夏に作品募集していた『雪へのひとり言』。これは雪の博士・中谷宇吉郎にちなんで俳句、短歌、川柳、詩、絵手紙、文などを400字以内で募集していたもの。締め切りまじかに新聞広告で見つけたのを思いつくまま綴ってみた。期待もしていなかったが入選の知らせをもらってちょっぴりうれしかった。作品紹介の欄に、雪なのにほのぼのしたあたたかさを感じる作品群とあったが、私の作品はどっちかというと寂しい作品だったので入選したのが不思議かもしれない。でもね、私の中では雪はやっぱりどこか寂しいイメージなんだよね。
『雪へのひとり言』
あの時、雪はしんしんと降っていた。小学生の頃、学校のスキー遠足に行くのにスキーを買いに父と二人、もう暗くなった夜道を歩いていた。あの頃、父は私にとって恐い存在だった。横に並んで笑ってしゃべることも、手をつなぐことも私にはできなかった。妹ができることを、私はできなかった。そうしてただ、何も話さずに二メートルくらい父の後ろをついて無言で歩いた。その時、買ってもらった青いスキー板を今も覚えている。お店でどのスキーにするか父と言葉少ない会話もしただろう。でも、記憶に残っているのはただただ、雪の降る白い道を父について歩いただけのあの記憶だ。近づきたくても近づけなかったあの頃の父との切ない距離。それがしんしんと降る雪に象徴されていて思い出しても何だか哀しい。大人になって、父との関係が親密になって程なく父は他界した。しかしどんな思い出よりも、雪が降るあの風景をいつも思い出すのはどうしてなのだろう。
『雪へのひとり言』
あの時、雪はしんしんと降っていた。小学生の頃、学校のスキー遠足に行くのにスキーを買いに父と二人、もう暗くなった夜道を歩いていた。あの頃、父は私にとって恐い存在だった。横に並んで笑ってしゃべることも、手をつなぐことも私にはできなかった。妹ができることを、私はできなかった。そうしてただ、何も話さずに二メートルくらい父の後ろをついて無言で歩いた。その時、買ってもらった青いスキー板を今も覚えている。お店でどのスキーにするか父と言葉少ない会話もしただろう。でも、記憶に残っているのはただただ、雪の降る白い道を父について歩いただけのあの記憶だ。近づきたくても近づけなかったあの頃の父との切ない距離。それがしんしんと降る雪に象徴されていて思い出しても何だか哀しい。大人になって、父との関係が親密になって程なく父は他界した。しかしどんな思い出よりも、雪が降るあの風景をいつも思い出すのはどうしてなのだろう。