狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「核心的利益」の意味は尖閣奪取だ

2012-05-16 08:06:33 | 県知事選
日中首脳会談で 温家宝首相が発した重大発言について、沖縄タイムスは本日の紙面でも一行も触れていない。
 
だが中国は「核心的利益」の意味を行動で示した。
 
しかも復帰40周年記念式典に日中首脳会談で尖閣について論戦をした相手の野田首相が式典に参加しているのを承知のうえでの狼藉行為である。
 
 よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします 
 
 

産経新聞 2012.5.15 18:26
 防衛省は15日、中国海軍のフリゲート艦や情報収集艦の艦艇3隻が14日深夜に沖縄本島と宮古島間の海域を太平洋から北西に向かって航行するのを確認したと発表した。

 防衛省統合幕僚監部によると、3隻は4月30日に鹿児島の大隅海峡を東シナ海から太平洋に向けて通過し、沖ノ鳥島(東京都)の東約700キロの太平洋上で無人ヘリコプターの飛行訓練を行っていた。

                         ☆

 よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします 

昨日は県主催の復帰40周年記念式典が行われた。

その沖縄(尖閣諸島)を自国の領土と主張する中国。

復帰式典をあざ笑うかのように中国戦艦が沖縄本島と宮古島の間を傍若無人にも横断した。

これは、中国の尖閣に対する「核心的利益」発言が中国の本音であることを象徴的に表している。

折りしも復帰記念日の直前の北京日中首脳会談で、中国の温家宝首相は野田首相と尖閣諸島に関し白熱した議論で火花を散らし「核心的利益」という重大発言を口にしたばかり。

復帰40周年記念の日に沖縄列島を分断するかのような中国海軍の暴挙は、いくら藤村官房長官や中国関係筋が否定しても尖閣諸島の領有が中国の「核心的利益」であることは明白である。

            ☆

防衛省 統合幕僚監  24 5 15
 
  中国海軍艦艇の動向について
http://www.mod.go.jp/js/Press/press2012/press_pdf/p20120515.pdf
                                                                                                              5月14日(月)23時頃から24時頃にかけて、海上自衛隊第5航空群(那覇)所属「P-3C」、第6護衛隊「たかなみ」(横須賀)及び第15護衛隊「はまぎり」(大湊)が、宮古島の北東約110kmの海域を太平洋から東シナ海に向けて北西進する中国海軍シャンカイⅡ級フリゲート2隻及びドンディアオ級情報収集艦1隻を確認した。
  なお、これら3隻の艦艇は、4月29日(日)正午頃、屋久島の西約430kmの海域を東シナ海から太平洋に向けて東進し、その後、沖ノ鳥島東約700kmの海域において無人航空機の飛行訓練を行っていたことが確認されている。

             ☆

■東シナ海は、太平洋への出口=日本海への侵入口

中国がわが国の象徴的に記念日にこれ見よがしに宮古海峡を横断するのは、ヤクザ国家の本質を垣間見ることが出来る。

中国艦船が宮古海峡を分断して太平洋に出たれいは何も今回に限ったことではない。

過去にも筆者が確認する限り、2008年11月、中国海軍の駆逐艦など四隻が宮古海峡を抜けた以来、6回にも及んでいる。

これだけを見ても、中国の軍事的野望が尖閣諸島を含む東シナ海の制覇とそこから広がる西太平洋の制覇であることは明白である。

したがって今回の日中首脳会談で、温首相が野田首相の予期せぬ強気の発言に、思わず発した「尖閣は中国の核心的利益」と言う言葉が本音であることが証明される。

「宮古海峡の横断」という文言で筆者の地政学的関心を過るのは、およそ一世紀以上前の日露戦争におけるバルチック艦隊の日本海への侵入経路である。

バルチック艦隊は中国艦船とは逆の太平洋側から宮古海峡を横断し、日本海へ殺到して言った。

バルチック海を出発したバルチック艦隊が、インド洋を回り太平洋から日本海に侵入し、日本海海戦を挑むには宮古海峡を分断して日本海に向かうのが、明治期の当時から地政学上の最良のルートだった。

沖縄本島と宮古島の間は、日露戦争の時代から現在でも、東シナ海と太平洋を結ぶ地政学的要所である。

海軍の増強により西太平洋への突破口を狙う中国が大陸を封鎖した形で連なる南西諸島(沖縄諸島)を分断することが当面の目標であり、そのために尖閣諸島の領有が中国の「核心的利益」なのである。

普天間移設はわが国の国防・安全保障問題の問題である。

沖縄2紙が中国の沖縄近海での狼藉行為を報道することなく、むしろ尖閣領有権を主張する中国に対して腰の引けた報道をする一方で、米軍基地撤去に関して派手な扇動記事を書くのが常である。

本日の沖縄タイムスは復帰式典での県知事の言葉を引いて「普天間県外へ」の大見出しで一面トップを飾っている

全紙面を覆う「米軍基地撤去」を意味する大見出しが乱れ咲く中に、沖縄に展開する自衛隊員900人に訓示をした野田首相の言葉が小さな見出しで紹介されている。

沖縄は「国防の要衝」

首相、国境の重要性強調

米軍基地の撤去は、東シナ海の制覇し南西諸島を太平洋の突破口と考える中国の思う壺である。

沖縄2紙が中国の広報紙と言われる所以である。

           ☆

■「核心的利益」


中国の走狗に成り果てた沖縄2紙が中国の「核心的利益」に関して見て見ぬ振りをしているが、産経がこれを取り上げた。


【産経新聞・主張】「核心的利益」発言 中国の意図は尖閣奪取だ

日本は万全の備えと覚悟を

 北京での日中韓首脳会議(サミット)に合わせて設定された野田佳彦首相と中国の温家宝首相との個別会談で沖縄・尖閣諸島をめぐって応酬があり、温首相が「(中国の)核心的利益と重大な関心事を尊重することが大事だ」と発言した。

 「核心的利益」とは、中国にとって安全保障上譲ることができない国家利益をさす。尖閣問題と関連付けながら、中国首脳が、これを口にしたことは初めてであり、きわめて重大である。

 ≪野田首相の反論は当然≫

 温首相は「釣魚島(尖閣諸島の中国名)は中国領土だ」と改めて強調している。中国公船による尖閣周辺の領海侵犯が常態化している状況下、温首相の発言は海洋権益の拡大を狙う中国が尖閣奪取の意図を明確にしたと受け止められる。尖閣問題が新たな局面に入ったとの危機認識が必要だ。

 温首相の発言に対し、野田首相が「尖閣諸島が日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らか」と反論し、さらに、「中国の海洋活動の活発化が日本国民の感情を刺激している」と指摘したのは当然だ。首脳レベルでは尖閣問題にふれないようにしてきたこれまでの民主党政権の方針を転換したことは意味がある。

 ただ、両首相は「日中関係の大局に影響を与えることは好ましくないとの認識で一致した」という。問題を棚上げにしても解決にはつながらない。

 今回の「核心的利益」発言の背景には、中国側の思惑が見え隠れしている。

温首相は尖閣問題に加え、東京での「世界ウイグル会議」に出席したラビア・カーディル議長に対する日本側のビザ発給を批判したという。中国側はウイグル問題を「核心的利益」としている。

 一方で、中国国営新華社通信や中国中央テレビは、ウイグルと尖閣の問題を並べ、温首相が「中国の核心的利益と重大な懸案事項を尊重するよう日本に求めた」と報じた。尖閣問題での対日強硬姿勢を強調する中国側の宣伝工作に振り回されてはならない。

 台湾やチベット、ウイグル問題など中国の「核心的利益」を尖閣問題にまで拡大したともとれる発言の口実として、中国側は石原慎太郎東京都知事が先月発表した都による尖閣諸島の購入計画を意識しているようにみえる。

 都が開設した購入資金の寄付金口座には半月で5億円以上が集まった。日本の国内世論の高まりに中国が危機感を強めている。

 次期最高指導者に内定している習近平国家副主席は今月訪中した日中友好議員連盟に対し、「核心的利益」との文言を使って石原知事を暗に批判した。日本にしてみれば、知事の計画は尖閣諸島を守り、実効統治を強化していくための有効な提案だ。習副主席の発言もまた、中国側の勝手な言い分と言わざるを得ない。

 ≪海保法改正案の成立を≫

 政権指導部の交代が行われる今秋の共産党大会を前に、中国では重慶市党委員会書記だった薄煕来氏の中央政治局員解任をめぐるスキャンダルや、盲目の人権活動家、陳光誠氏の米国出国問題など社会安定を揺るがす出来事が続いている。国内の統制をはかる意味でも、中国は尖閣で強く出ざるを得ないのではないか。

そうした状況を念頭に日本は戦略を練る必要がある。

 野田首相が温首相との会談の翌日に求めていた胡錦濤国家主席との首脳会談は中国側が応じなかった。きわめて残念だ。

 中断されたままになっている東シナ海のガス田共同開発をめぐる交渉再開については温首相から具体的な時期を引き出すことはできなかったが、粘り強く再開を迫るべきだ。さらに、15日から中国浙江省で開催される東シナ海での危機管理を話し合う事務レベルの海洋協議も継続が必要だ。

 また、野田首相は、中国漁船衝突事件で強制起訴された中国人船長の身柄引き渡しを温首相に直接求めるべきだった。

 最も重要なのは、領土を守るための具体的行動である。

 すでに国会に提出された海上警察権強化に向けた海上保安庁法などの改正案は早急に成立させなければならない。野田政権には、尖閣諸島での自衛隊常駐や警戒監視レーダーの設置など、実効統治を強めるための具体的行動と覚悟が求められている。

  よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします 

 

コメント (4)

言った言わない!「核心的利益」で、日中にズレ

2012-05-15 07:43:59 | 県知事選

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします 

中国、尖閣「核心的利益」と言った?日中にズレ

2012年05月14日12時41分

提供:読売新聞
 【北京=高橋勝己、大木聖馬】野田首相と中国の温家宝首相による13日の首脳会談では、尖閣諸島を巡って激しい応酬が行われたが、会談内容に関する日中双方の解釈に微妙なズレが生じている

 中国中央テレビや国営新華社通信は13日夜、温首相は分離独立運動が続く新疆ウイグル自治区の問題と尖閣諸島の問題を並べ、「中国の核心的利益と重大な懸案事項を尊重するよう(日本側に)求めた」と報じた。核心的利益と重大な懸案事項をひとくくりにし、尖閣諸島が「核心的利益」とも読み取れるように報じたものだ。

 これに対し、野田首相は会談で、尖閣諸島が日本固有の領土であることを強調した上で、「尖閣諸島周辺を含む中国の活動の活発化が日本国民の感情を刺激している」と中国側に自制を求めた。

 藤村官房長官は14日午前の記者会見で、「温首相から尖閣諸島をめぐる問題と核心的利益という言葉を結びつける発言はなかった」と述べた。日中関係筋によると、中国政府も日本側に対して、「温首相の核心的利益に関する発言は尖閣諸島を含むものではない」と説明している。

 中国の国営メディアが、尖閣諸島が核心的利益に当たるとも取れる報道を行った背景には、東京都の石原慎太郎知事が買い取りを表明するなど、尖閣諸島を巡る一連の日本の動きに中国のネット世論でも不満が高まっていることがある。

 胡錦濤政権は対日政策で弱腰な姿勢を示すことはできず、国営メディアは中国政府の意向も踏まえて、温首相が日本側に強い態度を示したことを国内向けにアピールしようとしたとみられる。

                ☆

温首相が日中首脳会談で尖閣諸島は中国の「核心的利益」と解釈できる発言をした。

発言のインパクトに驚いたのか藤村官房長官や中国関係筋は「核心的利益」と尖閣諸島とは無関係である、火消しに必死の様子。

中国関係筋が何者かはさておいて、首脳会談会談直後、「温首相の核心的利益に関する発言は尖閣諸島を含むものではない」と、後付で弁解したのは、中国側が我が国民の愛国心を見くびっていた表れである。

頼まれたわけでもないのに、毎日急増する「尖閣購入献金」の金額の大きさに、石原都知事の愛国的言動を支持する国民が圧倒的に多いことに中国側は認識し、たじろいだのだ。

石原都知事の尖閣購入宣言の後初めて行われた日中首脳会談で、中国の最高幹部の1人がチベットやウイグルなど触れて欲しくない地名と同じ文脈の中で「核心的地益」という文言を発したことに重要な意味がある。

中国に取って「核心的利益」と公言することはいわば刀の鯉口を切ったようなもの。

いつでも抜刀して攻撃する用意があると言う武力行使宣言のようなもの。

侵略国家中国の象徴的「核心的利益」であるチベット、ウイグルを、尖閣諸島と並べて発言した事実は、中国政府側が後でどんなに取り繕っても、温首相が「尖閣諸島は中国の核心的利益」という意味で発言したことは明白である。

何よりの証拠は、石原発言の直後、近習平次期国家主席は、高村元外務大臣が会談した折に「核心的利益」と発言しているではないか。

習近平氏、「核心的利益」と発言 尖閣けん制

その折に習氏は「相手にとって核心的利益、重大な関心を持つ問題については慎重な態度を取るべきだ」、「日中の政治家は無責任な発言をすべきではない」とも強調した。

具体的に何が核心的利益に当たるのかは明言しなかったが、石原慎太郎東京都知事が表明した都による沖縄県・尖閣諸島購入方針へのけん制とみられるのは誰が考えても明白だ。

 

では、これまで対日外交では絶えず高圧的態度で押し通してきた中国が態度を一変、、「核心的利益は尖閣諸島を意味していないと軌道修正をした理由は何か。尖閣に関して。野田首相との思わぬ論戦で日本側が面と向かって明確に領土権の主張したことも中国側には驚きだったが、主な理由は他にあった。

前にも言ったが、石原都知事の尖閣購入宣言を支持する国民が圧倒的に多いと言うこと。

言葉を換えれば尖閣諸島に関心を寄せる愛国者の数が中国の予想をはるかに上回ったと言うことだ。

中国は「核心的利益」を錦の御旗にして弱小国家を侵略するヤクザ国家だが、弱小国家でも相手が毅然として対抗処置をする場合は、何も手が出せない「弱いもの虐め」の典型のような国だ。

最近では昨日紹介したパラオの例があるが、南シナ海で睨み合いが続くフィリピンとの領海争いでも、フィリピンが米軍の後押しを得て一歩も引かぬ毅然とした態度を示したら、この有様である。

南シナ海を休漁期に 中国、比との解決図る?
2012.5.14 00:23 [中国]

4月10日、南シナ海のスカボロー礁で、フィリピン海軍の調べを受ける中国漁船。捜査をきっかけに、中比両国の巡視船などがにらみ合いを続けている(フィリピン海軍提供・共同)


南シナ海のスカボロー礁で、中国漁船に乗り込むフィリピン海軍の兵士=4月10日(フィリピン海軍提供・共同)

 新華社電によると、中国農業省南海区漁政局の当局者は13日、南シナ海の大部分の海域で16日から2カ月半の休漁期間を設定すると明らかにした。

 対象の海域には中国とフィリピンの両国艦船がにらみ合っているスカボロー礁(中国名・黄岩島)付近も含まれている。中国側にとっては当該海域に中国漁船を入れない休漁期間の設定を、問題解決の糸口にしたい狙いがあるとみられる。

 同電によると、休漁期間中は原則として操業が禁止され、違反した場合は処罰される。だが、一部の漁法については操業が許可されるという。資源確保などの目的で、南シナ海では例年、同時期に休漁期間を設定している。

 スカボロー礁ではフィリピン海軍の艦船が先月、停泊中の中国漁船を違法操業の疑いで調べたことをきっかけに、中国の海洋監視船が駆けつけ、両国当局の艦船がにらみ合う状態が続いている。(共同)

フィリピンのごとき軍事小国は恫喝で平伏すと見くびった中国だが、怯えて土下座すると思いきや、フィリピンの予想外の強気の態度に振り上げた拳の下ろしどころを模索した。

その結果が「休漁期にする」とは、とんだ大笑いである。

中国も池野メダカさんのファンなのか。

コキントウ主席の前では蛇に睨まれたカエルのyとうに、目も見ることが出来なかった菅前首相に比べれば、温首相に「尖閣は我が国固有の領土」と明確に主張しただけ野田首相はまだ良しとすべきだが、これは野田首相自身の言葉ではなく、従来の我が国の見解を繰り返したに過ぎない。

言葉を変えれば八重山教科書問題で沖縄2紙に忌み嫌われた育鵬社版教科書に明記されている文言(国の見解)を繰り返したことになる。

これだけを見ても中国の尖閣領有の主張をそのまま掲載した東京書籍版教科書の採択に狂奔した沖縄2紙など「極悪複合体」は中国の走狗に成り果てた売国奴と言うことができる。

            ★

【おまけ】

中国の次期国家主席が「尖閣は核心的利益」と公言した一週間後、国境の島石垣で「尖閣問題」のトークライブが行われた。

時宜を得た絶好の企画だと思われるのだが、これを「発狂3紙」は黙殺し、八重山日報のみが写真入で大きく報じた。

「発狂3紙」は地元紙としての使命感を勘かなぐり捨てて、中国の広報紙と成り果てたことを公言したようなものである。

「居住可能な環境を」 尖閣の有効利用で提言 緊急トークライブ

緊急トークライブで意見交換する井上さん、山田教授、佐藤参院議員、砥板市議=5日午後、大浜信泉記念館 緊急トークライブで意見交換する井上さん、山田教授、佐藤参院議員、砥板市議=5日午後、大浜信泉記念館

 「どう守る、日本の国境と離島」をテーマにした八重山防衛協会青年部主催の緊急トークライブが5日、大浜信泉記念館で開かれ、国会議員や識者などが意見交換。尖閣諸島の有効利用を求める声が出た。


 スピーカーは佐藤正久参院議員、山田吉彦東海大海洋学部教授、砥板芳行市議、コーディネーターはジャーナリストの井上和彦さんが務めた。


 山田教授は尖閣諸島の有効利用について「人が居住できる環境を作ることが、自然を守ることにつながる」と指摘。尖閣諸島を購入する意向を示している東京都とタイアップして「第二の小笠原諸島を作ろう」と呼び掛けた。


 周辺海域の管理については「台湾と手を握ることも必要」と述べ、台湾との共同利用に向けた仕組み作りを求めた。


 尖閣諸島の領有権を主張する中国の動きについては、佐藤参院議員が「中国にとって石垣島周辺は、軍事的にも漁業にとっても大事。これから、とことん『おれたちのものだ』と宣伝してくる」と警戒。


 その上で「国境の島に人が住んでいただくことが日本の安全保障につながる。住んでいただく以上は、政府の責任で命を守るためのいろいろな手立てをしないといけない」と強調した。


 先島への自衛隊配備について砥板市議は「防衛省が住民に対して説明不足。南西諸島が地政学的にどのような位置にあり、海洋国家日本がどのような施策で守っていくのか、しっかりした意思を示してほしい」と求めた。

            ☆

【おまけ】2

 

5月12日の「祖国復帰40周年記念式典」の詳報が入りました。


パレードは350名、2班に分かれて行進。宜野湾市民会館は満員の1,350名でした。

これは左翼集会のような水増しではなく配布した日の丸小旗の数と受付名簿による正確な数字です。


【動画】も配布されました。

「日本人の誇り」津川雅彦氏。
「わが祖国チベットと沖縄」ぺマ・ギャルボ氏。

http://www.youtube.com/watch?v=f1mr9FvJ658

http://www.youtube.com/watch?v=9fMqvLtzano&feature=channel&list=UL

http://www.youtube.com/watch?v=qKLGwIJ2ZX8&feature=channel&list=UL

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします 

 

★★★★お知らせ★★★


日本復帰40周年 日米友好促進・感謝festivalがおこなわれます。

日時:5月19日(土曜日)13:00〜15:30
場所:沖縄市民会館大ホール

参加無料です
皆さん奮ってご参加ください。

 

コメント (9)

核心的利益!尖閣めぐり火花!日中首脳会談で

2012-05-14 08:06:11 | 県知事選

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします 

 

12日の「復帰40周年祝賀式典」で挨拶をした佐喜真惇宜野湾市長は48歳なので復帰の時点では8歳。 同じく祝辞を述べた豊見城市の宜保晴毅市長にいたっては若干44歳というから復帰の時点ではわずか4歳にしか過ぎない。 復帰の時点で判断力の幼い子どもだった人が市長を勤めるほど40年というときの流れは大きい。

また当日、今後の提言で演壇に立った宮平貴裕・日本青年会議所沖縄地区協議会会長にいたっては、復帰後の生まれなので、沖教組の自虐史観で洗脳され、30歳になる頃までは、日の丸や君が代は忌み嫌うべきものと考えていたという。

インターネットが普及し始めた30歳前後になって、自身を含む若者の多くは沖縄がマスコミで報じられていることはおかしいということに気がつき始めという。 それからは新聞と同時にインターネットで情報を得るようになった。

宜保会長の「自虐的な歴史観を克服していくことが日本再生につながっていく」という力強い言葉とともに「自国の政府の批判はあっても祖国そのものを貶める勢力にろくなものはない」という言葉が印象に残った。

復帰前後の事情を良く知らない県民が社会の中枢を占めるようになった現在、「祖国復帰」を屈辱と捉える極悪複合体の広報紙である沖縄タイムスが、またしても発狂見出しで印象操作のフル回転である。

事情を知らない県民を「まやかしの復帰」としてミスリードしたいらしい。

今朝の沖縄タイムスの見出しを拾ってみる。

■第一面

【復帰40年】 5・15県民大会

基地強化怒る三千の拳

■社会面

本土で基地どうですか

沖縄の問い 探る答え

県外参加者に島田さん主張

「まやかしの復帰」式典断る

元県議・中根章さん「県民の思いと逆行」

一方、北京では尖閣問題で日中首脳がこれまでにない激しい応酬で火花を散らした模様。

石原都知事の尖閣購入発言で、国民の領土に対する熱い思いを知ることが出来た野田首相。

温首相との応酬のなかでも、国民の熱い思いを背中に受け、今までにない勇気が出たのではないだろうか。

その点、中国に誤ったメッセージを送ったのは、八重山教科書問題における「発狂3紙」の報道だ。

発狂新聞の支援を受けた慶田盛竹富町教育長は、「尖閣諸島はわが国固有の領土であり、中国の主張は歴史的にも国際法上も根拠が無い」と明記した教科書を狂ったように拒否した。そして中国の主張をそのまま掲載した教科書を、国(文科省)に反旗を翻してまで採択した。

慶田盛竹富教育長の暴走を支援した発狂3紙は、中国に誤ったメッセージを送ったことになる。

さらに竹富町を支援する保護者たちが、行政訴訟を起こしたとなると、中国がその気になって尖閣領有を「核心的利益」と考えるようになっても不思議ではない。

「発狂3紙」を指して、筆者が「売国新聞」と呼ぶことを憚らない所以である。

日中首脳会談、尖閣問題で応酬 野田首相「国民を刺激」(朝日新聞) - goo ニュース

2012年5月13日(日)23:45

 野田佳彦首相は13日、北京の人民大会堂で中国の温家宝(ウェン・チアパオ)首相と約1時間会談した。温首相は尖閣諸島や新疆ウイグル自治区の独立問題を念頭に「中国の核心的利益と重大な関心を尊重することが大事だ」と述べ、日本側を強く牽制(けんせい)した。野田首相は尖閣諸島は日本固有の領土であると反論し、尖閣問題が再燃した。

 日中両政府の説明によると、温首相は尖閣諸島は中国領との従来の立場を主張。野田首相は「尖閣を含む海洋での中国の活動の活発化が日本国民の感情を刺激している」と述べ、「この問題が日中関係の大局に影響を与えるのは望ましくない」と指摘した。

 両政府は2010年の中国漁船衝突事件後、日中国交正常化40年の今年にかけて尖閣問題の沈静化を図っていた。だが、4月中旬に東京都の石原慎太郎知事が都で購入する考えを表明し、中国が反発。4月末の日米首脳会談では中国の海洋進出を意識した防衛協力強化を確認していた。

                            ☆

朝日の記事では温首相が発した「核心的利益」の意味を特に説明していないが、この言葉の持つ意味は大きい。

中国がこの文言を使用した地域の領有には血の雨が降っても厭わないという中国側の強い意志の表れである。

野田首相と温首相は尖閣の領有についてしれぞれ、「日本の固有の領土」、「革新的利益」を主張したようだが、日本側が「日本の固有の領土」と従来の方針を踏襲したに止めたのに対し、中国側は慶田盛教育長が固執した東京書籍版教科書に掲載の中国側の主張から一歩も二歩も前進して「核心的利益」という極めて重要な文言を使った。

中国の首脳が「核心的利益」と公言した場合、この問題は一歩も引かないと言うヤクザ国家の決意の表明であり、チベットやウィグルへの武力侵略も「核心的利益」と看做しているからである。

この文言は既に習近平国家主席の)口からも公言されている。

中国の次期最高指導者が尖閣問題に関して「核心的利益」と公的に発言した意味は、尖閣諸島は中国にとって「武力にかけても奪還すべき「核心的利益」と暗に日本を恫喝したことになる。

習近平氏、「核心的利益」と発言 尖閣けん制

今回の温首相の発言はさらに一歩進んで「核心的利益」の対象を尖閣諸島の領有と公言したに等しい。

中国が「核心的利益」と公言した場合、この問題は一歩も引かないと言うヤクザ国家の決意の表明であり、チベットやウィグルへの武力侵略も「核心的利益」と看做しているからである。

中国の次期最高指導者が尖閣問題に関して「核心的利益」と公的に発言した意味は、尖閣諸島は中国にとって「武力にかけても奪還すべき「核心的利益」と暗に日本を恫喝したことになる。

中国の恫喝行為に敢然と立ち向かったパラオの勇気を日本も見習うべきではないか。

 

産経・パラオ当局が中国船に発砲 漁民1人死亡、違法操業か
2012.4.4 11:58 [中国]
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120404/asi12040412010002-n1.htm

 4日付の中国紙、新京報によると、太平洋の島国パラオ付近の海域で3月30日、違法操業を取り締まっていたパラオ当局が中国漁船に発砲し、漁船に乗船していた中国人1人が死亡。パラオ当局は漁船に残っていた中国人5人を拘束した。

 パラオ当局は、自国海域での違法操業を阻止するための発砲と説明。詳しい状況は不明だが、同紙は「(パラオ当局と漁船との間で)激しい衝突」があったとしており、取り締まりに対し、漁船が激しく抵抗した可能性がある。

 同紙によると、違法操業の漁船を上空から捜索していたパラオ当局の航空機が墜落し、当局者ら3人も行方不明になっているという。

 パラオは台湾と正式な外交関係を持っており、中国との国交はない。(共同)

                   ☆

パラオ当局「わが国の法律にもとづき起訴した」…違法操業の中国人
サーチナ 4月6日(金)13時36分配信


 パラオ警察は5日、3月30日に同国のサメ保護海域で違法操業していたとして身柄を拘束している中国漁船の乗組員25人を「わが国の法律にもとづき起訴した」ことを明らかにした。中国新聞社が報じた。。

 

 警察側は「起訴された中国人漁民は複数の罪に問われている」、「裁判の結果、処分が決まる」と説明。現状については「よい待遇を与えている」と述べ、人道的に扱っていると表明した。

 

 パラオ側は、拘束している25人のうち、5人の姓名をローマ字で公開した。いずれも、中国・海南省の出身者という。

 

 パラオ警察は3月31日、違法操業をしている中国漁船を発見し、まず警告のため、漁船などに当たらぬよう射撃を行った。中国漁船は警告を無視して母船から小型船2隻を降ろして、操業を続けようとした。

 

 パラオ警察は小型船1隻を追跡。強制的に停船させるためエンジンを狙って射撃したが、乗り組んでいた中国人1人が被弾して死亡した。中国政府・外交部も「現地警察の誤射で死亡」と確認したという。

 

 パラオ警察は、追跡した小型船に乗っていた残りの5人の身柄を拘束した。残りの中国人20人は、母船に放火して全員が海に飛び込んだ。その後、パラオ警察側が全員の身柄を拘束した。母船の放火は、証拠隠滅を図った可能性がある。

 

 取り締まりでは、パラオ警察が使用した小型飛行機1機が、ナビゲーションシステムの故障のため燃料ががなくなり、墜落した。乗っていた操縦士1人と警察官2人は死亡した。

          ☆ 

 

違法操業をした中共漁船はパラオ官憲の忠告を無視して逃走した。

パラオの同ナショナル レインジャ―が発砲し結果、中共漁船の船長は足を射たれ出欠多量で死去。

残りの乗組員は船ごとパラオ側に拿捕された。

これに対し、中国政府はマリアナ地域駐在の大使をパラオに派遣したが、パラオ側は大統領が相手にせず、国務大臣以下の役人を当てたという。


併せて、パラオ政府は北京から派遣された三ヶ所の主なる報道機関員も無視して取材に応じなかった。

しかし、日本からの地雷処理関係者との会合では大統領自ら出席した。

結局、中国政府は当該違法漁船をパラオに取られ、またしかるべき罰金を払わされ、自らチャタ―した飛行機で自国の漁船員を連れ帰った。

尖閣沖で海保巡視船に体当たりした中国船)船長に対す民主党政府の弱腰の対応に比べて毅然とした態度ではないか。

これは、「シャ―ク(鮫)とドラゴン(竜)の闘い!」で絶対譲れず、負けられない主権の問題!

パラオの〃海上保安庁〃役人は日本からの地雷処理関係者たちにそのように語ったという。

一方、我が国のエセ政治屋と役人たちとヤクザ記者たちは、終始中国の顔色ばっかり窺う土下座外交だ。

自らの国家観も主権も領土も国民を守る気概も気運もなく、世界中からもの笑いとなり、馬鹿にされ信用も信頼もされない為政者ばかりが跋扈している。

パラオの気概、見習うべし!

日中首脳会談 尖閣諸島巡り応酬

略奪された「福建・沖縄友好会館」、ヤクザ国家の本性

尖閣諸島の領有に関し、ヤクザ国家の口から「核心的利益」という重要な文言が飛び出した。

中国に対し、「沖縄は日本帝国に侵略され植民地化された」という秋波を送り続けた沖縄の発狂新聞の罪は限りなく大きいと思う方、

クリック応援お願いいたします。

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします 

 

★★★★お知らせ★★★


日本復帰40周年 日米友好促進・感謝festivalがおこなわれます。

日時:5月19日(土曜日)13:00〜15:30
場所:沖縄市民会館大ホール

参加無料です
皆さん奮ってご参加ください。



コメント (11)

続・沖タイの歪曲報道、徳嵩氏の返信

2012-05-13 07:40:01 | ★集団自決

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします 

昨日行われた「復帰40周年祝賀式典」は、おかげさまで超満員の大盛況でした。

県内は勿論県外からも200人余の国民が参加し、定員の1300席は満席で立ち見がでるほどの盛況で。

日の丸の小旗を振って君が代を斉唱して復帰を祝した。

祝賀式典の主旨は、 40年前の5月15日祖国復帰の日を「屈辱の日」と恨みつらみで捉える「極悪複合体」の主張に対し、

「5月15日は『屈辱の日』ではなく祖国復帰の誇りと情熱を青少年に伝える日」と、捉える。

 

昨日と本日のエントリーは沖縄タイムスの歪曲報道についてだが、沖縄タイムスが憎悪を露にする国旗を振って国歌を斉唱し祖国復帰を祝した昨日の集会を沖縄タイムスがどのように報道するか。

ある種の期待を抱きつつ今朝の紙面を開いて見て、あまりにも予想が的中したのには思わず笑ってしまった。 

件の記事は一面、社会面を探しても何処にも見当たらない見当たらない・・・と思ったら、あった!

見落とすのも無理はない。 第二社会面の見おととしがちな最下部にベタ扱いの小さな記事。しかもなぜか参加人員の人数には触れていない。

一方、同じ日に行われた復帰関連の集会で、5月15日を「屈辱の日」と捉える極悪複合体が左翼の巣窟沖縄大学で行った「日本復帰40周年を問う」という集会は一面に大きく報道されている。

ここでは参加者は210人と書いてある。 水増しがお得意の沖縄タイムすのことだから、100名前後というのが実数だろう。

まぁ、実にわかりやすい話だが、沖縄タイムスは復帰40周年を「誇りの日」と捉える集会と、一方で「屈辱の日」と捉える集会の報道で、明らかな歪曲報道をしたことになる。

                 ☆

さて、昨日の続編です。

沖縄渡嘉敷島の集団自決に不幸にも遭遇した新任の巡査であった比嘉喜順さんが一番重要な生き証人であるにも関わらず、県内のマスコミは1人として比嘉さんに取材することは無かった。

比嘉さんが渡嘉敷島での「軍命」に関して重要な証言者であることは、曽野綾子氏が当時の渡嘉敷村長の古波蔵惟好氏に軍命の伝達経路を取材した時の様子を次のように記している。(『集団自決の真相』より抜粋)

   「安里(巡査)さんは」と古波蔵氏は言う。

「あの人は家族もいないものですからね、軍につけば飯が食える。まあ、警察官だから当然国家に尽したい気持もあったでしょうけど。軍と民との連絡は、すべて安里さんですよ」

安里さんを通す以外の形で、軍が直接命令するということほないんですか」

「ありません」

「じゃ、全部安里さんがなさるんですね」

「そうです」

「じゃ、安里さんから、どこへ来るんですか」

「私へ来るんです」

「安里さんはずっと陣地内にいらしたんですか」

「はい、ずっとです」

じゃ、安里さんが一番よくご存じなんですか

「はい。ですから、あの人は口を閉して何も言わないですね。戦後、糸満で一度会いましたけどね」

古波蔵村長が軍から直接命令を受けることはない、と言い、あらゆる命令は安里氏を通じて受け取ることになっていた、と言明する以上、私は当然、元駐在巡査の安里喜順氏を訪ねねばならなかった。赤松隊から、問題の自決命令が出されたかどうかを、最もはっきりと知っているのは安里喜順氏だということになるからである。

 

地元マスコミだけでなく、本土新聞でも取り上げる集団自決の証言者に安里氏の名前は出てこない。

小さな島の唯1人の警察官で、不幸にも「集団自決」に遭遇した最重要証人である比嘉さん(旧姓安里)の名を報じるマスコミは少ない。

だが、比嘉さんの証言は、同じく地元マスコミでは無視されている照屋昇雄さんや金城武徳さんの証言とはほぼ完全に一致している。

地元マスコミが避ける証言者の言葉に真実がある。

沖縄タイムスのブリーフィングや「鉄の暴風」のみを信じ込んだ徳嵩氏に対し、怒りを噛み殺しながら諫言する比嘉さん(安里巡査)の言葉には説得力がある。

該当部分を抜粋し、再度引用する。

≪戦争中而も敵の海、空よりの砲撃のさ中で軍の食料(米、味そ等)調味品を村民にも二分し与えて下さったあの赤松隊長の志を、行動を、こんな隊長が大東亜戦争、沖縄戦の悪い代表扱いに掲載されることは本当に残念でなりません。 ≫

≪あの戦争は吾々日本人全体の責任と私は思って憚りません。≫

≪ 徳嵩さんがどう云う理由で十二年保存されて、然も赤松さんが故人となられた今頃にから沖縄タイムスに掲載されたか、私には理解に苦しむものです。≫

≪赤松隊の生存者もをられるし、当時の村民も尚健在者が多数残っています。≫ 

真実と云ふのは両方の調査の上に立って表現するものでありまして、一歩的に出してそれで何も知らない人々がそれを信じることになり、大方はそんなものではございません。 私はそう思います。≫

 
歴史の事実も本当はそうであったかと、両方の調査をし、綿密に調べられてから、正しく報らすのが真の在り方と思われます。 私も貴方が出された「タイムス」の記事を見て、当時の沖縄戦の生々しい実態が甦り、本当に何とも言ひようのない悲憤慷慨と申しましょうか痛恨の念が一極です。≫

 
≪只々書かなければ止まない衝動にかられてこのお便りを書きました。≫

 

離れ小島の駐在巡査だった比嘉喜順さんが、公務員上級試験合格のエリートに対して「歴史の見方について、一方的な証言だけ捉えてはいけない」と諫言するくだりは、戦前巡査の誇りと矜持が感じ感動する。

田舎の元巡査に己の「軽挙妄動」を諭されたら、最近のイデオロギーまみれの識者ならば、理屈を押し曲げてでも自己弁解に走るものだが、誠実な方と思われる徳嵩氏は、直に自分の行いを反省し、これも直筆の手紙を比嘉さんに書き送る。

手元にその直筆私信のコピーがある。

私信ゆえ公開を躊躇したが、沖縄戦の検証の資料と判断し筆者の責任で次に全文公開する。

徳嵩氏の誠実な人柄が偲ばれる、これもまた感動の返信である。

                 

拝復 お手紙深い感銘をもって拝見いたしました。比嘉様には昭和二十年にあの激戦の慶良間、渡嘉敷島警察官としてご勤務をされていた由、さぞかし大変なご苦労をされたことと心から感謝申しあげたい気持ちでおります。 
昭和十八年の学徒出陣を体験し、大正十年生まれの私にとりましても、今次大戦は以後の人の人生を一変させる位の大事件でありました。 
沖縄戦が世界の戦史上でも稀に見る住民をまきこんでの大激戦でありましたことが、今なお幾つもの大きな問題となって尾を引いており、沖縄の歴史とともに、私達の胸に大きな痛みを甦らせます。
御手紙で御提示のありました曽野綾子著「ある神話の背景」を読了し、深く考えさせられました。
御高説の通り、ものがどの一方からの見方のみでその本質、真相を判断してはならないことがよくわかりました。
国会においても一貫して沖縄問題を担当し、殊に昭和四十四年に、衆議院職員初の調査団の一員として沖縄を視察いたしましてより、一種の使命観をもって復帰に関する諸々の案件と取り組み、沖縄問題はいささか精通していると内心自負して参りました私にとりまして、如何に勉強不足であったかを改めて痛感させられた次第でありまして、勉強し直し、かつ真実を知る機会を与えて下さった御手紙に対して衷心より感謝いたしたいと思います。

私は、昭和四十四年に沖縄に派遣されて以後、鉄の暴風、秘録沖縄戦記、沖縄ノート、沖縄問題二十二年等々沖縄に関する著書は次々と読んで、沖縄問題の本質と深淵を探り、そこで渡嘉敷の集団自決事件をと赤松大尉の存在を知りました。
その後、赤松大尉から陣中日記と御手紙を頂いたのは四十五年の秋のことでした。
戦争中は、その置かれた立場と環境によって軍もまた国民も半ば狂気のような行為、行動のあったことが思い出され、戦争というものが如何に人間を醜くするものか、それ故に平和がいかに尊いかを改めてかみしめている最近であります。

巷に伝えられている赤松大尉の集団自決事件にいたしましても、私は私なりに当時弱冠二十五歳の赤松大尉が周囲を米軍に包囲され、とことん追い詰められた状況の中にあって自決命令を下したとしても、あり得んであろうというように思っておりましたが、-非常に残酷な話ですがー当時渡嘉敷で軍民のパイプ役として必死の御活躍をされました比嘉様の生きた証言によって真相を教えて頂きましたことは、非常に幸いであり、また救いでもありました。 本当にありがとうございます。

実は先月ある席上で沖縄タイムスの某記者と同席いたしました折、たまたま私が赤松大尉の陣中日誌を持っていることに話しが及び、是非見せて頂きたいということでお貸ししましたが、今さら事件を暴きたてるといったような意図はもとよりなく、あのような記事となったことは心外でした。 かつて私は書き物にも、集団自決命令があったようなことを書いたものもありますが、今後は心して機会があるたびに赤松大尉事件の自決命令は伝聞であって真相はこれこれであるというように訂正して参りたいと思っておりますので、どうぞそのように御高承を願います。
さて国民の1人として沖縄戦全体を考えますとき、大田海軍少将の最後の電報等はありましたが、戦争とは言え沖縄県民に余りにも大きな犠牲を払わせた結果につきまして深く反省し、県民に、遺族の方々に十分の償いと報いと感謝とを捧げなければならないと感じて今日まで過ごしてきました。

沖縄に関して、私の書いた拙文を同封いたします。 御高覧願えましたら幸いに思います。
最後に二十七年間に及ぶ異民族の支配下に苦労されました百万県民の御苦労をしのび、沖縄県の皆さんが真に他の府県同様に発展して参りますよう念ずるとともに、御年配の比嘉様がこれからの余生を大事にされまして、沖縄戦の貴重な体験を通じて反戦、平和の尊さを後進の者に御説諭下さいますよう、御健勝を切にお祈りいたします。 

                                                敬具

六月十八日

                          徳嵩 力

 

比嘉喜順様

                 ☆

■安里巡査を取材していた地元作家■

比嘉さん(安里巡査)の証言は地元マスコミには完全に無視されたが、「沖縄県警察史」という公的刊行物には詳細に採録されている。(昭和63)

だが、それより約20年前に安里巡査に取材をしていた沖縄在住の作家がいた。

「集団自決」について独自の取材をした詩人の星雅彦氏は『潮』(昭和46年11月号)で次のように書いている。

「そこで安里巡査は、赤松隊長に向かって、村民はあっちこっちの壕に避難して右往左往しているが、これからどうしたらいいのかわからないので、軍の方で何とか保護する方法はないものか、どこか安全地帯はないものか、と相談を持ちかけた。 そのとき赤松隊長は次のように言った。 島の周囲は敵に占領されているから、だれもどこにも逃げられない。 軍は最後の一兵まで戦って島を死守するつもりだから、村民は一か所に非難した方がよい。 場所は軍陣地の北側の西山盆地がいいだろう。  そこで、安里巡査は、早速、居合わせた防衛隊数人に対し、村民に西山盆地に集合するよう伝達してくれと告げた。 彼自身も、各壕を回って、言い伝えて歩いた。 防衛隊の1人は、いち早くほぼ正確な伝達をした。 そして村長からも、同様の伝達が出た。 

それは人の口から人の口へ、すばやくつぎつぎと広がって広がって伝わっていったが、村民のあるものは、赤松隊長の命令といい、あるものは村長の命令だと言った」(「集団自決の真相」より孫引き)

 

星雅彦さんは係争中の「パンドラの箱掲載拒否訴訟」の原告側証人として法廷に立つ予定である。

 

  

【おまけ】

沖縄タイムスが毎週日曜日に発行する「ワラビー」という子ども向けの新聞がある。

普段は滅多に見ることもないのだが、本日発行の紙面を見て驚いた。

新城俊昭沖縄大学客員教授を一面に登場させ「復帰の日、5月15日は屈辱の日」といわんばかりの見出しが躍っている。

基地被害怒り反対運動

米軍の事件・事故今も

明治前までは「琉球王国」

沖縄タイムスは、最近の読者は自分が思うほどバカではないと察したのか、印象操作の対象を子どもに向けたようだ。

これでは子ども新聞も「極悪複合体新聞の子供版ではないか!(怒)

 

★★★★
日本復帰40周年 日米友好促進・感謝festivalがおこなわれます。

日時:5月19日(土曜日)13:00〜15:30
場所:沖縄市民会館大ホール

参加無料です
皆さん奮ってご参加ください。



 よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします 

コメント (12)

沖タイの歪曲記事、故赤松大尉直筆の手紙を届ける

2012-05-12 07:10:03 | ★集団自決

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします 

本日は午後1時30分より宜野湾市民会館で復帰40周年記念式典が行われ俳優の津川雅彦さんが記念講演をします。

入場料は500円ですが学生以下は無料ですので是非ご参加下さい。(詳しくは文末に)

                 ☆

■沖縄タイムス 1983年6月8日

故赤松大尉直筆の手紙を届ける

衆議院調査室の徳嵩力さんが本社東京支社に

住民に「申し訳ない」

虐殺については否定?

【東京】戦時中、海上挺進第三戦隊の隊長として渡嘉敷島の守備につき、住民虐殺、集団自決のあの悲惨な「事件」に深く関与したといわれる赤松嘉次大尉(故人)が12年前、当時の陣中日誌とともに関係者に出した直筆の手紙がこのほど、沖縄タイムス東京支社に届けられた。渡嘉敷での数々の悲惨な出来事について赤松氏は「一部マスコミの興味本位な報道」と伝えられる事実関係については強い口調で否定。 敗戦の結果についてのみ「申し訳ない」とつづっている。折りしも、沖縄では三十八回目の「慰霊の日」をやがて迎える。

手紙を保管なしていたのは、衆議院外務委員会調査室に勤める徳嵩力さん(61)。復帰前、「鉄の暴風」(沖縄タイムス刊)を読み、そのなかで渡嘉敷島の住民虐殺、集団自決など悲惨な出来事を初めて知った徳嵩氏が、やっとの思いで赤松氏を探しあて、事実関係を尋ねたことに対する返書で日付は昭和四十五年十一月三十日。 
そのなかで赤松氏は「戦時中、現地の方々の献身的な協力にも拘わらず力足らず、あのような結果になったことは沖縄で戦った者として現地の方々に申し訳なく思っている」と敗戦の悔いを「つづっている。
ただ住民虐殺、集団自決への自身の関与については「一部マスコミの、現地の資料のみによる興味本位的に報道されているようなものでは決してありませんでした」と強く否定。 同時に沖縄を訪ねた際(四十五年三月)の渡嘉敷住民、民主団体の抗議についても“大規模な歓迎”を受けたと、抗議が意外だった心情を吐露している。
仕事上の関係もあって「沖縄に強い興味を持つ」という徳嵩氏は手紙と陣中日誌を読み返し「どうも後で理由付けした感があり、説得力に乏しい」と感想を語る。 さらに「赤松氏個人への感情は別として」と前置き、「住民の証言の方が、より重みがあるし、軍隊は、その特性から、いつでも物事を正当化するものです。 教科書問題にしても、やはり虐殺の事実は事実として歴史にとどめるべきだし、それが生き残った私たちの使命」とも。
中学、高校の教科書で沖縄戦で住民虐殺の記述も復活の兆しにある。 赤松氏がどのような胸中で手紙をつづったかは、確かめるよしもないが、日本軍による住民虐殺、軍命による集団自決という悲惨な出来事が渡嘉敷島で起こったことはまた歴史の事実である。

             ☆

この30年前の沖縄タイムスの記事が筆者の不注意により未完のままアップされてしまったことを改めてお詫びしたい。

結果的には予告編の役割をしたが、本稿は本編である。

当日記を古くから読まれている方は上記引用の記事を読んで、アウトラインは理解できるでしょうが、複雑に絡み合った集団自決の整理のため、記事に書かれている事実の説明から始める。

ここに登場する徳嵩力氏は、1921年生まれ、長野県出身。戦後、国家公務員上級試験合格し1956年衆議院外務委員会調査になり、沖縄問題を担当。復帰の3年前の昭和44年(1969年)に衆議院職員初の沖縄調査団として沖縄視察をしたエリート官僚である。

徳嵩氏は戦後一貫して沖縄問題を担当した使命感から独自に沖縄問題の研究から発展し「鉄の暴風」、「秘録沖縄戦」(山川泰邦)、「沖縄ノート」(大江健三郎)などの沖縄戦の本を読み漁り、ついには赤松大尉を捜し当てて、ことの真相を問いただす。

ちなみに「鉄の暴風」が伝聞や噂の類を基に書かれた嘘まみれの本であり、「沖縄ノート」はその嘘のネタ本を下地にしたデタラメの本であることは、今では大方の知るところ。 「秘録沖縄戦」も、「鉄の暴風」の影響を大きく受けており、近年著者の故山川康邦氏のご子息が歪曲部分を削除した改定版を出したくらいである。

復帰前の沖縄戦の情報が少なかった当時としては仕方の無いことだが、徳嵩氏が沖縄戦を勉強した本が全て沖縄タイムスの偏向思想により歪曲された本だけだったのは徳嵩氏にとって不幸であった。

優秀で誠実な戦前の日本のエリート官僚の系譜を継いだと思われる徳嵩氏は、イデオロギーとは別の視点から、日本軍が沖縄に及ぼした被害の数々をこれらの「沖縄本」から勉強し、激しい贖罪意識に襲われる。 そして政府の沖縄担当の調査官としての使命感から赤松大尉を探し出して当時の状況を聞き取るのだが、赤松大尉がそれに対する返事を手紙にして送ったのが記事に出て来る昭和45年11月30日付けの赤松氏の手紙である。 

今年は沖縄の日本復帰の40周年だが、赤松氏が手紙を送ったのは復帰の2年前、今から42年前の出来事である。

徳嵩氏は沖縄担当の官僚という職務上、沖縄紙の東京支局の記者と知り合うことになるが、ある席上偶々隣の席にいた沖縄タイムス記者に赤松大尉の手紙のことを話すことになる。

徳武氏としては赤松大尉の存在を知ったのが沖縄タイムス刊の「鉄の暴風」だったのだから沖縄タイムス記者に話すことに何の躊躇も無かったのだろう。 当時の徳武氏としては「鉄の暴風」や「沖縄ノート」がイデオロギーまみれのデタラメな本と言うことを知る由もなく、沖縄戦史の解明の資料として沖縄タイムスに手紙を渡したのも仕方の無いことである。

沖縄タイムスが赤松大尉の直筆の手紙を入手したら、どのような行動にでるか。 

猫に鰹節とはまさにこのこと。

手紙の内容の如何に関わらず、イデオロギーによる歪曲した捏造記事を書くことは火を見るより明らかだった。

それが上記引用の記事である。

この記事は12面のトップを徳嵩氏の写真つきで大きく飾り。徳嵩氏の写真には「故赤松氏からの当時の手紙を見ながら住民虐殺について語る徳嵩氏」というクレジットが付いている。

沖縄タイムスの記事を見て、沖縄戦当時渡嘉敷島の駐在巡査を勤め集団自決の一部始終を目撃した比嘉(旧姓安里)喜順氏が記事のあまりにも酷い歪曲された内容に悲憤慷慨し、その日のうちに抗議の手紙を徳嵩氏に送った。

手紙の日付が沖縄タイムスの記事と同じなのは、それだけ比嘉氏が当時の生き証人として居ても立ってもおれなかった比嘉氏の心境を表している。比嘉氏はその日の午後3時頃記事を読み、すぐ沖縄タイムスに抗議すると同時に徳嵩氏の連絡先を問いただし、その日のうちに手紙をしたため郵送している。

その手紙はご子息から公開の許しを得ているので、集団自決の真相解明の歴史的資料として下記に公開する。

その前にタイムス記事が触れている「同時に(赤松氏が)沖縄を訪ねた際(四十五年三月)の渡嘉敷住民、民主団体の抗議」について事実を説明しておく。

当時の新聞には、沖縄県民や渡嘉敷住民が、赤松氏を空港に出迎えた抗議した、と報道している。(※【おまけ】に詳述)

が、実際に空港で抗議したのは僅か十数名の那覇市の市職労の組合員であり、渡嘉敷住民は慰霊祭に赤松氏が参加するのを歓迎していた。

1970(昭和45年)3月26日、赤松氏が那覇空港で、左翼集団に取り囲まれて渡嘉敷島には渡ることを阻止されたことは過去にも再三書いたが、親族関係者の話で次のことも判明した。

赤松氏は、空港で、抗議集団にもみくちゃにされ、背広のボタンも引きちぎられる酷い有様だったという。

このような激しい抗議に遭っては、普通の定期船ではとても渡嘉敷島に渡ることができないと判断し、渡嘉敷行きは諦めかけていたが、翌慰霊祭当日、伊礼蓉子氏(旧姓古波蔵、戦時中、渡嘉敷村女子青年団長)のご主人が、迎えに来てくれ舟を出してくれた。

たが、結局、赤松氏はさらなる騒動を避け、島には渡ることはせず、島の入り口まで行って、慰霊祭への花束だけを託したという。

渡嘉敷の住民は赤松氏の来島を大変歓迎していたが、マスコミや抗議集団との混乱を避けるため渡嘉敷上陸は断念した。

なお、伊礼蓉子氏の娘さんは、赤松氏宅にも訪問したことがあり、赤松氏の家族と今も交流が続いているという。 
     
この事件を、沖縄タイムスをはじめ全国の新聞、雑誌が騒ぎ立てて、これを機に赤松氏の悪評が一気に広がった。

赤松氏の地元では、地元紙である神戸新聞の記事を見た人が多く、赤松氏の長女は後にクラスメートからこのことを教えられたという。 

なお、赤松氏を渡嘉敷に送る舟を手配した伊礼蓉子氏(旧姓古波蔵)は、星雅彦氏の手記「沖縄は日本兵に何をされたか」(雑誌「潮」1971年11月号に掲載)の中で証言者として登場している。

村の指導者たちやその家族や防衛隊の幾人かは、そろって無事で、その集団にまじっていた。みんなひどく興奮していて、狂人のようになっていた。村長は狂ったように逆上して「女子供は足手まといになるから殺してしまえ。早く軍から機関銃を借りてこい!」と叫んだ。その意志を率直に受けて、防衛隊長の屋比久孟祥と役場の兵事主任の新城真順は、集団より先がけて日本軍陣地に駆けこみ、「足手まといになる住民を撃ち殺すから、機関銃を貸してほしい」と願い出て、赤松隊長から「そんな武器は持ち合わせてない」とどなりつけられた。(注・比嘉喜順、伊礼蓉子らの証言。その点、米田惟好は米軍に決死の戦闘を挑むつもりだったと、異議を申し立てている)(雑誌「潮」1971年11月号・星雅彦)》

 

赤松氏は当時の渡嘉敷村長の了解の下に沖縄訪問をしたわけだから「“大規模な歓迎”を受けたと、抗議が意外だった心情を吐露している」という赤松氏の心情は事実であった。

赤松氏に罵声を浴びせる組合員の中には赤松氏を出迎えにきた玉井喜八渡嘉敷村長がいた。

組合員の暴力的な実力行使で、結局赤松氏は慰霊祭に参加を断念するが、玉井村長は次のようなコメントを沖縄タイムスに伝えている。

「赤松氏は三年ほど前から慰霊祭に出席したいと連絡していた。ことしも村から慰霊祭のスケジュールを送ったらぜひ行きたいという返事があり、喜んでいたところだ。」 

  

集団自決論争が問題解決を困難にしている理由は次の点にある。

①「事件」が60数年前のことであり、体験者はほとんどが物故している。

②数少ない証言も、当時子供だった証人の曖昧な証言に頼らざるを得ない。

③物的証拠は一つもなく、証言あるいは証言記録のみを証拠としているの。

④意識的嘘の証言は論外としても、証言の「思い違い、記憶違い」等も考慮に入れなければならぬ。

これらに親族、地域社会などの人間関係、経済的要素の呪縛や、イデオロギーの呪縛が絡むと証言の信憑性の検証はますます難しくなる。

2007年の「11万人集会」の前後、沖縄紙は夥しい数の証言者を紙面に登場させ、連日「体験者証言」と大々的に報じたが、そのほとんどが、「毒おにぎり証言」の例のように客観的検証に耐える証言ではなかった。

卑近な例で、意図せざる「記録の過ち」を一つ例示しておこう。

玉井喜八渡嘉敷村村長がミニコミ誌に寄稿した『遺族会発足当時を想う』と題する手記の中に、玉井村長の記憶違いが見られる。

手記はここ⇒沖縄戦を歪曲した沖縄タイムスの大罪

同手記には昭和53年赤松夫人が三十三回忌の慰霊祭に渡嘉敷訪問したとある

だが、これは玉井村長の記憶違いで、赤松夫人が慰霊祭に参加したのは昭和53年ではなく、正確には昭和59年に戦隊員や遺族の方々に同行し、赤松氏の遺品を寄贈したという。

これは赤松氏の遺族関係者からご指摘を受けた。

玉井村長のような重要人物でさえこのような記憶違いを手記に書くくらいだから、故人が残した証言の記録が全て正しいとは限らず検証が必要なことは言うまでも無い。

実際に赤松夫人が渡嘉敷島を訪れたのは、手記にある昭和53年ではなく、昭和59年であるというから、赤松夫人は次の記念写真のどこかに写っているものと思われる。

和やかに記念撮影に収まる元赤松隊の一行

 

 

■比嘉喜順氏の手紙

 徳嵩様 謹んで申しあげます。

あなた様の東京支局によせられた故赤松大尉直筆の手紙を届けるの記事を読み、お便りを差し上げます。
私、当時(沖縄戦)昭和20年2月より昭和20年8月14日まで渡嘉敷村の巡査駐在所で勤務しておりました者であります。
それであなた様が「12年前より(まま)赤松大尉直筆の手紙」を届ける記事を6月8日の午後3時ごろ読みまして、早速沖縄タイムスに電話で貴殿の調査室の住所を知らして下さいと頼みまして、このお便りを差し上げます。 それで私は当時の最初から最後まで村民と共に行動し、勿論自決場所のことも一部始終わかっております。 あの集団自決は、軍命でもなければ赤松隊長の命令でもございません。
責任者として天地神明に誓ひ真実を申しあげます。 今までの戦争は満州、支那大陸で戦い、私達もその体験者の1人であります。 それが而も一番(不明)島、沖縄県、離島の自国内で連合軍の包囲を受け家族とも共戦争体験をしたのは、その人でなければ実際を語ることは出来ません。
「鉄の暴風」が発刊されてをるのも知らず、那覇の友人から聞かされ、それを見せてくれて驚いた程であります。 その時には既に遅く、全国に販売されていたようです。
それで一方的な言い分を聞いて実際に関与した責任ある私達に調査もされず刊行されたことは私の一生涯の痛恨の極みであります。
沖縄タイムスの記者が私を訪ね、渡嘉敷島について調べたことは今もって一度もございません。
私も戦い終わって昭和二十年八月二十七日、捕虜で金武村屋嘉の収容所に収容され、同年十一月三日そこを出て、家族をさがしあてたのが昭和二十年十一月十五日でした。 それで戦争の話、友軍の行動等を分かりました。 
それに比較して赤松隊長のとった行動は本当に良かったと思われました。 戦争中而も敵の海、空よりの砲撃のさ中で軍の食料(米、味そ等)調味品を村民にも二分し与えて下さったあの赤松隊長の志を、行動を、こんな隊長が大東亜戦争、沖縄戦の悪い代表扱いに掲載されることは本当に残念でなりません。 あの戦争は吾々日本人全体の責任と私は思って憚りません。 徳嵩さんがどう云う理由で十二年保存されて、然も赤松さんが故人となられた今頃にから沖縄タイムスに掲載されたか、私には理解に苦しむものです。
赤松隊の生存者もをられるし、当時の村民も尚健在者が多数残っています。 それでお願いですが曽野綾子著「ある神話の背景」沖縄、渡嘉敷の集団自決、文藝春秋社刊をお読みにお読みになられたらと思います。
真実と云ふのは両方の調査の上に立って表現するものでありまして、一歩的に出してそれで何も知らない人々がそれを信じることになり、大方はそんなものではございません。 私はそう思います。
歴史の事実も本当はそうであったかと、両方の調査をし、綿密に調べられてから、正しく報らすのが真の在り方と思われます。 私も貴方が出された「タイムス」の記事を見て、当時の沖縄戦の生々しい実態が甦り、本当に何とも言ひようのない悲憤慷慨と申しましょうか痛恨の念が一極です。
只々書かなければ止まない衝動にかられてこのお便りを書きました。
徳嵩様の重要な部所にお勤め鳴られてをり幸いと思います。
益々ご健康で、ご繁栄でありますと併せて我が国の繁栄に寄与なされますようご御祈りいたします。 乱筆で御免下さい。

                                                        敬具

昭和五十八年六月八日午後十一時三十分

沖縄県北中城字大城の自宅にて

旧姓 安里  比嘉喜順拝

徳嵩力 様

(つづく)

 

【おまけ】

タイムスの沖縄戦歪曲を象徴する報道が二つある。

一つは1950年(昭和25年)に出版された『鉄の暴風』。

もう一つは『鉄の暴風』発刊の20年後、1970年3月27日付沖縄タイムス社会面を飾った衝撃的記事である。

■梅澤・赤松両隊長が怒った沖タイ記事

戦後一貫して沈黙を守っていた渡嘉敷島、座間味島の両隊長が、「自決命令をしていない」と積極的に発言し始めるのは、実はこの1970年の記事以降のことである。

勿論梅澤氏は「鉄の暴風」の1980年改訂版発刊までは、死亡とされていたので、梅澤氏の発言と赤松氏の発言には凡そ10年のタイムラグがある。

『鉄の暴風』については、多くの研究者がそのデタラメな内容を論じ尽くしているのでここでは省略し、今から約40年前の沖縄タイムス記事について触れる。

1970年3月27日といえば、大江健三郎氏の『沖縄ノート』も曽野綾子氏の『ある神話の背景』もまだ発刊されておらず、『鉄の暴風』が沖縄戦のバイブルのようにいわれて時期である。

その日は渡嘉敷島で25回目の戦没者慰霊祭の当日で、沖縄タイムスは、前日の26日、慰霊祭に参列のため那覇空港に降り立った渡嘉敷島の元戦隊長赤松嘉次氏と空港で待ち受けた約40名の「抗議団」とのトラブルを大きく報じている。

その日の沖縄タイムス社会面トップを飾った大見出しはこうだ。

忘れられぬ戦争の悪夢

<赤松元海軍大尉が来島>

空港に“怒りの声”

”非難したくない”

出迎えの玉井村長語る

抗議のプラカードを掲げた抗議団。 それに取り囲まれた赤松氏の写真と共に、タイムスは約40名の抗議団の赤松氏に対する「怒りの声」を報じている。

I「忘れられぬ戦争の悪夢  <赤松元海軍大尉が来島>  空港に“怒りの声”」の画像検索結果

 

 

赤松元陸軍大尉のことを、「元海軍大尉」と大見出しで事実誤認で報じる沖縄タイムスの無知(実際は陸軍大尉)はさておき、その記事から「県民の声」を一部拾うとこうなる。

「赤松帰れ」

「今頃沖縄に来てなんになる」

「県民に謝罪しろ」

「300人の住民を死に追いやった責任をどうする」

慰霊祭には出てもらいたくない。 あなたが来島すること自体県民にとっては耐えがたいのだし、軍国主義を全く忘れてしまったとしか思えない。 現在の日本の右傾化を見ろ

この紙面構成を見ると、読者は「鬼の赤松の来県に抗議する渡嘉敷島の住民」という印象を刷り込まれてしまう。

わずか40名の左翼団体の抗議を、あたかも県民代表あるいは渡嘉敷住民であるかのように報じた沖縄タイムスは沖縄戦を歪めた首謀者であり、その罪はきわめて重い。

実際の抗議団は那覇市職労を中心にした左翼団体であった。

赤松氏に抗議文を突きつけたのも渡嘉敷村民ではなく那覇市職労の山田義時氏であった。

肝心の渡嘉敷村は赤松氏の慰霊祭出席を歓迎しており村民を代表して玉井喜八村長が出迎えのため空港に出向いていたくらいだ。

先ず記事の見出しに躍る”怒りの声”と”非難したくない”と言う玉井村長の矛盾を沖タイはどう説明するのか。

 

「うらそえ文藝」編集長の星雅彦氏は、偶々そのときの那覇空港の「騒動」の一部始終を目撃していた。

結局赤松氏は那覇に足止めを食い、赤松氏と同行の元部下たち一行は那覇市松山の大門閣ホテルに一泊し、翌27日、船で渡嘉敷に向かうことになるが、星氏は同じ船に便乗し慰霊祭にも参加したという。

星氏は偶然目撃した前日の空港での左翼団体の暴挙と、これを県民の意志であるかのように報道する地元マスコミの姿勢をみて、沖縄で流布する集団自決の「定説」にますます疑問を持つようになったという。

星氏は元赤松隊一行と共に渡嘉敷に向かうが、船の中で赤松隊一行は持参の経文の書かれたお札のようなものを広げてずっとお経を唱え続け、渡嘉敷港が近づくと持参の花束とお経のお札を海に撒いていたという。

慰霊祭の最中に「赤松が上陸する」との知らせを受け、マスコミと「民主団体」が現場に飛んで行った。

だが、赤松氏は個人で舟をチャーターして島に接岸し、結局島民に弔文と花束を託して上陸することなく、島を去ったという。

■沖縄戦史を歪曲した記事■

1970年3月27日のタイムス記事は、以後沖縄戦史を「タイムス史観」ともいえる歪な方向へ県民を扇動ていくマイルストーン的役割りを果たすことになる。

先ず、この記事を見た県民は、こう印象つけられた。

住民に自決を命じ、自分はおめおめと生き残った卑劣な鬼の赤松隊長を追い返す渡嘉敷住民

赤松元隊長は「鬼の赤松」といった印象を強烈に刷り込まれることになる。

またこの記事を見た大江健三郎氏は作家としての想像力を強く刺激され、本人の述懐によると『鉄の暴雨風』などによる沖縄戦の即席勉強と共に、新川明氏らタイムス記者のブリーフィングで得たにわか仕込みの知識で、現地取材もすることなく、作家としての想像力を駆使して「沖縄ノート」を書くことになる。

戦後起きた沖縄戦のセカンドレイプともいえる第二の悲劇は、まさに『鉄の暴風』に始まり、「1970年3月27日付タイムス記事」によって決定的になったいっても過言ではない。

そのときの記事には、金城重明氏が首里教会の牧師という肩書きでマスコミに初登場して証言しているが、

金城氏はその後、集団自決の証言者の象徴として、マスコミ出演や著書出版、そして全国各地の講演会などで八面六臂の活躍をするのは周知のことである。

■渡嘉敷村民の真意は?

それでは、当時の渡嘉敷村民の真意はどうだったのか。

そのとき赤松氏を迎えるため空港で待ち受けていた玉井渡嘉敷村長は、後にその心境を渡嘉敷村のミニコミ誌で吐露している。

以下は、『終戦50周年祈念「いそとせ」』(沖縄県遺族連合会 平成7年12月30日発行)に寄稿された玉井元渡嘉敷村長の随想の一部抜粋である。

遺族会発足当時を想ふ  

渡嘉敷村遺族会長 玉井 喜八

(略)
 遺族会発足当時は主として戦没者の援護法適用について、県当局や遺族連合会との連携をはかることが主な活動であった。
 幸いにして、国は島における戦闘状況に特殊事情があったとして理解を示し、戦没者全員が戦闘協力者として法の適用が認められたことは唯一の慰めであった。(略)
 渡嘉敷島の戦闘状況とりわけ自決命令云々については、これまで文献等に記述されたが、島に残った人々は各自異なった体験を語っており、当時の混乱した状況が偲ばれるのみである。
 おもふに戦争の残した傷跡は簡単に償えるものではないが、個人が心の安らぎを得る機会は与えるべきであるとして、当時の隊長が慰霊供養のため島を訪問したいとの希望があり、遺族会に諮ったところ、当時の国策遂行のためになされた戦争行為であり、個人の意に副ふようにとのことで受入れをすることで一致した。ところが意外に村民以外の民主団体に来島を阻止され、他の隊員は島に渡ったが隊長は目的を果たすことができなかった。
 後で聞いた話では別の船をチャーターして渡嘉敷港の軍桟橋で弔花を届けて引返したとのことである。本人は既に故人となり、今にして思えばその当時、故人の望みをかなえてやれなかった事に心残りもあるが、時の社会状況からして止むを得ないことであった。
 昭和53年の33回忌は隊員との合同で行われた。慰霊祭に隊長夫人が参加し、村民や遺族と親しく語り合ったことが何よりの慰めになったことと思われる。
 3戦隊戦友会は、本村に駐留した復員者で組織された会で、村や遺族会と緊密な連携がなされ村民との融和がはかられている。学校の記念事業等に積極的に協力すると共に戦跡碑の設置塔を実施し、村との信頼関係を確立している。(略)
 昨年、戦友会員や隊員の遺族が大挙して島を訪れ50回忌の慰霊祭が行われた。その際に会を代表して皆本義博会長から永代供養基金として一金三百万円が村遺族会へ送られた、想えば当時紅顔の少年たちも既に70の坂を越しており会員は減少するのみである。この基金の果実により戦友会として今後の供花費用に充て永久に弔って行きたいといふ心づかいである。

引用者注
玉井喜八⇒1921年10月生まれ1953年12月17日33歳で渡嘉敷村長就任。以後32年間1985年12月まで村長の職にあった。2000年8月79歳で没

3戦隊戦友会⇒赤松隊戦友会

赤松氏の慰霊祭参加を歓迎する村民を代表して、那覇空港に出迎えた玉井村長は「村民外の『民主団体』」が来島を阻止したことに驚きを隠せないようだが、33回忌には赤松夫人が参加し、村民や遺族と親しく語り合ったことを喜んでいるようである。

沖縄タイムスは村民と元隊員とは敵同士であるかのような報道をしたが、赤松隊員と村民の信頼関係が深いことが記述されているし、手榴弾証言の富山眞順氏は別のミニコミ誌で、本土旅行の際は元赤松隊員に連絡し、空港等に迎えに来てもらい、一緒に観光するといった元赤松隊員との和気あいあいとした交流の模様を寄稿している。

これらは沖縄タイムスには決して載ることのない村民の本音であり、村内で読まれるミニコミ誌にのみ掲載されている。

赤松氏がマスコミに初登場するのは、上記1970年の沖縄タイムス記事の二年前の1968年発行の週刊新潮4月6日号誌上であるが、

そのときは「部下を戦死させたのに生き残った卑怯な隊長」、あるいは「スパイ容疑で住民虐殺した残虐な隊長」という主旨の追及に答えている。

「住民虐殺」については、意外にもその事実をあっさり認めている。 

だが「集団自決の隊長命令」については記者の質問もなければ、当然赤松氏の言及もない。

ところが週刊新潮の記事を見た琉球新報の関西支局が、赤松氏を神戸市加古川の自宅を訪れ、そのインタビュー記事を同年4月6日付けで掲載した。

その琉球新報記事で、記者の「集団自決は命令したのか」との質問を受け、

赤松氏は「絶対に命令したものではない。自決のあったあとで報告を受けた」と答えている

ところが、前記1970年の那覇空港における「鬼の赤松vs渡嘉敷村民」という印象操作記事以降、赤松氏は「軍命は出していない」と自ら積極的に発言するようになる。

その後、奇しくも『鉄の暴風』が梅澤氏の「死亡記事」を密かに削除した1980年(昭和55年)の初頭、赤松氏は無念のまま没する。

実弟の赤松秀一氏がその意志を継いで梅澤氏と共に、「集団自決訴訟」を起こしたことは周知のことである。

 

                 ★

【おまけ】

産経・【石原知事会見詳報】「日本人も捨てたものじゃない。うれしさで胸がいっぱい」 尖閣諸島購入で寄付金4億7千万円 
2012.5.11 21:31 [尖閣諸島問題]http://news.livedoor.com/article/detail/6550889/


 東京都の石原慎太郎知事は11日の定例会見で、尖閣諸島(沖縄県石垣市)の購入構想に絡んで、都が設置した寄付口座に約4億7000万円が寄せられたことについて、「国が何もしないから、自分たちの手で国を守りたいという意識の表れだ。日本人も捨てたものじゃない。うれしさで胸がいっぱいだ」と謝意を示した。会見の詳報は以下の通り。

     ◇
「冒頭私から2つ。まず、東京電力の総合特別事業計画について、東電の構造改革についてはこれまでも再三指摘をしてきたが、都の主張が盛り込まれて、結果としてコスト削減額が2兆6000億円から、3兆3000億円に積み上げられることになった。しかしながら、電力市場の透明性や競争性を向上させるために、国が取り組まなければならないことがまだまだたくさんある。そこで、近々、猪瀬直樹副知事に枝野幸男経済産業大臣のところへ、要請活動に行ってもらおうとを考えている」
 
 「それから、尖閣諸島の東京都の購入に関する寄付金について。寄付の専用口座を開設したが、本日(11日)正午現在の速報値で約4億7000万円にのぼった。実は、先般ある起業家からありがたいことに、1億円寄付するという申し出があった。これからも、国民の関心が高まって、かなりの協賛金が集まると思う。短い期間で、これだけの金額が寄せられたのは、やはり都民、国民に国土がいかに大切かという意識が、先の東日本大災害が引き金になって、それが呼び起こされて、とにかく国が何もしないなら、自分たちの手で、せめて、自分たちの手で国を守りたいという意志が凝縮した結果だと思っている。こうして寄せられた志をありがたく受け止めるとともに、私からのお礼状を送るように事務方に指示した」

 「国民のみなさまに、この場を借りて感謝申し上げる。やっぱり、国がやらないなら、私たちがやるしかない。天は自ら助くる者のみ助く、という人間の歴史の原理、この国を扱う政治家や役人ではなく、国民の皆さんが自覚していらっしゃるということ、私はありがたい。本当に日本人も捨てたもんじゃないな。本当にうれしさで胸がいっぱいだ。これからどういう進展になるか分からないが、ともなく、国がしないなら私たちがするしかないんですよ。本当に

今年になってから、シナが『日本の尖閣諸島の実効支配を俺たちは壊す、そのために果敢な行動を取る、そのための艦船を含めた機材も調達して、強化する』と言っている。現に、300隻を超す漁船が領海侵犯しながら漁業している。今の日本の体制では、これを追っ払うことは、到底できない。そういった漁船たちが乱獲を続けて、黒潮の源流があそこからわき上がって、日本の列島を回って、それが運んでくる魚たちが、特に日本の近海マグロも、幼魚があそこで一網打尽にされたら、日本独特の海洋資源までが絶滅する恐れがある。そういうことをみなさんに知っていただきたい」

 「それから、私たちがかつて作った灯台。政治結社(日本青年社)が立派な灯台を作ってくれた。2、3足りないことがあるからということで、さらに立派な灯台を作ってもらったが、外務省はなぜか『時期尚早』と言ってこれを海図に記載することを止めた。できあがった灯台が光りながら、海図に記載されないことは、非常に危険なんです。ところが、日本人含めて、漁民とかあそこを航行する他の人たちの生命の危険も顧みずに、外務省は、誰におもねったか、どの国におもねったかはとにかく、この灯台を正式に記載させることを拒んだ。政府もそれを許した。こんなばかな国どこにありますか。外務省の役人にとってみたら、シナに対する懸念が、同胞の日本人や他のあそこを航行する人たちの、人間の生命よりも、他国に対するおもねり、危惧の方が大事だということで、私は外交の名に値しないと思う」

 「これも石垣の人間は全部知ってることだが、(中国漁船衝突事件で)衝突した特殊な船、向こうの装甲が厚くて、ぶつけられた海上保安庁の船に穴があいた。その犯人をなんで、沖縄県の地検の検事がその権限で釈放できますか。全部その検事に罪をなすくって、外務省が差配して、あの犯人を釈放し、夜中のに特別機がやってきて、強引に石垣の空港を開けさせて、向こうのかなりの人物、高官が彼を迎えに来て連れて帰った。英雄扱いで歓呼の声で迎えられた、向こうでは。こんなことの手助けを、なんで日本の外務省がするんですか。だったら、国会であの検事を参考人にして呼んだらいいじゃないですか。こういうことを全くしないで、とにかく何というか、責任のなすくり合いをして、しかも、外国がお前の家に強盗に入るぞということを宣言しておりながら、着々とその準備を進めていながら、それに対処しようとしない。だったら私たちがするしかないじゃないですか」

東京だって国の一部。この国が侵犯されたら東京だって立つ瀬がない。だから東京が言い出して、こういうことになった。私とあの島の持ち主の栗原一族とは、昔から深い因縁がある。私たちは一度、かつて栗原家の当主だった未亡人に、小さな島でもいただきたいと申し出たが、断られた。栗原家は戦争中、一方的に中島飛行機の飛行機工場を作り、そのための滑走路を作るため、膨大な土地を取り上げられたそうだ。そして、戦後も膨大な屋敷を区画整理ということで、本当に惨めに削られた。そういう苦い経験で、かつて未亡人は『私たちは一切国を信用いたしません。政治を信用しません』と。私は面会を断られたが、たまたま未亡人の親友だった、私の父の秘書だった方も未亡人で親しくて、その方の縁で、私は会うことができて、その話をじかに聞いた。私たちは引き下がったが、代が変わって、向こうもいろいろ事情があるようで、亡くなったお母さんが、私の関係を知っているいまの当主が、自民党の山東昭子参院議員と親しく、山東さんを通じて、『石原さんと話をしたい』ということで、今回の運びになった」

 「本来なら東京がすることじゃないでしょう。国がすることでしょう。国がしないなら、誰かがしなきゃいけないんじゃないですか。誰がこの国を守るのか。ということで、それに呼応してあっという間にこれだけの寄付金が集まったということを、私はこの国を救う大きなよすがになると思う。日本人に対して、国民に対して、共感してくださった方、本当に、国を代表してだね、僭越(せんえつ)な話だが、『ありがとう』と本当に心からお礼申し上げる。また、これからもご協力期待しております」

 --尖閣諸島購入について、石垣市長が共同購入をしたいと言っているが

 「それはお断りしました。混乱しますから。東京が入手した後、どういう責任分担するかを考えていきたいと思っている」

 --地権者の栗原さんとのやりとりについて、都の職員、役人レベルでのやりとりはまだないと聞くが、職員が意向を確認することは

 「栗原さんの意向は私が確認している。事務的な手続きは担当の人間がすればよろしいんで、向こうもきちっと弁護士を代理人に立てていますから、こちらの代理人の弁護士とで事務的な交渉をする」

 --尖閣について、石垣市長の共同購入提案をお断りしたと

 「一元化しないと混乱する。全部東京が取得した上で、いろいろ業務分担しようと思う。また、その段階で、石垣に財政的にも参加してもらうことはあり得るだろうが、今はやっぱり東京が勧進元になってやらないと、あっちでこっち、こっちであっちということになると、詐欺まがいの事件も発生しつつあるので、こういったことを是正するためにも、一元化した方がスムーズに行くと思う」

 --石垣市長には、いつどのような形で伝えるのですか

 「そういう(共同購入の)メッセージをさっき聞いたんで、私の方から断ります、きちっと」

 --これから伝える

 「そうですね」

 --東電の家庭用電気料金の値上げについて、猪瀬副知事は東電に対して矛盾点を指摘しているが、値上げについて都の考えを

 「猪瀬さんと全く同じですね。家庭用と言ったって、中小、零細企業も入るわけだから。ところが、普通の家庭ならこたえるかもしれないけど、これだけの値上げ、本当に身を削ぐような努力をして経営している人に、さらに負担がかかったときにどうなるか、ということを斟酌(しんしゃく)して、私たちも、彼らが権利と称している値上げに対して対抗していこうと思う。今まで一回辞めた都の職員、副知事だった人間が重役でいたが、そんな人ではなく、ただのつなぎの伝令でいるだけであまり役に立たなかったが、今度は東電の姿勢をただしていく必要があるから、公認会計士を選んで、東京の代理人として、重役として送り込みます」

 --昨日(10日)、東電の原発の稼働の可否を問う都民投票の特別請求があった。32万筆の署名を集めて、都に訴えたが、改めて知事の見解は

 「議会でも議論したらいい、政党の立場もあるだろうし。ただ、軽々に黒白という今の形で原発を判断するべきではないと思う。フランスで維持できているものが、なぜ維持できないかというと、日本のシステムが悪いから。技術は最高のものを持っているが、通産省(経済産業省)と東電がグルになって、ガバナンスというか、経営がでたらめで、しかも日本の地政学的な条件を考えずに、1千年前かもしれない長いサイクルだろうが、やがてやってくる可能性のある大津波が過去にあったということを、学者がちゃんと証明していた。同じものを作るんだったら、海岸のそばじゃなく、どういう効率を考えているか知らないが、そこが立地として安く使用できたかもしれないが、過去の大津波の実績を考えれば、私は山の上に作ってもいいと思う。だから極端なこと言って、東京湾にでもできるじゃないか、鋸山(千葉県)の上だったら空き地たくさんあるんだから。あそこに作ったら津波は行かない。地震の強度で原発が破壊されたという事例はない。あくまでも津波だ」

 --今回の条例は原発の稼働を差し止めるという請求ではなく、原発をどうするかを都民が決めようという趣旨だと、市民グループは説明している。それについては

 「都民が決めるの」

 --最終的には議会だが、住民投票で東電の原発を稼働させるか、させないかを決めるというのが目的だが

 「私はそういう方式は危険だと思う。なぜこういうケースだけ住民投票にするの。そのために議会があるんだから、そこで冷静な議論したらいい」

 --先ほど、尖閣諸島購入の話では、国には任せておけないので自分たちがものを決めることを歓迎していた。原発は横に置いた上で、住民が自分たちで考えて決めたいと考えることについての感想は

 「だったら、民主的な選挙制度は意味がなくなる」

 

■「沖縄県祖国復帰40周年記念大会」■

日時 5月12日(土)13時30分~
会場 宜野湾市民会館(宜野湾市役所隣)

500円(学生以下無料

オープニング
・琉球舞踊「かぎやで風」(4分程度)
 佐喜眞恭子(佐喜眞市長の妹様 ほか数名)

・地元・平安幼稚園園児による詩吟・素読(5分程度)

第一部
実行委員長挨拶(5分程度)
中地昌平(沖縄県工業連合会顧問 日本会議沖縄県本部会長)

メッセージ 
仲井真弘多(沖縄県知事)

来賓祝辞 (3分程度の短い挨拶)

平沼赳夫(たちあがれ日本代表)
・三好達(元最高裁判所長官  日本会議会長)
・佐喜真淳(宜野湾市長・・・27年ぶりに革新市政を倒す)
・宜保晴毅(豊見城市長・・・若手保守市長)

・復帰運動体験者より提言
 又吉康勇(元嘉手納村PTA会長 「沖縄子供を守る父母の会」副会長)

・未来を担う「復帰っ子」より提言
 宮平貴裕(日本青年会議所(JC)沖縄地区協議会 会長)

・決議採択(地元大学生2名)

第二部

「我が祖国チベットと沖縄」(15分)
ペマ・ギャルポ(桐蔭横浜大学教授・ブータン国王来日時通訳)

「日本人の誇り~沖縄県祖国復帰40周年を迎えて~」(40分)
特別ゲスト 津川雅彦(俳優)
津川氏はTBSドラマで佐藤栄作総理を演じ、祖国復帰に関心を持たれています。

フィナーレ
「ミルクムナリ」
「風の結人」
「ゆいとーま」
 琉球國祭り太鼓×日出克
日出克ライブ

沖縄が生んだ天才アーティスト日出克が歌い、琉球國祭り太鼓が舞い、祖国復帰40周年を祝います。

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

コメント (15)

異論を許さぬ「全体主義の島沖縄」by小林よしのり

2012-05-11 06:52:57 | 県知事選

 よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

 

 当日記で何度か紹介したヒジャイさんのブログの紹介です。

八重山教科書問題では沖縄2紙の歪曲報道を徹底的に批判し、竹富教委の暴走を是正指導するどころか支援に回った県教育庁も俎上に乗せその違法性を糾弾する論調は「ヒジャイ(左)」というブログ名には似つかわしくないと思っていた。

が、よく考えて見たら八重山教科書問題は、当初のイデオロギー論争から、法律論争に論点が変わり、「適法か否か」が論議されていた。

さらには米留学帰りの女子高生まで参戦し「民主主義か否か」の論議に発展した。

こうなるとイデオロギー論争というよりむしろ法律論争の様相を呈していた。

ヒジャイさんの論調は新聞の紙面に登場する「識者」とは真逆の立場なので、沖縄では「右翼」と看做されがちだ。

だがよく読んでみると「何が事実で、何が適法か」に徹している。 

これでは右も左も関係無いはずだ。

だがその右も左も関係なく書いた文章でも、結果的に沖縄2紙や極悪複合体を批判した場合、沖縄では「右翼」のレッテルを貼られ、論壇から抹殺される。 

「右も左も関係ない」をモットーに沖縄戦の真実を追究した上原正稔さんが、沖縄論壇から村八分になったのが好例である。

ヒジャイさんは、これまでまとめた論考を出版しようと思ったが、沖縄2紙を批判する論調から判断し、沖縄の出版社で普通に出版するのは不可能と考え自費出版を思いついた。

そこで自費出版募集の広告を出している県内出版社に連絡したら、驚いたことに内容に問題があるという理由で断られたと言う。

以下はその顛末を書いたヒジャイさんのブログの引用です。


信じられないことが起きた

費出版しようと県内のある出版社に原稿を送ったら、なんと出版を断られた。
 
ブログを休憩しているのは、自費出版する本の原稿を書くためだった。
 
先週の火曜日の朝に、ネットで自費出版を募集している県内のある出版社に、自費出版したいから見積もりをお願いしますという文章を携えて原稿を送った。翌日の水曜日には出版社に届いたはずなのに、出版社からは原稿が届いたという連絡はなかった。
 
木曜日にはあるだろうと思ったが、出版社からは電話もメールもなかった。もしかしたら届かなかったのだろうかという不安が脳裏をかすめたが、まさかそんなことはないだろうと、出版社からの連絡を待ったが、出版社からは木曜日だけでなく金曜日も土曜日も連絡が来なかった。
 
月曜日は公休日だったので、火曜日に出版社に電話をした。受付けの女性に私の名前を告げ、私の原稿は届いたのかどうかを聞くと、受付けの女性は原稿は編集部の人しか分からないが、編集部の人は会社に居ないといい、私の電話番号を聞いた。
 
しばらくすると編集部の人間から電話が掛かってきた。彼は沖縄の出版界を盛り上げようと頑張っている人で、新聞にエッセーなども書く、沖縄の出版界では有名な人である。彼はストレートにではなく、間接的に私の自費出版はできないような話をしたので、だらだら話をするのが嫌いな私は、「自費出版ができないということか」とストレートに聞いた。すると彼はそうだと言った。
 
信じられないことであるが、自費出版を宣伝している出版社に自費出版を希望して原稿を送ったら、自費出版できないと言われたのだ。私が自費出版したかった本のタイトルは、ブログでもテーマにしている「沖縄に内なる民主主義はあるか」である。
 
タイトル 沖縄に内なる民主主義はあるか
 
目次
 一 琉球処分はなにを処分したか
 二 ソテツ地獄と命どぅ宝
 三 米軍基地全面返還したら9155億5千万円経済効果の嘘 
 四 普天間飛行場の移設は辺野古しかない
 五 八重山教科書問題はなにが問題だったか
 
出版できない理由は、「四 普天間飛行場の移設は辺野古しかない」の内容が最近出版社から出した本とは反対の内容になっているからと彼は説明した。
 私は彼の話に文句を言わなかった。「ああ、そうですか」という風に聞いていただけだ。
 
まさか、自費出版が断られるとは全然予想していなかった。断るなら断るでいいが、断るのであれば早く客に連絡するのが当然だと思うのだが、出版社は連絡をしなかった。もしかすると私に電話するつもりはなかったかもしれない。信じられないことだ。
 
会話の中で、彼は出版できないことで私に一度も謝らなかった。もちろん連絡が遅れたことに対する詫びの一言もなかった。
 
出版社のやり方に怒りは湧いてこない。うまく説明できないが、むなしさやさびしさのような感情があるだけだ。
 
できることなら沖縄の出版社で自費出版したいが、こういう状況になったので、本土の二つの出版社に原稿を送った。するとすぐに原稿を受けたこと、数週間以内に連絡するというメールが来た。
 あまりにも違いすぎる対応に、本土の業者は素晴らしいという感情ではなく、沖縄の現状へのみじめな気持ちが残った。

              ☆

新聞社や出版社には編集権というものがある。

したがって持ち込まれた原稿が全て掲載されるわけではなく、全てが出版され店頭並ぶわけではないのはいうまでも無い。

だが新聞社や出版社が広告を出して自費出版を募集した場合、通常の編集権とは別の枠組みに入ることになる。

公序良俗に反しない限り、どんな拙い内容でも、読解が困難な悪文であっても、顧客の希望と出版社が提示するコストが合致すれば、これは編集権の及ばない別の世界である。

これを内容に問題があると言う理由で断ると言うことは他府県では考えられない出来事である。

小林よしのり氏が異論を許さぬ「全体主義の島沖縄」と皮肉るのも的を射た発言になる。

実は」ヒジャイさんからは上記ブログをアップする前に問題の原稿を送って頂き一応目を通してみたがこれまでの沖縄本に見られない新鮮な切り口に興味を覚え、ぜひとも県民には読んで欲しい本だと直感した。

上原さんの著作もそうだが、極悪複合体が言論封殺するような著作こそ、異論を許さぬ「全体主義の島」の住民に読んで欲しい本なのである。

ヒジャイさんは当日記の上原さんの記事などを読んで沖縄の「言論封殺」を一応理解はしていたつもりだったが、自費出版にまでも言論封殺の魔の手がのびていることを身を持って体験し驚いたと言う。

以下は沖縄の言論封殺を知る資料として、筆者の独断でヒジャイさんのメールを引用する。


突然の原稿を送ってすみません。

実は、ボーダーインクで自費出版しようと原稿を送ったら、断られました。新城和博氏の説明では、ボーダーインクで出版した「私たちの教室からは 米軍基地が見えます」の内容と私の原稿の「普天間飛行場の移設は辺野古しかない」とは内容が反対だからということでした。 

そんな理由で自費出版をことわるのは信じられないことだが本当です。新城氏に他の出版社を紹介してくれと頼むと、新城氏が紹介したのは正式な出版社ではないようなちょっと怪しい南部の会社と琉球新報と沖縄タイムスでした。それは紹介しないのと同じです。

私は出版社を知りません。狼魔人さんは私の本を出版してくれそうな出版社を知っていないですか。できることなら沖縄の出版社から本を出したいです。

 問題は私の原稿を編集・添削できる人が必要であり、沖縄の書店に本を置けることです。

 出版費用は200ページ以内で、四六版○00冊で約000円くらいの経費だったら歓迎です。

 それ以上だったら話し合いで妥協点をみつけようと思います。

 本の売るために私も営業をするつもりです。私は尺八演奏ができるので書店の前や路上で尺八を演奏しながら本を売ることも考えています。

 もし、出版社を知っていたら紹介をよろしくお願いします。≫

 

その後ヒジャイさんと会って出版のことや沖縄の新聞や沖教組など極悪複合体について話す機会を得た。

話題は尽きず初対面にも関わらず4時間以上も話し込んでしまった。

で肝心の出版の話だが、御本人がどうしても沖縄の出版社から出したいとのことで目下数社に頼んで返事待ちの状況。

いずれにせよ、どんなことがあっても出版までこぎつけるよう全面支援体勢ですのでご期待下さい。

ちなみに「ヒジャイとは左翼のことか」と尋ねてみたら、ご本人の「左利き」をもじったとのこと。

ところが学生時代は学生運動真っ盛りの時期で、ヒジャイさんも社会の不条理に義憤に燃え、学生運動に身を投じ革マル派に属した。

そしてマルクスレーニン主義もかなり勉強したとのこと。

ご本人には言わなかったが、談論風発の最中にチャーチルが言ったとされる次の言葉がふと脳裏を過ぎった。

「二十歳までに共産主義にかぶれない者は情熱が足りないが、

二十歳を過ぎて共産主義にかぶれている者は知能が足りない。」  

                ☆

 【おまけ】

読者の情報提供でこれが話題を呼んでいる。

 

「沖縄人は豚ですか?」〈日米琉40年:上〉

写真:比嘉陽花さんは大阪に暮らし始めて1年。「でもやっぱり本土には慣れない」=9日、大阪市北区、竹花徹朗撮影拡大比嘉陽花さんは大阪に暮らし始めて1年。「でもやっぱり本土には慣れない」=9日、大阪市北区、竹花徹朗撮影

 

 「やっぱり私たちは『豚』なんだ」。劇団比嘉座の座長・比嘉陽花(ひが・はるか)さん(29)は今、大阪で暮らす。「海きれい?」と興味深そうに近づいてくる本土出身者(ナイチャー)たち。私の沖縄は悲しい島。灰色だ。本当の私たちを見ていない。

 昨年、自作の演劇「わーわー」を沖縄県内で演じた。わーは沖縄の言葉(ウチナーグチ)で「豚」。「人間」の社会に組み込まれ、笑われ、無視される。そこから逃れるために、豚語を捨て、姿も変える。

 「人間」は日本人、「豚」は沖縄の人(ウチナーンチュ)。「強烈な芝居」と話題になり、公民館や中学校からも依頼がきた。上演後の反応は割れた。「沖縄と本土を分けるのはおかしい」「いや、これこそ現実だ」

 昨年まで住んだ実家は米軍嘉手納基地のそば。母が通った小学校には53年前に米軍機が墜落し児童ら17人が死んだ。母は生き、私が生まれた。ではあの子たちは、なぜ死なねばならなかったのか。

 普天間飛行場の県内移設を訴える政治家を見て気づいた。私たちを見ていない、うつろな目。

 我慢してください。1億の「人間」のために――。「そうか。私たちは『人間』じゃないんだ」

 劇のクライマックス。「豚」たちは結局「人間」に食われる存在ではないかと自問する。老いた「豚」が観客に語りかける。「『豚』が『人間』になれるわけがない。本当は差別されているんだよ」

 大学院生の親川志奈子さん(31)は宜野湾市でウチナーグチ講座を開いている。9年前、ハワイ大学で先住民について学んだ。米国に王制を倒され、言葉を奪われ、基地を置かれたハワイ。まるで植民地。沖縄と日本の関係と同じだと気づいた。日本の言葉しか話せない自分に涙ぐんだ。

 かつては痛みを他者に押しつけまいと思ったが、いまは違う。「基地は日本へ引き取って」

              ☆

ネッ上でもこの通り話題騒然だがこんな基地外女が沖縄県人を代表すると看做されるとは、迷惑な話だ。(怒)http://netouyonews.net/archives/7062925.html

ちなみに記事にも登場する親川志奈子なる被害妄想の女史は、当日記でも取り上げたことがある。

グアムのいいがかり姉さん集団

銀色の侍魂さんが取り上げています。

 

沖縄県祖国復帰40周年記念大会について

         ■■お知らせ■■

政府や沖縄県は特定の限られた人々で復帰40周年の式典を行う予定です。
当然の事ながら、祖国復帰40周年は、県民あげ、国民をあげて祝うべきものと思います。
私共は、以下のように県内外の有志により、祝賀行事の実行委員会を立ち上げ記念行事を企画致しましたので、多くの方々の参加をお願い申し上げます。

◆日の丸パレード (自由参加)
5月12日(土)11時30分普天間宮集合 同45分出発⇒徒歩20分⇒宜野湾市民会館着
*小旗を用意しております。国旗の持参は大歓迎*300人程度の参加を予定しております。

◆記念大会 
5月12日(土)会場:宜野湾市民会館 
入場料:500円(学生以下は無料だそうです) 会場1200席

オープニングセレモニー:13時30分 
県内外の有識者挨拶
特別提言:ペマ・ギャルポ桐蔭横浜大教授「我が祖国チベットと沖縄」

基調講演:津川雅彦(俳優)
       「日本人の誇り―沖縄県祖国復帰40周年を迎えて」
琉球・国まつり太鼓 若手30人による演舞
閉会16時

◆祝賀レセプション
16時15分より
会場:ジュビランス(宜野湾市民会館向い)
会費:4,000円(検討中)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
主催:沖縄県祖国復帰40周年記念大会実行委員会
連絡先:波の上宮内 090-6831―0989 坂本まで
          Fax098(868)4219

 

 よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

 

コメント (18)

ゼロ校時の報酬は不適切 文科省通知 追記あり

2012-05-10 07:23:48 | 未分類

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

 

文末に【追記】があります。

「県教育庁は教育行政に関してもはや指導力は無い。 教育に関して指導しているのはむしろ沖教組だ」

これは約半世紀前、米軍占領下の沖縄で行政主席を務めた松岡政保氏がアンガー高等弁務官に語ったコメントを現在の行政組織に置き換えてみた発言である。

現在の教育行政をつかさどるのは県教委、県教育庁であるが松岡主席がお見通しの通り機能不全を来たし、沖教組の顔色を窺う事に汲々としているのが、八重山教科書問題で暴露されたが、今度は県立高校の「ゼロ校時報酬」問題でも、保護者側の公開質問に答える能力さえ失っている。

半世紀前、琉球政府の松岡政保主席はこういっている。

「琉球政府の教育局は教育行政に関してもはや指導力はありません。教育に関して指導しているのはむしろ教職員会です。」

で、文科省がゼロ校時報酬に関して全国教委に「報酬は不適切」との通知を出した。

今朝の沖縄タイムスは、沖教組と保護者側の板ばさみになりながらも、何とか沖教組を応援したい意図が見え見えの見出しである。

沖縄タイムスら極悪複合体の懲りない面々。

県教委、沖教組を扇動して再度文科省に反乱を起こす気なのか。

まさかね。(笑)

■一面左トップ

ゼロ校時報酬は不適切

文科省見解 全国教委に通知

■社会面トップ

保護者歓迎 高教組は懸念

ゼロ校時報酬 「不適切」通知

受け止め割れる

13県が保護者負担 本紙調査

早朝授業の報酬は不適切 文科省通知

沖縄タイムス  2012年5月9日 18時48分

 文部科学省は9日、早朝授業などで教員が報酬を得るのは不適切との見解を全国の教育委員会に通知した。沖縄県の県立高校が、早朝に授業をした教員にPTA会費で謝礼を払っていたことを受けて対応した。他の高校で同様の事例がないか調べることも求めた。

 不適切としたのは、教科書を使った通常授業と同じような形式の場合や、1時間目の前など勤務時間と区別があいまいなケース。PTAの依頼による土日の特別講習などは容認するが、教育公務員特例法に基づく兼職の届け出が必要とした。

 通知は、校舎整備などに保護者らの負担を求めることも不適切とし、寄付を受ける場合は適正な会計管理と情報公開に努めるよう要請した。(共同通信)

         ☆

今回の文科省の見解は極めて真っ当なものと言えるが、教員側に同情的な極悪複合体やその片割れ達は、問題提起した保護者や有志の会を、掲示板などで「右翼」呼ばわりしたりしたり、政治利用だと貶すことに必死だと聞く。

今回の文科省の見解は、これら極悪複合体とその片割れにとって歯軋りするような結果となった。 

彼らは学力向上のための具体的対案を出さないどころか、ゼロ校時のおかげで塾にいかなくて済んだとか、先生には感謝しているとか、感情論ばかり出していた。

感情に訴えたりレッテル貼りするのは、極悪複合体のいつものパターンだが、彼らの思考にあるのは沖教組支援のイデオロギーのみであり、生徒のことを考えるなど二の次三の次、いや問題にさえしてこなかった。

まさか今回も八重山教科書問題に習って文科省見解に反旗を翻すつもりではないだろうが、仮に文科省見解を受け入れたとしても、これで一件落着、問題が解決したと言うわけには行かない。

いままで届出をしないまま受け取ってきたPTA会費流用の報酬、そして明らかな二重取りについての責任については、お仲間の県教委や沖縄2紙はまだ触れていない。

まさか、お得意のほっかむりで、ウヤムヤにするつもりではないだろう。

もし、県教委や沖縄メディアが関係者に何の処分もなく見て見ぬ振りで通すつもりなら、保護者は「裏給与返還」の提訴をするべきである。

八重山教科書問題で、明らかな法令違反を犯した県教育長を県知事が処分できない理不尽な教育委員会制度について再三問題提起してきた。

橋下徹大阪市長と熾烈なバトルを展開している大阪府委。

陸山英男大阪府教育委員が、橋下氏の「教育改革」に関し、教育委員会制度が内包するこの問題を次のように指摘している。(沖縄タイムス 2012年5月9日)

「問題は教育委員の罷免規定だ。 これまでは首長に教育委員を罷免する権限はなかった。 しかし、条例では首長が主導して設定した教育目標を達成できないと判断されれば、罷免の可能性が出てくる」

そう、教育委員と同様に教育長も罷免できないのが「政治の不介入」を旗印にした現行の教育委員会制度の致命的欠陥である。

かくして県教育庁、県教育委員会などの教育行政機関は、「教育行政の独立性」を盾に県知事の関与を拒否するが、その一方で沖教組の支配を受け、教員の顔色を窺う組織に成り下がってしまった。

半世紀前の松岡主席とアンガー高等弁務官が危惧したとおり、沖縄の教育行政では民主主義は機能停止状態にある。

【おまけ】

先日、県教育庁の不作為にたまりかねた保護者有志が、県教育庁に公開質問を提出したが、これに回答することも出来なかった。

有志質問に「ゼロ回答」 県教委 ゼロ校時問題で八重山日報2012年5月

保護者有志から本件に関しメールが入っているので紹介する。

        ★

 先月提出した保護者有志の会への正式な質問状が4月27日、なんとFAXにて送達されてきました。|
送達の際に、電話等での連絡は一切ございません。

5月1日に、県立学校教育課、長濱副参事に、
「県教育長宛の質問状なのに、個人への回答となっている、それは県教育長名ではなく、長濱さん個人の回答であり、至極不自然な回答です、回答書の送付先、宛名も前もって通知してありましたが?」と質したところ
彼の答えはこうでした。
①この質問状の内容は、これから立ち上げる検討委員会で審議する内容が余りも多いので回答できない。
②4月は業務が多忙で、質問を精査する時間がなかった。
③手書きの個人名で回答した理由は、少しでも早く、回答できないということをお知らせしたかった。
どいうことでした。

次に、ではいつ回答できますか?という質問には
④いつになるか今の時点では判らない。

これでは有志の会への回答にならない、県としてきちんとした回答を指定先に送付すべきでは?
という質問には、この手書きの回答書の不備を認め、詫びたうえで
⑤早急に調べて、本日中に送付させます。
と回答を頂きましたが、5月6日現在、送達がありませんので、この回答書を本日、正式な回答書として
報告させていただきます。
これについては、有志の会全員の同意を得ております。

同時に長濱副参事に「このような回答ではPTA総会で同じ質問が出た場合、返答できず前に進めませんよ」と質すと「そうですね、そうですね」と相槌を打つだけで、具体的な言葉は一切口に出しませんでした。

保護者の疑念や不安解消に積極的に努めない、いまの県の教育行政の姿勢は、まことに残念としかいいようがありません。
県も、学校側も何を守ろうとしているのでしょうか。
子供たちの健全育成、学力向上という言葉は、葵の印籠ではございません。
この問題を、生徒たちのために必要な課外授業の存続に話をすり替え、問題提起した保護者の側が悪いように

誘導することは、問題のすり替えでしかないと思います。
彼らが、ほんとうに守りたいのは何ですか?
生徒の学力向上? それとも既得権益の死守ですか。

私たち有志の会としては、PTA総会を間近に控え、やむにやまれぬ思いをもって、この質問状を提出したのですが、ただ一箇所の回答も頂けないというのは、余りにも誠意がないと感じています。

また、ある高校では、県の通達に反し、1時間3全円の手当て支給を明記したうえでの課外授業の開催を
保護者のほうから依頼してきた、という覚書をPTAに交わさせています。
そもそも、課外授業は先生方が必要性を認めて開催を提起し、実行してきたことであり
それを「保護者からの依頼があったから」という形に持っていくこと自体、保護者からの依頼だから手当てを保護者が負担すべきという、理由作りではないでしょうか。
私たち保護者は、教員ではないので、生徒たちに、どのような講座をどれだけ必要かなんて知る由もありません。
それを「保護者からの依頼で開催」というのは余りにも不自然です。
それなら、全国の高校で行われている課外授業においても、全ての学校で「保護者からの依頼の覚書」が買わされているのか調査すべきでしょう。
北海道札幌在の公立高校PTA会長にお話を伺いましたが、そこでは課外授業をして頂いた先生方に現金を手渡すことなど一切無く、代休などで手当てされているとのこと。
もちろん、講座を開くために「保護者から依頼する覚書」などは存在しないそうです。

1時間3000円の手当て支給について、県はこれを認めてはいないというのですが、その学校の校長先生は「県から指示があった」と仰り、覚書を交わすことを迫ったとのことです。

一貫性のない、いまの教育行政
指導する側、される側が同じ教員であることに、原因があるのではないでしょうか。

回答書の画像を添付しました。

 

【追記】

【おまけ】2

東子さんのコメントの抜粋。

<橋下市長にMBSの女性記者がとんちんかんな質問をあびせている様子。
http://www.youtube.com/watch?v=3OKlJeer0PQ&t=0m45s
彼女の勉強不足もありますが、普通、市長に教育委員を罷免する権限があると思い、あるなら教育委員の指導は市長がすると思っている人が多い。
橋下市長は、↑の動画で、繰り返し繰り返し、市長に権限はないことを述べています。>

 

東子さんの情報で面白い動画と記事に遭遇した。

問題の女性記者は遵法精神など同でもよく、「一律に君が代斉唱を強制」するのが気に食わないだけのイデオロギー女であることは動画を観れば明らか。

それにしてもあれだけボコボコにやられていながら最後に「あの、まあ、これぐらいにしときますけど」には笑わせてもらった。

橋下市長も大阪人らしく「池のメダカか!」と、突っ込みを入れて欲しかった。

 

毎日放送女性記者に大バッシング 「しつこすぎる」「質問になっていない」

 

橋下徹大阪市長が2012年5月8日に行った囲み取材で、MBS(毎日放送、大阪市)の女性記者がしつこく質問し続けて、結局20分以上を費やすことになってしまった。

その場面の動画が公開されると女性記者に対し「態度があまりに幼稚」「しつこすぎる」などとネットで大バッシングが起こった。

市長が問いかけると「質問しているのは私です」

MBSが公立学校の校長に行ったアンケート結果の感想を女性記者が橋下市長に質問したことがきっかけ。教員が歌ったかどうかの口元チェックは過半数がやりすぎだと考えているため、「起立」と「斉唱」は分けて考えるべきではないか、などと質問した。

橋下市長は、なぜ分けて考えるのか、学校の音楽の授業と同じように立っただけで歌わないとしたら成績は付けられない、と反論した。しかし、女性記者は「答えてください」と一方的に質問を続けた。橋下市長は記者に対し、「条例の命令主体と、命令対象者は誰なのか答えて欲しい。そういう原理原則がわかっていない質問には答えられない。答えられないならココに来るな」

などと逆襲。これに対し記者は、

「質問しているのは私です」

と返した。

橋下市長は、この記者はトンチンカンな質問を繰り返しているし、本当にこの記者は市政担当記者なのか、と訊ねた。すると、MBSの同僚と思われる男性記者がこうフォローした。

「よく取材をして回っている(記者)のですが、質問の仕方に問題があったのかもしれません」

これで収まるのかと思われたが、女性記者はそれでも質問をやめず最後に、

「あの、まあ、これぐらいにしときますけど」

とまるで勝利宣言のような発言をした。

「11日夕方放送のVOICEを見て欲しい」とMBS広報

これには橋下市長もキレ、

「国歌を歌いたくない人、トンチンカンな質問をする人も採用してくれるから、そんな人たちはみんな、MBSに行ったらいいですよ!」

などと批判した。

ネットではこの記者に対するバッシングが異常に盛り上がっていて、掲示板「2ちゃんねる」でも数十もの関連スレッドが立つ「祭り」に発展している。

「橋下に速攻で論破されたにも関わらず、偏った思想でそれでもひつこく食い下がるこの女が悪いんだろ」
「こんなのがいい加減な記事出してるんだな。元弁護士の橋下と記者じゃ、おつむの差がありすぎて話がかみ合わないだろ」
「女性記者よ、国歌を歌うのに突っかかるのは、 あなたの、個人的な、反日思想からだろ。しょーもない」

といった書き込みが出ている。

MBSにもこの女性記者に対する賛否両論が数多く寄せられているという。MBS広報は、この女性記者はニュース番組VOICE(ヴォイス)の担当記者で、5月11日午後6時15分放送分で大阪市の国歌起立斉唱義務問題の特集をするために取材に入った、と説明した。その中で使用する橋下市長のコメントが必要で必死に食い下がったのだろう、ということだった。今回、視聴者から寄せられた意見は真摯に受け止める、としながらも、

「あくまで私たちの勝負の場所は番組ですので、ぜひVOICEの特集を見てもらい、またそれから様々な意見をいただけると嬉しい」

と話している。

 

■「沖縄県祖国復帰40周年記念大会」■

日時 5月12日(土)13時30分~
会場 宜野湾市民会館(宜野湾市役所隣)

500円(学生以下無料

オープニング
・琉球舞踊「かぎやで風」(4分程度)
 佐喜眞恭子(佐喜眞市長の妹様 ほか数名)

・地元・平安幼稚園園児による詩吟・素読(5分程度)

第一部
実行委員長挨拶(5分程度)
中地昌平(沖縄県工業連合会顧問 日本会議沖縄県本部会長)

メッセージ 
仲井真弘多(沖縄県知事)

来賓祝辞 (3分程度の短い挨拶)

平沼赳夫(たちあがれ日本代表)
・三好達(元最高裁判所長官  日本会議会長)
・佐喜真淳(宜野湾市長・・・27年ぶりに革新市政を倒す)
・宜保晴毅(豊見城市長・・・若手保守市長)

・復帰運動体験者より提言
 又吉康勇(元嘉手納村PTA会長 「沖縄子供を守る父母の会」副会長)

・未来を担う「復帰っ子」より提言
 宮平貴裕(日本青年会議所(JC)沖縄地区協議会 会長)

・決議採択(地元大学生2名)

第二部

「我が祖国チベットと沖縄」(15分)
ペマ・ギャルポ(桐蔭横浜大学教授・ブータン国王来日時通訳)

「日本人の誇り~沖縄県祖国復帰40周年を迎えて~」(40分)
特別ゲスト 津川雅彦(俳優)
津川氏はTBSドラマで佐藤栄作総理を演じ、祖国復帰に関心を持たれています。

フィナーレ
「ミルクムナリ」
「風の結人」
「ゆいとーま」
 琉球國祭り太鼓×日出克
日出克ライブ

沖縄が生んだ天才アーティスト日出克が歌い、琉球國祭り太鼓が舞い、祖国復帰40周年を祝います。

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

コメント (27)

故赤松大尉直筆の手紙を届ける

2012-05-09 11:34:10 | 県知事選

■沖縄タイムス 1983年6月8日

故赤松大尉直筆の手紙を届ける

衆議院調査室の徳嵩力さんが本社東京支社に

住民に「申し訳ない」

虐殺については否定?

【東京】戦時中、海上挺進第三戦隊の隊長として渡嘉敷島の守備につき、住民虐殺、集団自決のあの悲惨な「事件」に深く関与したといわれる赤松嘉次大尉(故人)が12年前、当時の陣中日誌とともに関係者に出した直筆の手紙がこのほど、沖縄タイムス東京支社に届けられた。渡嘉敷での数々の悲惨な出来事について赤松氏は「一部マスコミの興味本位な報道」と伝えられる事実関係については強い口調で否定。 敗戦の結果についてのみ「申し訳ない」とつづっている。折りしも、沖縄では三十八回目の「慰霊の日」をやがて迎える。

手紙を保管なしていたのは、衆議院外務委員会調査室に勤める徳嵩力さん(61)。復帰前、「鉄の暴風」(沖縄タイムス刊)を読み、そのなかで渡嘉敷島の住民虐殺、集団自決など悲惨な出来事を初めて知った徳嵩氏が、やっとの重いで赤松氏を探しあて、事実関係を尋ねたことに対する返書で日付は昭和四十五年十一月三十日。 
そのなかで赤松氏は「戦時中、現地の方々の献身的な協力にも拘わらず力足らず、あのような結果になったことは沖縄で戦った者として現地の方々に申し訳なく思っている」と敗戦の悔いを「つづっている。
ただ住民虐殺、集団自決への自身の関与については「一部マスコミの、現地の資料のみによる興味本位的に報道されているようなものでは決してありませんでした」と強く否定。 同時に沖縄を訪ねた際(四十五年三月)の渡嘉敷住民、民主団体の抗議についても“大規模な歓迎”を受けたと、抗議が以外だった心情を吐露している。
仕事上の関係もあって「沖縄に強い興味を持つ」という徳嵩氏は手紙と陣中日誌を読み返し「どうも後で理由付けした感があり、説得力に乏しい」と感想を語る。 さらに「赤松氏個人への感情は別として」と前置き、「住民の証言の方が、より重みがあるし、軍隊は、その特性から、いつでも物事を正当化するものです。 教科書問題にしても、やはり虐殺の事実は事実として歴史にとどめるべきだし、それが生き残った私たちの使命」とも。
中学、高校の教科書で沖縄戦で住民虐殺の記述も復活の兆しにある。 赤松氏がどのような胸中で手紙をつづったかは、確かめるよしもないが、日本軍による住民虐殺、軍命による集団自決という悲惨な出来事が渡嘉敷島で起こったことはまた歴史の事実である。

              ☆

 (書きかけで誤ってアップしてしまいました。続きは追ってアップします)

 

【追記】

(約30年前の沖縄タイムスの記事のアップはこれで完了ですが、この稿は未完であり続きは追ってアップの予定です。

記事を読んでのコメントは歓迎です。)

コメント (4)

八重山教科書問題と米軍占領下の教育行政

2012-05-09 08:23:29 | 県知事選

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

 

沖縄の新聞の見出しで「差別」の文字を見ない日は無い。

今朝の沖縄タイムスの一面、社会面のトップも「差別」の大見出しが躍っているが、本日の沖縄タイムスの目玉は教育面。

本日の話題は「教育面」の全頁を使った教育委員会制度特集についてである。

教育面は要保存である。

見出しを紹介する。

波乱呼ぶ橋下教育改革

首長関与強調 揺らぐ独立性ー教委の在り方改革必要 陰山英男氏(大阪府教育委員)に聞く。

独自取り組みで存在感ー犬山市・中野区ー「識者談話」首長に責任を(小川正人放送大教授ー教育行政学)

文科省、政治介入に苦慮 ≪教委制度改革案≫

28市町村に公募の委員 10年度 宜野湾市など

政治が教育に強く介入した戦前の反省から、アメリカに習って導入された教育委員会制度は教育の政治からの独立をうたい文句にしていた。 ところが戦後一貫して教育が政治の影響を受けなかったことは無い。世界でも珍しい政治集団の日教組が教育を支配してきたことは日教組のドンといわれる輿石東民主党幹事長の公言を待つまでも無く明白な事実である。

八重山教科書問題は玉津八重山地区採択協議会会長の独裁的手法がもたらした騒動だと沖縄メディアでは喧伝されたが、実は政治の「教育への不介入」を逃げ口上に首長が頬被りしてきた沖教組(日教組)の教育支配の弊害にメスを入れるべく断行した教育改革だった。

ほぼ同時進行で橋下徹大阪市長が挑戦している教育改革も形骸化した教育委員会制度の改革を柱に置いている点では玉津教育改革と相通ずるものがある。

八重山教科書問題で沖教組が法令無視の暴挙に及んだルーツを米軍占領下の教職員組合(沖教組の前身)の民主主義否定の暴挙である「教公2法阻止行動」に求めた興味深い論考を紹介する。

当日記でも何度か紹介したヒジャイさんのブログである。

教公二法と八重山教科書問題

真は1967年2月24日立法院を取り巻いている沖縄の教師たちである。大衆ではなく教師たちである。教公二法とは教師の政治活動を禁じたものである。復帰前の沖縄は教師が政治活動を自由にできた。革新系の立候補者が学校の職員室にやってきて、支持を訴えて握手するのは見慣れた風景だった。教職員たちは教公二法を阻止しようと立法院を取り巻いた。見ての通りものすごい人数である。

 沈痛な面持ちでハンガーストライキをしている屋良朝苗氏は沖縄教職員会長であり、初代の公選選挙主席であり、初代沖縄県知事である。屋良氏は社会党や共産党系ではなく戦後の沖縄の教育に情熱を傾けた人である。「祖国復帰して本土並みの環境になれば沖縄の学力も本土並みになる」と信じていた人間であった。その信念で復帰前は沖縄の教育環境を改善するために全国を周って教育資金集めに尽力した。彼の努力で日本政府を動かし政府からの援助も実現した。

 屋良氏たちのハンガーストライキの効果はなく、民主党(自民党系)は教公二法案の成立への手続きは進んでいった。危機を感じた教職員は10割年休闘争を決定して写真のように立法院を取り巻いた。そして、1967年2月24日、民主党が教公二法を強行採決しようとした時、教職員は警護している警察管をごぼう抜きにして立法院に突入して実力で教公二法の議決を阻止した。一部の議員はアメリカ軍のヘリコプターで脱出したという。
 教公二法闘争は教職員の政治力の強さを証明した事件であった。
 60~70年代の教員組織は沖縄の政治を主導した。あの頃活躍した若き教員たちが現在の60~70年代の教諭OBである。

 USCAR文書は興味深い。当時の新聞は教職員側の報道だけであり、警察や高等弁務官の話が報道されることはなかった。
 アンガー高等弁務官は「教公二法案を可決することは沖縄における民主主義がかかっています。民主主義や多数決のルールに従うのか、それとも暴徒のルールに従うかです。教師の政治活動や子供への影響の問題も重要なことですが、より深刻なのは、果たしてこの島で民主主義が生き残れるかということです」と心配している。

 革新系政治家や知識人から植民地支配をしていると言われているアメリカのアンガー高等弁務官は「果たしてこの島で民主主義が生き残れるか」と教職員の運動を民主主義を破壊する存在とみなしている。そして、アメリカは沖縄の民主主義を守る側にあると認識している。アメリカが沖縄を民主主義社会にしようとしていたことが窺える。

 アンガー高等弁務官は、対立が沖縄人同士であるという理由で琉球政府からの琉球政府からの米軍の直接介入の要請を断っている。沖縄に三権分立の制度をつくったのはアメリカである。主席は民政府が任命したが、アメリカ軍の存在を除外すれば、沖縄は民主主義国家であった。沖縄人同士は民主的な関係であったのだ。アメリカ人が経営しているのはほとんどなかった。戦前までは武士階層や旧薩摩藩系が沖縄の経済を支配していたが、戦後のアメリカ民政府時代は戦前の特権階級の経営者はいなくなり、沖縄の庶民が自由に商売ができるようになった。平和通りは戦後に発展した自由市場である。たばこや酒は自由に販売できた。
沖縄経済はアメリカ流の自由貿易であり、外国人の投資も自由であったから、台湾人、フィリピン人、韓国人だけでなくインド人などの中東の人間も沖縄で商売をしていた。

 日本に復帰すると、外国人が急激に減っていった。フィリピンバーは嘉手納町、石川市、沖縄市の中の町などいたる所にあったが、今はなくなった。復帰後に残ったのは沖教祖や自治労の強力な政治力である。

 八重山教科書問題を冷静に考えれば、中学三年生の公民ひとつの教科書問題である。教科書は国が検定したものでありちっぽけな問題であるのに、沖教祖や教員OBや革新系知識人が育鵬社の教科書を採択したら軍国主義国家にもどるなどと妄想でしかない噂を振りまいて沖縄中を大騒ぎせた。いや、沖縄中が大騒きしたというのは疑問だ。新聞が大騒ぎしただけかもしれない。

 八重山教科書問題は教科書採択に重大な問題があるのではなく、1967年に警官隊さえ排除して教公二法の決議を阻止した教職員の絶大なる力が2011年でも健在であり、自分たちのテリトリーに侵入してきた育鵬社の教科書を排除しようと自分たちの組織を最大動員して多くの集会を開催したり、署名を集めたりして実力行使をしたということだ。

 生徒や親たちとは関係のない大騒ぎだ。

                        ☆

ヒジャイさんも紹介している「絶対権力者」のアンガー高等弁務官と当時の行政主席(現在の知事)との民主主義についての会話は興味深い。

アンガー高等弁務官「果たしてこの島で民主主義が生き残れるか」と教職員の運動を民主主義を破壊する存在とみなしている。そして、アメリカは沖縄の民主主義を守る側にあると認識している。アメリカが沖縄を民主主義社会にしようとしていたことが窺える。

ヒジャイさんが引用した「開封1次資料ーUSCA文書」から、高等弁務官と主席の会話を引用するが、絶対的独裁者と喧伝された高等弁務官が沖縄の民主主義の将来を危ぐしているのも歴史の皮肉である。

松岡政保主席「・・・琉球政府の教育局は教育行政に関してもはや指導力はありません。教育に関して指導しているのはむしろ教職員会です。」

アンガー高等弁務官「どんなことがあってもこれら2法案を可決するというあなた方の立てた目標はに賛同します。 民主党(筆者注・・現在の民主党とは別物で当時の沖縄の保守系与党)のためだけでなく、沖縄における民主主義の存在がかかっています。 これは根本的問題です。 民主主義や多数決のルールに従がうかです。 教師の政治活動や子供への影響の問題も重要ですが、より深刻なのは、果たしてこの島で民主主義が生き残れるかということです。」

この会話が行われた1967年から約半世紀経過したが、八重山教科書問題で沖教組や県教育庁が行った行動を見ると、45年前にアンガー高等弁務官が危惧したとおり「この島で民主主義は生き残れなかった」ということが証明されたことになる。

松岡主席の発言の「琉球政府」は「沖縄県」、「教育局」は「県教育庁」、「教職員会」を「沖教組」とそれぞれ入れ変えてみると、現在の沖縄の教育行政が半世紀前の米軍占領下の教職員会の政治色を脈々と受け継いでいることがわかる。

教育と政治の分離を旗印に教育委員会制度を日本に持ち込んだ米国だが、米軍占領下の沖縄では逆に教育の政治色が現在より強かったというのは歴史の皮肉である。

「教公二法」について知る県人も少なくなった。

琉球新報が「新報アーカイブ・あの日の紙面」として振り返っているが、現在でいえば県議会で民主主義のルールに則って議決しようとした法案を当時の先生方のルール無視の暴力行為で阻止したという沖縄の歴史上恥ずべき汚点という視点が欠け落ちているのは相変わらずである。

<26>「教公二法」本会議中止 1967年2月24日夕刊2010年2月26日

 

教公二法案が上程されることになった1967年2月24日の立法院は、早朝から約千人の警官隊と約2万人の教公二法阻止共闘会議の請願隊が激突し大混乱になった。立法院のガラス戸が壊され、請願隊と警官隊の双方にけが人が出るなど教公二法をめぐる激突は最悪の事態となった。請願隊は立法院の表と裏に総攻撃をかけ、警官隊と激しくもみ合い突破。午前11時すぎ、長嶺秋夫立法院議長が「本会議とりやめ」を発表した。
 24日午前5時半、警官隊約900人が立法院前に集結。表玄関と裏口に座り込む阻止団を実力で排除するごぼう抜きが開始された。午前9時25分、約300人の請願隊が院内に入ろうと殺到、玄関を固めた警官隊を逆にごぼう抜きにしていった。2時間にわたる波状攻撃の末、請願隊は立法院玄関を占拠。午前11時10分「本会議はとりやめ」の報告が流れ、立法院を包囲した2万人の請願隊からワーッと歓声が上がった。
 請願隊と警官隊の激突で約100人の負傷者が出た。警官に警棒で殴られた労組員の男性(27)は、頭に4針縫う重傷を負い「正当な請願も認めず殴り掛かってきた。警官は暴力団だ」と憤慨。一方、請願隊にこづき回され、顔面打撲を負った那覇署員(31)は「プラカードなどで殴られたことまでは覚えているが、あとは分からない。生きた心地がしなかった」と語った。
 24日午後6時すぎ、教公二法案は「現在の案は5月31日まで棚上げ」「6月から与野党が調整して新たな案の作成に努力」「調整案ができない場合は現在の案を廃案にする」旨の協定書を与野党が取り交わし、実質的に廃案とすることで決着した。

◆教公二法
 「地方教育区公務員法」と「教育公務員特例法」。もともと2法は年金制度、結核・産前産後の休暇など教職員の身分を保障するものだったが、勤務評定、政治行為の制限、争議行為の禁止などがあったため、沖縄教職員会では当初から一貫して反対の立場を表明していた。

                 ☆

 

【おまけ】

石垣市民の読者のコメントです。

    ☆

> Unknown (S里E利)
> 2012-05-08 05:15:00
> 涼太様

http://jaima.net/modules/readings/index.php?content_id=44

座談会出席者の人物ご紹介です。

中央、あの愚劣な「寸劇」会長役「江川義久」氏(前江川三津江教育長の
ご主人、旧姓大城)、左右の人物もご紹介しますね。


【座談会】長編ドキュメンタリー映画『ひめゆり』座談会出席者

向って右側、母上はひめゆり学徒の元教師、高齢ですがご健在。
■石堂徳一
昭和24年、石垣市大川生まれ。登小→石中、真和志中→八重高、首里高卒業後、
多摩川大学卒、琉大日本教育史研究室修了。八重高臨時教員を経て、
現在(は退職公務員。)、石垣市教育委員会文化財担当。

中央、寸劇と同じ語り口のコメントのようですね。
■江川義久
昭和19年、台湾・高雄生まれ。糸満小→糸満中、石中→八重高卒業後、
富山大学へ進学。38年間英語教諭を勤め、退職を迎えた。

向って左側、まじめ一筋の方だと思いますが、・・・。
■佐久川広海(向って左側、まじめ一筋の方だと思いますが、・・・。)
昭和19年、台湾・基隆に生誕。終戦を迎え与那国島渡る。
登小→石中を卒業。20歳の頃から喫茶店「朱欒(ざぼん)」を経営。
平成18年には「プロデュース海」を発足。音楽活動に邁進する。


石垣島読者より

 

■「沖縄県祖国復帰40周年記念大会」■

日時 5月12日(土)13時30分~
会場 宜野湾市民会館(宜野湾市役所隣)

500円(学生以下無料

オープニング
・琉球舞踊「かぎやで風」(4分程度)
 佐喜眞恭子(佐喜眞市長の妹様 ほか数名)

・地元・平安幼稚園園児による詩吟・素読(5分程度)

第一部
実行委員長挨拶(5分程度)
中地昌平(沖縄県工業連合会顧問 日本会議沖縄県本部会長)

メッセージ 
仲井真弘多(沖縄県知事)

来賓祝辞 (3分程度の短い挨拶)

平沼赳夫(たちあがれ日本代表)
・三好達(元最高裁判所長官  日本会議会長)
・佐喜真淳(宜野湾市長・・・27年ぶりに革新市政を倒す)
・宜保晴毅(豊見城市長・・・若手保守市長)

・復帰運動体験者より提言
 又吉康勇(元嘉手納村PTA会長 「沖縄子供を守る父母の会」副会長)

・未来を担う「復帰っ子」より提言
 宮平貴裕(日本青年会議所(JC)沖縄地区協議会 会長)

・決議採択(地元大学生2名)

第二部

「我が祖国チベットと沖縄」(15分)
ペマ・ギャルポ(桐蔭横浜大学教授・ブータン国王来日時通訳)

「日本人の誇り~沖縄県祖国復帰40周年を迎えて~」(40分)
特別ゲスト 津川雅彦(俳優)
津川氏はTBSドラマで佐藤栄作総理を演じ、祖国復帰に関心を持たれています。

フィナーレ
「ミルクムナリ」
「風の結人」
「ゆいとーま」
 琉球國祭り太鼓×日出克
日出克ライブ

沖縄が生んだ天才アーティスト日出克が歌い、琉球國祭り太鼓が舞い、祖国復帰40周年を祝います。

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

コメント (11)

辺野古テント村遠征第2弾!

2012-05-08 07:42:52 | 県知事選

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

「辺野古テント村」遠征の第2弾です。

昨日の辺野古行きは前回同様有志のIさん、本土紙のT記者の2人が同行した。

今回の辺野古行きの目的は二つあった。

メインは辺野古出身で現在も辺野古に在住の名護市会議員の赤嶺さんとの面談。

その前に名護市役所に立ち寄って、明らかに違法な辺野古テント村に対して当該海岸の地権者である名護市が無作為で是認した形になっている事実を証明する公文書を入手することが次の目的だった。

入手した公文書は「公有財産現在高報告書」。

簡単に言えば、こういうことだ。

公有地は年に2回現地調査をして現場に違法建築物などが建って資産価値が減少した場合はこれを書類に明記し届けることが法律で決められている。

問題の辺野古テント村設置されている海岸は7年間もの間、撤去を拒否するテント村があるため、公有地の資産価値に変動(減少)があることは明らかである。

ところが昨日入手した公文書には3月末日の最新記録には「工作物」を記入するする欄が空白になっており、明らかに名護市は公有財産に関する法令違反をしていることになる。

辺野古テント村に関する名護市の法令違反の証拠書類をゲットし目的は達したのだが、折角名護まで来たので島袋前名護市長を表敬のため訪問した。

が、アポなしだったため留守で、その足で山越えをして一路辺野古へと向かった。

辺野古に着いて宮城議員との約束の時間にまだ間があった。

T記者を辺野古集落を見苦しく汚している「基地は出て行け!」などと書いた横断幕や張り紙の類を写真に撮るべく別行動。

Iさんは折角だからと挨拶のため1人でテント村に向かった。 

筆者は前回テント村に行ったとき説明係の女性にクドクド「反戦平和」を説明され、「テント村は違法だと」と抗議しても「弁護士に聞いたら合法だと言っています」と決まり文句。

話が噛み合わなかったので、今回は辺野古漁港の側に行って船の様子などを見ていた。

つまり3人とも別行動を取ったわけ。

その間、どう見ても地元の人には見えない白髪の老婦人がテント村に向かうのを目撃した。

テント村内部にはハングル文字の張り紙があった。 この老婦人、韓国系に見えた。

静かなはずの辺野古海岸に突然聞こえてきたのは、大声で怒鳴りあうただならぬ音声。

漁港側からテントの方に近づいてみるとIさんがテントの外から中に向かって大声でやり合っている、と言うより啖呵を切っているといったほうが似つかわしい。

断片的に聞こえてくるIさんの怒りのに次のようなもの。

「いい年をしてこんなことをして恥ずかしくないのか!」

「君たちは人間のクズだ!」

これに対してテントの中から男の声でやり返す怒声があったが意味不明。

乱闘騒ぎにでもなっら困る。

多勢に無勢で、向こうには警護用の猛犬も飼っているいようだし、そもそも今回はテント村に殴り込みをかけるために来たわけではない。

しかし冷静なIさん、大声による乱闘だけで、しばらく交戦した後何事も無かったように平然と後戻ってきた。

前回は議論のできる相手はいなかったので、「テント村は違法だ」と伝えるだけだったが、今回はテント村の責任者の安次富浩氏が偶然にもテントの中に鎮座していた。

Iさんの話をまとめると、安次富氏との怒声のバトルは概ね次の通り。

Iさん「責任者がおられて丁度良かった、ゆっくり話をしたい」

安次富氏「貴方とは話が合いそうも無いから帰ってください」

Iさん「貴方は海浜法をご存知ですよね」

安次富氏「知りません」

Iさん「弁護士が海浜法も知らないでこんな違法な座りこみをするのですか」

安次富氏「私は弁護士ではありません」

Iさん「えー? 貴方は名護市に弁護士事務所を構えているではないですか」

安次富氏「あれは同姓同名、同年齢の別人です」

実はIさん、近々テント村の責任者の安次氏と話し合いをするため、ネットで連絡先を調べたらこんなサイトを見つけた。

安次富浩弁護士-やんばる法律事務所

それにこんなサイトを見ると誰でもテント村の代表は弁護士だと錯覚を起こす。⇒安次浩氏講演

【IWJ愛知】この10年、沖縄の多くの団体をまとめ上げ、粘り強く抵抗運動をひっぱてきた安次富浩弁護士のお話です。 ( #IWJ_AICHI1 live at http://t.co/Oi0wFw2o)

安次富浩弁護士は同姓同名の別人と云われたあたりから、Iさんの怒りのボルテージが急上昇し始めた。

Iさん「弁護士でなくてもここの責任者なら海浜法があることくらい知っているべきではないか」(怒)

安次富氏「お前には関係ないことだから出て行け!」(罵声)

Iさん「オレは沖縄県民で県税も払っている!お前こそ、辺野古とは関係ないではないか」

安次富氏「関係ないヤツは出て行け!」

Iさん「いい歳こいてこんなところで座り込んで恥ずかしくないのか! お前らは人間のクズだ!」

その間安次富氏も罵声で応戦していたが意味不明なので省略。

総じて云うと、今回の口頭バトルはIさんの圧勝と言うことができる。

テントの中には女性も含む5人程度の人がいたが、下を向いたままで専ら罵声で応戦してしていたのは安次富氏1人だけ。

それにしても同じ年齢で(65歳)同姓同名。しかも同じ名護市に活動拠点を持つ人物がいる????

偶然にしても不思議な話である。

テント村代表の安次富氏が弁護士を名乗ったら弁護士法違反になるが、同姓同名をいいことにあえてそれを伏して演説などをすると暗黙のうちに「安次富弁護士」と誤解する人が続出するのではないか。

これは、今回のように問いたださない限り、事実上弁護士を名乗っているのと同じではないか。

安次浩氏講演⇒【IWJ愛知】この10年、沖縄の多くの団体をまとめ上げ、粘り強く抵抗運動をひっぱてきた安次富浩弁護士のお話です。

 

 

 

■「沖縄県祖国復帰40周年記念大会」■

日時 5月12日(土)13時30分~
会場 宜野湾市民会館(宜野湾市役所隣)

 500円(学生以下無料

オープニング
・琉球舞踊「かぎやで風」(4分程度)
 佐喜眞恭子(佐喜眞市長の妹様 ほか数名)

・地元・平安幼稚園園児による詩吟・素読(5分程度)

第一部
実行委員長挨拶(5分程度)
中地昌平(沖縄県工業連合会顧問 日本会議沖縄県本部会長)

メッセージ 
仲井真弘多(沖縄県知事)

来賓祝辞 (3分程度の短い挨拶)

平沼赳夫(たちあがれ日本代表)
・三好達(元最高裁判所長官  日本会議会長)
・佐喜真淳(宜野湾市長・・・27年ぶりに革新市政を倒す)
・宜保晴毅(豊見城市長・・・若手保守市長)

・復帰運動体験者より提言
 又吉康勇(元嘉手納村PTA会長 「沖縄子供を守る父母の会」副会長)

・未来を担う「復帰っ子」より提言
 宮平貴裕(日本青年会議所(JC)沖縄地区協議会 会長)

・決議採択(地元大学生2名)

第二部

「我が祖国チベットと沖縄」(15分)
ペマ・ギャルポ(桐蔭横浜大学教授・ブータン国王来日時通訳)

「日本人の誇り~沖縄県祖国復帰40周年を迎えて~」(40分)
特別ゲスト 津川雅彦(俳優)
津川氏はTBSドラマで佐藤栄作総理を演じ、祖国復帰に関心を持たれています。

フィナーレ
「ミルクムナリ」
「風の結人」
「ゆいとーま」
 琉球國祭り太鼓×日出克 
日出克ライブ

沖縄が生んだ天才アーティスト日出克が歌い、琉球國祭り太鼓が舞い、祖国復帰40周年を祝います。

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

コメント (2)

捨石か要石か、沖縄宿命論

2012-05-07 07:04:28 | 県知事選

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします 

 

米軍基地撤廃派のこんな意見を良く聞く。

「米軍基地が日本の国防になるのなら、日本の全県に均等に分散させよ」「沖縄だけに集中させるのは差別だ」などなど。

その瞬間、これらの文言は自己破綻に陥る。

米軍基地撤廃を叫ぶなら日本国内から国外に移設するのが筋論のはずだが、その同じ口で「米軍基地を日本国内に均等に分散」と叫ぶのが矛盾と言うのだ。

もう一つの破綻を指摘しよう。

この意見の致命的過ちは、米軍基地とゴミ処理施設を同一に見ていること。

米軍基地は国防のためでありその設置する場所は自ずと限られてくる。

つまり地政学的条件に適しない地域に住民が誘致したとしても、設置したら無用の長物になるのが米軍基地だ。

その点沖縄は「太平洋の要石」(keystone of the Pacific)といわれるように地政学上重要な位置にある。 

沖縄返還前の米軍車両のナンバープレートにはkeystone of the Pacificという標示があった

復帰前のナンバープレート

「日本は沖縄を本土防衛の捨て石にした」とよく言われるが、米軍の攻撃進路に、他の地域にあった沖縄を持ってきて捨て石にしたわけではない。

米軍が沖縄を本土攻撃の重要地点、つまり要(かなめ)石と考えたから進路に位置する沖縄に攻撃をかけたのだ。

そう、沖縄は「捨石」ではなく「要石」だったのだ。

ただ、物事には常に二つの側面がある。 

現在の位置に沖縄が存在するということは、国防上も経済上も要石でありメリットである。

一方日本侵略を狙う国にとっては攻撃の要石であり、そこに住む住民にとってはデメリットになることは、沖縄戦における米軍の猛攻撃を見れば明白である。

沖縄がその地政学的優位性を生かして琉球王国を経営してきたことは周知のの通りだ。

この沖縄の地政学的地位を如何ともしがたい「宿命論」として受け止め、それをプラスに捉えるかマイナスに捉えるかは、県民が決めればよい。

「沖縄宿命論」に関し、過去にエントリーした「 小指の痛みを加筆編集して再掲する。

 沖縄に米軍基地が集中しているのは戦略的地位に沖縄が存在する宿命である、という沖縄宿命論がある。

その一方で東西冷戦が終わった現在、沖縄に戦略的価値を求めるのはナンセンスだという非宿命論もある。

非宿命論に従うと、日本の防衛に沖縄だけを盾にするのは不公平だから、米軍基地は日本全国に公平に分担させよということになる。

米軍基地はゴミ処理場なみに地元住民の同意とスペースさえあるなら日本全国何処でもよいということだ。

普天間基地を「県外・国外」と叫ぶドサクサ紛れにに、米軍基地の全面撤去を叫ぶサヨク勢力も蠕動し始めた。

2010年の「4・25県民大会」が開かれた日の沖縄タイムス社説はその勢力に呼応するように「[歴史の節目に]宿命論と決別するときだ(2010年4月25日 )という仰々しいタイトルだった。

歴史の節目に]宿命論と決別するときだ
  2010年4月25日 09時55分  

 圧倒的な基地負担が沖縄の宿命であるはずがない。国による不合理な押し付けを拒否し、きょう、県内各地から多くの住民が県民大会に集う。

米兵暴行事件に抗議して開かれた1995年の10・21県民大会以来の島ぐるみ運動だ。仲井真弘多知事をはじめ41市町村の全首長(2人代理)、政党、各種団体、市民が一丸となって米軍普天間飛行場の県内移設に反対の意思を表明する。

 「県外・国外移設」の可能性を十分に追求しない政府の不誠実な対応に抗議し、党派を超え世代を超えて「県内移設ノー」の意思を示すのは初めてである。その波紋は大きく広がるだろう。基地沖縄の宿命論に終止符を打つときだ。

 米兵暴行事件への対応策として、橋本龍太郎首相は「米軍の兵力構成について継続的に米側と協議する」との総理談話を発表したが、実現しなかった。小泉純一郎首相は2004年10月、普天間について「県外、国外の両方を考えていい」と発言したが、その8カ月後、「自分の所にはきてくれるなという地域ばかりだ」とあっさり撤回した。鳩山由紀夫首相が「最低でも県外」と公言したことで県民の期待はかつてなく高まった。

 普天間問題を考える上で最も重要な要素は、政権交代によって生じた住民意識の変化である。急浮上した辺野古修正案であれ勝連沖埋め立て案であれ、県内移設はもはや不可能だ。歴史の歯車を後戻りさせるようなことがあってはならない。

 政府はこれまで沖縄の「地理的優位性」を強調し、米軍基地の必要性を主張してきた。台湾海峡に近く、北朝鮮から適度な距離にある、と政府関係者はいう。

  しかしその論に具体性は乏しい。沖縄駐留の海兵隊は約2000人の遠征隊を動かす編成で、任務は紛争地での自国民救出など限定的だ。

 海兵隊を運ぶ艦船は長崎県佐世保に配備されている。朝鮮半島情勢が悪化したとき、船は佐世保からいったん南下して沖縄で隊員や物資を載せ、再び北上する。北朝鮮を警戒するのなら九州中北部に海兵隊を集約させたほうがよっぽど合理的だ。

 海兵隊はアジア太平洋で広範に活動しており、絶えず日本をガードしてくれていると考えるのは都合のいい思いこみだ。「日米同盟=基地提供=沖縄」という固定観念は事実を直視しないために起きる幻想にすぎない。

  戦後日本は経済復興を優先した。安全保障については米国に多くを委ね、米軍駐留をすべての前提としてきた。それが外交・防衛の原則となり、「同盟管理」さえ間違えなければ日本は安心だと信じ込んできた。

  米軍がらみの事件事故で地位協定の問題が浮上し、それが主権にかかわる内容をはらんでいても、同盟が傷つかないよう沖縄だけの出来事として切り捨てられる。成熟した民主主義社会で、このような負担の不公平を放置し続けることは許されない。

  「アメとムチ」によって基地移設を押し付けられる地域は、住民同士の対立感情が深まり、崩壊の危機にさらされる。環境汚染が指摘されても地元自治体に基地内立ち入り調査の権限はない。

 基地問題は沖縄問題という地域限定の問題なのではない。この国のあり方が問われているのだ。

 沖縄に米軍基地が集中している理由を、沖縄の置かれている地政学的的位置に求める宿命論に対する反論のようだ。

このところ連日紙面を飾る米軍基地に対する恨み辛みの記事を読んでいると、なぜかその昔、伊東ゆかり歌った「小指の想い出」の歌いだしを想いだす。(古過ぎる~笑)

♪~あなたが噛んだ 小指が痛い~♪

好きな彼氏に噛まれる小指の痛みは、ほろ苦い、いや「ほろ甘い」想い出を伴うのだろうが、沖縄の新聞に時折現れる「小指の痛み」には、伊東ゆかりの甘ったるい歌声とは似ても似つかぬ「恨み辛み」がこもっている。

好きな彼に噛まれるしか能のない小指が、美食三昧に明け暮れる口を羨んで見たところで、仕方のないこと。 小指は小指として生まれた宿命である。

一方、足の裏に言わせると小指はまだマシな方だ。 臭い靴の中で一生踏みつけられおまけに水虫の攻撃を受ける足の裏の身にもなって見ろ。

だが、そう言い出したらキリがない。

「口が堪能した美食のケツ末を一生処理し続ける自分は差別ではないか」、

と今度は肛門が騒ぎ出す。

だからと言って肛門で美食を味わうことも出来ない。

肛門が口を羨んでもせんなきこと。

小指には小指の宿命があり、肛門には肛門の宿命がある。

沖縄が地政学的に重要な位置に存在することを嘆いて、沖縄を浮島にして日本国中好きなところに移動させたい。

こんな白昼夢を見た沖縄タイムスの記者がいた。

所詮それは叶わぬ夢だが。

ここに『鉄の暴風』の執筆者で沖縄タイムスの先輩記者でもある牧港徳三氏が書いた「沖縄宿命論」がある。

『うらそえ文藝』(第10号 2005年刊)に寄稿の「ある種の記憶」という随想の中で牧港氏は次のように書いている。

私は、以前こんな風に書いた。「沖縄・地理の宿命論。この地理的宿命論は他にもある。陸の孤島と化したことのある東・西ベルリン、或いは現在の南北朝鮮。南・北ベトナム。その地域によって分かれている地理的宿命論である。沖縄の落ち込んでいる不条理は、純粋に地理の生んだ陥穽とはいえないが、アメリカによって生まれた基地の重圧を一身に背負う沖縄は、偶然とは言え、一種の『地理の宿命』であることは間違いあるまい。
仮りに、沖縄が、四国か、九州の海岸か、或いはオホーツク海の氷島の傍であっても、いっこうにかまわない。白昼のミステリーと笑いとばせばよい変幻夢を、沖縄の今日の歴史は刻んでいる。」・・・と、かつて私は書いたことがある。(「無償の時代」)

続けて牧港氏は、自身の沖縄戦の悲惨な体験を回想記風に綴った後、この随想を次のように締めくくっている。

「私はいつか書いた。沖縄が洋上に浮かぶ島なら、・・・その地理的宿命論という奴を放り出したい思いの一途な思いが時々頭をもたげるのである。」と。

回りくどい表現ながら、沖縄が洋上に浮かぶ島なら、沖縄を宿命論の及ばない他の地域へ移動させたいと願望しているのである。

勿論はこれは牧港氏の夢想であり、現実には沖縄を他地域に移動させることは出来ない。 小指がそうであるように。

だが、沖縄が、マスコミが喧伝するような基地公害で住みづらい地域であり、それを我慢できない県民なら、他県へ移住することは自由である。現在の日本では基地のない地域へ移住するのを妨げる法律はない。 

ところが逆に近年他県から沖縄へ移住する人が増加している。

沖縄県の人口は毎年増え続けているし、「世界一危険な基地」を抱える宜野湾市野人口増加は県内でも特に著しい。

モノレール設置の立ち退き料をたんまり貰った那覇市のプロ市民が「世界一危険な基地」のある宜野湾市に移住した例もあるくらいだ。

米軍基地の公害を嘆くのなら、基地のないところへ移住すればよい。

雪の降らない暑い沖縄に生まれた宿命を嘆くなら、雪見酒を楽しめる雪国へ移住すればよい。 

花見の宴を羨むなら、桜の名所に移住すればよい。

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします 

コメント (7)

見ざる言わざる・・・沖縄の自衛隊差別

2012-05-06 07:05:43 | 県知事選

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします 


沖縄、力強く船こぎ豊漁祈願 伝統の那覇ハーリー

 

伝統行事「那覇ハーリー」でゆっくりと港内を回る手こぎ船=5日午後、那覇市


 豊漁と海の安全を祈る沖縄の伝統行事「那覇ハーリー」で、竜をかたどった手こぎの船が速さを競うメーンイベントが5日、那覇市の那覇港新港埠頭であり、水しぶきを上げる勇壮なレースに見物客が「頑張れ」と声援を送った。

 伝統衣装をまとったこぎ手が歌いながら、ゆっくりと櫂をこいで回る「御願バーリー」に続いて、市内3地区の対抗戦「本バーリー」が実施された。鐘の音に合わせて力強く水をかき、全長14・5メートルの船が約630メートルのコースを勢い良く進んだ。

 初めて見たという札幌市の会社員犬伏健一さん(35)は「大人数で一致団結してこいでいて迫力があった」と話した。

2012/05/05 19:06   【共同通信】

              ☆

日本全国何処でも行われているお国自慢のお祭りの記事には、イデオロギーもクソ(失礼)もないと誰でも考える。

ところが異論を許さぬ「全体主義の島沖縄」では、伝統行事のハーリー競争にもイデオロギーを持ち込む。

昨日の地元テレビは上記那覇ハーリーの実況中継を、長時間にわたり放映していた。

実況を伝えるアナウンサーや解説者は、「見ざる言わざる聞かざる」の格言を徹底していた。

何を「見ざる言わざる」だったのか。

自衛隊の参加である。

実況アナウンサーや取材記者にとって、那覇ハーリーで力漕する自衛隊員の姿は、見ても見えない存在だった。

元々沖縄では自衛隊は那覇ハーリーに参加できなかった。

だが、全国的に自衛隊容認の世論が拡大していく中、沖縄だけがお祭りに自衛隊が参加するのを拒否しておれない。

そこで、10年ほど前から参加が認められるようになった。当たり前のことだが。

ところが自衛隊を蛇蝎のように憎悪する地元マスコミは労働組合の規約で、自衛隊の参加を記事にしたり名前を放送してはいけないと言う縛りを設けた。

「見ざる言わざる聞かざる」である。

事情を知らない某テレビ局のアナウンサーが、自衛隊の活躍を大声で放送してしまった。

これウォッチングしていた新聞記者がいた。

沖縄タイムスの吉田記者が「6分間の間に計16回も自衛隊を連呼する」のを聞いて怒りの記事を書いた。

筆者には吉田記者はその頃から既に発狂の兆しが出ていると思われるのだが、どうだろうか。

それがこれである。

(10)侵食する「軍隊(2008年6月28日 沖縄タイムス朝刊社会面)
「戦略うまく抵抗感除かれている」
市民に融合 一方で監視

 たくましい二の腕をした短髪の男たちが、上半身をいっぱいに使って櫂を漕ぐ。「さあ、どちらのタイムが早いか」。アナウンサーの実況が映像に重なった。

 今年五月の那覇ハーリー。海保や消防など、日ごろから体を鍛える職場に属する人々が参加する一般競漕Bの決勝レースは、陸海空の各自衛隊による三チームで争われた。

 チーム名には「航空自衛隊レキオウイング」などと、それぞれの隊名がはっきりとうたわれ、テレビの実況中継では決勝を伝える約六分間の放送中に計十八回、「自衛隊」が連呼された。

 「私たちの活動が理解された証しだと思う」。優勝した陸上自衛隊第一混成団(那覇市)は自信をみせる。那覇ハーリーには、最初は参加も認められなかった。「1CBシーサーズ」「陸自シーサーズ」とチーム名に徐々に隊名を出し、三年前から堂々と「陸上自衛隊第一混成団」と名乗り始めた。

 民間チームの舟のかじ取りや会場設営、大会運営の手伝い。有給休暇を取った隊員が自主的に汗を流す姿が、那覇ハーリーの実行委員会に徐々に認められてきた結果とみる。

 「民間企業はみんな社名で出場する。隊名を隠す方が不自然でしょう」。市民からの苦情などはなく「むしろ会場で激励を受けるくらい」と胸を張る。

 今年四月ごろ、県内の民放テレビ局各社に広告代理店から打診があった。「自衛隊の隊員募集のコマーシャルフィルム(CF)を、そちらで放送できないか」。各社とも「県民感情にそぐわず、公共の電波に乗せることはできない」と断った。

 自衛隊のテレビCFが県内で流されそうになったのはこれが初めてだ。

 県マスコミ労働組合協議会の宮城歓事務局長は「自衛隊の広報戦略のうまさで、沖縄でも徐々に抵抗感が取り除かれている」とみる。「報道機関は広告などの収入部門にまで食い込まれると、批判的な報道が難しくなる」と危機感を強める。

 柔らかな自衛隊のイメージを浸透させる一方、政府は今年五月、米軍普天間飛行場の代替施設建設に伴う海域の現況調査(事前調査)のための機器設置で、基地移設に反対する市民の活動をけん制する目的などで、海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」を沖縄に派遣した。

 一月には、熊本で陸上自衛隊第一混成団と在沖米海兵隊第三師団が共同演習し、四月には嘉手納基地に暫定配備されていた米空軍のステルス戦闘機F22Aラプターと、沖縄の空自・南西航空混成団のF4戦闘機などと模擬空中戦を展開した。

 今月に入り、陸上自衛隊の情報保全隊が、市民の活動を監視している実態も明らかになった。

 それらから浮かび上がる自衛隊の姿は、まぎれもない「軍隊」だ。

 沖縄で自衛隊が存在感と軍事機能を増す中で、昔の日本の軍隊が沖縄で犯した罪が教科書から消されていく。

 今回の教科書検定問題について発言を続ける作家の目取真俊さんは、「対中国を想定した島嶼防衛のために、宮古・八重山地域をはじめとして自衛隊の強化が進められ、沖縄は米軍だけではなく自衛隊の拠点にもなろうとしている。今回の教科書検定問題と沖縄における有事=戦争態勢づくりは密接に結びついている」と指摘する。(社会部 吉田啓)=おわり

            ◇

ある種の言葉が放送禁止用語として、テレビ・ラジオでは自主規制するとはよく聞く話。

国の安全を守る職務の自衛隊が、沖縄のテレビ・ラジオでは、その名を連呼することも、その姿を映像で流すことも自主規制していた。 

いや、単なる自主規制だけではない。

マスコミ会社とマスコミ組合で「自衛隊は画面に出さない」という労使協定を結んでいるというから驚きだ。

つまり自衛隊は、沖縄では放送禁止用語だということになる。

>チーム名には「航空自衛隊レキオウイング」などと、それぞれの隊名がはっきりとうたわれ、テレビの実況中継では決勝を伝える約六分間の放送中に計十八回、「自衛隊」が連呼された。

中国人と同じ視点の吉田記者は、テレビの実況中継で六分間に計十八回も「自衛隊」が連呼されたことを、怒りに震えながらカウントいたのだろう。

それにしても、である。

自国の自衛隊が県のハーリー行事に参加するというのに、地元テレビが、画面に映像を出すのはおろか、その名を連呼するのを怒りに震えて批判する新聞も新聞だ。

一体どこの新聞なのだ。

と思って呆れていたら、おやおやこんなところでも。

中国を母国と慕う目取真センセが、脱清人のDNAを引き継ぐように中国の代弁をしてておられる。

対中国を想定した島嶼防衛のために、宮古・八重山地域をはじめとして自衛隊の強化が進められ、沖縄は米軍だけではなく自衛隊の拠点にもなろうとしている」

なるほど、これでは「琉球処分」の際、日本を嫌って中国に亡命した脱清人そのままの意見ではないか。

中国に軸足を置く目取真氏ならば、与那国に自衛隊を配備することも反対だろうし、石垣に同盟国の艦船が寄港するのも当然反対だろう。

過去に何度も引用したが、同じく脱清人の遺伝子を受け継いでいると思われるタイムス記者のコラムを紹介しよう。

◆ 沖縄タイムス
[大弦小弦]

 黄色軍艦がやってくる…。船体に黄色の龍の文様を描き、黄龍旗を掲げる清国の南洋艦隊は黄色軍艦と呼ばれたという。知人とこの話をしていたら、黄色軍艦が沖縄を侵略すると、勘違いして話がややこしくなった▼実際は逆で、明治の琉球人にとって清国軍艦は援軍だった。武力で琉球国を併合した明治政府に対し、琉球の首脳らは清へ使者を送って救援を求めている。そして、沖縄側はその黄色軍艦を待ちわびたのだった▼一八八六(明治十九)年に大迫貞清県知事が上申した「事変準備ノ件」が残る。清が軍艦を派遣するとの報に対し、政府派遣の知事は、対策十項目を提案。政府も北洋艦隊から戦艦九隻が派遣されると情報を得て、県に指示を出した▼日清戦争時にも清国の援軍は話題になった。それから百余年が経過し、あれほど待ちわびた援軍をも敵と間違うところに今の位置があるのか。林泉忠著『「辺境東アジア」のアイデンティティ・ポリティクス』は当時の言葉を紹介する▼「生きて日本国の属人と為るを願はす、死して日本国の属鬼と為るを願はす」。生きても死んでも日本とは一緒にならないという激しい決意。中国で死んだ幸地朝常が李鴻章へ送った書簡に残る言葉。歴史の反転は大きかったようだ▼百余年前はともかく、少なくとも最近の銃口や占領者を忘れてはいけない。境で揺れる島だからこそ、平和の選択肢を選び取る覚悟も必要だろう。(後田多敦)

ちなみに中国(清)に援軍を求めたのは琉球士族の一部であり、琉球士族の中でも、琉球王府で既得権を享受していた一部中国系士族とした方が正確であろう。 

沖縄タイムスコラムが言うように「沖縄」(明治の琉球人)全てが中国に援軍を求めたのではない。

それは現在の沖縄でも一部の親中国の知識人だけがが反日であるのを、あたかも沖縄人全体が反日であるかのようにマスコミが報じる状況と同じである。

                    ◇

ところで、沖縄のマスコミは本当に自衛隊をテレビ画面から締め出す労使協定を結んでいたのか。

単なる悪い冗談ではないのかという人もいる。

以下はその証拠を示す地元マスコミの「自衛隊憎悪」に関する過去エントリー「自衛隊は画面から消せ!」 沖縄テレビの労使協約よりの抜粋です。

<毎年、GWに開催されている「那覇ハーリー」という伝統行事があり、沖縄テレビではこの模様を中継しています。
那覇ハーリーというのは、簡単にいえば、学校や地域、会社などでチームを組んで参加するボートの競漕です。
この中継放送の際、出場した自衛隊の部隊名などがテレビ画面に露出したことに対して、組合は会社と団交を行ったそうです。

沖縄テレビでは「自社事業には自衛隊並びに自衛隊員は参加させない」との協定を組合と結んでおり、「ハーリーの中継や総集編などの放送では、宣撫工作に加担しないため自衛隊の露出について可能な限り控えるよう会社側に配慮を求めてきましたが、申し入れが守られなかったことは遺憾であり会社に抗議します」とあります。

1972年、沖縄返還とともに自衛隊が移駐した沖縄では、那覇市をはじめとする革新自治体が住民登録の拒否をした。

これにより、保護者の住民票が取れず生徒は事実上の入学拒否となった。(→参考:沖縄タイムス社説 2004年9月22日

又琉球大学のの夜間学部に入学した自衛隊員が学生や職員の入学拒否ピケにあい結局入学出来なかった例もある。

一方、自衛隊に偏見を持つ勢力に限って、沖縄では珍しくない「不発弾処理」は自衛隊に任せて知らん顔。

それを問うと、「自分達の先輩(旧日本軍)の後始末をするのは当然だ」と自衛隊員の決死の処理作業に水をかける。

上記労使協約書の存在は、図らずも、沖縄テレビが労使ともに日本軍、そして自衛隊に対して創業以来、言われ無き偏見を持ち続けていることを暴露してしまった。


復習の意味で「琉球処分」の概略を琉球新報の解説で。(煩雑と思う方はスルーしてください)

琉球処分 (りゅうきゅうしょぶん)
明治政府による琉球藩設置から分島問題の終結までをいう。明治維新にともない、1872(明治5)年、明治政府は〈琉球国〉を廃して〈琉球藩〉とし、廃藩置県に向けて清国との冊封関係・通交を絶ち、明治の年号使用、藩王(国王)自ら上京することなどを再三迫った。が、琉球が従わなかったため、79年3月、処分官、松田道之が随員・警官・兵あわせて約600人を従えて来琉、武力的威圧のもとで、3月27日に首里城で廃藩置県を布達、首里城明け渡しを命じ、ここに事実上琉球王国は滅び、〈沖縄県〉となる。華族に叙せられた藩王(国王)尚泰は東京在住を命じられた。しかし琉球士族の一部はこれに抗して清国に救援を求め、清国も日本政府の一方的な処分に抗議するなど、問題は尾を引いた。外交交渉の過程で、清国への先島分島問題が提案され、調印の段階まできたが、最終段階で清国が調印を拒否して分島問題は流産、琉球に対する日本の領有権が確定した。

                    ◇    

琉球新報は脱清人のことを琉球士族の「一部」と正確に表現している。

「琉球処分」とは、琉球王府の特権階級を処分したものであり、「琉球王府処分」と表現した方が正確である。

沖縄の知識人の中には、常に軸足を中国に置いて発言する人が多いのは、「琉球処分」の折、中国へ亡命をし損なった脱清人の呪いを現在に引き継いでいるからなのだろうか。

差別を声高に叫ぶ人ほど差別主義者である場合が多い。

沖縄マスコミの自衛隊への仕打ちは、差別であると思う方、クリック応援を。

参考:
「那覇ハーリー中継における自衛隊の露出についての抗議文」

脱清人の呪い? 沖縄の自衛隊差別

【おまけ】

石垣市民の読者よりのコメントです。

        ★

> Unknown (S里E利)
> 2012-05-04 17:39:44
> (続き)
> 最後に、この公開自慰動画(笑)の作成者について、手がかりとなる情報を1つ。

この汚らわしい動画の撮影場所は、
「石垣市教育研究所」も入所する「大濱信泉記念館」研修室の一室。
全国の早稲田大学を卒業された皆様の浄財等で建設された「大濱信泉記念館」、
不浄汚らわしい撮影場所に使われたこと、例えば秘密に「児○ポ○ノ」撮影もいいのか、
飲食禁止の利用規則は見たことがあるものの、撮影行為は利用規約違反ではないのか、
しっかり問い質す必要があると思っています。

いつも怒ってる八重山のもう一人の無政府主義者、壷中天地の大田○男さん、
怒りを噴火させ、怒ってくださいよ。「大濱信泉記念館」石垣教育研究所の研修室ですよ。
このような低レベルの寸劇をいい大人がしています。怒り心頭ものと思いますけれど。

ところで、ナシレーョン、
元石垣市教育長「江川三津江」女王様のお声と調子に似てますね。
あくまで視聴しての主観的感想です。

【追記】

下野さんの5/4の不連続線、元早稲田大学総長大濱信泉の「名言」
「明言」と紙新聞に書いたまま、また、本日休刊、WEB配信記事もそのまま。

今、2ちゃんねるを覗いて見ましたが、ブランキ八重洋一らの「不連続線」コラム、
全国ネット読者から、「めった切り」の書き込みのご様子ですね。

「南の方は知能が低い」と書き込む者あり、まったくもって「ブランキ八重」らの
不連続線コラムのおかげで石垣市市民らが誤解と迷惑を受けています。
これこそ「迷惑」というべきですね。

八重、上地、仲間らの毎日の知脳が、5、60年前の学生運動時代で思考停止したままの
「左赤化石脳」共産主義憧れ族の者らの問題なのです。

南の市民の知能の問題ではありません。地域住民は一般的に純朴すぎて人を疑わないのは、
現代にあってやや問題はありますが、まったくもって常識的なのであります。

全国の皆様、八重山毎日はク○紙新聞ですが、地域住民の知能の問題、
誤解なきよう、どうぞご理解ください。

それにしても八重山毎日の紙新聞の罪は重いですな。

   ★

 

※特報です!

祖国復帰40周年記念大会の入場料は学生以下は無料と決定しました!

■■沖縄県祖国復帰40周年記念大会についてお知らせ■■

政府や沖縄県は特定の限られた人々で復帰40周年の式典を行う予定です。

当然の事ながら、祖国復帰40周年は、県民あげ、国民をあげて祝うべきものと思います。

私共は、以下のように県内外の有志により、祝賀行事の実行委員会を立ち上げ記念行事を企画致しましたので、多くの方々の参加をお願い申し上げます。

◆日の丸パレード (自由参加)

5月12日(土)11時30分普天間宮集合 同45分出発⇒徒歩20分⇒宜野湾市民会館着

*小旗を用意しております。国旗の持参は大歓迎*300人程度の参加を予定しております。

 

◆記念大会 

5月12日(土)会場:宜野湾市民会館 

入場料:500円 会場1200席

     学生以下は無料!

オープニングセレモニー:13時30分 

県内外の有識者挨拶

特別提言:ペマ・ギャルポ桐蔭横浜大教授「我が祖国チベットと沖縄」

基調講演:津川雅彦(俳優)
       「日本人の誇り―沖縄県祖国復帰40周年を迎えて」

琉球・国まつり太鼓 若手30人による演舞

閉会16時

※祖国復帰四十周年記念大会 告知動画第二弾!

http://www.nicovideo.jp/watch/sm17645327

http://www.youtube.com/watch?v=2geSvyROrm4

◆祝賀レセプション

16時15分より

会場:ジュビランス(宜野湾市民会館向い)

会費:4,000円(検討中)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

主催:沖縄県祖国復帰40周年記念大会実行委員会

連絡先:波の上宮内 090-6831―0989 坂本まで

          Fax098(868)4219

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

 

コメント (11)

略奪された「福建・沖縄友好会館」、ヤクザ国家の本性

2012-05-05 07:48:29 | 県知事選
よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします 
 
 
 
2012.5.4 03:12 (1/2ページ)産経抄
盲目の人権活動家、陳光誠氏(AP)

盲目の人権活動家、陳光誠氏(AP)

 「大使館を出なければ、妻を殴り殺す」。AP通信によれば、北京の米大使館に保護されていた盲目の人権活動家・陳光誠氏に対し中国当局者は米側を通じこう伝えたという。事実だとすれば、暴力団や闇組織としか思えない、れっきとした「脅迫」である

 ▼陳氏はその後、大使館を離れて北京市内の病院に入り家族と再会したという。米側は陳氏への圧力を否定し「安全は保証される」としているが、まだまだ不透明だ。もし「脅迫」をバックに米国が中国と妥協したというのなら、批判は免れないだろう。

 ▼ただ今回の事件では「収穫」もあった。中国の人権抑圧の実態や当局者の「粗暴」な体質がかなりな程度明るみに出たことだ。軟禁されていた自宅から脱出し、ケガをしながらも8時間かけ北京にたどりついた。その逃避行が間をおかず、外国メディアで生々しく報道された。

▼凄惨(せいさん)な権力抗争だった文化大革命をはじめ、この国での少数民族抑圧や言論封じはすべて分厚いカーテンの向こう側で行われてきた。このため特に日本では、中国を見る目が曇らされた。いまだに経済成長に関心を奪われ、その陰湿さに向き合おうとしない人が多い。

 ▼しかしそのカーテンも良い意味でほころび始めた。中国にネット社会が広まり情報がもれやすくなった。外国メディアもアンテナを張り巡らせているからだ。実力者だった薄煕来氏の失脚事件も、新たな権力抗争として早くから報道されている。

 ▼北朝鮮の「ミサイル」発射のときにも書いたが、独裁国の横暴を防ぐには、ベールを一枚、一枚はがし監視していくしかない。中国も、そのことを世界で一流国と認められるための試金石と考えてもらわないと困る。

                            ☆

産経抄は中国のことを「暴力団や闇組織としか思えない」と語尾を濁しているが、南シナ海に於けるフィリピンやベトナムに対する恫喝行為を見れば暴力団や闇組織そのものである。 東シナ海でもわが国固有の領土である尖閣諸島を自国のものと主張し、尖閣問題を一歩も引けない「核心的利益」と公言するなど中国はヤクザ国家そのものである。

が「核心的利益」と公言した場合、この問題は一歩も引かないと言うヤクザ国家の決意の表明であり、チベットやウィグルへの武力侵略も「核心的利益」と看做しているからである。

中国の次期最高指導者が尖閣問題に関して「核心的利益」と公的に発言した意味は、尖閣諸島は中国にとって「武力にかけても奪還すべき「核心的利益」と暗に日本を恫喝したことになる。

習近平氏、「核心的利益」と発言 尖閣けん制

(05/04 09:14)

 

中国の習近平国家副主席(右)と会談する日中友好議員連盟会長の高村正彦元外相=3日、北京の人民大会堂

中国の習近平国家副主席(右)と会談する日中友好議員連盟会長の高村正彦元外相=3日、北京の人民大会堂

【北京共同】中国の次期最高指導者に内定している習近平国家副主席は3日、北京の人民大会堂で高村正彦元外相ら日中友好議員連盟(会長・高村氏)の代表団と会談した。習氏は「相手にとって核心的利益、重大な関心を持つ問題については慎重な態度を取るべきだ」と述べ、意見対立の先鋭化を避けるため注意を払うよう求めた。

 「日中の政治家は無責任な発言をすべきではない」とも強調。具体的に何が核心的利益に当たるのかは明言しなかったが、石原慎太郎東京都知事が表明した都による沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)購入方針へのけん制とみられる。

           ☆

沖縄の反日左翼の知識人といわれる人々は米国に対し憎悪剥きだしにする。

が、その一方で中国に対しては、「最近では資本主義経済になっているし、弁護士や裁判所もあるくらいだから、西欧社会とほとんど同じ」などと寝言を垂れ流し好意を示す。

中国がいくら資本主義の真似事をしても、国家の上に存在するのは一党独裁の共産党であると言うことを忘れている。

また中国政府が法治国家の体裁をつくろって世界の目を欺いても、法律の上に君臨するのは共産党という人治支配機構である。

一党独裁の共産党には選挙もなければ言論の自由も無い。

人権などは絵空事である。

今回の人権活動家陳光誠氏をめぐる米中のつばぜり合いは、言論の自由(体制批判)、人権などお互いに譲れない主張だけに世界の注目を浴びた。

中国が陳氏の希望を聞き入れて米国への亡命を認めたら、中国は自らを人権及び言論弾圧の国と言うこと認めたことになる。

そこで陳氏一家の米国留学と言う形で妥協したが、陳氏が米国に行ったからといって、「中国の闇」を公言できるはずは無い。 これまでの例でいうと、陳氏の親族や支援者たちを脅迫していると言うから、親族、知人友人が中国にいる限り人質を取られた状態であり、その点ではもう一つのヤクザ国家北朝鮮と何ら代わることはない。

過日の「朝生」に出演した大田元県知事が、中国と沖縄は昔から仲良くやってきた、と言いたいためについもらしてしまったひと言で筆者は眠気が吹っ飛んでしまった。

大田氏は確かこんなことを言った。

「沖縄と中国は福建・沖縄友好会館でも仲良くやってきた」

大田氏が中国との友好関係を強調したいために、ふともらし「沖縄・福建友好会館」。

大田氏が先導し、沖縄県民の血税をつぎ込んだ「沖縄・福建友好会館」を知る人は少ない。

 

福建・沖縄友好会館落成式典

~新たな経済交流拠点に期待が集まる~

http://www.pref.okinawa.jp/98/kouhouka/wa9809/zoomup.html 


福建省の賀国強省長と会談する大田知事

 沖縄県と中国福建省との友好の架け橋となる「福建・沖縄友好会館」が福州市の中心街に完成し7月28日、大田沖縄県知事、賀国強・福建省長ら多くの関係者が出席し盛大に落成式典が催されました。
 友好会館は、沖縄県と中国福建省が共同出資して1994年10月から着工しているもので、完成までに3年9ヶ月を要し、地下2階、地上12階の鉄筋コンクリート構造です。沖縄の物産を展示する1階と、沖縄企業の駐在事務所や県産業振興公社福州事務所、福建・沖縄友好交流歴史展覧館などを配した4階-7階が沖縄側使用部分で、1階-3階と8階-12階を福建側が使用する予定です。
式典後、完成間もない友好会館内で沖縄県と中国福建省が経済、文化など各種分野での交流策を話し合う「第5回沖縄県・福建省交流サミット」が3日間の日程で開催されました。農水産業や商工業・交通、学術・文化、衛生・環境保護、一般交流など5つの分野で互いの協力関係を話し合いました。最終日には、協議内容の共同コミニュケ(総括備忘録)を発表し、調印しました。

             ☆

沖縄と福建省の共同出資で建築された「福建・沖縄友好会館」は、結局「中国は外国に不動産の所有は認めない」という「核心的利益」のため中国側に一方的に乗っ取られてしまうことになる。

ヤクザ国家の中国にとって中国妄信教徒の大田氏を騙して県民の血税を脅し取ることなど赤子の手を捻るようななものであった。

 

「沖縄・福建友好会館」は、現在も福建省福州市にある(はず)。

沖縄紙が報道しなくなって久しいが、結局「友好会館」は、結局は中国に奪われることになる。

手続きの複雑さなど理由/福建・沖縄友好会館/13社保留/入居企業わずか1社1999年6月13日

⇒ 県内企業入居数は6社/維持費ねん出が困難/福建・沖縄友好会館(2001.1.14)

親中国の太田昌秀元知事が中国に騙され、

「友好」の名に浮かれて、こんなバカ騒ぎをしていたことを、

沖縄メディアは忘れ去ってしまったのか。

紛争における中国との「話し合い」が、どんな結末になるかを忘れたわけではあるまい。

 

中国が赤子の手を捻るように沖縄県民の血税を詐取した経緯は、下記ブログに詳述してある。

消えた友好会館 沖縄と中国

 

【おまけ】

八重山教科書問題で、自民党県議が沖縄2紙の顔色を窺って、腰の引けた態度で終始したのに対し、玉津会長を応援し続けた石垣市の砥板芳行議員が動画で発言していますのでリンクします。

本来なら文科省が厳しく県教育庁の不当介入を指導すべきなのだが、日教組出身の政務次官が巣食う民主党政権では、本来なら許されるはずの無い竹富町教委の「有償給付」が精一杯の次善の策だったのだろう・・・と言っているようだが、その通りである。

【動画】石垣市議会 砥板芳行議員に聞いてみた(八重山地区教科書採択編)

さんが 2012/04/30 に公開
昨年の八重山地区教科書採択問題で唯一採択に従わず 竹富町だけ東京書籍の公民教科書を
町費でなく 組合関係者の寄付により 生徒に配布したことについて 聞いてみました

     ★

 

※特報です!

祖国復帰40周年記念大会の入場料は学生以下は無料と決定しました!

■■沖縄県祖国復帰40周年記念大会についてお知らせ■■

政府や沖縄県は特定の限られた人々で復帰40周年の式典を行う予定です。

当然の事ながら、祖国復帰40周年は、県民あげ、国民をあげて祝うべきものと思います。

私共は、以下のように県内外の有志により、祝賀行事の実行委員会を立ち上げ記念行事を企画致しましたので、多くの方々の参加をお願い申し上げます。

◆日の丸パレード (自由参加)

5月12日(土)11時30分普天間宮集合 同45分出発⇒徒歩20分⇒宜野湾市民会館着

*小旗を用意しております。国旗の持参は大歓迎*300人程度の参加を予定しております。

 

◆記念大会 

5月12日(土)会場:宜野湾市民会館 

入場料:500円 会場1200席

     学生以下は無料!

オープニングセレモニー:13時30分 

県内外の有識者挨拶

特別提言:ペマ・ギャルポ桐蔭横浜大教授「我が祖国チベットと沖縄」

基調講演:津川雅彦(俳優)
       「日本人の誇り―沖縄県祖国復帰40周年を迎えて」

琉球・国まつり太鼓 若手30人による演舞

閉会16時

※祖国復帰四十周年記念大会 告知動画第二弾!

http://www.nicovideo.jp/watch/sm17645327

http://www.youtube.com/watch?v=2geSvyROrm4

◆祝賀レセプション

16時15分より

会場:ジュビランス(宜野湾市民会館向い)

会費:4,000円(検討中)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

主催:沖縄県祖国復帰40周年記念大会実行委員会

連絡先:波の上宮内 090-6831―0989 坂本まで

          Fax098(868)4219

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

 

コメント (9)

辺野古の真相!大城康昌辺野古区長、本土紙に語る

2012-05-04 06:29:35 | 県知事選

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

先週の「朝生」は、沖縄メディアの劣化を全国に知らしめたという点では有意義な番組であった。

地元出身のパネラーに反日極左の大田元知事、糸数参議員、前泊沖国大教授を揃えたのは、想定内だとしてもパネラーの推薦者を県民代表として傍聴席を埋めたのでは、公共の電波を使った左翼集会では無かったのか。

特に「辺野古に生まれて辺野古に育った」と称する成りすまし辺野古住民を出演させるなどは、QABテレビが完全に視聴者を舐めきっているといわざるを得ない。

沖縄メディアは辺野古住民の声としてこの様な「成りすまし住民」や「辺野古テント村」のプロ市民の声のみを報道し、一番の当事者である辺野古区長の声を報道しようとしない。

地元紙としてのプライドを捨て去ってイデオロギーまみれの報道に徹する沖縄2紙に代わって、県民が「辺野古の真相」を知ろうと思えば本土県外紙を通じてしか知ることは出来ない。

沖縄の言論界は今、地元の情報さえ地元紙から得ることが出来ないという異常な状況にある。

世界日報が、辺野古住民の声には聞く耳を持たない沖縄2紙代わって、知られざる「辺野古の真相」を伝えている。

■世界日報 2012年5月1日

普天間移設 地元の反対はごく一部

大城康昌 辺野古区長、本紙に語る

 日米両政府は4月27日、在日米軍再編計画見直しの「共同発表」文書を同時に公表した。沖縄県の米軍普天間飛行場の移設先については、名護市辺野古地区を当初の「唯一の有効な解決策」としていたものを「これまで特定されていた唯一の有効な解決策」と修正、辺野古以外の移設先の検討に含みをもたせた。米議会有力者の意向を考慮したものだが、両政府は現行計画を堅持する方針を改めて示した。普天間飛行場の移設先が注目される中、辺野古区の大城康昌区長は世界日報の取材に応じ、住民に対する永代補償、道路整備やまちづくり推進などの条件付きで代替飛行場受け入れを容認する考えを示した。 

条件付き容認 米側に伝える

(写真省略)

インタビューに応じる大城康昌区長=名護市の辺野古交流プラザ 

 大城区長によると、3月5日から9日、沖縄県商工会議所連合会会長で沖縄県防衛協会会長の国場幸一氏ら三十数人と米ワシントンを訪問した。マーク・ナッパー国務省日本部長やクリストファー・ジョンストン国防省北東アジア担当部長と会談。条件付きで代替飛行場を受け入れる意思があることを伝えると、ナッパー氏とジョンストン氏は謝意を示したという。 

 訪問団は、「辺野古移設案の地元の強い支持がある」「声高な反対は専門的に組織されたことによって形成されており、必ずしもそれが沖縄県の大衆の感情を表すものではないということを米国の議会に知らしめることが非常に役立つと考えている」と伝えた。 

 また、ナッパー氏はその場で、「父親が海兵隊員でキャンプ・シュワブ司令官を務めた経験があることから、基地問題事情に精通し地元の人と個人的なつながりがある」と述べたという。 

 これに対し大城区長は、キャンプ・シュワブ司令官の交代式では班旗を授与し、運動会など大きな行事ではキャンプ・シュワブの兵士が辺野古区第11班として参加するなど、米兵が「良き隣人」の枠を超えた区民の一部として受け入れられていることを伝えた。 

 沖縄では、鳩山由紀夫元首相が「最低でも県外」と発言したことをきっかけに世論が辺野古移設反対に大きく揺れたが、政府が辺野古に回帰を決めた2010年5月、辺野古区の決定機関である行政委員会は条件付き容認を全会一致で決議した。「代替施設ができるのであれば、安心安全でなければならないし、区民の生活が豊かにならないといけない」というのが行政委員会の主張で、以後、その方針は変わっていない。 

 10年1月24日の名護市長選挙では辺野古移設受け入れが争点となり、反対派の稲嶺進氏が1万7950票を獲得し、容認派前市長の島袋吉和氏に1580票の差をつけて当選した。 

 しかし、大城区長によると、移設先地元の辺野古地区に限れば7割以上が島袋氏に投票した。1580票差は、容認だった市議一人が途中から反対派に寝返ったためのもので、容認派の市議が信念を貫けば、島袋氏が当選していたという。 

 一方、代替施設予定地が見える辺野古の海岸には移設反対派のテントが7年前から張られている。公有地管理者である名護市の許可を得ずテントを固定していることは海岸法第7条に違反するもので、本来なら申請しても許可されないものだ。 

 通称「テント村」と呼ばれており、名護・ヘリ基地反対協議会共同代表の安次富浩氏が代表を務める。安次富氏は金武町出身で地元ではない。大城区長によると、テント村で活動する人々の大多数が区外と県外出身者で、地元の人はほとんどいない。 

 一人の革新系市議がお年寄りを熱心に反対集会に引っ張っている程度だ。3月に行われた区民による撤去署名活動では、過半数の住民が署名し、地元住民は現在の場所から「テント村」の一日も早い撤去を求めている。 

名護市長から嫌がらせも

(写真省略)

キャンプ・シュワブは地元が誘致

市外・県外の反基地活動家が集まる「テント村」、区民の生活に支障を来している 

 辺野古地区は名護市の東海岸に位置し、海兵隊の演習用基地キャンプ・シュワブがある。辺野古地区はもともと久志村という村で、1956年の四原則貫徹県民運動という島ぐるみの激しい闘争が行われている最中、当時の久志村長が基地誘致を要請してできたのが現在のキャンプ・シュワブだ。普天間飛行場移設先の辺野古崎はキャンプ・シュワブの延長上に位置するもので、地元住民が条件付きで受け入れを容認している。 

 ところが、沖縄が本土復帰する2年前の1970年に名護町(当時)などの5町村合併により名護市になった。大城区長は、「キャンプ・シュワブは久志村が誘致したもので、名護市としての合併は少し無理があった」と述べ、米軍基地キャンプ・ハンセンがある金武町や宜野座村と一緒になる方が自然だったとの見方を示した。 

 実際、辺野古地区から名護市街に出るには山を越えなければならず、名護市街以西の名護市民で辺野古に行ったことがない人は多い。名護市街では米軍航空機は一切飛んでいない上、実弾演習の音もまったく聞こえない。 

 昨年11月、名護市内で開かれた「北部振興推進名護大会」に移設容認派の住民2200人余りが結集した。移設推進の大会が開催された背景には、稲嶺革新市政に変わって米軍再編交付金が09年度の繰り越し分から打ち切られ、経済が疲弊していることがある。 

 「基地があってこそ名護市は発展し、私立の名桜大学も昨年度公立大学となった。(1999年に受け入れを表明した)岸本建男元市長は『久辺3区(辺野古、豊原、久志)に足を向けて眠れない』とも言った」 

 大城区長は基地と交付金のリンクをはっきり肯定する。 

 稲嶺市長誕生後、米軍再編交付金の凍結により、久辺3区の周遊道路、下水道整備など複数の事業が頓挫した。「区の運動公園の整備ひとつにしても市長はハンコを押してくれない。再編交付金の半分は基地と無関係な西海岸側に使われている」と大城区長は稲嶺市長による明確な嫌がらせとの認識を示した。 

 稲嶺市長はかつて教育長として辺野古埋め立てなどの事業計画を一緒に取り組んだ、受け入れ容認派の人物。しかし、「今では人が変わったようにまったく話ができなくなった」と大城区長はその豹変ぶりに驚きを隠さなかった。市長選で共産党候補者の出馬辞退を条件に受け入れ反対を約束させられたとの見方が地元では強い。 

 その上移設反対の稲嶺市長は昨年、キャンプ・ハンセンの一部が返還予定になっていたにもかかわらず、継続使用を防衛局に申し入れた。年間1億3千万円に上る軍用地料収入が失われる上、返還後の土地有効活用の見通しが立たないことを理由に継続利用を求めた地元の区長や市議の主張を受け入れたからだ。 

 地元が要求した一部返還の継続使用を認めた一方で、地元の要求する普天間飛行場の条件付き受け入れを異様なほどに反対する稲嶺市長の矛盾ある行動に市民は不信感を抱いている

              ☆

この記事を読んで目からウロコの県人も数多くいるだろう。 それほど辺野古住民の真の声は言論封殺の状況にある。

世界日報の豊田記者の渾身の辺野古情報の続報を期待したい。

大城区長も言うように辺野古地区住民と米軍には友好関係を築いてきた長い歴史がある。

前回は省略した米兵と辺野古住民の交流写真を参照していただきたい。

◆基地との交流

これはキャンプ・シュワーブと辺野古住民の親善交流を表す親善委員会の盾である。
親善委員会
 

キャンプ・シュワーブの名は、1945年5月7日に沖縄戦で24歳で戦死し、名誉勲章を受章したアルバート・アーネスト・シュワブ一等兵(Albert Earnest Schwab、オクラホマ州タルサ出身。ドイツ系アメリカ人)の名に因んでいる。

 

 

 

◆区民運動会のスナップ

毎年、辺野古区民運動会に11班として参加するキャンプシュワーブの人たち。

区民運動会の様子

◆大綱引き

大綱引きの観戦に招待したり、一緒に綱を引いたりしています。

 大綱引き

記事にある辺野古の入口にある看板

 

アップル中佐が名前を残した「アップルタウン」を基に、基地との交流による新しい町につくり構想を「辺野古地区HP」より一部抜粋して紹介する。

《辺野古は小さなまちです。地域の人だけではまちづくりに限界があります。
そのため、平成16年4月に開校された国立沖縄工業高等専門学校や基地、新たな企業の就業者との交流により、地域の生活環境の改善と活性化を図ろうとしています。

まちづくり全体イメージ

アップルタウンの玄関口イメージ

アップルタウンの玄関口イメージ1

アップルタウンの玄関口イメージ2

 

生まれ変わるアップルタウンの中央通り

生まれ変わるアップルタウンの中央通り1

生まれ変わるアップルタウンの中央通り2

これを見れば、辺野古住民が基地容認どころか歓迎していることが分かる。辺野古にテントを張り、ジュゴンを守れと叫ぶグループが、いかに辺野古の民意とはかけ離れた連中であることもわかる。

同時に「辺野古に米軍基地は作らせません」と豪語する稲嶺市長が当事者である地元辺野古の民意を完全に踏みにじっていることもわかる。

辺野古住民の「小指の痛みは」切捨てなのか?

【おまけ】

以前に紹介したが、辺野古の「不都合な真実」を封印して恥とも思わない沖縄2紙に代わって、産経新聞も報道している。

「普天間」の現場 辺野古ルポ 米軍と育ち、恩恵を受けた (1/4ページ)

 産経新聞 2009.11.12 10:33

米軍普天間飛行場の移設予定地
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の移設問題で、意思統一ができない鳩山民主党政権。ぶれる閣僚らの発言を揺さぶるように、8日には沖縄県内で「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」(主催・同実行委員会)が開かれるなど、県内世論の大勢は日米合意に基づくキャンプ・シュワブ沿岸部(同県名護市辺野古地区)への移転反対に傾きつつある。ところが、一番の当事者である辺野古地区を歩いてみると、全く違う反応が返ってきた。現場の声をリポートする。(那覇支局 宮本雅史)

 ◆アップルタウン

 那覇から北へ約60キロ。

 県道329号線から辺野古地区に入ると、「WELCOME APPLETOWN」と書かれた看板が目に飛び込んでくる。

 「キャンプ・シュワブ」開設から間もない昭和33(1958)年、丘陵地帯だったこの地域を民政府土地課長のアップル中佐が中心となって開発したことから、米軍と辺野古住民との友好の証しとして「アップルタウン」と呼ばれるようになった。

 街は区画整理されていて、15分ほどで一周できる。スナックやクラブなどの看板が目につくが、人けがない。飲食店が入っているとみられるビルも英語のロゴが消えかかり、外壁が崩れ、朽ちている。

 53年前に移り住んだという金城秀夫さん(59)=仮名、自営業=は、米軍統治時代からの辺野古を身近に見てきた。

 「ベトナム戦争(1965~75年)のころは、スナックやクラブなどの飲食店が60軒近く並ぶ米兵相手の繁華街で、ホステスも1千人は超していた。当時の辺野古の人口は1500人ぐらいだったから、合わせると3千人近い人が住んでいたことになる」

 ◆「1晩で3千ドル」

 金城さんは、当時を思いだすように話し始めた。

 「街全体が活気に満ちていた。どの店にもホステスが7、8人はいて、1日の稼ぎも3千ドルはあった。当時、私の家は25坪の瓦ぶきの一軒家だったが、2千ドルで建てられた。それが1晩で3千ドルのあがり。25セントあれば、子供とバスで名護(市中心部)まで行き、そばを食べて帰れた時代に、ですよ」

 ベトナム戦争が終わると同時に、米兵の数も減って、街は急激に寂れていった。

 「辺野古はこれといった産業がない。米軍基地相手の商売しかない。基地と一緒に育ったわれわれは、トラブルもあったが、同時に大変な恩恵を受けながら生きてきた」

 ■反対派、多くは県外から

 ◆米軍が守った「環境」

 辺野古の街から浜辺に下りると、有刺鉄線が張られている。その向こう側が海兵隊の訓練基地だ。有刺鉄線には、普天間飛行場移設反対を訴える紙が幾重にも巻かれている。他県の団体の名前が多い。

 「反対している人の大半は、県外の人。辺野古の住民で反対しているのは指で数えられるぐらい」

 反対派はサンゴの絶滅など、環境問題を反対理由のひとつに挙げる。だが、金城さんは続けてこう言う。

 「米軍のおかげでサンゴが守られてきたともいえる。民間企業が造成したり開墾していたりしていたら赤土が海に流れ出し、サンゴや海藻類は絶滅していたでしょう。私有地がゴルフ場に造成され、流れ出した赤土でサンゴが絶滅したところはたくさんある。米軍が管理していたからサンゴは守られてきたんです」

 そしてこう付け加えた。

 「滑走路ができると被害を受けるかもしれないが、あくまでも一時的。ジュゴンが絶滅するという人もいるがそれも一時的な話だ。工事の後は反対にきれいになると思う」

 復帰前、10年間、キャンプ・シュワブでガードマンをしていた比嘉武さん(61)=仮名=も、「基地と関係ないところの住民が迷惑料として補償を求めているケースもある。8日の反対集会も辺野古の住民で参加したのは数人いるかどうかですよ」。

◆基地依存経済

 沖縄県では、基地内で働く日本人従業員の給与や土地を提供する地主の軍用地料、基地に所属する軍人や軍属とその家族らの消費活動などが大きな収入源で、その額は2115億円(平成18年)にも上っている。なかでも不労所得の軍用地料は700億円を超す。

 名護市も例外ではない。キャンプ・シュワブで年間約25億円、辺野古弾薬庫で約1億8千万円が、自治体や地主に支払われている。インタビューに応じた比嘉さんは年間83万円、タクシー運転手の伊波義男さん(58)=仮名=は70万円を得ている。住民の中には、軍用地を貸すだけで年間1千万円前後の収入を得る人もいるという。

 今回予定されている滑走路は海上のため、この軍用地料は発生しないが、辺野古への移転について、住民はどう考えているのか。

 金城さんも比嘉さんも、「滑走路ができると米兵が増えるから、飲食店なども増え、ベトナム戦争のころより活気を帯びるのは確実だ。われわれは、米軍基地とともに育ち、生活してきたから、普天間飛行場が移ってきても全く違和感はない」と歓迎する。

 もちろん、不安がないわけではない。伊波さんは、「騒音対策は着工時に決めてほしい。後々、騒音問題が起きるとやっかいだから」と話す。

 金城さんも、自身は賛成だが、住民投票をすれば賛成派と反対派は半々だとして、こう注文をつける。

 「辺野古に移設するのは決まったことだから、それでいい。ただ、一つお願いしたいのは、米軍基地での仕事。移設後は、辺野古の若者が優先して働けるように、政府に斡旋(あっせん)してほしい。はっきり賛成と言わない住民も、本音は活気が戻ればと考えている。政府が移設後の対応策を確約さえすれば100%近い住民は賛成する」

 独自の産業がない辺野古住民は、移設を生活するための手段ととらえ、早期決着を望んでいるのだ。

◆一刻も早い決断を

 鳩山由紀夫首相は先の衆院選で、辺野古への移設反対を訴えた民主党が大勝したことをとらえ、移設反対が沖縄県民の総意だと主張している。だが、民主党の勝利は自民党の敵失であって、移設問題は直接関係なかったとみる県政関係者が多い。首相が来年1月の名護市長選の結果を重視する姿勢にも反発が強い。

 ある長老の地方議員は、「鳩山政権は選挙の時、国外、県外を強調しておきながら、その意思を明確にしないばかりか、名護市長選で再度、県民に踏み絵を踏まそうとしている。早く補償問題などに話を進めるべきだ。県民大会は鳩山政権に決断を迫るのが目的だった」と本音を明かした。

 国防上の理由からも早期決着を求める声がある。

 元保守系国会議員は「日米同盟は辺野古移設を前提に成立している。中国だけでなく、朝鮮半島やインド洋対策で、沖縄の米軍基地は今まで以上に重要になっている。民主党政権は、東アジアにおける沖縄の役割は何かを明確にすべきだ」と警告する。

 (那覇支局 宮本雅史)

                     ◇
 

【おまけ】2

S里E利 さんの動画紹介に反響がありましたので、出演者の正体を暴く関連コメントを紹介します。

≪さて、本日の話題とは全く関係ありませんが、とある動画サイトで、「一般」「市民」「有志」を名乗る人たちによる、こんな動画を見つけました。

・八重山教科書問題01
http://www.youtube.com/watch?v=uDyGn4glbYA


この動画、公民の教科書を中学3年生が1年間食べる果物にたとえ、育鵬社→柿、東京書籍→りんごに置き換え、「調査員」が推薦していない柿が選ばれたことに委員が不満をもらす、という内容の寸劇となってます。


この動画、自分が一言で表すなら…、

老人どもの自慰行為を撮影した動画、という不快極まりないものですね≫

          ★

≪> 悔しい、悔しい(怒) (本島保護者)
> 2012-05-02 19:16:38
> 悔しくて、悔しくて、地面に落ちている泥だらけのボロ雑巾の端を、
> 噛み千切っているかのような動画。
> どこの学校の先生たちですか?

たしかに、レベルの低い見苦しく恥ずべき寸劇ですね。
今朝の新聞トップニュース「新城幸也五輪出場」決定報道のあっばれな者あれば、
このような恥ずかしい「寸劇」動画に登場する年寄り、おじー、おばーらも石垣島にいて、
確信的に全国に配信する、狂った人たちですが、出演者全部が島人ではなさそうですね。

以下、登場人物の紹介ですが、最近は見かけていない者もいて、間違えていたらば、
知合いの読者の皆様にご訂正のほどよろしくお願いします。
狭い地位柄、出会った場合、不都合があるといけないので、
この者たち、道を歩けないほどに、しっかり知っておく必要があります。

・・・★登場人物★・・・

 会長役 江川義久
(あの前石垣市教育長江川三津江女王様のご主人、
チュウゴク、チュウゴクのエッセーの筆者。)

事務局役 市原由香里(バカです。)
 訴訟ブログ立上げ後の事務局長市原のブログ

http://yaekyo5.ti-da.net/d2012-02.html



・・・・[引用]・・・・

こんばんは 市原由加里です。


(⌒▽⌒)きゃははは

一度やってみたかった・・・

こんばんは 田原総一朗です・・・みたいなこと・・・

こんばんは 幸田シャーミンです・・・でもいいんだけど・・・

いやぁ~調子に乗ってます・・・ヾ(;´▽`A``

(馬鹿げているので引用者が途中から削除)



    中央席委員 平良守弘
な、なんと、公務員です。石垣市職員。盗聴魔、彼と話すとき気をつけましょうね。

  「平良」の両隣 教科書訴訟原告の母親二人

   最右席委員役 金成晴子?
☆活動のための資金カンパをお願いしています。琉球銀行八重山支店店番号70口座番号******
ゆうちょ銀行記号*****番号****** 住民の視点で教科書をえらぶ会 会計 金成晴子
(在日のような苗字?、面識ある読者に補充記載をお願いします。)

【追記】
今朝4日の八重山毎日「不連続線」コラム筆者下野宏一。
http://www.y-mainichi.co.jp/news/20005/
要旨、石垣市登野城出身、「新城幸也」選手の自転車ロード競技、ロンドンオリンピック出場決定を
紹介しつつ、一方、先月29日、日本武道館での全日本柔道選手権大会の柔道日本一「加藤博剛」選手の
母親が石垣市大浜出身で、加藤選手も幼少期を大浜で育った、と地元の可能性を紹介しています。

そして、結びの段、
「市出身で早稲田大学総長を務めた大濱信泉氏は
「人の価値は、生れた場所によって決まるものではない。
いかに努力し、自分を磨くかによって決まるものである」との明言を残した。
今回の新城、加藤両選手の偉業はまさにこの言葉そのものだ。

いやー、下野さん、本日の不連続線は、連続していますね。
「子どもの日」の前でよかったです。
今年の異常に早いこの時期の入梅、「八重山毎日」の不連続線の仲間、八重、上地ら筆者のせいと
思っていましたが、しかし久しぶりに五月晴れのようなさわやかな気持ちになりましたね。

下野さん、「明言」は、「名言」の誤記、誤返還ですよ。(ごめんなさい。)
たしかに「名言」から学ぶことは多いですね。紙新聞ですから、誤記、誤変換、
間違い探しのような読み物は困りますので、特に、気をつけましょうね。

皆さんの八重山毎日新聞、漢字検定力を含む内容とそのレベル、
今やネット上に全国の読者から注視、注目の的になっているようですね。

読者の要望です。
先輩らのイデオロギー泥まみれ化石思想を見習うのでなく、
時代変化に即して現実的であり、公正かつ客観的な視点から報道してくださいね。

果断の人に気がかりはない。(G・ハーバート 1593~1633 イギリスの詩人・神学者)
本日4日、日めくりカレンダーより


石垣島読者より≫

 

【おまけ】3

 憲法の日にちなんだ「町工場の親方」様のご紹介、福田恒存氏の昭和40年発表の
「当用憲法論」抜粋、あらためてしっかり読み、学ばせていただきました。
お礼申し上げます。

ところで、連休の中日、月曜日から始まっていたと思っていたところ、勘違いですね。
本日5/3憲法記念日、18世紀フランス暴力革命家ブランキを唯一崇拝する
ブランキ八重山洋一が八重山毎日「不連続線」不連続コラムの当番日のようです。

暴力革命家ブランキ八重山洋一、本日も張り切った内容の「不連続線」コラム
ご紹介しますね。これ↓
http://www.y-mainichi.co.jp/news/19998/

石原東京都都知事の尖閣購入問題、石垣市民代表を自称する自分を差し置いて、
真っ先に中山石垣市長が賛意を表明したこと、相当お気に召さぬらしく、
「尖閣を守るという前に、沖縄に集中する米軍基地について発言するべき」と
偉そうに中山市長に命じているかのような内容ですね。

「市長は事情が市民によく行き渡るまで待ち、時間をかけて慎重に慎重に
行動するべきであろう。」と自惚れたいつもの調子でコラムを書いています。

ブランキ八重山洋一さん、今回の県議選挙、立候補して、その自らの意思を主張し、
八重山地域住民に、自らの意見を問う行動をされてはどうでしょうか。

自ら信ずる結果は、八重山地域住民のみならず、全国民にその事実が明らかにされます。
中山市長に意見するほどの見識があるようですから、ぜひ立候補されてください。
(絶対に応援しませんけどね。)

ところで、先日の前編集長上地義男「不連続線」コラム
http://www.y-mainichi.co.jp/news/19977/
尖閣諸島に東北地方のガレキを集めて積み置けば、中国も、誰も近寄れない趣旨の
グッドアイディアものと自画自賛のコラムを書いていますね。

地元ウミンチュ(漁民)の一人に感想を聞いたところ、地元漁民をバカにしているばかりか、
東北住民をもバカにしている! もって全国民をバカにしている!
この者が前編集長かと思うと、毎日新聞のレペルは地元の恥だ!!、
と相当に怒っていましたね。これほんとです。

一般市民を舐めてはいかんぜよ。毎日新聞さん。
物が書けるだけで偉いのじゃなけんながもし。

中○との有事の際、白旗掲げて平和保障の「平和協議派遣特使」、ブランキ八重山洋一、
ケダモリ安三、外ゾンビ会一同、壷中天地いつも怒っている大田○男、チョウゴク「皮膚感覚」で
大好きな江川先生ご夫婦、9条教の事務局長藤井幸子女史など等、数は多いです。
そのときは、先ずは、住民安全保障交渉のため、片道燃料で特使として派遣するとしましょう。


石垣島読者より

           ★

 

■■本日の講演会■■

~緊急事態基本法を制定しよう~
■■安全保障セミナーのご案内■■


           記
*日時 平成24年5月4日(金)13:30開場
    14:00~16:30
*会場 護国神社 社務所ホール 那覇市奥武山町44
             098-857-2798
*講師 国際平和研究所所長 渡辺芳雄氏
 セミナーⅠ 隠された中国の脅威
     セミナーⅡ 共産思想の脅威と我々の覚悟
*会費 1000円(資料代等)

    主催 世界平和連合沖縄県連合会
     後援 沖縄県平和大使協議会
       問い合わせ 090-3014-0183(小湊)

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

 

 

 

コメント (9)

福田恒存の「日本国憲法=米製翻訳憲法」

2012-05-03 13:19:32 | 県知事選

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

憲法の日にちなんで、町工場の親方さんのコメントよりの孫引きで、「平和憲法」の欺瞞性を徹底的に粉砕した福田恒存、「当用憲法論」の抜粋を「掲載します。(太字強調と一部重複部分は筆者が編集した)

再度言おう。

県議選の立候補者諸君、沖縄2紙の顔色を見ることなく、堂々と憲法論議をし、改憲を主張しよう!

有権者は沖縄タイムスが考えるほどバカではない。

バカは、それに気がつかぬ沖縄タイムスである。

以下引用。

             ☆

現憲法批判の書物は何冊も出ていますが、私には、福田恒存氏が、昭和40年に発表した、「当用憲法論」、が強く記憶にあります。
今から半世紀近くも前、今とは異なる左翼全盛の、論壇の空気の中、このような文章を発表した、福田恒存氏の勇気と知的誠実には驚嘆しました。

以下、幾つかの文章を紹介させていただきます。

昭和40年5月3日の憲法記念日に、福田恒存はNHKテレビの「憲法意識について」という座談会に出席しました。出席者は5人で、憲法学者の小林直樹・東大教授、小説家の大江健三郎、国際政治学者、京大教授の高坂正尭、司会者の憲法学者の佐藤功、の諸氏でした。
福田恒存以外の4人はそれぞれ微妙な差はあっても、斉しく現憲法肯定論者、所謂「護憲派」であって、福田恒存一人が「改憲派」だったそうです。

          *

福田恒存、「当用憲法論」より。

・・・欽定憲法改定の際に見逃しえぬ第二の事実は、独立国に非ざるものに、憲法を制定する権利も資格も有り得ないといふ事であります。

仮に占領軍が押し付けたのではなく、自発的に草案を作り、自発的に制定したとしても、事態は同じです。この場合、「自発的」、といふ言葉が既に意味を為さない。自発的であり得るのなら被占領国ではないし、被占領国なら自発的ではあり得ないからです。

こんな解りきった事に誰も気付かなかった筈はない。が当時そのことをはっきり口に出して反対したものは衆議院で六人しかおりませんだした。そのうち四人までが共産党の議員であり、野坂参三氏などは、第九条にも反対し、軍隊を持たぬ独立国は考へられぬとさへ言っております。・・・

・・・断言しても良い、現行憲法が国民の上に定着する時代など永遠に来る筈はありません。第一に、「護憲派」、を自称する人たちが、現行憲法を信用しておらず、事実、守ってさへもいない。
大江氏は覚えているでしょう。座談会で私が、「あなたの護憲は第九条の完全武装放棄だけでなく、憲法全体を擁護したいのか」、と訊ねた時、氏は、「然り」、と答へた。続けて私が「ではあなたは天皇をあなた方の象徴として考へるか、さういうふ風に行動するか」、と反問したら、一寸考えこんでから、「さうは考へられない」、と答へた。記録ではその部分が抜けておりますが、私はさう記憶してをります。或いは氏が黙して答へなかったので、それを否の意思表示と受け取ったのか、いずれにせよ改めて問ひ直しても恐らく氏の良心は否と答へるに違ひない。

が、それでは言葉の真の意味における護憲にはなりません。大江氏は憲法を憲法なるが故に認めているのではない、憲法のある部分を認めているのに過ぎず、また憲法を戦争と人権の防波堤として認めているに過ぎないのです。

・・・しかし、巷間憲法論議の最大の焦点は、その第九条でありませう、それについて私の考えを述べます。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
この文章を読んで御覧なさい、多少とも言葉遣いに敏感な者なら、そこには自発的意思など毛ほども無いことが感じ取られるでせう。これは譬へば「銃をしまう!」という職業軍人の間に通用した命令形の変種であることは一目瞭然であります。またこれをどう解釈しても、自衛の為の軍隊なら許されるといふ余地は何処にも残されてはをりません。事実、吉田茂元首相は当時そうさう力説してをりました。

現在でも、公法研究者中略七割が同様の解釈をしてをり、第九条のままでも自衛隊の保持は差支無しといふのは二割しかおりません。後の一割が自衛隊を認める様、第九条を改めるべしといふー意見です。処で、この第九条を生んだ根本の考へ方は何処にあるかといふと、それは前文における次の一節です。

・・・日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公平と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

これも変種の命令形であることは言ふまでもありませんが、それにしても「名誉ある地位を占めたいと思ふ」とは何といぢらしい表現か、悪戯をした子供が、母親から「こう言ってお父さんにあやまりなさい」と教へられている姿が眼前に彷彿する様ではありませんか。それを世界に誇るに足る平和憲法と見なす大江氏の文章感覚を私は疑います。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」といふのも、いぢらしさを通り越して涙ぐましいと言ふほかは無い。この場合、「決意」といふ言葉は場違いでもあり滑稽でもあります。

前から読み下してくれば、誰にしてもここは「保持させて下さい」といふ言葉を予想するでせう。といふのは、前半の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」といふのが途方も無い事実認識の過ちをおかしているからです。

これは後に出てくる「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会」といふ一節についても言へるこ事です。
例の座談会で、この虚偽、或はこ五人を揶揄し、刑法や民法の如き国内法の場合、吾われは同胞に対してすら人間は悪を為すものだといふ猜疑を前提にして、成るべく法網を潜れぬ様に各条項を周到につくる、それなのに異国人に対しては、すべて善意を以って日本国を守り育ててくれるといふ底抜けの信頼を前提にするのはをかしいではないかと言った。
第一、それでは他国を大人と見なし、自国を幼稚園の園児並に扱ってくれと言っている様なもので、それを麗々しく憲法に折り込むとは、これほどの屈辱は他にありますまい。

処が小林氏は、あれは嘘でも何でも無い、当時は国連中心主義の思想があって、そこに集ったグループは反ファッシズムの闘争をした諸国と手を握り合って行かうといふき持ちだった、その諸国の正義に信頼しようといふ意味に解すべきだと答へました。

そもそも憲法の中に、猫の目のように変る国際政治の現状判断を織込み、それを大前提として各条項を定めるなど、どう考へても気違い沙汰です。

私は小林氏が本気でさう言っているのか、これもまた欺瞞か、そのけじめが付かなかったので黙ってをりましたが、もし小林氏が本気でさう考へているなら、そして憲法学者といふのはその程度の歴史知識、国際政治観で済むものなら、随分気楽な職業だと思ひます。

史上かって軍縮案が成功した例は無いし、中学校程度の世界史の教科書を見ても解ることですが、戦争の後には交戦国は必ず平和を喜び合い、もう戦争は懲り懲りだと思ふ。が、それは意識の半面だけの事で、済んだ戦争が史上最後の戦争だなどとは決して信じ込みはしないのです。

彼等が、「平和を愛する」、人間である事も、「平和をい維持し、あらゆる悪を地上から永遠に除去しようと努めている」、事も、やはり半面の真理であって、他の半面では、自分は出来るだけその善意を持ち続ける積もりだが、何処かの国がその善意を忘れることもあり得るといふ程度の予想は立てている、その予想が事実になる場合もあり、また善意を持ち続ける自分の力か、ついそれを忘れる場合もあり、しかもいづれの場合も、両者共に善意を忘れたのは相手方だと思い込む、それが人間といふものです。

さういふ、「人間普遍の原理」、に目を塞いで作ったのが、右に引用した現行憲法の前文であり、その帰結が第九条であります。

私は当時の日本の政治家がそれほど馬鹿だったとは思はないし、政治家といふ職業は憲法学者ほど気楽に出来る者とも思はない。

改めて強調するまでもありますまいが、これは明らかに押し付けられて仕方無く作った憲法です。如何にも腑甲斐無いとは思ひますが、当時の事情を考へれば、情状酌量出来ない事ではない。

しかし、それならそれで事情を説明して、国民の前に一言詫びれば゜よいと思ひます。アメリカも公式に謝罪した方が宜しい。さうすれば吾われもさっぱりした気持ちで、それこそ自発的に、吾われの憲法に天下晴れて対面出来るでせう。

今のままでは自国の憲法に対して、人前には連れて出られない妾の様な処遇しか出来ません。
尤も、それを平和憲法として誇っている人も沢山をりますけれど、それは其の人達が妾根性を持ち、事実、妾の生活をしているからに他なりません。・・・

・・・先に「蛇足までに」と申しましたが、現行憲法に権威が無い原因の一つはその悪文にあります。
悪文といふよりは死文といふべく、そこに起草者の、いや翻訳者の心も表情も感じられない。吾々が外国の作品を翻訳する時、それがたとへ拙訳であらうが、誤訳があらうが、これよりは遼に実意の篭もった態度を以て行ひます。

といふのは、それを翻訳しようと思ふからには、その前に原文に對する愛情があり、それを同胞に理解して貰はうとする欲望があるからです。それがこの当用憲法には聊かも感じられない。今更ながら欽定憲法草案者の情熱に頭が下がります。良く悪口を言はれる軍人勅諭にしても、こんな死文とは格段の相違がある。


前文ばかりではない、当用憲法の各条項はすべて同様の死文の堆積です。
こんなものを信じたり有り難がったりする人は左右を問はず信じる気になれません。これを孫子の代まで残す事によって、彼らの前に吾われの恥じを晒すか、或はこれによって彼等の文化感覚や道徳意識を低下させるか、さういふ愚を犯すよりは、目的はそれぞれ異なるにせよ、一日も早くこれを無効とし、廃棄る事にしようではありませんか。

そしてそれまでに、それこそ憲法調査会あたりで欽定憲法改定案を数年掛りで作製し、更に数年に亙って国民の意見を聴き、その後で最終的決定を行ふといふのが最善の策であります。

憲法学上の合法性だの手続きだの、詰まらぬ形式に拘はる必要は無い、今の当用憲法がその点、頗る出たらめな方法で罷り出て来たものなのですから。



※、「当用憲法論」、は、福田恒存・著、『日本を思ふ』ーーー文春文庫、並びに、福田恒存全集、第六巻に収められています。

平成24年5月3日

 

【おまけ】

石垣島に滞在中の水戸黄門様が、本日エントリーの冒頭の新聞見出しの感想を
送って頂いたので紹介します。

ちなみに「会見」とあるのは「改憲」の誤変換でしたので、本分では訂正してあります。

筆者の不注意で黄門様を混乱させたことをお詫び致します。

・・・・☆・・・・・・

沖縄タイムス瓦版アンケートによる「見出し」ですか。
それにしても、こんな内容で、何のために調査票を集めるのか、
瓦版が選挙に肩入れするような「民主主義」、実に嘆かわしいですな。

> ■一面トップ
> 本紙アンケート
> 護憲27人 会見20人

「護憲」とは、「憲法を護る」「国の定めを護る」の意なら、当たり前じゃ、
誰も憲法に違反した、と言われたくないものです。
「平和」反対、「戦争」賛成、と言えないようなものですな。

会見20人?? タイムス瓦版の誤植か、それとも、20人に会見して、
アンケートの結果「護憲27人」。数字が合わない。
この者らは数字誤魔化しの天才のようですから、信じられませんな。

> 9条改正反対41人65%
「改正」ですから、賛成しますな。
「改正反対」に41人とは、はて・・・??、意味不明な問いですな。

> ■2、3面トップ
> 県内移設に反対87%
「県内移設に反対」ですから「現状でよい」も含む数値と読みますぞ。
> 軍強制「あった」65%
「軍強制」あった、なかった、単純に答えられますかな。
>「集団自決」否定は2人
「自決」とは、他人の指図に寄らず「自分で決定する」こと、「集団自決」???
「中○」はチベット、ウィグル民族の自決を蹂躙している。
また、民族自決を主張する者を牢獄にいれたり、国内で虐待しているようですな。

 別の「自害」の意ならば、今の時代に「死語」ではありませんか。
いずれにせよ、集団であろうと、一人であろうと、命は大切にすべきです。
「否定は2人」とは信じられませんな。
そもそも何を問うているのでしょうかな。

地元の八重山日報以外の瓦版、読めば読むほど、
しかも真面目に読むと、訳が判らなくなり、頭がおかしくなる。

狼魔人様の電子日記、読者の皆様の意見を読み、それから瓦版を読む。
そうすると、真実がよく見えて、嘘つき者の判別もできる。ほんとに解りやすいです。

・・・☆☆・・・


石垣島より


よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

コメント (5)