時々、ジェラートが食べたくなるじゃないですか?なりません?なるでしょ?
ジェラートっていうのは、イタリアンジェラートのことでね、イタリアンジェラートってのは、イタリアのジェラートって意味なんだよ。
ジェラートの説明にはなっていないけど、知りたい人はウィキペディアで調べたらいいと思うよ。
イタリアで食べたジェラートよりも、日本で食べるジェラートの方が数倍美味しいと、僕は思う。つまり、ジャパニーズイタリアンジェラートが、僕は好きです。
「あぁ、ジェラート、食べたいなぁ」
と思ったりする昼下がり。
「そうだなぁ。ジェラート食べに行くかなぁ」
と決意をする昼下がり。
「せっかくだからなぁ、歩いて行くかなぁ」
そう、歩いていけば、ガソリンを使わないで済む。地球に優しいジェラートの旅。
どこのジェラートでもいいってわけじゃない。そもそも、ジェラート屋さんなんて、そうはない。そうはないうちの、美味しいジェラートなんて、本当にほとんどない。
無添加ジェラート屋が、近所にある。
近所・・・車で行けばね。
片道、7キロの道のりである。往復、なんだかんだで・・・15キロくらいかなぁ。とね。行けないことはないだろ?とね。ジェラートのカロリー消費もできるだろ?とね。
出発なのである。
歩行者、つまり交通弱者に優しくないこの国の道路には、車がビュンビュン通る県道なのに歩道が整備されていない箇所が至る所にある。轢かれてしまうわ。
そんなわけで、車の通りが少ない田舎道を、なるべく選んで歩く。そう、そうすると、必然的に遠回りになる。
それでいい。だって、ジェラートの旅だから。ジェラートを食べなくても死ぬわけじゃないから。急いでないし。
だから、ひたすらに遠回りをしながら歩く。テクテクテクテク。
リュックを背負っている。なぜならば、ジェラート屋さんがある大きな公園の敷地内には、農産物直売所があるからさ。何か良いものがあったら、リュックに入れて持って帰る。テクテクテクテク。
しかしあれだ。前回書いた17キロ行。例えば、目的地のない7キロってのは、ブラブラしているうちになんとなく着く的な感じがあって気分が良いのだが、目的地がある7キロってのは、そこそこキツイ。なぜならば、気持ちは目的地に行ってしまっているからね。歩きの遅さが、気持ちに追いついていかない。そんな気がする。
「目的地なんて、ない方がいいなぁ」
そんなことを呟きながら、テクテクテクテク。
時速5キロちょい。1時間半後には、目的地の大きな公園に着いた。
誰もいない公園・・・誰もいないの?なんで?
あっ、人がいる!
工事の人か・・・。
夕方4時20分。
公園の閉園時間は4時半。
「ねぇ、終わってんじゃん」
ジェラート屋、終わってんじゃん。
7キロ歩いてきたのに、終わってんじゃーん!
公園の入り口近くで、終わってんじゃーんと叫ぶ。
「いや、別にいいんだ」
公園に放送が流れ始める。
「当公園は4時半で閉園です」とかなんとか言っている。
いいんだ。野菜を買って帰ろう。野菜を買って、家へ帰って野菜を食べよう。
直売所へ足を向ける。
「入り口、どこかなぁ?」
「あれ?入り口、どこかなぁ?」
電気が点いているのに、入り口がない。
いや、たぶん、入り口はある。
でも、窓という窓にカーテンが引かれている。
「ねぇ!終わってんじゃーん!」
「閉めてんじゃーん!」
「閉園まで、まだ十分あるのに、閉めてんじゃーん!」
僕は、空のリュックを背中から降ろして、しゃがみ込むのである。そしてつぶやく。
「まぁな。・・・想定内」
少しだけ頭に来たので、もう信じられないくらいの遠回りをして帰ることにした。トボトボトボトボ。
いや、そんなに遠回りでもない。ちょっとだけ。遠回り。来た道と同じじゃ退屈だ。
森を抜け、小山を越え、車の通らぬ細道を。
話は飛ぶが、人生には分かれ道というものが数多くある。誰もが、その分かれ道を選んで選んでを繰り返して、今そこにいる。その道が正しかったかどうかなんてのは、わからない。分かりっこない。だからきっと、人生は楽しい。
どちらを選ぶか?と選択を迫られる時が少なからずある。
ジェラートウォーキングの旅も同じだ。次々と現れる分かれ道を、自分の意志で選びながら進む。その先に、「もう閉園」があったりもする。それはいい。
山のてっぺんあたりで、分かれ道があった。
どっちに進むかなぁ?と考えた。どちらでもいい。どちらかが良ければ選択は簡単なのだが、どちらでもいい時は難しい。だって、どっちでもいいんだもん。
道の先の空気で選ぶ。何があるか?何がありそうか?何もなくてもいいけど。
右は登り。左は下り。
右の道を選んだ。テクテクと進む。クネクネと進む。
おじさんがいた。なんか、木を伐っていた。
「こんにちは」と挨拶をした。「こんにちは」と挨拶を返してくれた。
薄暮の山の中。なんでこんなところに人が?歩いて?的な場所である。
挨拶を返してくれた時のおじさんの笑顔がちょっと素敵だったので、話しかけてみた。
おじさんは、椎茸栽培用の木を伐っていた。
みなさんご存知だとは思いますが、僕は、実は、椎茸を育てているのです。2年前から。でも、全然椎茸が育たなくて、一万円も投資したのに、一個も椎茸を食べられずにこのまま終わってしまい、「一万円分の椎茸を買えば良かった!」と叫び出す寸前の心境だったりするのです。
だから、せっかく椎茸のおじさんに出会えたのだから、聞きます。色々と質問します。
おじさん、とても優しかったです。そして、僕の好きなタイプの人なのです。どんなところが?適当なところが。
椎茸の原木の説明書とかネットに書いてある通りにやってるのに・・・全然椎茸が出ないと僕は言う。
そんなのやらなくていいんだよ。乾かして、駒を打って、そこらへんに積んで、雨に当てれば、ふた夏過ぎた頃にポコポコ出るのさ。余計なことはしなくていい。だって、面倒だろ?
そんな感じのおじさん。
色々と教わって、椎茸によって苛まれていた心が少し軽くなって、おじさんにお礼を言ってその場を離れようとしたら、軽トラに乗り込んでいたおじさんが言った。
オレの家は、この坂を下りた十字路を左に行った二軒目だ。教えてあげるから今度来い。
ははは。出会えた。椎茸師匠に。
分かれ道の話を持ち出した訳を分かってくれたかな?
右の道が正解だったのかは、僕には分からない。でも、右の道を選んだから、椎茸師匠に出会えた。
そう、僕がそう思うように、人生はそんな風に進んでいく。
椎茸師匠に会いに行くかどうか・・・それもまた、僕の選択。・・・行きたいなぁ。
まぁ、そんなわけで、今日のところは、そんな話。
往復16キロのジェラート旅は、椎茸の夢が広がる、ステキな旅になりました。