いい夫婦の日です。
私たち夫婦が、いいのか悪いのかはよく分からないが、結婚して21年の月日が流れた。
パートナーの両親との同居から始まり、その病気の介護と貧乏と
思いがけず早めに授かった長男の子育てと
無我夢中でした。
初めての北国での生活も過酷でした。パートナーの父親は若い時に車大工で、その技術を使って一間一間造り足したという古い家は、いまどきの断熱材もなくかなり建てつけの悪くなった家のすきまからもれこむ冷気に身震いしました。まな板の上に魚を置いて他を向いて、振り返ったら薄氷が張っていたということがありました。つらかった。涙が止まらなかった。それでも踏み出した一歩を歩みかえる決断がつかぬまま我慢を重ねていた。元気の気は、気力の気なんだと理解したのもこのころでした。朝、何の理由もなく起き上がることができないのです。生活をするための気力なんて、当たり前にそこにあるものと思っていました。
何で我慢が出来たのか今でもわかりません。
ひとつ言えるのは、つらい日々の中で、私の周りにいた方が時折声をかけてくださった言葉が心に染みたのです。暖かかった。そういう経験をするたびにもう一日頑張ってみようと思いました。
ここから先、何年一緒に暮らすのだろう…。いい夫婦とは言えないけれど、笑って暮らしているから、ま、いいかあ…。
私たち夫婦が、いいのか悪いのかはよく分からないが、結婚して21年の月日が流れた。
パートナーの両親との同居から始まり、その病気の介護と貧乏と
思いがけず早めに授かった長男の子育てと
無我夢中でした。
初めての北国での生活も過酷でした。パートナーの父親は若い時に車大工で、その技術を使って一間一間造り足したという古い家は、いまどきの断熱材もなくかなり建てつけの悪くなった家のすきまからもれこむ冷気に身震いしました。まな板の上に魚を置いて他を向いて、振り返ったら薄氷が張っていたということがありました。つらかった。涙が止まらなかった。それでも踏み出した一歩を歩みかえる決断がつかぬまま我慢を重ねていた。元気の気は、気力の気なんだと理解したのもこのころでした。朝、何の理由もなく起き上がることができないのです。生活をするための気力なんて、当たり前にそこにあるものと思っていました。
何で我慢が出来たのか今でもわかりません。
ひとつ言えるのは、つらい日々の中で、私の周りにいた方が時折声をかけてくださった言葉が心に染みたのです。暖かかった。そういう経験をするたびにもう一日頑張ってみようと思いました。
ここから先、何年一緒に暮らすのだろう…。いい夫婦とは言えないけれど、笑って暮らしているから、ま、いいかあ…。