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3月13日、DCブランド「バツ」の創業者で、デベロッパービジネスにも造詣の深かった松本瑠樹氏が亡くなった。同氏はDCブランドとファッションビルとの関係を作った一人とも言っていいだろう。
特にパルコが渋谷パート2の出店に際し、当時、勃興期にあったニコル、ビギ、バツに実験的ニュアンスで出店を要請した時のエピソードは有名だ。同氏は「出店するだけでは何の意味もない。ビルそのもののコンセプトまで提案」した。
ファッション業界側がビルづくりに参画する。当時としては画期的な取り組みだった。しかし、大手アパレルに比べると、DCブランドはどこも中小零細ばかり。そうした海千山千の新興勢力に、パルコがビルのコンセプトを委ねることに二の足を踏んだのは言うまでもない。
その後、松本氏はラフォーレ原宿の改装を機に本格的なファッションビル開発を手がける。原宿にはラフォーレが開業する以前からマンションメーカーやDCメーカーなどのアパレルが閑静な環境に引かれて数多く集まっていた。バツもその一つだった。
当時、筆者は高校生でたまに表参道を歩くと、必ずお洒落な出で立ちの人々と擦れ違ったことをよく憶えている。今のラフォーレ原宿の場所にはたぶん小さな教会があったと思うが、その開業において松本氏が教会移転に尽力したことで、地下フロアにDCブランドを集結させることにこぎつけた。その話しをだいぶ経ってから、何かで読んだ記憶がある。
その後、DCブランドはラフォーレ原宿の中で売上げを急拡大させ、他の不振テナントに代わって、ファッションビルの中でその発言力を増していったのである。
DCブランドを集積したファッションビルは、そのクリエーションで引きつけた顧客を特定の場所に集めることで、立地環境を創造したと言ってもいいだろう。当然、立地の創造はその地価を引き上げ、不動産業者は地価高騰の恩恵を受けたのである。
ただ、デベロッパーが土地を所有していなければ、地価高騰はテナント料を引き上げさせる。ひいてはテナントが値上げに対応するため商品価格を上げなくてはならない。松本氏は「価格が上がれば当然、売上げ不振となって悪循環になる」と、ファッションビルの問題点を指摘した。今では考えられないことだ。
また、松本氏はファッションビルのプロモーションにも一家言を述べていた。それは広告と販促の混同だった。「広告と販売促進はまったく目的が異なる。広告は単に知名度を上げるものだが、販促は顧客を店に引きつける目的をもつ」と。
つまり、パルコをはじめとするファッションビルは、広告には力を入れていたが、販促は疎かにしていた。だから「ビルを訪れていたお客は決してそのビルの顧客ではなかった」と言いたかったのである。これ以降、このフレーズは筆者にとっても仕事のベースとなった。もちろん、今ではファッションビルの多くが、顧客作りにハウスカードなどの販促を重視しているのはいうまでもない。
さらに「物を作らないメーカーや物を売らない小売店の時代は終わる。自分が所有する店で自分の作った商品を売ってこそ、消費者に気分を伝えることができる。それができる仕組みを作ることが重要」とも語っていた。
今の業界を見ると、どうだろう。物を売り切れない百貨店は瀕死の状態で、自分で売っているSPAが台頭している。まさに松本氏が予言した通りになっている。業界にとって先を読むことがいかに重要か。同氏が残したは足跡は計り知れない。合掌。
特にパルコが渋谷パート2の出店に際し、当時、勃興期にあったニコル、ビギ、バツに実験的ニュアンスで出店を要請した時のエピソードは有名だ。同氏は「出店するだけでは何の意味もない。ビルそのもののコンセプトまで提案」した。
ファッション業界側がビルづくりに参画する。当時としては画期的な取り組みだった。しかし、大手アパレルに比べると、DCブランドはどこも中小零細ばかり。そうした海千山千の新興勢力に、パルコがビルのコンセプトを委ねることに二の足を踏んだのは言うまでもない。
その後、松本氏はラフォーレ原宿の改装を機に本格的なファッションビル開発を手がける。原宿にはラフォーレが開業する以前からマンションメーカーやDCメーカーなどのアパレルが閑静な環境に引かれて数多く集まっていた。バツもその一つだった。
当時、筆者は高校生でたまに表参道を歩くと、必ずお洒落な出で立ちの人々と擦れ違ったことをよく憶えている。今のラフォーレ原宿の場所にはたぶん小さな教会があったと思うが、その開業において松本氏が教会移転に尽力したことで、地下フロアにDCブランドを集結させることにこぎつけた。その話しをだいぶ経ってから、何かで読んだ記憶がある。
その後、DCブランドはラフォーレ原宿の中で売上げを急拡大させ、他の不振テナントに代わって、ファッションビルの中でその発言力を増していったのである。
DCブランドを集積したファッションビルは、そのクリエーションで引きつけた顧客を特定の場所に集めることで、立地環境を創造したと言ってもいいだろう。当然、立地の創造はその地価を引き上げ、不動産業者は地価高騰の恩恵を受けたのである。
ただ、デベロッパーが土地を所有していなければ、地価高騰はテナント料を引き上げさせる。ひいてはテナントが値上げに対応するため商品価格を上げなくてはならない。松本氏は「価格が上がれば当然、売上げ不振となって悪循環になる」と、ファッションビルの問題点を指摘した。今では考えられないことだ。
また、松本氏はファッションビルのプロモーションにも一家言を述べていた。それは広告と販促の混同だった。「広告と販売促進はまったく目的が異なる。広告は単に知名度を上げるものだが、販促は顧客を店に引きつける目的をもつ」と。
つまり、パルコをはじめとするファッションビルは、広告には力を入れていたが、販促は疎かにしていた。だから「ビルを訪れていたお客は決してそのビルの顧客ではなかった」と言いたかったのである。これ以降、このフレーズは筆者にとっても仕事のベースとなった。もちろん、今ではファッションビルの多くが、顧客作りにハウスカードなどの販促を重視しているのはいうまでもない。
さらに「物を作らないメーカーや物を売らない小売店の時代は終わる。自分が所有する店で自分の作った商品を売ってこそ、消費者に気分を伝えることができる。それができる仕組みを作ることが重要」とも語っていた。
今の業界を見ると、どうだろう。物を売り切れない百貨店は瀕死の状態で、自分で売っているSPAが台頭している。まさに松本氏が予言した通りになっている。業界にとって先を読むことがいかに重要か。同氏が残したは足跡は計り知れない。合掌。