38歳-23
友人というものを正直にいえば、それほど必要なくなってしまった。もちろん、携帯電話にはいくつもの数字が登録されているが、その番号につながる簡単な努力を怠った。今更、なにを話せばよいのだという間柄もいた。いくつかは機種の変更時に消え、多くはそのまま引き継がれていった。
家族の集合した写真が正月にポストに届いた。ひとは友人より家族というものとの時間を多くつくるようになる。ぼくは一度も友人たちにそうした写真を送ったことはない。ただ不可能ということが唯一の理由だ。その年に一度の近況の交換が、学生時代の友人との交際の成れの果てだった。
ひとは現在の生活に基づいて環境を整える。ぼくは子育ての話をそれほど親身にきくことはできないだろう。仕事でのつまずきとか、いまだに結婚前の女性との不完全な積み木遊びとかを話題にしている。子どもに話してきかせるおとぎ話のストックもひとつもない。
「もし、わたしが妊娠したら、どうする?」と絵美が訊いた。ぼくらはそういう関係にあり、だから、起こり得るべき質問でもあった。
「年老いたお父さんと、きれいなお母さんの誕生だよ」
ぼくらは付随するもので関係も呼び名も変わる。ブランドのバッグをもった女性。ハイヒールを履くひと。ベビーカーを押す若い男性。
「でも、わたし、中絶するかもね」
ぼくのこころは不思議と折れそうになる。そう若くもない女性の選択肢にまだそのような考えと選択があることに驚いていた。
「本気で?」
彼女は黙っていた。その沈黙は高くなった積み木を蹴っ飛ばすことに似ていた。だが、思い直してぼくらは直ぐにその選択に通じる関係をもった。しかし、どこかでこの女性の脳には残酷な部分があるのだという疑いが生じてしまって没頭を勝手にいさめた。自己中心的と言うのかもしれない。ぼくには覚悟という表現では大げさかもしれないが近い気持ちがあった。だが、反対に考えてみれば、彼女はぼくとの生活に魅力をもっていないのかもしれないし、その能力に身を任すことをためらっているのかもしれない。ただ、ひとことを拡大解釈したのかもしれない。ふと口にするひとことというのは重要であった。ぼくらを喜ばせ、落ち込ませるのも準備もせずに吐いたひとことの積み重ねだった。
準備して、絵美はそのひとことを言ったのかもしれない。ぼくは彼女の白い背中を見る。腹も他の命を入れる余裕も考えられないぐらいに平らだ。ぼくらは現実に遠い架空の質問を交わし、架空の答えを提出した。その架空の答えは決して現実にならないということもなかった。ぼくは父親になっている友人たちの姿をなぜだか思い出していた。
ぼくらは裸に近い状態で横たわっていた。親しさというのをこういう具合にしかできない関係にぼくは悲哀を感じる。いっしょに駄菓子屋に行き、ドッジ・ボールをぶつけ合う方がより正しい気がしていた。
いやがる少女のスカートをめくり、結局、最後がこれだった。同意のもとに行い、もし、腹が膨らめば互いの考えは一致しないこともあり得る。ぼくはずっと歩道でタクシーを待ち、あっという間に数メートル先で手をあげたひとに乗り込まれる様子を思い描いた。幸福は呆然として奪い去られる。もとはといえば彼女の身体を男性であるぼくは一時的に借りているに過ぎないのだろうか。答えはこのまどろんだ昼にはなかった。
これらのさまざまな葛藤を乗り越えた姿である年賀状の写真は貴いものであった。ぼくの友人は大人になり、同じ年月を費やしたいまのまどろむ自分は成熟さを拒否もしていないはずなのに、受け入れられなかったという認識でいた。さらに、まだ絵美は拒む機会を見つけようとしている。
仕事をして、浪費もしない、いまは浮気もしないだろう、この絵美に欠点を見つけることはできなかった。だが、ただのひとことでぼくは動揺していた。ぼくの三十八年の記憶の数々は、誰かが産んだからだった。なかったものにすることはできない。もう手遅れだ。今後も、ノーベル賞も取れないだろう。陸上競技で記録をのこして国旗を背に巻き声援に応えることもしない。しかし、そこそこに価値はあった。その価値を生んだ小さな歴史がきれいさっぱりなくなれば、やはり自分には煮えくり返りはしないが、多少の未練があるだろう。
ぼくは問い質さない。自分のあたまのなかで煩悶している。役柄を変えていくぼくら。ぼくは膨らんだと仮定して絵美の腹部を撫でた。その肌はうっすらと汗をかいていた。汗腺というものはどこにも見当たらない。いままで気付かなかったが足に縫ったあとがあった。その原因をぼくは絵美が目を覚ましたら訊ねようと思う。理解するには言葉をたくさん要す。思いやりに基づいた質問と気長な気持ち。だが、ぼんやりと優雅にじっと待つのを強いた場合、見返りとして、ぼくの未来の持ち分は徐々に減っていくことになる。仮に希美がたくさんの、いや、いくつかのことをあのとき承諾していたら、ぼくはここにいなかった。どこかの遠くのポストに希美に似た子どもの写真がぼくの名前で送られていたはずだ。それを見て、幼かった日々のぼくの姿を友人たちは時間をこえて思い出せるのかもしれない。これもまた架空のなかでの出来事だった。
友人というものを正直にいえば、それほど必要なくなってしまった。もちろん、携帯電話にはいくつもの数字が登録されているが、その番号につながる簡単な努力を怠った。今更、なにを話せばよいのだという間柄もいた。いくつかは機種の変更時に消え、多くはそのまま引き継がれていった。
家族の集合した写真が正月にポストに届いた。ひとは友人より家族というものとの時間を多くつくるようになる。ぼくは一度も友人たちにそうした写真を送ったことはない。ただ不可能ということが唯一の理由だ。その年に一度の近況の交換が、学生時代の友人との交際の成れの果てだった。
ひとは現在の生活に基づいて環境を整える。ぼくは子育ての話をそれほど親身にきくことはできないだろう。仕事でのつまずきとか、いまだに結婚前の女性との不完全な積み木遊びとかを話題にしている。子どもに話してきかせるおとぎ話のストックもひとつもない。
「もし、わたしが妊娠したら、どうする?」と絵美が訊いた。ぼくらはそういう関係にあり、だから、起こり得るべき質問でもあった。
「年老いたお父さんと、きれいなお母さんの誕生だよ」
ぼくらは付随するもので関係も呼び名も変わる。ブランドのバッグをもった女性。ハイヒールを履くひと。ベビーカーを押す若い男性。
「でも、わたし、中絶するかもね」
ぼくのこころは不思議と折れそうになる。そう若くもない女性の選択肢にまだそのような考えと選択があることに驚いていた。
「本気で?」
彼女は黙っていた。その沈黙は高くなった積み木を蹴っ飛ばすことに似ていた。だが、思い直してぼくらは直ぐにその選択に通じる関係をもった。しかし、どこかでこの女性の脳には残酷な部分があるのだという疑いが生じてしまって没頭を勝手にいさめた。自己中心的と言うのかもしれない。ぼくには覚悟という表現では大げさかもしれないが近い気持ちがあった。だが、反対に考えてみれば、彼女はぼくとの生活に魅力をもっていないのかもしれないし、その能力に身を任すことをためらっているのかもしれない。ただ、ひとことを拡大解釈したのかもしれない。ふと口にするひとことというのは重要であった。ぼくらを喜ばせ、落ち込ませるのも準備もせずに吐いたひとことの積み重ねだった。
準備して、絵美はそのひとことを言ったのかもしれない。ぼくは彼女の白い背中を見る。腹も他の命を入れる余裕も考えられないぐらいに平らだ。ぼくらは現実に遠い架空の質問を交わし、架空の答えを提出した。その架空の答えは決して現実にならないということもなかった。ぼくは父親になっている友人たちの姿をなぜだか思い出していた。
ぼくらは裸に近い状態で横たわっていた。親しさというのをこういう具合にしかできない関係にぼくは悲哀を感じる。いっしょに駄菓子屋に行き、ドッジ・ボールをぶつけ合う方がより正しい気がしていた。
いやがる少女のスカートをめくり、結局、最後がこれだった。同意のもとに行い、もし、腹が膨らめば互いの考えは一致しないこともあり得る。ぼくはずっと歩道でタクシーを待ち、あっという間に数メートル先で手をあげたひとに乗り込まれる様子を思い描いた。幸福は呆然として奪い去られる。もとはといえば彼女の身体を男性であるぼくは一時的に借りているに過ぎないのだろうか。答えはこのまどろんだ昼にはなかった。
これらのさまざまな葛藤を乗り越えた姿である年賀状の写真は貴いものであった。ぼくの友人は大人になり、同じ年月を費やしたいまのまどろむ自分は成熟さを拒否もしていないはずなのに、受け入れられなかったという認識でいた。さらに、まだ絵美は拒む機会を見つけようとしている。
仕事をして、浪費もしない、いまは浮気もしないだろう、この絵美に欠点を見つけることはできなかった。だが、ただのひとことでぼくは動揺していた。ぼくの三十八年の記憶の数々は、誰かが産んだからだった。なかったものにすることはできない。もう手遅れだ。今後も、ノーベル賞も取れないだろう。陸上競技で記録をのこして国旗を背に巻き声援に応えることもしない。しかし、そこそこに価値はあった。その価値を生んだ小さな歴史がきれいさっぱりなくなれば、やはり自分には煮えくり返りはしないが、多少の未練があるだろう。
ぼくは問い質さない。自分のあたまのなかで煩悶している。役柄を変えていくぼくら。ぼくは膨らんだと仮定して絵美の腹部を撫でた。その肌はうっすらと汗をかいていた。汗腺というものはどこにも見当たらない。いままで気付かなかったが足に縫ったあとがあった。その原因をぼくは絵美が目を覚ましたら訊ねようと思う。理解するには言葉をたくさん要す。思いやりに基づいた質問と気長な気持ち。だが、ぼんやりと優雅にじっと待つのを強いた場合、見返りとして、ぼくの未来の持ち分は徐々に減っていくことになる。仮に希美がたくさんの、いや、いくつかのことをあのとき承諾していたら、ぼくはここにいなかった。どこかの遠くのポストに希美に似た子どもの写真がぼくの名前で送られていたはずだ。それを見て、幼かった日々のぼくの姿を友人たちは時間をこえて思い出せるのかもしれない。これもまた架空のなかでの出来事だった。