ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

珈琲はいかが?8

2016-02-28 04:14:17 | Weblog
紅茶を美味しく淹れるには、100度のお湯で茶葉をジャンピングさせて・・・とか、よく聞く。

日本茶は一般的に80度くらいか。玉露の甘みはは60度くらいとか。カテキンとかアミノ酸等々、抽出の温度の違いによって、出てくる成分が違うとかなんだとか・・・聞く。

寒い冬、凍える身体を暖めたい。
熱いコーヒーを一口。
温まったカップを両手で包み込み、暖をとる。
白い息を吐きながら、湯気の立つ熱いコーヒーを一口。

コーヒーって、いいですよね。ほんとに。


引き続き、ボスキャラおば様のお店の話。


勝手に弟子になった僕に、おば様は尋ねてくる。

「淹れ方は?」

最近はペーパードリップなので、そう答える。いちいちドキドキするのである。

おば様は深くうなずく。
どうやら、これは正解の範囲内だったらしい。

そして、次の質問である。

「お湯の温度は?何度で淹れてるの?」

コーヒーなんて、熱い方がいいに決まってるじゃないですかぁ!そうでしょぉ!そうでしょーがぁ!
ふーふーしながら飲むんですよ!ふーふーしながら飲んで、徐々に冷めていって、飲み頃になって、「あぁ、美味しい」なんてつぶやくのがコーヒーの醍醐味でしょーがー!
と僕は思っているので、ずばり答える。

「沸かしたてです。ズバリ100度です」

はい、ここが弟子ポイントです。

おば様師匠、即座にこう言うのです。

「ダメね。はぁ・・・全然ダメ。珈琲の香りが死んじゃうわよ。あなた、全然ダメ」

いや、聞かれた時に予感はしたんだけどね。ははは。もう弟子だからね。怒られるところは怒られておこうと。

世の中、知らないことだらけである。楽しいのである。

何度がいいんですか?と聞くと、おば様はこう答えた。

「・・・70度。うん、70度で淹れた珈琲が、一番美味しいわ」

もう、こりゃあ、温度計を買うしかないのである。

それにしても、70度って低すぎやしないだろうか?
70度のお湯をペーパードリップで落として珈琲を淹れるということは、落ち終わった珈琲の温度は何度になっているのか?というところが問題だろ。

何度か70度の珈琲にチャレンジしてみた。

うーん、温い。ぬるすぎる。ふーふー要らない。全然暖まらなーい。寒いぃ。寒いぃ。

色々調べてみると、85から90度で淹れている人が多い。
中には、温めの温度で通常より濃く淹れて、出来上がりに熱いお湯を足すというのもある。
温度をとるか、味と香りをとるか、その両方をとるか。まぁきっと、それは「好み」だ。


話は変わるが、珈琲の淹れ方の中で、珈琲を一番美味しく淹れる方法は「水出し」と云われる。
水をポタポタと落とし、丸一日かけて水をポタポタと落として淹れる方法である。

世間一般の評価において、水出し珈琲が一番美味しいと云われるのならば、珈琲の抽出温度は低ければ低いほど良い、ということになりはしないか。

そうやって考えると、師匠のいう「70度」というのは、冷たくもなく、ホットコーヒーとして飲めるギリギリの温度の選択、と言えなくもないような気がしなくもない。

さすが我が師匠・・・と、言わざるをえない。

きっと、みんな、こんな風に、珈琲が持つ味や香りのために、いろんなことと格闘しながら、方法を探っているのだうなぁ・・・

なんて思うと、この世界にある「深さ」ってやつが、楽しくて仕方がない、僕なのである。

つづく。

珈琲はいかが?7

2016-02-27 05:52:29 | Weblog
ブラジルのサントス港から出荷された珈琲豆は、すべて「ブラジルサントス」という名で呼ばれる。

「ブラジル NO.2 M18」という銘柄の珈琲豆がある。これは名前なのだろうか?
ブラジルの珈琲豆のランクはNo.2が最高評価。なぜなら、自然のものである限り、完璧なものはありえない。つまり欠陥豆が混入している可能性は否めない。してからに、No.1は無しにして、No.2が最高評価となっている。M18は珈琲豆のサイズを表す。M18より大きい豆はM19。
ということは、「ブラジル NO.2 M18」にも、「ブラジルサントス」の中にも、珈琲の種類の名前は入っていないということになるのだが・・・。

例えば、この珈琲を飲んで、この珈琲が好き!となって、この珈琲を買いたい!とか、また飲みたい!とか、人に薦めたい!とか思った場合、どうしたらいいのだろう?

ブラジルのどこの農園のなんていう種類の珈琲豆?
と聞かれることになるんじゃないのか?

というのが、最近の悩み。


ボスキャラのおば様がいる珈琲豆専門店の話。

コロンビアってコーヒーはないとか、ブラジルって名のコーヒーはないとか。
よくよく考えてみればそうだ。キリマンジャロはタンザニアのコーヒーだし、ブルーマウンテンはジャマイカのコーヒーだし、マンデリンはインドネシアスマトラのコーヒーだった気がする。

コロンビアとかブラジルって、おかしいじゃないか。そりゃあそうだよ、おかしいじゃないか。
まぁいい。ひとつ勉強になった。

おば様は畳み掛けてくる。

「珈琲、好きなのね?なんの珈琲が好きなのかしら?」

ここでおかしな回答をするわけにはいかない。もう既に出鼻は挫かれている。
何も知らない素人だと気づかれてしまう。
いや、僕は何も知らないトーシローではないはずだ。
長年培ってきた「エセコーヒー好き」というプライドだってある。
いや、最近はほんとに、コーヒーが好きなのだ。
美味しい珈琲に目覚めたのだ。
大体からにして、「美味しい」なんていうのは主観なわけで、自分が美味しいと思えば美味しいわけで・・・。
そうそう、ポツネン珈琲スタンドの珈琲は美味しいと思うわけで。
始まったばかりのニュー珈琲ライフを、僕は存分に楽しみたいわけで。
いやぁぁぁぁ、ダイジョウブかしらぁぁぁ。

「同じ轍は踏まない」
これは、重要なことである。
ここで「ブラジル」とか「エチオピア」なんて言わない。
だからといって、守りに入ったりはしない。
いつも正直に、いつも等身大で、が信条。

一応、心の中で確認する。

キリマンジャロは大丈夫だよな。

キリマンジャロって言っても大丈夫だよな。

前にも書いたが、最近、キリマンジャロをよく飲んでいる。
スーパーマーケットで買ったクズ豆もキリマンジャロ。ポツネン珈琲スタンドで買った豆もキリマンジャロ。

大丈夫、大丈夫。僕は答える。

「キリマンジャロ、好きです」

へへへ、言っちゃった。キリマンジャロ、ラブ。
へへへ、キリマンジャロ、美味しい。


おば様の反応である。

まず、はぁぁ、とため息をつく。

なぜだろう。

そして言う。

「うちの店はキリマンジャロは置いないのよ」

なぜ置いていないのだろう。なぜだろう?

「なんでですか?なんで置いてないんですか?キリマンジャロ!タンザニアのキリマンジャロ!」

と僕は問う。おば様に問う。

おば様は一言、こう言った。

「だって、美味しくないから」


僕はさ、その時、凍ったみたいだよ。
カチコチーン、ってね。
人って、凍るんだね。
ビックリしたよ。

そして、僕は、その瞬間から、おば様の弟子になったと。

そういう話。

言ったよ。本当に。
「弟子にしてください!」って。

心の中で。

つづく。

マコ先生へ。

2016-02-26 03:55:14 | Weblog
ふしぎだ・・・と武蔵が呟く。

おじさん、何がふしぎ?・・・十一歳の城太郎が聞く。

「中国を出て、摂津、河内、和泉と諸国を見て来たが、おれはまだこんな国があることを知らなかった。・・・そこで不思議といったのだよ」

「おじさん、どこがそんなに違っているの?」

「山に樹が多い」

「樹なんか、どこにだって沢山生えているぜ」

「その樹が違う。この柳生谷四箇の庄の山は、みな樹齢が経っている。これはこの国が、兵火にかかっていない証拠だ。敵の濫伐をうけていない証だ。また、領民や民が飢えたことのない歴史をも物語っている」

「それから?」

「畑が青い。麦の根がよく踏んである。戸毎には、糸を紡ぐ音がするし、百姓は、道をゆく他国の者の贅沢な身装を見ても、さもしい眼をして、仕事の手を休めたりしない」

「それだけ?」

「まだある。ほかの国とちがって、畑に若い娘が多く見える。・・・畑に紅い帯が多く見えるのはこの国の若い女が、他国へ流れ出ていない証拠だろう。だからこの国は、経済にも豊かで、子供は健やかに育てられ、老人は尊敬され、若い男女は、どんなことがあっても他国へ走って、浮いた生活をしようとは思わない。従って、ここの領主の内福なことも分かるし、武器の庫には、槍鉄砲がいつでも研きぬいてあるだろうという想像もつく」

「なんだ、何を感心しているのかと思ったら、そんなつまらないことか」

「おまえには面白くあるまいな」

「だって、おじさんは、柳生家の者と試合をするために、この柳生谷へ来たんじゃないか」

「武者修行というものは、何も試合をして歩くだけが能じゃない。一宿一飯にありつきながら、木刀をかついで、叩き合いばかりして歩いているのは、あれは武者修行ではなくて、渡り者という輩。ほんとの武者修行と申すのは、そういう武技よりは心の修行をすることだ。また、諸国の地理水利を測り、土民の人情や気風を覚え、領主と民のあいだがどう行っているか、城下から城内の奥まで見きわめる用意をもって、海内隈なく脚で踏んで心で観て歩くのが、武者修行というものだよ」

(吉川英治「宮本武蔵」より)


武者修行が・・・したい。

(しんぐ「おれ、武者修行がしたい」より)

春なのにぃ。

2016-02-26 03:08:40 | Weblog


あぁ、もう春だなぁ。やっと春が来たなぁ・・・と思いながら過ごしていた今日この頃。

なんだか今日は冷えるなぁ・・・などと思う。

もう春だから、湯たんぽも入れず、ダウンパンツも履かず。

おかしいなぁ、もうすぐ三月、春なのに冷えるなぁ・・・などと思う。

あんまり冷えるから、仕方がない、外へ出てお湯でも沸かすか・・・などと思う。

おかしいなぁ。外の水道が凍っていて水が出ない。むむむむむ。

なんだか、何もかも凍っているような気がするんだよなぁ。ウッドデッキもテーブルも薪ストーブも。木々も葉っぱも、月でさえも。

おかしいなぁ。春なのに、マイナス6度ってのは、どういうことだろう。

おかしいなぁ。おかしいなぁ。おかしいなぁ。
春なのに。春なのに。春なのにぃ。

珈琲はいかが?6

2016-02-25 03:34:23 | Weblog


こーかたにーさんからメールが来て、「川越に北海道が来てるよぉ!」とのこと。

意味がわからない?

意味はわかるよ。

つまり、こういうこと。

川越の某百貨店で北海道物産展が催されていて、北海道道東が誇る最高のスィーツ、弟子屈の「くりーむ童話」のジェラートが食べられるよ!行っておいで!

ということなのである。

かれこれ、二年半ほどご無沙汰なのである。くりーむ童話のジェラート。食べたいのである。美味しいジェラート。

というわけで、出掛けた。

というわけで、食べた。トリプル。

美味しいなぁ、くりーむ童話。

・・・

本題はここから。

某百貨店の裏口から外へ出ると、そこに珈琲豆屋があった。
珈琲豆屋である。喫茶店ではない。
「珈琲は飲めません」と書いてある。

最近、珈琲好きのシングくんである。なんとなーく、ちょっと珈琲ってやつの影が見えてきたような気がするシングくんである。

珈琲豆屋に入店するのである。

店に入るなり芳しい香り。さすがは珈琲豆専門店。

店の奥の方に珈琲の生豆が置いてある。
「わぁぁぁ、生豆、初めて見たぁ」と、心の中で想いながら、「エメラルドグリーンじゃーん」と心を踊らせながら、キョロキョロと豆を見て回る。

何かお探しですか?と聞かれる。

いや、別に、探してるってほどではないんで、大丈夫でーす。くらいな感じで店内を見て回る。

こういう店では、紅茶の葉っぱを売っている店なんかとは違って、置いているすべての種類の珈琲豆を売っているわけではない。その日に焙煎した豆だけを売っている。そうじゃなければ、珈琲豆専門店の意味がない。

ポツネンさんの珈琲スタンドも、今日はブラジルですとか、今日はキリマンジャロとコロンビアですとか、そんな感じだ。

「今日の焙煎豆」コーナーを見ていた。

お値段はそこそこ。安くはない。が、買えなくもない。どちらかというと、買う。買うに決まってる。

小洒落た感じのおば様が声を掛けてくる。

僕は今日の焙煎豆コーナーに置いてある「コロンビアハニー」と書いてある豆を手にとって聞いた。コロンビアハニーってなんですか?ハニーってなんですか?

僕が欲しいのは、「コロンビア」という豆。ポツネンさんの珈琲スタンドで飲んだ。やっぱり、良い豆を購入するなら、比較しながら飲んだ方が楽しい。だから、僕は、「コロンビア」を買って帰りたい。

おば様は言う。

「コロンビアハニーは、コロンビアハニーという種類の豆よ」

僕は言う。

「コロンビアって豆が欲しいんですけど、コロンビアは置いてないんですか?」

おば様は言う。

「あのね、コロンビアなんていう珈琲豆は無いの。コロンビアは国の名前でしょ?必ず、コロンビアの後にその珈琲の種類の名前がつくのよ」

え!!!?そうなの?えっ!!!そうなの?

僕は言う。

「喫茶店とかで、珈琲専門的なお店とかで、ブラジルとかコロンビアとかってメニューに書いてあるじゃないですか?あれは・・・何?」

おば様は言う。

「あぁいうのは、全然ダメね。わかってないんじゃないのかしらね。・・・珈琲を」


強敵、現れました。いきなり、珈琲界のボスキャラみたいなおば様の出現です。いきなり、強烈な個性が炸裂しています。
レベル2になったばかりのシングくん、ピンチです。果たして、太刀打ち出来るのでしょうか!

つづく。

珈琲はいかが?5

2016-02-24 03:00:34 | Weblog
ふむふむ。なのである。

「ここの喫茶店の珈琲は美味いんだよ」

とか、

「やっぱりマスターの淹れる珈琲は美味いね」

とか、

そういうの、ちょっとわかりかけてきた僕なのである。

コーヒーとなんて雰囲気で飲むものだと思っていたということだ。
アンティークなカフェとか、ブックカフェとか、古民家カフェとか、そういうちょっといかした場所で、雰囲気とともに飲むコーヒーが美味いと、ね。

今さら?とか、そういうのは言いっこなし。
今わかった、というのが、とても大事。

珈琲の淹れ方、知ってる?

おれ、知ってるよ。

ペーパーフィルターに挽いた豆を入れて、お湯をかけて、40秒くらい待って蒸らす。そんで2回くらいにわけてお湯をのの字を描くように注ぐ。はい、出来上がり。

知ってる。知ってる?知ってた?

これ、間違い。これは、絶対にやってはいけない。

いやぁ、まいったなぁ。まいったよ。晴天の霹靂。


ポツネン珈琲スタンドで買ってきたキリマンジャロを、家で淹れてみた。

「うんうん、近い味!」

素人マスターが淹れても美味しい珈琲になった。
やっぱり豆なんだなぁ、と実感。ちょっと幸せな気分になったのである。

そんでもって、僕はスーパーマーケットへ出掛けた。

ポツネン珈琲スタンドの豆は滅多に買いに行けないので、そこそこ美味しい豆を我が家に常備しておきたいのである。

「あはは!クズ豆!まだ売ってやがる!」と、この前買ったクズ豆をバカにしながら、高級豆ゾーンに目を配る。

しかし、あれだな。スーパーマーケットってのは、庶民をバカにしてるんだな。なんとなく。
全然欲しい豆がない。「金に糸目はつけません」的な心で臨んでいるのに、さっぱり心が惹かれない。

変なブレンド豆は山ほどある。変なブレンド豆しかない。
変なブレンド豆は欲しくないのだけれど、このままだとポツネン珈琲スタンド豆をあっという間に消費してしまうことになり、せっかくの珈琲ライフが尻すぼみになってしまうので、買った。

なんちゃら珈琲店の有機栽培豆。200グラムで900円くらい。スーパーマーケットの豆の中では高いやつ。
1キロで1500円とかの大手メーカークズ豆スペシャルブレンドに一瞬だけ心を持って行かれそうになったけど、そういうのはもう絶対に買わないって決めてますから。

話は変わって、ポツネンさんに僕は聞いた。
「豆を蒸らす時間はどのくらいですか?」
ポツネンさんはこう答えた。
「時間というか・・・豆が沈んだらオッケーですよ」

豆が沈んだらぁ?

ポツネン珈琲スタンドのキリマンジャロ。
お湯を注ぐとプワーっと膨らむ。プクプクと泡を立てながらプワーっと膨らむ。
しばらく待つと、膨らんでいた珈琲豆がスーッと沈んでいく。

なるほどね。豆が沈んだらね。なるほどね。秒数とかじゃないわけね。なるほどね。知らなかったなぁ。

豆は膨らみ、豆は沈む。

話は戻って、スーパーマーケットから帰ってきた。
早速買ってきたばかりの有機栽培ブレンド豆を淹れてみる。

ん?あれ?あれれ?

あれ? 声が、遅れて、聞こえるよ、といういっこく堂のリズムで読んで欲しい。

「あれ? 豆が、全然、膨らまないよ」

有機栽培ブレンド豆、味は、可もなく不可もなくなんじゃないでしょうか。ただ、珈琲ではなく、コーヒーであることには違いなく思え、それはなぜなのかと問えば、それは豆が膨らまないからと、言えなくもなさそうなわけで。。。

調べてみると。

珈琲豆というのは、焙煎してから二週間が美味しく飲める限界。焙煎仕立ての豆には炭酸ガスが含まれ、お湯を注いだ時に大きく膨らむ。炭酸ガスが多く出れば出るほど、珈琲豆が新鮮な証拠である。

ふーん・・・へぇぇ。

つまり、スーパーマーケットの豆は、絶対に膨らまない。

珈琲はいかが?4

2016-02-23 02:19:04 | Weblog
数ヶ月振りに、再びポツネン珈琲スタンドを訪れた。

例によって、丁寧に珈琲を淹れてくれるポツネンさんなのである。珈琲を淹れている間は、話し掛けないことにした。なぜなら、珈琲を淹れるという作業に必要なのは集中力らしいと、僕の脳味噌がなんとなく判断したから。

ポツネンさんが淹れてくれたキリマンジャロ。一口飲む。

うーーーん・・・うちのコーヒーとは違う。

何が違う?・・・何もかもが、違う。

こちらは美味しいが、あちらは不味い。

ポツネンさんに尋ねてみる。
これこれこういう訳で我が家でもキリマンジャロを淹れたてのだけど、まったくの別物だと。何故かと。なんでなのかと。

すると、ポツネンが僕に問う。

豆はどこで買いましたか?

スーパーマーケットです。

いくらでした?

200グラムで250円の超スーパーお買い得品です!プライベートブランドのコーヒー豆よりも断然安い超お買い得ラッキー商品ですよ!やるなぁ、オレ!

ポツネンさんは、少し困ったような顔をしてこう言った。

・・・それは駄目ですよ。

・・・それは、俗に言うクズ豆というやつです。

つまり、ポツネンさんの言葉を僕なりに意訳すると、こういうことだ。

「そんなクズ豆には淹れる価値も飲む価値もないので、とっとと捨てちまった方がいいですよ」

つまり、たぶん、こういうことでもある。

「大量生産の社会の中からあぶれてこぼれ落ちたクズ。それを売って商売にするというクズがいて、それを買うクズもいる。安いぜ!イェーイ!と喜んでいるバカちんがいるから社会が腐って腐って腐っていくんですよ」

ひどいよ、ポツネンさん。ひどすぎるよ。。。ポツネンさん。

無論、ポツネンさんはそんなことは言わない。ポツネンさんは至って穏やかな人だ。

「なんてこった」と途方に暮れている僕に、ポツネンさんは言う。

うちで売っている豆、200グラムの生豆を焙煎すると水分が飛んで150グラムになるんです。うちの豆は150グラムで1200円で売ってます。200グラムで250円の豆との差は、あると思いますよ。

そんなわけで、ポツネン珈琲スタンドからの帰り道。
僕は150グラム1200円のキリマンジャロの豆を胸に抱えながら鼻歌を歌っていた。

ふふふふん、ふふふふーん、らーららららー。

「やっぱりねぇ、美味しい珈琲を飲みたきゃ、いい豆を使わないとねぇ」

ふふふふーん。らーららららー。

珈琲はいかが?3

2016-02-22 04:27:33 | Weblog
さて、美味しいコーヒーを飲むと、美味しいコーヒーが飲みたくなる。

さて、では、どうすっかな。淹れるかな。珈琲を。自分で。

ここ何年か、ドリップコーヒーを個別包装したやつ、モンプチみたいなやつ、そういうのばかりを飲んでいた僕なのである。それか、インスタントコーヒー。つまり、ネスカフェ。

さて、美味しい珈琲を淹れたい。どうすっかな。

どうすっかな?とは、どうやって淹れるかな?ということである。

かつてのサイフォンは、とうの昔に捨ててしまったが、そこそこのものはある。コーヒーメーカーはある。コーヒーミルもある。フレンチプレスだって出来る。パーコレーターもある。が、やはり、ここはオーソドックスなペーパードリップでいきたい。

さて、豆だ。コーヒー豆だ。豆を買いに行こう。スーパーマーケットへ行こう。

さて、豆を買ってきた。
ポツネン珈琲スタンドでキリマンジャロを飲んだから、スーパーマーケットでキリマンジャロを買ってきた。

丁度手に入れたばかりのミルサーがある。これをコーヒー豆専用にしてしまおう。ということで、豆を挽く。そこそこ粗く挽く。珈琲は、粗く挽いた方が美味しい。はず。

ポコポコと湯を沸かす。

燕三条メイドの珈琲専用、先細湯口のケトルである。amazonで買った。二千円くらい。

ふふふふん、と鼻歌を歌いながら、湯を注ぐ。

ふふふふん、と鼻歌を歌いながら、淹れたてのコーヒーを啜る。

わぁぁぁぁ、美味しい!・・・とは、ならない。

ん?
なんでだ?

挽き立て、淹れたてのコーヒーが、美味しくない、なんてことがあるんですか?

つづく。

珈琲はいかが?2

2016-02-21 05:25:42 | Weblog
とある町の住宅街に、ポツネンとお店がある。

これは果たしてお店なのか?といった具合である。

小さな文字で「コーヒー」と書いてある。

喫茶店ではない。カフェでもない。

築60年ほどの一軒家の一角。二坪ほどのスペース。そこは昔、豆腐屋さんがあった場所だという。

コーヒーと書いてあるからには、頼めばコーヒーが出てくるのであろう。よくはわからないが、きっとコーヒーが出てくるのであろう。

ちなみに、我が家の庭には「はちみつカフェ」と看板を出しているのだが、コーヒーは出てこない。そういう展開も、あり得なくはない。

窓硝子をガラガラと開ける。扉ではなく、窓ガラス。入店する方式ではない。窓越しに注文をする方式である。たぶん。

物静かそうなお兄さんがペコリと頭を下げる。

「珈琲を、ひとつ、頂いてもよろしいですか?」


大きな看板を出すわけでもなく、派手な照明を点けるでもなく、音楽を鳴らすわけでもなく、住宅街にひっそり、ポツネンと佇むコーヒースタンド。

丁寧に淹れられた珈琲、テイクアウト用のプラスティックカップに入った珈琲を、道路側を背にして、店側を前にして、小さなベンチに座って飲む。
視界に入るのは、築60年の建物を一部改装した元豆腐屋の一角だけである。なかなかの風情が漂う、タイムスリップである。

お客さんは・・・そうは来ないように思える。

スターバックスは大賑わいでも、この店は賑わない。だって、ポツネン、としているから。

このポツネンさを楽しむ心のある人がそうはいないということ、それはこの現代社会が抱える大きな問題であると思える。
このスローに流れる空間と時間を、唯一無二だと気づくことができない人々が暮らす世界など、消えてしまえばいいのに、とさえ思える。
と言うのは、僕の側の話であるので、実際の世界とは関係がない。

朝の10時から開店の準備をして、11時に店を開けて、夕方に初めてのお客さんが来たりします。

物静かな店主が言う。

僕は、大宮駅前の路上で、ハガキを売って生計を立てていた事があるという話を、店主に向かってしていた。

なぜだろうか・・・このポツネン珈琲スタンドが、なんだか、平日の夜のポストカード売りに似ているような、そんな気がした。

お客さんなんて全然来ない。寒い。お客さんなんて来ない。誰も立ち止まるはずがない。寒いなぁ~。

でも、帰らない。薄暗い夜の中、駅前に葉書を乗せた風呂敷を広げて座り続ける。なぜなら、僕は道端の葉書売りだから。

こんな夜にはきっと、飛び切りの出逢いが待っているはずだ・・・そんなことを想いながら、ずっと道端に座っていた。

珈琲売りの兄さんと仲良くなった。

僕は、葉書を売りに行きたくなった。

珈琲売りの兄さんを見ていたら、僕は、僕の葉書を売りに行きたくなったんだよ。
ポツネンと道端に座って、ポツネンと、僕の言葉を売りに出したい。

そうだ・・・あの頃の僕に足りなかったのは、ポツネンとしたココロだったのかもしれない。
ポツネンと座っていたくせに、ココロはちっともポツネンとしていなかった。

珈琲売りの兄さんが淹れてくれたコロンビアを飲みながら、僕はそんなことを想っていた。

ポツネンって・・・ちょっといい感じだと想う。

つづく。

珈琲はいかが?

2016-02-20 05:37:59 | Weblog
珈琲の話を。ひとつ。ふたつ。

大学生の頃、珈琲に目覚めた。
たぶん、それは、「珈琲が好き」とか、「珈琲を語る」ってのが格好が良いと思っていたからだと思う。

フラスコとビーカーを組み合わせたような形をしたサイフォンでポコポコと珈琲を淹れる。アルコールランプでポコポコと珈琲を淹れる。
「うーん、やっぱりモカは酸味が効いていて美味しいね」
などと、珈琲を愛する友と語ったりするのが格好が良いと思っていたのだと思う。
サイフォンのある部屋が格好が良いと思っていたのかもしれない。
だって、サイフォンで珈琲を淹れると、いちいち布のフィルターを洗わなくきゃいけなくて、凄く面倒臭い。逆に、それが面倒で珈琲を飲む回数が減るといった現象まで起きたりする。
でも、サイフォンがある部屋は格好が良い。

学生時代、アパートの隣の部屋に住む友人がよく珈琲を淹れてくれた。
「うーん・・・今日は、モカだね?」
おっ、さすが、当たり。
「うーん・・・これは酸味があるけどモカではないな・・・キリマンジャロだね?」
おぉ、さすが、当たり!

とかなんとか言っちゃって、そういう遊びをしていた。

あそこのコーヒーは美味いだの不味いだのと言いながら、デニーズの煮詰まった珈琲を10杯も20杯もおかわりしていた頃のことである。

今振り返ると、「くだらない時代」である。
が、しかし、くだらない時代が大切なのである。
そもそも、人生とは、くだらない時代の積み重ねなのである。

最近、何にはまってますか?と誰かに聞かれたら、こう答える。

「最近、めっちゃ珈琲にはまってるんです、はい」

そう、僕は、今までの人生、珈琲の事なんて何も知らなかったと、気づいてしまったのである。

つづく。

はちみつカフェ。開店です!

2016-02-05 02:53:28 | Weblog


午後、強烈に暖房が効いた部屋。窓際の席には日差しが燦々と降り注いでいる。その日差しをまともに受けながら、僕はひどく汗をかいている。眩しい。眩しすぎる。。。

教室にはざっと数えて130人ほどの人がいる。130人ほどの大人が、静かに講義を聞いている。ちらりと辺りを見回すと、何人かは寝ている。僕も睡魔と戦い続けている。6時間も。

昨夜はとうとう眠れなかった。早起きのプレッシャーのせいかもしれないが、昼間に2時間ほどウトウトと眠ってしまったせいである。俗にいう、調整失敗というやつである。

例えば長時間の運転とか、例えば長時間の講義とか、そういうのの前にはたっぷりの睡眠が必要なのである。そんなことは分かりきったことなのに・・・である。

130人の受講者の中で、ただ一人、懸命にノートをとる人物がいる。それは僕である。大して興味のある内容ではないし、重要なことであるとも思えないのだが、ただひたすらにペンを動かし続けているのである。
周りの人はこう思ったことだろう。「こいつ、なんてやる気のある奴なんだ!」
でも違う。やる気なんかない。これは、僕の、眠らないための作戦なのである。

そのうちに、僕は木工細工の設計図を書き始めた。デッサンである。「ここは2300ミリだとして、そうするとここに450ミリの筋交いが必要になるから・・・」といった具合である。それもすべて、眠らないための涙ぐましい努力なのである。

なぜなら、講習の最後にテストがあり、テストでひどい点を取った人には罰を与えると、冒頭の挨拶で先生が述べていたからである。

6時間。昼休みを入れて7時間。

講義の最後にテストが行われた。眠らなかったのは、このテストのためでもある。
配られたテストを一瞥して思った。「やっぱりな」。至極簡単な、誰でも分かるような問題が五つ。まぁ、そんなことだろうとは思ったけど。

そして講師の先生が言う。
「わからない問題があったら、テキストを見ていいですからね」

・・・もう、テストですらないじゃないか。。。

まぁ、そんなことだろうとは思っていたけどね。

そんなわけで、睡魔との6時間の格闘の末、手に入れた資格であります。

「食品衛生責任者」

飲食店でよく見かける、あの黒いボードも頂きました。はい、なんだか感慨深いのです。

家に帰ってきて、チラッと黒いボードを見るたびにこう思っているのです。

「で、これ、どうすんの?」

使い道、あるのかなぁ?