爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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11年目の縦軸 27歳-18

2014年03月02日 | 11年目の縦軸
27歳-18

 ぼくと希美の関係がひとやま越え、アイドリングの状態をやめてからは彼女は自分の気持ちを一切、隠すような真似はしなかった。そのことで、ぼくは夏の昼間、子どもたちが遊んでいる水鉄砲を路上で急に浴びたように当惑し、別の表現では、はじめて外国人に遭遇した田舎の少年のようにどぎまぎした。(比喩が多過ぎる。人生は決して例えだけで構成されていない)

 好きかどうかは言葉で判断される。要求される前に言い出さなければならない。ぼくは仕事ならば次に起こり得ることを想定してできる限りの準備をした。しかし、希美から「わたしのこと、好き?」と問われる前までには堅実家の財布のようになかなか口を開かなかった。仕事ほど効率が求められないからでもあるし、自分の口の端々にも、顔全体にも正直にあらわれていると思っているからだ。好物をテーブルに並べられていただきますを言うタイミングを待ちわびている腹を空かせた少年ぐらいに。

 ぼくと希美は外国映画を見て、日常的な愛の告白の機会を逃さない主人公が出ると、希美の側は自分の主張の証人を得ることになり、ぼくから見ればあれは即物的な提示を露呈するしか信頼に足るものはないと考えているあわれなひとたちだと思っていた。ぼくもしないわけではないが、もちろん、機会があればプレゼントも渡すが、すべてが作為になることをおそれた。自然の延長線上に愛もあり、それをわざわざ丘のうえに記念碑を建てるようなことはなるべく避けたかった。

 反対から見れば、その記念碑が愛だった。記念碑は常に磨かれ、毎日、更新されなければならない。一度、承認したサインはある期間、有効であると思っているぼくは大事にしていないという疑いのレッテルを貼られた。

 いつも汲々とそんな話ばかりをしていたわけではないが、根底にはそういう態度があった。だからといって嫌いになるほどの理由でもない。ぼくはなるべく希美の意向に沿うように働き掛けた。それが男女の些細な感情の差と考えていたからであり、あの前の少女はぼくに要求する権利もあったのにしなかった事実とは別だったが、符号という観点で見るには年齢が違い過ぎた。あの子は、自分に自信があったのだろうか。すると、希美は自信がないのだろうか? それとも、ぼくに疑念をもたらす何かがあり、言葉が足りなく、それにまつわる態度も欠如している所為であろうか。答えは性急に必要ともされていない。

 ぼくらは公園にいた。若いお父さんは娘の背中をブランコの後方で押している。彼に言葉はない。ただ、その温もりの手を背中に感じている娘には伝わっているはずだ。妻であろうひとは、別の子どものいる乳母車をのぞいている。そのより小さな子どものほうは匂いや鼓動を通しても母を感じているのだろう。実際の言葉も重要であるが、接してはじめて伝わるものも多くあった。そのそばに屈んで犬に話しこんでいる老人がいた。老人といってもやっと退職したばかりという若さであった。まだ、仕事の責任感のようなオーラがそのひと全体を覆っていた。きっと重要な役職を得ていたのだろう。彼はどのように部下に話しかけていたのだろう。目の前にいる犬には柔和な口調で話しかけている。言葉が通じ合わないグループに所属しているものと予想される生き物にも、手っ取り早い伝達は言葉に限るようである。犬の耳もその音に応じて動いているように見える。それから、背中や頭を撫でた。そのときにも言葉をかけていた。

 ぼくは希美との会話を引きずっており、ふたりは無言でその様子を見ていた。ひとという共同体が成り立つには、分かり合うということが確かに重要だった。そこには命令もなければ、おそれも威嚇も必要ではない。同じ言語という恵まれた立場にいる。ならば、口を開くのを差し控えるのは無駄で、無責任のようにも思えた。ぼくは希美の肩に手を回す。彼女はそれにつられて頭を傾けた。

 ブランコの少女は若い父と手をつなぎ犬の前を通りかかった。飼い主と自分の父に触っていいか、了承をとった。犬に敵意もなく、されるままにしていた。少女には笑みがこぼれ、その後、両親は犬を飼う算段を要求されるのかもしれない。

 少女が離れる際に犬は小さな声で甲高く吠えた。人間同士なら、「この前は、どうも」と挨拶ぐらいすることになるのだろうが、犬はそこまで社交のことに加わらなくてもいい。ぼくらは過去にあったひとを単純にためこむ生き物なのだということを知る。再会した時に、自分はどういう人間になっているべきなのだろうか。ぼくのこころに意図しなくても波風を立てるようなひともいるだろう。ぼくは相手から尊敬されているだろうか? うとまれるようになっているだろうか。どんな感情も彼女たちに引き起こさないのだろうか。

「寒くなったね?」と希美は言う。

 いつの間にか日は傾き、どこかで夕飯の献立のにおいを予想させるものも流れてきた。ぼくらは立ち上がる。希美のことを好きだ。ぼくのこころを占めているものは、ほとんどがそれのような気がした。このことをうまく説明できるだろうか。自分が高得点を取ったテストの解答用紙を母に見せる自分の姿を思い浮かべる。ぼくも希美の眼前にそのような紙を突き出したかった。ぼくは、これほど好きなのだと。
コメント
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