ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

雨に興味はありますか?

2020-08-22 18:02:00 | Weblog


雨を見るのが好き。
いや違う。
雨が降ってるのを見るのが好き。
いや違う。
遠くで雨が降ってるのを見つけるのが・・・好き。

これだ。これが正解だ。

遠くの雲から、雨のカーテンが地上に降りている。そんな風景が好き。

オーストラリアを車で旅している時、見渡す限りの荒野を走っている時、「あっ、雨だ!」と、時折その風景に見惚れたりした。
走る先に雨が見えたらすると、「うへぇ!雨じゃーん!」と叫び、数分後には10メートル先も見えないような豪雨に見舞われて立ち往生。とかね。

八丈島とか、西表島とかでポカーンと過ごしている時も雨をよく見た。海の向こうに浮かんだ雲からカーテンが垂れ下がる。
「あぁ、向こうの方は雨が降ってるなぁ」とかね。

北海道をバイクで走っている時にも、雨をよく見た。後方から迫りくる雨。ミラーに映る雨。心なしかアクセルを開けてみたして。ポツポツポツ・・・ザー!必ずずぶ濡れになるのだけどね。

おそらく、「見渡す限り」というのが基本的な条件なんだろう。

ついさっき、嵐山の畑にて。

「あれ?あれは雨かな?」
「あれは雨だな。雨が見えるな」

「あっ、黒いカーテン!あれは雨だ!」
と少し興奮する。

隣の畑のオオホリジージに僕は言う。
「じーじ!雨だよ。雨が見える」

オーホリジージは、僕が指差す方を一瞥して、ポカンとしている。
「ポツポツ来たな」

そうじゃなくて、向こうの方で雨が降ってるのが見えるんだって。土砂降りの雨が降ってるのが見えるんだって!

「ポツポツ来たから帰ろう帰ろう」と言って、オーホリジージは帰って行った。

うーん、伝わらないなぁ。興味のない人に伝える術はない。

そして、雨のカーテンに見惚れているうちに、ザバーっと雨が降ってきて、僕はびしょ濡れになった。

あぁ、どっか行きたいなぁ。
びしょ濡れになりたいわけではないけれど、「見渡す限り」のどこかへ行きたいなぁ。

先生はYouTuber。8

2020-08-06 15:12:49 | Weblog


努力をしない者にリターンはない。
努力をしたものだけにリターンがある。
努力をしない者には、何もない。

努力をしない者とは誰だ?

・・・おれだ。・・・おれなんだよ。

陶芸を始めてから二年半も経つのに、努力もせずにただ漫然とのんべんだらりと過ごしてきた。だから、何もない。すごく悲しい。

いやしかし、気づいて良かった。気づけて良かった。

これからの僕は、そう、努力の人になるのだ。
あぁ、良かったなぁ、努力の人になれて。
嬉しいなぁ、努力の人になれて。

先日、素焼きの窯入れが終わった。
僕は26個の器を窯に入れてもらった。
電動ろくろで作った作品、間に合った。ちょっとは出来るようになった。

まだちょっとしか出来るようになっていないのだから、精進が必要だ。でも、大丈夫。僕は、努力の人になったからね。

素焼きの窯出しが終わると、次は釉薬掛けが待っている。

ここなんだよ、本題は。釉薬掛け。ここなんだよ、まったく努力をして来なかったところは。

二年半、二ヶ月に一度のペースで焼き物を作って来たわけだけど・・・
その度に、誰よりもたくさん器を窯に入れて来たわけだけど・・・
全部の器に釉薬を掛けて焼いて来たわけだけど・・・

僕は、いまだ、釉薬のことを、何も知らない。

初めの頃、あまりに器が多すぎて、最後の方は適当にジャブジャブっと浸けていたら、梶谷さんというおばあちゃんに怒られた。
「たくさん作ると適当になっちゃうでしょ?だからダメなのよ」

・・・だからダメなのよ。・・・だからダメなのよ。・・・

怒られたので、真面目にやろうと思い立ち、色々な釉薬を試してみることにした。
陶芸クラブには40種類くらいの釉薬があるので、次々と掛けてみた。
元来、記録とかが苦手なのかもしれない。さらに記憶力もかなり甘い方なのである。

焼き上がった器を眺める。
・・・何の釉薬を掛けたのか、全然覚えていない。釉薬のことを知らない上に覚えていない。
「これ、なんの釉薬ですかね?」と、自分の器を持って周りの人に聞いて周る始末。

釉薬の濃いも薄いも分からない。
釉薬を混ぜたバケツを持って、「これ、薄いですか?濃いですか?」と聞いて周り、濃いと言われれば薄め、薄いと言われれば濃くする。
誰もいない時なんぞは、もはや勘に頼るしかない。勘と言っても、裏打ちのない勘なので、それはただただ「適当」ということになる。それはもう適当でしかない。
「いやぁ、釉薬が厚過ぎたなぁ」とか「薄過ぎたなぁ」とか思っても、どのくらいで掛けたのかを覚えているわけではないので、全部勘なので、いや、全部適当なので次回に活かせることなど微塵もないという始末。

それが僕の釉薬掛け。・・・そんなことではいけないのである。

真面目にやるのである。なぜならば、僕は努力の人だから。もはや、僕は努力の人でしかないのだから。

やはりここは、やはりここも、頼るのはYouTuber先生なのである。

そんなわけで、夜な夜なYouTubeで釉薬掛けの動画を観ているのであります。

ふむふむ。へぇ。そうなんだぁ。
へぇ、そうなのかぁ。なるほどねぇ。

修業期間の二年半、ほんとに何も勉強して来なかったんだなぁ・・・僕は。

あのさ、iPhoneのフリックでブログを書いているんだけどね。
僕はと打つと、間違えて「ボケは」と入力してしまうことが多々あってね。
その度に、「ボケじゃない!」とつぶやきながら「ボケは」を消して「僕は」に打ち直しているんだよ。
ちなみに三番目の変換候補は「馬鹿は」なんだよ。

ひどくない?

頑張るってば!

おわり。

先生はYouTuber。7

2020-08-04 04:01:00 | Weblog
どう思う?
たとえばだよ、三万円の中古品を買ったとして、それが壊れて三万円の修理代がかなったとして、計六万円。新品を買ったら八万円だとすると、その差額は二万円。
新品は壊れない。壊れても保証がある。
どう思う?
中古品を買う?新品を買う?

安物買いの銭失いとはよく言ったものでね。中古品ってのは壊れる。壊れて動かなくなってしまえば、ただのガラクタに成り下がる。直すにはお金がかかる。困ったものだね。

しかしあれだよ。何にせよ、八万円の新品は買えないわけだよ。中古品三万円と修理代に三万円で六万円払うなら、二万円足して八万円の新品を買えば良かった!なんてのはさ、結果として思うことであってね、買う前に八万円を出すという選択肢はないのだよ。

よくこういうことが言われるよね。
この世界には二種類の人間しかいない。リスクを取る人間と、リスクを取らない人間。
僕なんかは思うよね。もう一種類いるよ、とね。
リスクを取らざるを得ない人間。

たとえばだよ、僕が乗ってるジムニー号。27万円で買った。8年くらい乗っている。
買った当初から不安だったが、まだ動いてくれている。
時々ギアが入らなくなる。ギアが入らないと動かない。オイルがどんどん減っていく。オイルがなくなるとエンジンが焼き付いて煙が出る。ラジエター液が漏れている。ラジエター液がなくなるとエンジンが高温になりすぎて壊れる。
おまけに、タイヤは4本ともツルツルだし、ワイパーのゴムは取れちゃってるし、天井の内装は全部剥がれちゃってるし・・・。

リスキー過ぎる。乗れていることが不思議過ぎるくらいにリスキー。

普通の車に乗りたい。安心して乗れる車に乗りたい。

がしかし、次も必ず、こういう車に乗る。
そういう車が好きというわけではない。
僕は、リスクを取らざるを得ない人間だからなのだよ。ははは。

電動ろくろの話だ。

インターネットに載っていないことなど「最早ない」と僕は思っていた。ちょちょいと調べたらちょちょいと出てきて、ちょちょいと直せるんじゃないか?と淡い期待を寄せていた。

載ってない。

電動ろくろが壊れたという記事の少なさったらない。
現代なのに、そんなこともあるのかと、ちょっとカルチャーショック。

わからないのに、変にいじって取り返しのつかない目に何度も遭っているので、あきらめた。

メーカーにメールをしてみた。
代理店に修理に出せ!と言われるのは分かっていたので、状況を詳しく説明して、「自分で直せませんかねぇ?」と付け加えておいた。

返事が来た。

予想通り、近隣の代理店の名前と住所が載っていた。
メールの返事の最後に、「裏の六角のボルトが緩んでいる可能性があるので締めてみては?」と書いてあった。

おほほ!これだ!それだ!

電動ろくろを横倒しにして、指摘された場所の六角ボルトを締めてみた。

スイッチオン!レバーオン!

ウィーン!クルクルクルー!

回った。

直った。

やった。

安物買いの銭失い・・・

安物買い、銭、失わなかった。

あぶねかった。

あぶねかったなぁ。

つづく。

先生はYouTuber。6

2020-08-03 03:56:00 | Weblog
陶芸の話。どこまで書いたか・・・。

まぁまぁ上手くなったというところまで書いたか。上手くなったというよりも、少し出来るようななった、というのが正しい。

素焼きの日まで残すところ数日。

のってきた。非常にのってきた。陶芸、楽しい。電動ろくろ、楽しい。うひゃひゃひゃという状態。このまま陶芸のプロになっちゃうっかなぁという状態。
誰しもそうだが、出来る様になると楽しい。少しでも進歩すると楽しい。その先が見たくなる。自分はどこまでいけるのか、いう状態。

陶芸ってのはね、ろくろで挽いて成形した後にやることが山ほどある。
まずは、少し乾かして、手で持ってもグニャっとならない状態になったら、ひっくり返して裏側を削る。高台削りっていうのかな?たぶん。これ、結構面倒くさい。でもたぶん、一番大事。
それから完全に乾かしてから素焼きをする。
素焼きが終わったら、釉薬を掛けて本焼きをする。

さて、のりにのってきた僕はさ、高台を削るわけだ。まぁまぁ上手に出来た作品をひっくり返して、かきべらといえ道具を片手にガリガリと削る。もちろん電動ろくろで。スイッチを入れると勝手に回ってくれるので楽チン。ガリガリと削る。削りまくる。

そしたらさ、電動ろくろがさ、ピタっと止まった。
わかる?
スイッチを切ってないのに、ピタっと止まってしまった。
わかる?
どういうことか、わかる?
スイッチをいじってないのに止まったということは、僕が知る限り・・・壊れた・・・ということになる。

「嘘だろぉ!」と、真夜中のアトリエで叫ぶ、というわけである。

買ってから10時間しか使ってないのに。
いや、 粘土を捏ねたりしている時間を差し引いたら、電動ろくろを動かしていた時間は5時間くらいしかないはずだ。
もう一回叫ぶ。

「嘘だろぉ!5時間しか使ってないのにぃ!」

のりにのっていた僕は、完全にやる気をなくした。だって、電動ろくろが壊れちったから。

僕は5時間しか使っていないが、前の持ち主は百万時間使ったのかもしれない。壊れる前に売ってしまおう!と売りに出したのかもしれない。中古品というのはそういうものだ。当たりもあれば外れもある。

「嘘だろぉ!ハズレを引くなんて!」

もう嫌になっちった。やめたい。もう、やめてしまいたい。なにもかも。

でも、やめるわけにはいかない。なぜならば、素焼きの日まであと数日なのだ。

僕は作業台の上に手ろくろを置く。その上に作品をひっくり返して載せる。

クルクルクルー。ガリガリガリ。
クルクルクルー。ガリガリガリ。

なんで、ろくろを手で回さないといけないんだ。そうつぶやきながら。

うへぇ、めっちゃ大変じゃーん!

ガリガリガリ。クルクルクルー。
ガリガリガリ。クルクルクルー。

人生っつうのは、往々にして、こういうものである。

クルクルクルー。

つづく。

先生はYouTuber。5

2020-08-02 02:40:00 | Weblog



結構昔の話ね。
夜中のテレビを観ていたら、岡村靖幸がキャンディーズの「年下の男の子」という曲をアコギ一本で弾き語っていた。もうめちゃめちゃギターを弾きまくって、もう原曲のメロディーを無視して歌いまくって、もうめちゃめちゃカッコ良かったんです。

「あぁ、もう一回観たいなぁ。ビデオ録っておけば良かったなぁ」と思っていたら、数日後にその番組の再放送があるってんで、録画をしたのです。
そしたら、僕の目的の岡村靖幸が歌ってる箇所だけすっぽり抜かれていたのです。
なぜならば、その週に、岡村靖幸が覚醒剤の使用だかなんだかで逮捕されちゃったってことで、カットされた模様です。

なんだそれ?なんなんだ、そのタイムリーさは?って話なんだけどね。

「あぁ、もう一回観たいなぁ」とか思っても後の祭りじゃないですか。逮捕されちゃったしさ。

で、先日、ふと思ったわけですよ。YouTubeにあるんじゃね?ってね。
検索したら、ありました。ははは。すごいね、YouTube。

あぁ、YouTubeのある時代に生まれて良かった。岡村靖幸の年下の男の子、カッコいいなぁ。ってね。

で、陶芸の話の続き。

やっぱり、本と動画は違うよね。
本ではわからないものも動画ならわかる。実際にやってくれちゃってるからわかる。わかるというか、イメージが出来る。イメージね、これは大事。

大事なのは基本。大事なのはイメージ。
つまり、大事なのは基本のイメージ。

さて、電動ろくろに向き合う僕なのであります。
そう、もちろん、最初からうまくなんて出来ない。つまり、イメージ通りにはいかない。
いくら動画を観たって、何度動画を観たって、いきなり出来るほど甘くはない。

しかし、僕にはイメージがある。失敗しては怖し、失敗しては壊し、ちょっとうまく出来ても壊し、まぁまぁ上手く出来ても壊し。基本が出来るようになるまで、粘土を真上に持ち上げ続けるのです。
なぜならば、YouTubeの先生が、そう言ってたから。
「何度もやりなさい。それが上達への近道です」ってね。

電動ろくろに向かってみて、基本の動作にチャレンジしてみて、全然うまくいかなかったりして・・・また動画を観る。

すると、「ほぉ」と、なんか分かったような気がしたりする。「ほぉ」。大事なのは、「ほぉ」。そう、「ほぉ」が大事。

そして、翌日またチャレンジ。

そんなことを十日間に渡って10時間くらいやってみた。
10時間を十日間ではない。十日間で10時間。ははは。一日たったの1時間。ははは。1時間しかやらない。

もしかしたら、もしかしたらだけどね、天才かもしれない。
まぁまぁ、上手に作れるようになった。
いや、天才ってのはね、陶芸の天才という意味ではない。10時間で上手くなる天才ね。

よかったなぁ、天才で。よかったなぁ、無能じゃなくて。よかったなぁ、電動ろくろ買って。よかったなぁ、YouTubeがある世界に生まれて。

つづく。