楽しく散歩。
夜道を。
男と女。
穏やかさ感じる表情で、ほのぼのムード。
“ふるゆわ“”という言葉が似合いそう。
輪郭がはっきりしないので、幽霊のようでもある。
アクリル絵具とマジックの走り描きなのですが、
牧歌的に感じられます。
急に寒さがまし、冬到来がひしひしと感じられる季節に。
12月に入り、師走ももう間近に感じます。
掃除が苦手なわたしは、12月に入ると、たまった汚れを落とすことにしています。
普段から掃除を小まめにしないので、やりがいがある。
埃がたまった場所を一気に一箇所、集中して掃除をする。
たまっている分、する前、した後の雲泥の差を眺めると、
ゴキブリホイホイ(今もあるの?)に集まったゴキブリを捨てたような気持ちになる。
掃除に関しては、いつも気後れがするのでした。
ヒロクニさんは、わたしと違ってわりとマメ。
モノの整理をよくする。
モノをA地点から、B地点に移し、それを分類してC、Dに分ける。
そのCのモノを、H地点に移し、DのモノをI地点に。
空いた場所は、箒ではいて掃除。
そして、A地点とB地点には、新しいモノを。
簡単にいうと、あっちこっちにモノを移動させて、部屋の中でまわっている状態。
ところが、あっちこっちに移動させている内に
「さほり、どこへいったけ?どこにあると思う?」と言う。
そうして、なかなか見つからない。
見張っているわけじゃないので、わかるわけがない。
ちらかっているけれど、一箇所にものを留めておくというわたしは、
ゴミのような山からでも、目的のものは出てくる。
だから「重要なモノは、場所を固定しとかないと」と、言うのですが、
モノがある種の、自分がいい感じだと感じる状態が好きらしく、
よく様子が変わっています。
わたしも「あ、あそこのファイルに、あの絵があったよね」と思い、
見に行くと、影も形もなくなって、探しても探しても出てこないことが、
ほんとうにしょっちゅうある。
ファイルの中ですら、移動しているのに驚く。
ヒロクニさんが「それは、こっちで預かっておく」と言うと、
「いいえ、私が保管しておきます」と強く抗います。
そして、「あのA地点から、B地点に移動する整理、
C地点へ行ったら分らない整理が怖いからダメ」と言い、
大事なものは渡しません。
わたしは掃除が苦手でも、紛失は少ないと自負しています。
しかし、性格ってあるのだなと思う。
また、違いってあるなぁ~と。
かつての猫達を思い出しても思います。
1匹目の“キタハマ”は、賢く、お客さんが来ても、とてもいいタイミングで顔を出し、
皆に可愛がられていた。
2匹目の“ジル”は、オスなのに喧嘩が弱く、テリトリーも小さくて、アカンたれだった。
だけど、外が好きで家にはあまりいなかった。
3匹目の“ピピ”は、かつての猫ちゃんとまた違い、なでられるのが好きで、
膝にのるし、抱っこも好きで何よりもかまって欲しい。
スキンシップがとても好き。
そして、わたしにべったり。
以前の2匹の猫ちゃんは、抱っこ嫌い。
あまり触られるのは、好きではありませんでした。
ヒロクニさんとわたしにも違いが大きくある。
ヒロクニさんは、絵も細かいけれど、けっこう細かいことを言う。
小言をよく聞かされます。
わたしにしたら「はっ?それがどうしたのですか?」ということが多い。
また、細かいことに目がいっているせいか、
話でも大きくずれている方向へ流れているように感じられることが多く、
「はっ?」と思ったり。
わたしは、大まかなので全体を感じていたいようなのです。
ここまで書いて、自分(わたし)が絶対正しいように書いている自分もちょっと問題なのですが・・・。
全体の捉え方が、間違っていたらどうなのよと。
まあ、ふたりの意見の違いで、物事の捉え方が、誤差が少なくなっていたらいいと祈るばかり。
現実的なところでは、たぶん細かいニュアンスにこだわるヒロクニさんが居なかったら、
わたしは、雑なので、かなり美意識の低い部屋で過ごすことになるのでしょう。
しかし、モノの紛失では、助けていると思う。
部分を補うというのは、
皆、それぞれ、きっと違っているから出来るのかもしれない。
それで、全体につながるというか。
やっぱり、人や動物が、クローンなんて考えると嫌だ。
今日の絵の幽霊(幽霊も魂の姿と思うなら)ではありませんが、
魂が宿っているからこそ、違いがあるのだと思います。
↑今の猫ちゃん。ピピ。
羽根布団を出すと暴れモード。
捕まえて押さえつけました。
不服そうな顔ののですが、かまってもらって嬉しくもあるようなんです。
顔がヤル気になっていて、男の子みたいに。
チューリップを一気植えしました。
↑穴を掘って、色取りを考えて並べたつもり。
今年は、白10個、赤10個、ピンク10個、黄色10個、紫10個。
合計、50個。ネットでセットになっているものを買いました。
すべて、一重の普通咲きのチューリップ。
こういう箇所が、庭に4箇所あります。(小さい面積のもある)
来春は、庭一杯のチューリップが咲きそう。
一気にしたから、さすがにクタクタになった。
やはり、小まめなじゃない性格だと思う・・・。
細かいヒロクニさんは、「もう、休んだら?」と何回も言うのですが、
「やめさせないで」と言い、
無視して作業に没頭していました。
↑これが球根。
バラバラになると色がわからなくなるから、
マジックで●印を付けています。
穴に入れて、出したり入れたりとして色味を合わせて植えてみました。
黄色ばかり咲く箇所も作ってみたり。
今日は、掃除の話から性格の違いに。
はてさて、それで魂があるとの飛躍したブログでした。
このようなトンチンカンな話を最後まで読んで下さった方、
ありがとうございます。(ペコリ)
どんな気分のときに見たくなる作品かな?と考えると、夜中にひとりで照明を落とした部屋でじーっと見たくなるかなと思いました。
掃除はまめにするようにはしているのですが、すぐにまた汚れるので虚しくなります。毎日掃き掃除をしても、ほこりや砂はどうしても出てきてしまいます。「何のために掃除をしているのだろう」とがっかりします。
そんなわけで、掃除は好きではありません。が、「あそこ、汚れているな」と見るたびに思うのも嫌なので、仕方なくやっています。
考え方の違いを「美意識の低い部屋で過ごす」「モノの紛失」で表しているのが面白かったです。
お互いに考え方に違いがあることはわかっていても、夫婦になると「少しは自分に近いのではないか」と期待してしまうこともあるかなと思います。
やはり、一番身近でお互いのことを考えている存在なので。でも、違うのですよねえ。
猫も個々で本当に性格が違うと思います。我が家ではトータル6匹(現在4匹、故2匹)見てきましたが、似ている子は誰もいません。
みんな自分の考えや好き嫌いをしっかり持っていて、喜怒哀楽はもちろん、しょんぼりしたり嫉妬したりうらやましがったり、感情もはっきりと表します。
ピピちゃん、確かに男の子のような顔つきです。やる気満々なのが面白いです。何にやる気満々なのでしょうかね。
チューリップの穴掘り、お疲れさまでした。こういう作業は一気にやってしまわないと、二度とやる気が起きなくなってしまいますね。「やめさせないで」が、わかるなあと思いました。
色がたくさんあると色取りを考えなくてはいけないのは盲点でした。複数の色が混ざるように植えられたのですね。開花が楽しみです。
私は色合わせに自信がないので、きっと単色ずつかためて植えてしまいそうです。
いつも思うのですが、ヒロクニさんの描く絵はふたりが多いと思うのです。それも大抵、男女。寂しがり屋なところを象徴しているようにも思います。この絵を私は、不思議な気持ちで見ています。夜のひそやかな時間に見たいなんて!ともりんの感性を感じました。
掃除ねぇ。埃とかはすぐ積もりますよね・・・。こまめにしても、虚しいのが嫌だから溜まってから私はしてしまうのかも。そういう真理作用があるのかもしれないと思いました。
最近、私達も年月が経ってきているせいか、同じようなところ(価値観)もあるのだけど、違いも凄くあると感じることが増えました。はっきりと同じような人間と思う事と、ここは違う!という感じがメリハリをつけて感じる今日この頃。以前はよく分っていませんでした。夫婦は相手に対して期待があるので、客観的に見るのが難しいものかもしれない。また、期待があまりにもなくなるのも虚しいし。でも、面白い人間関係と思っています。
猫達の個性が明確にあるのを見ると、まして人間には、それ以上に個性があるのだと思いました。猫ちゃんは癒してくれますが、人の場合はもっと複雑な関係なのでしょうね。そんなことを思っていました。
ピーちゃんは、羽根布団を出すとその上で、暴れるのが日課なんです。膨らんだ所に飛び込みます。そして、布団にズボッと沈むのが好きなんです。ピョン、ピョン跳ね回って興奮します。その時、楽しさで顔が変わるようで・・・・。いたずらをして楽しという表情に思えるのです。怖いわ。(笑)
チューリップやっと植え終わりました。(汗)ヒロクニさんの言うようにしていたら、植え終わらなかったと思います。ともりんの言うように、やる気が折れていたと思います。人のいう事をきかないのも大切なのかしらん?
いつもありがとうね。