ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

リヤカーバンドが行く!

2015-04-28 02:56:46 | Weblog
リヤカーバンドマンの僕たちは、週に一回くらい、公民館の防音室でバンド練習をしている。
ホントに練習をしていたのかどうかは、甚だ怪しい。
何しろ、目的がない。

全員バラバラの高校へ進んだというわけで、文化祭には出られない。ライブハウスに出るなんていう発想もないし、実力もない。目的がないのである。

そう、僕たちは高校生なのである。

高校生は、隠れてタバコを吸うのである。タバコを吸う場所なんていくらでもあるのだが、高校生はバカだから、公民館の用具室の中とかで吸うのである。そんで、すぐにバレるのである。どうしてそんなにバカなんだろう?

防音室にホワイトボードがある。でかいやつ。壁と一体になったやつ。大学の講義とかで使いそうなやつ。
そのホワイトボードに、譜面とかを写して書き、それを見ながら練習したりするのだけど、僕らはさっぱり練習などしないので、おぐちゃんの落書き専用ボードみたいになっている。

ある時、僕らの公民館で大問題が起きた。

なんと、防音室のホワイトボードに無数の卑猥な絵が描き込まれていたというのだ。職員さんたちは大騒ぎなのである。

犯人はもちろん、おぐちゃんである。消し忘れて帰ってしまったのである。

そして、これもまたすぐにバレるのである。当たり前である。公民館には利用者の名簿があるからである。

僕らは、なぜか知らないが、すげぇ怒られたのである。信じられないくらい怒られたのである。全部、おぐちゃんが卑猥な絵をホワイトボードに描いたからいけないのである。

大人たちは、しょーもないバカな高校生たちの扱いに困っていたのだと想う。
リヤカーでドラムやアンプを運んで、防音室で卑猥な落書きを描いているバカバンドに手を焼いたのだと想う。

「見るに見かねた」のだと想う。

ここで、大人たちの信じ難い英断が下る。

ドラムとギターアンプとベースアンプを・・・買ってくれたのである。・・・町の予算で。

その後、僕らの町にある四つの公民館全てに、防音室とバンド機材が導入された。名目は、青少年健全育成なんちゃらなんちゃらの一環。

そう、僕らは一夜にして、リヤカーバンドを卒業したのである。リヤカーバンドから、卑猥な落書きバンドに変身したのである。全部おぐちゃんのせいだと、僕は想うよ。

バカ過ぎる高校生を少しでもまともにしてやろうという我が町の優しさに満ちた政策。
でも、バカ過ぎる高校生には、やっぱり響かないのである。

ドラムをしまう用具室でタバコを吸っては怒られ、おぐちゃんはホワイトボードに卑猥な落書きを描いている。さっぱり少しも変わらないのである。

出来れば、見るに見かねたくはない。

2015-04-26 00:55:54 | Weblog
「見るに見かねて」という言葉がある。
見るに見かねてほにゃららしてあげた、とか。

例えばこんな具合。

先日、ちょうど実家へ帰っている時に、実家の前で一人のおじさんが足を止めた。動かない。夜である。

おじさんはなぜか動かない。隣家の塀に手をついて立ったままである。少し様子がおかしい。

事情を聞いてみる。どうも酔っ払っているようだ。飲み屋から家へと帰る途中。どうも飲みすぎたようだ。

僕は酒を嗜むということがないので、酔っ払いは苦手である。酔っ払いと関わるとロクな事がないと思っている。

帰れるか?と聞くと、帰れると言う。じゃあ帰れと言うと、帰ると言う。
しばらくして、おっさんは小走りで去って行った。
なぜ小走り?と思う。おっさんは、小走りでそのまま70メートルほど進み、闇夜で見えなくなる寸前で、ドッターンと転んだ。死んだかもしれない。

なぜ小走りだったかというと、足が付いて来なかったからなのである。要は、つんのめるようにして進み、実際つんのめったと。ただいまの記録、70メートル!だったと。

嫌になっちゃうのである。実家の近所で酔っ払いの屍体が翌朝に発見されるというのは、嫌なのである。少しでも遠くで死んでくれ、と思ってしまうのである。

僕はトボトボと、倒れたおっさんの元へと歩き進み、声をかける。
「おっさん、大丈夫かよ?」
おっさん、酩酊中である。
転んだ拍子に頭でも打って血を流していたりしたら、即救急車なんだけど、おっさんは、酩酊はしているが、無事なのである。

どうすんだ、これ?と、思うのである。

おっさんに、家はどこか?と聞いてみる。おっさんは、「忘れちゃったよぉ~」と答える。もう一度、家はどこか?と聞いてみる。おっさんは、「家なんて、忘れちゃったのよ~」と答える。頭を引っ叩いて、思い出させてやろうかとも思うのだが、それで意識不明にの重体になって、おれが冤罪で逮捕されるのもなんなので、グッと我慢をするのである。

「おっさん、家の住所はよ?」

すると、驚いたことに、「⚪︎⚪︎の70-14」と、スラスラと答えるのである。
その住所が本当だとはにわかに信じ難いが、文明の利器アイフォーンのマップで、その住所を検索をするのである。

徒歩10分といったところか。10分で着きはしまいが。

僕は、腹を決めるのである。腹を決めた僕は、おっさんの脇手を入れて持ちあげのである。

言っておくが、僕は、まだ少し怪我人なのである。骨のくっつき具合が思わしくないようで、来月にはまたCTスキャナーに入れられて被曝をさせられる予定の身なのである。

1時間後、僕は実家に戻った。

左手一本で、足のもつれるおっさんを抱きかかえ、少し進んでは休み、少し進んでは休み、「もうダメだ」と嘆くおっさんを、「もう少しだ!がんばれ!」と励ましなら、まるで戦地で負傷した兵隊仲間を運ぶ勇敢な兵士のように、地獄の黙示録のマーロンブランドのように、ベトナムで上官をおぶって走るフォレストガンプのように、夜の住宅街をひたすらに進んだのである。

おっんの家は、潰れたラーメン屋だった、というのはどうでもいい話なので割愛。
鍵を探させて、鍵を開けて、おっさんを玄関から中へと放り込んで、やっとの思いで生還したのである。

全身筋肉痛になったとしても、実家の近所の平和が守られたので、良しとするのである。

こういうのを、「見るに見かねて」と言うんだよ。

ちょう不憫な子供たち。

2015-04-23 19:12:39 | Weblog
つくづく思う。大人はいい。大人っていい。
何がいいって、車に乗れるのがいい。車を運転出来るってのがいい。
車に乗れると何がいいって、荷物を運べるのがいい。重い荷物を車で運べるってのがいい。

そんなの普通だろ?とお思いの貴兄、それはあなたが、アンプやドラムをチャリンコで運んだ事がないから、なのだよ。

昔のことなど、忘れてしまうし、忘れた。ほとんど忘れた。このブログに書いている人の名前や起こった出来事の80パーセントは、おぐちゃんとのメールのやり取りで教えてもらって思い出した。

その頃の僕たちを知っている人たちは、今でも僕たちのことをこう呼ぶ。

「リヤカーバンド」

遊び場兼タバコ吸い場兼バンドの練習場所のオンボロ物置を使用禁止にされた僕たちは、一気に自由を失ってしまった。
自由を失ったのは、まだいい。バンドの練習場所がない。溜まり場がない。
スタジオなんてない。電車で3駅先にあるけど遠い。金はない。

そこでおぐちゃんが目を付けたのが、町の公民館。きょうびの公民館には、ジジババのカラオケ教室なんてのをやっていて、その部屋は多少の防音設備が整っていたりする。町の人間は無料で使える。

問題は、防音設備がしてある部屋は、決してバンド用ではない。バンド用ではないということは、バンド用の設備はない。ということは、ドラムもアンプもないということだ。

僕らは、リヤカーに機材を載せて、公民館まで運んでいたそうだ。人から聞く話によると、そんなことだったそうだ。僕はよく覚えていない。

僕は、チャリンコの荷台にグヤトーンのアンプを載せていた。グヤトーンのアンプは結構大きい。載せて、手で押さえながら歩く。
僕のグレコのエレキギターはハードケースに入っていた。
右手でアンプがずれ落ちないように押さえながら、左手でチャリンコのハンドルを持ちつつ、エレキのハードケースを持ちつつ、エッチラオッチラ進むのである。
「ソフトケースが欲しい!そしたら肩から掛けられるのに!」というのが、その頃の僕の願いであった。


大人はいい。車に乗れる。アンプもドラムもハードケースも、車で運べる。

でも、子供もいい。そこには意志がある。なんだかよくわかんないけど、意志がある。

言い訳をしがちな毎日を送る貴兄に尋ねたい。
「そこに、意志はあるのかい?」

つづく。

くれぐれも、僕にはバレないように。

2015-04-23 02:49:20 | Weblog
二十年ぶりに、おぐちゃんから連絡が来た。という話は書いた。

連絡先など知るはずがないのに、いきなりメールが来たから驚いた。

僕の返信の第一声は、久しぶり!でも、元気?でもなく、「なんでアドレス知ってんの!!?怖いんだけどぉ!」という、フェイスブックもツイッターも存在しない時代の、女子高生みたいなものだった。

「ブログに書いてあったからさ」

それに対する僕の返信は、そっかそっか!でも、そういえば書いた!でもなく、「なんでおれのブログ知ってんの!怖いんだけどぉ!!」という、公衆便所の壁にに電話番号を書かれちゃった女子高生みたいなものだった。

「去年、シナロケの同窓会をやってさ。その時にセリさんがネットで検索して発見したんだよ」

それに対する僕の反応は、そうなんだぁ!安心したよ!でも、なるほどね、そういうことかぁ!でもなく、「シナロケの同窓会に・・・なんでオレが呼ばれないわけ?」という、微妙な人間関係の中の暗黙、触れてはいけないタブーにメスを入れる、無神経でケイワイな女子高生みたいなものだった。

「いや、シングの連絡先、誰も知らなかった」

いいんだよ、別に。呼ばれても、行く勇気と根性が無かっただろうから。
二十年ぶりの人間関係って、ちょっと怖くてビビる。


二十歳を過ぎた頃、地元の駅で中三の同級生とバッタリ会った。
「久しぶりぃ!」「元気?」「どうよ?」「何してんの?」とか、懐かしさと面倒臭さが混在してような会話をするわけなんだけど。

そいつが、言う。

「なんで同窓会来ないの?」

・・・えっ?

・・・同窓会って何?

・・・おれ、知らないけど・・・。

まぁ、言っちゃうね、僕は。パンドラの箱を開けるようにね。気まずさMAXになるのを承知でね。

「えっ?・・・そっか、そっか、じゃぁ、また!」
と、そいつは小走りに去っていった。

そういうやつだから呼ばれないんだよ、同窓会。知ってた?

つづく。

なぜ中学生は正座をさせられるのか?についての考察。

2015-04-17 02:22:50 | Weblog
中二の時、バレンタインデーにチロルチョコを時速70キロの速さで投げつけて来た女の子がいた。
その、ちょっとおかしな愛のカタチの表現者が、そのちょっと後に僕のガールフレンドになるマユミちゃんである。通称マユユである。

建設業に携わる人間は、ほぼヤクザっていうことは、最近ではそこらの小学生でも知っている事実である。
建設業の社長なんかになると、ほぼほぼヤクザというよりは、完全なヤクザと言っても過言ではないということは、最近ではそこらの幼児にも父親が教えるべき必須事項になっているらしい。こんな具合にである。「ああいう人を指差して『ヤクザ』って言ってはいけないよ、絶対に。ロシアが誇るトカレフで撃たれちゃうからね」。

マユユの親父は、建設業の社長だった。

中学生というのは、とかくコソコソとするものである。万引きの癖がついているからなのかどうかは知らないが、基本的にコソコソしている。それが中学生なのである。

マユユと会う時は、いつもコソコソしていた。なぜなら、中学生だったから。

ある日の夜、マユユに逢いに行った。マユユに逢いに行って、マユユの親父に捕まった。
マユユの親父を見て、おれは思ったね。

「ヤクザじゃん・・・金のゴツい指輪してんじゃん・・・モノホンのヤクザじゃん」

なぜか知らないが、ヤクザに捕まって正座をさせられる中坊のおれ。あ~ぁ、嫌になっちゃうよ。
うちの娘に手を出しやがって!と半ギレしている太ったヤクザ。なぜか正座をさせられている中坊のおれ。あ~ぁ、嫌になっちゃうよ。人生、辛いことばかりだぜ。

中学生の数少ないいいところは、なんでもすぐに忘れちゃうというところである。暖簾に腕押し、打っても打っても響かない。

ある日のこと、マユユが家に来いと言う。

嫌だね。と思ったね。行くかバカ!と思ったね。またヤクザに捕まるじゃん!と思ったね、僕は。

すると、マユユがこう言う。
「大丈夫、今日は誰もいないから」

誰もいないから・・・だれもいないから・・・ダレモイナイカラ・・・

「いく!」

男ってのがバカな生き物だってのは、否定のしようもない事実なのだが、男ってのは中学生の頃からバカなのである。つまり、男ってのは一生バカなのである。

そして、マユユの家。出来立ての三階建ての家。
二十畳ほどもある、マユユの親父自慢のカラオケルームを見学している時だった。大画面のスクリーンの前に置いてある、金ピカのマイクを指でツンツンとしていた時である。

お約束である。オヤクソクなのである。

ガチャンと玄関の扉が開く音がするのである。ドカドカと太ったヤクザが階下を歩く音が聞こえるのである。

「ダレモイナイカラって言ったやーん」

マユユの凍りついた顔、よりもさらに、僕の顔は凍りついていたんだよ、マユユ。

ドタバタである。ヤクザに捕まりたくない一心なのである。殺されるのである。絶対に殺されるのである。見つかるわけにはいかないのである。逃げるのである。逃げるが勝ちなのである、

カラオケルームのある三階から、忍び足で二階へ降りる。
そして・・・まさかの二階からの大ジャンプなのである。殺されるよりは、死んだほうがマシなのである。

男というのは、いつの時代も、バカで勇敢なのである。

マユユが持ってきてくれた靴を履いて、トボトボと家路を歩きながら、幼き僕は思うのである。

女の子が言う「ダレモイナイカラ」は、絶対に信じちゃいけないぞ、と。

幼き頃を思い出しながら、僕は思うのである。

ヤクザの娘とは、付き合ってはいけないぞ、と。殺されるぞ、と。

つづく。

親愛なるキヨシローにーさんに捧ぐ。

2015-04-16 00:31:35 | Weblog
キヨシローにーさん率いるRCサクセションの雨上がりの夜空に。
僕らが、バンドを作って初めて演奏した、雨上がりの夜空に。
バーチーの反乱により、ボーカルなしのインストでオーディションに臨んだ、雨上がりの夜空に。

中学三年生の文化祭で、僕らのバンドが演奏したのは、オフコースの柔らかい曲をバンドで一曲。僕とヤナギと二人だけで、ギター二本で歌ったH2Oの「想い出がいっぱい」が一曲。
雨上がりの夜空に・・・は、きれいさっぱり何処かへ消えた。

なんとなく、思い出したくない想い出がいっぱいの文化祭になってしまったという皮肉な現実。

岡田先輩のビートルズギュイーンに憧れて目指した文化祭のステージだったのに・・・。ヤナギのアコギがシャラリーンと鳴り響く、少しほろ苦い想い出になってしまったというわけ。
ヤナギは、エレキじゃなくてアコギを買って正解だったのかもしれない。

その後、おぐちゃんはベースのキヨタとあっけなく別れた。
あっけなく別れた2分後くらいに、おぐちゃんはバーチーと付き合い始めた。

キヨタもどうかと思うけど、バーチーって・・・どうなのよ?とね。
文化祭が終わってしまえばバンドは活動休止。元々、文化祭のステージに出るためだけに集められたおぐギャルズなわけだから、その後にそれぞれがどうなろうと知ったことではない。

おぐちゃんとバーチーのカップルは、学校でも一二を争う有名カップルとなる。
なぜならば、クラスの違う二人は、全休み時間、廊下で逢瀬を繰り返しているのである。

廊下でくっついたり離れたり、泣いたり怒ってたり、情緒不安定なバーチーが繰り出す様々な攻撃を受け続けるおぐちゃんを、学年の誰もが、同情半分面白がり半分で見ていたのである。

僕はまぁ、バーチーなだけに、なるべく関わらないように過ごしていたのだけれど、おぐちゃんの股間やミゾオチ辺りに、バーチーの膝蹴りが食い込む瞬間を、幾度となく目撃したりはしていたのである。
そんな二人を、ちょっと離れた所から見ているキヨタ・・・。こわーいこわーい。

余談だが、バーチーに夢中のおぐちゃんは、志望校のレベルを4つも5つも下げて、バーチーと同じ高校へ進学した。一年でクラスが二つくらい消滅するような、そういう高校である。

そして、あっという間に二人は別れ、バーチーは速攻で退学し、おぐちゃんだけがなぜかヤンキー高校に残るという・・・非常に良くある結末。

僕らの永遠の遊び場だと思っていた、オンボロのプレハブの物置。中学卒業とともに使用禁止にされてしまう。
せっかく手に入れた自由を、僕らは失ってしまったわけだ。

そして、おぐちゃん率いるオグバンドは、新たなドラムにマサキくんを加え、リヤカー生活を始めるのであった。

つづく。

僕らを繋ぐキーワード。

2015-04-15 01:34:03 | Weblog
ここんところ、バカ中学生時代の話を書いている。
なぜこんな話を書き始めたかというと、ちゃんと理由がある。ちゃんと?
ちゃんとかどうかはわからないが、理由はある。
ふた月ほど前にシーナさんが亡くなったからである。シーナさんとは、無論のこと、シーナandロケッツの歌姫シーナさんである。

シーナさんのことを書きたかったのだが、その頃はしゅうちゃんとエムケイと愉快な犯罪者たちというテーマのブログ連載を書いていたので、書けなかったのである。

シーナさんが亡くなる少し前に、シーナさんと縁のある仲間たち、元トゥージャンクスのメンバーが我が家を訪れてくれた。十数年ぶりに朝まで麻雀をして遊んだ。これも何かの縁だろうか?

シーナさんが亡くなる少し前に、シーナさんと縁のある仲間たちの一人、おぐちゃんから二十年ぶりに連絡が来た。これも何かの縁だろうか?

そんなわけで、シーナさんが亡くなる少し前にみんなと会ったり連絡を取ったりしたもんで、誰とも「シーナが死んじゃったね」という会話は交わしていない。

シーナアンドロケッツは、僕らを繋ぐキーワードなんかじゃなかったはずなんだけど、長い時を経て、シーナアンドロケッツ、通称シナロケは、僕らを繋ぐキーワードになった。という話を、もう少しだけ。

つづく。

ソリコミだよ!全員集合!

2015-04-09 20:45:45 | Weblog
中学生はバカだ。この場合のバカは、バカで可愛いという意味である。
バカじゃない中学生もいるのだろうが、それはそれでバカだ。なぜなら、バカじゃないからバカなのだ。
中学生はバカな方がいい。バカなほどいい。バカじゃなきゃダメなのだ。
いや、もうこうなったら、中学生に限らず、人間なんてみんなバカな方がいい。バカは楽しい。バカの方がよっぽど楽しい。

ソリコミロックンロールスターズの余談。

中学三年生の時、ソリコミバミューダトライアングルが隣の中学のソリコミアルカトラズとケンカをすることになった。・・・バカでしょ?

よくわかんないんだけど、隣の中学に乗り込んでいくということになったらしい。
乗り込んでいくとなると、人数が欲しいのである。そこらへんの腕の立ちそうな輩にはもれなく声が掛かる。なぜだかわからないが、腕の立たなそうな僕にも声が掛かる。

「バンドマンはさ、そういう暴力的な厄介ごとには首を突っ込まないんだよ、ばーか」と言いたいところだが、大変面白そうなので「いくいく!おれもいく!」と答えてしまうのである。バカでしょ?

そんで、何十人かが集まって、いざ出陣!
ゾロゾロと行く。
ゾロゾロと行く。
バンドマンはワクワクしながら後方をついて行く。
決闘だなぁ、マンガみたいだなぁ。出入りだなぁ。ヤクザみたいだなぁ。おれは高倉健になるっかなぁ。

そんでもって、敵の学区へ侵入。敵が現れるのかと思っていたら、なかなか現れない。
敵の中学に乗り込むと聞いていたのに、敵の中学には乗り込まない。なぜなら、放課後だから。学校にはもう誰もいない。バカでしょ?行くなら授業中に行けっての。

何十人かでゾロゾロと歩いたのに、敵には遭遇せず、何もせず、決闘せず、解散ということになる。。。

・・・散歩?

そんでもって、中学生というのはバカだから、翌日には職員室に「散歩」の話がバレている。
なんでバレるのだろうか?やっぱりバカだからなのだろうか?

ソリコミメイン組が順々に呼び出されていく。

別に、なんにもしてないんだから、怒られる筋合いもないのだが、現場は戦々恐々である。

ソリコミ談志師匠のヨコちゃんが、呼び出しから戻ってきて、僕のクラスへやって来た。ソリコミ歌丸師匠やソリコミ喜久蔵師匠も一緒である。

僕の机を取り巻いて、職員室での取り調べの状況を教えてくれる。

一人一人呼び出され、決闘へ参加したメンバーを洗いざらい言わされたらしい。それはそれは厳しい取り調べだったと口々に言う。大体が何発かは殴られている。そういう時代だったし、そういう中学だった。
決闘で殴られるならまだしも、決闘を出来ずに教師に殴られるというね。。。非常に残念な結末である。

そして、ソリコミヨネスケのヨコちゃんが言う。

「おれたちはよ、しんぐの名前は出さないからな。お前は頭がいいからよ、いい高校へ行くんだろ?内申点に響くと困るからな。へへへ。」

ソリコミ笑点ズの言った通り、見事に僕は呼び出されなかった。
ソリコミお笑いスター誕生の、こういう時の結束は固いのだ。

ちなみに、僕の内申点が高かったのかというと、決してそんなことはなく、三年生の時点では、地の底を這うようなものだったとしか思えない。

ソリコミひょうきん族の面々には、逆に、気を遣わせて悪かったなぁと想ってしまう、今日この頃なのである。

以上余談。

つづく。

本屋大賞ロックンロール。

2015-04-09 04:21:54 | Weblog
このブログの記事を完成させて、本にして出版して、来年の本屋大賞を獲ろうと想ってるんだけど、何か?

今年の本屋大賞の鹿の王。すごく面白そうなんだね。読みたいんだね。僕はさ。
あぁ、誰か、鹿の王、差し入れしてくれないかなぁ?とか言ってさ、優しい人がたくさんいてさ、鹿の王が我が家に30冊届いたりしたら困るからね、差し入れはお断りだよ。
いいんだよ。大丈夫。いいの。大丈夫。五年くらい経ったらブックオフで100円で買うから。
いいの。大丈夫。だって、今、2010年の「
このミス大賞」の『さよならドビュッシー』を読んでるからさ。


で、ジュニアハイスクールロックンロールの話。

ソリコミ君からの挑戦を受けたことなどすっかり忘れて、ダラダラと物置小屋で練習を重ねていた僕らだった。

ボーカルのバーチーが出演拒否を表明した話は何度も書いた。
結局バーチーを除く五人でオーディションに臨んだ。インストゥルメンタルで。映像も音源も残っていないので、どんなだったかは想像をするしかないのだけど、「意味がわからない」ものだったことだけは確かだ。「ねぇ、キミたちは一体全体何がしたいの?」と言われるものだったことだけは確かだ。
だって、ボーカルいないし、ヤナギはアコギだし。オグちゃんとキヨタはデキてるし。ダーオーのことはよく覚えていないし。

オーディションは、本番と同じ、体育館のステージで行われた。審査員は、強面の生徒指導担当の先生方。中学生として相応しいモノだけが、文化祭への出演を許されるということだ。

実際、職員室では相当揉めたらしい。何を揉めたのかはわからない。歌無しのアホバンドを出すか出さないかとかで?とかね。アコギでチャボのパートを弾くのはどうか?とかね。かな?

本題はそこではない。本題は、僕らの後に控えていた、ソリコミランDMCたちのことなのである。

僕は、もう何十年も前に、目の前で起こったその光景を忘れることが出来ない。光景は忘れないが、内容は忘れた。
スーパー記憶のオグちゃんに聞いてみたら、こう言っていた。
「おれは、ソリコミハマーたちのステージは観てないから知らない」だそうだ。
なぜ観ていないか。それは、ステージを降りたあと、キヨタとイチャついていたからだ。僕は知っている。

ソリコミガゼボたちは、ゾロゾロと、上履きを引きずりながらステージに出てくる。
そして、それぞれが所定の位置につく。所定の位置とは、バンドマンの所定の位置である。メインボーカルの位置、つまりセンターには二人が立った。
「おっ、ツインボーカルか?」とか、そういうのじゃないことだけは確かだ。

「あいつら、楽器も持ってなかったのに、この短期間でバンドが出来るようになったんだなぁ」とか、感心したりは、絶対にしない。

なぜなら、それは、衝撃的な光景が目の前にあったからである。

ソリコミナックたちの誰一人として、楽器を持っていないのである。
楽器を持っていないのに、楽器を持った人が立つポジションに立つ。その意図が分からない。意味不明だ。イミフだ。

そして始まる、恐怖の惨劇。

初代総長のヨコちゃんが、隣に立つアサヤンに何か言っている。マイクを通して何か言っている。
アサヤンもマイクを通して何かを返している。

「えっ?漫談?」
「これ、漫談だろ?」
・・・

ロックである。

ここ何年か巷を騒がしているエアプレイバンドよりもロックである。

「なぜ?」
「センターの二人以外はいらないだろ?」
「なぜ?ギターやベースやドラムの位置に立たせてんだ?」

ロックなのである。
なんかよくわかんないし、バカ丸出しだし、意味不明にも程があるけど、こいつらはロックだ!と、中学生の僕は思えなかったが、今の僕は思える。

そんなわけで、「何がしたいんだキミたちは?」の一等賞を決めるオーディションは、ソリコミキャリーパミュパミュが優勝。二等賞の僕たちは、優勝を逃した代わりに文化祭へ出られることになった。

いや、他にもオーディションに出た人たちはいたと思うんだけど、全然覚えていない。だって、ソリコミチルドレンたちの衝撃が強すぎて。。。

いやしかし、恐るべし、初代総長ヨコちゃんなのである。ほんとに。

つづく。

ソリコミロックンロールの初代総長。

2015-04-09 00:09:59 | Weblog
まさかの雪でね。焦ったね。驚いたね。嵐山の我が家の庭には積もったね。野菜の新芽に雪が被って要塞みたいになっていて焦ったね。

それはいいんだけど、テントの屋根に穴が空いたんだね。穴が空いたってより、引き裂けたんだね。泣けたよ。泣けた。補修パッチを探しています。直します。本気で直します。このままだと、薪ストーブの上に、雨がダダ漏れです。ダダ漏れなんです。

じゃんじゃん丸が面白いと言ってくれたので、続きを読みたいと言ってくれたので、書くのを止めかけた話の続きを書くかな。とかね。


エレキギターは、不良。バンドマンは、不良。
うちらの親や先生たちの世代のレトリック。それは致し方ない。だって、セックスピストルズとかだし。クラッシュとかだし。キッスとかだし。

でも、学校には、バンドマン以外にも不良がいる。ヤンキー系の不良。つまり、つっぱりジュニアハイスクールロックンロールの方々。

僕は、坊主頭にソリコミなど入れたくないので、ヤンキー諸君の方向性は理解し難い。
どちらかといわなくても、ソリコミを入れた中学生よりもエレキギターを担いだ中学生の方が女の子にモテると思っているので、ソリコミロックンロールのお方々とはソリが合わない。

でもまぁ、バンドマンもソリコミ君たちも、両方とも、ちょっとだけ不良なだけなので、可愛いものである。だって、ゲーセンに行くために電車に乗らなきゃならない、ちっちゃな町の中学生だから。

こっちの方がモテるだろ?ソリコミ先生?と、僕は思っていたのだが、ソリコミ先生たちも、エレキギターandバンドマンに対する憧れみたいなものはあるようで。ソリコミ教授たちも、バンドマンの方が女の子にモテるんじゃないかと気づいてしまったようで。

ある日、ソリコミロックンロールの初代総長のヨコちゃんが、僕のクラスへやって来た。ソリコミベイビーの取り巻きと共に僕のテーブルをにわかに囲むのである。

「しんぐよぉ、お前らバンドやってんだって?ずいぶんカッコイイじゃんかよぉ」

まぁね。

「お前よぉ、エレキ持ってんのかよ?」

持ってるよ。ヤナギはアコギだけどね。

「でなに?文化祭のステージに出る気なんだって?」

出るよ。

「おぉ、おぉ、ずいぶんと調子に乗ってくれちゃってんじゃねぇの?」

それほどでもないね。

中坊ソリコミ博士たちも、人数が集まると意外と迫力がある。

が、ビビったりはしない。なぜなら、おれはバンドマンだから。いざとなったら、奴らのソリコミに消しゴムスリスリ攻撃とかを食らわしてやるから大丈夫。というのは嘘で。
ソリコミランダムスターたちと僕は、仲が悪いというわけではないからだ。

だが、この場合、ちょっと違う。

こいつら何しに来たんだ?何が目的なんだ?という思いがある。
おれがバンドマンで、エレキギターを持っていて、ちょっと弾けて、文化祭のステージに立って、女の子にキャーキャー言われるという未来の決定事項に対して、何か文句があるのだろうか?ということである。

ソリコミリッチーブラックモアのボスのヨコちゃんは、去り際にこう言った。

「おれらもよ、バンドやるからよ。文化祭出るからよ。覚悟しとけよ。ヨロシクシクヨロ」

そして、ヨコちゃんの「行くぞ!」という声とともに、ソリコミフライングブイたちは去って行くこである。

なんとなく、去りながら、ソリコミムスタングの子分たちが、ヨコちゃんに「どういうこと?出るってどういうこと?」と聞いていた気がするのだけれど、気のせいだったのかもしれない。

よし、受けて立つぜ!ソリコミランディローズ!
とは、少しも思わない。
だって、あいつら、楽器、持ってないじゃん。
ハンドルを変な形にしたチャリンコしか持ってないじゃん。

つづく。

僕に出来る事。

2015-04-08 06:29:15 | Weblog
なんだか少し退屈な夜だ
キミに電話をかけてみようかな
でもな。。。用事もないしな
でもな。。。声が聞きたいな
あーあーあ

なんだか月が綺麗な夜だ
キミに教えてあげたい気もするな
でもな。。。忙しいかもな
でもな。。。声が聞きたいな
あーあーあ

ずっとずっとだよ
そばにそばにいるよ
それがそれだけが
僕に僕に出来る事
ずっとずっとだよ
何も何もないけど
キミのそばにいるよ
それが僕に出来る事
僕に出来る事

テレビのニュースショー世界はヘンテコなもんだ
正義の味方はどこへ行っちゃったんだろうな
僕は。。。少し悲しいんだ
だから。。。キミの声が聞きたいな
あーあーあ

肌の色も瞳の色も生まれた場所も神様の名前も
何もかも違ってもそれが一体なんだっていうんだろう
僕と。。。キミが手を繋ぐみたいに
キミが。。。僕の手をとるように
あーあーあ

ずっとずっとだよ
そばにそばにいるよ
それがそれだけが
僕に僕に出来る事
ずっとずっとだよ
何も何もないけど
キミのそばにいるよ
それが僕に出来る事
僕に出来る事

お金持ちにはちっともなりたくないな
偉くなんかはちっともなりたくないな
だって。。。誰も幸せそうに見えないよ
だって。。。見栄張って張り合って心配ばかりしてる

たからやっぱり。。。僕はキミに電話をかけよう
あーあーあ

ずっとずっとだよ
そばにそばにいるよ
それがそれだけが
僕に僕に出来る事
ずっとずっとだよ
何も何もないけど
キミのそばにいるよ
それが僕に出来る事
僕に出来る事

春爛漫。

2015-04-02 21:59:22 | Weblog

春爛漫。四月。我が家は、二階建ての家屋が見えなくなってしまうくらい、花に囲まれています。春爛漫の四月です。いかがお過ごしですか?

ブログの更新が滞っている時は、大体レコーディングをしていたりします。なかなかやらないくせに、やり始めると熱中しますね。

何曲か作って欲しいという頼まれ事があったので、何曲か作っていたのだけれど、このままライオンズポートレートの第五弾の制作に突入してしまったらどうだろう?と思い立ち、日々、コツコツと地味過ぎる作業に何百時間も費やしている次第です。

ある子供が言いました。

「桜なんて、すぐ散って、また来年咲くのに、なんで花見になんて行くのか、意味がわからない」

子供の言うことは正しい。まったくもって的を射ている。

子供にこう言っても、合点してくれないのはわかっている。が、僕は言いたい。

「来年も桜を見られるという保証など、どこにもないのだよ」

桜は来年絶滅してしまうかもしれない。人類は来年滅亡してしまうかもしれない。僕は明日死んでしまうかもしれない。君は来年この世界にいないかもしれない。

「だとしても、なんで桜?他のものだって同じでしょ?」

もっともな質問である。

なんで桜なのか・・・僕にもわからない。
ミモザよりもサクラ。
モクレンよりもサクラ。
ツバキよりもサクラ。
梅よりもサクラ。
桃よりもサクラ。

人が成長するということは、もしかしたら、「儚さ」を知るということなのかもしれない。
「儚さ」に惹かれるようになるということなのかもしれない。

満開のサクラのぼんぼりを眺めていると、儚さに胸がキュンとなる。

儚さに何の興味も感じなかった少年の頃を思い出しながら、「あと何回、桜を見られるのかなぁ・・・」と、感慨に耽る僕なのである。

ジジィか!?