高麗橋桜花店主 徒然日記ー料理人はどこまでできるのか ー

「高麗橋桜花」店主森田龍彦の思ったことを綴る日記のようなものですので個人的感想にとどまるということご了承下さいね。

茶道を通じて

2007-05-11 | 農業・食育・食文化について

 大変未熟者ですが、茶道を習っています。

 以前から興味はあったのですがなかなか習う機会に恵まれず、半分あきらめていたのですが昨年の秋から習い始めました。なかなかお稽古の時間を確保するのは大変ですが、お稽古はとても充実していて、いつも「あっ」という間に時間が過ぎてしまいます。

Photo_2  今日のお稽古のお菓子です。くず餅のように見えますが、外側の透明の部分がトロトロです。なにで出来ているのは、想像がつかないです。どうやって作っているのか、とても知りたいです。で、お菓子の名前がはっきりとついていないときは、先生とお菓子の名前を考えます。実は、これが私の隠れた楽しみのひとつです。あまりにもあからさまな名前はNGですし、これでも一応国語の教職免許持っていますので。

 先生は「うばたま」、私は「さざれ石(細石)」。うばたまは黒や闇・夜にかかる枕詞です。久しぶりに枕詞という言葉を聞いて、なかなかその意味が浮かばなかったです。教師にならなくて、正解だったようです。ちなみに私は渓流の水面に見える小石をイメージしました。こういうやり取りは脳をかなり刺激してくれます。

 稽古終了後、少し先生と二人でお話させて頂きました。先生は料理や農業にも大変造詣が深いです。なので、二人が話をするとかなりマニアックな会話になります。先生からは短い時間ですが、とても多くの気づきを頂いています。それはお茶のお作法を覚えるよりも、私にとって茶道を身近なものにしてくれています。改めて茶道を始めて、先生に教えてもらえて良かったと痛感しています。

 お茶も料理も、ともにおもてなしの心がとても大切になってきます。茶道では、その心構えを「和敬清寂」という言葉で示していますが、料理はどうなのでしょうね。特に、日本にとっての日本料理(店)の存在価値とは何なのでしょうか。美味しい料理をつくれるだけでなくて、この辺の部分も日本料理に携わる料理人には必要じゃないのかな、と思う今日この頃です。

 

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2 コメント

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いまむらさん (森田 龍彦)
2007-05-18 08:15:12
いまむらさん
書き込み、ありがとうございます。

まさか、いまむらさんにこのブログを読まれるとは。
かなり照れくさいです。

阿倍野近鉄はよく行きますので、
早速食べてみたいと思います。
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老玉は仙太郎で売ってますね。 (いまむら)
2007-05-11 02:59:18
老玉は仙太郎で売ってますね。
大阪なら近鉄阿倍野かな。土居さんとも親しいお店です。
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