27歳-21
「地元から友だちが遊びに来ているんだ」と希美が言った。
詳しい関係をきくと、中学と高校の同級生で週末や長い休みには互いの家で泊まり合うような仲だった、と説明した。そして、大人になり数日だけ希美の家に泊まる。その間、いっしょに遊ぶけど、一日ぐらい付き合うかどうか訊かれた。それで、ぼくの目の前に希美の友人がいた。
ふたりは、どことなくだがよく似ていた。もし、洋服を交換して後ろ姿の希美の友人を目にしたら、ぼくは間違って声をかける可能性もありそうだった。名前は望海といった。ふたりとも願いや願望に関連した名前でもあった。多分、両親か祖父か祖母のうちの誰かが名前を決める。生まれる前からなんとなく候補があったのか、それとも、生まれた姿を目にしてから数日間でまとまっていったのかぼくには分からない。ただ、子どもに願いをもつことは当然だった。ぼくはそのことを頭のなかで揺すりつづけていたら、名前自体が混乱してきた。結果として、希美のことを「のぞみ」と言い(ほんとうは平仮名だときみ)、彼女らふたりは同時に怪訝な顔をした。その様子もどことなく似ていた。
ふたりは並んで買い物にでかけた。ぼくは、ひとりになって都会の町を歩く。ビルが乱立している。ぼくはひとつのビルの最上階に行って下を見た。あそこのどこかに希美も友だちもいるのだと思うと不思議な気がした。さらに、それほど小さくなればふたりの差異もごく些少なものだった。個性というものを区別するには些細なことを虫メガネのようなもので大きくする必要があった。だが、その拡大されたものを見たので好きになったわけでもない。わざわざとか、あえて、という重い腰をあげるような作業や過程はなかった。事故といえば事故といえた。アクシデントの連続。それを頑なに拒否することもないし、逃げ惑うこともない。
遠くに山が見える。育った環境にそういう景色が含まれていたら、感受性もいくらか変わっていたであろう。そのもしかしたら得ていた自分の一部も、結局のところ、もう分からなかった。もっと速く走れたら、とか、もっとテストの点数が良かったらという部類と同じことで。
希美は装う必要のない友人を前にして、いつもより上気していた。そのことは好ましい変化だった。ぼくのこころも少なからず動いている。希美という女性の限定された近い過去のことしかぼくは知らなかった。もちろん、学生時代やもっと幼少の時期があることぐらい理解はしている。しかし、週末に夜通し友人と話したことや、その当事者が目の前にあらわれたことによって、イメージは膨らみ立体化されていった。歴史に埋もれた遺跡ではなく、カラフルな調度品を見つけ、具体的な生活の匂いを感じてしまったように生き生きとしていた。
ぼくにも週末の夜を過ごした友人たちがいた。彼らともし会っても、あのようににぎやかに話が尽きないということは起こりそうにもなかった。現在の設定が変わってしまい、互換性のなくなってしまった機械のように、ぼくらは疎遠であり、そのことに一々困らないようにしつけられてしまった。男性というものが、そういう風に作られているのだろうか。
だが、過去に愛着をもっているのは、この男性であるぼくであった。
ぼくは飽きずにガラスの向こうの景色を見下ろしていた。どちらの方面に希美の田舎があるのかが分からない。ぼくはいっしょにそこに足を踏み入れたこともない。ぼくの足の裏は、知らないところだらけだった。望海はそこに数日後にもどる。ぼくらは今後また会う機会があるかもしれず、これが最後になってしまうこともあり得た。そのどちらかを選ぶのはぼくの決定による。いや、何かの意志によるのだろう。
ぼくは階段でゆっくりとビルのなかを下る。飲食店の階があり、電気製品の階もあった。そこで道草をくう。特別、急いですることもないのだ。世の中は新製品であふれていた。製造ラインにいくつもの部品が運ばれていく。組み立てられ、簡易なチェックを通過し、晴れて製品となる。製品は人手に渡り、宣伝がまずければ不用な在庫になる。
価格の妥当性を考える。手に入れるための対価。
ぼくは飽きて地上に降りる。外気はさわやかとも呼べないが、ビルのなかにいるのに比べたらすがすがしいものだった。喉の渇きをおぼえる。ぼくはもっと乱雑な小道に入り、ビールを頼んだ。
新製品とはいえない年代の古い型のテレビが壁の角で映像を流していた。どこかの遠い国の丘陵地でグライダーに乗っているひとの姿があった。地面の緑はあまりにも鮮明な緑で、グレー一色のアスファルトになれた都会の目には異質なものに映る。しかし、その異質に抵抗するより憧憬が勝る。ぼくはあのように空を飛ぶこともないだろう。牧羊をしたり、酪農をすることもない。制限を加えなくても、勝手にするべきことの枠は作られていく。そのことに不満もない。窮屈さも感じない。ただ、この休日のビールだけがあればいいとも思っていた。過去のことで、いくらでも話が尽きない友人がいる。過去だけで終わりもしない。現在にも未来にもその一部は運ばれていく。新製品に買い替えるまでは、その思い出も古びていったことも教えられないのだろう。
「地元から友だちが遊びに来ているんだ」と希美が言った。
詳しい関係をきくと、中学と高校の同級生で週末や長い休みには互いの家で泊まり合うような仲だった、と説明した。そして、大人になり数日だけ希美の家に泊まる。その間、いっしょに遊ぶけど、一日ぐらい付き合うかどうか訊かれた。それで、ぼくの目の前に希美の友人がいた。
ふたりは、どことなくだがよく似ていた。もし、洋服を交換して後ろ姿の希美の友人を目にしたら、ぼくは間違って声をかける可能性もありそうだった。名前は望海といった。ふたりとも願いや願望に関連した名前でもあった。多分、両親か祖父か祖母のうちの誰かが名前を決める。生まれる前からなんとなく候補があったのか、それとも、生まれた姿を目にしてから数日間でまとまっていったのかぼくには分からない。ただ、子どもに願いをもつことは当然だった。ぼくはそのことを頭のなかで揺すりつづけていたら、名前自体が混乱してきた。結果として、希美のことを「のぞみ」と言い(ほんとうは平仮名だときみ)、彼女らふたりは同時に怪訝な顔をした。その様子もどことなく似ていた。
ふたりは並んで買い物にでかけた。ぼくは、ひとりになって都会の町を歩く。ビルが乱立している。ぼくはひとつのビルの最上階に行って下を見た。あそこのどこかに希美も友だちもいるのだと思うと不思議な気がした。さらに、それほど小さくなればふたりの差異もごく些少なものだった。個性というものを区別するには些細なことを虫メガネのようなもので大きくする必要があった。だが、その拡大されたものを見たので好きになったわけでもない。わざわざとか、あえて、という重い腰をあげるような作業や過程はなかった。事故といえば事故といえた。アクシデントの連続。それを頑なに拒否することもないし、逃げ惑うこともない。
遠くに山が見える。育った環境にそういう景色が含まれていたら、感受性もいくらか変わっていたであろう。そのもしかしたら得ていた自分の一部も、結局のところ、もう分からなかった。もっと速く走れたら、とか、もっとテストの点数が良かったらという部類と同じことで。
希美は装う必要のない友人を前にして、いつもより上気していた。そのことは好ましい変化だった。ぼくのこころも少なからず動いている。希美という女性の限定された近い過去のことしかぼくは知らなかった。もちろん、学生時代やもっと幼少の時期があることぐらい理解はしている。しかし、週末に夜通し友人と話したことや、その当事者が目の前にあらわれたことによって、イメージは膨らみ立体化されていった。歴史に埋もれた遺跡ではなく、カラフルな調度品を見つけ、具体的な生活の匂いを感じてしまったように生き生きとしていた。
ぼくにも週末の夜を過ごした友人たちがいた。彼らともし会っても、あのようににぎやかに話が尽きないということは起こりそうにもなかった。現在の設定が変わってしまい、互換性のなくなってしまった機械のように、ぼくらは疎遠であり、そのことに一々困らないようにしつけられてしまった。男性というものが、そういう風に作られているのだろうか。
だが、過去に愛着をもっているのは、この男性であるぼくであった。
ぼくは飽きずにガラスの向こうの景色を見下ろしていた。どちらの方面に希美の田舎があるのかが分からない。ぼくはいっしょにそこに足を踏み入れたこともない。ぼくの足の裏は、知らないところだらけだった。望海はそこに数日後にもどる。ぼくらは今後また会う機会があるかもしれず、これが最後になってしまうこともあり得た。そのどちらかを選ぶのはぼくの決定による。いや、何かの意志によるのだろう。
ぼくは階段でゆっくりとビルのなかを下る。飲食店の階があり、電気製品の階もあった。そこで道草をくう。特別、急いですることもないのだ。世の中は新製品であふれていた。製造ラインにいくつもの部品が運ばれていく。組み立てられ、簡易なチェックを通過し、晴れて製品となる。製品は人手に渡り、宣伝がまずければ不用な在庫になる。
価格の妥当性を考える。手に入れるための対価。
ぼくは飽きて地上に降りる。外気はさわやかとも呼べないが、ビルのなかにいるのに比べたらすがすがしいものだった。喉の渇きをおぼえる。ぼくはもっと乱雑な小道に入り、ビールを頼んだ。
新製品とはいえない年代の古い型のテレビが壁の角で映像を流していた。どこかの遠い国の丘陵地でグライダーに乗っているひとの姿があった。地面の緑はあまりにも鮮明な緑で、グレー一色のアスファルトになれた都会の目には異質なものに映る。しかし、その異質に抵抗するより憧憬が勝る。ぼくはあのように空を飛ぶこともないだろう。牧羊をしたり、酪農をすることもない。制限を加えなくても、勝手にするべきことの枠は作られていく。そのことに不満もない。窮屈さも感じない。ただ、この休日のビールだけがあればいいとも思っていた。過去のことで、いくらでも話が尽きない友人がいる。過去だけで終わりもしない。現在にも未来にもその一部は運ばれていく。新製品に買い替えるまでは、その思い出も古びていったことも教えられないのだろう。