Sofia and Freya @goo

イギリス映画&ドラマ、英語と異文化(国際結婚の家族の話)、昔いたファッション業界のことなど雑多なほぼ日記

ロケットマン2回目

2019-08-26 06:08:00 | その他の映画・ドラマ・舞台


正直に言ってしまえば、エルトン・ジョンは私にとって「良い曲を書く人」「ド派手な趣味の悪いおじさん」だった。パパゲーノみたいな衣装を着てなければ「ずんぐりむっくりの良い曲を書いて歌う人」だ。映画「ロケットマン」の中でもそのことが描かれていていた。

親に認められなかったので、自己顕示欲が人一倍どころか人百倍あって、音楽の才能も天才、なのにずんぐりむっくりで若ハゲというロックミュージシャンとしては致命的なハンデを克服するためのキンキラキンも、やはりレジェンドの域まで達すると、そしてこうしてハンサムなタロンくんが演じた後にエルトン本人を見ると愛らしくさえ見える。

完全に総指揮マシュー・ヴォーンとエルトン本人の狙い通り、と感じる。


ところで中2日おいてまた劇場に見に行った時、実は5時半起きの仕事帰りでその日は職場の新聞マンガを根詰めて仕上げたので消耗していて頭痛もあったので、これは寝てしまうかも・・・と思ったのに、初回と同じで始めから終わりまでずーっと集中して見てしまった。

何がそんなに良かったのかというと、

「親に認められない、支配される」ことは私も背負っているので刺さるのだ。昔、信頼できる先輩に「親に〜〜と言われた」と悩みを打ち明けたら、「なんでそんなこと気にするの?気にしなければいいじゃない」と言われたことがあって、人によって親の言うことが気にならない人もいるのだと初めて知った。

でもうつ病の人に「気にしないでください」と言ったからといって病気が治るわけではないのと同じように、親に否定された思いはそう簡単には無くならない。

親と離れて自分を認めてくれる人と接してその傷が癒えても、また親と会った時には別の台詞が飛んできて、また打ちのめされることの繰り返しは映画と同じ。

映画ではリハビリ施設のエルトンの心の中で親に言いたいことを言って救われたようだったけれど、現実の親は変わらないし、せいぜいがリジーをハグしてインナーチャイルドを救ってあげることくらいしかできない。

そういうエルトンの姿を見て「ああ、わかるよ、わかる・・・」と胸いっぱいになる2時間なのでした。

その物語がタロンくんとジェイミー・ベルという視覚的に合ってるのか合ってないのかよくわからない(別次元の人たちにさえ思える)かわいいふたりと、

フェロモンの塊のようなリチャード・マッデンも「ボヘミアン・ラプソディ」とは別人のジョン・リードで、ここで改めて実在の人物も視点でこんなに変わるのね、と実感、

マッデン・リードの弟のようなレイ役チャーリー・ロウも花を添え、

70年代のミュージックシーン、イギリスとアメリカ大西洋を股にかけてのファンタジーを堪能できました。



ところで、このシーン、エルトンとバーニーの出会いのカフェが、またまた「リージェンシー・カフェ」なことも胸キュン。ここはマシュー・ヴォーンが監督した「レイヤー・ケーキ」やベン・ウィショーの「ロンドン・スパイ」でも撮影されたカフェで、その昔私がロンドンに住んでいた時のご近所さんなのでした。



アメリカ、 LA!!!って感動は、「ボヘミアン・ラプソディ」でも出てきたように、70年代当時のイギリスのミュージシャンにとって憧れの地なのですよね。「タワレコ」でも感動してましたね。イギリス人にとって、自由で美人さんの宝庫ってのが面白いなあ。確かにバーニーがパーティーで一緒になってた女の子はかわいかった。

アメリカのロックファンの女の子たちも、ロンドンから来たミュージシャンってことで、相思相愛の仲だったのですよね。既にビートルズやストーンズの先例もあるので。

その辺の楽しくも乱れていた夜のロックシーンのことを当事者のくせに冷静に見ていて曲(ファット・ボトムド・ガールズ)にまで作ってしまったのがクイーンのブライアン・メイ博士というのも思い出しました。