インドネシア・スラウェシ島ですが、何故これだけ犠牲者が多くなっているのか?と言う点について、一つは津波のようですが、地震で倒壊した建物による犠牲者も少なくないようです。
インドネシアと言えばM7以上の地震が多発する国であり、何故これだけ地震による犠牲者が多いのかと言うと、それはスラウェシ島ではそれだけ建物が倒壊するような地震が暫く発生していなかったので建物の造り等、態勢ができていなかったから、と考えられます。
では大地震が過去にどれだけ発生していたのかを前後期間も含めて簡単に調べると、次のように出て来ます。
引用開始(一部抜粋)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8#%E8%BF%91%E4%BB%A3%E4%BB%A5%E5%89%8D_2
18世紀
1762年4月2日 バングラデシュ・ミャンマー北西部で地震 - M 7.5、津波などにより多数が死亡。
1797年 インドネシア、スマトラ島中部沖で地震 - M 8.4。
19世紀
1815年11月27日 インドネシア、バリ島で地震、死者1,200 - 1万人。
1820年12月29日 インドネシア、スラウェシ島で地震 - M 7.5、死者400 - 500人。
(中略)
1938年2月2日 インドネシア、バンダ海で地震 - Mw 8.5。
1939年
4月30日 ソロモン諸島で地震 - M 8.0、死者10人。
12月21日 インドネシア、スラウェシ島で地震 - ' M 8.6'[21]。
引用終了
wikipediaに載るレベルで過去に2度大地震が発生しているようです。
別にスラウェシ島の大地震と日本の地震が直接遠隔連動しているとは限らないのですが、地球規模での地殻やプレートバランスで当時とやや似ている面も或いは有るのかどうか?と言うのでこの頃に発生した日本の地震を見て見ると、
引用開始(一部抜粋)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)#19%E4%B8%96%E7%B4%80%E5%89%8D%E5%8D%8A
1792年
5月21日(寛政4年4月1日) 島原大変肥後迷惑 - 長崎県島原半島で雲仙普賢岳の噴火が起こり、眉山の山体崩壊による対岸の肥後国(熊本県)大津波。M 6.4±0.2、死者約15,000人。
6月13日(寛政4年4月24日) 北海道後志神威岬沖合で地震 - M ≒ 7.1又はM 7.3[104]。小樽から積丹(しゃこたん)岬にかけての地域で揺れを感じ、津波が発生したとされている[105]。日付を5月24日とする文献もある(『北海道史』)。
1793年
2月8日(寛政4年12月28日) 西津軽地震(鯵ヶ沢地震) - M 6.9〜7.1。西津軽・鰺ヶ沢で強震、津軽山地西縁断層帯が震源で、地震発生よりも前に海水が引く前兆現象があった。津波による死者3人。
2月17日(寛政5年1月7日) 寛政地震(連動型宮城県沖地震) - M 8.0〜8.4、死者100人程度、陸中から常陸にかけて津波。
1799年6月29日(寛政11年5月26日) 金沢地震 - M 6.0±1⁄4又はM 6.7[104]。金沢などで地震。640人死亡、その他の地域でも死傷者あり。
19世紀前半
1801年5月27日(享和元年4月15日) 上総地震 - 久留里城が破損。
1802年12月9日(享和2年11月15日) 佐渡小木地震 - M 6.5〜7.0、死者37人。
1804年7月10日(文化元年6月4日) 象潟地震 - M 7.0±0.1、死者500〜550人。象潟で2mの地盤隆起と3〜4mの津波。
1808年12月4日(文化5年10月17日) 紀伊半島沖で地震 - M 7.6、深夜に2度の強い揺れ。紀伊半島から四国にかけて弱い津波。2004年の地震に類似[106]。
1810年9月25日(文化7年8月27日) 男鹿半島で地震 - M 6.5±1⁄4、死者60人
1812年12月7日(文化9年11月4日) 文化神奈川地震 - M 6 1⁄4±1⁄4又はM 6.4、震源は東京湾[107]、神奈川宿を中心に死者多数[108]。
1819年8月2日(文政2年6月12日) 文政近江地震 - M 7 1⁄4±1⁄4又はM 6.9[93]、伊勢・美濃・近江で地震、死者多数。
1823年9月29日(文政6年8月25日) 陸中岩手山で地震 - M 5.8〜6.0、山崩れあり、死者 69人、不明4人。
1826年1月(文政8年12月) 小笠原諸島近海で地震 父島二見湾で津波の高さ推定6m[109]。
1828年12月18日(文政11年11月12日) 三条地震(越後三条地震) - M 6.9、死者1,681人。
1830年8月19日(文政13年7月2日) 京都地震 - M 6.5±0.2、死者280人。二条城など損壊。
1833年
5月27日(天保4年4月9日) 美濃西部で地震 - M 6 1⁄4 死者11人。余震は8月まで、震源は根尾谷断層付近。
12月7日(天保4年10月26日) 庄内沖地震(出羽・越後・佐渡地震、天保4年羽前沖地震) - M 7 1⁄2±1⁄4(Mw 8、Mt 8.1)、死者40〜130人。能登半島・東北・北陸の日本海沿岸に津波。1964年新潟地震の津波よりも規模が大きい[110]。
1834年2月9日(天保5年1月1日) 石狩地震 - M 6.4、旧暦の1月1日に発生、イシカリ場所を中心に81戸全半壊。JR札幌駅以北の複数個所で液状化の跡が見つかっているため、M 6.5〜6.6という説もある。
1835年7月20日(天保6年6月25日) 宮城県沖地震(仙台地震、天保大津波 ※) - M 7.0程度、死者多数。仙台城損壊、津波あり。
1839年5月1日(天保10年3月18日) 釧路・厚岸で地震 - M 7.0程度、国泰寺門前の石灯籠大破。津軽で強い揺れ。
1843年4月25日(天保14年3月26日) 天保十勝沖地震 - M 7.5〜8.0、死者46人。厚岸に津波。
1847年
5月8日(弘化4年3月24日) 善光寺地震(弘化大地震) - M 7.4。山崩れにより犀川の河道閉塞と閉塞部の決壊により洪水、死者約1万〜1万3,000人。
5月13日(弘化4年3月29日) 越後頸城郡(現在の新潟県上越市高田付近:高田平野東縁断層)を震源とする地震 - M 6 1⁄2±1⁄4、死者20人以上。善光寺地震の誘発地震。
19世紀後半
1853年3月11日(嘉永6年2月2日) 小田原地震(嘉永小田原地震) - M 6.7±0.1、死者約20〜100人。
1854年
7月9日(嘉永7年6月15日) 伊賀上野地震(伊賀・伊勢・大和地震) - M 7 1⁄4±1⁄4、死者約1,800人。
12月23日(嘉永7年11月4日) 安政東海地震(東海道沖の巨大地震) - M 8.4 (Mw 8.6[111])、死者2,000〜3,000人。房総半島から四国に津波、特に伊豆から熊野にかけて大きな被害。ロシア船ディアナ号(プチャーチン提督来航)沈没。
12月24日(嘉永7年11月5日) 安政南海地震(南海道沖の巨大地震) - M 8.4 (Mw 8.7[注 16])、死者1,000〜3,000人。紀伊・土佐などで津波により大きな被害(串本で最大波高11m)。大坂湾に注ぐいくつかの川が逆流。道後温泉の湧出が数か月間止まる。稲むらの火のモデルとなった津波。
(中略)
1930年代
1930年(昭和5年)
2月13日〜5月31日 伊東群発地震 - 最大Mj 5.9。
10月17日 石川県大聖寺付近で地震 - Mj 6.3、富山県高岡市で最大震度 5。死者1人。
11月26日 北伊豆地震 - Mj 7.3、静岡県三島市で最大震度 6。震源断層付近などで最大震度7相当と推定[114]。死者272人。
1931年(昭和6年)
2月20日 日本海北部で地震 - Mj 7.2、深さ403km、北海道、岩手県、茨城県で最大震度 3。
3月9日 三陸沖で地震 - Mj 7.2、北海道、青森県、岩手県で最大震度 4。
9月21日 西埼玉地震 - Mj 6.9、埼玉県、群馬県、栃木県、茨城県で最大震度 5。死者16人。
11月2日 日向灘で地震、- Mj 7.1、宮崎県、熊本県、山口県で最大震度 5。死者2人。
1932年(昭和7年)
9月23日 日本海北部で地震 - Mj 7.1、深さ394km、北海道、青森県、岩手県で最大震度 3。
1933年(昭和8年)
3月3日 昭和三陸地震(三陸沖地震) - Mj 8.1(Mw 8.4)、岩手県、宮城県、福島県、茨城県で最大震度 5。大津波が発生し、死者・行方不明者3,064人。アウターライズ地震。
6月19日 宮城県沖で地震 - Mj 7.1。岩手県宮古市・盛岡市・水沢市、宮城県仙台市・石巻市で最大震度 4。宮城県沖地震の1つとみられる[117]。
9月21日 能登半島で地震 - Mj 6.0、富山県富山市・高岡市、石川県輪島市で最大震度 4。死傷者60人。
1934年(昭和9年)2月24日 硫黄島近海で地震 - Mj 7.1、福島県福島市、小笠原諸島父島で最大震度 1。
1935年(昭和10年)
7月11日 静岡地震 - Mj 6.4、静岡県静岡市で最大震度 6。死者9人。
10月18日 三陸沖で地震 - Mj 7.1、北海道、青森県、岩手県で最大震度 3。
1936年(昭和11年)
2月21日 河内大和地震 - Mj 6.4、京都府、大阪府、奈良県で最大震度 5。死者9人。
11月3日 宮城県沖地震(金華山沖地震[130]) - Mj 7.4、宮城県仙台市・石巻市、福島県いわき市で最大震度 5。ほぼ同規模の1978年宮城県沖地震と比較すると、死者皆無など遥かに小規模の被害、小津波あり[117]。
12月27日 新島近海で地震 - Mj 6.3、伊東市で最大震度 4。死者3人。
1937年(昭和12年)
2月21日 択捉島南東沖で地震 - Mj 7.6、北海道函館市・釧路市・根室市、青森県青森市・八戸市で最大震度 2。
7月27日 宮城県沖で地震 - Mj 7.1、宮城県石巻市で最大震度 5。宮城県沖地震の1つとみられる[117]。
1938年(昭和13年)
5月23日 茨城県沖で地震 - Mj 7.0(Mw 7.7)、茨城県水戸市・石岡市、福島県福島市・いわき市・猪苗代町で最大震度 5。
5月29日 屈斜路路震 - Mj 6.1、北海道・屈斜路湖付近で地震、北海道釧路市・根室市で最大震度 3。死者1人。
6月10日 宮古島北西沖で地震 - Mj 7.2、沖縄県宮古島で最大震度 4。宮古島で2m前後の津波。
11月5日〜7日 福島県東方沖地震(塩屋埼沖地震、塩屋崎沖地震) - 11月5日17時43分にMj 7.5(Mw 7.8)、同日19時50分にMj 7.3(Mw 7.7)、11月6日にMj 7.4(Mw 7.7)、11月7日にMj 6.9(Mw 7.6)。Mj 7.5の地震で福島県、茨城県、宮城県で最大震度 5、福島県で死者1人、東北〜関東に津波。
1939年(昭和14年)
3月20日 日向灘で地震 - Mj 6.5、高知県、熊本県、大分県、宮崎県で最大震度 4。死者1人。
5月1日 男鹿地震 - Mj 6.8、秋田県秋田市と鷹巣通報所で最大震度 5。死者27人。
1940年代
1940年(昭和15年)8月2日 積丹半島沖地震(神威岬沖地震) - Mj 7.5(Mw 7.7)、北海道羽幌町で最大震度 4。死者10人。
1941年(昭和16年)
7月15日 長野地震 - Mj 6.1、長野県長野市で最大震度 6。死者5人。
11月19日 日向灘で地震 - Mj 7.2、熊本県と宮崎県で最大震度 5。九州東岸、四国沿岸で津波1m。死者2人。
1943年(昭和18年)
6月13日 青森県東方沖で地震 - Mj 7.1、北海道苫小牧市・浦河町、青森県青森市、八戸市で最大震度 4。
9月10日 鳥取地震 - Mj 7.2(Mw 7.0)、鳥取県鳥取市で最大震度 6。推定では鳥取平野を中心に震度7相当[114]。死者1,083人。
10月13日 長野県北部で地震 - Mj 5.9、新潟県上越市と長野県長野市で最大震度 4。死者1人。
1944年(昭和19年)12月7日 東南海地震(昭和東南海地震) - 三重県沖、Mj 7.9(Mw 8.2)、静岡県御前崎市、三重県津市で最大震度 6。静岡県袋井市付近、愛知県西尾市の旧矢作川流域で震度7相当と推定[131]。死者・行方不明者1,223人、伊豆から紀伊にかけて津波。
1945年(昭和20年)
1月13日 三河地震 - Mj 6.8(Mw 6.6)、三重県津市で最大震度 5。愛知県の一部で最大震度7相当と推定[132][114]。死者・行方不明者2,306人、津波あり。
2月10日 青森県東方沖で地震 - Mj 7.1、青森県八戸市で最大震度 5。死者2人。
1946年(昭和21年)
12月21日4時19分頃 南海地震(昭和南海地震) - 和歌山県沖〜四国沖、Mj 8.0(Mw 8.4[133])、中部地方から九州地方にかけて最大震度 5。死者・行方不明者1,443人、房総から九州にかけて津波。
同日19時18分頃 択捉島南東沖で地震 - Mj 7.1、北海道浦河町潮見、釧路市、根室市で最大震度 2。
引用終了
昭和三陸地震は東日本大震災に相当し、これから数十年以内に来る可能性が有る程度は想定されるといわれている南海トラフ地震に相当するものは確かに発生していました。
その他にも1792年の雲仙普賢岳の噴火とかも似ている点も有りますが、異なる点も少なく有りません。
そして引用したリストでは大地震が過去には発生しているにもかかわらず、ここ数十年は静穏な地域もいくつか有ると言うのも気になります。
インドネシアと言えばM7以上の地震が多発する国であり、何故これだけ地震による犠牲者が多いのかと言うと、それはスラウェシ島ではそれだけ建物が倒壊するような地震が暫く発生していなかったので建物の造り等、態勢ができていなかったから、と考えられます。
では大地震が過去にどれだけ発生していたのかを前後期間も含めて簡単に調べると、次のように出て来ます。
引用開始(一部抜粋)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8#%E8%BF%91%E4%BB%A3%E4%BB%A5%E5%89%8D_2
18世紀
1762年4月2日 バングラデシュ・ミャンマー北西部で地震 - M 7.5、津波などにより多数が死亡。
1797年 インドネシア、スマトラ島中部沖で地震 - M 8.4。
19世紀
1815年11月27日 インドネシア、バリ島で地震、死者1,200 - 1万人。
1820年12月29日 インドネシア、スラウェシ島で地震 - M 7.5、死者400 - 500人。
(中略)
1938年2月2日 インドネシア、バンダ海で地震 - Mw 8.5。
1939年
4月30日 ソロモン諸島で地震 - M 8.0、死者10人。
12月21日 インドネシア、スラウェシ島で地震 - ' M 8.6'[21]。
引用終了
wikipediaに載るレベルで過去に2度大地震が発生しているようです。
別にスラウェシ島の大地震と日本の地震が直接遠隔連動しているとは限らないのですが、地球規模での地殻やプレートバランスで当時とやや似ている面も或いは有るのかどうか?と言うのでこの頃に発生した日本の地震を見て見ると、
引用開始(一部抜粋)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)#19%E4%B8%96%E7%B4%80%E5%89%8D%E5%8D%8A
1792年
5月21日(寛政4年4月1日) 島原大変肥後迷惑 - 長崎県島原半島で雲仙普賢岳の噴火が起こり、眉山の山体崩壊による対岸の肥後国(熊本県)大津波。M 6.4±0.2、死者約15,000人。
6月13日(寛政4年4月24日) 北海道後志神威岬沖合で地震 - M ≒ 7.1又はM 7.3[104]。小樽から積丹(しゃこたん)岬にかけての地域で揺れを感じ、津波が発生したとされている[105]。日付を5月24日とする文献もある(『北海道史』)。
1793年
2月8日(寛政4年12月28日) 西津軽地震(鯵ヶ沢地震) - M 6.9〜7.1。西津軽・鰺ヶ沢で強震、津軽山地西縁断層帯が震源で、地震発生よりも前に海水が引く前兆現象があった。津波による死者3人。
2月17日(寛政5年1月7日) 寛政地震(連動型宮城県沖地震) - M 8.0〜8.4、死者100人程度、陸中から常陸にかけて津波。
1799年6月29日(寛政11年5月26日) 金沢地震 - M 6.0±1⁄4又はM 6.7[104]。金沢などで地震。640人死亡、その他の地域でも死傷者あり。
19世紀前半
1801年5月27日(享和元年4月15日) 上総地震 - 久留里城が破損。
1802年12月9日(享和2年11月15日) 佐渡小木地震 - M 6.5〜7.0、死者37人。
1804年7月10日(文化元年6月4日) 象潟地震 - M 7.0±0.1、死者500〜550人。象潟で2mの地盤隆起と3〜4mの津波。
1808年12月4日(文化5年10月17日) 紀伊半島沖で地震 - M 7.6、深夜に2度の強い揺れ。紀伊半島から四国にかけて弱い津波。2004年の地震に類似[106]。
1810年9月25日(文化7年8月27日) 男鹿半島で地震 - M 6.5±1⁄4、死者60人
1812年12月7日(文化9年11月4日) 文化神奈川地震 - M 6 1⁄4±1⁄4又はM 6.4、震源は東京湾[107]、神奈川宿を中心に死者多数[108]。
1819年8月2日(文政2年6月12日) 文政近江地震 - M 7 1⁄4±1⁄4又はM 6.9[93]、伊勢・美濃・近江で地震、死者多数。
1823年9月29日(文政6年8月25日) 陸中岩手山で地震 - M 5.8〜6.0、山崩れあり、死者 69人、不明4人。
1826年1月(文政8年12月) 小笠原諸島近海で地震 父島二見湾で津波の高さ推定6m[109]。
1828年12月18日(文政11年11月12日) 三条地震(越後三条地震) - M 6.9、死者1,681人。
1830年8月19日(文政13年7月2日) 京都地震 - M 6.5±0.2、死者280人。二条城など損壊。
1833年
5月27日(天保4年4月9日) 美濃西部で地震 - M 6 1⁄4 死者11人。余震は8月まで、震源は根尾谷断層付近。
12月7日(天保4年10月26日) 庄内沖地震(出羽・越後・佐渡地震、天保4年羽前沖地震) - M 7 1⁄2±1⁄4(Mw 8、Mt 8.1)、死者40〜130人。能登半島・東北・北陸の日本海沿岸に津波。1964年新潟地震の津波よりも規模が大きい[110]。
1834年2月9日(天保5年1月1日) 石狩地震 - M 6.4、旧暦の1月1日に発生、イシカリ場所を中心に81戸全半壊。JR札幌駅以北の複数個所で液状化の跡が見つかっているため、M 6.5〜6.6という説もある。
1835年7月20日(天保6年6月25日) 宮城県沖地震(仙台地震、天保大津波 ※) - M 7.0程度、死者多数。仙台城損壊、津波あり。
1839年5月1日(天保10年3月18日) 釧路・厚岸で地震 - M 7.0程度、国泰寺門前の石灯籠大破。津軽で強い揺れ。
1843年4月25日(天保14年3月26日) 天保十勝沖地震 - M 7.5〜8.0、死者46人。厚岸に津波。
1847年
5月8日(弘化4年3月24日) 善光寺地震(弘化大地震) - M 7.4。山崩れにより犀川の河道閉塞と閉塞部の決壊により洪水、死者約1万〜1万3,000人。
5月13日(弘化4年3月29日) 越後頸城郡(現在の新潟県上越市高田付近:高田平野東縁断層)を震源とする地震 - M 6 1⁄2±1⁄4、死者20人以上。善光寺地震の誘発地震。
19世紀後半
1853年3月11日(嘉永6年2月2日) 小田原地震(嘉永小田原地震) - M 6.7±0.1、死者約20〜100人。
1854年
7月9日(嘉永7年6月15日) 伊賀上野地震(伊賀・伊勢・大和地震) - M 7 1⁄4±1⁄4、死者約1,800人。
12月23日(嘉永7年11月4日) 安政東海地震(東海道沖の巨大地震) - M 8.4 (Mw 8.6[111])、死者2,000〜3,000人。房総半島から四国に津波、特に伊豆から熊野にかけて大きな被害。ロシア船ディアナ号(プチャーチン提督来航)沈没。
12月24日(嘉永7年11月5日) 安政南海地震(南海道沖の巨大地震) - M 8.4 (Mw 8.7[注 16])、死者1,000〜3,000人。紀伊・土佐などで津波により大きな被害(串本で最大波高11m)。大坂湾に注ぐいくつかの川が逆流。道後温泉の湧出が数か月間止まる。稲むらの火のモデルとなった津波。
(中略)
1930年代
1930年(昭和5年)
2月13日〜5月31日 伊東群発地震 - 最大Mj 5.9。
10月17日 石川県大聖寺付近で地震 - Mj 6.3、富山県高岡市で最大震度 5。死者1人。
11月26日 北伊豆地震 - Mj 7.3、静岡県三島市で最大震度 6。震源断層付近などで最大震度7相当と推定[114]。死者272人。
1931年(昭和6年)
2月20日 日本海北部で地震 - Mj 7.2、深さ403km、北海道、岩手県、茨城県で最大震度 3。
3月9日 三陸沖で地震 - Mj 7.2、北海道、青森県、岩手県で最大震度 4。
9月21日 西埼玉地震 - Mj 6.9、埼玉県、群馬県、栃木県、茨城県で最大震度 5。死者16人。
11月2日 日向灘で地震、- Mj 7.1、宮崎県、熊本県、山口県で最大震度 5。死者2人。
1932年(昭和7年)
9月23日 日本海北部で地震 - Mj 7.1、深さ394km、北海道、青森県、岩手県で最大震度 3。
1933年(昭和8年)
3月3日 昭和三陸地震(三陸沖地震) - Mj 8.1(Mw 8.4)、岩手県、宮城県、福島県、茨城県で最大震度 5。大津波が発生し、死者・行方不明者3,064人。アウターライズ地震。
6月19日 宮城県沖で地震 - Mj 7.1。岩手県宮古市・盛岡市・水沢市、宮城県仙台市・石巻市で最大震度 4。宮城県沖地震の1つとみられる[117]。
9月21日 能登半島で地震 - Mj 6.0、富山県富山市・高岡市、石川県輪島市で最大震度 4。死傷者60人。
1934年(昭和9年)2月24日 硫黄島近海で地震 - Mj 7.1、福島県福島市、小笠原諸島父島で最大震度 1。
1935年(昭和10年)
7月11日 静岡地震 - Mj 6.4、静岡県静岡市で最大震度 6。死者9人。
10月18日 三陸沖で地震 - Mj 7.1、北海道、青森県、岩手県で最大震度 3。
1936年(昭和11年)
2月21日 河内大和地震 - Mj 6.4、京都府、大阪府、奈良県で最大震度 5。死者9人。
11月3日 宮城県沖地震(金華山沖地震[130]) - Mj 7.4、宮城県仙台市・石巻市、福島県いわき市で最大震度 5。ほぼ同規模の1978年宮城県沖地震と比較すると、死者皆無など遥かに小規模の被害、小津波あり[117]。
12月27日 新島近海で地震 - Mj 6.3、伊東市で最大震度 4。死者3人。
1937年(昭和12年)
2月21日 択捉島南東沖で地震 - Mj 7.6、北海道函館市・釧路市・根室市、青森県青森市・八戸市で最大震度 2。
7月27日 宮城県沖で地震 - Mj 7.1、宮城県石巻市で最大震度 5。宮城県沖地震の1つとみられる[117]。
1938年(昭和13年)
5月23日 茨城県沖で地震 - Mj 7.0(Mw 7.7)、茨城県水戸市・石岡市、福島県福島市・いわき市・猪苗代町で最大震度 5。
5月29日 屈斜路路震 - Mj 6.1、北海道・屈斜路湖付近で地震、北海道釧路市・根室市で最大震度 3。死者1人。
6月10日 宮古島北西沖で地震 - Mj 7.2、沖縄県宮古島で最大震度 4。宮古島で2m前後の津波。
11月5日〜7日 福島県東方沖地震(塩屋埼沖地震、塩屋崎沖地震) - 11月5日17時43分にMj 7.5(Mw 7.8)、同日19時50分にMj 7.3(Mw 7.7)、11月6日にMj 7.4(Mw 7.7)、11月7日にMj 6.9(Mw 7.6)。Mj 7.5の地震で福島県、茨城県、宮城県で最大震度 5、福島県で死者1人、東北〜関東に津波。
1939年(昭和14年)
3月20日 日向灘で地震 - Mj 6.5、高知県、熊本県、大分県、宮崎県で最大震度 4。死者1人。
5月1日 男鹿地震 - Mj 6.8、秋田県秋田市と鷹巣通報所で最大震度 5。死者27人。
1940年代
1940年(昭和15年)8月2日 積丹半島沖地震(神威岬沖地震) - Mj 7.5(Mw 7.7)、北海道羽幌町で最大震度 4。死者10人。
1941年(昭和16年)
7月15日 長野地震 - Mj 6.1、長野県長野市で最大震度 6。死者5人。
11月19日 日向灘で地震 - Mj 7.2、熊本県と宮崎県で最大震度 5。九州東岸、四国沿岸で津波1m。死者2人。
1943年(昭和18年)
6月13日 青森県東方沖で地震 - Mj 7.1、北海道苫小牧市・浦河町、青森県青森市、八戸市で最大震度 4。
9月10日 鳥取地震 - Mj 7.2(Mw 7.0)、鳥取県鳥取市で最大震度 6。推定では鳥取平野を中心に震度7相当[114]。死者1,083人。
10月13日 長野県北部で地震 - Mj 5.9、新潟県上越市と長野県長野市で最大震度 4。死者1人。
1944年(昭和19年)12月7日 東南海地震(昭和東南海地震) - 三重県沖、Mj 7.9(Mw 8.2)、静岡県御前崎市、三重県津市で最大震度 6。静岡県袋井市付近、愛知県西尾市の旧矢作川流域で震度7相当と推定[131]。死者・行方不明者1,223人、伊豆から紀伊にかけて津波。
1945年(昭和20年)
1月13日 三河地震 - Mj 6.8(Mw 6.6)、三重県津市で最大震度 5。愛知県の一部で最大震度7相当と推定[132][114]。死者・行方不明者2,306人、津波あり。
2月10日 青森県東方沖で地震 - Mj 7.1、青森県八戸市で最大震度 5。死者2人。
1946年(昭和21年)
12月21日4時19分頃 南海地震(昭和南海地震) - 和歌山県沖〜四国沖、Mj 8.0(Mw 8.4[133])、中部地方から九州地方にかけて最大震度 5。死者・行方不明者1,443人、房総から九州にかけて津波。
同日19時18分頃 択捉島南東沖で地震 - Mj 7.1、北海道浦河町潮見、釧路市、根室市で最大震度 2。
引用終了
昭和三陸地震は東日本大震災に相当し、これから数十年以内に来る可能性が有る程度は想定されるといわれている南海トラフ地震に相当するものは確かに発生していました。
その他にも1792年の雲仙普賢岳の噴火とかも似ている点も有りますが、異なる点も少なく有りません。
そして引用したリストでは大地震が過去には発生しているにもかかわらず、ここ数十年は静穏な地域もいくつか有ると言うのも気になります。