戦後沖縄は米軍によって占領された。
あまり言及されない事実だがフィリピンも連合国側の一員としてフィリピン兵士も沖縄に駐留した。
言及はされなくとも沖縄住民はフィリピン人を戦勝国として日常生活で肌で感じていた。
慢性的食料不足で喘ぐ沖縄住民にとって、日頃接するフィリッピン人は豊かな国アメリカと同じ側に立つ「持てる国」の人だった。
彼等が除隊して帰国する時、豊かな生活を夢見て彼等に付いて行った沖縄の戦争花嫁は沢山いる。
その中で沖縄女の強さを示す成功談を偶に聞くが大部分は夢破れ哀れな結末を招いている。
そしてその事実は殆ど報道されず封印されたままになっている。
そして半世紀以上の時が流れた。
惨めな敗戦国民で慢性的飢餓に喘いでいた沖縄は肥満に悩む栄養過多の肥満県民と変わり果てた。
一方テレビのドキュメンタリー番組は米軍基地が撤退した跡地に出来たゴミの山を漁るあどけない少女の顔をアップで映し出す。
「持たざる国」フィリピンの唯一の外貨獲得商品は人間の輸出だ。
「フィリピンパブ」と云えば誰でも一つの連想を伴う。
ダンサーやシンガー、ミュジシャンと言った特殊技能の資格で日本に渡ったうら若きフィリピン女性の本業は殆どこれらフィリピンパブの「接客」である。
悲しいかな彼女等には賞味期限がある。
30歳も過ぎた頃になると彼女達は東南アジア諸国に再輸出される。
そこで地元の金持ち家庭の「メイド」として稼ぎ、国で待つ家族に送金し続ける。
その金持ち家族には日本の現地駐在員家族も含まれる。
復帰前、沖縄で米軍家族のメイドになる事は沖縄女性の憧れだった。
豊富な食事のおこぼれにありつけるし、あわよくば食料を家で腹を空かしている家族に分け与える機会があった。
フィリピンの人間輸出の例として日本の看護士不足を補う為フィリピンの看護士の導入が今論議を呼んでいる。
そのフィリピンが今騒がしい。
イラクを初め世界各国が騒がしいのでフィリピンの騒動にも新聞はあまりスペースを取らない。
アロヨ大統領は政府批判を続けていた地元新聞「デーリー・トリビューン」を令状なしで警察に捜索させた。
フィリピンという国は腹は空かしていても、メディアの自由だけは認められた国であった。
「アジア諸国」と言うと日本のメディアは中国と韓国しか対象にしないが、この二つの国は問題外としても、フィリピンはアジア諸国の中でも最も言論の自由が認められた国だ。
時を20年前に巻き戻そう。
マルコス政権を覆したのはメディアを中心にした世論の力だった。
自ら帰国を選んで空港で射殺されたベニグノ・アキノ。
そしてマルコス婦人がためこんだマラカニアン宮殿内の大量の高級靴を国民の目に晒したのもメディアの力であった。
世論を背にしたメディアに強権を発動したオヨヨ、・・・じゃない、アヨヨ、・・・でもない、アロヨ・オバーが今後どのように結末を着けてくれるのか。
(2006年2月26日22時35分 読売新聞)
アロヨ大統領は「小マルコス」…捜索受けた日刊紙
【マニラ=遠藤富美子】フィリピンで25日に国家警察の捜索を受けた日刊紙「トリビューン」の発行人ニネェス・オリバレスさんが26日、本紙の取材に応じ、「今後も戦い続ける」と政府の弾圧に屈しない決意を示した。
「トリビューン編集局に捜索、発行人は反撃」。捜索から一夜明けた、26日付の同紙1面の見出しだ。
同紙は6年前に発刊。発行部数は約8000部と少ないが、オリバレスさんは「最もアロヨ政権を批判している新聞」と自負する。
1970年代の戒厳令下でもジャーナリストとして活躍した。マルコス大統領批判が許されない中、マルコス夫妻をおとぎ話の主人公にたとえて書くなど、巧妙に検閲をくぐり抜けた。今回、当時の記憶がよみがえった。「アロヨ大統領は『小マルコス』になろうとしている」
同紙捜索で、「アロヨ大統領の指導者としてのイメージに傷がついた」。大統領はさらに不利な立場に立たされたと見る。
今後の活動について聞くと、「正しいことを書くだけ」。「もし編集局が閉鎖されたら、また別の新聞をつくるだけ」と言い切った。
あまり言及されない事実だがフィリピンも連合国側の一員としてフィリピン兵士も沖縄に駐留した。
言及はされなくとも沖縄住民はフィリピン人を戦勝国として日常生活で肌で感じていた。
慢性的食料不足で喘ぐ沖縄住民にとって、日頃接するフィリッピン人は豊かな国アメリカと同じ側に立つ「持てる国」の人だった。
彼等が除隊して帰国する時、豊かな生活を夢見て彼等に付いて行った沖縄の戦争花嫁は沢山いる。
その中で沖縄女の強さを示す成功談を偶に聞くが大部分は夢破れ哀れな結末を招いている。
そしてその事実は殆ど報道されず封印されたままになっている。
そして半世紀以上の時が流れた。
惨めな敗戦国民で慢性的飢餓に喘いでいた沖縄は肥満に悩む栄養過多の肥満県民と変わり果てた。
一方テレビのドキュメンタリー番組は米軍基地が撤退した跡地に出来たゴミの山を漁るあどけない少女の顔をアップで映し出す。
「持たざる国」フィリピンの唯一の外貨獲得商品は人間の輸出だ。
「フィリピンパブ」と云えば誰でも一つの連想を伴う。
ダンサーやシンガー、ミュジシャンと言った特殊技能の資格で日本に渡ったうら若きフィリピン女性の本業は殆どこれらフィリピンパブの「接客」である。
悲しいかな彼女等には賞味期限がある。
30歳も過ぎた頃になると彼女達は東南アジア諸国に再輸出される。
そこで地元の金持ち家庭の「メイド」として稼ぎ、国で待つ家族に送金し続ける。
その金持ち家族には日本の現地駐在員家族も含まれる。
復帰前、沖縄で米軍家族のメイドになる事は沖縄女性の憧れだった。
豊富な食事のおこぼれにありつけるし、あわよくば食料を家で腹を空かしている家族に分け与える機会があった。
フィリピンの人間輸出の例として日本の看護士不足を補う為フィリピンの看護士の導入が今論議を呼んでいる。
そのフィリピンが今騒がしい。
イラクを初め世界各国が騒がしいのでフィリピンの騒動にも新聞はあまりスペースを取らない。
アロヨ大統領は政府批判を続けていた地元新聞「デーリー・トリビューン」を令状なしで警察に捜索させた。
フィリピンという国は腹は空かしていても、メディアの自由だけは認められた国であった。
「アジア諸国」と言うと日本のメディアは中国と韓国しか対象にしないが、この二つの国は問題外としても、フィリピンはアジア諸国の中でも最も言論の自由が認められた国だ。
時を20年前に巻き戻そう。
マルコス政権を覆したのはメディアを中心にした世論の力だった。
自ら帰国を選んで空港で射殺されたベニグノ・アキノ。
そしてマルコス婦人がためこんだマラカニアン宮殿内の大量の高級靴を国民の目に晒したのもメディアの力であった。
世論を背にしたメディアに強権を発動したオヨヨ、・・・じゃない、アヨヨ、・・・でもない、アロヨ・オバーが今後どのように結末を着けてくれるのか。
(2006年2月26日22時35分 読売新聞)
アロヨ大統領は「小マルコス」…捜索受けた日刊紙
【マニラ=遠藤富美子】フィリピンで25日に国家警察の捜索を受けた日刊紙「トリビューン」の発行人ニネェス・オリバレスさんが26日、本紙の取材に応じ、「今後も戦い続ける」と政府の弾圧に屈しない決意を示した。
「トリビューン編集局に捜索、発行人は反撃」。捜索から一夜明けた、26日付の同紙1面の見出しだ。
同紙は6年前に発刊。発行部数は約8000部と少ないが、オリバレスさんは「最もアロヨ政権を批判している新聞」と自負する。
1970年代の戒厳令下でもジャーナリストとして活躍した。マルコス大統領批判が許されない中、マルコス夫妻をおとぎ話の主人公にたとえて書くなど、巧妙に検閲をくぐり抜けた。今回、当時の記憶がよみがえった。「アロヨ大統領は『小マルコス』になろうとしている」
同紙捜索で、「アロヨ大統領の指導者としてのイメージに傷がついた」。大統領はさらに不利な立場に立たされたと見る。
今後の活動について聞くと、「正しいことを書くだけ」。「もし編集局が閉鎖されたら、また別の新聞をつくるだけ」と言い切った。