HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

買う気はあるが物がない。

2018-02-07 07:24:38 | Weblog
 前回のコラムで、 2000年くらいから(ファッションアイテムを)全く購入しないシーズンが確実に増えていると書いた。今年は立春を過ぎてもまだまだ寒い日が続いているが、このまま行けば2017〜18AUTOMNE-HIVERも何も買わずに終わりそうである。

 こんなことは自分だけかと思っていたら、コラムをアップした数日後にファッションコンサルタントの小島健輔氏がアパログで「洋服を買う気力が失せていく」と、ご自身の思いを投稿していらっしゃった。http://blog.apparel-web.com/theme/consultant/author/kojima/314a7e49-a2b7-4df6-bc1b-065e45abdb57

 業界で長らく仕事をしてきた方は、やはり筆者と同じ気持ちのようである。小島氏はさらに「衣料・服飾品とその購入に魅力を感じなくなった事が一番大きいと思う」と、以下の3つの理由を挙げられてある。(抜粋)

 一つは「自分の価値観や美意識、体型に応えるブランドが見つからない。デザインを追ったブランドは若向きなのか品質感やパターンの厚みを欠き、品質感やパターンを評価できるブランドはコンサバに過ぎる」と、仰っている。

 筆者は小島氏より10歳程度若いが、全く同感である。体型こそ30代からそれほど変わってはいないが、その頃着ていたデザイナーズテイストの服の質感や感性が身に染みているせいか、それが今の市場に出回るブランドにほとんど感じられない。デザインを追求するものは若者向けでクオリティはさほど高くないし、素材が良く品質の良いものは、トラッド(コンサバ)テイストで面白くないのである。

 表現がなかなか難しいので、一例を挙げてみよう。ニット(セーター)にローゲージまたはミドルゲージの「ケーブル編み」がある。昔からあるごく定番デザインのアイテムだ。グローバルSPAは糸をアクリルにしたり、ポリウレタン混紡などでコストを下げる。大量生産で価格を抑えて販売できるわけだ。だが、あまりに安っぽい。

 逆にセレクトショップは、「英国伝統の◯◯◯」とか、「特殊な編み機を使用する◯◯◯」とか、有名ブランドや稀少性を一押しにするが、 アイテムをそのまま仕入れただけだから、商品づくりで新たな企画やアレンジ性は打ち出されていない。

 そこがDCブランドの感性で揉まれた人間にとっては、気に食わないのである。アイテムを見ただけで「これならイイや」って感じになって、購入するまでにはいかないのだ。




 前回も編み地に組織変化のないメリノウールや梳毛が好きなれなかったと書いた。百歩譲ってフラットの編み地でも、デザインに変化があれば買う気が出てくるのだ。例えば、ニットならボディをリブと袖をテレコにして編み立てし、少し変化を加えるとか。カーディガンだったら、フロントをボタン留めではなくジップにするとか。レザージャケットのようなダブルジップにすれば、なおさら着こなしもカッコ良くなる。デザインというより企画であり、多少コストアップしても独自のテイストを追求すれば、個性的に仕上がる。それらをこちらは求めているのだ。

 別にテイストはアドバンスドやモードとまでは行かなくて良い。ただ、トラッドやコンサバ、アメカジのままでは買う気も失せていくのである。市場に出回るアイテムにはもっとコンテンポラリーでモダンな感性があってもいいと思うが、ほとんどが価格やブランドだけを押し出すだけで、そうした感度が全くないのである。おそらく小島先生も同じ事を感じていらっしゃるのだと思う。

 二つ目は、「欧州ブランドは近年の円安などで法外に高騰してしまい、リーマン前の価格感覚では手が出なくなった」ということを挙げていらっしゃる。これについて筆者はこれまでそれほど高価な欧州ブランドは購入してきてはいないが、ユーロ高で懇意にしているフランスのメーカーさんが勧めてくれる商品が値上がりした実感は確かにある。

 福岡のような地方都市では、欧州ブランドは百貨店で展開されるラグジュアリーくらいしかないので、まず手を出すことはありえない。東京ならマイナーでも感度の高いデザイナーズ系のインポートが出回っているが、それだけを購入するために上京するわけにもいかず、ネットで探すのが精一杯である。

 伊勢丹のセールでは、それらが30〜40%引きになるとは言っても、期末の売れ残りに気に入る物があるかどうかはわからないし、なければ買う気は削がれていく。結局、ネットでプロパーのアイテムを探し、それが見つかっても買うか買わないか二の足を踏む。しかも、購入した時のサイズや質感の違い、返品の煩わしさなどを考えるうちに、シーズンが終わってしまうのだ。ここ10年ほど、そんな状況がずっと続いている。

 ネットで見つかったとしても、よほどドンピシャで気に入って購入を決断しない限り、そこそこ高額な欧州ブランドに手を出すことはあり得ない。

 三つ目は、「フィッティングなしのサイズデータだけでECで買うなど想像もつかない。日常消費の大半をECに依存するようになっても洋服だけは手を出せないのはギョーカイ人?の端くれだからだろうか」。これには全く御意である。

 やはり、試着をして姿見に映った状態が自分の感性にジャストフィットするか。筆者はもともとルーズに着こなしてきたからこそ、サイズデータだけでは判断材料にはならない。ルーズさゆえに着た時の着心地はもちろん、生地の質感や微妙な色合い、光沢を見てから買いたいだけである。

 EC礼賛の業界からずれば、もはや化石と化した人間かもしれないが、ECはアパレル業界に浸透して拡大しただけでなく、並行してユーズドやレンタルの市場も広げている。つまり、それはお客にとっては長く着て愛着が涌くブランドが醸成しづらいことの裏返しではないのか。ECに与しないコムデギャルソンがリサイクルショップの店頭で人気を集めることも、お客の本心を表しているような気がするのだ。

 最後に小島先生は、「周囲のお洒落にうるさい大人たち(50代以上の男女)は皆、似たような事を言っているから、私が余程の変わり者という訳でもなさそうだ」とまとめていらっしゃる。小島先生のブログを読んだ方の中には、「(今の流行に)ついていけないだけでは」という方もいらっしゃる。そんな方もいずれは歳を取るのだから、ついていけないのはもちろん、体型的に着られなくなるのは確かである。所詮、ファッションなんてそんなもの。むしろ、今の気持ちや気分が大事なのである。

 流行を追う、追わない。お洒落な商品を着る、着ないは別にして、人間誰しも老いぼれたとは言われたくはないはずだ。業界で仕事してきた人間なら、なおさらだろう。それは着ている物で左右されるのは間違いない。だから、筆者は意識高い系と揶揄されるとまでは行かなくても、多少の拘わりはもって生きたいだけである。

 周囲に目をやると、東京でも福岡でも15年程前までは、デザイナーやイラストレーター、カメラマンがそれなりの格好をして打ち合わせにやってきていた。最近はネットが普及しメールでやり取りできるからか、それとも仕事そのものが無くなってきたからか。(50代に入った彼らが)「自分はクリエーターだ」と、格好で主張して街を闊歩する姿もすっかり見かけなくなってしまった。

 身近にいる大人たちのお洒落に対する気持ちがどうなのか、そちらも大いに気になるところである。そんなことをSNSで発信していると、先日、3年前に投稿したコラムが「思い出」として自動的にアップされた。http://blog.goo.ne.jp/souhaits225/e/2771d2c5ec876a91fae2d6faef41ae61

 端境期には偶然にも同じような思いを書いているからか、それともSNSがAIの機能を使って似たような投稿をピックアップしているのか。どちらにしても、コメントを寄せて頂ける「友達」の中にも買いたい服が見つからず、過去に買った服を大事に着ている方が多い点では共通するのは事実だ。

 筆者はアパレルメーカーやセレクトショップ、百貨店や駅ビル、SCのデベロッパーに対し、「ファッションにお金を使える大人たちをぞんざいに扱ってきた」とまでこきおろすことはしないが、買いたくなる商品がないことだけは確かである。いよいよ、今年はこれまで何度か試作のつもりでやってきたが、本格的に生地や革から製作に取り掛かり、オリジナルデザインの服を作るしかないようである。革なら少量でも作れるので、まずはレザーの企画から取り掛かろうと思っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする