狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「世界一危険な小学校」の移転が腹案だった!

2010-05-21 07:16:10 | 普天間移設

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普天間「日米共同声明」28日に、移設先明記へ

5月20日14時36分配信 読売新聞

 沖縄の米軍普天間飛行場移設問題で、日米両政府は20日、移設案に関する共同文書を28日に取りまとめる方向で調整に入った。

 外務、防衛担当閣僚(2プラス2)による共同声明が有力となっている。21日にクリントン米国務長官が来日して鳩山首相、岡田外相と会談する。北沢防衛相も23日から訪米してゲーツ米国防長官と会談する方向で、これらの場で内容を協議したい考えだ。

 鳩山首相が掲げた米国、地元、与党の3方面すべての同意を取り付ける「5月末決着」が絶望となった中、米国との合意取りまとめを優先することになったものだ。政府は共同声明に移設先を明記する方向で最終調整している。首相は28日に記者会見して発表することを検討している。

 首相は20日朝、記者団に対し、「5月末の決着に向けて、今最終的な努力をしているところだ」と述べた。外務省幹部は同日朝、「現行計画をまとめた2006年の日米合意も2プラス2で行ったから、今回の合意も2プラス2で行うことになるだろう」と語った。

 政府はこれまでの米側との協議で、沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ沿岸部に移設する現行計画に回帰。代替施設の滑走路の建設工法についても「埋め立て」方式に戻す方針だ。政府は米側との合意を踏まえ、28日にも「閣議了解」などの形で対処方針を決めたい考えだ。 最終更新:5月20日14時36分

                                                     ◇

「人間の鎖」というバカバカしいサヨクの自己満足行為に、2回も付き合ってしまったので、今日は、体勢を立て直して普天間移設の決着について書く。

で、昨日の沖縄タイムス一面トップを見ているのだが、これも又バカバカしい大見出し。

日米「普天間」28日合意 

辺野古 現行アセス内埋め立て

「現行案の辺野古埋め立て」は、7ヶ月目に首相が普天間移設で騒ぎ出した時から、決まっていたこと。 

当日記の読者なら何を今さら、・・・とバカバカしく思うだろう。

「腹案は辺野古だった」と皮肉るブログもあるようだが、「元の木阿弥の辺野古」ではあまりにも想定内が過ぎて、いくらルーピーといえども芸がなさ過ぎる。

筆者はもう一つの腹餡、もとい、腹案があると睨むのだが、それは後にまわして、とりあえずタイムス記事に目を通して欲しい。あまりにも想定通りと思う読者はスルーして下さい。 記録保存用ですから。

沖縄タイムス 2010年5月20日一面トップ記事

日米「普天間」28日合意 辺野古 現行アセス内埋め立て軸に調整
【東京】日米両政府は米軍普天間飛行場の移設に関する合意文書を今月28日に発表する方向で最終調整に入った。移設先はキャンプ・シュワブ沿岸部を埋め立てる現行計画の環境影響評価(アセスメント)の枠内を要求している米国の意向を大筋で受け入れる。滑走路の沖合移動は微修正にとどめ、辺野古崎の先端を滑走路が横切る形になる見通しだ。

 工法は、くい打ち桟橋方式に米側が否定的な見解を示したため結論を先送りし、埋め立てを軸に調整を続ける。周辺によると鳩山由紀夫首相はくい打ちにこだわりを見せているが、他の関係閣僚は埋め立て回帰に傾いている。

 政府は最終的に埋め立てを採用する場合、首相に近い岡本行夫元首相補佐官が提唱する「環境共生型」の「エコ基地案」を有力視している。同案は羽地内海の泥を活用して辺野古を埋め立てることで、新たな海域生態を造成するとされる。

 岡本氏は今年4月、沖縄タイムスの取材に「ヘドロ(泥)を固めて海流変化を起こすことで(環境を)再生する」と話していた。首相も岡本案の説明を受けており、一定の理解を示しているという。

 日米外交筋は19日、沖縄タイムスに「埋め立てへの流れができつつある。もう時間の問題だ」と述べた。

 首相は合意文書に合わせ28日の閣議後に首相談話を発表し、辺野古移設に理解を求める。だが現行計画とほぼ同じ場所に移設する案となり、沖縄側の反発は避けられない。

 日米関係筋によると、合意文書は日米安全保障協議委員会(2プラス2)構成メンバーの外務、防衛担当閣僚名で日米双方から出すことを想定。20~21日まで東京で開く日米実務者協議で文書の文言を詰める。これを受け首相と岡田克也外相、北沢俊美防衛相ら関係閣僚が21日中にも協議し、合意の内容を確認する。

 これまでの調整で米側は日本が打診した代替施設の沖合建設により、2014年の移設完了を目指す現行計画のスケジュールが大幅に遅れる事態に懸念を表明。現行計画に基づき3年近くに及んだアセスの活用を明記するよう求めている。

 日本側は12日の実務者協議で、くい打ち桟橋方式で辺野古崎の南西沖に代替施設を造る政府原案を説明。県条例によると、この構想ではアセスの仕切り直しが必要だが、変更面積10ヘクタール未満などの場合は現行アセスの全面的な活用が可能となる。

首相、環境配慮で容認も

 【東京】鳩山由紀夫首相は19日、米軍普天間飛行場移設に関して、名護市辺野古沖での埋め立ては「自然への冒〓(ぼうとく)」と否定的な認識を示していたことについて、「埋め立てをむやみに行うことに対してそう発言した」と述べた。明確に否定した従来の発言と比べ、「むやみに」という言葉を付けてニュアンスを弱め、環境面に配慮した工法次第では埋め立てを容認する可能性を示唆した。同日、官邸で記者団に語った。

 鳩山首相は、代替施設建設の工法について「米軍の運用の問題もあるが、県民の皆さん(の意向)、さらに環境にしっかりと配慮することが、すべて両立する答えを見いだしたい」との姿勢を強調した。

 首相は4月24日、記者団に「辺野古の海に立てば、埋め立てられることは自然に対する冒〓だと強く感じる」としており、発言の意味合いを修正した。

 鳩山首相は19日、国民新党の下地幹郎国対委員長と官邸で会談。下地氏は20日から米ワシントンを訪れ、米議会上院歳出委員長のダニエル・イノウエ議員(民主党)らと面会することを報告した。

 会談後、下地氏は訪米で日本の国内状況を説明するとし、「5月末までに日米で合意して問題を解決したいという首相の強い決意を米側に伝えたい」と述べた。

※(注=〓は「さんずい」に「売」の旧字)

                          ◇

 図:  

(地図は産経記事より)

さて、首相の腹案が「辺野古回帰」でお終いならシャレにもならないが、筆者は以前から辺野古決着には間違いないが、首相の迷走は左翼勢力の反対運動を見越しての「猿芝居」だと書いていた。

普天間移設、結論ありきの猿芝居!辺野古は決まっていた

辺野古決着には、反対運動を抑えるための「交換条件」が必要である。 つまり県民を説得するための「バーター条件」に何を準備しているか。 

辺野古決着の「落とし前」が首相の「腹案」であり、筆者はその内容を危惧していた。

勿論この腹案は表立っては提示できないので水面下の交渉が必須であるが、鳩山首相は、辺野古反対の「民意」が予想以上に大きくなってしまったため「腹案」を出す機会を失ってしまったのではないのか。

で、その「沖縄の思い」を説得し、そして反対運動を押さえ込む腹案とは?

先ず、3年前の「11万人集会」の大会名を思い出して欲しい。

「教科書検定意見撤回を求める県民大会」ではなかったか。

その「求め」は現在も拒否されたままである。

沖縄左翼が団結し動員人数を大幅水増ししてまで要求した「検定意見の撤回」の要請は、当時の福田内閣によって拒否されたままである。 

そして昨年の9月、鳩山新政権が成立するや、早速沖縄の左翼勢力は「政治主導」を標榜する新政権に大きな期待を掛けて、何度も上京し「検定意見の撤回」を要請した。 ところが鳩山内閣の川端文科相に拒否されている。

検定意見撤回運動の終焉!川端文科相が終止符

普天間移設問題で、鳩山首相が「辺野古決着」をした場合の最大のネックはアメリカではなく、「県民の思い」と「社民党の思い」である。

つまり目前に迫った5月末決着で説得する相手は「県民」と福島社民党と言うことになる。

両者をを納得させる共通の「落とし前」は「教科書検定意見の撤回」以外には考えられない。 

普天間のバーターにされる教科書検定

そしてその「腹案」の提示は今月28日の首相の沖縄再訪問がデッドラインである。

 

ただ、一つだ鳩山首相の想定外だったことがある。

「県民の思い」が予想以上に激しかったことだ。

保守系と見られている宮城能彦沖縄大教授までもが、「県民が辺野古に反対するのは(理屈ではなく)感情の問題だ」と怒りを露にするほど大きな反対運動に発展してしまった。

その間、三代続いた辺野古是認派の名護市長が、過激な反対派の稲嶺市長に変わったことも反対運動の先鋭化に拍車をかけた。

こんな状況で、「教科書問題とのバーター」が暴露されたら、さらに民主党政権への批判は加速することになり「バーター取引」も頓挫する。

そうなれば、「辺野古回帰」どころか「普天間基地の継続使用」という14年前にさかのぼってしまい、元の木阿弥どころの騒ぎではなくなってします。

検定意見撤回のバーター取引が失敗した場合の受け皿に、もう一つの「腹案」が模索されることになる。

そこで急遽検討されたのが「世界一危険な小学校」の移転という奥の手である。

昨日の沖縄タイムス2面の、うっかりすると見落とすような目立たないベタ記事を全文記録しておく。

2010年5月19日付沖縄タイムス 2面

要請があれば 移転を「検討」

普天間第二小で政府

【東京】政府は18日、米軍普天飛行場に隣接する普天間第二小学校の移転や財政支援について「関係者から具体的な要請があれば、いかなる対応が可能か検討したい」との答弁書を閣議決定をした。 山本拓衆議院議員(自民党)の質問趣意書への答弁。
答弁書によると、宜野湾市は1980年に移転用地としてキャンプズ瑞慶覧の一部返還を求めたが、米側は既存住宅の移設が必要であることことを理由に返還を拒否。 
同市は82年にも同キャンプ内の別の土地を返還するように要請したが、92年に財政上の理由から要請を取り下げた。

                        ◇

何故沖縄タイムスは、本来なら一面トップを飾るような重要記事を人目を避けるようなベタに記事にしたのか。

普天間第二小学校の移転話は、過去にマスコミとサヨク勢力でもみ消した経緯があり「知られたくない事実であったからである。

「要請があれば」と但し書きが付いているが、これを頓挫させたのはサヨク団体とマスコミであり、新たに要請があるはずはない。

タイムス記事では移転話が頓挫した理由を曖昧な表現(太字部分)で米軍のせいであるかのような印象操作をしているが、詳しい経緯については、今年の一月産経新聞がすっぱ抜いている。↓

【揺らぐ沖縄】児童の安全より反対運動優先か 基地隣接の小学校移転
2010.1.9 23:26

首相は自らこの「腹案」(移転案)を住民側に大っぴらに提示したら、誰も反対できないと見透かしているのであろう。

つまり反対勢力の「世界一危険な小学校」というキャッチフレーフレーズを逆手にとった首相の最後の「腹案」で「沖縄の思い」を説得するつもりであり、これに大っぴらに反対できる者はいない。

(つづく)


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コメント (8)

続・人間の鎖、失敗の顛末

2010-05-20 07:40:04 | 普天間移設

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「人間の鎖」というサヨクイベントが、地元マスコミの必死の扇動にも関わらず失敗に終わった。

肝心の地元宜野湾市民が不参加のため、人数が不足で結局鎖は繋がらなかったのだ。

こんなバカばかしいお遊びに付き合うのはもう止めようと思ったが、

実際に参加したという沖縄版言論封殺魔こと目取真俊センセがブログでウソをついて、何も知らない県民を騙しているので、本当の事を伝えるため、今日もしつこく「人間の鎖」について。

5・16普天間基地包囲行動

目取真センセは、はるばる名護から「平和行進」に加わって「世界一危険な基地」を包囲するためやってきたとのこと。 遠い距離をはるばるとご苦労さんなことです。

県内外の組織されたプロ市民を動員するまでもなく、基地野周辺に住む一番の当事者の宜野湾市民が家を飛び出してきて手を繋げば一瞬にして人間の鎖は完成するということをセンセはご存知ないのだろうか。  

ご存知でもプロ市民に頼らねば、宜野湾市民は冷ややかでイベントは不発に終わると危惧したのでしょう。

筆者を含むまともな宜野湾市民は、目取真センセが扇動するサヨクイベントには冷ややかどころか、「暇な組織労働者のお遊びで営業妨害だ」と怒っている人も多かったから。

こんな迷惑な外来異種もいる。

「沖縄平和行進、普天間包囲行動」に参加して(増田都子)

もっとも組織労働者の輪に加えて貰って感激模様の一般市民らしき人が、昨日の沖縄タイムスに次のような感謝の声投稿していたので、少しは一般市民も参加したのかも。

平和実現願い 手と手をつなぐ I・Kさん(32歳) 宜野座村

・・・沖教組やさまざまの組合がシュプレヒコールをおこなう中で輪に加わりました。
「ちょうど人が足りなかったの、ありがとう」と暖かく迎えてくれたことに感謝します。平和を維持するために爆弾や核を抱え、軍隊を増強するのが真の抑止力になるのか。・・・
》(沖縄タイムス 5月19日 オピニオン面)

このお方、普天間基地よりも、米軍基地そのもの、いや、自衛隊さえも反対のようだが、これはプロ市民達の思う壺なのだろうが、「沖教組やさまざまな組合」のサヨクイベントに参加できて、このお方、感謝感激の様子が目に浮かぶ。

ならばいっそのこと「安保反対!自衛隊反対!」の方が分かりやすいのに。

かの鳥越俊太郎大センセも、米軍の抑止力どころか日米安保もいらないと、半世紀前の過激派学生のようなことを仰っているし。

⇒日米安保は要らないと鳥越俊太郎   反日勢力を斬る(2)http://blogs.yahoo.co.jp/nipponko2007/35318355.html

因みにこのI・Kさんのお住まいの宜野座村は宜野湾市とは名前は似ていても、むしろ辺野古に近く、遠路はるばる苦労様と言いたい。

基地の周囲には宜野湾市民が9万人余も住んでいるいるというのにネ~。

当日好奇心に駆られて現場の基地を一周した読者の義挙人さんのコメントはこうなっているシ。

おはようございます。
野次馬根性で、、雨の中 車で一周してきましたよ。(笑)  三回目の時間ですね。
真栄原交番からゲートまで、、約百メートル空いてましたね。傘や横断幕で繋ごうとしていたが、、、、(略)

、「世界一危険な基地」の反対運動にしては、「笑ったり」「ピース」「ふざけたり」していて、、全然 危機感が感じられなく、思いました。》

で、目取真氏はどんなことを言っているかというと、5・16普天間基地包囲行動で、プロ市民だけによる動員が困難だったことを弁解しながらもこんなウソをついている。

「十分な参加者があっても、ある場所は密着するくらい集まっているのに、別の場所は足りなかったりし、それを調整して完全に包囲するのは容易なことではない。1回目は一部で切れていたようだが、2回目で包囲に成功した。」

「3回目の包囲行動は午後3時から、再び普天間基地に向かって行われた。一時止んでいた雨が降り出し、手をつないだ雨合羽姿の参加者は、3分間の行動を終えると拍手で行動を締めくくった。」

目取真センセは、嘘つきの沖縄タイムスに合わせたのか「1回目は失敗したが、2回目は成功した」と書いているが3回目はウヤムヤにして誤魔化しているが、人間の輪が繋がらなかったことだけは間違いない。

繋がらなかった証拠はって?

では繋がった証拠は?

当日は新聞社のヘリの爆音が、基地騒音よりうるさかったが、お得意の航空写真で基地を囲む全景写真を掲載した写真は一枚も無かったけど?

サヨクブログのなかには、失敗を自覚しながらも、十八番の言い訳でこんなことを仰っている負け惜しみも。

つながったとか、集まったとか、そういう数の問題ではありません。」

「誰もが参加できるわけではないし
」(米軍基地は必要か~フィリピンの選択~


嘘つきは沖縄二紙とサヨクブログだけではない。

全国紙が一面トップで一斉にウソを書くと、これが世界に真実として報道されるのだから困ったもの。

いつものパターンで、ウソが真実になる。 そして「島ぐるみ決起」の印象が世界を一人歩き始める。

肝心の宜野湾市民はそっちのけで、プロ市民だけのサヨクイベントが沖縄の民意となる。

しつこく何度でも言う。

もし宜野湾市民が、本気で人間の鎖を繋ごうと思えば、

基地を取り巻くように密集する住宅から住民が飛び出して、夫々手を繋げば一瞬にして基地を囲める!

その矛盾(宜野湾市民の無関心)を報じる新聞無い。

 普天間包囲 全国紙の扱いに濃淡 朝日・毎日は1面掲載 (2010年05月18日 09:37)
 【東京】米軍普天間飛行場の無条件返還を求める「普天間基地包囲行動」を報じた東京発行の全国各紙の17日付朝刊は、朝日、毎日の2紙が1面、読売は第2社会面で伝えた。各紙がそろってトップ級で掲載した4月25日の県民大会や4日の鳩山由紀夫首相の初来県に比べ、各紙の扱いは分かれた。

 朝日は1面に「普天間 雨中の鎖」の見出し。「基地を取り囲む約13キロの輪を完成させた」との記事を写真とともに掲載した。社会面では、普天間問題で「直接国民の生活に影響しない」と発言した党幹部に抗議した民主の女性市議らの訴えを伝えた。

 毎日は1面の中央に掲載。政府が県内移設を軸にして米国と交渉していることに「この日も改めて『県内移設ノー』の意思を『人間の鎖』で鮮明に発信した」とした。社会面では参加者の声を紹介した

 読売は第2社会面にあたる30面で「県内移設反対訴え 『普天間』に人間の鎖」との見出しで、2段写真とともに10行の記事を掲載した。

 日本経済新聞は「人間の鎖 普天間包囲」の記事を社会面に掲載。サブ見出しは「雨の中、1万7000人『基地返せ』」とし「イエローカード」を意味する黄色い布や風船を身につけた参加者らの様子や怒りの声を報じた。

 そのほか、産経は写真なしの報道。東京新聞は1面トップで「県内移設拒否『沖縄の意思』」と横見出しをつけた。社会面にも写真入りで参加者らの声を載せた。

海外通信社も配信

 米国のAP通信(AP)やフランスのAFP通信(AFP)は16日、普天間包囲行動を配信した。APは「1万7千人の住民が米軍基地を囲む 平和的な抗議」という見出しで配信。「雨具姿の参加者たちはフェンス沿いでつないだ手を挙げ、『県内移設反対!』と抗議した」と当日の様子を写真付きで紹介した。同通信の記事は、米国のボストン・グローブ紙などが報じた。

 AFPは、包囲行動後に伊波洋一宜野湾市長が開いた会見にも言及。米軍準機関紙の星条旗新聞は、18日付電子版で「県民が米軍基地を取り囲む」との見出しで、家族連れの参加者らのコメントを伝えた。

                         ◇

嘘つき新聞と、嘘つきサヨクブログを相手に「繋がった」「繋がらなかった」と言い合うのバカバカしくなったので、関連する「読者コメント」(名前は省略させてもらいました)を拾って紹介し、次のエントリーは別のテーマにしたい。

◆狼魔人日記さま
「普天間基地包囲行動」ですが、例によってテレビの全国放送や全国紙でも「17000人」という主催者側発表を何も検証せずに垂れ流していました。
ところで、先日、友人が沖縄に行ったのですが、那覇空港の到着ロビー前にある案内計時装置に「歓迎 普天間基地包囲行動参加者の皆様」といった表示が出ていたそうです。
普通は、政府主催以外の政治的な行事に対して、公共施設でこういったメッセージを出さないと思うのですが、正直、驚きました。
逆に考えると、動員のプロ市民も観光資源ということなのでしょうか

 

◆おはようございます。
野次馬根性で、、雨の中 車で一周してきましたよ。(笑)  三回目の時間ですね。
真栄原交番からゲートまで、、約百メートル空いてましたね。傘や横断幕で繋ごうとしていたが、、、、

「11万人集会」⇒「九万人集会」⇒「1・7万人の人間の鎖」

「1.8万人」⇒「1.2万人」⇒「1.2万人」
が正解だと思いますね。

只、「世界一危険な基地」の反対運動にしては、「笑ったり」「ピース」「ふざけたり」していて、、全然 危機感が感じられなく、思いました。

◆5月16日 の普天間基地包囲の参加人数の件ですけど、、

私の勝手な推測ですけど、、、、
新聞によると、周囲の距離、確か13km
と言ってますね。
すると一人が横に繋ぐ 長さは、大人から子供までいろいろ長さ違うと思うが、、、、
私は、平均で 1mと見ています。
13kmを繋ぐには
13.000メートル割る1mは 13.000人
(笑う) 誰がも計算できますね。
主催者は三万人見込んでいますので、二周余り包囲できる計算になりますが、
翌日の新聞の人数は、どうなるでしょうか? 気になります、、、もし、、、繋がらなかった、ハトヤマを喜ばす事になると思うが。

 ◆普天間基地包囲、どうなるでしょうね!?
ちなみに3年程前の嘉手納基地包囲は
本土から大勢バスで参加していましたが全然足りませんでした。
マスコミは「一部で繋がらなかった」と報じていましたが
道の駅や58号線はマスコミの報道もあって人がいましたが
国体道路はまったくで
所々にしか人がいなく

キャッチボールのボールも届かないほど間がある所も見られました。

繋がらなかった「人間の鎖」

2007/05/16 極東最大の空軍基地、沖縄米軍嘉手納基地を「人間の鎖」で囲み、基地のない平和な島を訴える「5・13嘉手納基地包囲県民大行動」が13日行われた。

  極東最大の空軍基地、沖縄米軍嘉手納基地(注1)を「人間の鎖」で囲み、基地のない平和な島を訴える「5・13嘉手納基地包囲県民大行動」が13日行われた。県内外から1万5000人が集まったが惜しくも鎖は繋がらなかった。

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口蹄疫は赤松口蹄疫!赤松大臣の責任を追及せよ

2010-05-19 09:21:01 | 県知事選

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文末に怒りの【追記】があります。

                      *

 筆者の四女は名護に嫁いで現在名護市民だが、娘の夫は名護近郊の某牧場に勤めている。 

牛の世話が仕事のカウボーイだ。

カウボーイは普段でも時間が不規則な肉体労働で普通のサラリーマンに比べ大変な仕事だが、我が婿殿、このところ宮崎の口蹄疫パニックの余波を受け、消毒等の防疫対策やなんやで、休日を返上しての重労働でクタクタの様子である。

名護界隈は畜産牧場が多いため、連休中に発表された県内でのセリ市中止は牧場経営にとって大きな打撃だという。 

稲嶺名護市長の頭の中は、口蹄疫対策より「米軍基地出て行け」のサヨク活動で忙しく、おまけに政権与党の民主党も何の対策も立てない。

たまりかねた自民党県連が連休中にもかかわらず、県に対して消毒やセリ市の中止等の予防対策を具申した。

口蹄疫防止 6日から競り自粛2010年5月1日        

(写真省略)仲井真弘多知事(右)に県内での口蹄疫対策を要請する自民党県連の池間淳幹事長(中央)ら=30日、県庁

 自民党県連(新垣哲司会長)は30日、県庁で仲井真弘多知事と面会し、宮崎での口蹄(こうてい)疫発生を受け、県内の防疫対策徹底を申し入れた。県は口蹄疫ウイルスの侵入を防ぐため、5月6日から農家で畜舎の石灰消毒を始めるほか、5月に県内で行われる牛とブタの競りも自粛する方針。同席した比嘉俊昭県農林水産部長が説明した。
 池間淳幹事長は、沖縄が全国に向けた子牛の供給地となっていることについて「畜産業は基幹産業であり、感染予防の伝達と県産牛・ブタの風評被害回避に努めてもらいたい」と要請した。競りが自粛されることに伴う補償など、農家経営の支援についても検討するよう申し入れた。
 県は口蹄疫の県内侵入防止のため(1)県外からの家畜導入の自粛(2)異常家畜の早期発見・早期通報の徹底(3)部外者の立ち入り禁止の徹底(4)消毒の徹底―を呼び掛けている。
 5月に開催を中止する家畜市場は次の通り。
【肉用牛】
▽13日、黒島・八重山
▽14日、八重山
▽15日、伊江
▽16日、今帰仁
▽17日、南部
▽18日、久米島
▽19日、宮古
【乳用牛】
27日、南部
【豚】
▽6、20日、中部。

                                                        ◇

連休中も水面下では自民党議員の有志や現場の畜産農家が連休返上で口蹄疫対策で大童なのに、肝心の赤松農水相は外遊で遊び呆け、マスコミも連休中は口蹄疫には一切触れず、今頃になって急に報道し始めたが、こんなバカなことを発言して顰蹙を買っているテレビ芸者もいる。

⇒ 【口蹄疫】 鳥越俊太郎「人に感染せず、食べても大丈夫。ならば、なぜ殺処分などそこまで厳重にするのか」…スパモニで発言

鳥越発言などは論外だが、マスコミ報道は総じて民主党政権の責任を宮崎県に転嫁する方向に向かっている。

自民党政権だったらマスコミの集中攻撃に曝されたはずの、総責任者赤松農水相は、マスコミの動向を知っているのかこの開き直りだ。

口蹄疫、初動体制に不備なし~赤松農水相

宮崎県で家畜伝染病の口蹄疫(こうていえき)の感染が拡大している問題で、赤松農水相は18日朝の会見で、被害が大きくなっていることは残念だとしながらも、発生直後の対応などに批判が出ていることに対しては「反省するところはない」との考えを強調、初動体制などに不備はなかったと主張した。

赤松大臣は4月20日に口蹄疫発症が確認されたのも関わらず、長期間の外遊で「行方不明」だったことは周知のこと。

誰が考えても発症確認後の外遊は、農政の最高責任者として重大責任ではないか。

百歩譲って出発時には認識不足だったとしても、その後の宮崎でのパンでミック状況を知ったら、旅行を中止し急遽帰国して陣頭指揮に当たるべきではなかったか。

それとも外遊中は日本との連絡は一切取らなかったとでも言うのか。

だとしたら、それだけでも大臣としては重大過失ではないか。

口蹄疫が民主党政権の失政だとなると、参院選での惨敗に拍車をかけることになる。 

選挙の神様小沢幹事長としては、、なりふりかまわず奥の手を使って「行政責任」を民主党政府から「宮崎県政」に転嫁せざるを得ない。

それにはテレビ芸者を使って、東国原知事の「失政」を追及させ、同時に交付金で脅迫し、県に泥を被るように画策したとのこと。

宮崎の口蹄疫騒動をパンデミックだとし、その責任は赤松農水相にあるから「赤松口疫」だと呼ぶ「天漢日乗」さんのブログを引用する。(赤字強調は引用者)

引用開始

人呼んで「赤松口蹄疫」 宮崎県口蹄疫は4/20の発生から27日間でとうとう10万頭を超える殺処分決定のパンデミック規模(その17)赤松農水相 やっと「方向修正」「限られた地域内で予防的殺処分もあり得る」@5/18 農水省での会見 | トップページ

2010-05-18

人呼んで「赤松口蹄疫」 宮崎県口蹄疫は4/20の発生から27日間でとうとう10万頭を超える殺処分決定のパンデミック規模(その18)「今後の報道は赤松農水相の責任を追及せず、拡大の責任を複数の牧場に押しつける予定

口蹄疫報道がやっと前面に押し出されるようになったが、マスコミの論調は
 宮崎県に責任を押しつける方向
になっている。そういえば、こんな話がありましたね。
 2010-05-09 宮崎県口蹄疫は4/20の発生から19日間で6万頭殺処分決定のパンデミック規模(その5)怪情報「民主党政権の不手際を隠すため、感染拡大を農場に責任転嫁」の報道を開始?
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2010/05/4201965no-c86b.html

なんかいまの報道姿勢が先々週辺りに出てきた話と合致するので、とってもイヤな悪寒。

こんなうがった見方もある。不良債権問題の解決はヤクザの殲滅から136スレッドより。


359 :闇の声:2010/05/17(月) 08:52:42 ID:4t2xYAJz
昨日平野が宮崎に行ったのは、金を出す代わりに宮崎県側の初動に問題があったと
メディアを使って徐々に世論操作をするからそれを呑めと知事に迫ったとの話がある。
それを呑まなければどうなるか判ってるなと、交付金や今回の出金に影響するぞと
首相がそう言ってるんだと半ば脅しだろうね。

その後で小沢側近から同じ様な話があり、結果的にメディアは宮崎の対応を少しずつ
突いて問題点にするから見ていると良いよ。
そしてその落とし所は自民党農政に問題があり、そのやり方を踏襲してしまった
宮崎県にも問題があり、民主党はその弊害を取り除く為に頑張ったんだと
民主農政の一人勝ちを狙いに行くだろう。
金を出すから腹を斬れと、知事に迫ったのさ。

さて、そううまくいくかな?

引用終了

 

鳥越俊太郎氏の能天気発言に対して「同じことを宮崎の現場で言ったら八つ裂きにされるよ」と言うコメントがあったが、せめて現地の報道くらいは目を通して欲しいもの。

◆宮崎県川南町職員による手
 口蹄疫、「生き地獄」の現場から - 日経ビジネスオンライン(5月18日)

◆宮崎日日新聞 記者コラム

(2010年5月16日付)

現場の声を

 口蹄(こうてい)疫被害への対策を政府に求め、また対応をただす動きが国会で活発化している。衆参の各委員会では議員たちが迅速かつ十分な対応を要求。東国原知事は民主の議連などに、生産者らへの物心両面での支援を要請した。

 各場面で思うのは、本県の惨状が国に届いているのかという懸念だ。委員会では生産者らの声を聞いた県関係議員が、自民党議員は外遊などで本県入りが遅れた赤松広隆農相の当事者意識を感情的なまでに追及し、民主系議員も対応の不備を指摘。支援要請に対し赤松氏らは現行法に照らす答弁が多く、殺処分された家畜に対する補償も早期交付を明言しながら「まず書類を」と繰り返している。

 全国紙などが大きく報じない中、他県議員も「今は生き地獄」の見出しが付いた本紙のコピーを手に、生産者の悲痛な実態を伝えようとした。一部に特例措置はあるが、災禍と言える口蹄疫には法などを超えた判断がまだまだ求められる。伝えられる者は1人でも多く現場の声を届け、現状を理解させなければ。(鳥)

                      ◇

選挙にさえ勝てば、何でも正義になる。 黒でも白になる」。

こんなヒトラーのような考えを持つ小沢幹事長は、交付金という金の力と、テレビを使って口蹄疫パンでミックの責任を民主党政府から宮崎県政に転嫁しようと画策している。

民主党政権の卑劣な責任転嫁を許せない、と思う方、

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関連記事&ブログ

【口蹄疫】普天間に次ぐ「失政」に自民、攻勢へ

赤松口蹄疫、小沢と赤松の屑対応

【追記】 9:15

先ほどテレ朝「スーパーモーニング」で、口蹄疫に関して非常事態宣言をしている東国原知事のVTを見た鳥越が、薄ら笑いをして、

「最後は涙目だったね。 こんなに一生懸命やっているんだと言いたいんだろう」と、

小バカにしたような発言をしていた。 番組は長々と、吉田茂やマッカーサーの逸話からサリン事件を報道し、口蹄疫に関しては僅か3分間で、これに関する鳥越のコメントは前述の薄ら笑い発言の一言だけ。

血圧が上がりそうである。(怒)

自分の妄言を薄ら笑いで誤魔化すゲス野郎の鳥越を許せないと思う方も、怒りのプチッを。

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コメント (17)

人間の鎖?一部のサヨクイベントでしょう!

2010-05-18 07:37:51 | 普天間移設
去る日曜日(16日)に行われた「人間の鎖」というサヨクイベントを沖縄タイムスはあたかも県民が「島ぐるみ決起」をしたような針小棒大というよりサヨクのアジビラのような報道をしていた。
 
このバカ騒ぎについては「逆風って気持ちいい!」の縁側さんが的確かつ皮肉に満ちた楽しい?エントリーをされているので、当日記はスルーしようと思ったが、「世界一危険な基地」の近くに最近転居したばかりの筆者としては、記録保存のためにも(タイムス記事は直ぐリンク切れになる)、遅ればせながら取り上げてみた。
因みに縁側さんの義理のお母様も「世界一危険な基地」のフェンスの間近に、楽しくお住まいとのこと。

手をつなぎ、「人間の鎖」で米軍普天間飛行場を包囲する参加者=16日午後2時33分、宜野湾市野嵩(伊藤桃子撮影)

[画像を拡大]


 

 【宜野湾】米軍普天間飛行場の無条件返還を求める「普天間基地包囲行動」(同実行委員会主催)が16日、宜野湾市で行われ、同飛行場の外周約13キロを“人間の鎖”で囲んだ。本島中部に大雨・洪水警報が出される中、約1万7000人(主催者発表)が参加。県内移設を軸に移設先見直しの最終調整を進める政府に、あらためて反対の意思を発信した。有力な移設先候補に挙げられている名護市の稲嶺進市長も参加し、地元の伊波洋一市長と共同で、県内移設断念と県民の基地負担軽減などを求める共同声明を出した。

 市民団体が主導してきた同飛行場の包囲行動は、2005年に続き5年ぶり5回目。今回は初めて、宜野湾市をはじめとする中部7市町村の首長が共同代表に就任した。包囲行動後の会見で、伊波市長らは「これだけの雨にもかかわらず包囲が成功し、普天間の閉鎖・返還や県内移設反対を訴える県民の思いを内外に示せた」と意義を強調した。

 稲嶺市長が加わって行われた共同声明発表で両市長は、「普天間の危険性除去と県内移設は別問題」「国土面積0・6%の沖縄に、県民の人権と環境を無視して新基地をつくるべきではない」などと訴えた。

 包囲行動は午後2時から3回にわたり実施され、1回目は数カ所でつながらなかったものの、2回目以降は成功した。騒音の激しい地域の住民や米軍ヘリ墜落事故が起きた沖縄国際大学の関係者も参加し、手を取り合った。

 15日に沖縄が本土復帰して満38年となったばかり。本土では米軍基地の削減が進んだが、沖縄にはいまも在日米軍専用施設の7割以上が置かれている。沖縄戦中に接収された普天間飛行場は現在、宜野湾市の面積の約25%を占める。

 在日米軍再編に伴い、日米は06年、名護市辺野古沿岸部にV字型の滑走路を備えた代替施設建設で合意。昨年発足した新政権は見直し作業を進めたが、現在はくい打ち桟橋方式などに修正した上で辺野古に移設する案を最有力としている。

                        ◇

筆者は物好きにも今年の2月から「世界一危険な基地」の近くに移転し、現在宜野湾市市民である。 友人の中には、「あまりサヨクの悪口ばかり書いているので、身の危険を感じて米軍基地の近くに逃げたのでは」と心配する向きもあるが、決してそうではない。(笑)

以前の浦添市にはおよそ30年住んだが、8人の大家族で住んでいた家も、子供たちが巣立ってしまい夫婦二人には大きすぎて、掃除も大変だという連れ合いの嘆き節を尊重して、相応の住まいに移転した。 そしたら、たまたま其処が「世界一危険な基地」の近くだったと言う極めて単純な「引越し物語」である。

勿論、新聞が伝える「危険な基地」の危険性を感じたことは一度もないし、ヘリの騒音で悩まされたこともただの一度もない。

で、上記の「人間の鎖」の件だが、1・7万人(主催者発表)が大量水増しであることは近隣住民の冷ややかな態度を見ればすぐ分かる。  新聞の誇大なアジ報道とは裏腹に、騒いでいる連中は宜野湾市民ではない。 ほとんどが外来種の「プロ市民」だけで宜野湾市民は日々の生活に追われるただの傍観者に過ぎなかった。

報道によると鎖の輪を繋ぐのに苦労したようだが、語るに落ちると言おうか、自爆とも言えるのだが、鎖は容易には繋がらなかったという報道である。

「基地を取り囲む人間の鎖」という「絶好の図」を写した航空写真が沖縄タイムスには一枚も掲載されていない。 それはさておき、鎖が容易には繋がらなかったというだけでも不可解なことにタイムスは気がつかないのか。

(縁側さんのブログによると琉球新報にも航空全景写真は載っていないらしい
今朝の琉球新報より

もし、普天間基地が人家もまばらな地域に存在しているのならともかく、「人口密集地のど真ん中に位置する」・・・これが普天間基地の「売り」ではなかったのか。 

現在の宜野湾市の人口はおよそ9万人余もある。 新聞が報道するように「世界一危険な基地」に、市民が本当にセッパ詰まっているのなら、近隣の住民有志1~2万人が、鎖に参加するため家を飛び出てきてもおかしくないはずだ。

そうなれば鎖が繋がらないどころか混雑して鎖の輪に割り込むのさえも苦労したはずではないか。 人間の鎖は実際は繋がらなかったのだ。

普天間住民の中には冷ややかどころか、「暇な組織労働者達が店の営業妨害をしている」と、ご立腹の商店主もいたくらいだ。

「11万人集会」⇒「九万人集会」⇒「1・7万人の人間の鎖」

沖縄紙が撒きき続ける「ウソの連鎖」を信じる県民は少ない。 (三宅雪子民主党議員の「当たり屋詐欺」を信じる国民が少ないのと同じ。⇒三宅雪子衆議院議員の大嘘が明らかに ~もはや議員辞職しかない三宅衆議院議員~

ちなみに筆者は、雨なので野次馬見物も止めて家にいたのだが、買い物に出ていた連れ合いが、帰宅するなり「混雑していた」という。

「人間の鎖でか?」と聞いたら、

「何それ?」ときた。

混雑していたのは、チラシに書かれた特売に群がる主婦達のことで、普天間第二小学校の直ぐ近くにある「日本一危険なスーパー」には、人間の鎖とは全く別の世界の世界があった。

それでも、地元二紙がこのサヨクイベントを針小棒大に報じると、「島ぐるみで決起す!」といった印象を全国に撒き散らすのだから本物の宜野湾市民としては迷惑な話である。

「島ぐるみ決起」と言えば、「売れない評論家」(名付け親は池田信夫氏)センセが、琉球新報にまるでドンキホーテもビックリのKYなアジ文を寄稿していると読者のコメントで知った。

だが、琉球新報を取っていない筆者はわざわざ読むまでもないと失念していたが、某評論家センセが自分のブログで公開したようなので、遅ればせながら読ましていただいた。

それが、これ⇒「琉球新聞」掲載の拙稿「普天間問題再考(2)」の再録。

読んでビックリ言葉もないが、このお方以前は典型的右翼発言で知られ、沖縄の「反戦平和運動」を口汚く罵倒していたと記憶する。 

だが、集団自決訴訟が話題になって以来沖縄マスコミに摺り寄って沖縄反戦運動のシンパのような節操のない文を琉球新報に寄稿した。 当日記はドンキホーテも驚くその文を批判と言うより笑ったことがある。

当日記の古い読者なら先刻ご存知のことだろうが詳細は次にリンクしてあるので、興味のある方は適当に読み飛ばして欲しい。

琉球新報の大失態!幻の「曽野綾子誤字・誤読事件」

幻の「曽野綾子誤字・誤読事件」

琉球新報掲載の「決起文?」については、既にに読者の太平山さんがワサビの効いたコメントを下さったので、前にも紹介したが(コメント欄紹介 【追記】あり)、昨日の関連コメントも続けて紹介しておく。


◆太平山さんのコメント

暴動のススメ(1)

狼魔人さま

こんばんは。今日のエントリーでのコメントでは無いのですが、先日の石原さんへの返信ということでよろしくお願いします。

石原さん、こんばんは。返事が遅れましてすみませんでした。いつも感動的な話、ありがとうございます。先日の投稿は石原さんへの語りかけとなっていますが、途中(檄文の引用)からは山崎氏になっていますのでご理解のほどを。石原さんを難詰しているようで(謝)。

山崎氏の情報ありがとうございます。そうですね、氏のブログで三島由紀夫、小林秀雄、江藤淳の名を見ると保守ではないかと思うのですが、彼が批判・糾弾する人はすべて保守陣営の人ですから、訳が分からない人ですね。琉球新報で氏の写真をみましたが、佐高信に似ていてどうにも保守論客とは思えず、典型的な左翼顔だなと私は感じました。

新報での論考を読みましたが、「命懸けで蜂起する時」と言葉は格好いいのですがブログを読む限りにおいては本音は「暴動のススメ」であると捉えました。私は暴動と聞くと1970年12月20日のコザ暴動を思い出しますが、山崎氏も当然それを知っていて「夢よもう一度」の如く、あの暴動の再現を待ち望んでいる感がします。大田昌秀元県知事もそうですね。大田氏も暴動には思い入れが深いのか、これ以上県民を怒らせると暴動が起きるぞと日米両政府に警告していますね。

低次元の暴動に三島の「檄」を引用するのは三島への冒涜だと思うのですが、これは沖縄左翼に対する痛烈な皮肉であるとも考えました。その皮肉を琉球新報が掲載する、そのパラドックスが可笑しかったのですね。ですから私は琉球新報に聞きたくありました。三島の檄文をどう思うかと。

「暴動のススメ」(2)
三島由起夫が自決したのは私が高校生の時、ラジオから流れて来る「檄文」を聞いて体が小刻みに震え、涙が止まらなかったことが思い出されます。沖縄返還の2年前、1970年11月25日の事でした。最後の絶叫はまさに「英霊の絶叫」です。

コザ暴動は三島事件より前だったのではないかと思っていましたが後だったのですね。1970年12月20日のことでした。そこで私はフト思ったのですが、あの暴動は三島事件に触発されたのではないかと、そんな気がしてならないのです。おとなしい沖縄県民があのような暴動を起こすとは考えられなかった。

私は当時、あの暴動のニュース聞いて快哉を叫ぶどころかこれで沖縄返還が遅れるのではないかと非常に心配したものです。米軍の報復だってあり得た。焼き討ちされた80台以上の車両の賠償は誰がやったのか、おそらく日本政府ではないかと私は推察するのですが。それにしても佐藤栄作総理大臣は偉かった。三島を狂人呼ばわりしたのを除いては。

三島が自決したのは沖縄返還問題も大きな要因となっていますので、沖縄とも因縁が深いなと今さらながら思います。果たして現在、幾人の日本人がそして沖縄の人があの檄文を知っているのでしょうか。この場でそれを紹介するのは三島を冒涜するのではとの思いもありますが、山崎氏の引用に曲解されないよう、また現在の日本が三島が予言した通りになっているのを思えば、改めてふり返ってみたい「檄文」だと思いますので最後の部分のみ抜粋紹介します。

―三島由紀夫「檄」―


「・・・沖縄返還とは何か?
本土の防衛責任とは何か?
アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。
あと二年の内に自主権を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであらう。

われわれは四年待った。
最後の一年は熱烈に待った。
もう待てぬ。
自ら冒涜する者を待つわけにはいかぬ。
しかしあと三十分、最後の三十分待たう。
共に起って義のために共に死ぬのだ。
日本を日本の真姿に、戻してそこで死ぬのだ、生命尊重のみで魂は死んでもよいのか、生命以上の価値なくして何の軍隊だ。
今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。

それは自由でも民主主義でもない。
日本だ。
われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。
これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。
もしいれば、今からでも共に起ち、共に死なう。
われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇ることを熱望するあまり、この挙に出たのである。」

                        ◆


「売れない評論家」は、確か「反戦平和運動」を支援する琉球新報も名指しで罵倒していたと記憶するが、そのエントリーは削除されており、証拠隠滅は済んでいる模様で、しばらくは「反戦平和運動」支援者を気取るのでしょうか。

それにしても最近のセンセの必死で琉球新報に媚びる姿は涙ぐましい。

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コメント (12)

暴かれた「座間味村史」のウソ

2010-05-17 08:26:53 | ★集団自決

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天網恢恢疎にして漏らさず、天知る、知知る、読者知る。

これは筆者が子どもの頃、少年雑誌の投稿マンガに盗作で応募する子供たちを戒めた選者の手塚治虫さんの言葉である。

だが、今回は後半の部分を次のように変えてみたい。

・・・天知る、知知る、オバー知る、と。

集団自決の真相を隠蔽するため、幾重にも張り巡らせたサヨクネットワークが、卑劣にも『座間味村史』の記述を改竄していく過程が座間味村に在住の老婦人の証言で白日の下に晒された。

その老婦人の名は大城澄江さん(90歳)。

澄江さんは『母の遺したもの』の著者宮城晴美氏の実母宮城初枝さんと共に、昭和20年3月25日の夜、忠魂碑前の広場に居合わせて「自決はするな、解散せよ」という村長の訓示を聞いた人物である。 今を遡る2年前の集団自決訴訟の大阪高裁判決が下る直前のこと、被告側が主張する「梅澤隊長命令説」を根底から覆すと思われる「宮平証言」が登場した。 

当時15歳で隊長の伝令役をしていた宮平秀幸さんの証言によれば、は昭和20年3月25日の夜、村長や助役を含む村の幹部が、住民達を自決のため忠魂碑前に集合させ、本部壕で指揮を取る梅澤隊長を訪ね自決用の弾薬の支給のため30分にわたり押し問答した光景を目撃していたというのだ。

そして梅澤隊長は、村の幹部達の自決の申し出を声を荒立てて拒否し、広場に集まった住民達を危険だから解散させるように命じたというのだ。

宮平さんは、村の幹部が忠魂前に戻る後について行き、広場で村長が自決の中止と解散を指示するのを聞いたというのだ。

ここで「宮平証言」の重要ポイントを整理するとこうなる。

(1)梅澤隊長は村の幹部の自決するとの要請を却下し解散せよといった。

(2)村の幹部は忠魂碑前に戻り、村長が「自決はするな、解散せよ」と訓示をした。

(3)そこに居合わせた宮平一家も解散し、壕から壕へと逃回った。

これは被告側にとって致命的な証言である。

これを被告側が認めたら、梅澤隊長と住民の集団自決は何の因果関係もないということが事実として確定してしまう。

そうなれば被告側敗訴は火を見るより明らかである。

そこで被告側が「宮平証言」を虚偽だとして否定する根拠にしたのが『座間味村史」に記述された宮平さんの実母貞子さんの証言である。

それによると宮平一家は3月25日の夜、忠魂碑前広場にはいなかったというのだ。

ということは「自決はするな、解散せよ」という梅澤隊長の意志を伝える村長の訓示も聞いていないことになる。

結局集団自決訴訟は原告対被告の争いから、座間味に住む戦争体験者の実の母子が反対の証言で、夫々原告側と被告側に立つという悲劇が起きるのである。

『うらそえ文藝』で星雅彦氏が「沖縄で異論を唱えるのは変人扱いされる」と指摘するように、宮平秀幸さんは座間味島では変人どころか危険人物扱いをされていた。

そのため膨大な数の証言を収録した『座間味村史』には、貴重な体験者であるにもかかわらず、異論(真実)を述べる宮平さんの証言は無い。 

記憶力抜群の宮平さんの証言は、左翼勢力、特に『母の遺言』を踏みにじった宮城晴美氏にとっては「不都合な事実」であったのだろう。

結局、大阪高裁は、公的刊行物である『座間味村史』にある母貞子さんの証言を採用し、息子の秀幸さんの証言は虚言であるとして退けた。

ことの重要性を知らぬ貞子さんは、何が何やらわからないままに「忠魂碑前に集合した」と証言した息子の秀幸さんを、結果的に「大嘘つき」にしてしまったのである。

その後、閉鎖的空気が支配する座間味村では、「秀幸は嘘つきである」といった風評が流布し一種の村八分状況にあったという。

今回証言した大城澄江さんは、梅沢さんと談判した村の幹部について行った宮城初枝さんの友人であり、初枝さんが娘である晴美氏に託した「集団自決の真相」が、真実であることを証明したことにもなる。

逆に「澄江証言」には、本人は意識していないだろうが、友人初枝さんの真実を訴えた遺言を踏みにじり、さらには『座間味村史』を捏造した娘の晴美氏への断罪の意味も含まれている。

 

『うらそえ文藝』の集団自決特集を読んで、二日連続で沖縄の公的刊行物が捏造する沖縄戦史の虚偽の構図を書いた。

ほぼ同じ時期に、藤岡信勝拓大教授が座間味島で決定的とも言える証言者を発見し、それを桜チャンネルで放映された、それはいみじくも二人が同時に公的刊行物である『座間味村史』の欺瞞性を暴いたことになった。

読者の石原さんがお父上の貴重な戦争体験を語りながら次の文で結んでおられる。

神(真理)は細部に宿り給うと言いますが、反戦左翼が戦後、必死でかき集め捏造、歪曲させた、反戦平和イデオロギーで貫かれた紋切り型の何百万にも及ぶ沖縄戦のデータは、ウチの親父という、たった一人の沖縄戦体験者の素朴な証言であっさり覆るのです。何故なら嘘だから、、、
真実って怖くて、なんと興味深いものでしょうか
。》

同じ時期に行われた今回の星雅彦氏と藤岡信勝教授の沖縄の公的刊行物の欺瞞性の暴露は、天の配剤ではないかと思われるくらいである。

沖縄と東京に在住する両氏はお互いに面識はなく、電話一本の接触もないと聞く。

だが、サヨクネットワークに果敢に挑戦しているという共通点では、お互い戦友みたいなものであろうか。

読者涼太さんから桜チャンネルを見て次のようなコメントを頂いた。(太字強調は引用者)

狼魔人様

チャンネル桜見ました。沖縄の歴史が捏造されていく過程が、よく理解できます。
反日左翼ネットワークがうまく機能しているなとの印象を受けました。
忠魂碑には行っていないとする、宮平秀幸さんの母親の証言が載っている座間味村史が、どのように捏造されたのか。つまり村史編集作業の聞き取り段階で、都合の悪いところはカットされ、別の証言をさせる。それを何回も何回も繰り返す。これでは母親が宮平さん達にこぼすように「あれは言ってはいかん。これも言ってはいかん。あー疲れた。」がすべてを語っています。こんな手の込んだ捏造作業も、「宮平さんの家族と忠魂碑で会ったさー。」と証言するオバーの新証言で吹き飛んでしまいます。
座間味に限らず、沖縄県史料編集所まで巻き込んでの歴史の捏造ですから、他の市町村も大方同じように意図的に改竄されていると思います。自らの証言を翻した沖縄史料編集所の嶋津与志さん、宮城晴美さん、富山真順さんに共通するキーワードが安仁屋教授です。
左翼団体がよく使用する「強制集団死」とか「軍の構造論」も、確か安仁屋教授の発案だったと思います。
せめてもの救いは宮平秀行さんが言う「座間味の人で梅澤さんを悪く言う人はいない。」という言葉です。渡嘉敷の件もそうですが、結局島の人たちも、安仁屋教授の様な極左反日団体の、イデオロギー闘争に利用されている。そんな印象を受けました。当人同士は触れて欲しくない問題だと思いますよ。

例によってこれまでは長過ぎるプロローグであり、本論は次の桜チャンネル動画である。

1/6【沖縄の真実】座間味集団自決編[桜H22/5/15]

2/6【沖縄の真実】座間味集団自決編[桜H22/5/15]

 3/6【沖縄の真実】座間味集団自決編[桜H22/5/15]

じっくりご覧下さい。

大城澄子さんの証言と最高裁判決の関係については追って詳しく論考して見たいと思います。

 

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コメント (17)

復帰38年 指標で見た沖縄 経済自立に課題

2010-05-16 14:06:17 | 資料保管庫

復帰38年 指標で見た沖縄 経済自立に課題 (2010-5-15 9:35:00)

<<>> <<>> <<>>  復帰から満38年を迎えたが、米軍基地の集中や国の財政支援に関する指標を県民1人当たりで算出し直してみると、基地の過重な負担があらためて浮き彫りとなる。半面、全国知事会などで持たれている「基地集中の見返りに沖縄には最も多くの国費が投入されている」といったイメージが必ずしも正しくないことも浮かび上がる。一方、完全失業率や県民所得は依然として全国最悪の水準で推移している。


<補助金・交付税額>受益額最多は「誤解」

 本土復帰後の38年間で、沖縄には総額9兆円に上る予算が沖縄振興開発事業費として投入された。沖縄は「国からの財政措置が最も高い県」と見られがちだが、実際には国からの国庫支出金と地方交付税を合計した県民1人当たりの受益額は、2006年度で25万4843円と全国8位となる。九州では宮崎の26万2650円(全国4位)、鹿児島(同6位)より低い。「最も多い県」のイメージは正しくないことが分かる。
 「最も多い県」と誤解される一番の理由は、公共事業で全国一高い補助率が適用される高率補助制度にある。確かに、補助金など国庫支出金の県民1人当たりの額は、06年度で11万694円と全国2位と高い。1位は島根で11万6620円となる。
 一方で、地方交付税の県民1人当たりの額は、14万4149円と全国16位となる。九州8県の中では、宮崎の16万4071円(全国7位)、鹿児島(同9位)などに次いで6番目だ。
 沖縄は国庫支出金が手厚い分、自治体運営に必要な基準財政需要額が小さくなるため、地方交付税の総額も縮小する構造がある。
 仲井真弘多知事は「沖縄が他府県と比べて突出して補助金とか交付金をもらっているわけではない」と指摘する。
 米軍基地負担に伴う特別交付金や、沖縄振興特別措置法に基づく恩恵を受けてもなお、国からの財政措置は「普通の県並み」だと強調している。


<失業率・県民所得>全国最悪水準続く

 2009年度の県内完全失業率は7・5%で、前年度の7・4%からほぼ横ばいだった。総務省によると全国の09年度平均の失業率は5・2%。08年秋のリーマン・ショック後の景気後退で全国の失業率は前年度から1・1ポイント悪化したが、沖縄は依然全国最悪の水準とみられている。
 仲井真弘多知事は失業率を10年に全国平均並みの4%台にするとの公約を最重要課題の一つに掲げているが、失業率は7%台で高止まり状態が続き、公約の達成は困難な状況だ。
 観光や情報通信など県経済をけん引する産業で雇用が伸びている半面、従来雇用の受け皿だった建設業界が疲弊。雇用の拡大が労働人口の伸びに追い付かないという側面もあるが、雇用吸収力のある新分野のてこ入れなどが課題だ。
 県民所得も全国最下位で依然推移している。最新の統計である07年度の1人当たり所得は204万9千円で、11年度目標の270万円超に程遠い。県によると全国平均を100とした時の指数は69・9となり、00年度よりも2ポイント格差が拡大している。


<税の納入額>1人当たり国税納付 九州3位 県地方税は全国最下位

 全国最低の県民所得や高失業率の問題を抱える沖縄だが、県民1人当たりの税納付額は全国最下位ではない。2007年度の国税と地方税の合計納付額は1人当たり36万8828円で全国41位となる。全国最下位の長崎に3万円以上の差をつけている。
 合計納付額は九州8県の中で長崎に次いで低いが、1人当たりの国税納付額は18万8757円で全国32位と順位が上がる。
 九州では福岡の28万307円(全国14位)、大分の26万1717円(同19位)に次いで3番目に多く納税している。長崎は13万6953円で全国最下位となる。
 一方で、沖縄は1人当たりの都道府県分地方税は8万3604円で全国最下位となる。46位の長崎とは約6千円の差。市町村分地方税も9万6467円で全国最下位。46位の秋田と1万円以上の差がある。全国最低の県民所得による影響を地方でもろに受けた格好となっている。


<基地負担度>1人当たり面積、全国の280倍 嘉手納町民は1480倍

 国土面積の0・6%にすぎない沖縄に、在日米軍専用施設の約74%が集中していることは、沖縄の過重な基地負担を表す最も一般的な指標だ。これを人口当たりの米軍専用施設面積という基準に照らすと、沖縄は本土の約280倍の基地を負担している。
 県内の米軍専用施設面積は今年1月1日現在で約2万2900ヘクタール。県民1人当たり、約166平方メートルの基地を背負っている計算だ。沖縄を含む全国の専用施設面積は約3万1千ヘクタール。沖縄を除く46都道府県の国民1人当たり負担度を算出すると0・6平方メートルになる。
 極東最大の米空軍嘉手納基地などがある嘉手納町は面積の82・5%に当たる1240ヘクタールを米軍施設が占めており、住民1人当たり面積で見ると約887平方メートルで、1480倍になる。
 沖縄では、米軍が常時使用できる専用施設が県内全体の米軍基地面積の98%を占めるが、他の都道府県では専用施設が占める割合は10%。大半の施設は自衛隊基地などを米軍が一時的に使用する形になっているのも大きな違いだ。
 各都道府県の面積に占める米軍専用施設の割合を見ると、沖縄は10・1%に達するが、本土では0・02%。沖縄の負担度は単純計算で本土の500倍になる。

 


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集団自決:極左が監修する公的刊行物!

2010-05-16 08:20:42 | ★集団自決

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今日は普天間基地の周囲を「人間の鎖」で取り囲むという左翼イベントがあるので、普天間基地とは目と鼻の先に住む筆者としては野次馬根性で見物に行こうかと思うのだが、天気予報では一日中雨とのこと。 濡れてまで見物するのはバカバカしいので見物は取りやめにする。

今朝の沖縄タイムス一面トップの報道によると、「宜野湾市役所から宜野湾小学校までの約2キロ(国道330号)は、労組などに所属しない人向けに確保されている」とのこと。

語るに落ちるとはこのことで、普天間住民はこんなバカバカしいサヨクイベントには冷ややかである。

それどころか商店街では営業妨害だと怒りを露にする商店主もいた。 沖縄タイムスが「一般の宜野湾住民のために場所を空けてある」とわざわざ告知しなければこのイベントは組織労働者達だけのサヨクイベントに終わり、肝心の普天間住民がただの傍観者に終わるのを恐れているのだろう。

社会面には一昨年の「11万人集会」が行われた宜野湾海浜公園で、昨日も「県民大会」が開かれたと報じているが、参加者が主催者発表で3800人では実数は400人前後と見られる。さすがに「県民大会」と報じるのが憚れたのか、見出しは「5・15大会」とある。

今年の流行語大賞は「KY=空気を読めない」と同じように「KT」或いは「ケンミンタイカイ=大量水増し」となるのではないか。

縁側さんから昨日のエントリーに関連して次のようなコメントを頂いた。

安仁屋教授ですか。数年前になりますが、朝日新聞系の雑誌記者と面談したときに、彼が安仁屋教授と会ったときのことを話してくれました。彼曰く「長い記者生活で、これほど反天皇、反日の思想に凝り固まった人物は初めてだ」と言っていたのを思い出しました。朝日系の記者にこのように言わせるのですから、たいしたものですね、安仁屋さん(T_T)/~~~》

安仁屋教授といえば、筆者が那覇高校一年の時、広島大卒の若手教師として、儀部景俊氏(後に沖国大教授)と二人で赴任し、日本史を担当し当時から「赤い思想」を撒き散らしていた。

幸か不幸か筆者は授業を真面目に聞かなかったせいか、赤い思想の洗礼を受けること無かったが、同級生の「ユーディキヤー」(勉強ができる人)のK君などは熱心に授業を受けたせいか、その後二人の恩師の後を追って沖国大教授になる。

ついでに言うと広島大学以来の友人の儀部教授の方が赤い思想でもリーダー的立場(そう見えた)で、沖国大にも同時期に赴任したようだが、沖縄戦記を二人の共著で出版する場合も名前の序列は儀部教授が筆頭で、前書きなども儀部教授が筆を執っていたようだ。

ところが沖縄返還前後から儀部教授の名前を見なくなり、代わりに安仁屋教授が家永訴訟や集団自決訴訟の証人として活発に赤い活動をしているのは周知の通りである。

筆者の推測だが沖縄返還の年に沖縄教職員組合が出版した「沖縄戦記」で、儀部教授が後書きかどこかで「沖縄戦史の研究では日本軍の責任を追及するだけでなく、沖縄人の責任も研究する必要がある」と沖縄の識者にしてはアレ?と思うような大胆な発言をしていたので、研究者仲間から村八分にでも・・・あくまで推測である。

因みに儀部教授(現在は名誉教授?)の実弟は、最近ベルギーで亡くなった国際的指揮者の儀部寛氏である。

儀部寛さん死去 指揮者、ベルギーで音楽活動

因みついでに付け加えると、儀部寛氏は筆者の那覇高校時代の「弦楽部」の二期後輩で、後輩とはいっても音楽の腕前は筆者とは段違いであり、那覇高校から武蔵野音大のヴァイオリン科へ進み、卒業後ドイツに渡り指揮者に転身する。

で、筆者の「弦楽部」卒業後はどうなったかって?

勿論、寛君(先輩だから君付けさせてもらう)のような国際的音楽家の道とは縁遠いが、それでも全国から集まったプロ級の仲間に混じって下手ながらも大学四年間をオーケストラの部活で全うした。

それで、肝心の勉強のほうは、・・・もうよそう。

                         ◆

昨日のエントリーで、沖縄戦史に関する公的出版物にも作為的捏造部分が多い理由として、その執筆者を辿れば現在も左翼的発言で知られる沖縄の知識人が多いと書いた。

例えば知念勇さんの証言を採録し『那覇市史』に記述した嘉手川重喜氏とはどんな人物だったのか。

沖縄戦史に「残虐非道の日本軍」というイデオロギーを吹き込んでいるのが沖縄タイムスと琉球新報の地元2紙であることは周知のことだが、

知念勇さんの証言の「米兵」と「日本兵」を作為的に入れ替えた犯人の嘉手川重喜氏が、これまた琉球新報の元記者であることを知れば、驚くというより、さもありなんと思う人のほうが多いだろう。

これも昨日触れた、集団自決の研究者が一度は手にすると思われる『渡嘉敷村史』や『座間味村史』の編纂に関わった沖縄の識者の正体を知れば、今度は逆に驚きを越して笑ってしまうだろう。

先ず『渡嘉敷村史』の監修者は冒頭の縁側さんのコメントに出てくる「反日」「反天皇」のあの人物である。

以前星氏が県の依頼で渡嘉敷の聞き取り調査をした時の調査報告を「検閲」し「日本兵の善行」を県史から削除した、あの安仁屋政明沖国大名誉教授なのである。

安仁屋教授は、集団自決支障の被告側証人として陳述書を提出している「軍命あり派」のリーダーであるが、これだけで驚いてはいけない。

なんと一方の『座間味村史』の監修者は、安仁屋教授の愛弟子であり、集団自決訴訟の被告側証人として法廷に立ったあの宮城晴美氏であるから、今度も驚きが転じて、思わず笑ってしまう。 まるで師弟漫才ではないか。

これでは集団自決研究の原典とも言える「渡嘉敷村史」と「座間味村史」を安仁屋、宮城の極左師弟コンビが検閲するという最悪のパターンではないか。

前述の知念勇さんの例でもそうだが、これらの極左知識人の手口は、あらかじめ結論が出来上がっており、記述あるいは監修の過程で捏造をそれとなく織り込んで物語を作り上げるのが常套手段である。 

文科省の歴史教科書検定意見に沖縄の歴史学者の研究成果が反映していないという意見を良く聞くが、このようなイデオロギーまみれの沖縄の学者達の「研究の成果」を教科書に反映させることこそ歴史の捏造につながるのではないか。

宮城晴美氏が法廷証言のわずか一ヶ月前に、集団自決の証人である母の遺言を踏みにじり、イデオロギーの呪縛に平伏した話はあまりにも有名だが、前言を翻した恥ずべき新旧二種の『母の遺したもの』を読むまでもなく、裁判が提訴される前までは、宮城氏は正直に「軍命はなかった」と、あの沖縄タイムスの紙面で述べているではないか。 読者をバカにするのもいい加減にしろといいたくもなる。

沖縄県民斯ク戦ヘリさんがタイムス記事を図書館でコピーしてアップしているので、引用させてもらいました。

宮城晴美氏がいかに嘘つきであるかが分かります。


母の遺言(上) 母の遺言(中) 母の遺言(下)
母の遺言 (上)    母の遺言 (中)    母の遺言 (下)

   
沖縄タイムス 1995年(平成7年) 6月22日 木曜日

母の遺言 (上)

証言の独り歩きに苦悩

手記の書き直し託される 宮城 晴美

その年、母は座間味島の「集団自決者」の名簿を取り出し、一人ひとりの屋号、亡くなった場所、使用した"武器"、遺体を収容したときの状況など、これから自分が話すことのすべて記録するよう、娘の私に指示してきた。座間味島の地図を広け、「自決者」のマップをつくりながら、母は知りうる限りの情報を私に提供し、そして一冊のノートを託したのである。

元号は変わっても・・・

それから間もなく、元気よく一週間の旅行に出かけたものの、母は帰ってきてから体の不調を訴えるようになり、入院後、とうとう永遠に帰らぬ人となってしまった。 一九九〇年(平成二年)十二月六日であった。

母の死後、遺品を整理しているなかで、日記帳の中から一枚のメモ用紙を見つけた。前年の一月七日、つまり昭和天皇が亡くなったその日に書かれたものであった。(省略)

"事実"を綴ったノート

そして、私に托された一冊のノート。それは字数にして四百字詰め原稿用紙の約百枚におよぶもので、母の戦争体験を日を追って詳しく綴ったものであった。母は「いずれ時機を見計らって発表しなさい。でも、これはあくまでも個人の体験なので発表するときには、誤解がないよう、客観的な時代背景を加えるように」と言葉を添えて手渡したのである。

ただ、母はこれまでに座間味島における自分の戦争体験を、宮城初枝の実名で二度発表している。まず、六三年(昭和三十八年)発行の『家の光』四月号に、体験実話の懸賞で入選した作品「沖縄戦最後の日」が掲載されたこと。それから五年後の六八年に発行された『悲劇の座間味島-沖縄敗戦秘録』に「血ぬられた座間味島」と題して体験手記を載せたことである。

ではなぜ、すでに発表した手記をあらためて書き直す必要があったのかということになるが、じつは、母にとっては"不本意"な内容がこれまでの手記に含まれていたからである。

「"不本意"な内容」、それこそが「集団自決」の隊長命令説の根拠となったものであった。

自責の念にかられる

とくに、『悲劇の座間味島』に記載された「住民は男女をとわず軍の戦闘に協力し、老人子供は村の忠魂碑前に集合、玉砕すべし」と梅澤部隊長から命令が出されたというくだりが、『沖縄県史10 沖縄戦記録』をはじめとして、多くの書籍や記録のなかで使われるようになり、その部分だけが切り取られて独り歩きをしだしたことに母の苦悩があった。あげくは、その隊長命令説を覆そうと躍起になるあまり、曽野綾子氏に代表される、自決者」を崇高な犠牲的精神の持ち主としてまつりあげる人々が出てきたとなると、母の気持ちが穏やかであるはずがなかった。

そしてもう一つの"不本意な理由、それは、自分の証言で「梅澤部隊長」個人を、戦後、社会的に葬ってしまったという自責の念であった。これが最も大きい理由であったのかもしれない。

(沖縄女性史研究家)

◇みやぎ・はるみ 一九四九年 座間味生まれ。雑誌編集者を経て、フリーライターになる。集団自決を中心とした戦争体験を追いながら、女性史とのかかわりを調査。九〇年から、那覇市で女性史編さん事業にたずさわる。

6月23日 金曜日

母の遺言 (中)

切り取られた"自決命令"

「玉砕」は島民の申し出

援護法意識した「軍命」証言

宮城 晴美

母は、どうして座間味島の「集団自決」が隊長の命令だと書かなければならなかったにか、その真相について私に語りだしたのは、確か一九七七牢(昭和五十二)だったと思う。戦没者の三十三回忌、いわゆる「ウワイスーコー」と呼ばれる死者のお祝いを意味した最後の法事があると私は聞き、「島の人は何を孝えているのだろう」という気持ちから座間味島の取材に出かけたときのことである。

「援護法」とのはざまで

話は一九五六年(昭和三十一)にさかのぼった。沖縄への「援護法」(正確には戦傷病者戦没者等遺族援護法)の適用を受け、座間味村では一九五三年から戦没者遺家族の調査が着手されていたが、それから二年後、村当局は、戦争で数多く亡くなった一般住民に対しても補償を行うよう、厚生省から来た調査団に要望書を提出したという。この「援護法」は、軍人・軍属を対象に適用されるもので、一般住民には本来該当するものではなかった。
それを村当局は、隊長の命令でで「自決」が行われており、亡くなった人は「戦闘協力者」として、遺族に年金を支払うべきであると主張したというのである。つまり、国のシステムから考えれば、一般住民に対して「勝手に」死んだ者には補償がなされず、軍とのかかわりで死んだ者にだけ補償されるといういう論理を、住民たちは逆手にとったことになろうか。

その「隊長命令」の証人として、母は島の長老からの指示で国の役人の前に座らされ、それを認めたというわけである。母はいったん、証言できないと断ったようだが、「人材、財産のほとんどが失われてしまった小きな島で、今後、自分たちはどう生きていけばよいのか。島の人たちを見殺しにするのか」という長老の怒りに屈してしまったようである。それ以来、座間味島における惨劇をより多くの人に正確に伝えたいと思いつつも、母は「集団自決」の箇所にくると、いつも背中に「援護法」の"目"を意識せざるを得なかった。

軍と運命を共に(省略)

一九四四年(昭和十九)九月、この島に日本軍か駐屯するようになったころから、住民は兵隊たちと運命を共にすることになる。(省略)

忠魂碑の前に

一九四五年(阻和二十)三月ニ十五日、三日前から続いた空襲に代わって、島は艦砲射撃の轟音(ごうおん)に包みこまれる。方々で火の手かあがり、住民は壕の中に隠れていても、いつ砲弾が飛び込んでくるか、ただおびえているだけであった。そんな夜おそく、「住民は忠魂碑の前に集まれ」という伝令が届いたのである。伝令が各壕を回る前に、母はこの伝令を含めた島の有力者四人とともに、梅澤隊長に面会している。有力者の一人から一緒に来るようにいわれ、意味もわからないまま、四人についていったのである。

有力者の一人が梅澤隊長に申し入れたことは、「もはや最後のときがきた。若者たちは軍に協力させ、老人と子どもたちは軍の足手まといにならぬよう忠魂碑の前で玉砕させたい」という内容であった。

母は息も詰まらんばかりのショックを受けていた。

6月24日 土曜日

母の遺言 (下)

「集団自決」時の社会背景

戦争は「終戦」で終わらない

島の有力者たちがやってはきたものの、いつ上陸してくるか知れない米軍を相手に、梅澤隊長は住民どころの騒ぎではなかった。隊長に「玉砕」の申し入れを断られた五人は、そのまま壕に引き返していったが、女子青年団長であった母は、どうせ助からないのだから、死ぬ前に仲間たちと軍の弾薬運びの手伝いをしようと、有力者たちとは別行動をとることになった。その直後、一緒に行った伝令が各壕を回って「忠魂碑前に集まるよう」呼びかけたのである。

軍国主義の象徴

伝令の声を聞いたほとんどの住民が、具体的に「自決」とか「玉砕」という言葉を聞いていない。「忠魂碑」の名が出たことが、住民たちを「玉砕思想」へと導いたといってもいいだろう。(省略)

元隊長との再開

この場所に集まれというのだから、住民としてはすぐさま「自決」と結びつけざるを得なかった。結果的には、住民は激しい艦砲射撃のため、忠魂碑に集まることができず、それぞれの壕で一夜を明かしたものの、翌日、上陸した米軍を見た住民がパニックを起こして、家族同士の殺し合いが始まったのである。(省略)母とともに、梅澤隊長のもとを引き揚げた四人全員が「集団自決」で亡くなってしまったため、戦後、母が"証言台"に立たされたのもやむを得ないことであった。

一九八〇年(昭和五十五年)の暮れ、母は梅澤元隊長と那覇市内で再会した。本土の週刊誌に梅澤隊長が自決を命令したという記事が出て以来、彼の戦後の生活が惨憺(さんたん)たるものであるということを、島を訪れた元日本兵から聞かされていた母は、せめて自分か生きているうちに、ほんとのことを伝えたいと思っていたからである。

皇民化教育の本質

その後の彼の行動については、あえてここでは触れないことにしよう。しかし、一つだけ言わせていただくとしたら、梅澤元隊長が戦後なお、軍人の体質をそのまま持ちつづけている人であることに変わりはない、ということである。母は、私がモノ書きとして生活するようになってからは、いつも思い出したように言いつづけたことがあった。

いまは事実を書かなくてもいい。でもウソは絶対に書いてはいけない」ということ。そしてもう一つは、「『集団自決』を論ずるとき、誰が命令したか個人を特定することにこだわっていると皇民化教育の本質が見えなくなってしまう。当時の社会背景をしっかりおさえなさい」と。
母は「事実」を元隊長に話したことで島の人との間に軋轢(あつれき)が生じ、悩み苦しんだあけくとうとう他界してしまった。

母の死を通して、戦争というのが決して「終戦」でおわるものではないことをつくづく思い知らされている。

                        ◆

文中の「有力者」とは、住民を自決に誘導したといわれる宮里盛秀助役のことだが、宮城晴美氏が法廷証言の一ヶ月前に「軍命あり」に宗旨替えした根拠が、宮里助役の実の妹である宮平春子氏の「兄擁護」の証言だというから驚きだ。

こんな大嘘つきが『座間味村史』の監修をしている沖縄研究者の実情をオカシイと思う方、応援のプチッ!を、

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集団自決:公的刊行物の捏造を暴く!星雅彦氏が新証言発掘で

2010-05-15 07:08:06 | ★集団自決

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沖縄の地方文芸誌『うらそえ文藝』(15号)が、昨年に続き「集団自決」の特集を組み、研究者の間で静かな話題を呼んでいる。 静かな話題という意味は地元マスコミは一切スルーという意味。

中でも同誌編集長星雅彦氏の執筆による「『集団自決』 その真相を墓場まで」は、原稿用紙50枚にも及ぶ長大な論文で、集団自決の先駆的研究者の星氏ならではの新しい「発見」が数多く記されていて興味深い。

星雅彦氏は、県の依頼を受けて県内の知識人として誰よりも早く、というより『鉄の暴風』の著者よりも早い時期に、集団自決の行われた座間味、渡嘉敷両村の現地取材をした人物である。

今回の論文は、当初雑誌『正論』に、12月号の論文の続編として執筆を依頼されていたものだが、書き綴るうちに依頼された枚数より大幅に内容が増えたため、内容の省略や削除されるのを嫌って、敢えて『正論』への掲載を辞退し、『うらそえ文藝』の「集団自決特集号」の柱にしたのだという。

内容はこれまでの星氏の論考の整理に加えて、沖縄紙がこれまで報じることのなかった新らたな証言者にも複数取材し、驚くべき新証言を得ている。

沖縄タイムス等の地元マスコミや、イデオロギーに染まった沖縄戦史研究者達に一矢どころか二矢も三矢も報いるに充分な内容である。

例えば、次のような氏独特のソフトな表現で、従来の沖縄戦史を批判し、集団自決の核心に迫っている。(引用文の太字強調は引用者)

《隊長命令や軍命の有無について考えてみる。 すると思い付くことは、根拠がないのに当然あるかのような形を示し得るスタイルで、うまく誤魔化している場合があるということだ。また根拠や理由は不明瞭でも当然起きた筈だと言うような、妥当性の範疇の推量でもって真実性を想像させ得る背景もある。 たとえば軍命令の有無が裁判で争点になっていようとも、その背景や根本問題に真摯にむきあっていると受け取られることによって、賛同が得られる場合もある。 そしてそれらの間隙に、「捏造」が挿入され得るのである。

「軍命あり派」が軍命の重要な根拠とする「富山証言」についても、これまで沖縄マスコミが報じなかった富山氏の手記を新たに発掘し、「富山証言」の矛盾点を資料を基に指摘している。

数多くの証言の他に星氏が特に強調するのは、沖縄で発刊された数多くの沖縄戦史の信憑性についてである。

「ウソの暴風」と揶揄される『鉄の暴風』は言うまでも無く、沖縄で出版された戦記物がイデオロギー塗れであることが、最近の「集団自決論争」の結果として一般の人にも知れ渡るようになった。

その一方で、「県史」とか「村史」といった公的刊行物はイデオロギーと全く無縁だと考える人がまだ多く存在する。 従って「○○村史」に記載されているということが真実の証明だと考える人も多い。

ところが、これら公的刊行物も執筆者を辿れば、現在「軍命あり派」としてイデオロギーに染まった主張をくり返している沖縄の知識人達である。

いくつかの公的刊行物の記述に疑念を持った星氏は、その中から御存命の証言者を精力的に追跡調査し、改めてその証言を採録した。

そして公的刊行物と実際の証言との矛盾点を指摘している。 ほとんどの証言者が、自分の証言が「歪曲」というより、ほとんど捏造されて記述されている事実を知らないままに長年過ごしてきた。 

そして今回の星氏の指摘によって初めてその事実を知ったというから驚きである。

本文中の「避難壕の自決とその謎」という章から例を挙げてみる。

《去年(2009年)12月中旬に、筆者は那覇市の繁多川図書館で同地在住の知念勇(76歳)からミー壕(新壕)にまつわる話を聴かせてもらった。 そのいろいろ含みのある話の中には驚くべき事実が隠されていた。》

このような書き出しで始まるこの章には、当時国民学校6年生であった知念さんが、学校の授業はほとんどない毎日を壕掘り狩り出された様子が記されている。

そして昭和19年のいわゆる10・10空襲の時、警察署員と住民が逃げ込んだ壕に日本軍の将校が現れ、この壕は軍が使用するから民間人は移動せよと命ぜられた話を次のように記している。

《将校たちが去ったあと、壕内は打ちひしがれたように悄然となったが、それでも住民たちの多くは、身の回りの品をまとめはじめた。 署長代理は「今出て行くと危険だから、様子を見てから署員の誘導に従ってください」と告げた。
数時間後にはミー壕から次々と住民は出て行き、民間人は具志堅夫婦とその息子の古康さんと勇さん(証言者・引用者注)と父親の五名が残った。(略)

突然、歩哨が駆け込んで来た。 とすぐ、那覇署員たちは移動し始めた。 その後、日本軍も間もなく撤退して出て行った。 米軍が押し寄せてくる予報があったのだろう。 小一時間後に、数人の米兵がどかどかと入ってきた。 彼らはすぐ合図しあって、具志堅古康さんと勇さんの父親を黙って引っぱって壕から外へ連れ出した。 
一人の米兵は残って勇さんたちを見張っていたかと思うと、2、3分もたたぬうちにカービン銃の音がバラバラと外から聞こえた。 すぐに米兵が立ち去った後、少し間をおいて勇さんたちは父親たちを探しに外へ出た。 一面瓦礫の空間には人影らしきものは見当たらず誰もいなかった。 勇さんの父親は50歳くらいで一般住民の姿をしていたが、古康さんの父親は軍服を着ていたからまぎれもなく日本兵に見られたのだろう。 二人は抵抗しようとしたのか分からないが、何かトラブルで射殺されたに違いない。 連れていかれた二人はその後永久に姿を見せなかった
・・・年老いた知念さんの話はここまでである。》

この面談の後、星氏は公的史料である『那覇市史」に掲載された知念さんの聞き取り調査の記述に明らかな作為的捏造部分を発見し、確認のため再度知念さんに面談することになる。

その驚きに満ちた経緯を上記文に続けてを星氏はこう記述している。

《ところが、筆者は『那覇市史 資料編弟3巻7』の中に「子どもと沖縄 繁多川の警察壕で」と題して知念勇さんの手記が載っているのを見つけた。 「《前略》父親はある日突然日本兵に連れ出された。 父親が連れ出された後、2、3発の銃声がしたが、父と共に連れ出された20歳くらいの青年と共に、再び壕には帰ってこなかった(後略)」(410頁)と記されている。 末尾に採話者「嘉手川重喜」とある。 筆者の知人であるがすでに鬼籍の人である。 
後日、再び知念勇さんに会って確かめてみた。 「自分も不思議に思っている。なぜ、米兵に連れ出されたということを、取材する人に2度も3度も言ったのに、どうして日本兵に入れ替わったのだろう?」と本人はいぶかしがるのであった。》

この部分を読んだ時、星氏が昨年、雑誌『正論』12月号に寄稿した『「鉄の暴風」はGHQの宣撫工作だった』と題する論文の次のくだりを、とっさに連想した。

《私が同書に疑問を持つようになったのは、県資料編纂所が刊行する『沖縄県史第九巻 沖縄戦記録ー』の執筆のため、北谷村から南部・中部の集落を回って聞き取り調査をしたことがきっかけだった。

あれは確か1970年の暮れのことだった。 私は県資料編纂所の職員のAとBの訪問を受けた。 Aは私の書いた原稿について「なぜ日本兵の善行などを書き入れるのか」と詰問してきたのである。 取材は各区長の家に集まってもらい、これを記録するという形で行った。 取材は私一人ではなく資料編纂所の名嘉正八郎と一緒であった。 この取材で日本兵が住民を助ける話も幾つか出たので「そういうものも記録すべきだと思った」とだけ答えた。 

因みにAはマルクス主義で、一つのイデオロギーに全ての物事をはめて判断しようとする傾向があったのだ。
この取材を通して私は『鉄の暴風』は、日本軍を「悪」とするために創作された、ノンフィクションを巧みに交えた推理小説風読み物ではないかと考えるようになった。
 そこには日本軍部と国民、また日本軍と沖縄住民を二極に分離させ対立させる仕掛けが巧みに織り込まれているのである。 まさしく江藤淳が『閉ざされた言語空間』で指摘したように、日本と米国の戦いを、日本の「軍国主義者」と「国民」との戦いにすり替えようとする米軍の底意が秘められているのである。(190~191頁)》

これについて筆者はA氏の正体を続々・星氏が『鉄の暴風』を批判!県資料編纂所職員の正体のなかで次のように暴露しておいた。

1970年の暮れに星氏を訪問し、氏が提出した原稿に「なぜ日本兵の善行など書き入れるのか」と詰問したマルクス主義者の県資料編纂所のA職員のことである。

ご本人の星氏は「A氏はまだ元気で沖縄で活躍されている方なので・・・」と実名を語るのを憚っておられるが、沖縄は狭いところで調べればすぐ正体はばれるもの。

1970年当時に県資料編纂所の職員であり、しかもこのような過激な発言で星氏に詰問する人物は自ずと限られてくる。

安仁屋政昭沖国大名誉教授は、沖国大の前は1967年から5年間、沖縄県資料編纂所の職員であり、そのマルクス主義的発言は現在も衰えてはいない。

なお、安仁屋教授は「集団自決」訴訟の被告側応援団の理論的中心人物であり、宮城晴美氏の恩師であることは夙に知られたことである。

その後、「沖縄県史」から星氏が聞き取りした「日本兵の善行」は削除されたと聞く。

県資料編纂所のA職員は県史編纂時の検閲の役割りを担っていたことになる。

                         ◇

しばし『正論』の記述に脱線したが、再び話は『うらそえ文藝』に戻る。

沖縄戦の証言者がほとんど物故された現在、知念勇さんの例のようにご存命の方に証言を再確認して公的刊行物の意識的捏造を発見するのは奇跡に近い。

もし星氏の再調査が遅きに失し、不幸にして知念さんがなくなられていたら「知念さんの父親ら二人が、日本兵に壕から連れ出され射殺された」ということが、歴史の真実として刻まれることになる。

危うく沖縄タイムスが目論む「残虐非道な日本兵」の捏造の歴史に新たな頁が加わるところであった。

星氏はさらに、集団自決の史料として研究者なら一度は目を通したはずの『座間味村史』下巻の「村民の戦争体験記」を取り上げ、そこに記された20数名の体験記を「それらすべては伝聞であるが、隊長命令があったと記された証言が多い」として、各証言者の動きを検証している。 ここでその内容は省略するが、沖縄で集団自決を研究するに当たり異論を述べることが、いかに困難であるかを自分の経験を基に次のように述べて、論を結んでいる。

《ここで、沖縄の新聞を代表する世相を端的に言えば、沖縄では一般的に、二人の隊長の命令によって、集団自決が決行され、惨たらしく多数の住民が犠牲になったという見解だ。 それでは、もっともらしいが、よく考えると奇々怪々にさえ思えてくる。 今や軍命に意を唱えて探求すると、変人扱いされるか、他人の傷跡を暴く悪趣味に過ぎないと批判されるのだろう。 しかし沖縄戦の真実は、隠蔽されない限り、見えてこないのであろうし、そのような視線にこそ重要な意味があるような気がしてならない。(了)》

星氏は、沖縄で沖縄紙を代表する論壇に異論を唱えることは「変人扱い」と婉曲な表現に止めているが、昨年の5月に『うらしえ文芸』14号で沖縄タイムスと琉球新報を真っ向から批判して以来、それまで両紙から定期的にあった原稿依頼も全く途絶えたと聞く。 これは同時に沖縄二紙に反旗を翻した上原正稔氏についても同じことが言える。

全体主義の沖縄で軍命に異論を唱えるのは変人扱いされるに止まらず、文筆で糧を求める人にとっては死活に関わる大問題でもあるのだ。

集団自決といえば沖縄タイムスやサヨク出版社の高文研や岩波書店によって発刊された本しか読まない人々にとって、星氏の今回の論文は是非とも一読を薦めたい最新の「集団自決研究」の書である。

                       ◆

 浦添市文化協会 文芸部会が発行している”うらそえ文藝”のご紹介です。

                           
   うらそえ文藝 第15号 平成22年5月発行
                          1,000円  
  
        内  容
 座談会   沖縄の地政学と国際問題 
          ―アジア太平洋戦争はどう記憶されてきたかー
            C・ダグラス・ラミス  仲程昌徳  宮城鷹夫 
            恵隆之介  星雅彦
   
 特別企画  戦争証言

 論 文    さかさまな『執心鐘入』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大城武
         過剰なる犠牲―慶良間の集団自決について・・・・・浜川 仁
         「集団自決」その真相を墓場の中まで・・・・・・・・・・・星 雅彦
   
                  随筆  短歌論文  俳句論文  短歌とエッセイ 
                                  俳句とエッセイ  琉歌・エッセイ  詩とエッセイ
                                  短篇小説  紀行文  他    
   
         お問い合わせ先  浦添市文化協会事務局 098-878-4553  
  

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コメント (2)

鳥越俊太郎の妄言、日米同盟は不要

2010-05-14 07:02:44 | 普天間移設

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鳩山首相が,海兵隊の抑止力は沖縄に必要であると発言して以来、連日テレビ芸者達は海兵隊談義で侃々諤々。

ところがその主張たるや「海兵隊の沖縄駐留は無意味」と、これまで自分達が支持してきた首相の「勉強の成果」を否定するのであるから皮肉である。

テレ朝「スパーモーニング」を例に取ろう。

米海兵隊の役目は「在留米人救出」 じゃあ抑止力ってなに?
2010/5/10

軍事評論家の田岡俊次氏を引っ張り出して次のように語らせている。

(「日本は米国に守ってもらっていると言われていますが…」との問いに)

 「そこに変な刷り込みがあるだけで、自衛隊に比べれば在日米軍なんて何ていうこともない。中国に対する抑止力をいう人がいるが、米国は中国とすごく親密で、米国にとって中国はすごく大事だ」と。

言っている意味がよくわからないが、この方ひょっとして、自衛隊と在日米軍を取り違えているのではないか。

「在日米軍に比べれば交戦権の無い自衛隊なんて何ていうことない」というのなら納得なのだが・・・。

続けて、こんなことも言っているようだ。

 「沖縄にいる米海兵隊は普天間にヘリ部隊、キャンプ・シュワブには歩兵部隊もいるが、800人から1000人程度。暴動とか内乱のときに在留米人を助け出すのならなんとかなる程度だ。しかも、救出の優先順位は決まっていて、1位が米国人、2位がグリーンカードの永住許可持っている人たち、3位が面白くて英国、カナダ、豪州、ニュージーランドのアングロサクソン4か国、5位はその他で、この『その他』に日本人が…」

「専門家」のもっともらしい意見にテレビ芸者達は大納得の様子だったが、それが何か、と言いたい。

米海兵隊でなくとも緊急の場合、自国民の救出を第一優先順位にするのはどの国でも同じこと。それだけの理由で、海兵隊に抑止力が無いという説明にはならない。 もっとも国家観の欠落したどこかの首相なら自国民でなくとも友愛を優先順位にするかも知れないが。

田岡氏が挙げる例は、第三国で起きた暴動や内乱の場合であって、同盟関係にある日本に駐留する米海兵隊が、日本人を見捨てて逃げるとは考え難い。

それに暴動や内乱が日本国内で起きるとは、最も起こりにくい例を挙げているのではないか。

いずれにせよ、「米海兵隊の任務が在日米国人の救出だから抑止力は無い」と言う説明には何の説得力も無い。

田岡氏に負けずに「海兵隊不要論」に必死なのは、鳥越俊太郎氏。

田岡氏の「海兵隊は日本人を見捨てる」といった発言に勢いづいて、次のようなトンチンカンを得意げに語っていた。

「鳩山さんは誰からレクチャーを受けたのか? 『抑止力』という言葉は『魔術』というか、縛りから出ることができない。竹島は韓国に占領されているが、海兵隊は出ていかない。抑止力はないのだろう」と。

このお方米国と韓国の間は、日米安保以上に緊密な軍事同盟の関係にあることを知らないのだろうか。 それとも沖縄タイムスのように知らぬ振りした高等詐術で国民を騙そうとしているのか。

それこそ国民に「魔術」をかけて「米海兵隊撤去」⇒「米軍基地撤去」⇒「日米安保廃棄」・・・と、中国に媚びるつもりらしい。

米国が竹島問題に口を出さないのは、特殊な国・日本へのせめてもの心遣いであり、もし問題がこじれて日韓戦争にでもなれば、日本を助けるどころか韓国の味方になる可能性が大きい。

米韓の間に締結された米韓相互防衛条約を根拠として、韓国軍はベトナム戦争へも積極的に参加し、イラク戦争の復興支援も行っている。

それに比べて日本はどうか。

集団自衛権も認めず米国艦船が敵に襲われても、同盟国の艦船を見捨てて逃げるという国である。

竹島問題で米国が日本の味方をしないのは、米軍基地が無意味である証拠である、と声高にテレビで訴える鳥越氏にテレビ芸者、もとい、ジャーナリストとしての資格は無い。

フィリピンから米軍が撤退して何が起こったか。
 
中国がスプラトリー諸島を占領した。

ベトナムからソ連が撤退して何が起こったか。
 
中国がパラセル諸島 (Paracel Islands)(西沙諸島)を占領した。
 
 
では、沖縄から米軍が撤退したら何が起こるか。
 
先ず尖閣諸島が占拠されるのは火のを見るより明らかで、最近の沖縄の「基地撤去運動」に呼応して、中国は既にこの有様である。
 

たかがテレビ芸者というがその影響力を考えると、されどテレビ芸者。
 
そこで、ここは鳥越氏にテレビ芸者を代表してもらって再度聞きたい。
 
仮に今後朝鮮半島で新たな朝鮮戦争(南北の戦争)が始まったら、アメリカは米韓軍事同盟に基づき参戦するか、そして日本の参戦はあるか。(付録「日米同盟」参照)
 
アメリカは参戦しても、勿論日本は参戦はしない。
 
朝鮮半島の危機は日本の危機のはずだ。
 
アメリカは、自分の危機はアメリカ任せで、自分の手を汚さない日本を、以後も同盟国と考えるだろうか。
 
普天間移設では米軍基地を「ゴミ処理場」並みの厄介物扱いだし、そろそろ日米同盟は破棄すべきで時期であるとの議論が出てきてもおかしくない。
 
そうなると竹島問題で、アメリカが日本助けるどころか韓国を助け、日本の敵になるのですよ、鳥越さん。
 
米専門家も最近はこんなことを言い出しているのですよ。↓

アジアでもっとも信頼できる同盟国は韓国 米専門家

【ワシントン=古森義久】米国大手研究機関「ヘリテージ財団」のアジア専門家のブルース・クリングナー上級研究員は日本での米軍基地問題を調査した結果として10日、日本政府内部では普天間基地移転問題に関して政策決定プロセスが機能しておらず、アジアでは韓国が最も信頼のできる米国の同盟国となった、などと述べた。

 同研究員は4月下旬に訪日し、東京と沖縄でそれぞれ4日を過ごして、普天間基地移転問題を主に、日本側の関係者多数と接触した。その際の考察の総括を10日の日本記者らとの会見で明らかにした。

 クリングナー氏は日本の鳩山政権の対応について(1)首相と外相、防衛相の言明が相互に矛盾しており、正常な政策決定プロセスが機能していない(2)普天間基地移転問題では住民の抗議だけが決定要因とされ、軍事的、戦略的な要因はまったく考慮されていない(3)5月末までに日本政府が米国も受け入れ可能な解決案を提示するという見通しはもうない-などの点を報告した。

 さらに、鳩山政権の事実上の機能停止によりオバマ政権の当事者たちの間では日米同盟がすでに衰退し、有事に即応できる軍事能力を急速に減らしつつある、とみての懸念や不満が高まっていると、指摘した。その結果、同研究員は「アジアで米国が最も信頼のできる同盟国はもはや日本ではなく韓国となった」と強調する一方、日米同盟の最近の混乱に対してはベトナム、シンガポール、韓国、タイなどアジアの他の諸国が深刻な懸念を表明している、とも述べて、日本への警告を発した。

 同研究員は米軍海兵隊が沖縄県内に駐留することの理由として(1)米国の日本防衛への目にみえる誓約となる(2)潜在脅威に対して米軍の軍事力による現実の抑止となる(3)尖閣諸島をも含めて日本の統治下にあるすべての領土を守ることに寄与する(4)北朝鮮の軍事行動に対する韓国軍の対応の有力な支援の一部となる(5)朝鮮有事では米海兵隊が北朝鮮内部の核兵器排除など実際の行動をとれる(6)自然災害での人道的救援作業の拠点となる-などの諸点をあげた。    

◆20100510 話題の番組 抑止力 鳥越がまた妄言 必死の誤誘導
http://www.youtube.com/watch?v=0XWee5cvCe0&feature=related

◆「抑止力」と「救出優先順位」の話がなんで関係あるの?海兵隊≠救助隊
http://www.youtube.com/watch?v=DKn1Tf4AQok


【付録】 コメント欄よりの転載です。

日米同盟(1)

―ある商社マンの憂国―

現在問題になっている「日米同盟」とはいったいどのような意味を持っているのでしょうか。日米安保条約というものがあの全学連の安保闘争のときに最初に言葉として現れてから、もう半世紀がたちます。現在は81年にレーガン大統領の時代に共同声明として日本とアメリカが同盟関係であると初めて声明が発表されたのです。この時から「日米安保条約は日米同盟」となり日本とアメリカは対等な「軍事同盟国」となったのです。

同盟国という意味は重く、第二次世界大戦を振り返ってみればいわゆる連合国対枢軸国が双方とも軍事同盟、同盟国で対決しておりました。

このように同盟とはいったん戦争が勃発した場合には生死を共にするというほどの固い契りの義兄弟であるわけです。それを知ってか知らずにか鳩山という能天気は「米軍駐留なき安保体制」という阿呆な発言をしております。

安保条約の中にははっきりと「アメリカは日本国の安全に寄与しならびに極東における国際平和と安全の維持に寄与するためにアメリカ合衆国はその陸海空軍が日本国において、その区域と施設を使用されることを許される」とされており、現在のアメリカの基地は、この条項に基づいて各地に基地が提供されているのです。

鳩山馬鹿首相は何にも理解していないから、アメリカが怒っているのです。

過去、日米関係がギクシャクした折にアメリカの海兵隊司令官スタックポール少将が皮肉をこめて「アメリカの駐留は日本の軍国化を押さえるためのビンの蓋」と発言したことがありましたが、これはアメリカの皮肉です。だがアジア諸国はその発言を歓迎し敢えて曲解して大宣伝しました、いわくアメリカは今でも日本を敵国として押さえているの、我々の味方であると。

この発言はアメリカの上層部の本意ではなかったことが後に国防省の発表で取り消されましたが、日本人は戦前あれほどの軍事理解を示していたにもかかわらず現在では上から下まで軍事行動や周辺国の紛争には日本は関係ないとまで虫のいい馬鹿を平気で発言する政治家、それも防衛大臣までが同様の低レベルの発言をする世界の中でも極めつけの阿呆の国です。

日米同盟(3)

仮に今後朝鮮半島で新たな南北の戦争が始まったらどうしますか、アメリカは米韓軍事同盟に基づき参戦するでしょう。日本はどうしますか、参戦はしないでしょう。また韓国も日本の自衛隊の参加を歓迎しないでしょう。しかし当のアメリカは湾岸戦争に続いて次の朝鮮戦争でも日本が手をこまねいて傍観していたら、なんと思うでしょうか。血を流すのはアメリカだけ、日本は同盟国なのか、或いは単なるアメリカの占領国なのか、日米同盟は破棄すべきであるとの議論が出てくるでしょう。

これこそ中国が待ちに待った瞬間かもしれません。その状況を作り出すために朝鮮戦争を演出するかも知れませんが、これは憶測の範囲をでません。

アメリカのペリー国防長官は「日米同盟は日本に取っての安全に重要だけではなく、アジア太平洋地域内の全ての国にとって重要な安全保障である」と発言しています、果たして北沢防衛相がこの意味を正確に理解しているでしょうか、鳩山首相が理解しているでしょうか、理解はできていないと思います。

現在のアメリカは同盟に移行した後に、日本の自衛隊のグレードアップを支持しております。海自艦艇の増強、イージス艦を現在の6隻から10隻に、AIPを含む高性能潜水艦を16隻から40隻に、「ひゅうが」型のヘリ空母を現在の計画の2隻から6隻に、空自のF-15JをF-15EまたはSEに、或いは陸上機仕様のF-35の導入を働きかけ、巡航ミサイルの装備も働きかけております。

また陸自を現在の旧式のソ連向けの内陸型陸軍からアメリカの海兵隊式の離島などへの迅速な展開ができる機動力を持つ近代軍隊へとの提言をしております。だが、一向に動かないのが日本の歴代の政府です、専守防衛を念仏のように唱える、本物の馬鹿です。

日米同盟(3)

アメリカは日本の核装備までは許さないでしょう。それは韓国、台湾の核装備に歯止めがかからなくなるからです。しかし日米同盟を、外れるような発言を鳩山首相はしております。「米軍駐留なき安保」というあっと驚く裏切りの発言です、ならば即座に「自前の抑止力」の整備にかかるのが普通の国ではないでしょうか。その動きはまったくありません防衛費を削ることに血道をあげる、中国でさえあっけに取られるほどのボケた国家です。

沖縄から米軍の撤退は、もしもこのまま地元での反対の声が強ければ、おそらくは米軍は撤退を決めるでしょう、アメリカは別に困らないのです。世界最強であることにはいささかの変化も無く、世界の外洋を24時間遊弋する空母艦隊も11隻が交代しながら行っています。ひとつの空母艦隊で一国の全軍事力を上回る能力のアメリカは日本がなくても、ソ連なき現在、何も困ることは無いのです。

日本は二度目の国の方向を誤る愚を犯そうとしております、一度戦争に負けただけで、何が起こっているか、何を実際に失ったか、もっと悲惨な負けを経験しないと解らないのだろうか。

無防備中立を掲げる発狂した社民党、おろおろするばかりで何も国際情勢の読めない民社党、小泉、安部以外にだれも本気で国を守ろうとしなかった自民党、麻生に代表される大馬鹿の行進、よく日本が今まで存在してきたと思います。それも経済でも軍事でも全てアメリカに頼ってきた事実を、一体日本人の何人が気づいているでしょうか。

普天間は大きな禍根を残すでしょう、アメリカは最後には撤退すると思います。日米同盟は、米韓同盟に軸足を移され、日本は右往左往するばかりでしょう。まさか中国の軍門にくだり、アメリカに対立して日中軍事同盟でも考えそうな、そんな馬鹿、阿呆が日本政府です。

―ある商社マンの憂国より―

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コメント (4)

コメント欄紹介 【追記】あり

2010-05-13 21:04:44 | 未分類

 

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コメント欄にはすべてにレスを差し上げずに失礼していますが、勿論毎回目を通し感謝しています。 

本文よりコメント欄の方が充実しているとの噂もあるくらいですから。

以下はコメント欄の紹介です。 これに対する当日記のコメントは蛇足になりますので省略しますが、手抜きではありません、念のため。(読みやすいように段落のみ入れました)

 

◆石原昌光さん

狼魔人様、こんにちは

5/9日の日曜ロードショーで、300人(スリーハンドレット)を放送していましたが、実に考えさせられました。
あれは、西洋の戦史では特に有名なテルモピレイの戦いを描いたものです。

紀元前480年、スパルタの王レオニダスは、強国ペルシア帝国との開戦を渋るギリシア都市国家連合の中で只一人開戦を主張し、直属の300人の配下のみを連れて、峡谷テルモピレイに陣取り、100万のペルシア軍を2週間に渡って食い止め、最後は全員が玉砕しました。
峡谷という地の利を生かしたとは言え、たった300人のスパルタ兵が、当時世界最強のペルシア軍100万を食い止めたのは奇跡です。

レオニダスは、どうして命を捨ててまでペルシア軍に抵抗したのか?
それは、「自国の運命を決めるのは自分達だけである。」という民族自決の誇りを彼が命より上位の価値であると思っていたからにほかなりません。
象徴的なシーンがあります。レオニダスの下で道案内をしていた男がペルシア軍に捕まり、大王クセルクスの前に引き出された時の事です。

クセルクスは、男に対し、「私に跪け、さすれば、富も名誉も女も、何でも望むものを与えよう。」と言います。
男は、欲望に負け、クセルクスに跪き、テルモピレイの峡谷を迂回できる秘密の通路をクセルクスに話してしまうのです。
確かに合理的に考えれば、男の判断は間違いではありません。スパルタ兵300人は、いつかは力尽き死ぬ。負け戦に殉じて何になるのか?
どの道、ペルシアには勝てないのなら、いっそ降伏して、生き延びたほうがよい、生きてさえいれば、いつか出世するチャンスもある。
男は、ペルシア軍を先導し、スパルタ兵300人とレオニダスは、峡谷の入口と出口でペルシア軍に挟まれます。

そこで男は、レオニダスを説得します。
「クセルクス大王に跪け、大王は寛大だ、あんたの罪を許すと言っている、富も栄誉も思いのままだぞ。」

それに対し、レオニダスは答えます。
「お前は永遠に生きるがよい、、、」この瞬間男は、レオニダスと目を合わす事ができなくなります。
男は、悟ったのです。自分は、富と栄誉と女を引き換えに、誇りを売り払ったのだと、魂を譲り渡し、クセルクスの永遠の奴隷になったのだと、、、

レオニダスと300人のスパルタ兵が玉砕した後、ギリシャ都市国家連合は、ようやくペルシア帝国に対し宣戦を布告、サラミスの海戦においてペルシア帝国を撃破し、クセルクス大王はギリシア攻略を断念します。
結果として、レオニダスと300人のスパルタ兵の命を賭けた行動がギリシアの独立を守った訳です。

このサラミスの海戦を目撃したギリシア人にヘロドトスという青年がいました。
彼は、ギリシアが独立を守った、このペルシア戦争を後世に残すべく筆を執ります。
そして、神話の時代からサラミスの海戦までのギリシアの歩みをズバリ「歴史」という一冊の本に纏めます。
これこそが、現存する人類最古の歴史書です。
歴史は、自己の命をかえりみず、誇りを守る為に戦い、玉砕した人間のために編まれた一大記念碑であるということです。


現在の日本に、「歴史」に記すべきなにか偉大な事柄があるでしょうか?
すべて、富と栄誉と女、の話で戦後日本は満ち満ちているような気がします。
現代のクセルクス大王、胡錦濤に「我に跪け、さすれば望むもの、全てを与えん」そう言われて、魂を売り渡し、支那の永遠の奴隷になった日本人が余りにも多すぎます。


 

◆太平山さん

狼魔人さま

こんばんは。石原さん、今日の琉球新報に掲載された山崎行太郎さんの論考を読みましたよ。石原さんのコメントとも関連するので少し感想を述べましょうね。

その前に山崎行太郎さんについて驚いたことを話します。私は氏のブログ写真から年齢は35~45歳ではないかと推測していましたが1947年生と知ってびっくりしました。以前に小林よしのりさんをさんざん批判していましたから、「若造のくせに大先輩に向かって偉そうな口をきくなぁ~」と腹を立てていました。実際は氏が六歳も先輩だったのですね、イヤこれは氏に対して大変失礼でした、お詫びします(笑)。

氏の投稿のタイトルは「命懸けで蜂起する時」ですね。随分とまた仰々しいタイトルをつけたもんだと読みました。で読み終わった後、私は呵々笑い、大笑いしました。何故か、最後に氏が三島由紀夫の檄文を引用しているからです。

>今こそ、沖縄県民は、命懸けで立ち上がるべきである。最後に、三島由紀夫の「檄文」の言葉を引用しておく、「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか・・・」<

「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか・・・」したたかに笑いました。山崎さんも人が悪いと。沖縄県民が金科玉条とする県訓?は「命(ヌチ)ど宝」ですよ。三島の言葉は県民が最も忌み嫌う言葉ではないですか。

「命懸けで立ち上がるべきである」→「命懸けで暴動を起こすべきである」→「死んでも構わない沖縄のためならば」→「かへりみはせじ」→「軍靴の音が聞こえる」になりやしませんか?でも山崎さんの「命懸けで立ち上がるべきである」には賛成しますよ、県民をおおいに啓蒙して頂きたいと願っています。しかし一人の死者も出さずに基地を返してもらうなんてムシが良すぎます。戦後65年間反米基地闘争で何名の県民が米軍に射殺されたのでしょうか。

皆無です。0人です。基地に突入し米兵の水平射撃を受け、最低10人以上闘死しなければ基地は動かない、私はそう思っています。それができたなら私は県民をそれこそ誇りに思います。


 

◆石原昌光さん

狼魔人様、こんにちは
太平山様、いつも気迫のこもったコメント有難う御座います。
私は現代軍事学に疎いので、太平山様のコメントには勉強させてもらっています。

さて、山崎虫太郎ですが、彼は、今でこそ、よしりんを批判していますが、2000年頃に発売されたよしりんの著作「個と公論」では、よしりんの戦争論を肯定的に評価している識者として文中に出ていますよ。

彼が本格的によしりんに敵意(一方的な、、)を持ち出したのは、大江健三郎の沖縄ノートをよしりんがゴー宣誌上で批判しだした時からだと思います。
虫太郎は、大江健三郎を尊敬しているようで、、でも同時に三島由紀夫も尊敬しているらしいんですよね。
GHQ洗脳世代の申し子と自主防衛を主張し続けた先鋭的愛国者を同時に尊敬できるとは、、、

私は文学に詳しい訳ではないので、偉そうな事は言えませんが、虫太郎氏の脳の構造はどうなっているのか知りたいものです。
三島由紀夫は、大東亜戦争を評して、「武器も戦術も全て西洋の猿真似で見るべき点は無い、只一点、西洋を震撼せしめたのは、零戦を一振りの日本刀に見立てて敵艦に体当たりした神風特攻である。」というような事を書いています。
これは正鵠を得ていると思います。生還を期さず、命もろとも敵にブチアタル、特攻作戦こそ、日本古来の武士道の極みであり、西洋人は、どんなに上手く作ろうが西洋の模倣の延長に過ぎない零戦や戦艦大和等より特攻精神を恐れたのだと。

また、テルモピレイの戦いに戻りますが、あの物語は、西洋人で戦史を学ぶものなら必ず知っている話だそうです。
死んでも退却せず、水漬く屍、草蒸す屍になった、300万日本兵の奮闘を見たとき、マッカーサーや連合軍の将帥は、レオニダス王と300人のスパルタ兵を戦慄とともに思い出したのだと私は確信します。

だから、連合国は無条件降伏をしたドイツやイタリア相手には決してしなかった、国体の改造を日本に対してだけやった。
日本が怖かったからです。レオニダスとスパルタの兵士が、自分達に刃を向けているようで恐ろしかった。
戦後GHQが剣道を一時禁止した理由も、あの掛け声を米兵が極端に恐れた為らしいですし。

ですから、太平山様が指摘するように、沖縄県民が、「命どぅ宝」思想を捨てて、民族自決の大義の為に米兵に立ち向かって弾丸に倒れたら確かに、沖縄の米軍基地は残らず消えるでしょう。その時は私も反米闘争に加わりますよ。
ただ、自主防衛すら否定し、死ぬのが怖いという動物的本能すら克服できない連中に、そんな崇高な死は実現できませんが、、、

                                                   ◆

 

【追記】

話題の人物とは、この方⇒本日の「琉球新報」に拙稿『普天間問題・再考』が掲載されます。


 

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コメント

「事実無根」は事実の証、山岡氏が請求放棄 名誉棄損訴訟

2010-05-13 06:10:15 | 県知事選

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疑惑に対する政治家の「事実無根」という釈明ほど信用できないものは無い。

本当に事実無根なら法廷で潔白を証明するという手もあるが、大抵は自爆に終わるほうが多い。

最近では南の島の独裁市長が、「ブログ告発」を受けて「事実無根」を連発し、弁護士を三人も立てる大仰な記者会見を開いて、「名誉毀損で刑事告訴する」と公言しておきながら、結局をウヤムヤにしてしまったのは記憶に新しい。

記者会見がまんざらウソとも思えないので、告訴状を地検に提出したのは事実と思われるが、「提出」と「受理」は全く別のもので、受理された事実が無いということは「名誉毀損」が成立しないと地検が判断し,門前払いにしたのだろう。

ということは「ブログ告発」は「事実無根」でなかった、つまり真実であったということ、が、皮肉にも自らの刑事告訴で証明されたことになる。

マルチ疑惑でその名を知られた民主党の山岡国対委員長が秘書給与に関する「ユスリ・タカリ」疑惑を「事実無根」として名誉毀損で法廷に持ち込んだが、これもまた見事に自爆してしまった。

ペンギン市長とネズミ議員が揃って「名誉毀損」とはね。

山岡氏が請求放棄 週刊新潮名誉棄損訴訟が終結

2010.5.12 13:03
  「秘書給与の肩代わりを要求した」と報じた「週刊新潮」の記事で名誉を傷つけられたとして、民主党の山岡賢次国対委員長が発行元の新潮社などに計1千万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求めて東京地裁に提訴した訴訟で、山岡氏側が訴訟を打ち切る「請求放棄」を申し立て、訴訟が終結していたことが12日、分かった。申し立ては10日付。

 請求放棄は、原告自らが請求に理由がないことを意思表示する手続きで、民事訴訟法で規定されている。訴訟上の調書に記載された場合は、原告側の敗訴確定と同じ効力を持ち、再び同じ訴訟を起こすことはできない。

 問題となっていたのは、昨年発売された週刊新潮3月12日号の記事で、山岡氏が平成12年ごろ、地元の栃木県真岡市長選で初当選を目指していた福田武隼(たけとし)前市長に、福田氏の選挙応援をした山岡氏の秘書給与の肩代わりを求めた、などとする内容を掲載していた。

 これに対し、山岡氏側は「記事の内容はすべて事実無根で、名誉と社会的信用を著しく傷つけられた。(福田前市長への)対立候補を立てる方針の民主党に対する悪質な選挙妨害だ」と主張していた。

 山岡氏の弁護士は12日、「山岡議員は国対委員長という要の地位にあり、訴訟に対応すべき時間がなく裁判所に迷惑をかけるため、断腸の思いで訴訟を終結した」とのコメントを発表した。

                     ◇

以前から民主党はマルチの巣窟だといわれていたが小沢、鳩山両幹部の「政治とカネ」疑惑で、ネズミ疑惑、いや、マルチ疑惑は影が薄くなっていた。

天網恢恢疎にして漏らさず。

マルチ疑惑は何とか誤魔化したつもりだったが山岡氏の秘書給与にまつわる「ユスリ・タカリ疑惑」は、単なる疑惑ではなく事実として法廷のお墨付きを貰ったのだ。

これで山岡議員も、いよいよマルチ大王から「ユスリ・タカリ大王」に昇格?したことになる。

それにしても「訴訟放棄」の言い訳が「私は忙しい」には驚いた。

山岡氏にゆすられた福田氏は、「反論できないので一方的に訴訟を打ち切ったのではないか。追及されることが嫌で提訴していたのだとしたら、見識を疑う」と話した。(読売新聞)

この人物、忙しかったら名誉もクソも無いのだろうか。

そもそもマルチ議員に名誉があるというのも可笑しな話なのだが。

「私は忙しいから」と民主・山岡国対委員長 週刊新潮訴訟放棄
2010.5.12 12:34

ここらで「民主党のネズミ汚染」から抜粋して、民主党のネズミ議員、いや、マルチ議員の「悪事」の数々をおさらいしてみよう。

石井・民主副代表、マルチ業界側から献金450万円2008年10月18日

 民主党副代表の石井一参院議員(比例)が03年10月にマルチ商法業界の政治連盟など業界側から計450万円にのぼる献金を受けていたことがわかった。同連盟ホームページによると、石井議員は直前の同年9月に連盟支援の議員連盟を立ち上げて初代名誉会長に就任。業界と政界とを初めて本格的に結びつける立場だった。

                                                ◇

業界と政界とを初めて本格的に結びつける立場だった。

なるほど、一番の悪は石井ネズミだったわけだ。

もともとマルチは「アメリカ版ネズミ講」といわれアメリカ生まれのアメリカネズミ。

留学経験者の石井氏は、アメリカで留学中にアメリカネズミにかじられていたのだろうか。

2008/10/16    

   民主党の前田雄吉衆院議員(48)が、マルチ商法業界から講演料や献金を受け取っていた問題で、民主党離党を正式表明した。前田議員が事務局長を務めていた「マルチ商法支援」の議員連盟には、民主党の石井一副代表山岡賢次国会対策委員長らも参加したことがある。複数の議員がマルチ商法業界の政治団体から資金提供を受けていたことが明らかになり、民主党とマルチ商法業界との「親密な関係」が取りざたされている。

石井、山岡議員への政治資金提供が確認される

マルチ商法業界の政治団体HPでコメントする山岡民主党国対委員長
マルチ商法業界の政治団体HPでコメントする山岡民主党国対委員長

   マルチ商法業界の政治団体は現在の「ネットワークビジネス推進連盟(NPU)」で、同連盟の事務局長を務めていた前田雄吉衆院議員はマルチ商法業者から2004年~07年にかけて講演料210万円を受け取っていた。「国民の生活第一」を掲げる民主党としては、マルチ商法業界とのつながりはイメージ悪化につながりかねないが、民主党と同連盟のつながりはどうやら深そうだ。同連盟は05~07年にかけて民主党のパーティー券を計170万円分購入していたことがこれまでに明らかになっており、前田議員の関連政治団体のほか、石井議員や山岡議員への政治資金提供が確認されている。(略)

 

 ⇒やはり民主はマルチの巣!増子議員がマルチの監査役! 

                     ◇ 

【付録】 県民に是非読んで欲しいので、コメント欄から転載します。

今日のエントリーは本文より付録の方が充実していますよ。

                  

沖縄を憂える(1)

―ある商社マンの憂国―

私は考えてみましたが、沖縄或いは沖縄関連の人々がなぜそれほど米軍の基地に反対するのだろうか、本土にも厚木、岩国、三沢と米軍の基地があります。

海軍艦艇の基地は横須賀、佐世保など、本土にも米軍の基地は沢山あります。だが沖縄ほどの反対運動が起きたという報道に接したことがありません。本土では共存できるが沖縄では共存できないのはなぜでしょうか、単に土地の広さの問題でしょうか、私は沖縄が玉砕を含む最終決戦場になった事に大いに関係がありそうだと感じます。沖縄の人にとっては米軍こそ憎むべき虐殺と恐ろしき破壊の象徴に思えるのでしょう。

それが基地反対の根本にあるのなら、米軍は悪魔だが中国はまだ攻められたことがない少し離れた存在であり、日本人特有の日中戦争の贖罪意識が沖縄タイムスを親中にし反米にする理由ではないでしょうか。

沖縄の人々にわかってほしいのは、まず沖縄が本土復帰できたのはアメリカというリベラルな国家だから、戦争が済めば憎しみを引きずるべきではない、ブッシュ大統領の父親が昭和天皇崩御のおりに、一番に「自分が行かなければならない、自分が行かなくて一体誰が行くんだ」と発言し、それを契機に欧米の諸国が雪崩を打って葬儀に参加をしたと記憶しております。

ブッシュ大統領の父、はハワイで講演し、真珠湾は歴史だ、戦争は終わっているのだ、と日本擁護の発言をしております。そのアメリカ人の考え方から、本来は日本に帰ってこないのが普通である戦時占領地域を佐藤首相のときに、条件はついておりましたが、日本へ返還をしたのです。

沖縄の人々は戦争の恨みと同時にアメリカが戦後日本にしてくれたこと、経済やさまざまなこと、まず第一に沖縄を日本に返還してくれたことをどう考えているのでしょうか、当然であるとでも考えているのでしょうか。

大きな勘違いがここにあります、戦勝国が戦時取得した領土は返還する必要は無いのです。現在のロシアはアメリカのようなリベラルな国でもなく、日本を足場にして共産主義者と向かい合うという必要も無いのです。ロシアにしたら、北方領土の返還はアメリカとの比較で世界がロシアを非民主的な国家だと見ることのみを気にかけているようです。

アメリカが沖縄を日本に返したことと、世界で比べられるのが嫌なのです。だから時に触れて北方領土の解決を口にするのです。返す理由などないというのが本心であることは間違いありませんが、加えてこれからの世界を米中で牛耳られたらたまりません。だから時折北方領土の花火をあげ、ロシアもアメリカ並の民主国であると世界に広報しているだけです。

 

―ある商社マンの憂国―

横道にそれましたが、沖縄の人々はにくい敵国、恐ろしい敵国アメリカが、今度は日本を守っているという事に気がついていないのです。大きな理由のひとつが、中国の想像以上の発展と台頭です。中国はいずれ台湾を飲み込むでしょう、その時にアメリカと日本が合同して線を引けば煩わしいことになります。中国の台湾は香港と並んで中国人の負の歴史の清算です。

英国に代表される列強にいいように国土を蹂躙された中国がまず香港を取り戻し、次は急速な経済の発展に伴う大軍事大国になったいま、次に行うべきことは台湾、つまり日本によって分断された国土の統一です。

中国にとっての台湾問題は、日本の存在を忘れるわけにはいかないのです、日清戦争による割譲、その後の日中戦争による満州、南京、重慶、そして台湾に付属していると中国が考えている尖閣以下の日本の島々、これを一気に清算をしようとするのが中国の軍事拡大の最終段階です。

ただ台湾はどういうわけか、日本が敗戦したあと、アメリカが後押しを始め、シーレーンの問題もあり、中国の思惑に反して台湾は対米問題になってしまいました。中国にとっては一番向き合いたくない世界の強国です、だからまず台湾に付属する、元来が中国領土であったと彼らが考える尖閣、から沖縄に連なる島々をまず最初に奪還する事でアメリカをけん制しようという作戦のようです。

つまり、香港島はもともと英国の領土であり、中国からの租借ではありませんでしたが、九竜半島は99年の租借期限がついており、ここに水源と香港島の食料の元があります、だから英国は九竜を失えば香港島は成り立たないので、1997年に両方を中国に返還したのです。

同じように、台湾を干上がらせるためには、日本から連なる八重山、石垣、宮古、その王手をかける材料が尖閣というあいまいな場所です。ここを一気に落とすことは現在の中国の力なら可能である、ただアメリカの動向に注意、この図上演習を中国は毎日研究しているのです。

(つづく)

結論として、沖縄の米軍基地がグアムなりテニアンに後退すれば、アメリカが尖閣を含む島々の防衛にまでは手を出さないだろう。日本本土九州にだけ手を出さなければ、沖縄以南の島々と沖縄は中国に落ちる。ならば九竜半島の理屈でシーレーンが封鎖されれば台湾も落ちる、ここを慎重に慎重に中国は研究し、原潜の通れる海路の深度も既に調査済みです、後はいつやるかです。

沖縄の人々はそれに気がついていません、中国の雑誌を見ますと、日本の島々を手に入れた後はきわめて自由な統治をするつもりだと、既にそこまで中国の研究は進んでいます。中国領土であるが、日本人の住居権は永久に認める、ただ警察と軍は中国が駐留する。

言語は、公用語として中国語(北京語)と日本語、そして英語、を認める、中国人の往来は現在の香港のように一定の制限を設ける。日本人の日本本土への出国には中国入管の許可制とする、また中国本への日本人の往来は香港と同様なきわめて緩やかな制限とする。

などなど、こんな事まで沖縄の人々や鳩山の馬鹿は知らないでしょう、だがアメリカは既に知っていますよ、同意はしていませんけど。

―ある商社マンの憂国よりー

*狼魔人さま、昨日のエントリーで投稿しよう と思いましたが、琉球新報にもこの現実を知らせたく(蛙の面にションベンですが)ここで投稿します。多くの県民に是非読んで頂きたいと願っています。私のコメントはまた後程に、今日は母の日ゆえ。琉球新報社に関しては同様な思いを持っています。

それでは。

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コメント (1)

中国調査船の正体

2010-05-12 07:02:42 | 普天間移設

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「沖縄の海兵隊に抑止力はない!」

このような沖縄紙の大キャンペーンの結果、沖縄県民が「米軍基地出て行け」と島ぐるみで拳を突き上げたら、

一体誰が一番喜ぶか。

勿論、中国だ。

日本列島に連なる南西諸島により太平洋への出口を封鎖された中国海軍は、これで堂々と太平洋へのシーレーンを確保したことになる。

仮想敵国を持たない軍隊は戦意を持たない張子の虎のようなもの。

我が国の仮想敵国は言うまでも無く中国だ。

さらに北朝鮮、韓国、ロシアと続く。

不思議なことに、海兵隊不要論者の中には仮想敵国の想定を拒否するものが多い。

軍事評論家の田岡某氏などがその典型だが、テレビ芸者の森永卓郎氏なども中国が仮想敵国なんてとんでもない口ぶりである。

アメリカは、相手が友好国といえども、敵国となった場合を想定して国防計画を立てているといわれている。

日米戦争のオレンジ計画は、日米関係が悪化する以前の1920年代から1930年代に立案された、将来の日本との戦争を想定したアメリカ海軍の戦争計画であり、勿論仮想敵国は日本であった。

オレンジ計画とは、アメリカのカラーコード戦争計画のひとつであり、交戦の可能性のある全ての国、例えばイギリスまでも仮想敵国として計画されたもので、日本だけを特別に仮想敵国にしていたわけではない。

日本もアメリカとの戦争を想定して軍艦を建造を急いだが、実際の戦争は戦術が変わり、航空機中心の機動部隊が活躍する戦いになったため、結局想定を誤って惨敗することになる。

先月来頻発している中国艦船の挑発行為に対し、外務省が珍しく抗議したが、逆に「慣れろ」と逆切れされる有様。

特に首相が沖縄を訪問する直前の「中国調査船」の不当行為は、マスコミが中国艦船の実態を隠して「中国調査船」と報道したが、その正体は「調査船ではなく、海監総隊の船」だったという。

では、聞きなれぬ中国の「海監総隊の船」とは一体何なのか。

日本のマスコミの気遣いを尻目に、中国側から「調査船ではなく海監総隊の船」と反論してきたのだが、これを報じた日本の大手マスコミは、筆者の知る限り、読売一紙だけであった。

日本のマスコミは産経を含めて、中国には特別気を使う国営放送も、この通り。⇒NHKニュースも「中国の調査船」

中国、海保調査船追跡は「自国海域の巡視」
 【北京=大木聖馬】日本の排他的経済水域(EEZ)内で海洋調査をしていた海上保安庁測量船が、中国政府船舶の妨害行為を受け、調査を中断したことについて、中国国家海洋局の実動部隊・海監総隊の当局者は、「我が国の主張、管轄する海域で巡視任務を行った」と述べ、中国船に違法行為はないとの認識を示した
 中国の国際問題専門紙「環球時報」(電子版)が6日伝えた。
 この当局者は、追跡した中国船について、「海洋調査船ではなく海監総隊の船」と明らかにしたうえで、「海監総隊の船は我が国の全海域の権利を守り、巡視する機能を持つ」と述べ、「追跡との言い方は成立しない」と述べた。(2010年5月6日23時57分  読売新聞)

                        ◇

では、中国が呼称にこだわる海監総隊の船」という中国艦船の正体は何者か。

サーチナニュースが謎の中国艦船の正体を明らかにしている。

本が測量船追跡で中国に抗議も、中国は「合法的」と反論

2010・05・07 

Y!


  日本の共同通信社が6日に伝えたところよると、日本の岡田克己外相は6日夕方、在日本中国大使館の程永華大使を外務省に呼び、中国の海洋調査船が東シナ海の日中中間線付近で日本の海上保安庁の測量船を追跡した問題について、「我が国の主権を侵害するものだ」と抗議した。

  さら、に中国の海洋調査船の活動は妨害行為だと指摘、追跡された測量船が海底調査作業を一時中止したことについては「断じて受け入れらない」と述べた。チャイナネットが報じた。

  これに対して程永華大使は、「海洋調査船の活動は全く正当で合法的だ」と中国側の立場をはっきりと説明。外交部の姜瑜報道官も5日、「東シナ海と尖閣諸島(中国名:釣魚島)問題における中国側の立場は一貫しており明確だ。中国の海洋監視船が関連の海域で法を執行する活動を行うのは全く正当で合法的であり、中国側はすでに日本側の測量船の活動について日本に交渉を申し入れた」と語った。

  中国海洋監視総隊の関係責任者は電話取材に対して、「中国の海洋調査船が日本の測量船を追跡した」との指摘はまったく不当で、日本のメディアが報道した中国海洋調査船は、実際は法律を執行する中国海洋監視隊の公務船舶「海監51」であり、国の関係部門が与えた職責に基づいて、中国海洋監視総隊は中国の全海域で権利維持、巡航、法律執行などの役割を担い、「海洋監視51号」は中国の管轄海域で巡航と法律執行の任務を実施しただけのことだと述べた。

  また、中国は「日本側がいう「中間線」は日本が一方的に定めたもので、中国側はまったく認めていない。この点について中国側の立場は非常に明確であり、外交部も何度も関連の声明を出している」としている。(編集担当:米原裕子)

                        ◇

さらに、サーニュースの報道を裏付けるような「太平山情報」を下記に引用します。

例によって引用文中の強調部分は引用者の独断です。

―追い払われた日本海保測量船(海賊船?)―

>5月6日に日本の共同新聞社が報道したことに関連して、日本の外相岡田克也氏が中国駐日大使程永華を外務省に呼び、中国の海洋調査船が東海の中日中間線付近で日本の海保の測量船を追跡したことに関して抗議を行なったようだ。

この一事は、わが国(中国)の主権と権利を侵害する行為であり、逆に中国政府は強烈な抗議を日本政府に提出した。

岡田外相は同時に「中国の艦艇の行動は妨害行為である」と述べた。さらに日本の測量船が中国の海保の追跡を受けたために一度海底の調査作業を中止のやむなきに至ったことは、日本側は絶対に受け入れることの出来ないことだと述べたようだ。

駐日大使の程永華は中国の原則的な立場を繰り返し説明した。つまり中国の艦艇の行動は完全に正当であり合法である。中国外交部の姜瑜は5日、この件に関連して中国の立場をさらに明確に日本に伝えた。

「中国は東海の尖閣諸島の問題ではその立場は一貫して明確である。中国の監視船が尖閣海域で任務を遂行しているのは、合法であり、逆に日本側がこの海域で調査を行なうことの不正当性を日本側に連絡をした」

これに先立ち、中国の海保の責任者が日本の報道会社からの電話での問い合わせを受け、このように説明している。「
中国の海洋調査船が日本の測量船を追跡したという言い方は完全に不成立だ、日本の報道では中国の海洋調査船と述べているが、実際にはこれはわが国の海賊取締りの警察船であり、国家の関連法規の権限付与により、海賊取締りの為に中国の全海域をパトロールしているのであり、この尖閣海域はわが国が管轄すべきパトロール海域である事は論を待たない。」

日本側の言う、
いわゆる中間線とは実際には日本が勝手に規定しそう呼んでいるものであり実効性はない、中国のこの中間線に関する立場は明確かつ不変である、中国の外交部は何度も同じ声明を発表している。

今後とも、日本側の尖閣海域への侵犯に対しては厳然とした対応を取るつもりであり、警察船、及び中国海軍が毅然としてこれを防衛する決意である。<


*現在、この件では産経新聞と共同通信社が報道しているようですが、産経新聞でも今朝のNHK日曜討論でも中国の警察船を中国の海洋調査船としています。これに関しては中国の報道が正しいでしょう。「
中国国家権力の警察船が日本の国家権力である巡視船を追い払った」とまるで日本の巡視船を海賊船並に扱った得々とした論調です。

引き返しを命じたのはおそらく官邸だと推察しますが、中国の報道を見ても判るとおりこれは大きな日本のミスであります。この件について私の同期の海保職員に聞いても何も語りません。
それにしても解せないのは中国の警察船をなぜ海洋調査船としたか、海洋調査船如きに日本の巡視船が追い払われる、それこそ日本の末代の恥であると私は思うのですが。この事に関しては責任者を国会で追及しないことには後々大きな禍根を残します。もうすでに残していますが。



―ある商社マンの解説―

以上が今日の新しいニュースですが、見て解るとおり、
中国の見る領海とは中国大陸から伸びる大陸棚の延長を意味し、日本側のいう、日本と中国の中間は全く意味がないとしています。つまり、尖閣諸島はもちろん、東海のガス田の場所、及び沖縄のそばまで伸びる中国の大陸棚こそ中国の領海であるという理論であります。

今後、問題がこじれれば、中国は領海法という彼らの国内法に基づき、尖閣、宮古、石垣、八重山、そしてかって琉球王国として独立していた沖縄は日本に占領をされたが、実際には過去、沖縄は中国への朝貢国であり、その所属は日本よりもむしろ中国にあると世界に主張するでしょう。

中国が尖閣をはじめ、多くの問題をなぜ今頃になって言い出したか、それは中国国内の乱れが主な原因でありますが、日清戦争で奪われた台湾をはじめ、沖縄以南の島々は改めて中国が合法的に奪還をする時期に来ていると考えていることによります。

特に象徴的な尖閣諸島は、「歴史に疎い米国の粗忽による日本への返還であり、沖縄とも全く関係の無い施政権の及ばない海域である事は言うまでも無い」と尖閣諸島の領有は当然の権利だとしています。

日中戦争で大きな侵略を受けた中国は国内整備に大きな時間を取られ、戦争の主導者たる米国が一時的に日本の侵略地域を整理しただけであり、米国に尖閣や沖縄をやり取りする権利は存在しない。

中国はあくまで平和裏に東海の領海権と連なる島々、及び日本により奪われた台湾の本土復帰を今後の大目標に掲げている、その為の海軍の増強は中国の主権を守る第一歩に過ぎない。<

以上のようなニュースが今日の最新情報です、日本は日米同盟、日豪同盟、日英などもう一度日本は列強との関係構築をはかり、強化し、自らの国軍を、英国級の攻撃力のある陸海空、国軍とする努力が急がれます。だがぼけた日本人には難しいでしょうね多分。

鳩山も馬鹿ですが、ここまでの弱体化を放っておいた過去の自民党政治の責任は非常に大きいものであると思います、何の
ためにあれだけの人が祖国の為に命を投げ出したのか、日本人は本当に腐ってしまったと思っております。

                      

中国が「調査船ではなく海監総隊の船(海洋監視船)である」、と呼称にこだわる理由は簡単に説明がつく。 確信犯的領海侵犯の示威行為!

「中国側の調査船と日本側の測量船」のトラブルでは、単純な偶発事件として認知されるところだが、国家権力を背負った「中国海洋監視船」が日本の海上保安庁の測量船を追い払ったと世界に認識されれば、日本側が違法行為をしていたということになる。 これをくり返していけば、日中中間船線は日本側に押しやられ、その分だけ中国艦船が我が物顔に日本の海域を跋扈することになる。

今回の中国艦船の不当行為は領海侵犯の確信犯的行為であり、これに後ろを見せた海保の態度は将来に大きな禍根を残す。

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コメント (4)

無知な総理大臣へ、海兵隊講座

2010-05-11 14:18:08 | 金武町流弾事件

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TBしてくださったいざ酔い日記さんの記事を参考資料として、そっくり引用させていただきました。

                         ◆

◆引用開始                   

 

 無知な総理大臣へ

 

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

米大統領との会談内容説明=首相
 鳩山由紀夫首相は7日、鹿児島県徳之島の3町長との会談で、
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題に関する
先月のオバマ米大統領との会談で
「日米同盟に資するためにも、沖縄の過重な負担を全国で分かち合うことが大事だ。大統領としても協力願いたい」
と要請したことを明らかにした。 (2010/05/07-15:29)
jijiドットコム


↑↑↑↑↑
本当に言ったのであれば、
鳩山は軍事がまったく分からない総理大臣だということが
この段階でアメリカは分かったはずだ。
(いや、もっと前に分かってはいたと思うが)

↓↓↓↓↓以下はmixi「本当の潜水艦のコミュ」より
(管理人さんは、元海自潜水艦艦長)



普天間の問題が注目を浴びています。
しかし、基本的な知識、海兵隊の事情を知らずに国外、県外という議論が一人歩きしているようです。
アメリカ側が県外を呑まない理由は、政治的な理由ではなく軍事的な理由です。
メンバーが普天間問題を理解する一助になると思い、海兵隊について、基本事項を紹介します。

特徴は
①規模は師団、旅団、大隊基幹の3タイプがある。
②どれも陸上部隊、航空部隊、支援部隊の3要素
陸上部隊と航空、支援部隊が密接に協同するため、部隊を地理的に分離できない、ことがキモです。

具体的な編成は次のとおり

Marine Expeditionary Force: MEF海兵遠征軍
最も規模が大きい、現役のMEFは大西洋と太平洋(沖縄)に2個しかない
沖縄にある3MEFの意義は、地球の半分の危機に対処するということである。
MEFの場合兵力約5万名
1 海兵師団
  地上戦闘を実施する中核部隊、沖縄の第3海兵師団(歩兵のほか戦車70野砲90など)
2 海兵航空団
  地上部隊の支援をする航空部隊
   対地攻撃をするハリアー40やホーネット48(岩国の第12海兵航空群)
   輸送任務のヘリコプター約130と攻撃ヘリ約24(普天間の第36海兵航空群)
3 海兵兵站群
  戦闘部隊に燃料弾薬食料などを補給する部隊

Marine Expeditionary Brigade: MEG
基本編成はMEFと同じだが、1サイズ小さくなる
兵力約16000名
1 海兵旅団(歩兵のほか戦車17 野砲24など)
2 航空部隊(ハリアー10 ホーネット24 ヘリ約100)
3 兵站部隊

Marine Expeditionary Unit: MEU
更に小さくなる 総兵力約2000名
1 海兵大隊(歩兵のほか戦車5、野砲8など)
2 航空部隊(ヘリ約20機)
3 兵站部隊

いずれも、地上部隊と航空、兵站部隊が必要なことを理解してください。
地上部隊(いわゆる海兵隊)とそれを支援する航空部隊は、密接です。特に、足となるヘリ部隊は近くに存在する必要があります。
(米側は65浬:120kmを限度としている)
地上部隊と普天間のヘリ部隊の関係は客とバス、といったところでしょうか。
あるいは、自家用車と持ち主。
バス停や駐車場が遠くにあったらこまるでしょう。
それが、普天間問題の軍事的側面です。


「全国で分かち合う」ことなど無理な話だ。
また、落合とか森永とか鳥越の様な無知な人が
スゴイことを言っているらしいが、一部の保守の間でも
「それなら小沢の地元に海兵隊を行かせろ」とか
「鳩山の選挙区にヘリポートを作れ」などと、
皮肉としても無茶苦茶なコメントと思われる書き込みを見た。
やっと勉強したらしい鳩山が今言うべきことは
沖縄の地理的な重要性と海兵隊を切り離すのは不可能だ、
ということではないのか。

◆引用終了               ◆

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コメント (7)

続・沖縄に海兵隊は不要!軍事オタクの高等詐術?

2010-05-11 11:46:10 | 普天間移設

 

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■ペリー提督も沖縄の戦略的価値を認めていた

那覇の国道58号を北上し泊高橋交差点を左折して海側に向かいしばらく進むと、左手に慶良間諸島への発着港である泊港北岸待合所がある。 道路を挟んだ右側に外人墓地があるが、その一角に墓標にしては一際大きな記念碑が目に付く。

碑にはこう刻まれている。

「一八五三年六月六日ペルリ提督上陸之地

1853年、ペリー提督が浦賀に来訪した際、その主要な目的は、燃料補給のためと教科書では習った?が、実際は米国の中国侵略の足がかりとなる中継点を確立することにあった。

日本への 航海に先立ち、ペリー艦隊は、燃料の補給点を確保するために沖縄に数回寄港している。

結果的にペリーは大砲で恫喝し日本の開港に成功するのだが、仮に日本が開国を 拒否した場合に、米国は当時琉球王国であった沖縄を日本の代替港として確保することを狙いとしていた。

アメリカはペリー提督の浦賀来訪時から、沖縄の戦略的優位性を認識していた。

モンロー主義のため東アジア進出に遅れを取ったアメリカが南北戦( 1861年 - 1865年)でさらに遅れを取り、中国分割を行うヨーロッパ列強に対し、門戸開放と機会均等を提唱したのは明治維新に約20年遅れの1899のことである。
 
第二次大戦における、沖縄の戦略的意義がいかに大きいかは、日米両軍が壮絶な地上戦を行った沖縄戦、そして戦後の米軍基地の集中をみれば一目瞭然である。

沖縄タイムスが「海兵隊不要論」を展開するのには先ず、沖縄の戦略的価値の否定に始まる。

それは同時に沖縄宿命論の否定でもある。

何故なら沖縄タイムスは沖縄に基地が集中する理由は沖縄の地政学的有利性に基づくものではなく、沖縄差別に基づくと主張しているからである。

それには「沖縄が悲惨な戦争被害を受けたのは、宿命的に現在の場所に存在したからであり、そのため北上する米軍の攻撃を真っ先に受けたのであって、何も日本が「捨石」にするためわざわざ沖縄を現在の位置に他から移動させ、日本防衛の盾にしたわけではない」という論を、否定せねばならない。

その結果として次の論も否定せねばならない。

「“唯一の地上戦”を経験した沖縄戦で日本軍が敗北したわけだから、被占領地の沖縄に米軍基地が多いのは仕方が無い」という論。

かくして沖縄タイムスのなりふりかまわぬ「海兵隊否定論」が強引な形で展開されるのである。

 

手元に沖縄タイムスの屋良朝博記者が書いた『地理的優位性はもう通用しない』と題する米軍基地に関する小論がある。

そこで屋良記者は、お得意の「米軍基地の75%が沖縄に集中」説を披露し、沖縄の地理的優位性についてこう述べている。

米国にとって差し迫った脅威は、冷戦時の固定した敵対関係から、対象を特定することすら難しい国際テロリストに変った。 すると「地理」を理由に在日米軍施設の65%を沖縄に押し付ける論理が行き詰る。
そもそも「地理的優位性論」は説得力が弱い。 沖縄で最大の基地ユーザーである海兵隊は岐阜県と山梨県に駐留していた事実はあまり語られない。》

そして、返す刀で保守系有名ジャーナリストの日高義樹氏の著書を次のように切りつけてみせる。 

日高氏は「勘違い」していると。

《■イルージョン

著書で、沖縄の米軍基地について良く見かける記述がある。
「アメリカ海兵隊が第二次世界大戦中、最も効果的に使われ、勇敢にだったのは太平洋における戦闘である。 南太平洋の島々の日本軍と戦闘を繰り返し、1945年6月6日、沖縄を防衛していた日本軍を破ったあと、沖縄に広大な基地をつくり、以来、アメリカ本土並みの駐留体勢を取り続けている」(日高義樹著「日本人が知らないアメリカひとり勝ち戦略」、162頁 PHP研究所) 
おそらく著者は海兵隊が沖縄を占領し、現在に続く基地建設の主役を演じてきた、と認識しているのではなかろうか
典型的な勘違いだが、日米両政府にとっては好都合だ。 基地集中の合理的な説明を免責されるからだ。

「“唯一の地上戦”を経験した沖縄戦で日本軍が敗北したわけだから、米軍に占領された沖縄に米軍基地が多いのは仕方が無い」という論に反論するため、

屋良記者は日高氏の著書をわざわざ引用し『勘違い』だとして切って見せているが、屋良記者ほどの軍事オタクが沖縄戦での米海兵隊の活躍を知らぬはずは無い。

これは知らぬ振りをして意識的に日高氏の著書を誤読し、読者をミスリードする沖縄タイムス独特の高等戦術と見るが、穿ち過ぎだろうか。

屋良記者の論考には、「おそらく」等の文言を使って自身の憶測を述べ、結局それで重要部分を結論付けをするのが、特に目につく。

屋良記者が本当に無知なのか、或いは無知な振りをする高等戦術を使ったかはさておいて、太平山さんが見事に反論してくださっているので以下に引用する。

 狼魔人さま

>沖縄タイムスの軍事オタク・屋良
朝博記者を投入して反論しているようだが・・さらに彼は「沖縄海兵隊不要論」の根拠として次の事実を挙げている。

(1)沖縄の海兵隊は沖縄戦時には沖縄には存在しなかった<

上記に関して、屋良朝博記者は本当に軍事オタクなのでしょうか?私は「沖縄の海兵隊は沖縄戦時には沖縄には存在しなかった」を聞いて、ハァ~ッと開いた口が塞がらず、このドアホが!とステッキで脳天を一撃したい衝動にかられましたよ。

地元沖縄出身でしかも新聞記者をやっていて、今まで沖縄戦の何を学んできたのでしょうか、屋良朝博記者は。

米海兵団に配属され、太平洋戦争に従軍した戦史家ビーニス・フランクが著した「Okinawa」ではこう記されています。

>・・沖縄は、位置からいって戦略的に重要な場所である。連合軍にしても、日本軍にしても、作戦を考えるとき、かならず、この沖縄の位置が基本になっていた。(略)

統合参謀本部は”氷山“作戦のために、史上最大の海軍兵力を集中した。(略)この島が占領されるまでに、合計54万8000人の陸軍、海軍、海兵隊員、318隻の戦闘艦艇と、人員揚陸用の舟艇をのぞいた補助艦船1139隻が使用されたのである。<

ちなみに、1945年4月1日に読谷海岸に上陸した海兵団は第10軍バックナー中将麾下の第3海兵軍団(ガイガー少将)指揮下の第6海兵師団、第1海兵師団である。上陸開始後1時間内で海兵隊を含む1万6000人以上の戦闘部隊が上陸したと記されている。

太平洋の島々での戦いはアメリカ海兵隊と帝国陸軍の戦闘であると言っても過言ではなく、ガダルカナル、マキン・タラワ、ペリリュウ・アンガウル、硫黄島の戦いは特に有名である。軍事オタクでなくともそれは常識であるからして屋良朝博記者がそれを知らないはずがない。

知っていて嘘をついたか?ついでだが10~13年ほど前だったか、慰霊の日の教材に使用された沖大か沖縄国際大か知らないが、沖縄戦に詳しい有名なA教授の沖縄戦記述に関して、戦艦大和は潜水艦攻撃により撃沈されたとあった。沖縄の反戦教授の軍事知識レベルが知れるというものである。


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海兵隊に抑止力はない!沖縄紙の大キャンペーン、

2010-05-10 08:43:02 | 普天間移設

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普天間県内移設の必要性否定 沖大大学院講座で本紙記者ら
  2010年5月9日 09時50分     

 米軍普天間飛行場の移設問題をテーマに、沖縄大学大学院講座が8日、同大学で開かれた。

 佐藤学沖縄国際大教授は「在沖海兵隊は戦略的な意味を持たないが、米軍再編は軍事的必要性からではなく、海兵隊の生き残り、組織防衛の側面から進められている」と指摘。「全国メディアは現状維持を望む官僚の影響を強く受けている。知日派とされる一部の米国関係者の声ばかり取り上げ日米関係の危機とあおっているが、今こそ冷静な議論が必要だ」と呼び掛けた。

 沖縄タイムス社の屋良朝博論説兼編集委員は同飛行場の兵力や、グアムやフィリピンなどをローテーション移動する海兵隊の訓練形態を説明。「紛争の際、先行的に攻撃を行うのは空軍。しかも数万人規模の兵力投入が必要だ。普天間のヘリで移動できるのは最大でも700人程度で抑止力にはなり得ず、沖縄に基地を置く必要もない」と報告。同中部支社の渡辺豪編集部長は「子どもや孫の代まで影響を受ける。アメリカと約束したからといって鳩山由紀夫首相は5月末の結論にこだわる必要はない。国民の無関心と振興策という、びほう策で沖縄に基地を押し込めることを繰り返させてはいけない」と訴えた。

 同講座は地域主権と自治の在り方を考えようと県内の大学教授や自治体職員、議員らが参加している。

                                                    ◇

鳩山首相が、海兵隊の抑止力について己の無知をバカ正直に国民の前に曝け出して以来、沖縄紙が動揺し始めた。  

念のためこの歴史的迷言を改めて記しておく。

【(昨年「最低でも県外」と発言した際)私は、海兵隊が必ずしも抑止力として沖縄に存在しなければならない理由にはならないと思っていた。ただ、学ぶにつけ、沖縄に存在する米軍全体の中で海兵隊は抑止力が維持できるという思いに至った。(認識が)浅かったと言われればその通りかもしれない。(仲井真知事に対して)】

沖縄紙が動揺する理由は、これまで首相が「沖縄の思いを重く受け止める」とか、「最低でも県外」ともっともらしく発言していたことすべてが首相の無知が生み出した幻想であるということになるからだ。

いくら無知で現実離れしているとは言え、いやしくも一国の首相が「沖縄の海兵隊には抑止力がある」と認めたのだ。 これまで「海兵隊の抑止力は幻想」(沖縄タイムス)というキャンペーンで県民を扇動してきた沖縄紙が動揺しないはずはない。

このまま首相発言を拱手傍観していたら、これまでの「海兵隊不要論」が一気に崩壊してしまう。

首相発言に対する沖縄紙の反撃キャンペーンの一環が上記記事の講演会だ。

沖縄タイムスの軍事オタク・屋良朝博記者を投入して反論しているようだが、記事の紛争の際、先行的に攻撃を行うのは空軍。しかも数万人規模の兵力投入が必要だ。普天間のヘリで移動できるのは最大でも700人程度で抑止力にはなり得ず、沖縄に基地を置く必要もない」を読んだだけで良く理解が出来ない。

つまり700人の海兵隊の移動では抑止力にならないのなら、何人の移動なら抑止力になるのかの説明はない。

屋良記者はこれまでの講演会では「抑止力にならない700人の海兵隊」の根拠をこう説明している。

普天間基地にはCH-46中型ヘリが23機あります。CH-46は乗組員が3人で、輸送できる兵員は25人です。掛け算をすると輸送人員は575人です。CH-53大型ヘリは4機しかありません。乗組員は2人で、輸送できる兵員は37人、総員は148人です。この2つの機種を合わせて、700人程度です。」

ところが、記事には出ていないが、実際は「700人+1100人」の海兵隊が移動できると説明し、「2000人弱の輸送能力しかない普天間基地をどうするのかで、14年間も議論をしている」として今度は約3倍の輸送力があっても、やはり抑止力はないと主張しているのである。

その根拠を次のように説明しているが、こうなると軍事オタクの自慢話のようなもので、数字を挙げて煙に巻いているだけで、海兵隊不要論の説明にはなっていない。

また米軍再編では岩国基地に移転することになる、KC-130空中給油機が12機あります。この機は兵員も輸送することができて92人です。掛け算すると1100人です。ヘリと飛行機を合わせて約1800人ですね。普天間基地の兵員輸送能力は2000人弱なのです。その2000人弱の輸送能力しかない普天間基地をどうするのかで、14年間も議論をしているのです。この他にも攻撃ヘリや連絡ヘリ、セスナ機がありますが、これらは輸送能力には関係ありません。
 海兵隊は名前の通り、海の兵隊です。船に乗って移動します。》

挙句の果てには、「海兵隊は名前の通り、海の兵隊です。船に乗って移動します。」と、まるで海兵隊は空の移動はしてはいけないような説明で、海兵隊不要論の結論付けをしているが、海兵隊の創立当時はともかく、台湾有事をにらむ沖縄の海兵隊が有事に駆けつけるのには「船に乗って」よりも機動性のある「ヘリに乗って」のほうが有利に決まっている。 勿論その時は制空権(領空権)確保のため空軍(嘉手納基地)と連係するのは言うまでもない。

さらに彼は「沖縄海兵隊不要論」の根拠として次の「事実」を挙げている。

(1)沖縄の海兵隊は沖縄戦時には沖縄には存在しなかった

(2)元々在日海兵隊は山梨県と岐阜県に駐留していた

(3)1955年に初めて沖縄に移動した

これらの「事実」を得意げに披露し、それをもって沖縄の「地理的優位性」を否定するというから極めて粗雑な「海兵隊不要論」である。

だが海兵隊が沖縄に新たに駐留した1955年という年代の東アジアの緊張状態を考えれば、逆に沖縄の「地理的優位性」が浮かび上がってくるから皮肉である。

先ず1949年に中華民人民共和国が成立し、1950年には朝戦争が勃発し、中国と米国はこれに介入することになるが1953年の休戦の頃から、中国の国内の権力闘争も一段落し、台湾(中華民国)併合のため台湾海峡に注目し始める。

東アジアの日中の緊張の舞台が朝鮮半島から、台湾海峡にシフトすることになる。

そして朝鮮戦争に代わり台湾海峡危機が米軍の当面の関心事になり、1950年代から1960年代にかけて中国(中華人民共和国)と中華民国(台湾)の間での軍事的緊張が高まったことは歴史的事実である。

台湾海峡の危機は、3度にわたり緊張が高まったがアメリカの介入などにより全面戦争に発展することはなかった。

さらに東西冷戦の終結により、我が国の「仮想敵国」も旧ソ連(ロシア)から中国にシフトすることになり、経済破綻寸前の北朝鮮より、経済力の発展とともに軍事力増強を続けている中国が太平洋の出口として狙う沖縄近海の争奪戦が日米同盟の最重要課題になっているのである。

屋良記者が、元々沖縄に駐留していなかった米海兵隊が在日米軍基地縮小の動きに乗って、駐留の必要のない沖縄に押し付けられたという「海兵隊不要論」は、

実は丁度その頃勃発した台湾海峡危機に備え最も地政学的優位に位置する沖縄へ必要があって駐留したのである。 この一連の米海兵隊の動きは軍事専門家でもない筆者でも容易に理解できることである。

米海兵隊が岐阜、山梨から沖縄に移動した1955年当時、10代の少年として沖縄に在住していた筆者は、海兵隊というより「マリン兵」という名で耳に馴染んでいたし、「海兵隊は犯罪者集団」といった地元紙の刷り込みを受けて育った。

その一方「キーストーン」という名を街の至るところで目にし、「キーストーン貿易」とか「キーストーンフィルム」といった会社名に使われていたが、それが「太平洋のの要石(KEYSTON)」を意味することを知るのは、かなり後になってからである。

このように沖縄は過去も現在も戦略的に優位な位置にあり、幸か不幸か中国にとっても日米同盟にとっても「キーストーン」であり続けているのである。

沖縄紙の「海兵隊不要論」は地政学的には朝鮮有事と台湾有事の両方の場合に、型通り触れているが、朝鮮有事には比較的詳しく言及しても台湾有事についてはほとんどスルー状態である。 

例えば7日付け沖縄タイムス社説「[「普天間」大迷走]民主党に骨はないのか 」でも、この通り。
首相は朝鮮半島と台湾海峡を念頭に置いているはずだが、沖縄の海兵隊は長崎県佐世保を母港とする海軍艦船で移動する。朝鮮半島をにらむのであれば、九州中北部で海兵隊の全機能を集約するほうが合理的だ。台湾へ向かうにも起点はやはり長崎にならざるを得ない九州中北部だけでなく、自衛隊演習場を抱える本州など候補地はいくらでもあるではないか。

                        ◆

「海兵隊不要論」の中で、

海兵隊は殴りこみ部隊だから防御は不得意で抑止力はない」という説のほかにもうひとつ、

上記社説にもある「海兵隊の任務は米国民間人の救出であるから抑止力にはならない」という説がある、。

これら二つの説がお互いに矛盾するおかしさはさておいても、米国軍隊が有事の際に自国民の救出を最優先順位にするのは当然のことであり、そもそも日米同盟そのものも自国に有利な事項を最優先に考えて締結しているわけであり、

それが自国に何の利益ももたらさず、ただ負担に過ぎないと判断したら即刻破棄されるのは火を見るより明らかである。

「海兵隊は自国民救出云々」は「海兵隊不要」には、何の説明にもなっていない。

 

【追記】

在日海兵隊の是非論議や在日米軍基地の是非論議でテレビ芸者達も騒々しくなってきたようだが、

元々自国の安全を他国に守ってもらうのが不自然であり、当日記の主張は米軍基地の抑止力を論ずるならば憲法改正、防衛予算の増強、さらには非核三原則の撤廃等々にまで論議すべきだということである。

そうなれば海兵隊どころか米軍基地の国外撤去は自動的に行われることになり、メデタシ、メデタシである。

その際、自衛隊が国防軍に昇格し米軍に取って代わって沖縄各地に配備されることは言うまでもない。

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