快気分析

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仕組みとアプローチ -  本能寺の変 信長の不可解な思考を謎解きしてみると・・・

2018-10-25 21:26:43 | 明智光秀
 本能寺の変について、襲撃部隊側の一般兵らが「家康を討つものとばかり思っていた」と証言したとする旨が二つの古文書に書かれています。
 一つは「本城惣右衛門覚書」、もう一つはルイス・フロイスの「日本史」です。
 家康が大部隊で上洛するのならいざ知らず、精鋭部隊とは言えわずか数十名の家臣と京都へ見物に来ていた(実際には少し前に京都にはいたが本能寺の変の時は既に堺に行って更に京都へ戻る最中だった)事を何故一般の兵らが知っていたのでしょうか。
 これは少し変ですね。
 信長が家康の安全を考えていたのなら、例え多少時間差は有ったとしても僅かな護衛しか連れていなかった家康の居場所を大勢に知らせる事などしないのではないでしょうか?
 以前の記事で書きましたが、少人数の護衛と言っても実際には家康を護衛していた精鋭部隊や忍者などが変装してかなりいたと考えていますが、仮に家康の護衛が実際には数百名以上だったとしてもそれを一般の兵まで知らせるのはやはり家康には危険が大きいと思うのです。
 信長は一体何を考えていたのでしょうか?
 家康が襲撃されたらラッキーと信長が思っていたからなのか?
 それとも或いは家康には隠れ護衛部隊が相当いて襲撃されても必ず撃退する、と信長が確信していたからなのか?
 個人的な考えに過ぎませんが、上記の2通りのいずれかはどうあれ、信長の目論見は次のようなものであったと見ています。
 「家康が生き残れば家康の防御能力についてやはり考えていた通りで相当な隠れ護衛部隊がおり、今後にもし家康を討つ必要が出て来ればその時の参考データになる。そして家康がもし討たれてしまえばそれも良し。更に事のついでに家康を討ったグループを復讐と言う名目で攻略し、領地や利権を奪い取る」・・・信長にはどう転んでも美味しい話だったと思えます。
 ただそれが信長を襲撃するグループに逆に利用され、一般兵には信長ではなく家康を討つものと思わせて逃げ出さないようにしておいて、大勢の兵力を動かし信長は討たれてしまったという見方については以前の記事で書いた通りです。