ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

ツッパリジュニアハイスクールロックンロール。

2015-03-27 19:20:23 | Weblog
数年前に、新宿のライブハウスの楽屋に知らないオッサンが座っていて、オッサン邪魔だなぁと思っていたら、そのオッサンは横浜銀蝿のボーカル翔だったという話は以前書いた。ツッパリハイスクールロックンロールである。

色々と書いたが、話は中学三年生の時の文化祭に戻る。
文化祭のステージに出るためのオーディションがあって、そのオーディションに、我がバンドはなぜなのかボーカル無しのインストゥルメンタルバンドとして出場した、というところまで書いた。
なぜなのか?ではない。ボーカルのバーチーが「あたし、歌わないし」とにべもなく言ったからなのである。
ボーカルが歌わなければ、もうそれはボーカルではないわけで、「じゃあオマエはなんなんだ?なんでここにいるんだ!?」っていう話なんだけと、中学生くらいのガキの頃には、よくある話だったりもする。責任とか役割とか、そういうものには、何の価値も感じないのである。
自己主張の強すぎて、空気を読むなんてことを微塵もしなかったバーチーは、中学生としては相当な凄腕だったのかもしれない。逆に。

果たして、歌無しのロックバンドはオーディションに受かったのか?答は・・・受かった。見事だったか見事じゃなかったのかは別にして、文化祭本番のステージに立てることになった。

ではなぜ、歌無しのロックバンドもどきがオーディションに受かったのか?
それは、対抗馬が、ツッパリジュニアハイスクールロックンロールだったからである。だったからなのである。

つづく。

選挙のプロの弟子っこ。

2015-03-22 07:43:02 | Weblog
選挙に出たって話。生徒会のね。

選挙で何よりも大事なのは応援演説だと、同級のエムからアドバイスがあった。
確かにそうなのである。

例えば、一年生の僕が、上級生の応援演説を取り付けたとする。そうすると、縁も所縁もない上級生の応援演説家の知り合い票を取り込めるのである。

出るからには当選したいなぁ、とドキドキしていた。落選したら恥ずかしくて登校拒否になるだろうなぁ、とワクワクしていた。

エムが提案する。
「知り合いのタケト先輩に、応援演説のプロがいるからさ、ちょっと頼んでみるよ」

確かにタケト先輩はすごいらしい。応援演説のプロらしい。岡田先輩が会長に当選した時も、無論のことタケト先輩が応援についていた。

がしかし、そんなすごいプロである。引く手数多なのである。
「ごめんね、やってやりたいんだけど、会長候補の応援を頼まれちゃっててさ」

そりゃあ、そうだ。なんたってプロだから。

で、どうしたか?だね。

実は、あまり覚えていない。

当選したのは覚えている。

でも、立候補したのが、会計監査だったわけで、会計監査ってのは、一年に2回くらい生徒会室に呼ばれるだけなのであり、そんなことは知らなかったのであり、全然面白くなかったのであり、ほとんど行かなかったのであり、新しい会長は記憶に残らない人物であり、フォークダンスのために教師と戦ったりはしない極々普通の人だったわけであり、僕にとっての夢の生徒会活動は、あっけなく終わったのであります。

そんで、ふと思いつき、エムにメールをした。
「あのさ、おれが生徒会の選挙に出た時、エムが応援演説をしてくれたような気がするんだけど・・・覚えてる?」

すると、返信。
「全然覚えてない!篠田先輩の家を見に行ったりしたのは覚えてる!」

一個上に篠田先輩という、それはそれは超絶な美人の先輩がいた。先輩が近所の坂道を歩いている。スーパーの買い物袋からネギが飛び出していたとしても、篠田先輩が持っていればフランスパンを持ってモンマルトルを歩いているように見える。といった具合の美女。

「エムさぁ、篠田先輩の自転車の◯◯◯に◯◯◯◯してたよね?あとさぁ、学級委員の小林さんの家の◯◯を◯◯◯に行ったりしてたよね?ほかにも無数にあるけどさ、あれさ、捕まらなくて良かったね。あの頃から変態だったんだね!」

すると、返信。

「うるさいよ!時効だよ!時効!」

中学生って、バカでいい。中学生は、バカがいい。

セリヌンティウスの心境。

2015-03-19 09:29:45 | Weblog
そんでもって、池袋の改札。

怪しい子供二人が改札を抜けていく。

普通だったら抜けていく。切符を出して抜けていく。まだ自動改札なんかじゃない。

駅員が言うことには、最初のヤツでピンときて、後ろのヤツを捕まえる、ということらしい。

つまり、エムが改札を通り抜けて、後に続く僕は、体格のいい駅員に腕をガッと掴まれたというわけ。そのまま駅員室へ直行。

・・・なんて不運なんだ・・・。

駅員室に連れて行かれた僕は、駅員から叱責混じりでこう言われる。
「仲間は逃げたな。仲間の居場所を白状しな」

バカな中学生とはいえ、オトコである。仲間を売るくらいなら潔い死を選ぶ。と、クリストファーウォーケンが言っていたような気がする。絶対に言わないぞ!と口を真一文字に結ぶ僕なのである。

しかし、こちらはコドモ、相手はオトナ。
子供の考えることなど、大人は全部お見通しなのである。非常に残念だが、それが現実だ。

「ほら、放送で呼び出すから仲間の名前を言え!早くしろ!クソガキ!」
というちょっと怖めの脅しに、クソガキはあっという間に陥落するのである。そう、クソガキは、簡単に仲間を売ってしまうのである。ごめんよ、クリストファーウォーケン。

僕は、しょんぼりしながら、ポツリとつぶやく。

「僕の仲間は・・・スギヤマコウイチ・・・です」

ほどなくして、駅構内に放送がかかる。

「・・・からお越しのスギヤマコウイチ様、スギヤマコウイチ様、至急駅員室までお越しください」

果たして、エムは来るのだろうか?そもそも、スギヤマコウイチという名を覚えているのだろうか?エムが来なかったら、僕はどうなってしまうのだろうか?

ドキドキしていた。

囚われの身でメロスの帰還を待つセリヌンティウスの心境は、こんな感じだったに違いない。

しばらくして、駅員室にヒョッコリと姿を現したもう一人のクソガキ。
「すいませーん、スギヤマコウイチでーす」

ホッとするやら、吹き出したくなるやら。どの面を下げて「スギヤマコウイチでーす」とか言えるのだろうか。

それから二人で、しこたま怒られて、ゲンコツをされて、もうしませんと約束をさせられて、大人料金を徴収されて、やっと解放された。

そんで、それから名画座に三本立て500円の映画を観に向かいながら、駅員に対する罵りを各々口にするのであった。
そんで、議論を交わすのである。
「来週はどうする?来週も子供運賃でいく?」

僕は今、エムに問いたい。
あの時、偽名を考えた意味ってあったのだろうか?と。結局普通に怒られたわけだし。

まぁ、なんにしても、中学生というのは、どこまでもバカなのである。バカすぎて楽しくなっちゃうのが、中学生なのである。

つづく。

スギヤマコウイチって誰なのよ?

2015-03-19 08:36:59 | Weblog
中学一年の同じクラスにエムってヤツがいて、随分と仲良くなった。
たぶん、信じられないくらいに仲良くなった。

エムとは、毎週映画を観に出かけた。ほぼ毎週出かけた。お小遣いは、全部映画に遣った。

池袋、新宿、銀座、大宮等々。松竹セントラルや、今はなき東劇、文芸座、名画座、裏通りにあるわけのわからない怪しい映画館。
なんでもかんでも観て回った。二本立てを二回戦の1日4本なんてのはお手の物。
一年で100本以上観たのではないか?

なにぶん、中学生である。お小遣いなんてたかが知れてる。
今思い出しても、どうしてそれほどまでに映画を観られたのか・・・理解不能である。ちなみに、強盗などの悪いことは、あまりしていない。だってまだ12歳だから強盗は無理。

切符はいつも子供運賃。中学生だけど子供運賃。電車賃を浮かせて、名画座の映画代に充てる。

行き掛けの電車の中で、エムが提案する。
「やっぱりさ、キセルで捕まった時のために偽名を考えるべきだと思うんだよ。絶対そうするべきだね。おれは、スギヤマコウイチにするよ。しんぐは何にする?」

今考えてみると、偽名にするメリットってなんだろう?捕まって偽名を告げる意味ってあるのだろうか?とか思うんだけど、その頃は、そういうことは分からない。「なるほど!名案!」などと思ってしまうところが、脳みそが足りなくて良い感じなのだ。

自分が考えた偽名は覚えていない。
だけれども、エムが考えたスギヤマコウイチという偽名は鮮やかに覚えている。

つづく。

さわやか万太郎のその後。

2015-03-18 18:43:54 | Weblog
生徒会長で学年トップの秀才な上に、エレキギターまでギュイーンギュイーンと弾いてしまい、フォークダンスの重要性を全校生徒に説いてしまい、肝心要の時には教師との戦いをも厭わないという、まったく非の打ち所がない、漫画の中の主人公のような岡田先輩。

岡田先輩の進路は、偏差値78というお化けみたいな高校へと進学した。兵庫の灘高校に次ぐ、全国で二番目に頭の良い学校。

さすがすぎるよ、岡田先輩。ってなもんだ。

その後の岡田先輩がどうなったかってのは、僕は知らない。
想像するに、間違いなく東大へ行って、国家公務員だな。官僚になって日本を変えよう!だな。日本人の荒んだ心に、フォークダンスの和やかさを!だな。

でも、日本に今尚、フォークダンスブームが来ていないってことを勘案すると、官僚にはなってないのかもな。
もしかしたら、頭が良すぎて、正義感が強すぎて、ノイローゼとかになっちゃったかもしれないな。
漫画の中の主人公が清々しく生きられるほど、世間ってのは優しくないからな。

岡田先輩、元気かなぁ。・・・まぁ、いいや。

そんでもって、文化祭が終わって、生徒会との関わりがなくなって、ちょっと毎日が退屈になって、燃え尽き症候群の僕がやっとこティーンエイジャーデビューをする頃に、僕は選挙へ出た。そう、清き一票を!の選挙。

生徒会へ入るのだ。

生徒会へ入ってしまえば、また、あのエキサイティングな日々が過ごせるではないか。13歳になったおれはアタマがいいからね。ちょっと大人になったからね。なんたってティーンエイジャーだからさ。サーティーンだよ。サーティーン。トゥエルブとは一味も二味も違うのだよ。

サーティーンボーイといえば、1億円が盗める歳だからね。
サーティーンボーイっていうドラマがあってね、13歳の子供が1億円盗んで遊び回るっていうノンフィクション。ははは。

つづく。

ティーンエイジのちょっと手前。

2015-03-18 02:51:44 | Weblog
そんなわけで、12歳のクソガキの弾けてしまった心が求めたものは・・・
「おかん、おれ、ギターが欲しい!」
だったのである。
だって、12歳のアホガキには自分でギターを買うという能力も知識もないから。ついでに言うと、弾くという能力もない。

優しいおかんは、バカ息子が表現した初めての積極的好奇心にすぐさま反応し、知り合いのおじいさんから、古いフォークギターを貰ってきてくれた。なんて優しいおかんなんだ。

僕は夜な夜なギターを爪弾く。二段ベッドの下段で、夜な夜なギターを爪弾く。
古いフォークギターと一緒に貰った教則本の則って。ポロポロポロリーン。ポロポロポロリーン。ポロポロポロリーン。

ポロリーンポロポロ。ポロリーンポロポロ。ポロリーンポロポロ。

ポロポロリーンポロポロ。ポロポロリーンポロポロ。

ちがーう!こんなんじゃねぇ!
おれがやりたいのは、こんなポロポロリーンじゃねぇ!
断じてちがーう!ポロポロポロリーンなんかじゃねぇ!

ギュイーン!ってやつなんだよ、おれがやりたいのは!

脳みその足りない12歳の少年は思うのである。自分の能力も知識も関係なく思うのである。らなぜなら、クソガキっていうのは、ただ感覚のまま生きているからである。違うものは違うのである。自分がバカなガキだってことを知らないのだから、仕方がないのである。許してやって欲しいのである。

12歳の僕は、「エレキギターが欲しい・・・」と心の中で百億回つぶやきながら、二段ベッドの下段で、おかんが貰ってきてくれた古いフォークギターを、ポロリーンポロポロリーンと繰り返すばかりなのである。
悲しいのである。

つづく。


ホンモノはどこにある?

2015-03-17 02:31:35 | Weblog
岡田先輩の半逆の甲斐あってか、僕らの文化祭、僕にとっての初めての文化祭のメインイベントに、全校生徒でのフォークダンスが組み込まれた。
思春期を迎えた男女が、校庭で仲良くフォークダンスを踊る。夢のような光景だ。
小学生が踊るフォークダンスなんぞフォークダンスじゃねぇ!思春期を迎えた男女が踊るフォークダンスが、それこそが、本物のフォークダンスなのだ!と言わんばかりに、岡田先輩の銀縁眼鏡奥の瞳が光る。その横には、会長を影で支える美人の副会長。その後ろに従う生徒会役員のお歴々。江戸時代で言うと・・・将軍とか、老中とか、色々。

生徒会及び文化祭中央実行委員会は、思春期夢色フォークダンスの催行を勝ち取ったのである。高らかな勝利宣言である。

だがしかし、先に述べた「僕の人生の方向性云々」の話は、ここにはない。フォークダンスが人生を変えるわけないじゃんよ。

フォークダンスなんて、あくまでも余興だよ、余興。
本物は、いつだって、体育館にある。そう、体育館にあったのだ。

文化祭二日目。つまり最終日。

体育館のステージに、岡田先輩が立っていた。

ギュイーン、ガッガッガッガッガ。岡田先輩は肩からエレキギターをぶら下げていた。
ドラムとベースとギターのスリーピースバンド。

フォークダンスに夢中だと思っていた秀才で真面目な生徒会長は、ギターをかき鳴らしてビートルズを歌っていた。

僕は、フォークダンスに真面目に取り組みすぎる、不可解な大人の岡田先輩に憧れていたわけなんだけど・・・。

ステージを見つめる僕の目は、完全にハートになっていたことだろう。
そして、僕の頭の中はパニックに陥った。
僕の中で、僕の心の中で、何かが弾けた。完全に、何かが弾けた瞬間だった。

パニックを起こす12歳の少年の心。よくわかんないクソガキの心の中の模様。一つだけ、確かに思ったことがある。

「おれ、あの人みたいになるわ」

つづく。

おれは、命をかけるんだ!

2015-03-16 02:03:47 | Weblog
文化祭近づく秋のある日。
連日、放課後遅くまで生徒会室で過ごす。何をやっていてかは覚えていない。

突然、生徒会室にいる僕たちの耳に、物騒な音が届いた。ドッターン!バッターン!的な音だよ。
放課後遅く、もう外は暗闇に包まれている。校舎には、生徒会と文化祭中央実行委員の面々数人がいるだけである。僕はまだ12歳。うける。

なんだろう?と、生徒会室に残っていた数人は廊下に出る。音がしたであろう方向へと恐る恐る歩を進める。
シーンとした校舎。そこには誰もいなかった。「もう誰もいなかった」と言った方が正しい。

その場所には、つまり、廊下の床には血だまりがあった。壁には血をなすったような跡が付いていた。

怖いなぁ、、怖いなぁ、、嫌だなぁ、、嫌だなぁ、、なんなんだろうなぁ、、血だなぁ、、あれは間違いなく血だなぁ・・・。

何が起きたのかは分からぬが、血潮が飛び散るよう何かが起きたのは事実である。
生徒会室に戻って作業を続ける僕たちは、疑心暗鬼、戦々恐々の面持ちであったことだろう。

ほどなくして、副会長の綺麗な先輩が生徒会室へと戻ってきて、事態の詳細を推測を交えながら説明してくれた。

血を流したのは会長の岡田先輩である。
岡田先輩に血を流させたのは、生徒会担当の教師、東大出身の武井先生である。
揉めた原因は、文化祭のメインイベントとしてフォークダンスを組み込むかどうか、である。

補足しておくと、武井先生は良い先生である。天才にして変人の良い先生である。いつでも生徒側に立ってモノを考えてくれる良い先生である。

つまり、推測するに。
「先生!おれは絶対にフォークダンスだけは譲れませんから!」
「わかってる!おれだっておまえと同じ気持ちだ!」
「じゃあ先生!なんで無理だなんて言うんですか!」
「バカヤロー!やらせてやりたいおれの気持ちがわからんか!」

バコーン!!!といった感じか?

血だらけになった岡田先輩は、そのまま武井先生の車で送られ、生徒会室には戻って来なかった。

いやぁ、おれは思っちゃったね。
おれ、すげぇ場所にいるじゃんか!ってね。
フォークダンスのために先生に楯突く会長ってすげぇじゃんか!ってね。
フォークダンスに命をかける岡田先輩ってすげぇじゃんか!ってね。
人生はフォークダンスなんだよ、やっぱり!ってね。
フォークダンスがなきゃ、何も始まらねーんだよ!ってね。
おれも、フォークダンス、本気で踊りたいぞ!ってね。

心にメラメラと炎が湧き上がった、12歳の秋。もうすぐ13歳、の秋。

発想はバカ子供。

2015-03-15 04:38:56 | Weblog
僕が中学一年生の時の生徒会長、つまり中学三年生の岡田先輩。岡田先輩の存在が、僕のその後の人生の方向性を、ろくでもないものへと誘った。と言っても過言ではない。のではないか。なんて思ったりして。

中学一年生の僕は、つまり12歳の僕は、夏から秋にかけて、生徒会室に入り浸っていた。
なぜかというと、僕は文化祭実行委員から文化祭中央実行委員へと昇格していたからなんだよ。
よく覚えてはいないけど、誰もやりたがらない忙しい中央実行委員へ「はいはいはい!おれやります!めっちゃやります!やっていいですか?」と志願したような気がする。

普通はそういう面倒な役はやりたがらない。でも、僕は違う。中央実行委員なんてのをやっておくと内申点があがるからね。12歳にして、僕はしっかりと未来を見据えていたのだよ。

そんなわけで、僕は生徒会室に入り浸っていた。
なぜかというと、クラスのバカ子供たちと一緒に遊ぶのは非常に楽しいのだけれど、本当は遊んでいたいのだけど、バカ子供たちと一緒にいると、僕もいつまでも楽しいバカ子供のままなわけで、それはちょっとまずいんじゃないかと。いつまでも小学生気分でいちゃいけないんだぞ、と。
三年生は・・・大人に見えた。男子も女子も。
12歳の僕から見ると、三年生たちは別世界の人間に見えた。たった二つしか歳は違わないのに、別世界の人間に見えた。

あぁ、早く三年生みたいになりたい・・・。

悲しいかな・・・結局、発想はバカ子供なのである。

つづく。

ここはカムチャツカ。

2015-03-13 04:18:16 | Weblog
もう春になったはずなのに・・・。おかしいなぁ。あれぇ、おかしいなぁ。なんで外はマイナス6.5度なのかなぁ。なんで部屋の中の気温が5度なのかなぁ。ここは、北海道ではないはずだ。ここはカムチャツカではないはずだ。

もちろん、ノー暖房。だって、気分は春だから。ミモザも梅も、満開じゃんねぇ。あぁ、春だねぇ。
なんだか、コメカミの辺りが、寒さのさいでキシキシする。。、


中学に入って、何もしない割に随分と賢かった僕は、優等生になろっかなぁ・・・と思ったのかもしれない。
生徒会に入って、ゆくゆくは生徒会長にでもなるっかなぁ・・・思っていたのかもしれない。

小学校には無い委員があった。「文化祭実行委員」。

なんか、こういうの、やっておけば、内申点とかが良くなって、いい高校に入って、いい大学に入れて、いい会社に行くようになって、まぁまぁ楽にお金が稼げて、安泰な人生が送れるんだぜ!
っていうね、バカ中学生が考えつきそうなマヌケな思考回路。・・・だったのかなぁ。覚えてないけど。

とりあえず、それになった。どうしてもやりたかったから、ジャンケンに勝って、それになった。

文化祭実行委員てのは、生徒会の直参みたいなもの。生徒会直属の兵士たち。江戸時代でいうなら旗本。
なんのために戦うかっていうと、これが驚く。「文化祭でフォークダンスを踊るため」に戦う。これ、マヂ。オオマヂ。

小学生って、女子と手を繋ぐのとか嫌なのね。本当は繋ぎたいのに嫌だと言う、とかじゃなくて、嫌なの。なんだって、それはきっと、恥ずかしいから。だって、小学生の頃って、女子はみんな男子よりデカイし。

中学一年生の僕なんぞは、その先輩たちのフォークダンスに対する情熱に、目から鱗、青天の霹靂。先輩たちっていうのは、生徒会のお歴々。江戸時代で言ったら、将軍とか老中とか。

「中学生って大人なんだぁ」
「女子と手を繋ぐのに抵抗ないんだぁ」
「すげぇなぁ、中学生って」
「おれもフォークダンス、踊りたいじゃん」

そんなことを思う、12歳の夏、だったのである。

つづく。

頑固一徹中学三年生。

2015-03-07 23:49:37 | Weblog
おぐちゃんがRCサクセションの大ファンでね。雨上がりの夜空に・・・かっこいいよねぇ。

てことで、僕らは、あぁでもないこうでもないと、バンドスコアっていうバンド用の譜面を見ながらやっていたわけ。

ヤナギがさ、アコギの癖にさ、チャボのギターパートをやりたいって言い張ってさ、おれはまぁ、我が強い方でもなかったから、「いいよ」って言っちゃったわけ。
チャボのパートはかっこいいんだよ。でも、ヤナギのアコギなの。
で、チャボじゃない方のパートは、ポペポぺポペポぺ ポペポぺポペポペっていう、なんだかお散歩しているようなフレーズなの。エレキなのに。グレコのリッケンバッカーなのに。ポペポぺポペポぺって。

そりゃあないっすよぉ!ヤナギさん!と言いたかったんどけど、「ま、いっか」ってね。

ヤナギは、逆に偉いと思う。だって、ディストーションもオーバードライブもかけていない「アコギ」で、チャボのキメのパートを弾こうとしちゃうんだからさ。
まぁ、なんでもありの中学三年生ってことで。

そんでもって、そこに入った女子三人組。通称オグーズ。
まぁ、色々ある。

オレとヤナギは、「こいつら、なんでいるんだ?」と思っていたし、オグーズはオグーズで、「なんであたしたちはここにいるのかしら?」って思っていただろうし。

で、予選会が近づいていた。文化祭のステージの予選会。

予選会は一曲。

そりゃあ、雨上がりの夜空に、でしょ。だって、それしか練習してないし。もう時間ないし。選択の余地はないっしょ?

ボーカルのバーチーはこう言った。
「あたし、この歌歌えない。歌いたくない」

選択の余地はないっしょ?だって、これしか出来ないんだから、うちのバンド。ないっしょ?ないっしょ?予選会は目前でしょ?


選択の余地はあった。あったのだ。
《バーチーが歌わない》という選択が。。、

前代未聞、空前絶後の選択である。中学三年生のやることはわからない。読めない。意外性がありすぎる。バカすぎる。バカバカバカ。もう嫌だよ、中学生。

「あたし、歌わないし、予選会とか出ないし」

かくして、我がバンドはボーカル無しの「雨上がりの夜空に」一発で、鬼の予選会へ臨んだのである。

そんなのある?

おれは・・・無しだと思う。

すげーな、バーチー。

つづく。

女よりも、断然ギターでしょ?

2015-03-06 19:19:50 | Weblog
我がバンドは、情事バンドだったと・・・言わざるを得ない。ただ一人のために・・・おぐ情事バンド。おぐジョージとレイニーウッド・・・。

ドラムとエレキとアコギの超変則スリーピースな我がバンドに、ある日、新しいメンバーがやって来た。

キヨタとバーチーとダーオー。

残念ながら僕は、バーチーしか覚えていなかった。キヨタのことは、下川さんだと思っていた。よくよく考えてみると、下川さんというのは、僕の高校の同級の女の子であって、二卵性双生児の可愛い方の女の子であって、別にバンドとかやってないし、楽器とか弾いていないし・・・なぜ、下川さんだと思っていたのだろうか?謎なのである。

キヨタもバーチーもダーオーも、全員ウーマンである。つまり女性である。

おぐちゃんが、キヨタに「バンドやろうぜ!そんでオレと付き合おうぜ!」という前代未聞の勧誘の仕方で誘ったのである。

おぐちゃんの彼女になったキヨタがベース。キヨタの友達のバーチーがボーカル。メガネのダーオーが、昔ピアノを習っていたことがあるとかでキーボード。
オレらも初心者みたいなものだったけど、彼女たちの加入で、オレらは初心者から初級者に格上げになった。なぜなら、彼女たちは超にドが付くほどの初心者だったからである。
おぐ!なぜだ!!!?と聞きたかったが、おぐちゃんはこう言ったのだろう。
「キヨタと付き合いたかったからさ」
そういうヤツなのである。

そんなわけで、バンドメンバーは6人になった。男3人、女3人。毎日が合コンである。母屋から隔離された離れのオンボロの物置小屋で、思春期真っ只中の少年少女が、毎日合コンを繰り広げるのである。

がしかし、その頃の僕らにとっての自由とは、決して合コンではない。不器用な僕らにとっての自由とは、ギターギャンギャンギャン、アコギシャラリーンキラリーン、タバコスパスパスーなのである。女などにうつつをぬかしている場合ではない。合コンなんてクソ食らえ!なのである。

キヨタが来る前の物置小屋の風景。
バーチーがおぐちゃんの首根っこを捕まえて言う。
「もっとキヨタのことを見てあげてよ!」

なんなんだろうか、この集まりは・・・。グレコのリッケンバッカーをギュイーン。

それが僕らの夏の風景。我が情事バンドの風景だったんだ。

ドタドタギュイーンANDポロリーン。

2015-03-05 20:21:29 | Weblog
ヤナギの家は、高速道路の高架を越えた、その町の地主たちが住むエリア、つまりちょースーパー田舎エリアにあった。一軒の敷地が、アメリカの田舎みたいにでかい。実際にはアメリカの百分の一くらいではあるのだろうが、とにかくでかい。みーんな農家であるか、元農家。

ヤナギの家の敷地に、二階建ての物置みたいなのが建っている。
ヤナギの両親は、その時すでに居なかった。なんでだったかは、知らない。
おばあちゃんはいたが、数える程しか会ったことがない。なぜなら、母屋と物置の距離が100メーターくらいあったから。

物置は、物置っていうくらいだから、物がたくさんある。ほとんどがゴミだ。かつては、ヤナギの親が使っていたのだろう。住んでいたのかもしれない。半裸の女性のピンナップポスターとか・・・半裸の女性のピンナップポスターとか・・・半裸の外国人女性のピンナップポスターとか・・・あぁ、それくらいしか覚えていない。あとは、鍋とかヤカンとか・・・かな?

物置の二階が、僕らにはあてがわれた練習場所。ドラムやアンプが設置してある。

そこは、天国みたいな場所だった。半裸の女性のピンナップポスターが貼ってあるからではない。そこには、誰にも干渉されない自由があった。

今も昔も、そこらの中学生には、自由などない。自由がないから、ゲーセンやコンビニに溜まる。そんなところに溜まっても、自由などない。自由とは、大人たちの世界から隔離された場所にある。

農家の離れの古ぼけた物置の二階・・・誰もが憧れるような格好のいい場所ではなかったが、誰もが憧れるような自由が、そこにはあった。

子供なんてほら、タバコを吸える場所があるってだけで自由を感じられちゃうわけだからね。

そんなわけで、その夏、僕らは、呆れるくらいの自由を手に入れたのである。

タバコスパスパスー。
ドラムガチャガチャドタドタ。
タバコスパスパスー。
ギターギャンギャンギャギャーン。
ビールゴクゴクゴク。
ヤナギのアコギポロリーン。
ドラムダダダダダ。
タバコスパスパスー。
ギターギュイーンギュイーン。
タバコスパスパスー。
ヤナギのアコギシャラリーン。
昼寝グーグーグー。
ヤナギのアコギポロポロリーン。

「ヤナギ、アコギ聴こえねーよ!」

つづく。

レプリカント・シックス・ストリングス。

2015-03-04 03:27:55 | Weblog
僕が永遠の中二病だってことが発覚したということは、まぁいいとして。。。

中二の時に、川越のかつてのサンロードの先にあるしょーもないガラクタ屋で、エレキギターを買った。
三回ぐらい見に行った。そのギターを見に行った。
黒と白のツートンカラーで、普通のギターとはちょっとだけ違う形をしているのが、どうしようもなくカッコよかった。

僕なんて、何も知らないで生きて来たもんだから、そのギターが、ジョンレノンが弾いていたリッケンバッカーと同じ形をしているってことに気づくのは、だいぶ後のことだったりする。

リッケンバッカーのギターは30万円くらい。僕のギターは、リッケンバッカーではなくて、グレコだから、二万五千円。グレコギターのロゴを、リッケンバッカーのロゴに限りなく似せて刻んであるのがお茶目で良い。パチモン感がハンパないのが、また良い。

中三になってからだったか、バンドを組んだ。

小学一年生から仲が良かったおぐちゃんと、中学に入ってから仲が良くなったヤナギと三人で。
おぐちゃんはドラムを買った。ヤナギはアコギを買った。中三でドラムを買ったおぐちゃんも凄かったが、バンドをやるってのにアコギを買ったヤナギは・・・何を考えていたのだろうか?

バンド結成の目的は、文化祭のステージに立つことである。

バンドなのに、ドラムとエレキとアコギの三人組だった。アルフィーよりひどい。なんのこっちゃの三人組である。

僕らには練習場所があった。

放課後はいつも、家とは反対方向の、高速道路を越える坂道を上って下ったところにある、練習場所へ向かった。

部活を終えて、僕は急ぎ足で練習場所へ向かう。坂道の上にたどり着くと音が聞こえてくる。おぐちゃんが叩くエイトビートのドラムの音。
僕はニヤリと笑って坂道を駆け下りる。

今でも鮮やかに浮かぶ夏の風景。僕の中三の夏は、そんな風だった。僕らの夏の風景は、そんな風だったんだよ。

つづく。

しゅうちゃん、またね!

2015-03-03 05:48:39 | Weblog
このブログ、しゅうちゃんとエムケイのネタだけで、ひと月と少し過ごしてしまいました。謝ります。すみませんでした。今、僕は土下座をしています。ほんとに。ほんとに。ほんとに。

昔は、詩とか歌詞とかね、良いことをたくさん書いていたのに、今じゃしゅうちゃんとエムケイの面白ネタでやり繰りしているという、落ちぶれブログです。謝ります。スミマセ~ン。今、僕は、尖った砂利の上で土下座をしています。ほんとに。ほんとに。ほんとに。

二人のネタは尽きることはないのだけれど、これ以上書くと、どこかの捜査機関や諜報機関が動き出すやもしれないので、やめておきます。二人に替わって、僕が謝ります。ゴメンゴメンゴメン。

僕は常々思うのです。
この二人の共通点は、ひどいヤツだということです。
でも、この二人の共通点は、面白いヤツだということでもあります。
そして、さらに言うと、二人とも、底抜けに「優しい」ということになるでしょう。
二人とも、他人(ひと)のために、心を尽くせる人なのです。信じられないパワーを、他人のために使える人なのです。他人のために使うパワーを、自分のための力に変えられる人なのです。

類は友を呼ぶ・・・と、昔の人は言ったものです。

最後は面白き者が旗をあげる・・・と、かのニーチェが言っていたとか言っていなかったとか。

僕も二人の一派であるわけなのだから、二人に近づけるように頑張っていきたいと思っています。本当は近づきたくはないのだけれど、一応形だけは、近づきたいと言っておこうと思います。いや、超人の二人に近づくのは所詮無理なことなので、安心して「近づきたい!」と言っちゃってもいいと思います。

何を長々と、ひと月もかけて話したのかと言うと・・・
「僕は、楽しくて、幸せです。幸せなんですね」
ということなんですね。

さぁみんな、みんなも二人の超人に近づけるように頑張ろうね!

・・・無理だけどね。

おわりのおわり。