快気分析

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自然災害の仕組み 理論化と対策へのアプローチ - 火山性活動 その4 リンジャニ山 噴火

2015-11-04 23:46:53 | 地震 津波
 先ほどの記事で、1257年前後に特に大地震は見つけられなかった旨、記載しましたが、その後によく見ると、大地震はありました。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_%28%E6%97%A5%E6%9C%AC%29#416.E5.B9.B4.E3.80.9C.E9.8E.8C.E5.80.89.E6.99.82.E4.BB.A3
1257年10月2日(10月9日)(正嘉元年8月23日) 正嘉地震 - M 7~7.5、関東南部に大きな被害。同日に三陸沿岸に津波襲来し野田海と久慈の海に津波(『岩手県沿岸大海嘯取調書』)※。

引用終了

 また、1257年以降は飢饉が続いたようで、


引用開始(一部抜粋)

http://www8.plala.or.jp/bosatsu/seisaku/shoka-kikin.htm
 寛喜の飢饉に続いて、正嘉年間(1257~1259)にも鎌倉は飢饉に襲われた。

 1257年(正嘉元年)には、大地震が起きるなど自然災害が頻発したことが『吾妻鏡』に記されている。また、翌年6月24日の条には「鎌倉の寒気はまるで冬天のようだ」と記している。

 8月には暴風雨によって「諸国の田園ことごとくもって損亡す」とあり、さまざまな天変地異の現象が起きていたことが窺える。

 その他、大流星の発生や北条政村の息女が比企能員の娘に祟られるという怪異現象も発生し、鳥にまつわる怪異も伝えられている(参考:蛇苦止堂と蛇苦止ノ井(妙本寺))。 


路上にあふれる死人と病人

 自然災害だけではなく火災などの人災も多く発生し、1260年(文応元年)に日蓮が五代執権北条時頼に献じた『立正安国論』には、「天変・地夭・飢饉・疫癘遍く天下に満ち・・・・牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり」と記されている。

 鎌倉の道には死人や病人であふれていた。1261年(弘長元年)、幕府は「病者、孤子(みなしご)、死屍を路辺に捨てる」ことを禁じている。

 また、捨てられた病人を無常堂に収容することも定めた(無常堂は、由比ヶ浜にあった無縁の病人を収容する終末医療施設)。

引用終了

 リンジャニ山 噴火による異常気象で飢饉が続いた可能性はあるのかも知れません。
 また大地震も連動しているのかどうか、はまだはっきりとはわかりません。

 鎌倉幕府が成立したと見なされるのが1185年10月の寿永二年十月宣旨。
 大地震の直後です。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_%28%E6%97%A5%E6%9C%AC%29#416.E5.B9.B4.E3.80.9C.E9.8E.8C.E5.80.89.E6.99.82.E4.BB.A3
1185年8月6日(8月13日)(元暦2年7月9日) 文治地震(元暦大地震) - M 7.4、死者多数。法勝寺や宇治川の橋など損壊。余震が2か月ほど続く。琵琶湖の水が北流したという記録がある。鴨長明が『方丈記』で詳述。南海トラフ巨大地震説[49]、および琵琶湖西岸断層帯南部の活動による説[50][51][52]がある。

引用終了

 これがきっかけになって言わば一時的な遷都の色彩が強かったのかでしょうか。
 地震は政治に大きく影響している、と言う説は多いですが、その通りかも知れません。
 江戸幕府の大政奉還より多少前にはなりますが、1853年~1858年まで連続で大地震が発生しました。




自然災害の仕組み 理論化と対策へのアプローチ - 火山性活動 その3 リンジャニ山 噴火

2015-11-04 21:15:02 | 地震 津波
 インドネシアでリンジャニ山 噴火とのニュースがありました。

引用開始(一部抜粋)

http://toyokeizai.net/articles/-/91127

バリ付近の島にあるリンジャニ山が噴火
2つの空港が閉鎖
(中略)
当局は声明で「火山性微動が継続的に記録されており、新たな噴火の可能性が依然高い」と述べた。
リンジャニ山は、先週末から火山灰の噴出が続いていた。

引用終了

 この火山ですが、調べてみると

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%8B%E5%B1%B1
種類 成層火山(活動中)
最新噴火 2010

1257年に巨大噴火を起こし世界の気候に大きな影響を与えたのではないかと報告されている。[4]


http://warajinonakama.com/chronicle/05spring01.htm
(リンジャニ山について)
インドネシアのバリ島の東隣に位置するロンボク島にある活火山の山(標高3726m)。最近では1993年と2004年に小規模な噴火があった(ガイド談)。

引用終了

 頻繁に噴火してはいるようですが、1993年は阪神淡路大震災の2年前、2010年は東日本大震災の前年です。
 それで1257年の前後を調べてみましたが、特に大地震は見つからなかったです。
 寧ろ空白期にあたり、

引用開始(一部抜粋)

http://contest.japias.jp/tqj2000/30295/history/japan.html
1185/07/09 京都大地震 京都・滋賀県 ? 多数
1293/04/13 鎌倉大地震 神奈川県南部 ? 20,000?

引用終了

 にある通りでした。

 今後にどう言う関連性が日本での地震とあるかはわかりません。

 ところで地震とは関係ないのですが、1257年頃は鎌倉時代。
 そしてこの頃に何が起きたかを調べていたら、宝治合戦があり、

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%9B%E5%88%A9%E5%AD%A3%E5%85%89
宝治元年(1247年)、北条氏執権派と対立した妻の実家三浦氏方に付き敗北(宝治合戦)。鎌倉法華堂で息子の広光・光正・泰光・師雄らと共に自刃した。合戦の直前、季光は将軍御所に向かおうとしたが、妻の「兄泰村を見捨てる事は、武士のする事ではない」との言葉で三浦陣営に付いたという。毛利一族はこれによって大半が果ててしまったが、越後国にいた四男の経光の家系だけが唯一残ったとされ、この経光の子孫から戦国時代に吉田荘の国人領主から一躍中国地方の覇者となる毛利元就が出る。

引用終了

 ナント毛利氏は鎌倉幕府の有力御家人、つまり東国武士一族の生き残りの末裔なのでした。