ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

生まれたての金色の太陽

2016-10-21 23:43:53 | Weblog


ほら、キミがずっと欲しがってた「生まれたての金色の太陽」だよ。

キミにあげるから、なくさないでね。

いつかキミがボクのことを忘れちゃったとしても、なくさないでね。

ほら、キラキラと輝いて・・・綺麗だよ。

実るほど頭を垂れたい。

2016-10-10 10:22:00 | Weblog


我が畑の貸し主の柿本家の田んぼである。

もち米を刈るから「集合!」とかけ声がかかった。

柿本家というのは、うちの親方の嫁の実家。
つまり、親方が呼ばれたので、必然的に僕も呼ばれるという構図である。

朝の9時に田んぼへ行くと、もう稲刈りが始まっていた。

親方が小さな稲刈り機をブインブインいわせている。

稲刈りなんて初めてなので、勝手がわからない。

稲刈り機でバババーっと刈って、稲刈り機が縛ってくれた藁の束を、丸太を組んで作ったウマというものに乗せて干す。

ふーん、、、そういうことね、、、と少しの間見ている。

どうも稲刈り機の動きがおかしい。

水抜きに失敗したのか、雨が多い天気のせいか、田んぼは泥でグチャグチャである。

稲刈り機が泥にはまって動かなくなる。

ただでさえ泥んこ祭り状態で稲刈り機は進まない。なのに、実のところ、稲刈り機のタイヤがパンクしている。しかも両輪。

言うまでもなく、タイヤが付いているということは、そのタイヤには意味がある。タイヤは稲刈り機を前に進ませるために付いているのであって、そのタイヤがパンクしていれば、タイヤは意味を成さず、稲刈り機は前には進まない。

親方の英断である。

泥んこ祭りになっていない所は親方が刈る。親方が稲刈り機を「牛」のように押して稲を刈る。泥んこ祭りの箇所は手刈りである。鎌を使って、昔ながらの稲刈りである。

僕らは泥に長靴を取られながら稲を刈る。
親方は泥の中を牛ばりに稲刈り機を押す。

なんか、これって、普通の稲刈りじゃねぇなぁ。と思ったりする。

向こうの方の畑では、コンバインを使ってすごーい勢いで稲刈りをしている人々がいる。
コンバインに乗って、田んぼの中を行き来する。コンバインが稲刈りと脱穀を自動で済まし、籾を軽トラックの荷台にドドドーっと排出する。
軽トラックは乾燥機まで走っていき、乾燥機に入れれば籾摺りと乾燥が終了。玄米の出来上がり。
これが、まぁ、現代の稲刈りの「普通」。

僕ら。

泥んこになって、稲を鎌で刈る。刈った稲を藁でしばる。藁でしばった稲をウマに掛けて干す。天日で干す。
ちっちゃな田んぼを一つ。丸一日。

やはり、天日で干したほうが、お米は美味しいそうだ。

機械の力はすごいが、人の力もすごい。
機械は人がやる仕事を瞬時に終わらせてしまってすごいが、人は、機械がやる仕事を時間をかければ終わらせられるからすごい。

どっちがすごいという話ではなく、どっちもすごい。

まぁ、とにかく、稲刈りは楽しい。

稲刈りの手伝いに呼ばれたとして。
軽トラックで、田んぼとカントリーエレベーターの往復を頼まれるよりは、鎌を持たされて稲を刈らされる方が良い。

「稲刈り」って感じがするもんね。

グッドアフタヌーン嵐山。

2016-10-04 16:51:54 | Weblog


真面目な話、全然やる気が起きない。

何が?って。

草刈り。

畑の草取り。

もう無理。

全然無理。ムーリー。リームー。

草原になってる。

太刀打ちできませんよ。

水筒に入れてきた珈琲を飲む。

もうやめた。

一箇所目で心が折れた。

あと三箇所もあるのに。

まぁ、いいんだよ。

ららら、と唄を歌いながら。

日が暮れるのを待って。

今日は精一杯やったと言い聞かせて。

帰るんだよ。

ははは、と笑いながら。

笑うしかない。


僕の相棒。

2016-10-03 18:59:11 | Weblog


久しぶりの我が家は、我が家の庭は、草だらけ。

ははは。

今、無事に到着です。
遠いなぁ、大洗。
たった140キロなのに4時間半。
これが関東の道なのですね。

それほどの雨にも降られず、幸運な旅人です。
とにかく、三年振りの旅人は、幸運だらけの旅人でした。

シャドウちゃん、僕を連れて行ってくれてありがとう。
僕を連れて帰ってきてくれてありがとう。
よく頑張りました。

明日、ピカピカに、磨いてあげるからね。

古河。

2016-10-03 16:53:20 | Weblog


セイコーマートがないので、セブンで買ったコーヒーを飲んでます。

大洗港から、用意!ドン!でスタートして2時間です。休憩です。

渋滞の時間です。車が多い。嫌だなぁ。
どのくらい多いかというと、北見くらい多い。ここは茨城だから。

これから、しっしーの嫁、やよいの故郷、埼玉の地の果てと呼ばれる栗橋に突入です。嫌だなぁ、栗橋。何が嫌ってこともないんだけどね。ははは。怒るなよ、やよい。

雨はそれほど降ってない。
あと2時間。無事に。無事に。
それだけを願って。

あっ、ピーナツチョコ買おうっと。

30年前のおじさま。

2016-10-03 12:44:24 | Weblog


キノコのおじさまと僕と、愛知から来た家族四人と。
小さな高野民芸店は賑やかである。

そこに、また一人お客さんがやって来た。

こんなことがあるのだろうか?

何度も失礼ながら、「このお店にお客は来るのだろうか?・・・来ないだろうな」と、思っていたからである。ごめんなさい、おじさま。

でも、おじさまも言っていた。

「こんなこと、珍しいよ」

そのお客さん。おばさまである。

聞くと、30年ほど前に出版されたアイヌ関連の雑誌を愛読している。愛読しているというか、図書館で借りて愛読している。というか、愛読し過ぎている。
というのは、図書館の貸し出し期間は2週間。2週間経ったら返さなければならない。返す。またすぐに借りる。返す。またすぐに借りる。

よくわからないのだけど、今も、その本を持っている。図書館から借りているその本を持っている。見せてくれた。

その本と同じ本を、高野のおじさまも持っている。

なぜか?

高野のおじさまが載っているのである。30年ほど前の。29年前って言ってたかな?
高野のおじさまが二風谷に来て、12〜3年の頃だと言っていた。

つまり、おばさまは、高野のおじさまの大ファンなのである。憧れの人なのである。

おばさまは、高野さんの顔を見て歓喜した。

僕は事情を聞いて首を傾げた。
おばさまが知っているのは、あくまでも30年前の高野さんの顔である。溌剌とした30代の高野さんの顔である。今の高野さんは、溌剌とはしているけれど、おじさまである。わかんのか?

「わかるわよ!」「ずっと写真を見てきたんだもの」

そして、高野さんの若かりし頃の写真を見せてくれた。

「わかんないでしょ?」と僕が言う。

「わかるわよ!面影があるじゃない!」

「面影・・・あります?」

「あるでしょ!こらっ!

高野のおじさまは、ニコニコと笑いながら、そんなやり取りを眺めている。

そして、おばさまに言う。

「マツタケ、食べて行きなさい」

おばさまは、とんでもございません、そんな高価なものを頂くわけにはいきません、と首を横に振る。

僕は、マツタケをピーっと縦に裂いて、口にパクッと入れて、モグモグしながらおばさまに言う。

「食べて行きなよ。美味しいよ。マツタケ」

するとおばさまは言う。

「あなたは、どうしてそんな風に、オヤツみたいにマツタケをモグモグ食べてるのよ?おかしくない?マツタケってそういうものじゃないでしょ?」

僕はモグモグしながら言う。

「だって、マツタケなんて、ここでしか食べられないんだもん。ほら、食べなよ、これ」


面白いおばさまだった。賑やかなおばさまだった。
数十年の憧れの人に会って、慌ただしく帰って行った。

いやしかし、高野のおじさまの人生の一端である。
様々な人に影響を与える人生の一端である。

高野民芸店。
そこはおもちゃ箱のような、素敵なお店。
何も売っていないように見えて、凄いものがたくさん飛び出てくる。

そこらにある、お土産用の民芸屋とは違うよ。

飛び出てくるのは、どれもホンモノばかり。工芸品もお話も。

僕は楽しくて仕方がない。

マツタケとキビご飯のオニギリをモグモグしながら、僕は楽しくて仕方がない。


高野のおじさま。ご馳走さまでした。
いつも楽しい時間をありがとうございます。
夢の館へ寄ることがあったら、お父さんとお母さんによろしく伝えてください。「ハガキに詩を書くバイクのおにーちゃん」で伝わると思います。

僕の大好きな人と、僕の大好きな人が、会う。
そんなこと、想像するだけで、たまりませんわぁ。


グッドモーニング旅人は宮城沖。

2016-10-03 10:09:22 | Weblog


旅ボケである。
グッドモーニングの写真を撮ったのに、グッドモーニングの記事を書くのを忘れていた。忘れていることに今気づいた。

旅ボケである。
遅くに寝ても7時前に目が覚める。テントの中じゃないのに、7時前に目が覚める。

旅ボケじゃなくて、ただのボケナスかもしれない。

旅ボケナスである。旅ナスではない。決して。

笑っているそこの君、笑っている場合ではない。

いや、笑っていてもいい。笑顔は大事だ。

グッドモーニング旅人さんは宮城沖。

朝からポテトチップとコーラを飲んだら気持ちが悪い。

ははは。だからなんだ?

暇なんだよ。僕は。


本物のおじさま。

2016-10-03 09:35:48 | Weblog


キノコのおじさまは、採ってきたばかりのマツタケを焼き続ける。焼き続けている。

次々と出されるマツタケに、お客さんも驚く。

「いえ、もうじゅうぶん頂きました」と恐縮している。

その頃には、僕もお客さんと仲良しになっている。

キノコのおじさまがいきなり言う。

「この人はミュージシャンでね、シングって言うんだよ」

僕はマツタケをパクパクと食べながら、驚いて笑う。

「何をいきなり言い出すんですか?」

おじさまは言う。

「宣伝しとかないと」

おじさまは面白い。

北海道の平取町の二風谷のアイヌの伝統工芸の民芸店を訪れたお客さんに「僕はミュージシャンでしんぐくんと言います」とは、なかなか言い出せない。

笑ったり、話したり、見たり、触ったり、着たり、持ったり、掛けたり、弾いたり、みんなで楽しい時間である。

実は、このお客さん。二風谷のアイヌの民族博物館で高野さんの作品を見て、その作者が民芸店を営んでいると聞いて、ピンポイントで高野民芸店を訪れたという。

愛知から、一泊二日の飛行機アンドレンタカーの旅である。今日着いて、明日帰るのである。

いや、いいんだよ。別に。ほんとに。すごく忙しい旅だよね。それもいいんだよ。ほんとに。そういうのありでしょ。

違うの。違うの。僕が聞きたいのはさ、そうじゃなくて・・・。一泊二日の旅で千歳空港に着いて、レンタカーを借りて。旦那さんと奥さんと小学生の子供二人と、北海道の楽しい思い出を。

で、なんで二風谷へ?

すごくない?

正味二日の半分を二風谷で過ごす?

僕は、二風谷が大好きで、必ず二風谷へ来る。
でも、きっとそれは珍しいことで。
旅人から二風谷の話を聞くことは、滅多にない。
旅人に二風谷を勧めても、行ったという話は滅多に聞かない。

僕は、この家族を素敵だなぁ、と思った。

しっかりとした価値観を持って生きているんだなぁ、と思った。

みんなが行く所。普通は行く所。みんながいいという所。みんなにいいと言われる所。一般。

自分が興味を持つ所。
自分が行きたい場所。

この家族は、二日間をちゃんと旅する旅人なんだ。

二風谷のおじさまは、男の子にアイヌのナイフや剣を持たせる。おもちゃではない。本物だ。
男の子が剣をかざす。男の子の瞳がキラリと光る。
二風谷のおじさまは、女の子には着物を着せてあげる。アイヌ文様の入った木綿の着物。おじさまの娘さんが、お祭りの時に着ていたもの。
おじさまが紐をキュッと結んであげると、女の子の顔から微笑みが零れる。

素晴らしきことは、ここには「本物」しかないということ。本物だけがあるということ。

本物に触れられる素晴らしさが、ここにはある。

僕は、そういう光景を目にしながら、高野のおじさまに出会えたことの「幸運」を、深く深く感じるのである。

キノコのおじさま。

2016-10-03 08:35:34 | Weblog


二風谷にたどり着いたのは午後3時頃。

キノコのおじさまが「おぉ、来たかぁ!」と迎えてくれる。

再びの「高野民芸店」である。

キノコのおじさまは、さっきまで山へ行っていた。山でキノコを採っていたのである。つまり、採れたてキノコなのである。

「今焼いてるからなぁ」と、おじさまは言う。

焼いているのはキノコである。キノコに違いない。焼きキノコである。丸ごと焼きキノコで間違いない。ファイナルアンサー。スーパーひとし君も出しちゃいます。

おじさまと四方山話をしていると。

お店の前に車が停まり、家族連れのお客さんが入ってきた。

高野民芸店は、れっきとしたお店なんですよ。アイヌの伝統工芸を扱う民芸店なんです。
あのぉ、まぁ、こういっちゃなんですが、僕は驚いてしまいました。おじさまには大変失礼なんですけどね、僕は驚いてしまいました。

「えっ?お客?」

えっ?お客さん来るの?しかも一見さん?
一見さん、入れるの?このお店に?とね。

だって、商売っ気がないんだもの。

初めて来た6年前には、もっと作品が並んでいたような気がするが、物産展やら工芸展やら個展やらのために、おじさまの作品たちは内地へ行っている。つまり、お店の中、パッと見、作品が無い。

そこへ、お客さんである。

あのぉ、えっとぉ、お店、間違えちゃったのかな。と、心配になる。

二風谷のキノコのおじさまは、いつもやわらか〜い微笑みを蓄えている。

「どこから来たの?愛知?」

「ほーら、ちょうどマツタケが焼けたよ。食べて行きなさい」

お客さんはびっくり仰天である。
店に入るなり、いきなり、焼きマツタケの登場である。

遠慮するお客さんに、おじさまは言う。

「これはね、自然から頂いたものだからね、みんなに分けてあげるのが当然のことなんだよ」

「ほら、さっきまで山へ行っててね、こーんなにたくさん採ってきたんだよ」

お客さんは、恐る恐るマツタケに手を伸ばす。

マツタケってさ、そういう存在だよね。丸ごとのマツタケなんて、恐る恐る手を伸ばすに相応しい代物だよ。普通はね。

二風谷の王様。

2016-10-02 21:53:31 | Weblog


昨日、メールが入った。
昨日というのは、今から見る昨日ではなく、一昨日から見る昨日であって、つまり、夢の館へ行く前の日のことである。

「帰り道に二風谷を通る?寄ってきなぁ」

そう、二風谷のおじさまからである。

帰り道に二風谷は通らない。実は、二風谷は通らないのである。残念だ。残念だよ、二風谷のおじさま。

「きのこ食べに寄ってねぇ」

え?
おじさま?
キノコとは?
キノコっていうのは?
あのキノコのことですか?
あの、キノコの王様のことですか?

えっとぉ、名前はなんていいましたっけ?
・・・えっと・・・確か・・・
ま、ま、ま、ま、まつ、まつ、まつたけ!

僕はおじさまにメールを返す。

「二風谷、通ります!全然通り道っす!絶対寄りますって!どちらかというと、最初から寄るつもりでしたって!」

そんなわけで、天馬街道を抜けた僕は、サラブレッド街道を突っ走っているのである。
サラブレッドには目もくれないのである。

浦河、静内、サラブレッド銀座と呼ばれる地帯。

馬が草を食む横を、僕は二風谷へ急ぐ。

だって、二風谷は通り道じゃないから。

サラブレッドちゃんの写真を一枚。せっかくだからね。

突っ走っていても、実は、のんびりなのである。


憧れの人。

2016-10-02 21:32:49 | Weblog


嵐山町の我が家には、我が家の縁側の軒先には、美玉と浮き玉が吊るしてある。

美玉は、沖縄の西表島で貰ってきたやつ。
浮き玉は、夢の館のお父さんに貰ったやつ。

いつだって目に入る場所に飾ってある。

南の果てと北の果て。旅人のココロに光が射し込む場所に。

夢の館の話。

また、お父さんの浮き玉が欲しくなった。

「お父さん、浮き玉ちょうだい」

ワハハハ。いいぞいいぞ。持ってけぇ、持ってけぇ。

「二個、ちょうだい」

ワハハハ。いいぞいいぞ。持ってけぇ、持ってけぇ。

僕は小さな浮き玉を二個握りしめる。

「大事に持って帰るからね」

「お父さんとお母さんはだと思って、飾るよ」

そうかぁ、そうかぁ。ワハハハ。


青くて綺麗な浮き玉だ。
そっと手に乗せて浮き玉の中を覗き込むと、向こう側で微笑む、お父さんとお母さんの姿が見えた。

優しくて、強くて、働き者の二人である。

僕の大好きな二人である。

緩やかな時の中で、強く、優しくて。

大いなる自然の中で、強く穏やかに。

僕はきっと、こういう人になりたい。

なれるかはわからないけれど・・・
こういう人になりたい。

無理を言って、二人並んだ写真を撮らせていただいた。
照れるお母さんは、整理していた枝で自分を隠しているんだよ。とても可愛い。
この写真は、僕の宝物にする。

こういう人たちに、僕はなりたいなぁ。

夢の館の話。

斜里から豊似まで。
なんでそんなところへ?と、人は聞く。
逢いたい人に会いに行く。

そして、逢いたい人に会えた。

それが嬉しくて、天馬街道を走りながら、「あぁ、嬉しいなぁ」と何度も何度もつぶやいていた僕なのである。


流木父さん。

2016-10-02 20:10:28 | Weblog


夢の館の話。

お父さんは、大樹の浜辺へ行って流木を拾ってくる。それを何年も乾かす。

カラカラに乾いた流木に魔法をかけると、世界に二つとない、流木アートが出来上がる。

流木チェアー、流木テーブル、流木三輪車、流木なんでも。流木なんでも。

どれもこれも欲しくなる。

こんなものが庭のあちこちに置いてあったら、可愛すぎて評判になってしまう。

このアートは売り物である。

驚くほど安い値札が付いている。

どれもこれも欲しいが、とてもじゃないけど、持って帰れない。残念である。いつも、残念である。

僕はお父さんに言う。

「お父さん、弟子にしてよ」

お父さんは言う。

「わははは。おれに教えられることなら、なんでも教えてやるさぁ」

お父さんは、ほんとに優しい。優しくワハハハと笑う。

夢の館の片隅に、もう一つ建て物がある。
お父さんが建てた建て物の中に飾られた古民具。古民具館に行くための小径は、足ツボマッサージになっていたような気がする。

お父さんはなんでもやってしまう。なんでも作ってしまう。
その一つ一つが、笑っちゃうくらいに素敵で、ため息が出るくらいのセンスにあふれている。

お父さんはお父さんであって、アーティストではない。
気の向くままに、好きなように。お父さんはお父さんでしかない。

珈琲とアンドーナツ。

2016-10-02 19:20:32 | Weblog


夢の館の話の続き。

夢の館とは・・・何か?

カフェか?休憩所か?

よくわからない。

珈琲一杯200円である。カフェである。

だが、持ち込み自由である。飲み物でも食べ物でも。休憩所である。

まぁいい。

お母さんが、「珈琲飲んでいって!」と、母屋に入っていった。

築100年くらいの古民家。お母さんの実家の建て物。
お父さんが定年を迎えた後で、お母さんと二人で修復し、今がある。

珈琲とアンドーナツとチョコレート。

お金を払おうとすると、お母さんは言う。

「お金なんか要らないわよ」

お金を取らなきゃカフェじゃない。

お母さんのご馳走である。

珈琲を飲みながら、お母さんとたくさん話をした。

僕が初めてここを訪れた時、窓越しに見える庭の紅葉を指して、「この風景、京都みたいです。素敵です」と言ったのを、お母さんは覚えている。

「あれが嬉しくてねぇ。京都みたいだなんて」

今年はまだ紅葉していない楓の葉を眺めながら、お母さんと話す。

北海道を襲った災害の話。
災害に遭って助かった知り合いの話。
災害に遭って行方不明のままの知り合いの知り合いの話。
何に備えればいいのか、何を備えても仕方がないのか。

大樹町も大雨でやられた。
川は溢れ、水は暴れ、農作物は壊滅。
牧草地に、浸みこめなくなった水が川のように流れた。
太い樹々か次々と薙ぎ倒された。

百年もの間、無かったことが起きた。

お母さんは、この場所に「小川」があればいいのにと、ずっと思っていたという。
でも、今は、「もう小川なんていらないわ。水は怖いもの」と言う。

夢の館の敷地では、直径50センチを超える大木が13本も風で倒された。その片付けを終えたばかりだそうだ。

何に備えればいいのか、何に備えても仕方がないのか。

お母さんは言う。

「結局ね、清く正しく生きるしかないの」

胸に沁みた。

清く正しく生きるしかない。