HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

バッティングの功罪から見えてきたこと。

2013-11-04 14:50:02 | Weblog
 日本のファッション業界にはバッティングという「慣行」がある。正確には、あったというべきだろうか。用語は「バッティングさせない」「バッティングを避ける」という具合に使う。意味は卸と小売りとの取引において、あるブランドやあるアイテムについては、「卸は決まった取引先の小売店以外には販売しない」ことを指す。

 つまり、小売店同士が同じ商品でバッティング=打ち合うをことを避けようという、業界の習わしである。グローバル競争の時代に全く意味のない慣行だ、と思われる諸兄は少なくないだろう。しかし、話はそんな簡単なものではない。

 もう少し詳しく説明すると、小売店、正確にいうと「品揃え専門店」、いわゆるセレクトショップが卸から商品を仕入れる場合、国内外を問わずメーカーや卸の展示会を利用するケースがほとんどだ。
 
 卸が単独で行う展示会の場合、営業的には永年、取引を続けて来た固定の専門店を大事にする。卸には「この店のバイヤーはうちの商品を気に入ってくれ、ずっと売り続けてくれ、顧客を作ってくれた」との思いがあるからだ。

 小売り側のバイヤーも、「この卸の商品はうちのコンセプトに合うと見きわめて、ずっと売って来た。それでお得意さんを増やして来た」との自負をもつ。こうした双方のやり取りの中で、「だから、おたくにだけ卸します」「うちだけの仕入れにしてください」との了解が生まれ、取引が行われていくのだ。

 もちろん、卸側も数を売らないといけないから、同じエリア内に限り「バッティングさせない」という落としどころにする。「東京ではこのセレクトショップ、福岡ではこの専門店に卸す」といったやり方だ。この手法で、卸と小売りとの信頼関係は保たれ、共存共栄は成り立って来た。功罪でいえば、功、つまりメリットの部分だ。

 ところが、ファッション業界に新規参入したり、これから入ろうと言う若者にとっては「何で」「おかしい」と思うだろう。グローバル競争=自由、弱肉強食だから、どこが売っても良いと考えるだろうから、無理もない。

 ただ、こう考えるとどうだろう。欧米のラグジュアリーブランドを小売業者の誰もが簡単に仕入れて販売できるのだろうか。日本でラグジュアリーブランドのほとんどは、百貨店が販売している。ロレックスなんかの高級ブランドウォッチにしても、「代理店」に指定された宝飾店でないと、販売できない。

 抜け道として並行輸入という手がなくはないが、点数が限られサイズやアイテムが揃わない。また中間卸やブローカーが介在すると、「偽物」をつかませられるリスクを伴う。さらに本物であっても業者マージンの分だけ卸価格が上がり、利幅は薄くなる。

 仮に正式ルートで卸してもらえるにしても、エクスクルーシブ=独占販売権を求められれば、1シーズンで2000万円程度の仕入れを要求されることもある。コレットのような有名セレクトショップでない限り、どうしても足下を見られてしまうのだ。

 ブランドメーカーである卸は、強いバイイングパワーがあり、確かな販売実績という売上げ、顧客数をもつ小売りと取引したい。それは経営力という裏付けを評価しているわけだから、当たり前だ。どこの馬の骨とわからない若造がなけなしのキャッシュをもって展示会に来たところで、ブランドメーカーが簡単に卸してくれるほど、欧米のビジネスは甘くないということである。

 だからこそ、欧米よりはるかに零細な日本の卸にとって、取引先の小売店の仕入れ能力や売上げが取引するための「クレジット」になるのは言うまでもない。こうした取引慣行の中で、「バッティングさせない」という不文律が生まれたとすれば、少しはご理解いただけるのではないだろうか。

 もっとも、昨今ではこうした業界慣行にも綻びが生じている。インターネットの登場で、卸も小売りもEコマースを導入。卸が小売りルートとは別に直販したり、小売りがネット販売することで顧客もエリアも、ボーダレスになっているのだ。

 例えば、福岡のショップで「このブランドは地元ではうちしか扱っていないんですよ」と、専門店仕入れの希少性をセールストークにしてお客の自負心をくすぐって購入させても、同じエリアに東京のショップからあっさりネットで購入したお客がいないとも限らないのである。

 それゆえ、卸、小売り双方とも、Eコマースというチャンネルを広げるところとは、取引しないという事業者が現れている。百貨店のように「他に卸売りするな」と、従来以上に卸に圧力をかけているという話も伝わってくる。

 でも、これだけインターネットが消費者の生活に浸透してしまった今、バッティングさせないという不文律は形骸化していくと言わざるを得ない。消費者にとっては、どんな販売チャンネルで買おうと自由なのだから、小売りがそれを提供する方向に動くのは当然である。

 従来、卸と小売りとの関係維持で生まれた慣行は、対顧客の面では有効に機能していた。しかし、Eコマースが出現した現在では、それも意味をなさなくなってしまった。バッティングさせないことは、卸も小売りも自分たちの権益を守るためには死守していかなければならない慣行かもしれない。でも、これは功罪の罪、デメリットでもあるのだ。

 いつまでも慣行に助けられていたのでは、業界そのものに発展がない。Eコマースが急速に浸透しているからこそ、「他に卸すな」なんて姑息な手段をとるのは、恥ずべきこと。むしろ、小売り自らが積極的に商品を開拓し買い取って、リスクを踏んで売り切るべきなのである。

 Eコマースには決して馴染まない、その店だからこそ売り切れる商品。メーカーや卸はそれを積極的に企画・開発し、小売りはそれらを探し出して自店の優位性を競争力にすべきなのである。それこそが新たな活性化の道を開くのではないだろうか。

 奇しくも10月31日、ゾゾタウンのショールーミングアプリ「WEAR」がサービスを開始した。ブランドで競合するルミネは反発し、撮影禁止ルールまで持ち出して、顧客離れを阻止しようと躍起だ。一方、パルコは東京地区の店舗で「WEAR実験中」というポスターを掲示し、販売チャンネルの拡充に踏み込んでいる。

 WEAR導入を許した背景には、手数料収入という懐柔策があるようだ。しかし、どちらにしてもこの程度の次元で争っていたのでは、業界全体の発展はないに等しい。どこで何を買うかはお客の自由なのだし、お客が求める商品を提案できるかどうかが、最後のカギを握るからである。

 百貨店もデベロッパーもEコマースも、販売チャンネルの次元だけで一喜一憂しているようでは、確実に存在意義を失っていくのかもしれない。
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