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自然災害の仕組み 理論化と対策へのアプローチ - 16世紀の怪

2015-11-26 22:19:46 | 地震 津波
 以前、当ブログで江戸時代の末期に大地震が頻発し、それも江戸幕府の終焉とも関係ある可能性について記事の中で書きましたが、実はその江戸幕府も天下統一した時も地震が関係したのではではないか?と思えるデータに遭遇しました。

 引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_%28%E6%97%A5%E6%9C%AC%29#.E5.AE.A4.E7.94.BA.E6.99.82.E4.BB.A3.E3.80.9C.E5.AE.89.E5.9C.9F.E6.A1.83.E5.B1.B1.E6.99.82.E4.BB.A3

1495年9月3日(9月12日)(明応4年8月15日) - 鎌倉大仏殿が津波で破壊されたと記録されている(『鎌倉大日記』[58])。この記録が明応7年の明応地震の混同として扱われて、「理科年表」には記載がない。地層[注 9]や史料[59]の調査から、相模トラフを震源とする関東地震の可能性が疑われている[60][61][62]。
1498年
6月30日(7月9日)(明応7年6月11日) 日向地震 - M 7~7.5、死者多数。同日、畿内でも地震。南海地震との説もある[63]。
9月11日(9月20日)(明応7年8月25日) 明応地震(東海・東南海地震) - M 8.2~8.4、死者3万~4万人以上と推定。伊勢・駿河などで津波により大きな被害、浜名湖が海と繋がる、鎌倉高徳院の大仏殿が押し流されるなど ※。地質調査によればほぼ同時期に南海地震も発生。南海トラフ沖にある長さ約300kmの海底活断層による地震の可能性がある[64]。

16世紀

1502年1月18日(1月28日)(文亀元年12月10日) 越後地震 - M 6.5~7.0、死者多数。
1510年9月11日(9月21日)(永正7年8月8日) 摂津・河内地震 - M 6.5~7.0、死者多数。余震が2か月あまり続く。
1520年3月25日(4月4日)(永正17年3月7日) 永正地震 - M 7.0~7 3⁄4。紀伊・京都で地震。熊野・那智の寺院破壊、津波有り。

安土桃山時代(1573年 - 1603年頃)

1585年7月31日(天正13年7月5日) 大阪・京都・伊勢で大震。
1586年1月18日(天正13年11月29日) 天正地震(東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震) - M 7.8~8.1(それ以上の可能性あり、あるいはM 8クラスの地震が3つ以上同じ日に立て続けに発生した可能性あり)、死者多数。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏、帰雲城もろとも滅亡。余震が1年以上続く。三河湾と若狭湾という日本海・太平洋両岸での大津波記録が複数あり、複数の巨大地震の同日発生の可能性がある。少なくとも養老断層(愛知県)、阿寺断層(岐阜県)の2つの断層の活動(いずれもM 8クラスか)の可能性が高い。さらに若狭湾に津波をもたらした断層も活動したと考えられ、3つのセグメントでのM 8クラス地震が同日に少なくとも3つ以上発生した可能性が高い[注 10]。
1590年3月21日(天正18年2月16日) 安房で地震 - 2mの隆起あり。潮が引いて3キロの干潟が形成された。
1596年・・以下の3つは連動型地震の可能性がある。
9月1日(文禄5年閏7月9日) 慶長伊予地震(慶長伊予国地震)- M 7.0、寺社倒壊等。同年同月に発生した一連の内陸地震のさきがけとなる。四国を走る中央構造線断層帯での地震と考えられている。
9月4日(文禄5年閏7月12日) 慶長豊後地震(大分地震) - M 7.0~7.8、死者710人、地震によって瓜生島と久光島の2つの島が沈んだとされている。大分県を走る別府・万年山断層帯での正断層型地震と考えられている。
9月5日(文禄5年閏7月13日) 慶長伏見地震(慶長伏見大地震、文禄の大地震) - M 7 1⁄2±1⁄4、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守閣や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。淡路島~神戸~大阪北を走る六甲・淡路島断層帯での地震と考えられている。

引用終了

 驚く事に、主な記録では16世紀、正確には1495年の鎌倉を含む地域の大地震よりも後には関東以東で殆ど大地震が起きていないのです。
 引用したデータにあるのはせいぜい1590年3月21日(天正18年2月16日) 安房で地震だけです。
 中部、近畿、中国、四国、九州共に大地震が発生。
 一体何故でしょうか?
 フィリピン海プレートの動きが活発化したからなのか? ユーラシアプレートの動きが活発化したからなのか?
 或いはその両方なのか?
 いずれにしろ、太平洋プレートや北米プレートの動きが活発化したならば東北エリアの大地震は真っ先に起きたと見ても良いはずなのです。
 家康が天下統一できたのも、実は相次ぐ地震で毛利氏他の西国大名の力が落ちていた所を、織田氏、豊臣氏、最後は暫く大地震の無かった江戸や関東を基盤にした徳川氏に武力や諜略で切り崩され行ったのかも知れません。

自然災害の仕組み 理論化と対策へのアプローチ - 深発地震について

2015-11-26 20:04:05 | 地震 津波
 当ブログ記事で前回指摘通り、深発、それも地下500km以上の深さが震源の地震は誰でも気になる所です。
 確か今年5月30日の 小笠原諸島西方沖 M8.5 最大震度5強  深さ 590km の時は、その震源の深さから、学者や専門家の間で話題となっていたようです。
 今回のペルーとブラジルの深発地震もほぼ同様の深さでした。
 ではこれらのクラスの深発地震が起きると、その後はどうなるのでしょうか?
 今後実際にどうなるのかと言うのはわからないのですが、筆者の見方としては、次の通りです。
 それは「震源がこのレベルでより深いと、それだけより広いエリアの他のプレートも循環が活発化するケースは十分考えられる」 と言う事です。
 例えば、今年5月30日の 小笠原諸島西方沖 M8.5であれば、これは太平洋プレートがフィリピ海プレートの下に潜り込んだその最も深い所で起きた可能性であるとすれば、より地球の中心に近いと言う事になります。もっと浅ければ太平洋プレートだけの循環で済むのかも知れませんが、より地球中心部に近ければユーラシアプレートなど他のプレートの循環と合流するのではないでしょうかか? 
そうなるとユーラシアプレートもつられて循環が活発化するはずです。入るプレートの地殻の量と出るプレートやマントルやマグマの量は同じでなければなりません。一部がガスとかで抜けたとしても、それは僅かな量でしかないのです。バケツに入る水の量が10Lでもバケツの水位が上下できる分は貯められるわけで、出る水は5Lにもできます。
 しかし地球の場合は密閉された容器に入る水と出る水は同じなのとほぼ同様なわけで、入り込んだプレートは狭い範囲で循環するか、広い範囲に及んで循環するか、と言う話になってきます。
 震源がより浅いならそれだけより狭い範囲の循環で済み、震源がより深いならそれだけより広い範囲で循環する、と言う考えになるのが普通です。
 その逆は有り得ないでしょう。
 ですから「ユーラシアプレートや他のプレートまで巻き込んで、動きが活発化するのかもしれない」、と言う事になり、「しかし一方では他のプレートを巻き込んだだけ分散されるわけですから、新たに動くエネルギーが補給されない限り、次第に減衰、収束していく」はずです。
 今回の地球規模の活発化は2000年頃以降からの世界的な大地震の多発で、いわばバネの役割である地殻のひずみに貯えられていた地殻の非運動エネルギーが次々と運動エネルギーとなって放出されて行った、とすればその収束はいつなのか?となるわけです。
 まだ世界にどれだけこのバネに相当する歪みが残っていて順次弾けるのかはわかりません。
 仮にプレートの動きが収束して行けば、地震や火山の世界的な活発化も収束していくでしょうし、反対の収束速度が遅く、かつ深発地震が多ければ、ユーラシアプレートなど普段はそれ程活発でないプレートも、動きや勢いが活発になるかも知れません。
 ユーラシアプレートが活発化すると、日本や周辺ではこのプレートは東~北東向きに動いているようですから、フィリピン海プレートと横ずれのせん断力を起こしやすい可能性はゼロではない、と考えています。
 最近起きた薩摩半島西方沖地震も横ずれ断層だったのは気になります。
 この薩摩半島西方沖地震はフィリピン海プレートが北西に動く勢いが増したのか?
 それともユーラシアプレートの東~北東への動きが増したのか?
 その両方なのか?
 いずれにせよ、ここでは計測以来初と言われる地震のようなので、中央構造線等やそれからやや離れてこれに沿うに近いような地震多発帯の今後の動向は気になります。
 実はユーラシアプレートの本流の動きは、フィリピン海プレートが押す力につられて動いているのかもしれず、日本でのGPSデータなどではわかりにくいと個人的には思うのです。
 ですからユーラシアプレート本流の動きは、ロシアや中国や朝鮮半島でのGPS地殻変位測定などで、より正確にわかると思います。