私たち皆が必ず迎える死。そして誰もが、人生最期の時間を穏やかに過ごしたいと願うことでしょう。しかしさまざまな事情から、その願いが叶わず深い苦しみに苛まれる人も少なくありません。そんな人々が一縷の望みを託すのが安楽死という選択です。
今なお議論のただなかにある安楽死の現状を知り、私たち自身の行く末についても考えていきたいと思います。
目次
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安楽死とは
安楽死の定義
安楽死についての普遍的、医学的な定義は明確ではなく、他人の命を奪うことに対する倫理的、宗教的な議論が長い間続いてきました。そうした議論や社会状況の変化を踏まえ、安楽死には
- 現時点での医学では治療法がなく死期が近いことが確実
- 患者が耐えがたい身体的苦痛をなくせず、死を強く望む
- 患者自身が安楽死を強く望み、明確かつ繰り返し意思を確認できる
- 処置を行うのは医師に限られる
という要件が求められるようになりました。これらの要素に基づいて安楽死を定義すると
「治療法のない病や怪我で死を間近にした人が、身体的苦痛に耐えかねて自らの意思で他人(医師)に人為的に死期を早めてもらうこと」
となります。
尊厳死との違い
安楽死と同様なものとして使われる言葉に「尊厳死」があります。
日本尊厳死協会によれば、安楽死と尊厳死はいずれも「不治・末期」「本人の意思」という共通点はありながらも
- 尊厳死=延命措置を断って自然死を迎えること
- 安楽死=医師など第三者が薬物などを投与し患者の死期を積極的に早めること
という違いがあるとしています。
ただし、この両者を明確に区別するのは日本に見られる傾向であり、世界的には尊厳死は安楽死のひとつとして扱われることが多いようです。
安楽死の種類
の、3つの種類に分けられます。これらの違いを明確にするのは、後述するように、その処置が違法とされるか否かが国によって異なってくるためです。
積極的安楽死
積極的安楽死は、患者の意思により医師が注射などで致死薬を投与して死なせる方法です。安楽死が認められている国では、一般的な安楽死とはこの処置を指すとされています。
医師幇助自殺
医師幇助自殺は医師が致死薬を処方し、患者自身に服用させて自殺を幇助するやり方です。たいてい液体の薬を飲む場合が多い傾向にありますが、医師が致死薬が入った点滴を刺し、輸液管のストッパーを患者自身が開くやり方もあります。ただし、薬を服用するかどうかは患者本人の意思に委ねられています。
消極的安楽死
上記2例に対し消極的安楽死は「生命維持のための治療を中止する、または行わない」ことです。具体的には人工呼吸器や点滴、人工透析などの延命処置をしない、あるいは中止するなどで、前述のように日本でいう尊厳死はこれにあたります。
安楽死を認める要件
(オランダ)生命終結の際の「注意深さの要件」
- 患者の要請が自発的で熟慮に基づくことを医師が確信していること
- 医師が、患者の苦痛が永続的かつ耐えがたいものであると確信していること
- 医師が、患者の病状および予後について患者に情報提供をしていること
- 医師および患者が、病状の合理的な解決策が他にないことを確信していること
- 医師が少なくとももう一人の独立した医師と相談し、その医者が患者を診たうえで上記の意見を書面で述べていること
- 医師が注意深く行うこと
世界における安楽死の現状
積極的安楽死のみ容認している国・地域
現在、積極的安楽死のみが容認されているのはカナダのケベック州で、2020年には1,776人に安楽死が実施されています。カナダの他の州と異なり、NPと呼ばれる特定診療看護師も致死薬の処方や注射を行うことが認められている点が独特です。
医師幇助自殺のみ容認している国・地域
スイスでは医師幇助自殺について特定の法律はありません。しかし、「利己的な動機でなければ罰せられない」という刑法の解釈に基づいて医師幇助自殺が許容されています。
スイスの医師幇助自殺で特徴的なのは、
- 医師や看護師が中心となる民間団体によって行われている
- 外国人・外国在住者でも可能
であることです。
2018年のスイス在住者の医師幇助自殺者は1176人で、2020年には167人の外国人がこの制度を利用して亡くなっています。最も多いのはドイツの84人ですが、日本人も1人含まれています。
2024年3月時点で、積極的安楽死・医師幇助自殺のいずれも容認している国・地域は以下の通りです。
- オランダ
- ルクセンブルク
- ベルギー
- カナダ
- オーストラリアの一部州
- ニュージーランド
- スペイン
- コロンビア
安楽死合法化の歴史が長いのはオランダです。2001年に「要請に基づく生命終結と自死介助法」が成立し、6つの「注意深さの要件」を満たせば医師の刑事責任は免除されます。オランダでは2019年には積極的安楽死で6092人、医師幇助自殺で245人が亡くなっています。
コロンビアはカトリックの影響が強い中南米で唯一安楽死を容認している国で、2022年5月には医師幇助自殺も認められました。ただし安楽死自体は議会で否決され続けており、いずれの場合も医師が犯罪に問われないというだけで法制化には至っていません。
消極的安楽死を容認する国は多い
事前の指示による治療中止、いわゆる消極的安楽死を法的に容認している国・地域は多くあります。
北米、オーストラリア(一部州・特別区)のほか、積極的安楽死を容認していないイタリアやドイツ、英国などの欧州諸国に加え、アジアでもインドやタイ、韓国、台湾、シンガポールなどで法制化されています。
日本における安楽死の現状
日本では戦後になってからいくつもの安楽死事件が問題となり、その都度社会的な議論が巻き起こされてきました。しかし、現在でも日本では安楽死が法的に認められておらず、医師幇助自殺も違法とされています。安楽死に関する事件としては、
- 成吉善事件(1946年):本人の求めに応じて息子が母親を毒殺した事件
- 山内事件(1961年):全身不随と激痛で死を訴える父に、息子が殺虫剤を飲ませ殺害
- 東海大学病院事件(1991年):患者の家族の依頼により、治療中止後薬剤投与で死なせる
- 京都京北病院事件(1996年):病院長が友人の末期がん患者に筋弛緩剤を投与し死なせる
- 京都ALS患者嘱託殺人(2019年):ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の女性がSNSで知り合った医師に依頼し、自らを殺害させる
などがあります。
また消極的安楽死に関しては、治療中止を禁止する法律はないものの、一方で患者の事前指示による生命維持治療の中止を容認する法律もありません。治療中止に関する事件としては、
- 川崎協同病院事件(1998年):意識不明の患者に抜管、のち筋弛緩剤を投与し死なせる
- 射水市民病院事件(2006年):複数の患者の人工呼吸器を外して死なせる
など4件が起きています。
世界的に注目された法的要件
これらの事件の中で、山内事件を扱った名古屋高裁と、東海大学病院事件を扱った横浜地裁はそれぞれの判決で、安楽死を許容するための要件を提示しました。いずれも各国で安楽死が法制化される前のことであり、世界的に注目を集めました。
名古屋高裁「違法性阻却事由としての安楽死の要件」(1962年12月)
- 不治の病に冒され死期が目前に迫っていること
- 苦痛が見るに忍びない程度に甚だしいこと
- もっぱら死苦の緩和の目的でなされたこと
- 病者の意識がなお明瞭であって意思を表明できる場合には、本人の真摯な嘱託または承諾のあること
- 原則として医師の手によるべきだが、医師の手により得ないと首肯するに足る特別の事情の認められること
- 方法が倫理的にも妥当なものであること
上記にあげた事件は、いずれもその要件を満たしていないことから全てが違法とされています。
終末期医療に関するガイドライン
こうした事件を受けて、厚生労働省は2007年に「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」を策定、2020年には「人生の最終段階における医療・ケアに関するガイドライン」に改訂されました。このガイドラインでは、
- 医療従事者からの適切な情報提供・説明に基づき、本人による意思決定が最重要原則
- 本人の意思は変化しうることを踏まえ、意思表示と伝達、話し合いが医療・ケアチームと本人とで繰り返し行われることが重要
- 本人の意思が確認できない場合は家族によって推定される患者の意思を尊重
- 推定できなければ医療・ケアチームと家族の話し合いで最善の治療方針をとる
- 複数の専門家からなる話し合いの場の設置
などの指針を示しています。ただしこのガイドラインでは積極的安楽死を対象としていません。
日本における安楽死に対する最新動向
これらの結果だけを見て安楽死・尊厳死の法制化に世論が進むわけではありません。
ただ、こうした回答の背景には、家族に安らかな最後を迎えさせたいという想いに加え、高齢化と社会保障費の増大といった社会的な不安要素も反映されていると思われます。
ALS患者嘱託殺人判決といまだ燻る議論
つい先日、京都ALS患者嘱託殺人に対して処置を行った医師に懲役18年の判決が下りました。
この判決では、被告が女性の主治医でもALSの専門医でもなく、SNSでやり取りを行っただけであり、なおかつ金銭を受け取っていたとして、社会的相当性を認められないとされました。
その一方判決では「嘱託殺人罪に問うことが相当でない事案の可能性」にも言及されたことで、女性の遺族やALS患者などからは疑問の声が上がっています。
安楽死と宗教の関係
キリスト教と安楽死
欧米諸国で安楽死が問題とされたのは、キリスト教が教義として自殺を禁じているためです。
その根本にあるのは、聖書での「殺すなかれ」という戒律と、それが自身の生の保護にも当たるという神学上の解釈、そして人間の生は神の貸与、慈悲であり、畏敬を求めるものであるという考え方によるものです。このため、安楽死による生命の短縮は神の権威に反するとされます。
現在でもカトリックの信仰が根強い中南米や南欧の国々で、安楽死を容認されないのはこうした背景があります。
その後近代を迎えて宗教心や信仰心が薄れていくにつれ、人間の個としての独立性、自己決定権が重要視されるようになり、安楽死もまた個人的な問題、人生観の問題になりつつあります。
イスラム教
キリスト教同様イスラム教でも、安楽死は神の意思に背くものと多くの法学者は考えています。
イスラムでは神の言葉『クルアーン』や、預言者の言葉・行為・判断を示すハディースの解釈が社会的にも大きな影響を持ちます。そこでは人間の生死、復活は神のみに権限があるとされ、尊厳があるから死ぬ権利もあるという西洋の主張とは相入れません。
したがって積極的安楽死は神の計画を妨害するとされますが、死にゆく者が受動的に死を受け入れて生命維持を行わない、消極的安楽死は神の定めに沿うものとして許される可能性はあります。
これは、イスラムの議論では人間の行為に意図があるかないか、その行為の責任が誰にあるかという点が重視されるからです。
仏教
上記2つと異なった教義に基づくのが仏教です。仏教では自らを含む殺生を禁じる反面、西欧的価値観による無条件の「生命至上主義」を主張していません。
仏教では「いのち」を、生物としてではなく真の生き方に目覚めた主体的な自己、主体的なものとして考え、あらゆる他者との関係を尊重します。その上で安楽死は他者の承認を得られた上で、自らの生命を犠牲にせざるを得ない場合に認められるというのが仏教的解釈です。
ただし、それは安楽死を願う者が仏教的な意味での「人間の尊厳」を果たすための手段に限られ、実際に仏教の立場から安楽死を認める条件は厳しいものになるとされます。
安楽死をめぐる問題
法の拡大解釈
安楽死の法制化で懸念されるのが、法律の拡大解釈による要件の緩和、いわゆる「すべり坂」問題です。安楽死を容認しているどの国でも実行には厳格な要件を定めていますが、近年さまざまな苦しみを抱えた患者からの訴えにより、その要件が緩和される例が目立っています。一例としては
- 身体的苦痛だけでなく、精神的苦痛を理由に認められる
- 認知症や精神疾患患者も対象となる
- 主治医に拒否される微妙なケースを引き受ける医師によって適用が拡大される
などがあります。
こうした拡大解釈と要件の緩和は、弱い立場の人をその意思に反して家族や社会の負担とさせ、「死ぬ権利」が「死ぬ義務」へのすり替えにつながらないとも限りません。
優生思想への危険
ナチスドイツや戦前のアメリカで、社会的生産性がないとされた障害者などが多数殺害、あるいは断種されたように、安楽死は優生思想と容易に結びつく危険を孕んでいます。
今はそこまで極端で非人道的なことは起こらない、と思われるかもしれません。しかし、新自由主義や自己責任などの価値観が強まるなか、人間の価値を生産性や有用性で判断し、「生きるに値しない命」「高齢者集団自決」などの発言を内心支持する人が少なくないのが現在の日本です。
特に他人や世間に迷惑をかけることを非常に怖れ、自分の本来の意思を抑えがちな日本人に積極的安楽死が認められるとしたらどうでしょうか。周囲や世間の歪んだ圧力に押され、意に反して安楽死を選ぶ方に誘導されるケースが増えないとは言い切れません。
こうした観点からも、安楽死容認は慎重であるべき、という意見は重視されるべきでしょう。
自己決定尊重の範囲
一方で、安楽死を容認するために議論しなければいけないのは、本人の自己決定権をどう尊重すべきかという問題です。
いわゆる欧米的な「自己決定権」は、宗教や社会・文化的な面からも、日本や他の国に必ずしも適応できるとは限りません。特に日本の介護や終末期医療の場面では、個人の意思が軽視されやすく「家族全体の意思」が重視される傾向があります。
こうした文化が必ずしも悪いものだとは限りません。しかし、ALS患者の女性の悲劇を繰り返さないためには、本人の「自己決定」を十分に理解し、尊重できる環境と法的整備も必要ではないでしょうか。それは単なる「個人主義的」自己決定権ではなく、社会的・文化的背景との関わりを踏まえて構築される必要があります。
動物に対する安楽死について最後に、動物に対する安楽死についても見ていきたいと思います。
動物、特にペットの安楽死は、日本では年に平均2.48件(2010年)ですが、アメリカでは年に90件以上行われています。この違いとしては、西洋文化圏で生命維持より生活の質を重視し苦痛の除去を優先するのに対し、日本の場合は歴史的な宗教観や動物観が影響していると言われています。
一方で、家庭での犬猫の平均寿命が延びるにつれ、高齢化や腫瘍、生活習慣病などの疾患も増えています。日本では病気の苦しみから解放するためにペットを安楽死させることは受け入れられにくいものの、飼い主がその決断を迫られる状況は今後増えていくと思われます。
安楽死とSDGs
持続的な開発目標の達成を掲げるSDGsにとっては、人間の生命の終結を意図する安楽死は持続可能とは到底言い難いものでしょうし、目標3「すべての人に健康と福祉を」の理念とも相反するもののように見えます。
しかし、福祉とは「どう生きるか」であると同時に、「どう死ぬか」という価値観とも関連してくるものです。
自分の人生の最後をどのように迎えるかを考えることは、自分の健康状態や医療資源の適切な配分をする上で重要なことでもあります。
また基本的自由に基づき、生死に関わるレベルで自己決定権を持つということは、目標16「平和と公正をすべての人に」で掲げられている「対応的、包摂的、参加型及び代表的な意思決定を確保」(ターゲット16.7)とも関連してきます。
まとめ
本記事を執筆した筆者個人としても、賛否について意見を明確にすることは難しいのが正直なところです。大事なのは、常日頃から自分や家族の身に将来おこりうる事態を想像し、率直に、かつ継続的に話し合いながら、その時に備えること。そのための判断材料として、こうした安楽死についての事例について積極的に理解を深めていくことではないかと思います。
参考文献・資料
安楽死・尊厳死の現在:松田純 著/中公新書,2018年
生命倫理の教科書 : 何が問題なのか/黒崎剛, 吉川栄省編著. — 第2版. — ミネルヴァ書房, 2022年
生きるための安楽死 : オランダ・「よき死」の現在/シャボットあかね著. — 日本評論社, 2021年
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