ロンドンママ友が東京に来ていた先週、モデルの山口小夜子のドキュメンタリー映画「氷の花火山口小夜子」をリニューアルオープンした恵比寿の写真美術館でやっていたので見てきました。
監督は、松本貴子さんという「ファッション通信」という日本初のファッション番組のディレクターをしていた人だというのも期待させました。何しろネットが存在する前の80年代に世界中のファッション動画がレギュラーで見られたのは、イギリスロックの動画が見られた「BEAT UK」と同じくらい貴重な情報資源だったのです。
山口小夜子さんは、70年代に世界中のショーウィンドーにその顔をしたマネキンが並んだくらいカリスマモデルだった人です。高田賢三や山本寛斎などの日本人デザイナーだけでなくサンローランやディオールなど最高峰のデザイナーのショーで、トリのウェディングドレスを着たショーの記録映像が見られました。
とそこまでは私もファッション業界で働いていたので知っていましたが、その後のことはこちらの映画で知ることとなりました。
ファッションモデルとしてのピークを過ぎても、パフォーマンスのダンスやメイク、衣装などクリエイティブな仕事を続けたそうで、山海塾や勅使川原三郎との舞踏でロンドンのOld Vic の舞台に立ったり寺山修司の映画に出たりと、海外で日本的な精神を表現するようなアートに参加していたことが印象に残りました。
また21世紀になってからもイッセイミヤケのショーに出演したビデオも入っていたのですが、その服を見せる舞踏的なパフォーマンスは、やはりただのモデルにはできない動きと表現でした。それも自分を見せるのではなく、服や布を桜の花びらをそっと見せるような動きで見せていました。
また、小夜子さんのファッションフォトを再現しようと、膨大な遺品の服などを使って、彼女を尊敬するスタッフチームが撮影をした時は、最初はおちゃらけていた丸山敬太までが神妙な顔つきで「降りてきましたね」とつぶやくほど神聖な空気に包まれていました。
感想;
彼女のすごさは「世界から見た日本美人」を発明したことだと思います。とてもクリエイティブな人だった。70年代初めは、映画でも説明がありましたが、日本のファッション雑誌やテレビではハーフの西洋的なモデルやタレントが大人気だった時代です。ちょっと現代にも近いです。
ですので、彼女がモデルとしてオーディションなどに行くと「お饅頭みたいな顔はいらない」とまで言われたと聞いたこともあります。
コムデギャルソンも、ゴスロリも、コスプレもなかった時代には、パリコレなどファッションはエレガンスという価値しかなかったので、高田賢三などは世界中の民族衣装モチーフを取り入れて、それまで都会的なシックという美しか存在しなかったパリに、「かわいい」要素を持ち込んで大成功した時代でした。おそらく服に民族衣装的なものが認められたのと同じ価値観で、小夜子さんの東洋的なエレガンスが受け入れられたのだと思います。
でも小夜子さんのモデルデビュー写真を映画で見たら、日本人にしてはお目目ぱっちりなんです。ですので、あの切れ長のアイメークをして伏し目にするのは、彼女の演技だったのです?!それにとても驚かされました。
そういう演出をできた彼女だから、モデルとしてのピークを過ぎてもクリエイディブな活動を続けて来れたのでしょうね。
彼女以外にもパリやNYのショーで一流デザイナーの舞台に立った日本人はいますけれども、ずっと仕事を続けられた人は少ないはずです。
仕事を続けるだけが人として素晴らしいというつもりではありませんが、彼女の場合は自分というブランドで売り続けることができた数少ない孤高のアーティストかなと。
それゆえ、急性肺炎で亡くなった時にも一人だった。静かに逝ってしまった。寂しかったか、自分らしいと思っていたか、意識はあったのか、何もわかりませんが、何か重いものを知った人に残して。
映画では彼女の遺品のお洋服の箱を開けるのですが、そのコレクションはカラフルで、賑やかなデザインがいっぱいでした。
9/16追記;
上映の後、監督の松本貴子さんが舞台挨拶に出てくれました。
この時、写真美術館では彼女による草間彌生ドキュメンタリー映画も同時上映されていたので(チケットは別々)、草間彌生水玉のピンク×イエローのTシャツをメインにカラフルなコーディネイトの出で立ちがご本人らしくて素敵でした。
松本さんは小夜子さんとは何度もお仕事で交流があったばかりでなく、相談事らしい電話をもらったことがあり、でもその時は仕事でとても忙しい時期で小夜子さんの長電話は有名だったので、相談はお断りして電話を切ったとのこと。そしたらその数日後に、別の知人からの電話で小夜子さんが亡くなったことを知らされたそうです。・・・その胸中はお話しされませんでしたが。
それと今回の2作品の上映には、
「世界が魅せられた二人の異彩 草間彌生×山口小夜子」
というコピーがついているのですが、その二人のことを
「2大オカッパ」
・・・と表現していたのがツボでした(笑)