かっては命がけで通り抜けた難所。親知らずの懸崖(トンネルはこの崖すれすれにある)
旧北陸本線、親知らずトンネル新潟側
トンネルの長さは700m(670m)あまり富山側に抜けられます。
このトンネルは明治40年(1907年)起工 完成が大正元年(1912年)廃止が昭和40年(1965年)
映画おりんの撮影は1976年頃ですから、廃止から11年ほどなので撮影時は比較的トンネルは綺麗である。
映画「はなれ瞽女おりん」より抜粋
映画の最終シーンは鶴川(原田芳雄)と別れ、憔悴したおりん(岩下志麻)は名もなき宿場町を彷徨する。映画での宿場町は長野妻籠宿の往還である。反対側から歩いてくる蓑笠を纏った旅人は、市川信夫氏(瞽女研究家)この映画の時代考証者である。カメラは一転し、トンネル内から出てくる鉄道工事の人夫たち。そのトンネルが旧北陸本線の親知らずレンガトンネルである。
「おら、前から気になってたんだが、あの崖の上にあるあの赤い物はなんだ」人夫たちの眺める方角の急峻な崖の上の木の枝には赤い着物が。そしてそれら林の中には白骨が。という展開で、映画はエンドとなる。
福井県の水上勉が建てた「一滴文庫」に行くにあたって瞽女おりんの足跡を改めて調べてみました。調べ直してみると、おりんは実在のようで、墓こそないようですが、小さな地蔵尊の台座には「恵林(おりん)」との記述と、そのそばに阿弥陀堂があることが判明しました。水上は誕生地にあったこの地蔵尊と阿弥陀堂からヒントを得て、「はなれ瞽女おりん」が作られたということのようです。
上越から富山、石川、福井若狭路(450km)を訪ねてみました。
続く
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます