。

人生は・・・面白い。

いつか、僕も、すごいヤツになりたい・・・という気もしなくはないが・・・なれなくてもいいかな。

なぜならば、僕がスゴクなろうがなるまいが、人生は、このうえなく面白いから。

そんなわけでさ、DBという人間・・・
僕の恩人なのである。

DB、元気か

#7 名乗るほどのものではありませんが、しんぐくんです。

2017-09-08 02:33:35 | Weblog
七曲目。「ロンドンの友へ」(未収録)。

ロンドンの友へ

DBのことを書こう。

僕とロントモを繋いだのは、友人のDBという男だ。

DBって何だ?
DBとは、ディドリームビリーバーのことだそうだ。本人がそう言っていた。

ヤツのバイクはレディージェーンという名前だった。レディージェーンは女性だそうで、だから、女の子は載せない、と言っていた。レディージェーンがヤキモチを焼くからね。と。

ちなみに、僕のバイクの名前はボブだった。
DBは言った。

「ボブ・・・男の名前じゃないか」

僕は答えた。

「そうだよ。だって、相棒じゃないか」

ヤツのバイクは彼女で、僕のバイクは相棒。

ふーん・・・と二人で頷きあった。

僕がDBに出会ったのは十八歳の時だ。
大学の一年生。同じクラスだった。

大学時代、一番多く語らったのはDBとである。
なぜならば、僕とDBはアパートの部屋が隣同士だったからだ。

僕には大学へ行かなかった二年間がある。そのせいでダブったという話は書いた。
二回目の三年生の時に、僕は大学のそばで部屋を探した。
DBは言った。「隣の部屋が空いてるよ」。
相模原市並木町のレモンホーム。家賃3万5千円。

隣の部屋にDBがいる。毎晩のように、DBの部屋で語り明かした。毎晩のように、飽きるほど、DBの部屋で語り明かした。

その頃、僕は名乗るほどのものではなかった。
正確には、名乗る名前を持っていなかった。

ある日、DBが言った。
たぶん、珈琲を飲みながら、DBが言った。

「新宮はすごいよな。だって、歌うために生まれたようなものだもんな」

なんで?

「だって、名前がsingだろ」

!!!

その日から、僕は名乗るほどのものになった。

僕は、singとして歌い始めた。

その日からずっと、今に至るまで、僕はずっとsingなのである。

つづく。

ライオンズポートレート5。配信開始!のお知らせ。

2017-09-07 21:36:38 | Weblog
こんばんは。しんぐくんだ。

音楽配信班のカミーから、ライオンズポートレート5の配信開始の報告が来たぜ。

レコチョク、アップルミュージック、グーグルプレイ、ラインミュージック、アマゾン、全5サイトだ。

ライオンズポートレート5をまだ聴いていない人は、必ずアクセスして欲しいんだ。

ライオンズポートレート5をまだゲットしていないも、クリックして欲しいんだ。

ライオンズポートレート5を持っている人も、全サイトにアクセスして、試聴してみてくれ。

アクセスしたからって何が起きるってわけじゃないけれど、やっぱり、アクセス数は多い方がいいじゃないか、と思うんだ。

ライオンズポートレート5をリリースしてから、なにげに、もう長い年月が過ぎてる。
そろそろ、ライオンズポートレート6の製作でも始めるかなぁ・・・なんて思ったり思わなかったり。ははは。ははは。ははは。どうすっかなぁ。

アクセス、よろしく。

レコチョク


Apple Music


Google Play


LINE MUSIC


Amazon




近日公開予定。のお知らせ。

2017-09-06 02:10:42 | Weblog
ビデオ班カミー。またの名を音楽配信班カミー。

カミーがライオンズポートレート1を音楽配信ストアで管理してくれている話は何度も書いた。
絶賛発売中ですので、レコチョクとかアイチューンストアでチェックしてね。
今年度の決算は諸経費を差し引くと赤字だったらしいよ。ガーン( ̄◇ ̄;)

そのカミーが、今度は、しんぐくんの最新版、ライオンズポートレート5の音楽配信を開始してくれるそうです。

現在審査中とのことで、近いうちに配信開始です。

ライオンズポートレート5を買いたくても買えない人とか、たとえばトモヒロとか、買うなりストリーミングで聴くなりしてみてくださいな。

ではでは、よろしこ。

#6 寝坊して怒られたことが何回ありますか?・・・うーん、数え切れない。

2017-09-03 02:27:44 | Weblog
六曲目。「薔薇色の憂鬱」(アルバム未収録)。

声がガラガラしてますが、YouTubeの薔薇色の憂鬱、ビデオ班カミーがアップしてくれました。

youtube 薔薇色の憂鬱 at 下北沢lown

「薔薇色の憂鬱」の解説については、先日のブログを参照してください。
しんぐくんは、霞を食べて生きているの?そうだよ、霞とナスを食べて生きているんだよ。


ビッグバンのファーストレコーディング、曲は清水薫のLife is true。

自分の曲ではないから、プレッシャーも緊張もない。僕の仕事はコーラスを入れるくらいなものだ。つまり、ワクワクしかない。本格的なレコーディングにワクワクだけで臨めるなんて、最高の気分だ。

そして、僕は脂汗をかきながらバイクを飛ばしている。

電話の音で目が覚めた。電話に出ると、ロントモの声がする。声というよりも、怒声だ。
「シング!何やってんだ!」

時計を見る。衝撃が走る。
「嘘だろ?」とつぶやく。

レコーディング開始の時間から3時間が過ぎていた。残り時間は3時間しかない。
「嘘だろ?」と再びつぶやく。

なんてこった。なんてこった。なんてこった。

ワクワクすると眠れなくなる。そして眠ったら永遠に起きない。
僕の人生は、この繰り返しだ。昔から、ずっと、この繰り返しだ。

trash box jamの元メンのしゅうは言った。
「シングは、寝坊で人生をダメにする」

僕がレコーディングスタジオの扉を開けたのは、レコーディング終了まで残り一2時間となった時だった。4時間の遅刻である。信じられるかい?4時間の遅刻だ。

僕が着いた時、ブースのの中でリョウがエレキギターを弾いていた。

レコーディングは押していた。
ドラムとベースで手こずって、だいぶ時間を使ってしまったらしい。

4時間の遅刻はもう本当に言い訳無用のどうしようもない事態なのだが、自分の出番はまだ来ていないという事実に、僕はホッとするのである。

リョウのギターが終わり、清水薫のアコースティックギターが終わり、清水薫がボーカルを吹き込む。

残り時間が1時間を切ったあたりで、ロントモがブースに入った。ロントモがサックスを吹く。
ロントモ、初のレコーディングである。他のメンバーは、レコーディングスタジオが初めてだったとしても、レコーディングは初めてではない。ロントモはレコーディング自体が初めてなのである。めちゃくちゃ緊張しているのである。全然終わらないのである。時間だけが刻々と過ぎていくのである。

スタジオのエンジニアがちらりと時計に目を走らせる。・・・。ここまでかな・・・という顔をする。タイムオーバー間近なのである。僕はまだブースに入っていない。

残り15分。ロントモが「すまん」という顔をしてブースから出て来た。軽くハイタッチをして、交代で僕がブースに入る。ヘッドホンをはめて靴を脱ぐ。靴を脱ぐのは靴音をマイクが拾ってしまうからだ。80万円のマイク・・・。いいねぇ。

レコーディングを終えたメンバーの姿が、ブースのガラス越しに見える。いいねぇ。
ヘッドホンからは、ここまでレコーディングをしたメンバーの音が聴こえる。いいねぇ。
僕の声がラストピースである。僕の声でこの曲が完成する。・・・すごくいいねぇ。

僕は、歌う。時間はなくとも、歌う。遅刻をしたけど、歌う。
部屋で歌うのとは違う。ライブハウスで歌うのとも違う。ここは、レコーディングスタジオだ。独特の雰囲気。独特の空気。独特の温度。独特の音。独特の響き。独特の景色。初めて知る世界だ。知らなかった世界だ。

僕の歌が上手かったかどうかはわからないが、ロントモは言った。
「シングが歌い始めた時、全身に鳥肌が立ったんだよ・・・すげぇな・・・なんか、すげぇ感動した」

実は、その時、僕の全身にも鳥肌が立っていた。自分に聴こえる自分の声に、鳥肌が立っていた。ロントモの顔が見えた。その瞬間、ロントモが飛び上がりそうに嬉しそうな顔をしたのを覚えている。

僕のレコーディングはあっという間に終わった。なぜならば、時間がなくなったからである。
コーラスの後半のパートは、ブースから出て、ミックスをする小さな部屋でハンドマイクで歌った。
僕は遅刻をしたわけで、まったく文句を言える立場ではないのだが、こればかりは、遅刻をしていなくてもこうなったわけで・・・と、少し笑えた。

こうして、僕らのバンドのファースト作品「Life is true」が完成したのである。

つづく。

#5 僕はこうして人生を学んで来た。多くの仲間たちのお陰である。

2017-09-01 13:38:19 | Weblog
五曲目。「Bye Bye Buddy」(trash box jamのアルバム Balladに収録)。

僕は、すごい勢いでバイクを飛ばしていた。必死の形相である。バイクはHONDAの250cc、単気筒のクラブマン。ドコドコドコとエンジンを震わせて走っていた。

なぜ必死の形相でバイクを走らせていたのか?
その訳を書く。

まず余談から。
清水薫と出会ったのは二十歳か二十一歳の頃。
清水薫の簡単な経歴を。
清水薫は高校を中退していた。高校を中退して、音楽を目指し小さなメジャーレコード会社と契約をするに至った。至ったのだが、音楽の方向性でレコード会社と揉め、レコード会社と袂を分かってしまった。まだまだヤンチャな十代の頃の話である。

僕は言う。
「なぁ、カオル、おまえは尾崎みたいだな」

尾崎とは、尾崎豊のことである。

僕は尾崎豊が好きだったから、尾崎みたいでかっこいいな、という意味である。

「尾崎みたいって言われるの、好きじゃねーんだよ」

清水薫は少しプンプンしながら答える。

・・・。

だって、尾崎みたいじゃん!中退してるし!中退してレコードと契約してるし!何より、おまえが書く曲の歌詞、尾崎みたいじゃん!

と言いたかったが、そこはぐっと抑えた。

ここまで余談。


4トラックのレコーディングについては前に書いた。
アマチュアってのは、みんな4トラックでレコーディングしていたという話は書いた。
だがそれは、自分で録音をする場合という注意書きが必要となる。

レコーディングスタジオというものがある。
練習スタジオではなく、録音を専門に行うスタジオである。ここに行けば、4トラックに縛られることはない。16トラックの録音が行える。そう、金さえ払えば。一曲10万円くらい払えばね。

憧れのレコーディングスタジオ・・・なのである。

さて、僕らのバンド、ビッグバン。

レコーディングをしようという話になった。格安レコーディングスタジオというのを誰かが見つけて来た。6時間で4万円。
そこそこのレコーディングスタジオの相場は1時間2万円くらい。つまり、6時間で4万円は格安なのである。
6時間あれば一曲録れる。録れる思われる。録れるはずである。

レコーディングをすることが決まり、日付も決まった。
一つ問題がある。曲である。何をレコーディングするかということである。一曲しか録れない。
ビッグバンには二人のソングメーカーアンドボーカルがいる。清水薫と僕である。

さて。

清水薫が言う。

「シング、わりーんだけどよ、今回レコーディングする曲はオレの曲にしたい。いいか?」

僕は僕で、自分の曲にしたいという気持ちがないわけではない。だがしかし、こういう時は、何しろ、我の強い方が勝つと決まっているのである。
うまり、バンドのメンバーの意見とか、民主主義とか、投票しまーすとか、そういうのは・・・ない。とにかく、我が強いやつが勝つ。

そんなわけで、レコーディングをする曲は、清水薫の「Life is true」という曲に決まった。

つづく。