長篠の戦いで使われたとされる鉄砲三段撃ちについてですが、次のような手法も或いは有ったのかも知れないと思いましたので記事にして見ました。
鉄砲三段撃ちの1段目、2段目は主として合図(但し迎撃の意味が全く無くもなかった)、そして3段目が一斉射撃、と言うのはこれまで記事で書いて来た通りですが、この時間的間隔について、結構短かったケースも有ったのかも知れません。
例えばですが、1段目、2段目、3段目の間隔はそれぞれ6秒。この位だと一斉射撃の射撃手、或いは狙撃手らにとっては合図の間隔としてとらえやすい。
そうすると1セットで18秒ですが、次のセットまでの間隔を仮に12秒としてそれも含めれば30秒。
これだと3セットで90秒となり、合図のチーム以外が3段目で一斉射撃するのに都合が良い間隔となったのではないでしょうか。
何故かと言うと当時の火縄銃はかなり慣れた人で1分間に3発、普通なら1分間に1発位が限度だったからです。
余裕をややとって上記の三段撃ち合図に合わせる場合、慣れた射撃手は1セット毎に1回撃て、慣れてない射撃手でも3セットの合図で1回は余裕で撃てる事になります。
合図を主とする射撃が6秒に1回、一斉射撃が30秒に一回と言うとかなりの総射撃となったはずで、更に一斉射撃の時の轟音で織田勢の鉄砲総数が武田軍にとって把握しにくいものであった場合、想定外の鉄砲数で有る事がわからなければ武田勢は無謀な突撃を実行し、更に煙で遠くが見えにくくなっていて味方がバタバタと倒れる状況が把握できずに次の突撃をしてそれも撃たれたのかも知れません。
最前線の馬防柵で最初の迎撃を鉄砲でした意味とは、そこで煙が立ち込めて武田軍は味方がその先でバタバタと倒れる状況を把握できず、かなり織田の陣営に攻め込めたと勘違いして次の突撃部隊を送り込んでしまった事も有ったと思えます。
以前の記事で書いた「三段の馬防柵での射撃だったから鉄砲の三段撃ち」のもう一つの効果でしょうか。
いずれにしても鉄砲の総数がそれまでに無い多さで有った事に関しては、明智光秀がその調達に関係していたとする史料が有り、そして雑賀衆が既に通常の三段撃ちを実施していた事については明智光秀が畿内方面の総司令官だった事から、この圧倒的な数の火縄銃をどう有効に使うかについて明智光秀も含めた重臣らが信長と策を練ったものと考えています。
鉄砲三段撃ちの1段目、2段目は主として合図(但し迎撃の意味が全く無くもなかった)、そして3段目が一斉射撃、と言うのはこれまで記事で書いて来た通りですが、この時間的間隔について、結構短かったケースも有ったのかも知れません。
例えばですが、1段目、2段目、3段目の間隔はそれぞれ6秒。この位だと一斉射撃の射撃手、或いは狙撃手らにとっては合図の間隔としてとらえやすい。
そうすると1セットで18秒ですが、次のセットまでの間隔を仮に12秒としてそれも含めれば30秒。
これだと3セットで90秒となり、合図のチーム以外が3段目で一斉射撃するのに都合が良い間隔となったのではないでしょうか。
何故かと言うと当時の火縄銃はかなり慣れた人で1分間に3発、普通なら1分間に1発位が限度だったからです。
余裕をややとって上記の三段撃ち合図に合わせる場合、慣れた射撃手は1セット毎に1回撃て、慣れてない射撃手でも3セットの合図で1回は余裕で撃てる事になります。
合図を主とする射撃が6秒に1回、一斉射撃が30秒に一回と言うとかなりの総射撃となったはずで、更に一斉射撃の時の轟音で織田勢の鉄砲総数が武田軍にとって把握しにくいものであった場合、想定外の鉄砲数で有る事がわからなければ武田勢は無謀な突撃を実行し、更に煙で遠くが見えにくくなっていて味方がバタバタと倒れる状況が把握できずに次の突撃をしてそれも撃たれたのかも知れません。
最前線の馬防柵で最初の迎撃を鉄砲でした意味とは、そこで煙が立ち込めて武田軍は味方がその先でバタバタと倒れる状況を把握できず、かなり織田の陣営に攻め込めたと勘違いして次の突撃部隊を送り込んでしまった事も有ったと思えます。
以前の記事で書いた「三段の馬防柵での射撃だったから鉄砲の三段撃ち」のもう一つの効果でしょうか。
いずれにしても鉄砲の総数がそれまでに無い多さで有った事に関しては、明智光秀がその調達に関係していたとする史料が有り、そして雑賀衆が既に通常の三段撃ちを実施していた事については明智光秀が畿内方面の総司令官だった事から、この圧倒的な数の火縄銃をどう有効に使うかについて明智光秀も含めた重臣らが信長と策を練ったものと考えています。