ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

#16-3 日本人の幸せ。それぞれの幸せ。

2017-11-28 01:26:48 | Weblog


また、僕はエクスマスの海岸沿いの道を歩いている。
右手にはサバイバルナイフ、左手には・・・バケツ。

今日も牡蠣を獲ろう。せっかくだから牡蠣を獲ろう。と。

昨日と同じ場所で、岩場と格闘する。
牡蠣を獲るのは結構大変で・・・初日の昨日と比べると、やる気メーターは五分の一くらいに減っている。

牡蠣、獲るのはいいけど・・・牡蠣、獲るのも食うのもちょっと飽きたなぁ・・・。

捕獲した牡蠣の断片をエクスマスの海に放り投げると、たちまち無数の魚が群がってきて食べてしまう。

釣り竿があれば、いくらでも魚が釣れそうだが、釣り竿はない。釣り竿がない以前に、僕は釣りなどしたことがない。
そういえば、ケアンズでシェアメイトだったマサくんが言っていた。
「オーストラリアの魚は、パンで釣れますよ。パン屑を丸めて針につけて海に入れたらすぐ食いますよ」

どうも、オーストラリアでの釣りは比較的簡単らしい。でも、僕には釣り竿が、ない。

マサくんはパンをエサにするって言ってたけど、牡蠣をエサにしたら瞬殺だと思う。今度会ったら教えてあげよう。と思いながら、牡蠣を海に投げ入れる。魚が食う。こんなことをしばらくの間繰り返している。

潮の干満というものがある。潮は満ちたり引いたりする。釣りをしないので、普段は潮の干満などには興味がない。

そういえば、昨日よりも潮が引いてるなぁ・・・と気づく。
昨日よりも見えている岩場の面積が広い。

「あれれれれぇ、これはなんだろう?」

トゲトゲがいっぱいついた丸い物体が、潮溜まりの中に見える。

「あれれれれぇ、こいつはもしやもしや」

サバイバルナイフの先っぽでツンツンとつついてみる。無数のトゲトゲがウニョウニョと動く。

「ウニや!これはウニやで!」

そう叫んだはいいのだが、ウニなど獲ったことがない。本当にウニかどうかもわからない。

そこらへんを見回してみる。なんと・・・億のウニがいるではないか。俄然やる気が漲ってくるのである。

ウニには大きく分けて、二種類、いると思う、もっといるだろうけど、大きく分けて。
黒くてトゲがしっかり気味のヤツ。北海道でいうとムラサキウニ。
赤っぽくて、白い短いトゲトゲがたくさんあるやつ。北海道でいうとバフンウニ。

エクスマスのウニの巣窟、二種類のウニがいた。僕が知っているウニは黒いトゲトゲのやつ。僕が知らなかったのは、赤いミニトゲのやつ。
そして、僕が知っている黒いトゲトゲウニは、岩場の穴ポコに上手にはまっていて、全然取れない。粉々に砕かないかぎり取れない。気がする。
僕が知らない赤いミニトゲウニは、そこらへんにコロコロコロコロ、いくらでも転がっている。

「この赤いミニトゲはウニなのかなぁ?食べられるのかなぁ?」

試しに割ってみることにした。ウニの割り方など知らない。ナイフを刺そうとしたが刺さらない。仕方がないので、靴底で軽く踏み潰してみた。割れた。

若干グシャグシャ気味になったウニくん。中から脳ミソみたいなのがいっぱい出てきた。気持ち悪くてちょっと引いた。
脳ミソみたいなやつを海水で洗ってみると、黄色いウニが・・・見えた。
指で殻から剥がして食してみる。

「うぉーーーー!ウニやぁーーーーー!」

この旅一番の絶叫である。

裏側のおヘソみたいなところにナイフを入れれば簡単に割れるとか、ウニは真水で洗った方が美味しいとか、何個かのウニをさばくうちに知る。

エクスマスの海岸沿いの道を僕は歩いている。右手にはサバイバルナイフ。左手には・・・ウニでいっぱいになった、バケツ。

キャラバンパークの炊事場で、ウニを割って、身を取り出して、真水で洗って、まな板の上に並べていく。オレンジがかった黄色が鮮やかで美しい。絶景である。オーストラリアの絶景はここにあり。

今日はウニ丼。

でかい鯛をさばいているオージーのおじさん達がいる。懲りもせず、今日も焼き魚を食べるつもりらしい。
「新鮮な鯛を焼いちゃってもったいない、刺身で食えや!」と思いながらも、僕は自分の作業に集中する。
隣のオージーのおじさんが、まな板に並んだビューティフルウニを見て僕に聞く。
「おっ、ワンダフルじゃないか、それはキドニー(肝臓)かい?」

「おじさん、これはキドニーじゃないよ。シーアーチン(ウニ)だよ!美味そうだろ!」

おじさんはギョッとした目になってから、ギョッとしたのを隠そうとしながら、「おぉぉ、そうかぁぁぁ、シーアーチンかぁぁぁ。なるほどねぇぇぇぇ」といいながら、オエッとなっていた。こんなドン引き具合を、僕はいまだかつて見たことがない。

「うまいぜ!食うかい?」と聞いてみたが、ドン引きしながら首と手を横に振られてしまった。

シーアーチンを生で食うクレイジーなジャパニーズ。ジャパニーズはクレイジー。日本人は頭がおかしい。
きっと、おじさん達の夜の宴会のいい話題になったことだろう。

ご飯を炊いて、酢飯を作って、酢飯の上に海苔を刻んで、その上に山盛りのウニを載せて食う。
この幸せは、日本人にしかわかるまい。それでいいのだ。だから、ここにはウニが億個いるのだ。

西の空に沈むでっかい夕陽を眺めながら、ウニを噛みしめ、僕はつぶやく。

「ありがとな、インド洋」
「オージーのおじさん達、ウニを食わないでいてくれてありがとな。ここのウニは、全部おれのや」

つづく。

写真は、この前載せた羊腸で作った自家製ソーセージ。羊腸のあとで載せるの忘れてた。

#16-2 世界の端っこで、ありがとうと叫ぶ。

2017-11-27 06:16:17 | Weblog


僕はエクスマスにいる。
エクスマスの海岸をトコトコと歩いている。右手にはスクリュードライバー、左手にはバケツ。

エクスマスの海岸は砂浜ではない、岩場だ。
そのエクスマスの海岸の岩場をトコトコと行く。右手にはスクリュードライバー、左手にはバケツ。

ケアンズでガスタンクを譲ってくれた関西人のマコトくんはこう言っていた。

「エクスマスの海岸の岩場にな、牡蠣がいるんや。ドライバーでガッガッと削り取ってな、海水で洗ってパクッと食うんや。そりゃあ、メッチャ旨いで。信じられんわ。岩牡蠣やで。岩牡蠣の食べ放題や。エクスマス、絶対に行かなアカンよ」

イワガキ、イワガキ、イワガキ、タベホウダイ、タベホウダイ、タベホウダイ・・・と歌いながら、きっと僕はエクスマスの岩場を歩いていたことだろう。右手にはスクリュードライバー、左手にはバケツ。

牡蠣・・・どれかなぁ?
牡蠣・・・これかなぁ?

だいたいからにして、牡蠣なんて獲ったことがないから、わからないのである。あんまりわからないのである。ははは。

だいたいからにして、岩牡蠣って、獲るのがすごく大変なのである。簡単ではない。

牡蠣・・・どうやって獲るのかなぁ?
牡蠣・・・こうやって獲るのかなぁ?

岩の一部みたいになった牡蠣の殻みたいなやつを、スクリュードライバーを差し込んでガシガシと剥がしてみる。

取れた。獲れた。牡蠣や!これは牡蠣や!

殻から身を外して、海水で洗ってパクッと食べてみる。

牡蠣やぁ・・・牡蠣やぁ・・・無料の牡蠣やぁ。
どれが牡蠣かがわかったところで、辺りを見回す。億の牡蠣がそこにはいるのである。億の天然の牡蠣がそこにはいる。自然ってすごい。

そこからはもう闘いなのである。
牡蠣をいっぱい獲るのである。
バケツいっぱいに岩牡蠣を獲るのである。

バケツに入った牡蠣をチャプチャプさせながら、テントを張ってあるキャラバンパークまでトコトコと歩く。右手にはスクリュードライバー、左手には牡蠣が入ったバケツ。

キャラバンパークのキッチン。キッチンと言っても、水道があるだけのただの洗い場。
どでかいサーモンをさばいているオージーのおじさん達。その横でチマチマと牡蠣を洗う。

洗った牡蠣をテントに持って帰り、小麦粉を付けて、卵を付けて、パン粉を付けて、ガスタンクの火を点けて、鍋に油を入れて、カラッと揚げる。
炊きたてのカリフォルニア米の上に乗っけた山盛りのカキフライ。

エクスマスの海に沈むでっかい夕陽を眺めながら想う。無料の牡蠣フライを食べながら・・・僕は想う。

「無料っていいやなぁ・・・幸せやなぁ。ありがとうな、マコトくん・・・」とね。

つづく。

写真は、都幾川にある杉の葉で作った巨大なトトロ。

#16 完済は遠く。膨れ上がるばかりだ。だって、旅をするために生まれて・・・。

2017-11-26 03:19:23 | Weblog


十六曲目。「銀の跳ね馬」(アルバム未収録)。

いつかはフェラーリに乗りたいなぁ・・・と想ったことがないわけではない。
いつかは六本木の超高層マンションの最上階に住んで、夜景を鑑賞しながらメーカーズマークの18年物を飲みたい・・・と想ったことがないわけではない。

まぁ、どちらにせよ、誰もが認める成功を果たして、心の中でピースポーズを決めたい、いつかは・・・と想っていたことは確かである。特に22歳とか、23歳の頃とかはね、なんたって、若い。とてつもなく・・・若い。


西オーストラリアにエクスマスという町がある。

ケアンズを旅立つ前、僕には旅立ちの準備が必要だった。
ケアンズに着いた頃は、家賃が払えないほどスッカラカンの僕だったのだが、三ヶ月みっちり働いたお陰で、金はある。なかった頃と比べると、信じられないくらいの金持ちだ。だから、オーストラリア一周の旅に出る。
金持ちだとはいっても、それは、比較的金持ちだというわけで、ゼロに対して金持ちだというだけで、本当のところは金持ちではない。

テントを買うことにした。テントを持っていれば、一泊300円で泊まれる。
つまり、キャンプ用品一式を揃えねばならない。シュラフとかマットとか、バーナーとか鍋とか、旅の生活用具一式・・・色々。


話はそれるが、数年前にバイクで北海道へ行く直前の話。
僕は借金返済のために懸命に働いていた。借金は返さなければならないが、働くのがほとほと嫌になった。伝家の宝刀「おれはこんなことをするために生まれて来たんじゃねぇ!」がちょこちょこと顔をのぞかせるのである。
で、借金返済は後回しにして、旅に出ることにした。
旅には出たいが金がない。金がないから働いている。金がないのに働きたくなくなって旅に出ることにした。どうすんだ?
バイクは、ある。

職場のイエスキリスト似の大ちゃんに相談した。
「ねぇ、北海道にはさ、無料のキャンプ場、たくさんあんの?無料のライダーハウスもいっぱいあんの?」
元ライダー、元旅人、今はイエスキリスト似の大ちゃんは答える。
「ある」

そんなわけで、借金返済のために働いて稼いだ金で、テントやら何やら、キャンプ道具一式を揃えたのである。借金返済なんて後回しである。「借金を返すために生まれて来たんじゃねぇ!」である。いいのである。借金なんて、利息さえ払っておけば、いくらでも待ってくれるのである。それが、社会のシ、ク、ミ。

僕は想う。キャンプかぁ。テントかぁ。出来るかなぁ。うまく立てられるかなぁ。
テントなんて初めてだからなぁ・・・キャンプなんてしたことないしなぁ・・・出来るかなぁ?
そんで、近くの河原に二回ほどテントを立てる練習に行った。
そして旅に出た。北海道、30日間、色々な場所でテントを張って過ごした。すごく楽しかった。

旅の最中・・・ふと、思い出した。
「あっ、おれ、オーストラリアにいた頃、60日間連続でテントを張って過ごしてたわ・・・忘れてた!ククク」


話は戻って、僕のキャンプ用品。
ガソリンストーブというのを買った。
ガソリンを入れて、ポンプをシュポシュポして、コックをひねって火を点ける。ガソリンを燃料にすれば、困ることはない。

同じ職場にいるマコトくん。マコトくんはもうすでにオーストラリア一周の旅を終えている。
関西人のマコトくんは言う。
「そんなストーブじゃあかんわ!そんなんじゃ周れへんで。やめときや!せっかく買ったのに?せれやったら、おれが使ってたガスタンクのストーブ、もう使わへんからタダであげるわ。そんなガソリンストーブじゃあかんで!」

せっかく買ったのに。シュポシュポガソリンストーブ。確かに、使い勝手はすごく悪い。

そんでもって、マコトくんは本当にガスタンクをくれた。
ガスタンクってわかるかな?
プロパンガスのタンクあるでしょ?あれ。あれの小さいやつ。屋台の焼きそば屋とかが横っちょにおいて使ってるやつ。
小さいっていっても大きいよ。重いし。ガスタンクだし。
ガスタンクの上のガスの出口に、ガスコンロの火が出るところみたいな部品をくっつける。そんで、そんでガスタンクの栓を緩めて、ライターで火を点けると、ボーッと燃える。
つまり、ガスタンク直なの。
見たことある?ガスタンク直で火を点けて調理をしている人。

いるんだよねぇ。マコトくんと、おれ。

そのマコトくんが行った。
「エクスマス、行かなアカンよ」

エクスマス?
聞いたことがない。

何があるの?

「めっちゃエエことがあんねん!」

つづく。

写真は、隣町、都幾川の紅葉。

#15-3 回り道のススメ。迷い道のススメ。探せ探せ、道を探せ!

2017-11-24 01:59:02 | Weblog


人は、人とは、経験則で生きるものだ。
その人生が長かろうと短かろうと、深かろうと浅かろうと、自分の経験則を頼りに生きる。

僕は想う。・・・それがいけない。
僕は想う。・・・それだからダメなんだ。


エアーズロックを眼前にした僕がいる。

大げさじゃなく、押し黙るしかない。

見たこともないものが、そこにはあった。
写真で見たものとは違う。映像で見たものとも違う。ましてや、偽エアーズロックとも違う、とんでもなくとてつもないもの。

僕は反省をするのである。
「エアーズロックなんて見る価値あんの?」とか言ってごめんなさい。
「エアーズロックなんてもう何回も見てるよ。旅行のパンフレットにさ、ほら、これこれ」とか言ってごめんなさい。
「荒野の真ん中にドカンとあるやつでしょ?なんとなく想像ついちゃうんだよねぇ」とか言ってごめんなさい。
僕はバカです僕は馬鹿です僕はばかです。

エアーズロックの頂上に登った。
エアーズロックの周りをグルグルと回って、何万年も前に描かれた先住民の壁画を見た。
夕暮れ時、西からの陽を受けて、エアーズロックが真っ赤に染まる。
僕は信じられない風景を、毎日毎日眺めながら、何日も過ごした。

たった1000キロの回り道がなんだ?
危ないところだった。たった1000キロの回り道を嫌って、重要な体験をし損なうところだった。
若輩の経験則と決断に従って進んでいたら、大切なことに気づけずじまいだった。

大切なのは、この目で見ることである。
大切なのは、自分自身の知ったかぶりな経験則を信じるな、ということである。

その地に出向き、この目で見、この耳で聞き、この肌で感じること。それ以上に大切なことはない。

これは旅の話だ。
口コミや人の評判に左右される意味などない。自分の目で確かめるべきだ。回り道だとしても、無駄な行程だとしても、それがなんだという?それが旅だろう?

これは人生の話だ。
損得勘定に左右されたり成功率を計算してみたり、自分を納得させるための言い訳をしてみたり・・・そんなものはいらない。
やればいいんだよ。ただやればいい。やりたいことを。やるべきことを。
ダメだった時?心配ないよ。
そこから、次のステップが・・・始まる。
それが人生だろう?

こうして、僕の世界は始まった。
分かれ道が目の前にあったら、迷う。迷い、そして、面白そうな道を進む。時に、困難そうな道を選ぶ。

出来てか出来てないか?そんなことは知らない。
ただ、そう心がけている。

ではでは、プロローグ〜世界の始まりの唄を、どうぞ。

12/16は下北沢lownでしんぐくんのソロライブ。
みんな来てね。

写真は、羊の腸の塩漬けを水で戻しているところ。・・・まぁまぁまぁ。


「プロローグ〜世界の始まりの唄」

すべてを包み込むような 大きな愛になりたくて
世界の始まりのような 君が僕の愛の唄

嵐の中を進むように 砂埃をかぶりながら
僕が守るべきものは 君に歌う愛の唄

 涙が零れ落ちる夜を 少しためらいがちな夜を

そのままの君でいればいい 光を探し歩けばいい
僕は君の後ろにいて 君を守り続けるだろう


時が過ぎ変わりゆくもの 変わらぬが故の想いを
抱きしめたまま見つめてる 君こそ僕の愛の唄

雨の中にたたずむように ただ時を刻み込むように
僕が伝えるべきものは 君に捧げる愛の唄

 優しさがあふれ出す夜を 少し逢いたさが募る夜を

そのままの君であればいい 自由の空にいればいい
僕は君の後ろにいて 君を守り続けるだろう


疲れたら少しだけ・・・僕のそばで眠ればいい
目覚めたらちょっと笑って・・・新しい風のその中で


#15-2 パンストを被った旅人の話。

2017-11-23 01:09:59 | Weblog


エアーズロックへと向かう途中、偽エアーズロックなるものがある。

「あっ!エアーズロックだ!」と思う。荒野の中にどでかい小山みたいなのがそびえている。あれはエアーズロックに違いない。あれがエアーズロックに違いない。
でも、なんか、ちょっと、思っていたエアーズロックと形が違うなぁ。
「ふーん、実際に見ると違うもんだなぁ」と思いながらガイドブックを見ると、「それは偽エアーズロックです。おまえは必ず騙されるが、それは違う、偽物だ。トーシローめ。」と書いてある、
ガーン・・・騙されたぁ。

「すげぇなぁ、このガイドブック」とか、ブツブツ言いながら尚進む。

真夏のアリススプリングスである。真夏のエアーズロックである。
何がすごいって、ハエがすごい。ハエがすごいという言葉では足りない。地球上のハエの半分くらいはここにいるんじゃないか?ってくらいすごい。
前を歩く人のTシャツ、白いTシャツが黒いTシャツに見える。もしくは、白いTシャツなのにプリントが入っているように見える。全部ハエ。死ぬ。
そして、暑さのせいか知らないが、ここのハエは動きが遅い。背中に止まっている大量のハエを手のひらで叩こうものなら、きっと、全部潰せる。遅い。手のひらの形にハエが潰れる。そんなのは嫌だから、そんなのは嫌だしキリがないから、誰もそんなことはしない。

みんなアレを被る。アレってのは、アレだ。帽子をかぶって、さらにネットになってるやつを被る。
僕も被った。被りたくはなかったが、遅いハエが顔に止まって、目とか耳とか鼻とか、穴という穴に入ろうとしてくる。気持ち悪さマックスなのである。だから被った。帽子を被らないでネットだけ被ったら、パンストを被った人みたいになった。仕方がないから帽子も買った。

ネットを被れば、顔にハエは止まらない。楽々楽勝である。だがしかし、顔に被せたネットには止まる。無数に止まる。直に止まられるよりは一億倍マシだが、全てがハエ越しの風景。あぁ、これがアウトバック。これこそがアウトバック。


初めてエアーズロックを目撃した時のことが忘れられない。今でも鮮明に覚えている。
もしかしたら、僕が持つ価値観の基準は、その瞬間に生まれたのかもしれない・・・とさえ思える。
つまり、僕の「世界」はその時に始まったといっても過言ではない。

という話に、なかなかたどり着かない。

つづく。

写真は、我が家のカエデちゃん。黄色から赤に変わりつつある。葉っぱの先が赤くなってきているよ。

#15 オッケー、オッケー、オッケー。・・・。全然オッケーじゃないよ。

2017-11-22 04:25:05 | Weblog


十五曲目。「プロローグ〜世界の始まりの唄」(ライオンズポートレート2に収録)。

エアーズロックに行きたいと、時々想う。
エアーズロックに登るのは、お金もかかるし、命の危険も伴うし、一度登ったからもういいかな、と想う。でも、でも、神の風が吹くエアーズロックの頂上から、遥か彼方に見えるマウントオルガは、やっぱり見たい。

僕はオーストラリアを一周している。ケアンズを出発して2000キロほど走ると分かれ道に突き当たる。その名をスリーウェイズという。ただの丁字路なのだが、荒野の一本道をただただ西を目指してひたすら走ってきた者たちにとっては、ここが大きな分岐点だ。

北へ上ればダーウィンへ向かう。南へ下りれば南オーストラリアのアデレードへ向かう。つまり、どでかいオーストラリアを縦に分断する一本道が、そこにはある。

僕は、スリーウェイズの手前で車を停めて、スリーウェイズのなんてことのない道の写真を撮ったりしながら悩んでいた。迷っていた。・・・北か南か。
北へ向かう道は、オーストラリア一周のすんなりコースである。ダーウィンから西へ向かえば、西オーストラリアへ出る。
南へ向かう道は、アリススプリングスへと向かう。アリススプリングスにはエアーズロックがある。地球のヘソ。オーストラリアのど真ん中、エアーズロック。

エアーズロックにはそれほど興味がなかった。なぜなら、何度も見たことがある。もちろん、写真やテレビで。まぁ、すごいんだろうが、なんとなく想像がつくじゃないか。荒野にどでかい赤い岩がどかーんとある風景。想像がついてしまうじゃないか。しかも、エアーズロックの高さは、たかだか400メートルくらいだ。富士山は3667メートルだろ?つまり、富士山の方が9倍も高い。
エアーズロックなんて、見なくてもいいんじゃない?このまま北へ向かってしまえばいいんじゃないの?

なぜ悩むのかというと、スリーウェイズからアリススプリングスまで500キロある。アリススプリングスからは、元来た道を戻って北へ向かうわけだから、往復1000キロの回り道になるのである。ただただ荒野を1000キロ。・・・エアーズロックに、それほどの価値があるのか?ただのでかい岩じゃねーのか?

スリーウェイズから南へ25キロ。テナントクリークという小さな町がある。どちらにせよ、僕はその町へ行かねばならなかった。なぜか?ついさっき、通りすがりの警察に捕まったからてある。最悪なのである。
道すがら、すれ違ったパトカーが、急旋回して、猛スピードで追い上げて来た。何事かと思った。
車を停めさせられ、アルコールチェックをさせられる。もちろん、アルコールの反応などない。まぁ、無実が証明されたわけだからよし。
保安官は言った。
「オッケー。アルコール、異常なし。オッケー、シートベルト、してなかったね?オッケー、反則切符を切るよ。オッケー、ここから200キロくらい行くとスリーウェイズに出るから、そこを左ね。オッケー、テナントクリークの警察署へ寄って罰金払ってね。オッケー、じゃあ、良い旅を!」

頭に来たのである。アルコールチェックはフェイクだった。くっそぉ!

今思うと、警察に捕まったから、しょんぼりしてしまって、エアーズロックになんて行かない!と言っていたのかもしれないな。忘れたけど。それは大いにありえる話だ。

とりあえず、南へ向かった。テナントクリークへ行かねばならぬ。
色々と後から考えると、罰金なんて払いに行かなくても良かった。ブッチしてしまえば良かった話だ。その後駐車違反で切られた反則切符は、全部ブッチした。
だがしかし、その時は南へ向かった。25キロ。罰金を払いにテナントクリークの警察署へ。

しかし、これが良かった。南へ25キロも走って来てしまった。スリーウェイズまで戻れば、往復50キロ。払いたくもない罰金のために、馬鹿みたいである。頭に来た。馬鹿みたいなのはイヤなのである。

あったまにきた!おれ、このままエアーズロックへ行っちゃうわ!そしたら、この25キロも無駄じゃない!

ブーン。


長くなったので、つづく。

写真は、昨日の夕方の三日月。

アリンコに喰われて死す。

2017-11-21 04:27:49 | Weblog


蟻塚を蹴り倒した仲間がいて、少し嬉しかったりする。荒野の中の狂気は、きっと誰にでもある。
コンクリートジャングルの中の狂気も誰にでもある。人間砂漠の中の狂気も・・・ね。

生のサソリを見たことがある。生のというのは野生のという意味だが、野生のサソリとはあまり言わない。つまり、普通に普通の生活の中でサソリを見たということ。生活の中に、サソリ・・・いる?スコーピオン、いる?

ノーザンテリトリーで野宿をしていた時のことである。
普段は野宿はしない。二日にいっぺんくらいしかしない。普段は、キャラバンパークというキャンプ場みたいなところにテントを張って泊まる。300円くらいで泊まれる。シャワーも付いてる。
不思議なもので、長く旅をしていると、その300円が惜しくなってくる。たった300円なのに。

その夜は道端で野宿をした。ふと足元を見ると、サソリがいたのである。驚いた。初めて見た、サソリ。

このサソリが、だいぶ弱っていた。僕が見つけた時点でだいぶ弱っていた。弱っているサソリなど怖くない。全然。

そのサソリがアリンコに襲われているのである。サソリ対アリンコ。時を忘れて、対決の行方を見守るのである。

サソリ一匹対、アリンコ1億匹。アリンコの絶対優勢である。

たぶん、僕が思うに、サソリ一匹対人間だったら、もしかしたらサソリにも分がある。なぜなら、サソリの尻尾には毒針が付いている。シャシャーっと動いて毒針でプスっと刺せば、人間はコロリンと死ぬのだろう、きっと。サソリの勝ちである。
だがしかし、今回の相手はアリンコなのである。無理だ、無理だよ、サソリくん、アリンコは刺せないよ。標的が小さすぎる。そして1億匹。

アリンコの勝ちである。
つまり、僕が見た初めての生サソリは、結構弱かった。アリンコに負けた。

ちなみに、オーストラリアには人食いアリンコってのがいて、身体の三分の二を食べられた姿で見つかった人がいるらしい。とか、言ってる人がいたよ。ホントかどうかは、僕は知らない。

サソリや人食いアリンコに侵入されないように、テントのジッパーを念入りに締めて、眠りにつくのである。

つづく。

写真は、畑でキャンプファイアー。いや、ただ廃材を燃やしているだけ。

添加物で、人は狂う?

2017-11-20 01:26:55 | Weblog


オーストラリア中央の北部。人が住まない場所。赤い荒野。その名をノーザンテリトリー。
オーストラリアは連邦制をとっている。首都と六個の州と一個の準州。州になれない一個の準州がノーザンテリトリー、アウトバックと呼ばれる場所である。ちなみに、エアーズロックはノーザンテリトリーにある。

ノーザンテリトリーに住む人は少ない。町も少ない。どこまでも、
行けども行けども、赤い荒野の礫砂漠である。

例えばノーザンテリトリーの人口は23万人くらい。23万人の人口というと、渋谷区の住人と同じくらい。
例えば、ノーザンテリトリーの面積は日本の4倍である。日本の4倍の面積に、渋谷区の人口全員がバラけて住んでいるのである。
ちなみに、ノーザンテリトリーの面積は、渋谷区の面積の12万3400倍である。

とにかく人がいない。町といっても、30秒で通り過ぎてしまうほど小さい。


蟻塚がある。
知ってる?蟻塚。
アリンコが頑張って頑張って頑張りぬいて作る背の高い巣。
日本だとアリンコは地中に巣を作るが、アウトバックのアリンコは土を盛って塚にする。

巨大さで有名な蟻塚になると、高さ5メートルを超す。超どでかい。何十年何百年という月日をかけてアリンコが作ったものだという。

赤い荒野には無数の蟻塚が建っている。めっちゃ建っている。

人間よりって、時々、ふとした瞬間に狂気が目覚めるの時があるのだと想う。
赤い荒野のど真ん中に車を停めた僕は、赤い荒野に走り込んで行って、無数の蟻塚にキックをし始める。なぜなのかは・・・僕にはわからない。
きっと、僕の中に棲む破壊願望が・・・出たのかもしれない。それか、景色に飽きていたのか、疲れていたのか。

キックしまくってゼーゼーと息を切らす僕なのである。
「アリンコー!まいったか!!!」
アリンコはまったくまいっていないのである。見渡す限り、億を超える蟻塚が360度の風景の中にある。

ふと我に返る僕なのである。

「あれ?蟻塚が倒れているよ?」

自分が蹴り倒した蟻塚を片っ端から直して回るのである。

なんだったんなろうなぁ・・・あの瞬間は。と時々想う。
次に行った時には、倍の蟻塚を蹴り倒してやりたい、とも思わないこともない。

人間の心の中に潜む、破壊願望、破滅願望、サイコパスについての話である。

自分を普通の人間だと思うなよ、
みんな、奇人であり変人であり変態である。
どこで壊れるかなんて誰にもわからない。

世を騒がす事件の数々。
ごく一部の奇人が起こしているかのように思うこともできるが・・・否。
みんな、簡単に加害者にもなれる。

あぁ、気をつけようっと。・・・ってね、そういう話。

写真は、深谷の無添加ジェラート。美味しい。

毒を盛ったのは誰だ!!!?事件。

2017-11-18 00:59:55 | Weblog


なぜ、あちこちの浜辺に、世界中の浜辺にフグが捨てられているのか?
それはね、フグには毒があるからだよ。

「人間は死ぬけど、イルカは死なないかもしれないしな」という僕なりのロジックである。

だって、お腹を空かせているイルカに何かを食べさせたいのである。僕だって、餌付けをしたいのである。

毒入り小魚ちゃんを指でつまんでブラブラさせながら海へ入ると、可愛い可愛いイルカちゃんが僕のそばへと寄ってくる。うぅぅ・・・可愛すぎる。
毒入り小魚ちゃんをヒラヒラさせると、イルカちゃんが口を開ける。「エサくれ!エサくれ!」。

よーしよしよし、今あげるよ。よーしよしよし、今おいしいやつをあげるからね、イルカちゃん。

いやしかし、動物ってのは、すごいなぁ・・・とつくづく想う。

毒入り小魚ちゃんにパクッと食らいついたイルカちゃん。
わずか0.1秒で吐き出した。

えっ?なんでわかったの?

0.1秒じゃわからないでしょ?

もう一回あげてみる。またすぐに吐き出す。
もぐもぐもしないで、ゴックンもしないで、口に入る瞬間に吐き出すのである。すげーなぁ、イルカちゃん。わかるの?なんで?
何回もやったけど、ぜーんぶ吐き出されてしまった。餌付け、失敗である。
イルカちゃんは、人間より頭がいいのである。

モンキーマイアにはペリカンもやって来る。正真正銘の野生のペリカンである。
ペリカンって、結構大きい。ペリカンの口って、すごく大きい。

ペリカンが「エサくれ!エサくれ!」と近づいて来る。
「おまえもエサくれ攻撃かよ。ごめんな、エサなんかないよ」と僕はつぶやく。

ピーンと来た。

ペリカンなら食うかも!毒入り小魚ちゃん。

捨ててあるフグを探す。フグなんてすぐに見つかる。

ペリカンちゃん、ペリカンちゃん、ごはんですよぉ〜〜。美味しいですよぉ〜〜。うひひひひ。

ペリカンがフグをパク。その瞬間に「ペッ!」と吐き出す。

おい、ペリカン!おまえもか!

つづく。

写真は、夜明けをバックに燃える籾殻。

待っててね、イルカちゃん。

2017-11-16 23:33:05 | Weblog


オーストラリアの西の方。ブルームという町がある。ブルームから見るインド洋に沈む夕陽は世界一美しいらしい・・・。
世界一かどうかはまったくわからないが、夕陽がすごく大きかった。今まで見たこともないくらい大きかった、ような気がする。・・・さすがブルーム・・・と。

ブルームから、西の海岸線を南へ下りていく、
モンキーマイアという場所。モンキーマイアへ行けばイルカに逢える。ノンノンノン、イルカショーのイルカじゃないよ。野生のイルカだよ。ワイルドドルフィン。
夕方、浜辺にいると、向こうの方から数頭のイルカがやって来る。エサをもらいに。イルカは言う。「エサくれ、エサくれ」。
そう、ここにやって来るイルカちゃんたちは餌付けをされている。果たして、餌付けをされているイルカを野生のイルカと言っていいものか・・・果たして・・・。
まぁ、野生である。だって、基本的に、生きているのは大海原だから。「エサくれ」だけで生きているわけじゃないし。
ここのイルカ、触れる。自由に触れる。なぜなら、野生だから。
膝まで水の中へ入って立っていると、周りをグルグルと泳いだり、白いお腹を向けてパシャパシャしたり。・・・可愛い。イルカちゃん、可愛すぎるぞ。

キュートなイルカちゃんたちは、「エサくれエサくれ」とねだってくるのだが、あいにく、僕は餌になる小魚を持っていない。奈良の鹿せんべいみたいに、イルカのエサ用の小魚は売っていない。なぜなら、野生だから。ちなみに、奈良の鹿も野生。

浜辺を歩いていると、小魚が落ちていた。「やった」。
釣り人が捨てた小魚である。見ると、そこそこ落ちている。「やった」。餌付けが出来る。待っててね、イルカちゃん。

「イルカは・・・フグ、食べるかなぁ?」

僕は小魚のシッポをつまんでブラブラさせながら、波打ち際で遊ぶイルカに向かって、ジャブジャブと海の中へと進んでいくのである。

つづく。

写真は、今朝5時半の嵐山の夜明け。新しく借りた畑より。

のび太くんに会ったよ。

2017-11-16 04:59:12 | Weblog


親ペンギンと子ペンギンの話の続きが知りたいとメールが来た。

フィリップアイランド。南極からの風は冷たい。冷たすぎる。
建物の中、柱一本を挟んで離れ離れになってしまった親ペンギンと子ペンギンである。母を訪ねて50センチである。歯がゆいのである。すぐそこにいるのに・・・すぐそばにいるのに・・・。歯がゆいのである。建物の中から観ている全員が、色々な言語で叫んでいる。「いるよ!そこにいるよ!すぐそばにいるよ!一歩下がって!一歩下がるんだ!あと少しで逢えるのに!」。トレンディドラマのすれ違いのシーンを観ているようなのである。
20〜30人はいただろうか。30分もすると、名シーンも飽きる。進展しないシーンには飽きる。人影がまばらになっていく。
もちろん、僕も飽きる。残念だが、飽きる。鳴き続ける親子ペンギンに飽きる。「なんだこのシーン」。ひどいのである。僕もその場を離れる。
建物の中をウロウロして、しばらくして名シーンの場所に戻ってみた。
親ペンギンと子ペンギンは再会を果たしていた。子ペンギンが親ペンギンに甘えまくっていた。逆に怒っていたのかもしれない。

どうやったのだろう?どうなったのだろう?

一時間近くも50センチの距離で離れ離れになっていた親子ペンギンはどうやって出会えたのだろう?そんな知恵があるなら最初から使えばいいのに。それはどんな知恵だったのだろう?

どうやって出会えたのかは、誰も見ていない、

オーストラリアの街中にはポッサムというリスみたいなモモンガみたいな小さな動物がいる。
夜行性なので夜になるとどこかから出てくる。
誰かが「あっ、ポッサム!」と叫んで、みんなで振り返るものの、振り返った時にはポッサムはもういない。そんなことを100万回も繰り返す。
「あっ、ポッサム」「えっ?どこどこ?」「あっ、ポッサム」「えっ?どこどこ?」「あっ、ポッサム」「えっ?どこどこ?」「あっ、ポッサム」「えっ?どこどこ?」といった具合である。
ポッサムは相当可愛い。

オーストラリアの北の方にはワニがいる。クロコダイルダンディである。野生のワニがウヨウヨいる。川に入ったらワニに食われる。川には入らないからワニには食われない。
ボートに乗るとワニが現れる。ワニがボートと並走したりする。オール一本でワニに勝てんのか?と思ったりする。
なんとかキャニオンという名のアメリカのグランドキャニオンのパチモンみたいな峡谷で、カヤックを借りて川を下った。
川下りの最中に出会ったのび太くんに似た通称のび太くんが言っていた。「さっき、あそこらへんにワニがいましたよね?」。
のび太くんは徒歩とヒッチハイクでオーストラリアを旅していた。数万キロを徒歩で・・・のび太くんはどうかしちゃってる。
のび太くんは「じゃあ」と言って、気温40度超えのアウトバックをトコトコと歩き始めた。のび太くんは、本当にどうかしちゃってる。
僕はしばらくの間、ひからびたのび太くんの屍がどこかに転がってるんじゃないかと、ドキドキしながら車を走らせていたのだった。

つづく。

写真は、セブンイレブンのクジで当たった高級飲むヨーグルト。

子ペンギン、飢え死ぬかもな。

2017-11-15 01:52:24 | Weblog


オーストラリアを、想像もつかないくらい広大なオーストラリアを車で走って旅をした。

カンガルー。相当いる。
オージーの車にはカンガルーバーという巨大なバンパーが付いている。カンガルーと衝突しても車は壊れない。カンガルーが吹っ飛ぶ。ちなみに僕の古い車には付いていない。カンガルーに当たったら、イチコロで壊れる。

エミューもいる。エミューは群れでいる。時々エミューの群れと並走して走る。エミューと共に夕陽に向かって一直線の道を走る。

コアラはなかなか見られない。ユーカリの森はそこら中にある。だからきっと、本気で探せば見つけられる。車でビューンと走りながらではなかなか見つけられない。
ユーカリの木は種子保存の法則で、時々自然発火をするらしい。ブッシュが燃える火事のことをブッシュファイアーと呼ぶ。
車で走っていると、頻繁にブッシュファイアーに出会う。大抵の場合、消化活動などしない。人が住んでいる地域以外では消化活動などしない。自然に鎮火して、ユーカリの種が高熱で弾け、新しいユーカリの森になる、という仕組みらしい。
ブッシュファイアー後の焼け焦げた大地を散策すれば、丸焦げのコアラちゃんたちに会えるらしい。死んだコアラに会っても仕方がないので、僕は探さなかったけどね。

森に行くとワライカワセミがいる。クックァバラ。
ベーコンで誘き寄せる。ベーコンを見つけたクックァバラは、ベーコンをクチバシに挟んでペロリと丸呑みにする。そして、鳴く。「クゥッカッカカッカッカッカ!」。すげぇ、うるさい。
でも、楽しいから何回もベーコンを投げる。クックァバラは何回もベーコンを取りに来て、何回も呑み込んで、何回も鳴いてくれる。

フィリップアイランドにはフェアリーペンギンがいる。世界最小のペンギン。妖精みたいなペンギン。
親ペンギンは海へ魚を取りに行く。産毛だらけの子ペンギンはジッと親の帰りを待つ。見ている僕らもジッと待つ。
親ペンギンが帰って来て、子ペンギンに獲ってきた魚を口移しで食べさせる。実のところ、親ペンギンと子ペンギンの大きさにはほとんど差がなかったりする。だから、子ペンギンよりも、親ペンギンの方が可愛かったりする。
フィリップアイランドには南極からの風が吹き付ける。相当寒い。耐えきれず建物の中へ入る。建物の中から妖精ペンギンたちを見ることができる。
僕がいる建物の窓のすぐ下で子ペンギンが親の帰りを待っていた。向こうの方から親ペンギンがやって来た。感動の再会の場面である。ところがである。親ペンギンは窓と窓の間にある50センチほどの柱の逆側に帰って来てしまった。
あれ?子ペンギンちゃんがいない。親ペンギンは鳴く。鳴いて呼ぶ。
あれ?親ペンギンが鳴いていると子ペンギンは気づく。子ペンギンは親ペンギンを呼んで鳴く。
あれ?すぐそばで子ペンギンの声がする。親ペンギンはもっと鳴く。
ん?親ペンギン、親ペンギン、どこどこどこ?と子ペンギンはさらに強く鳴く。
柱を挟んで50センチ。こちらから見えるのは、左側の窓の外に子ペンギン。右側の窓の外に親ペンギン。真ん中に柱。あーーー、イライラする!そこにいるよ!そこにいるよ!気づけって!!!
そこで見ている世界中のみーんながそう思っていたんだよ。

つづく。

写真は五色沼。毘沙門沼。青いねぇ。

みんなみんな旅人だった。

2017-11-12 03:34:24 | Weblog


オーストラリア。
みんな旅人だった。みんなおそろしく若い旅人だった。

車で周る者、バイクで周る者、はたまたバスで巡る者。はたまた周らない者。誰も彼もが旅人だった。

みな、働きながら旅をする。働いては旅をし、旅をしてはまた働く。

旅人はいつまで旅人なのか?旅人でいられるのか?そういう問いなのである。

オーストラリア、ケアンズ、リリーハウスのシェアメイトたちとは、帰国後何度か集まった。

カナダに行く者、南米を巡る者、ニュージーランドへ渡る者、様々である。

みな、しばらくのうちは旅人のままだった。
よくいう人生のレールからドロップアウトし異国へ流れた者たちである。何かを探し求め、未知なる冒険に想いを馳せ、なんだかんだとゴタクを並べながら楽しいことだけを探している。

その後のことは、知らない。旅人たちがその後いつまで旅人だったのか、はたまた今もなお旅人なのか、僕は知らない。
旅人たちと会わなくなって久しい。

僕は旅人なのか?それは・・・果てしなく怪しい。今もなお旅人なのか?・・・わからないな。

古い友人。ジュンちゃんに尋ねた。その後の人生を尋ねた。

結局のところ、辿り切れなかったし、書き切れもしない。

「今、73ヶ国やな」。そう言っていた。

僕が聞いただけでも、ニュージーランド、タヒチ、ドイツ、クロアチア、スイス、モナコと、海外で働いている。タイでは、お店も開いたらしい・・・一年で潰れてしまったと言っていた。

今は福島の天栄村で働いているが、三ヶ月前には石川県で働いていた。来月には広島で働く予定だと言っていた。

めまぐるしい。

今彼は日本一周も目論んでいる。今のところ38県を制覇したという。

実にめまぐるしい。

僕は旅人なのか?・・・旅人である。
僕は今もなお旅人なのか?・・・オフコース旅人。

旅人たちはどうしているだろうか?
夢を叶えた者はいるのだろうか?
まだ旅を続けている者はいるのだろうか?

憧れはこの胸の中に。
未だ見ぬものたちに告ぐ。
「もうすぐ行くよ。待っててね」


写真は、会津若松名物、白孔雀食堂のソースカツ丼。

生きるのがー辛いとかー苦しいだとかー言う前にー

2017-11-10 23:58:08 | Weblog


北海道を旅しているとして。
道東の真ん中あたりに足寄という小さな町がある。
特に何があるっていうわけでもないのだけれど、そこら辺を通る時は必ず足寄銀河ホールという道の駅に寄ることにしている。
なぜか?

千春にーさんがいるからである。

正確には、千春にーさんはいない。
足寄町は千春にーさんの出身地である。
足寄銀河ホールの入り口前には千春にーさんの石碑があって、ボタンを押すと、かなりの音量で歌ってくれる。・・・大空と大地の中で・・・。

「はてーしーないー おおーぞらーとー♩」

足寄に行った際にはぜひ。


これは今日のこと。
畑で玉ねぎの苗を植えていたら、電話がなった。
手袋を外して、ポケットから携帯を取り出して画面を見ると、従 従姉妹の名前が。
従姉妹から電話が来ることなどそうはないので、何事かと思って電話に出る。

11月14日は空いてる?と従姉妹は聞いてきた。

僕の予定なんぞはほとんど空いてる。ライブの日の12/16以外は空いていたりする。

空いてるとは言わずに、何事かと聞いてみる。

「松山千春のコンサートがあるんだけどね。場所は国際フォーラム」

つまり、せっかく取った千春にーさんのコンサートに行けなくなってしまったらしいのだ。つまり、もったいないから代わりに行ってくれないかということだな。きっと、チケット代は要らないからと言うんだな。

僕は考えた。スーパーコンピュータばりの速さで考えを巡らした。

千春にーさんのコンサートを見るために、電車に乗って国際フォーラムへと向かっている自分の姿を思い浮かべたのである。

ねぇ!おれ、全然心が踊ってないじゃん!
どちらかというと憂鬱な面持ちの僕なのである。

そんなわけで、千春にーさんのコンサート、丁重にお断りさせて頂きました。

千春にーさんが嫌いってわけじゃないんだ。
そうじゃないんだ。

僕は、千春にーさんの唄は、北海道の大地の真ん中、足寄町で聴きたいんだ!

ってことなんだよ。

ちゃんと断った、僕の勇気と決断に、今日は乾杯だ。

写真は、足寄銀河ホールの千春にーさんと、コデラーマン。

ねぇ!いつ以来!!!?

2017-11-09 23:51:00 | Weblog


唐突だが。
シュウとマコと三人で大宮の路上に出始めた頃、人気のあるグループがいた。その名をチェリーアイランドといい、「いつかチェリーアイランドの人気を抜いて、大宮で一番にならないとな」と、シュウはいつも言っていた。
その後、Trash Box Jamの人気は着々と上がり、そろそろチェリーアイランドを追い抜くぞという頃に、チェリーアイランドはあえなく解散してしまった。
それもまた、だいぶ昔のことである。



「久しぶりぃ」。

本当に、久しぶりの再会である。

「オーストラリア以来だねぇ」。と僕は言う。

違うやん。帰ってきてから、テンちゃんとマサくんと4人で会ったやん。

「えっ?・・・あぁ、そうだったっけねぇ。・・・うん、会った会った。(会ったような気がする)」。

そっかそっか。

「そっかぁ、それ以来かぁ。やっぱり久しぶりだねぇ」

その後も、二人で飯食いに行ったやん。

「えっ?どこに?池袋?何したの?・・・あぁ、あぁ、会ったねぇ、池袋で。(そんな気がしなくもない)」

その後もセッちゃんと三人で会ったやん。
さらに、二人でもう一回会ってるで。

「えっ、そうなの?ほんとに?あれ?ほんとに?」

なんも覚えてへんのやな。

「いやぁ、思い出した思い出した(なんとなく)。で、最後に会ったのっていつなの?」

アニーズガーデンは知ってるで。せやせや、今は路上で二番目の人気やけど、もうすぐ一番になるって言ってたわ。

「・・・それって、結構最近の話だねぇ・・・最近ではないけど・・・まぁまぁ最近っていうか・・・」

友人の名前はジュンちゃんという。

「ねぇ、ジュンちゃんって歳いくつだっけ?」

二つ上やで。

「えっ?そうなの?まち?おれ、同じか下かと思ってた」

ほんまになんも覚えてないんやなぁ。おれはちゃんと覚えてるで。


そんなわけで、すごーく久しぶりかと思ってたら、まぁまぁくらいの久しぶりだったわけで。
結局、僕の「何も覚えていない病」がまたここでも発覚したわけで。

大宮の路上で一番とか二番とか、どうでもいいことを威張って言ってたみたいで、すごく恥ずかしかったりするわけで。
結局、振り返れば、いつの時代も今よりも若くて青くさい自分がいるわけで。


昔の話。ある時、ニュージーランドにいるジュンちゃんから手紙が来た。
「どうにもこうにも何もかも上手くいかない。もう日本へ帰ろうと思う」と書いてあった。

僕はエアメールで自分のCDをニュージーランドへ送った。

ジュンちゃんから返事が来た。

「なんかめっちゃ元気が出たわ。頑張ってるんやな。おれももう少し頑張ってみるわ!」


これが、僕とジュンちゃんとの、最後の交信だったと記憶している。

もう覚えていないのだけれど・・・僕が送ったCDは・・・アニーズガーデンの「アニーポップ」だったのかもしれないなぁ・・・とどうでもいいことを、今、想っているのである。


写真は、会津若松のジェラート。ミルクとマロンとオマケのイチゴミルク。