つれづれおもふ

思えば遠くに来たもんだ~ぼつぼつ語る日々の出来事

11月26日

2010年11月28日 | 日記
いい風呂の日・ペンの日
だったこの日は、“嵐”のおーちゃんの誕生日でもあった。

高校生の娘は、この日定期テストの最終日、午前中で家に帰ってきた。
たまたま家で仕事だったパートナーと三人、近所のイタリア料理店にランチをしに行った。シェフが一人で切り盛りするこの店は、素材にもこだわり、一皿一皿を丁寧に作ってテーブルに出してくれる。小さな店で10人も入らない。一度、ランチに入り、そのこだわりと情熱に感心し、時折ランチに来ている店だ。
我が家の末っ子、恥ずかしい話だが好き嫌いが尋常なく多い。学校給食のおかげで大分口に入れるものが増えたような状況だ。そのため、彼のいる時間にこの店に来ることができない。もっぱらランチ専門だ。

ファンクラブの会報でおーちゃんが同じTシャツを着ていたという、いわくつきのシャツを「今日はおーちゃんの誕生日だから」と着てきた娘と話をしながら、前菜とパスタのランチ、それに食後にコーヒーを頼んだ。
値段はしめて1200円。毎日は困るが、たまに贅沢するには手ごろの値段だ。

彼女は、理系教科が不得意だ。
不得意だが、頑張って向き合う姿勢がある。わが子ながら偉いと思う。泣きながら食いつくのだ。彼女のすぐ上の娘もやはり理系教科ができなかった。この娘は、わからないのはこの科目が悪いと考え、勉強することを放棄した。同じ親と暮らしていても、同じ女の子でも、いろいろ違うことだらけだ。

「おーちゃんね。東京ドームでサプライズがあったんだって」
幸せそうに“嵐”の話をする娘の様子に幸せを感じる。
昨日、札幌ドームで買ってきた相葉君のポスターが部屋に貼られた。

なんでもいい、日々、笑って過ごしてくれるのなら。

おーちゃんに「おめでとう」を言いそびれたが、
いい三十代を笑って過ごしてほしいと“嵐”ファンの娘と共に願っている。

今日、11月28日は税関記念日だそうだ。
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いじめ・・・2

2010年11月28日 | 徒然に、
札幌の中学生が自殺してしまった。痛ましいニュースだ。
いじめを苦にした遺書を残しているという。

文部科学省が児童・生徒の問題に関する調査で用いるいじめの定義は「子どもが一定の人間関係のある者から、心理的・物理的攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」で、「いじめか否かの判断は、いじめられた子どもの立場に立って行うよう徹底させる」としている。(ウイキぺディアより)

どういう状況があったのかは定かではないが、この場合、本人が「いじめられていやな思いをした」と書き残しているのだから「いじめはあった」のだ。
わからなかったとか把握できなかったということは、いつでもあることで、だからこそ、今回のような悲しい結末が出てくる。

この事件に関わりを持った人たちの心がいやされる日が来るのを祈るばかりだが、
どうもひっかかるのだ。
連休直後、学校は全校集会を開いた。これは当然のことだが、校長が命の尊さを訴え死んでしまった少女の父親のメッセージを読み上げたという。
その後、カメラの前に現れた校長の表情にも、ざらつくものを感じた。
ネットを観ていると、この少女の保護者と学校に信頼関係が築けているからだということが出ていた。
信頼関係…?

わが子が死んでいるのだ。
しかも病気や事故ではなく、自殺だ。
目の前に学校を苦にして死んでしまったわが子が横たわっているのだ。
どうして、学校との信頼関係を保っていられるのだろうか。
男親は違うのだろうか…。
私なら、状況を受け入れることがまずできないだろう。泣くことがあるのだろうか。
泣きだしたら止まらないだろうと思う。
いつくしんで、悩み苦しみながらやっとここまで育てたわが子だ。
自分を悔やんで悔やんで仕方がないだろうと思う。

事件から二日もたたないときに、この親御さんは
死んだ娘の同級生たちにメッセージを届けている。

私がざわつくのはここだ。
あなたは、なぜ、娘のためだけにそこにいないのか。
そのお子さんにしてあげられる最後のことではないか。
親がなりふり構わず自分の死を嘆き悲しんでくれる。
それで、彼女は救われるのではないか。

この少女には、もしかしたら学校にも家にも居場所がなかったのかもしれないと感じた。

新聞・テレビ・ネット、情報は偏ったものだと思う。わからないこと、知らないことばかりだと思う。そのうえで非難をしてはいけないのかもしれない。
でも、同じ年ごろの子どもを持つ親として、この保護者の方にききたい。
あなたが今やるべきことは、お子さんの死を悲しむことだけではないのか。

金曜日、札幌市内の中学校・小学校の学校長が教育委員会に集められた。
たまたまテレビを観ていたら、末っ子の通う小学校の校長の姿があった。
この校長先生、事務能力のようなものは素晴らしいのですが、どうも子どもと向き合う部分がいただけないと感じている。笑っていることが少ないのです。
外でであっても挨拶が返ってくることがないのです。
教室で傷ついた子どもは、どこでその傷をいやすのでしょうか。
それは、他の先生方の暖かい笑顔や、いつでも話を聞くよというムードではないでしょうか。あいまいな言い方で申し訳ないのですが、そういう「空気」のような部分が、わが子の学校長には足りない感じがするのです。だから、テレビに映った校長の顔を観ながら
「あなたはそんな集まりに出るよりも、子どもの中に入って遊んで話を聞いて、学校周りの掃除をして見せたほうが、はるかに子どもの救いになるんじゃないのかしら」と思っていました。

大人の形式通りには子どもは動きません。
自分をみて!!と彼らは叫んでいるのです。

言葉が足りない部分が多いと思います。誰かを傷つけていなければいいと思いますが、言いたかった。悲しんであげている人はいるのか!と…。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/261308.html

http://www.nhk.or.jp/news/img/logo_nhknews.png

http://www.news24.jp/nnn/images/news24_logo.gif
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