Sofia and Freya @goo

イギリス映画&ドラマ、英語と異文化(国際結婚の家族の話)、昔いたファッション業界のことなど雑多なほぼ日記

皇帝と公爵

2013-12-20 14:20:00 | その他の映画・ドラマ・舞台
ジョン・マルコビッチとカトリーヌ・ドヌーヴが出ている「皇帝と公爵」試写会に行って参りました。原題は「LINHAS DE WELLINGTON」、ポルトガル語です。linhasでは辞書にないので、sをとったら「線」と出ました。英語のlineです。この映画ではウェリントンがナポレオン=仏軍に仕掛けた戦略の要であるトレス線と言われる塹壕のように人が歩けるほどの大きな溝のことです。英語タイトルもこのとおり↓



日本版のポスターは、邦題と同じく各武将をフューチャーしてます(1行目リンク先をどうぞ)が、それこそが私の勘違いの元でございました。皇帝と公爵も出演してなくはないのですが、物語は軍隊について行く人↓



ワケありの女と軍人↓



ワケありの軍人と女↓



など当時の移動術でよくもこんなに大勢のイギリス人やフランス人がポルトガルまで来たなと思うくらい大勢の、軍にくっついて移動する人が描かれています。

華麗なロココ文化を葬った革命から登場したナポレオン。その彼率いる野蛮なフランス軍が大帝国をつくり、1810~1812年に最も勢力を拡大し、その時ヨーロッパにてフランスの領地または同盟国でなかったのは、イギリス及びアイルランドとポルトガルだけでした。フランス軍は行く所々で野蛮人ぶりを発揮、しかし日本の戦争ものと違い、市井の人々がみな我慢するだけでなく図太く死体から売れるものをはぎ取ったり、娼婦も哀れな女としては描かれてないし、上流のイギリスのお嬢さんも偉い軍人に狙いを定めて娼婦のごとく自分を売り込み、戦時下とは言えキリスト教の教義に反する行いを裁くこともなく、まったくお涙頂戴はなしってところがよかったです。

試写前のトークショウに出演した俳優の中尾彬は「戦争映画じゃなく女性映画」と言ってましたが、女性も出て来るけど舞台は戦場とその間の旅です。私は「戦争映画ではヒットしない」という定説でもあるのかと思ってしまう天の邪鬼です。「女性映画ですよ」と言われると女性だからってひとつの生き方を勧められてもなあ・・・とまで思う。はっきり言って戦争映画が見たかったので、家もない荒野に将校が集まってる図を高い角度から見るシーン(カメラをクレーンに乗せるのかな?)など、200年前の当時は誰にも見られなかった贅沢なアングルに胸が震えました。当然軍人は軍服を着て出て来ます。金ボタンの重そうなウールの服や帽子が大量に出て来ると気分が揚がります。国王が見ているわけでもない野原で闘う陸軍にこれだけ美しい装いを揃えた理由を詳しく調べたら面白そう。

ところで、この映画、拍子抜けした点が3つあります。

まず第1に、タイトルからナポレオンとウェリントンの映画かと思ったら、そのふたりは個人的にはほとんど見せ場がありません。お飾りもいいところです。ウェリントンは画家に肖像画を描かせるシーンばかりだし、ナポレオンに至ってはまったく影が薄く部下のマッセナの方が存在感があり、とてもナポレオン絶頂期とは思えない。うーむ。

第二に、そんなことで、ふたりの馬、マレンゴとコペンハーゲンの勇姿も目をこらして待っていたのに、主人達ときたらいつも野原を歩いてるのでほとんど姿を見ることはありませんでした。わーん。

そして最後の個人的な大勘違いは、この映画はオリジナルのストーリーなんですが、その邦題のせいで「公爵と皇帝」という本が原作だと思っていたことです。それだったら、明らかにそのふたりが主人公なのです。しかも、ナポレオンのことを書いた本は研究書など数多くあるのですが、ウェリントンの本は日本ではこれくらいしかないのです。しかし、試写を見て、どうもこれは話が違うぞ・・・と気づいてよくよくタイトルを見直したら、皇帝と公爵の順番が逆でした・・・・?!

この本の読者を罠にかけようとする作戦にしてはターゲットがあまりにも小さいので、それは可能性としては低いですけれども、タイトルにも、ポスター&チラシにも、ちょっと誤解を招く要素があるような・・・・戦争の史実映画として見てよかったんだけれども、邦題を含めて誤解を招くプロモーションに疑問が残りました。

そうそう、それで思い出しましたが、上映前トークショウで、スタトレ祭では散々お世話になった司会の伊藤さとりさんが教えてくれましたが、この映画はルイス監督の遺作で、完成前に亡くなり、作業は途中から奥さんが後を継ぎ作品を完成させたそうです。ということで構想と完成させた監督が別人ということになります。実はすごく登場人物が多くて私は混乱したりわからなかった部分もあるのですが、その理由が私のIQ値だけでなくそういった事情もあるんではないか、と都合よく自分を棚に上げて考えてます。