昔、「生きるとは・・・日々を費やすことだ」とある詩人が詠った。それはその詩人が人生の中で探し見つけた答である。
日々を費やすとは、きっと日々を懸命に生きるという意味なんだろうと思う。いささか分かりにくい表現なのだが、詩人とは分かり易いことも分かりにくく語るのが商売みたいなものなので仕方があるまい。
最近、その詩人がその言葉をふと思い出す。「生きるとは・・・日々を費やすこと?」。長い時を経て、いつか見つけたはずの答に疑問が生ずる瞬間である。詩人は、かつての自分自身に問う。「それはちょっと違うんじゃないか?」
懸命に生きている人を見る。懸命に生き、日々を費やしている。それが生きるということであり、かつての詩人の見つけた答に相違はない。
がしかし、詩人は想う。
懸命に生きる人よ・・・
費やした瞬間を、ちゃんと刻み込んでいるだろうか?
費やした日々を忘れ去ってしまってはいないだろうか?
振り返った時に、懸命に生きた瞬間の気持ちを思い出せるのだろうか?
そして、詩人はつぶやく。
「生きるとは・・・日々を心に刻み込んでいくこと」
そして、詩人はさらにつぶやく。
「向こう五年くらいは、この方針でいってみよう」
詩人というのは、いつでも、どうでもいいことをグダグダと考え、くだぐたと語るものなのである。