http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120626-00000533-san-soci
これは耳を疑った。 私は感覚がもう古いのだろうか。
反社会的組織のお兄さんたちが入れる刺青、 それからいわゆるファッションタトゥーと言われるもの、
また、宗教的な意味を持つ入墨 を同じ俎板に載せて論議しても話は通らないだろう。
それにその筋のお兄さんにもいろいろ事情はあるだろうから、更生しようとしている人間を行政が指導監督してしていると観れば、
大阪市の清掃業務の職員に●●モンモンの兄ちゃんがいても、それはある意味正しい状況だろう。
だが子どもを指導する立場の教員が、何を思って入れた『入墨』なんだ?
まさか、その手の方ではないだろうし、反省しているというから宗教的なモノでもなさそうだ。
ということは流行のタトゥーと言われるやつか…あきれてしまう。
入墨をしていた事実よりも反省しているという点に、この人は教員としての資質があったのかな、
もし足りなくても、それを補う努力はしていたのかなと感じた。
まあ想像するに、それがどういうことなのか自覚しないでやってしまったということなんだろう。
そして私が思うのは、その考えの浅さをそのまま教育現場に持ち込んだという点が、一番問題ではないかということ。
何だろうが、それによって起こるすべてを受け入れる覚悟を持っているのなら教師であっても、入墨でも鼻ピアスでもする権利はあると思う。
画一的な生き方をしている教師ばかりがいるよりも、それくらいはちゃめちゃな生き方をするものがいる方が、
教育の現場には良いとさえ思う。 要するに、周りの人間や子どもたちを感動させられる生き方をしているかどうかなのだ。
それが出来ないのであれば、絶対入れてはいけない。
入墨は、髪を染めるのとは違い、やっぱりやめたということが難しいからだ。
歌手や芸能人、スポーツ選手などが入れているのを目にすることが増えて来た。
初めはギョッとしたがこのごろは慣れたのか、彼ら、彼女らのものとして受け入れられるようになった。
それは入墨を認めたのではなく、輝いている彼らの生きざまを受け入れているからだと思うのです。
彼らは、そういう人生を受け入れる覚悟や努力をきっちりとしている。
それを教員と言う仕事をしている人間が、見落としてはいけない。
人を育てるというのはとても大変なことだ。ましてや、自分よりも吸収力のある若い世代に向き合う職業で、
彼らの尊敬を得るのは生半可なことではないだろう。
だが機をてらったやり方で子どもの人気を得ても、それは一過性のものでしかない。
教員はもっと本質のところで子どもの注意を引くように研鑽を重ねるべきだと、私は考えている。