HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

客モを使う専門店販促の進化型。

2013-03-08 17:21:21 | Weblog
 福岡に本社を置き、独立独歩のファッション専門店経営を進める「フカヤ」という企業がある。われわれアパレル業界人の中には取引したものも少なく無く、そうでなくても一度は名前を聞いたことがある「小売り専門店」の代表企業だ。

 ルーツは地方都市に多く見られる高級ミセス専門店で、80年代以降は独自の出店戦略のもと、じっくり新業態を作り上げてきた。基本はミセスとヤングの二本立てだが、70年代にはいち早くキャリアゾーンを充実させ、90年代からはヤングのセレクト業態でも、他にないフォーマットを構築している。
 競合他社や後発の専門店チェーンがSPA化にシフトする中、同社は頑に「メーカー仕入れ」を貫き、利益率よりも商品のグレードを追求する。バイヤーは国内のみならず、欧州にまで買い付けに出かける。そこで専門店系アパレルやファクトリーメーカーの展示会をこまめに廻り、ショップコンセプトと自分のフィルターを通して商品をセレクト。それらを洋服好きを納得させ、業界人をもうならせる品揃えに昇華させるのである。
 底流にあるのは、不景気でもデフレでも「リッチ感」を絶やさないこと。「専門店とはかくあるべき」という企業哲学が店づくりや品揃えはもちろん、スタッフを通して映し出されている。

 そのフカヤが先日から読者モデルならぬ「お客様モデル」を募集している。資格は18歳以上~シニアまでの女性に限定。書類審査を経て、最終オーディションを行うという流れだ。年齢別に選ばれた8名のモデルは「フカヤ8シスターズ」として、創業50周年のイベントやテレビCM、ポスターなどに出演するという。
 通常、企業がプロのモデルをマス媒体などに起用する場合、プロモーション計画を依頼する広告代理店を通す場合がほとんどだ。当然、モデルのギャラに代理店のマージンが乗っけられることがあったり、自社のイメージあったモデルがいても、一業種一社の縛りで契約できないケースもある。
 過去20年、ファッション衣料の価格は3分の1くらいに値下がりした。ただ、それらは原価率を圧縮したもので、商品のグレードは確実に落ちている。それゆえ、ブランド力を維持するにはタレントを起用したプロモーションに注力し、商品イメージをごまかしている面は否めない。
 さらに昨今はタレントでも大した販促効果が得られないのは、読者モデルの台頭を見れば一無瞭然である。そして、その雑誌すら販売部数が低迷し、「読モ」の存在は過去のものになりつつある。行きついた先が「客モ」ということだろう。

 今回は客モと言っても公募だから、必ずしも顧客ではないかもしれない。しかし、同社の商品を同社の「ショップスタイリスト」がコーディネートし、素人をモデルに仕立てるのだ。それをプロのカメラマンがスチールやムービーに撮影して、制作スタッフがCMやポスターに仕上げていく。
 まさにファッション業界のプロが携わるスタイリング提案であり、プロモーション戦略でもある。 客モにとってもその主人公に自分がなる機会など、そうそうあるものではない。おそらく客モ側は、そこで初めて「自分にこういうスタイリングが似合うのか」と気づくはずである。
 とすれば、以降、客モがそうしたテイストを扱う業態の顧客になっていく公算は高い。ただ、年齢別、テイスト別にほぼ1人の客モだから、売上げ的に大きな数字は期待できない。それでも、 等身大で、身近な存在なら、店舗顧客の親近感はわくはずである。何よりプロのモデルではないから、いろいろと使い勝手はいいはずだ。
 F.W.Fだの、FACoだのと、三流タレントを東京から呼ぶしか能のない公金泥棒たちには、思いもつかない地元密着・ローコスト型の販促アイデアではないだろうか。
 
 まあ、2回続けて褒めるのは、当コラムの主旨から外れてしまうので、最後に辛口評論もしておきたい。問題はモデルの選考にあたる審査員の顔ぶれだ。同社のH社長、これはトップだけに当たり前である。ショップスタッフ、これも商品のイメージ、スタイリングしてみたいかどうかを考えると、当然だろう。
 解せないのはコピーライター・作家という肩書きをもつY氏の起用だ。博報堂を定年退職し、地元ローカルテレビでコメンテーターなどを務める御仁である。フカヤの広告がかつて何度も地元の広告賞を受賞しているのは、ファッション業界では有名な話だ。その窓口の代理店が博報堂だったというのも聞いている。
 だからといって、地元業界で「は虫類」なんて揶揄されている60過ぎの御髪が軽くなった御仁に、ハイグレードで最新トレンドを着こなす客モの審査をさせることには、違和感を覚えてならない。専門店のプロモーションは、大丸福岡店のコピーを書くのとは次元が違うのである。
 不釣り合いであるのは間違いなく、どう考えてもただのスケベに見えてしまう。そう考えるのは筆者だけではないはずである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする